2011年12月30日金曜日

広島(その1)

数日間書き損なってしまったが、昨日までお忙しいMさんにお世話になり、最後の最後までMさんにお世話になりながら広島に移動(たまたま広島にお仕事があったというMさんに送ってもらったり…)。

一昨日の夕方連れが尾道に到着。ホテルも『千光寺山荘』という尾道の名物ホテルに移動。尾道の急こう配の法面に張り付くホテルだ。このホテルに関しては、あえてノーコメント。あまりお勧めしない、ということだけにしておく。ただ、ホテルにチェックインした後もMさんにエスコートしていただきながらも、二人で街並みを堪能した。特に、法面をお寺伝いに降り、ちょっとしたおしゃれスポットの猫の小道から法面と海の間に広がる商店街へ。この街のコントラストがなかなか楽しいのであった。

そして、この夜も『とこぶし』で食事。弓削でお会いしたTさんにはお会いできなかったけど、O君の元気そうな顔を拝見。この夜も楽しい楽しい夜だった。

そんなわけで、昨日広島へ。計画を立てた結果(喰いもんだけだけど)、夜は「カキ」、今日のお昼は「お好み焼き」。少し文化的な活動をし、「お好み焼き」へ突入!そして、いよいよ福岡へ。

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2011年12月28日水曜日

弓削⇒とこぶし。

27日はいよいよMさんと会った。

Mさんには、ご縁があり9月のブルキナ渡航に誘っていただいた。とにかくバイタリティ溢れる方で、本職のカメラマン、アーキビストとしての仕事のほか、アフリカの支援や今年は震災復興支援など、ものすごい勢いで走り続けている。

年末のお忙しい中、やはり9月にブルキナに同行させていただいたTさんの住む弓削(ゆげ)島へ。橋を渡り継ぎ、因島、その後フェリーに乗り弓削島へ。弓削島からは愛媛県になる。

Tさんと港で落ち合い、島を一周。山の上から瀬戸内を望む。点在する島、コバルトブルーの穏やかな海、静寂とはるかに広がる水平線。サバンナとは違った美しさをたたえる景色に息をのむ。

9月のブルキナ渡航のスポンサーの一人である、弓削のNPOを経営するHさんともお会いする。ブルキナの話を一通りしたのち、この島のイノシシの話を聞く。小さな島だが、1000頭に上るとみられるイノシシが農作物を食い荒らしており、ここ10年間被害が拡大しているという。農作物ばかりか、人間に驚いたイノシシが人間を追い回すといったことが起こっている。家の菜園にもイノシシ除けのネットがかぶせられていることからも深刻さがうかがえる。Hさん曰く、「里と山の境界があいまいになってきた」ことがイノシシが里に下りてくる原因だろうと推察する。

しかし、以前はこの島にはイノシシがいなかったという。近隣の島にイノブタを飼育していた人がいたが、この島が山火事に遭い、弓削にイノシシがやってきた、という。ん??島の間をどうやってイノシシが移動したのですか?と聞くと、イノシシは20kmほどなら泳げる、という。イノシシはペアで泳ぎ、疲れると連れの背中に乗って休みながら進むのだ、という。昨年は「海上保安庁」から「イノシシ注意」の通達があったとか…船が近づくとイノシシがよじ登ってくるらしく、先ほど述べたように、驚くと人間に向かってくる習性をもつイノシシは海上でも危険な存在なのだそうだ。いや~おもしろい(というと悪いだが…)。

Hさんたちは、イノシシ肉の商品化を行うことで、イノシシ害の克服と島興しを狙う。昨年、行政がイノシシの屠殺場を設置。イノシシを肉として扱える環境が整ったという。帰りにHさんからイノシシの肉をいただき、尾道へ。帰り際にTさんにこっそりイノシシの肉を送ってもらうようにお願い。名古屋で牡丹鍋をたくらんでいる。

夜はMさんが経営する「とこぶしhttp://www.mederuonomichi.com/tokobushi/」へ。大学でも教鞭をとるMさんが顧問を務める写真部の忘年会に合流し、おいしくて楽しい時間を過ごした。

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2011年12月27日火曜日

街それぞれ。

(写真を撮っているのですが、アダプタを忘れてアップできず…)

昨夕尾道に到着した。駅を出ると眼前に尾道水道が広がり、ドックが点在する。振り返れば急斜面に張り付くように建つ家々。瀬戸内の風景。

名古屋から鈍行で8時間、こんなことをするのは十数年ぶりだ。岐阜の山の中から京都の直前までは雪景色で、西に行くほどに柔らかな日差しが注ぐ。小説を片手に、西へ西へ。

ホテルに着いて荷を下ろしてさっそく街へ繰り出した。時間からしてあまり遠出をしても帰りが面倒くさいので、街を散策した。斜面と海の間の猫の額のような狭いスペースに立ち並ぶ商店、その間を細い路地が網の目のように張り巡らされ、その路地にもカフェや雑貨屋などの小さな店がひしめく。人口10万人そこそこの小都市(日本的に言えば)としては、とても活気がある。

街を巡りながら、閉館間近の映画博物館と歴史博物館を廻る。

小津安二郎や新藤兼人がしばしば撮影に使ったこの街。尾道には路地や港町らしいレンガ造りの古い建物が数多く残り、とてもレトロな雰囲気が、そういえばどこかで見たことのあるような既視感を覚えさせるのはそのためか、と納得する。そして、さらにこの小さな街にずいぶん多くの映画館があるという。これも興味深い。映画博物館では、新藤兼人が大きく取り上げられていた。この人はずいぶん尾道が好きらしく、数多くの場面でこの街が使われているそうである。

歴史博物館は微妙だったので、おいておくが、一時は広島県の県庁所在地の候補ともなったという尾道。残念ながら、港町として「過去」の繁栄に乗っかってい「た」雰囲気は否めないが、多くの小都市の商店街がうらぶれていく中、若い人が開いた店がポツポツと見られるのがこの街の底力と新たな芽の息吹を感じさせる。たとえば、関東で言えば鎌倉のような雰囲気を持っている。神社仏閣と若い力、モノ作り、基幹産業と言われた造船業…温故知新がしみ込んだ街。

初日の感想でした。写真を見せられないのが悔いを残すのですが。

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2011年12月25日日曜日

旅に出ます。

2週間ほど前に書いた通り、明日から年明けまで旅に出ます。

尾道⇒広島⇒福岡。

18きっぷ一枚でふらふらと旅します。でも雪が強くなってきました。ちゃんと電車が動くかが心配…でも9月にお会いした今年の大きなイベントを乗り切った方々との再会もできそうなので、本当に楽しみ。食べて歩いて、ちょっと仕事も持ち込んで…一年の垢を落としてきます。

2011年12月22日木曜日

「デートの強い味方!」ん???



FBで知人が載せていたこの表紙。


Tokyo Walker誌に挟まっているらしいのだが、なんじゃこりゃ?近年、クリスマスにカップルで高級レストラン⇒高級シティホテルなんてコースを巡るバブリーな一日を過ごす人たちも少なくなったそうだが、その代わりにお勉強しながらデートしましょう、ってこと?


なんていう世相を反映しているものでもないらしい。なんと110万部、7,000万円の経費が掛かっているとか。しかも、文科省が拠出…う~ん。FB上のコメントも皮肉るのが精いっぱい。超脱力系の企画…


頼むぜ。文科省。調査に行きたくてうずうずしてるやつ、100人はアフリカに送り込めるぜ。100本の論文が出てくるんだよ、7000万って。

2011年12月19日月曜日

青春18きっぷ。

「青春18きっぷ」、お世話になったことのある方も多いのではないだろうか?

年末年始、今年は相方の実家のある福岡に帰ることになった。その途中、9月にブルキナにご一緒したMさんがお住まいの広島は尾道にお邪魔することになって、ずいぶん早い時期から18きっぷを利用することを考えていた。尾道、広島で何泊か、そのまま福岡へ、帰りもどこかプラッと一泊。

大学1年生、2年生のころと、18きっぷを買っては鉄道で旅行をした。今とずいぶん仕様が違うのだけど、以前「大垣夜行」と呼ばれていた(最近は「ムーンライトながら」)大垣までの直通電車に横浜から乗り(横浜発0:02なので)、1日でどこまでいけるか、とかやってみたり、乗換をするところで、一番先に来た電車に終点まで乗る、とかわけのわからないことをやった。

さすがにこんなことは今更できないけど(思い出したらやってみたくはあるけど)、本を何冊か持って、じっくり小説を読んで、景色を見て、ウトウトして。久しぶりにそんな旅行もいいかな、と思い、とても楽しみにしている。最近海外に行くのは完全に仕事になってしまったけど、こんな仕事をするようになった原点がそこにあるはず。少し当たり前になった日常を離れ、尻の痛さに耐えてみようかと。

2011年12月14日水曜日

『BT63』池井戸潤 講談社文庫

アフリカでの調査、小説の何冊かは持って行かないとすっかり娯楽を失う。普段なかなか読めないので、大体表紙を見て直感的に買う。そんなわけで、今回も調査前にほかの買い物がてら小説コーナーでなんにも考えずにパパッと小説数冊を購入。しかし、この「BT63」[[[[[下]]]]]と書かれた一冊のみをカバンの中に発見…下巻から読んでも面白くない、と思ってきれいなまま日本に持って帰ってきた。帰ってから上巻を購入し、いざ!


著者の池井戸氏、銀行ミステリーの名手だとか。まだほかの作品を読んでいないので、何とも言えないけど、この本については金融系の話は話の骨格ではそれほど重要ではない。それよりも、構成として面白かったのは、夢の世界と経験したことのない父の記憶が、まったくずれた焦点が次第にあっていくように、話が整合してくところだろう。その意味では少々ファンタジーの臭いすらする。もしかしたら「昭和」の時代を書きたかったのかな、とも思わせる。





決して読んでいて不快な感じはしないのだけど、スッキリしない小説だな、というのが率直な感想。まず、BT63の「63」が何を意味するのか分からない(たぶん、昭和38年の西暦?)。「BT21」というトラックは出てくるけど、どこかで示唆してほしかった。あと、琢磨(息子)の離婚や病気などがどうも話の展開で意味を持たない。結構大事な話のようなのに。

夢の世界と現実世界を行き来する琢磨を「精神病」の設定をすることで、この話にある種の厚みを持たせているのはわかるが、はたして、別に「精神病」であった必要性があっただろうか。銀行出身の筆者の嫌銀行の世界感はわからないでもないけど、逆にわざわざこの設定にしない方がよかったように思う。

そんなわけで、カタルシス不足、話の根拠がよくわからないなど、とても傑作とは思えないけど、読んでもいいかな、という感じ、だということだけは記録しておく。

2011年12月7日水曜日

砂漠化と人間の活動[COP17]

TwitterでCOP17関係の記事(http://allafrica.com/stories/201112070616.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter)が流れていた。COP17の開催地は南アフリカ、ダーバン。

オープニングセレモニーでは、気候変動が人間の生活に与える影響について強調、特にサーヘルが気候変動による影響を強く受けたことが強調された。サーヘルにおける人の生活の変化、近年の研究 では、移民や紛争に表出している。だから、この辺を複合的に考えなければならない…云々。

なんでこうやって経済的・機能的な要因に帰結するんだろう。今、まさにこんなところをミクロに調査しているんだけど、どうもそう簡単に(かなり蓄積があるはずだから、「簡単に」ではないんだろうけど)言えないような気がするんだけど。この場合の「気候変動」というのがどれくらいのスパンの変動を意味しているのか、人の移動の変化が、近代化による交通の発展によるもの以外、純粋に気候変動との間にどれほどの因果関係があるのか…ニュースという媒体では、まったく伝わらない。

確かに、僕が見聞きしてきた村でも、不作だった今年あたりは、3、4か月しか食糧が持たない、ということをかなりの人から聞いたけど、村の人は落ち着いたもんで、明日(毎年行っている)xxへ出発する、とか、○○するよ、とか、毎年のサイクルの中で調整している。作況のよかった昨年でも、1年間家族全員が食べられる量の作物はとれておらず、精々7,8か月分がいいところ。そもそも、農業で得られる食料は足りないものだ、という前提がある。少ない生産でみんなが食べていくためにポストハーベストロスを抑える工夫があり、より高くその食料を売るマーケティングがあり、さらに、海外から入ってくる安い食料を買うための資金をねん出する副業がある。

こうした複雑な生活の要因がある中で、どれくらい純粋に気候変動と人の生活の間の関係性が見られるのか。そして、その先にどんなことが決まるのか。注目してみていきたい。

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2011年12月2日金曜日

月末月初は。

昨夜無事に帰国した。飛行機はあまり揺れなかったし、ほぼ時間通り。ここまできれいに移動できたのはなかなか珍しい。ただ、帰ってからがむちゃくちゃ忙しい。

そういえば、10月末も連チャンで発表があって、着の身着のままアフリカに旅発った。今月もその煽りを受けているのだが、発表フルペーパーの提出(済)、明日は研究会で発表。結局、昨日はそのままほぼ徹夜になってしまった。

たぶん今月末は年末で、酒を飲むのに忙しいことだろう(九州だし…)。しっとりした時間が過ごしたいねぇ。

2011年11月29日火曜日

真っ赤っか。

Aさんに紹介してもらった英文校正会社から原稿が返ってきた。30日までに…とお願いしていたら、ちゃんと29日22時17分に到着。

激しく校正されていたけど、それぞれのご指摘はごもっとも。そして、書きなれない英語論文のポイントみたいなものもずいぶん書いてくれている。すごく勉強になる(今まで如何に適当だったか…)。とりあえず飛行機の中に持ち込みで直しを進めるか…ちょうど小説も読み切ったし(ちなみにもう一冊あるのだけど、上下巻の(下)のみを買ってしまった)、精々資料を読むくらいしかできないし。

そんなわけで、今晩出国。ここでやり残したこともそうだけど、今週の発表と先日の発表のフルペーパーの提出で年内バタバタの模様。一通り全力でやりきっていい年越しを目指そう。

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2011年11月28日月曜日

この地平線の先には…

昨日予定していた調査項目が一通り埋まった。少し余計なプラスアルファもあり、それなりに美しく滞在最終日を迎えた。

別に終わったから、というわけではないけど、ほんの少しビールを飲み、9時過ぎに本を読みながらトロトロと寝る。3時半には起きてしまったが、時差ボケのことを考えたら、これくらいの時間に目覚めるのはいい徴候かもしれない。

今回、初めて写真が貼れた。明け方はネット使用者が少ないのか、割と回線が早い。

ニジェールでは、いつもこの写真のような地平線に囲まれて過ごしている。調査の合間合間に意識が飛ぶと、いつも地平線を眺めてしまう。とてもシンプルな景色なのに飽きない。

社会や人を見るのが僕の研究。プロジェクトをオペレートして環境と人、社会との関係を見るのが今回のタスク。いろんなところでこの二つが絡まりあう。少しずつ言葉を覚え、ここの植物のことを覚え、足の裏で砂を踏みしめ、舌で味わい、手で触り、時々、棘に刺されながら、この大きな大地のほんの小さな輪の中のことを学ぶ。なかなかいい時間を過ごさせてもらったな、と思う。

この仕事としてのニジェールとしてのかかわりは今回が最後で、やり残したことが多すぎて名残惜しい。来年からにうまくつながっていくといいけど。

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2011年11月27日日曜日

今年の年末年始。ちょっと早いけど。

色々と押し迫ってきそうな気配のする11月末。師は走り回るらしいが、きっと師ではない人たちも何かと忙しい季節。

とりあえず、なんだかやらねばならぬことがいくつか手帳に書き込まれているが、もう少し書き込めそうだ。今年の年末年始は西の方へ。連れ合いの実家の方に行くのは夏の時点で決まっていたのだが、その途上、今年ずいぶんお世話になった方を頼って広島のあたりに何泊かしたいな、と考えている。このあたりには久しぶり(もう13,4年ぶり…)に会えそうな旧友もいる。まだ大学の行事やら自分の研究の進捗やらで日程が決められないのだが、今からとても楽しみにしている。

今年は自分のところもはじめ、後輩が何組か結婚した。そういえば、大学時代の同期が結婚したのはいつだったかとか思い起こすと、そんなのはもうずいぶん前だし、彼らにはきっと子どもがいたり、前の職場にいなかったり。ある友人などは今でも僕は親友だと思っているけど、連絡を取らなさすぎて、店を出したのも子どもが生まれたのも知っているけど、お祝いすら言えずにいる。今更ながら、自分の不義理を悔いてみたりする。

今年はFacebookを始めた。高校の同期40名近くとバーチャル空間で再会した。彼とはケンカしたとか、彼と話したことあったかな、とかもう20年も前になるので記憶はすでにセピア色。ちょっと遠回りしたおかげで、今までずいぶん疎遠だったけど、色々な分野で活躍している様子でとても彼らに会いたくなった。とても陳腐なきっかけだけど、こんな殊勝なことを考え出したのは、FBを通じて。

もし遅きに失していなければ、少しずつ昔の友人を訪ねたり、酒を飲みながら話を聞いてみたりしたい。なんとなく思い描く来年の目標。鬼が笑いそうだけど。

2011年11月26日土曜日

穏やかに過ぎるニアメの一日

ミッションのあるアフリカ滞在はいつも怒涛のように過ぎていく。

もちろん日本の日常を持ってきてしまっているのもあるが、できるだけ情報(≒記憶)がフレッシュなうちに言語化する、会計もこちらにいる間に(足りない領収書が出ると面倒くさいので)済ませたいので、どうしてもきついスケジュールになる。

残りのニジェール滞在は4日。約1か月の滞在だから、もうほぼ終わり。調査も大方終わったので、足りない部分を補足し、足せそうな部分を足す。直近に迫った原稿を仕上げ、発表の準備をする。タスクは明確だ。今日は会計データを打ち込み、昨日までの村滞在で溜まった洗濯、同居のSさんと昼食を作り、少し昼寝をして、雑務を少々。これから夕食を作り、少しビールを飲む。夜には自分のタスクに手を付けられそうだ。しかも、この時期は本当に暑くない。汗っかきの僕でもほとんど汗をかかない。

どうも大学では学生のストが行われているらしい。ラジオも新聞もないここには全く情報はないのだが、こちらも物騒だ。今年前半の隣の国の騒乱を思い出させる。ニジェールは今月末から産油国となるのだが、自国で石油が出るのに、思ったよりも安くならないガソリン代に対するレジスタンス、なのだとか…

しかし、そんな中でも穏やかに過ぎるニアメの一日。

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2011年11月25日金曜日

ニアメ帰還

4日間だけだが、今回最後の村滞在終了。

今回は仕事用のノートと研究(趣味?)用ノートを用意。仕事用のノートがはるかに早く埋まっていくが、趣味用のノートも少しずつ埋まっていく。しかし、宿舎というか、事務所というか、管理人(仕事用の肩書きは「コーディネーター」)のSさんなどと情報を共有していると、かなりの部分が以前なされていることもわかる。一応役所の仕事なんだし、うまいこと共有させてもらえんかな…。

一杯になったノート、1000枚を超えた写真、録音データは2,3個だけど、カウンターパートのフォローのおかげで大体ノートに取れているのでそれほど心配ないだろう。今日中に手を付け始めたかったけど、集中力がないので、今日はこの辺で寝て、明日頑張ろう。

まだまだこの地域の全体像が見えないので、五里霧中な中で調査をしているけど、前回に比べれば今回、もし次回があればもう少しいろいろ聞けるだろう。残り4日。きっとそれほどたくさん話を聞けるわけではないだろうけど、こんな新鮮な調査ができるのは本当にありがたい。

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2011年11月20日日曜日

終戦。

ドラゴンズ惨敗。ニジェールでPCに噛り付いて一球一打を見守った。

もちろん、ここのところ、毎年この時期まで楽しませてもらっていることの幸せさを思うと、それだけでもドラゴンズ、落合監督には感謝。しかし、やはり、今年はこの監督の退任が決定した中での日本シリーズだったのが、少々ひっかかりを持たせた。

僕はドラゴンズファンで、野球ファンなのだが、技術的なものとか、勝敗以外に、野球を通した人間ドラマに感動するタイプで、いつかのダルビッシュなどのように骨を折りながらも涼しい顔をしてプレーしてしまうストイックな人たちにも感動を覚える。8年間、球団から課せられた「勝てる球団づくり」を淡々と、しかしストイックに求め続けた落合という監督には、敬意を持っている。そして、この監督がどれほど選手に愛されていたか。しばしば固すぎてつまらないといわれる、勝つための野球を一糸乱れずに見せた選手を見れば、彼らの監督への信頼と愛がにじみ出ていたように思う。本当にいいチームだったなと思った。力尽き矢折れる、やりきったな、というシーズンだった。選手も監督も少しゆっくりと骨休めをしてほしいと思う。

来年。往年の名選手の高木さんが監督として舞い戻る。名伯楽権藤さんがヘッドコーチとか。球団には、しっかり責任を感じてもらうとして、これはこれで新たなドラゴンズが生まれるのではないか、という胎動を感じさせる年にしてほしい。

2011年11月12日土曜日

カレー!

現在、事務所兼宿舎に住んでいる。かなりの日本人が出入りするせいで、大量のカレーが備蓄されている。その量、おそらく数百人前。スーパーの棚よりははるかに多い気がする。

そんなわけで、ニジェールに来てから3度目のカレーナイト。お昼にフォーを作った時に鶏肉(ブロイラー1把)を解体したので、チキンカレー。ちなみにフォーはスープから作成。以外にここにある食材でこのへんのものはなんとかなりそう。今日もおいしくできますように。

しかし、昨日も食事会でインド料理!どんだけカレー喰うんだという件。

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2011年11月11日金曜日

ワークショップ

ニジェールの朝は涼やかで、朝により仕事がはかどる。

昨日より、今回の主目的であるワークショップが始まった。ブルキナファソの騒乱から転身し、ニジェールでバタバタと始めた今回の砂漠化対処のパイロットプロジェクト。このサイトを村の人に見てもらいながら、これまで村の人がやってきた在来技術と比較してもらい、何かの参考にしてもらうものだ。

もうこの仕事に携わって1年が過ぎるが、相変わらず農業や土壌の話に疎い。あぁ、勉強不足だな…と思ってしまうが、これは一朝一夕ではどうしようもない。だが、スタッフと相談しながら聞く「在来技術」。「環境系」なら、土と有機物、土壌を回復させるということは、土壌の流出を防ぎ、表土を回復する、という大原則があるわけだけど、「在来技術」では、多くの人が無機物すらも利用する。

これだけでも興味深いのだけど、上演される開発プロジェクト「劇場」的な部分も面白い。

「村はコントロールできない」

これは、請負形式で昼食を用意した農業技官の発言だが、食事の時だけ予定の2割増しの人数になり、請け負った昼食の予算を大きく上回り悲鳴を上げている。と思えば、真面目な意見を戦わせ、うがった見方かもしれないけど、僕らの気に入る態度を取る。そして、僕も久しぶりに演じてみたりもする。

今日もこれから行ってきます。

2011年11月7日月曜日

まるはち人類学研究会(12月3日)

予定より少し告知が遅れたけど、研究会での発表の要旨ができた。一緒に発表する藏本さん、あと、ここには名前が出てこないけど、南山大学の中尾さんにはずいぶんお世話になった。

大方筋書はできているけど、あと1か月、しっかり準備して研究会に臨みたい。場所などはまた後日。

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[発表趣意]

経済から宗教をみる
――「宗教組織の経営」についての文化人類学的研究――

◆本企画の背景:実践宗教研究の系譜
キリスト教・イスラーム・仏教など、いわゆる世界宗教を対象とした学術研究は、長らく文献学的な教義研究がリードしてきた。しかし教義としての宗教と、信徒によって実際に生きられている宗教は異なる。こうした問題意識から1950年代以降、人類学的な世界宗教研究が始まる。「教義」ではなく「実践」を解明すること。これが現在に至るまで、人類学的な世界宗教研究の一義的な目的であるといってよい(cf. Leach ed. 1968)。
それでは実践をどのように分析するか。この問題について、先行研究において重視されてきたのが、信徒の生きる社会的コンテクストである。信徒はそれぞれのコンテクストにおいて、教義を様々に理解・解釈し、実行する。こうした理解から実践は、コンテクストとの関わりにおいて分析されてきた。たとえば初期の研究(1950~80年代前半)において注目されたコンテクストとは、その社会に固有の信仰体系であった。つまり現実に展開している実践は、外来の教義(大伝統)と土着の信仰体系(小伝統)が融合した結果生じたものであると考えられ、両者の構造的な関係の解明を目指すシンクレティズムの議論が盛んであった(ゲルナー 1991; Tambiah 1970など cf. Redfield 1956)。
しかしこのようなアプローチは実践を画一的・図式的なものとしてしか描けない。こうした反省から近年の研究(1980年代後半~現在)においては、政治・産業構造の変化、都市化、近代教育の普及、交通・通信の発展といった大きな社会変動という動態的なコンテクストに注目が集まるようになり、多様で新しい実践がそうしたコンテクストと結びつけられて分析されている。たとえばキリスト教圏における公共宗教の復興(カサノヴァ 1997)、仏教圏における改革主義的な仏教運動の展開(ゴンブリッチ&オベーセーカラ 2002)や仏教儀礼の祭礼化(田辺編 1995)、イスラーム圏における急進的な政治運動の登場(大塚 2000)や、再ヴェール化に代表されるようなイスラーム復興現象(大塚編 2002)などである。
しかしこれらの諸研究は、観察されたミクロな実践とマクロな社会的コンテクストを安易に結びつける傾向にあり、特定の社会的コンテクストからなぜそのような実践が析出するのかという問題を、十分に説明できているとは言い難い。したがって宗教の世俗化/再活性化、個人化/公共化といった相反するイメージが、同じ社会変動というコンテクストによって説明されるという状況になっている。
このようにこれまでの実践宗教研究においては、実践を取り巻く社会的コンテクストが重視されてきたが、そうしたコンテクストが具体的にどのように実践の現れ方を規定しているのか、よくわからない。その原因は、実践とコンテクストの距離が離れすぎているところにあるように思われる。今・ここにおいて、なぜこのような実践が行われているのか。その核心に迫ることができるようなコンテクストの設定、分析枠組みが必要である。


◆本企画の視点:経済から宗教をみる
この分析枠組みとして本企画で提示したいのが、実践を取り巻く経済的な問題に注目するという方法である。ここでいう経済的な問題とは、一言でいえばカネの問題である。現実の社会で活動するためには、様々なモノやカネといった財が必要である。それは宗教実践も例外ではない。教義がどれほど高邁な理想を掲げていたところで、実際に何をどのようにできるかは、経済的な問題に大きく左右されている。その一方で、各宗教には財をどのように獲得・利用すべきかについては、何らかの教義的な制約(経済倫理)がある。つまり宗教的な理想を実現するためには、財と自由に関わっていいわけではない。
ここに宗教実践の大きなジレンマが存在している。つまり教義に固執すれば、経済的な現実にうまく対処できない可能性がある。逆に、経済的な現実への対処を優先すれば、教義を逸脱しかねない。こうした教義的理想と経済的現実のジレンマに、信徒たちは実際にどのように対応しているのか。そしてその中からどのような実践を紡ぎ上げているのか。こうした信徒の日常レベルに生じる経済的な問題こそが、信徒の実践により密接に関わる社会的コンテクストである。このように本企画では、実践を教義的理想と経済的現実のせめぎ合いの中から析出するものとして捉え直し、その実態を解明することを試みる。
このような方法論をとることは、以下の二つの点において人類学的な宗教研究に貢献しうると考える。第一に、経済的な問題に注目することによって、宗教実践のダイナミズムを浮き彫りにしうる。教義というプログラムが、現実の社会においてどのように実行されるかを左右する大きな要因は、【教義的理想⇔経済的現実】というせめぎ合いにある。したがってこのせめぎ合いに対する信徒たちの試行錯誤を描き出すことによって、一つの教義から多様な実践が表出していく原理・メカニズムを理解することができる。
第二に、経済的な問題に注目することによって、宗教と経済の相互関係をより具体的に捕捉しうる。宗教(教義)という観念的領域と、経済という唯物的領域はどのような関係にあるのか。この問題についてはK.マルクスとM.ウェーバーの古典的な議論がある。マルクスは物質的経済的土台である下部構造が、政治的・法的・思想的諸形態である上部構造を規定する、つまり「経済が宗教を規定する」と主張した(マルクス 1956など)。それに対してウェーバーは、宗教は経済に規定されない独自の生命をもち、それゆえに「宗教が経済に影響を与えうる」という発想から、近代における資本主義経済システム誕生という大問題に挑んだ(ウェーバー 1989など)。
しかしこれらのいわばマクロな理論は、現実を生きる信徒そのものへの視点を欠いている。ミクロなレベルからみたとき、信徒の実践は、教義的理想もしくは経済的現実のどちらかに規定されているわけではなく、二つのベクトルのせめぎ合いの中にある。つまり宗教と経済の相互関係は動態的で未決定である。したがって、教義的理想と経済的現実がせめぎ合いの中からどのような実践が析出しているかを具体的に観察することは、こうした宗教と経済の複雑な相互関係の一端を解明する一助となるだろう。

◆本企画の目的・方法:「宗教組織の経営」に注目する
経済に注目して宗教実践をみるという試みを行うにあたって、本企画で具体的に取り扱うのは「宗教組織の経営」という問題である。信徒個人ではなく、信徒集団としての宗教組織に注目するのは、その方が研究対象を限定しやすいという実際的な理由による。つまり各宗教の信徒たちが、上述したような教義的理想と経済的ジレンマにどのように対処しているかという問題を、宗教組織の経営という問題を通して具体的に検討する。
 宗教組織の宗教実践とは、布教活動と表現できる。つまりあらゆる宗教組織は、何らかの宗教的・教義的な理想を実現・普及することを目指して活動している。しかし先述したとおり、現実の社会で布教活動をするためには、相応の財(経営資源)が必要である。一方で財の獲得・利用方法については様々な教義的な制約がある。こうした教義的理想と経済的現実のジレンマの中で、宗教組織はどのように経営資源を獲得・使用し、どのような布教活動を行っているか。つまりどのように経営されているか。本企画ではこの問題を、ブルキナファソのコーラン学校(清水発表)とミャンマーの上座仏教僧院(藏本発表)を事例として具体的に検討する。それによってコーラン学校/上座仏教僧院の実態を明らかすることを目的としている。
またこの問題を検討するにあたって、特に都市というコンテクストを重視する。本企画で扱う二つの宗教組織はともに、伝統的に村落社会を主要な経営基盤としてきた。しかし近年の急激な都市化は、宗教組織を取り巻く環境を大きく変化させつつある。こうした都市という環境の中で、コーラン学校/僧院はどのように経営されているのか。そこにはどのような問題があるのか。都市化は、現代社会においては不可避の趨勢である。したがってこの問題を検討することは、コーラン学校/僧院の布教活動、つまりムスリムや上座仏教徒(出家者)の宗教実践の未来を占う上でも重要な意義をもつだろう。
(文責:藏本龍介)


<都市>を生きる出家者たち
――上座仏教徒社会ミャンマー・ヤンゴンの僧院経営――

藏本龍介(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)

 本発表の目的は、ミャンマーを事例として上座仏教僧院の経営という問題を検討することによって、現代社会における上座仏教僧の仏教実践のダイナミズムを浮き彫りにすることにある。
上座仏教僧院(以下、僧院)とは、「無執着」という上座仏教の理想を実現することを目的とする出家者の共住集団である。この目的を達成するために、出家者は上座仏教教義、特に出家者の規則である「律」(ヴィナヤ)によって、経済活動や生産活動が禁じられている。つまり僧院を経営するために必要な諸々の資源を自ら獲得することができない。したがって在家者からの布施に依拠するという経営スタイルをとっている。しかし布施というのは要するに与え手の善意に基づくものであるため、経営基盤としては不安定なものである。こうした原理的なジレンマを抱える僧院は、実際にどのように経営されているのか。
この問題は、上座仏教徒社会に関する人類学的な研究において、長らく明示的な問題となってこなかった。なぜならこれらの先行研究においては、出家者が国家レベル/村落レベルにおいて社会に不可欠な役割を果たすがゆえに、在家者(世俗権力/村人)からの布施を受けるという、出家者と在家者の互酬的な共生モデルが前提とされていたからである。つまり僧院が布施を受けるのは自明のこととされた(石井 1975; Gombrich 1971; Spiro 1970; Tambiah 1976など)。
しかし「近代化」と総称されるような社会変動は、こうした自明性を掘り崩している。王国から国民国家への移行、市場経済の進展に伴い、僧院を取り巻く環境も大きく変化した。それは一言でいえば、僧院の民営化・市場化である。僧院の経営基盤は、旧来の①パトロン型(国家)や②コミュニティ型(地縁共同体)から、③マーケット型(市場)へと急速に移行しつつある。僧院は、こうした市場的環境――本発表ではこれを<都市>と表現する――にどのように対応しているのか。
この問題についてはタイ都市部を事例として、「黄衣ビジネス」と揶揄されるような護符の商品化(Tambiah 1984; 林 2000)や、瞑想法の簡易化・組織化によって多くの信徒・資金を集めたタンマガーイ寺についての分析などがみられる(矢野 2006など)。ただしこれらは特殊事例の分析に留まっており、<都市>を生きる出家者たちの実態が明らかになっているとは言い難い。そこで本発表では、1990年代以降、急激な都市化を経験しているミャンマー最大都市ヤンゴンを事例にその具体的様相を検討する。
発表の前半では、都市僧院の布施調達活動の実態とその問題について、俯瞰的に整理する。発表の後半では、律の遵守を目指す原理主義的な二つの僧院に対象を絞り、そうした試みがどのように展開したかを紹介する。こうした検討を通して、教義的理想(律の規定)と経済的現実のジレンマがどのように表出し、それに対してどのような試行錯誤がなされ、そこにどのような問題があるのかを整理する。それによって出家者の仏教実践が多様化していく原理・メカニズムを描き出したい。

『タリベとコーラン学校のモビリティ:ブルキナファソの事例から』

名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程
清水貴夫

ムスリム社会であるブルキナファソにおいては、都市化の流れに伴い、一般的に「ストリート・チルドレン」と呼ばれる少年たちの姿が目立つようになった。ブルキナファソ社会行動省の調べによれば、その44%が、コーラン学校の生徒タリベTaribéだという(Ministre de l'action sociale et de la solidarite national 2002 Programme national d'action educative en milieu ouvert2003-2007)。本研究の発端は、コーランを学ぶ少年たちのはずのタリベがなぜストリートに繰り出すことになったのか、ということであり、コーラン学校が「ストリート・チルドレン」の発生にいかようにかかわるのかということへの疑問である。本発表では、この問題に対し特にコーラン学校の経営の変容を通して、なぜタリベが社会問題化されたのかを検討する。
 コーラン学校は、そもそも外来宗教であるイスラームがこの地域に浸透する過程で、この地域にとっては初めての体系的な教育システムとして各所に設置されてきた。いわゆる伝統的社会においてもこの制度は広く受け入れられてきた。伝統社会におけるコーラン学校は、畑を所有し、タリベとマラブー(導士)がともに働いて自給自足を行っていた。そして、タリベの親や地域の富裕者層からのタリーカ(喜捨)による金品の贈与、この二つの収入獲得手段によってコーラン学校が支えてきた。これが一つのコーラン学校のプロトタイプとして、この地域の人びとに認識されている。
しかし、このコーラン学校を取り巻く環境は大きく変容している。ひとつは近代的な教育システムの普及によって、コーラン学校の地位が相対的に低下したことによる。現在のブルキナファソにおいては、マドラサ、フランコ=アラブ、コーラン学校の3つの学校形態が存在し、CMBF、およびムスリム富豪による支援はマドラサとフランコ=アラブに集中している。より私的な組織でマラブーが個人で経営する、いわば寺小屋的なコーラン学校は、独自の収入源を求めなければならない。
もうひとつは村落部の変容である。CMBFなどから毎年決まった支援を受けたことのない村落部のコーラン学校では、地域社会がマラブーに使用させる土地での自給自足がコーラン学校の運営の基礎となる。これに喜捨が加わってコーラン学校が成立していた。しかし、村落部の人口圧力や不安定な農業生産、さらに貨幣経済の比重が重くなることにより、従来のコーラン学校のシステムにひずみが生じ、村落での持続的な運営は困難になっていく。
このためコーラン学校は、より資源獲得の可能性が高い都市へと移動を繰り返す。実際に、多くのコーラン学校が数年単位、時に数カ月単位で拠点を移しながら、最終的に大都市、ワガドゥグにたどり着くこととなる。都市に移動したとしても、コーラン学校は従来のシステムを踏襲できるわけではない。マラブーは、様々な運営努力をする中で、宗教的な要請から外れていると認識しつつも、タリベたちにストリートで「喜捨」を集めさせる。こうした、タリベの行為は、物乞いをする少年たち、つまり「ストリート・チルドレン」として見做されるようになる。
このようにブルキナファソにおける「ストリート・チルドレン」問題は、新たな経済的現実に「喜捨」を集めるという方法で対処しようとするコーラン学校の経営形態と密接に結びついている。本発表ではこの事象を、現代ムスリム社会における宗教と経済の相互関係を示す一事例として提示してみたい。
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2011年11月6日日曜日

日曜日

今日は日曜日でタバスキ。

本当は村でタバスキに混ぜてほしいな~、とか、少しは聞き取りができるといいな~、とか思いつつ、事務所にこもっている。もともと予定していた会計の仕事のため。一緒に仕事をしている方の仕事と合わせながらやっているので、ネットを見たり、少し論文書いたり、発表の準備をしたり。

これはこれでいいか。

クライマックスシリーズ、ドラゴンズが決めた。当たり前のことを当たり前にやる。勝つことまでが当たり前になった気がする。日本シリーズはソフトバンク。地味ーなドラゴンズと華々しいソフトバンク。どうも経済効果は一番薄いと言われているが、自分のペースに巻き込んだ方が勝つだろう。などと、日本に思いを馳せつつ…

2011年11月1日火曜日

忘れた。

昨日明け方まで起きていたので、午前中は家でグダグダしていたが、これでは腐ってしまう、と思い、午後から大学へ。

色々とイベント続きだったため、また、明後日からの出発のため、割かし雑用がたまっていた。一通り片づけようとしたら、イヤホンがない…大音量でBarning SpearsとCultureが聞きたい!と思っていたのに…特にいろいろ考えなくていい時は、あんな存在感のあるレゲエがいい。が…残念。なんか音なしで仕事をしたらずいぶん早く終わった。

おかげで原稿を進める余裕ができたので、それはそれでよしか…

2011年10月31日月曜日

また行ってまいりやす。

気が付いたら10月も終わり。

ずいぶん涼しくなってきた(世の中的には「寒い」という形容詞が正しいか…)し、もうこの時間で外は真っ暗。お先も真っ暗…という自虐的な話は置いておいて。

ブログをやっているおかげで、月末になるとこうやって毎月を振り返るのだけど、今月は忙しかった。でも、特に月末の怒涛の1週間は新しい出会いであったり、研究へのコメントであったり、得るものも多かった。

とりあえず、この間にできた新たな宿題を抱えて、11月3日よりニジェールの方に行ってまいりやす。ニジェール、2度目の渡航。ブルキナをもっとカラッカラに乾かしたようなとこ、と少し悪く書いてしまいますが、今回はもっといろんな人(特にニジェールの人)と知り合いたい、そう強く思ってます。

今回も仕事です。6月から始めた砂漠化対処技術の実験を、ワークショップ形式で村の人に見てもらう。そして、検討してもらう、ということが目的。あとは、現地の社会調査。久しぶりに村で泊まり込み調査を行います。村での調査はキャリアが少ない分、こうやってやらせてもらえることがありがたい。人類学にもそれぞれの方法論があるけど、やっぱし村の経験もないとあんまり恰好がつかないし。

そんなわけで、行ってまいりやす。

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週末の研究会(Mossi社会のイスラーム史について)

いよいよネタ切れで、とうとう出してしまった研究発表。Mossi社会のイスラームの歴史考証について。

Mossiとイスラームについてはいろいろなことが言われる。宗教的に要求される実践と日常的な実践の間のギャップ(たとえば、下の要旨でも引いている、Skinnerという人は、ワガドゥグを「ムスリムがマジョリティのクリスチャン都市」と言っている)がよく指摘されるのだけど、そもそも宗教はそんなものではないかな、と思う。西アフリカのイスラームの多く(一部?)は偶像崇拝もあるし…何が良くて何がよくない、という判断は僕らはずっと先に取っておくのだけど、それ以前に、その土地の歴史を知ることはとても楽しい作業だ。じいさんからよもやま話を聞きながら、若いころの自慢話を聞く。若い人からも、じいさんやお父さんからこんな話を聞いたことがある、とか。こんな話の中に、とても面白い事実や事実になる可能性のある話が埋もれている。

何度か、このブログにも5年目くらいまで、ワガドゥグはつまらんかった…と書いたことがあるけど、この作業をやりだしてから(そして、これに関連する本を読みだしたら)、途端に楽しくなった。勉強していくと、結構たくさん本もあるもんだし、まだまだ出せる代物ではないのだけど、研究紹介的に、こんなことにも興味がありますよ、ということを提示した。

これを発表したシンポジウムは、札幌で行われ、おいしいものに舌鼓を打ちつつ、初めて聞く理系のシンポを楽しく、刺激的に伺った。本当は、3日目のワークショップも出たかったけど、翌日は東京で発表があったので、残念ながら断念。

以下は発表の要旨。
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In West Africa, the Islamization started in the 8c when the Magreb brought it from North Africa to Sénégal. It gradually spread in all of the areas of Sahel, south of Sahala desert. Although it was brought in Sahel, Islam wasn’t recieved by Mossi people who were the majority of Mossi Plateau until 20c. However, Islam traders, Housa and Yarsé (Sing.Yarga), passed and stayed in Mossi area before Mossi’s reception of Islam, in short Yarsé lead Islamization on Mossi Plateau. In this presentation, I am going to introduce the first Muslim village subject to the history of Islam in Burkina Faso, which will help to understand the shape of the society in Burkina Faso.

The most Mossi people know that Sagbotenga is the symbolic muslim village in Burkina Faso. Sagbotenga is founded by muslim Yarsé. Yarsé originated the present Mali are Manding muslim trader. Manding trader organized the caravans to trade mainly Kora nuts, salt and gold between Sahel and the coast of Guinia gulf. On the way of trading route, they established their colony on indigenous villages. This was the contact point between Yarsé and Mossi people where Mossi met Islam. But Yarsé adopted Mossi society and lost their own language. Then, most of Yarsé societies, even chiefdomship was changed and adopted as Mossi’s one. At the present, they can identify only their family name (buudu). Although Yarsé is such a disappearing ethnic, muslim Yarsé is still big actor on Burkina Faso society in respect of religion and economy.

In the point of reception of Islam on Mossi society, the first contact of Mossi to Islam was 12c when Mossi attacked Timbukutu, but the ruler of Mossi didn’t accept it until 17c. According to Skinner, beginning Mogho Naba Ouaraga (c.1684), many rulers granted Yarsé permission to enter the country and allowed them to establish Muslim communities (Skinner1966:177). Before their acceptance of Islam as a religion, they kept some contacts with muslims for economical affairs. In spite of the gradual reception of Inslam to Mossi people, Mogho Naba didn’t accept Islam itself, but he used some Islamic magical services. For instance, Mogho Naba called Yarsé imam to Islamic pray before a fight against their enemy. It means that they believed Islam had the magical power such as a curse and black magic.I will show a folklore regarding to Mogho Naba and Yarsé Imam which was the beginning of Mogho Naba’s respect for Yarsé or Islam.

Around 1710, Mogho Naba Zaana gave Yarsé some territory 70km south of Ouagadougou that called Sagbotenga. When the Yarsé were installed, only resource of water was on this piece of land. The founder of Sagbotenga, Imam Abudra Rahman (Sanfo), constructed a mosque, which I suppose it was the oldest mosque in Burkina Faso. Many muslims often visit Sagbotenga for their religious ceremonies. Sagbotenga is one of the symbolic place of Islam in Burkina Faso.

It was the fact that, in West Africa where its climate has been dry, the water was important to keep their life. It was clear that they obtained the merit of resource of water, but Mogho Naba abandoned the economical merit from Yarsé to keep them away from Ouagadougou. Was it the representation of Mogho Naba’s welcome for Yarsé to live in his country? Why Mogho Naba gave Yarsé this land? I don’t have any answer to these questions, but we could understand a sphere of relationship between Mossi and Islam from their history.

2011年10月23日日曜日

東へ西へ。

無理だと思っていても、やらんといかん。来週が山場。

大きな学会での発表がしばらく前から決まっている中で、国際シンポの発表を前日に、しかも札幌で、というのを受けてしまった。そして、出張がその翌木曜日出発…CSが見られると思ったのに…というのは置いておくにしても、ちょっと後悔…

ネタは枯渇気味、スケジュールはタイト…カスッカスの雑巾になるくらいまで絞られている気分。

ただ、しばらくお蔵に入れておこうと思っていた、ブルキナファソのイスラームの歴史の発表をしてみることにした。調査的に言えば、やっと村の人に顔を覚えてもらって、ほぼこれから始めようとしているもんで、決意表明的なものになってしまうけど、これはこれでよいかな、と。

早いところ原稿を作らねば…

2011年10月6日木曜日

泰然自若

相変わらず野球は楽しく、日々夕食を作りながらテレビの前で一喜一憂している。

しかし、今年は少々複雑だ。いろんな「大人の事情」があるのは仕方ない。ただ、落合監督の退任という事実については残念でならない。ファンが入らない、という説明。確かに、昨日の試合(広島戦だったけど)もライトスタンド以外はカラッカラ。なぜファンが入らないか、確かに、落合野球が手堅すぎ、派手なノーガードの打ち合いになることが少なく、野球に華がない、これは言えるだろう。あと、不景気、これも一つの理由だろう。しかし、こうも考えられないだろうか。勝利至上を追及して、ファンが勝ちへの貪欲さを失った…

「プロ野球」をどのようにとらえるか、だが、プロが高い技術を持ち、安定したプレーを見せる、これは当たり前で、その先に何があるのか。落合監督の言うように、「勝ち」があるのか。それとももっとエンターテイメント性の高い何かか。球団側の言い分に即して言えば、明らかに後者で、もしかすると、球団すら勝ちに飽きてしまったかのように思える。

いろんな事情はある。だが、退陣表明をした後の落合監督の発する言葉が日に日にしみてくる。さすがに、昨日あたりは少しくらいうれしそうな顔をしてしゃべるのかと思ったら、一言、「今のまま動いてくれればいいんじゃないかな、と思うよ」だそうだ。勝ったことへの喜びというより、8年間、実力至上主義の中で強くなった一人ひとりの選手、そして、このチームを慈しんでいるような、こんなコメントを繰り返す。初年度、「すべての選手を10%底上げすれば、優勝は間違いない」と豪語した監督の眼には、今の選手はどれくらい成長したのだろう。

「この世界は紙一枚で…」なんて夫婦揃って話すこの監督も、きっと悔しいだろうし、やり残したこともあるだろう。しかし、喜びも、愛おしさも、悔しさも、全部超えたところに落合監督の哲学があるように感じる。「泰然自若」などという言葉がぴったりくるように思うのだが。

勝負事でこれだけの流れを作り出してしまえば、もう止められない。ひいき目を差っ引いてもドラゴンズのリーグ優勝は間違いないだろう。その瞬間、監督はどんな話をするのだろう。この際、スタンドに一人もファンがいなくなるくらい勝って欲しいものだ。

2011年10月3日月曜日

「アフリカ子ども学を語る会」in Nagoya

来週ですが、研究会でコメンテーターを仰せつかりました。6月に行われた文化人類学会で、「子ども」についての発表をしたのがきっかけ。

どうも、子どものことになると、教育とか、育児、躾、遊びあたりのキータームに絞られてしまう。いずれ、学ぶ存在としての子どもを脱構築したいと考えているが、コメント原稿を少しずつ作りつつ、イリッチやフレイレと言った教育についての論考、ホイジンガとかの遊びについての本をチラチラ読んでいるけど、どうもピンとこない。何かヒントがもらえるといいのだけど。

もしご興味のある方はぜひ。

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「アフリカ子ども学を語る会」in Nagoya

日時:2011年10月9日(日)13:00-16:00
場所:愛知県立大学サテライトキャンパス(愛知県産業労働センター(ウィンク愛知)15階)
名古屋駅桜通口より徒歩5分
http://www.winc-aichi.jp/access/
主催:アフリカ子ども学研究会、アフリカ日本協議会、愛知県立大学多文化共生
研究所、名古屋大学大学院国際開発研究科
参加無料

■開催趣旨
 「アフリカの子ども」と聞いて思い浮かぶイメージは?
 飢餓? 児童労働? 不就学? 子ども兵?
 確かにそれらも現実の一面ではありますが、それらマイナスのことがらだけをつづりあわせて、アフリカの子どもたちのイメージ全体を作ってしまっ ていませんか。
 アフリカは、人口10億人の半数を子どもたちが占めていると言われる大陸です。アフリカを理解するためには、子どもたちの姿を学ぶことが必要で す。不幸な問題に注目するだけでなく、「アフリカに、実に多くの子どもたちが暮らしている」という現実から出発したいと思います。
 子どもたちは日々何を食べて、どんな交友関係をもっていて、学校や仕事やお金のことをどう思っていて、周りの大人たちとどう付き合っているのだろうか? そのふだんの暮らしと文化に学びながら、これからの関わりを考えていくための「アフリカ子ども学を語る会」を開きます。研究者、支援 者、アフリカで子ども時代を過ごした当人たちによる座談会を手がかりに、一緒に考えてみましょう。

■プログラム
13:00-13:10 アフリカ子ども学を語る会・開催の趣旨
亀井 伸孝(愛知県立大学)

13:10-13:40 パネリストによる報告「私にとってのアフリカ子ども学」
司会: 山田 肖子(名古屋大学)
報告1: 村島 正(ミコノの会)
報告2: 中和 渚(東京未来大学)
報告3: ウィリー・トコ(東京大学)

13:40-15:00 パネルディスカッション
司会: 山田 肖子
パネリスト: 村島 正/中和 渚/ウィリー・トコ/亀井 伸孝

15:00 休憩

15:15-15:35 コメント
コメント1: 秋山 裕之(京都華頂大学)
コメント2: 清水 貴夫(名古屋大学)

15:35-16:00 全体討議

16:00-16:30 機材など片づけ、懇親会準備

17:00 懇親会

■発題者紹介
亀井 伸孝(かめい・のぶたか)
愛知県立大学外国語学部。関心事は、アフリカ狩猟採集民の子ども、少数言語、遊びなど。著書に『森の小さな〈ハンター〉たち』『アフリカのろう者 と手話の歴史』ほか。

山田 肖子(やまだ・しょうこ)
名古屋大学大学院国際開発研究科。関心事は、アフリカにおける教育政策、学校を中心とする若者の知識、技能形成、教育を通じた価値形成など。著書 に『国際協力と学校』『アフリカのいまを知ろう』ほか。

村島 正(むらしま・ただし)
ミコノの会事務局長。NGOスタッフとして、ケニアで学校支援などの活動を行っている。

中和 渚(なかわ・なぎさ)
東京未来大学こども心理学部。関心はアフリカの数学教育開発、数学の学びと子どもたちの生活の関連。論文に「ザンビア基礎学校における数学授業の 学習:指導の特徴と改善に関する考察」『アフリカ教育研究』(2010)1号、77-91他。

Willy Lukebana Toko(ウィリー・ルケバナ・トコ)
東京大学大学院学際情報学府。NHK World Radio Japanフランス語放送ジャーナリスト。関心事は、先進諸国におけるアフリカ・イメージ。特に学際的に観たメディアや援助団体などに流布される「アフリ カ」。「アフリカ」から見た「アフリカ」。
論文: " L'heure des religieux dans une Afrique abandonnee. Sentir avec Ecclesia in Africa " in Aube Nouvelle, n.35, 1996: 3-15 ; “La violence en Afrique : une fatalite ? " in Aube Nouvelle, n.38, 1997:26-36 ; " L'Afrique va-t-elle survivre au troisieme millenaire ? " in Aube Nouvelle, n. 39, 1997: 78-89など。

秋山 裕之(あきやま・ひろゆき)
京都華頂大学現代家政学部。関心事は、アフリカにおける子どもと青年など。共著に『遊動民(ノマッド)』ほか。

清水 貴夫(しみず・たかお)
名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程。専門は文化人類学、関心事は都市、若者文化、人の移動など。業績は「少年の移動と「ストリート・チルド レン」~ブルキナファソ ワガドゥグの事例から~」(人間の探求シリーズ9Kyoto Working Papers on Area Studies No.99 (G-COE Series 97))など。

■問い合わせ・参加連絡
(特活)アフリカ日本協議会・斉藤
 電話  03-3834-6902 E-mail info@ajf.gr.jp

■「アフリカ子ども学研究会」とは
 2010年9月、アフリカ日本協議会(AJF)の主催で、アフリカの子どもの民族誌『森の小さな〈ハンター〉たち』の公開書評会を開きました。 その参加者を中心とし、分野や専門の違いをこえて「アフリカの子どもたちに学ぼう」という共通の関心で集まっている人たちのネットワークです。

※「『森の小さな〈ハンター〉たち』を手がかりに「アフリカ子ども学」を考える」(2010年9月9日)の記録を以下で読むことができます。
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/africa-now/no90/top2.html

2011年10月2日日曜日

ご無沙汰の言い訳

1か月以上ブログを放置してしまった。

この間ブルキナに行ったり、論文を書いたり、研究会の準備をしたり。暇なのに、ということはなかった。でも、なによりFacebookを始めてしまったのが大きな原因。高校時代の最初の同級生を探したりなんだりで、FBの方ばっかり関わってた。TwitterとFB、あとブログ。書くことはそんなにないんだけど、この辺の使い分け、自分でルールを作らないと…と。

これから少しずつこちらの方も書きます。

あっという間に10月。今年もあと3か月か…

2011年8月24日水曜日

アメリカのギャングは怖い?

いまさらながら、都市の研究が僕の専門で、少しは本を読んでいる。

別にここで学術史を展開しても仕方ないのだが、都市の研究は、アメリカのシカゴ大学がそのメッカ。1920年代ころから始まったといわれている。「シカゴ学派」という学派が形成されるのだが、その一番最初の著作がホワイトという人の『ストリート・コーナー・ソサエティ』というものだ。この本で語られるのは、イタリア系の移民なのだが、いわゆる「ギャング」の走りのような、都市下層民だった。映画「ロッキー」で出てくる、ロッキー・バルボアの異名、「イタリアの種馬」というのも、おそらく、イタリア系移民=都市下層民(つまり、下町のあんちゃん)を想像させるものなのだろう、と思う。

この本に出てくる「ギャング」もグループ間の抗争がある。抗争というと、非常に暴力的なものを思い起こさせるのだが、この抗争は、ボーリングで行われる。実に牧歌的…いろんなイベントが書かれているのだが、そもそも、「ギャング」が社会学者のインタビューにあそこまで正直に答え、絵に描いたように貧困を再生産していく様を見ていると、まったく「ギャング」のイメージが崩れてしまうのだ。

そして、イライジャ・アンダーソンという人が『ストリート・ワイズ』という本を編んでいるのだが、これは80年代のアフリカ系の下層民の話。もっとおどろおどろしい情景が出てくるか、と思ったのだが、これも、ドラッグやセックスのコード、また、古き良き不良少年の話などが出てくる。やっぱり、どことなく牧歌的。どこかでコミュニケーションの可能性が見える。

先日、高橋源一郎さんと内田樹さんの対談をラジオで聞いた(http://www.jfn.co.jp/susume/)。確か、高橋源一郎さんの発話だったと思うけど、日本人が「怖い」と感じるのは、理解不能性に対してで、一神教世界では、絶対的存在が常に付きまとうから理解不能になればいつでもそこに戻れるから、メチャクチャな存在が提示できる。ジェイソンなど、むしろ日本人を怖がらせるために作られたのではないか、という。結局、一神教世界の人が怖がるものがなんなのかは聞き漏らしたか、忘れたけど、エスノグラフィーに描かれる「ギャング」、そんな意味でこんな風に感じるのかもしれない。

2011年8月16日火曜日

あ…できた…

そんなわけでパソコンを新しくしたのだが、VISTA⇒SEVENになったのと、初めてのSony製品で、ずいぶん勝手が違う。さっき投稿したブログの記事もおととい書いたもの、なぜか自宅のパソコンから投稿できなかったりして、パソコンの癖というか、機能がまったくもってよくわかっていない。

今、やっとSkypeをダウンロードして、前のアカウントを取り戻した。データはほぼ移し替えも終わったし、これで何とか日常業務ができるようになった。

まあ、しばらくは戸惑いながらなんだろうな…

2011年8月14日日曜日

パソコンを替える。

昨日の朝、いつものようにPCに電源を入れる。ネットにつなぎ、メールを見る。どこのキーを押したときだったか、突然、PCのモニターが黄色と赤のシマシマに。

あれ?と思い、少ししてから、再起動。セーフモードから立ち上がったものの、しばらくして青色画面になり、それ以降、電源は入るのに、起動せず…あまりいじってもいいことはないのがPC。携帯で、修理屋を調べて、大須へ。少しお金はかかったけど、原因がわかる。修理代、込で、8万ほどかかるだろう、と。そして、修理ができてもデータは保証できない、と…そんなわけで、なんとかデータだけ取り出してもらいPCはあきらめる。

今回の震災の影響で、今年は春夏のモデルが新品同様で、そのままアウトレット行き。東京のビックカメラで聞いた話を信じ、アウトレットへ。特にSony製品はかなりお得で、今まで使っていたPCのスペックをはるかに越えて、5万円以下…もう少し小さいやつがよかったけど、まずまずいい買い物はさせてもらった。

でも、やはり出費は痛い…



2011年8月11日木曜日

帰名

名古屋に帰る、を「帰名」という。というか、PCに覚えさせた。

強行軍で、今朝がた名古屋に帰った。往復夜行バス、と言うのは、ずいぶん久しぶり。3列シートだったので、割とよく寝られた。

夏休み、少しはゆっくりと自分のことに向き合える時間がある。そこそこ忙しくさせてもらっていて、これからのこともいろいろと決まっていく。新しい締め切りとか、ここまでにやりたいこととか、やらねばならないこととか。

とりあえず、9月。ブルキナ行きが決まる。今年はあまりチャンスがないと思っていたので、本当にありがたい。何も聞き取りができなくても、街の変化を感じ、そこに彼らが元気に生きていることが確認できればよし。またその次につながるだろう。

ブルキナから帰名するころには少しはすずしくなっているだろうか。それでも後1ヵ月、名古屋の暑さに耐えねばならんのだけど。

2011年8月8日月曜日

里帰り

昨日の夜から実家に里帰り。震災以来、2度目、だけど、たぶん3ヵ月ぶりか4か月ぶり。

去年、一昨年までは、月1回ペースで帰って来ていたから、すごく久しぶりな感じがする。変わったもの、変わらないもの、いろいろあるけど、今までで一番長くいた家に帰るとやはりホッとする。

そして、今日は連れと早稲田へ。本当は、連れの高校以来の親友のところに伺う予定だったが、なんかよくわからないうちに、中止になり、メーヤウにカレーを食べに行こう、ということになった。外はカンカン照り、カレーは辛くて重くて、そのあと古本屋街を歩いたら、汗でドロドロ…都心の暑さを嫌というほど味わった。

実家もいいけど、どこか涼しいところに逃げたい…

2011年8月2日火曜日

バリバリ

遅ればせながら、健康診断を受けた。どうせいろいろ問題があるので、病院も健康診断も大嫌い。

痩せろ?分かってるって。酒飲むな。分かってるって。タバコやめろ。分かってるって。

今回の、問題は血圧だったんだけど、言われたら言われたでビビって、血圧を落ち着ける健康食品のお茶(薬などではない)とか3000円もだして買ってみたりした。油を抑えて、プールの頻度を上げて、後は連れとウォーキングします。頑張って体重落とします。中年だっていうのは重々わかっとります。

そいで、もうすぐ37歳になるのだけど、30歳から学生に戻ったおかげで、バリウムというのをはじめて飲んだ。粉っぽいヨーグルト味のバリウムを飲んで、上になったり下になったり。げっぷをしたらもう一回飲まされる、というのはきいていたので、げっぷを抑え込んで、20分くらいシェイクされた。

あーやだやだ。ストレス発散に酒を飲むはずなのに、酒を飲むたびにいろいろストレスになる。このストレスこそ問題だと思うのだが。

2011年7月26日火曜日

やっと…

出張の書類とレポートが終わった…領収書の処理で手こずって、またいろいろと修正があると思うけど、とりあえずこれで一段落。

自分の研究もまだまだそうだけど、となりの国に行っただけで、何も知らないせいで、金縛りにあったようにほとんど動けなくなってしまう。知らないことで、質問が的外れになって、聞かなくてもいいことまで聞かなくてはダメになる。急に決まったので、仕方ないといえば仕方ないのだけど、となりのことくらい、少しは勉強しようと思った。ザルマのこと、まずは知ることから始めよう。

次回のニジェールは10月ころ。向こうの人によれば、「暑い」時期だとか。日本が涼しくなっているので、少し気分は萎えるが、次回は前回より楽しく過ごせますように。

2011年7月10日日曜日

Foula Foula

ニアメの街で時々みかける(デザインは微妙に違うのだが…)看板。さて、どういう意味でしょう?



ヒント:真ん中の絵。Foulaはフラニ、Amini Naはハウサで「安全第一」くらいの意味らしい。

泥沼…

あっと言う間にニジェール滞在も残り一日。結局休みらしい休みはこの1ヵ月で1日だけ。よく働いた割には書いたものが残っていない…帰国してからも結構忙しそう…








本日も、ニジェール西南部のファカラというところに出かけた。人類学者のやるような苦しい調査ではないので、車を毎回借りる(普通の調査の時はこんなことはないので…)。





今日は、朝からニアメでも大雨で、ここでも30mm強の雨が降ったという。途中、アスファルトの道路が切れるところで通行止めがあったりして、ファカラに着いたらカウンターパートのSoさんと早速半月耕法が行われた場所に出発。





しばらくすると、車が左側に傾き、とまる。雨期のアフリカではよくあること。同行のSさん、Soさんともに余裕だと。僕も別に初めてなわけではない。大丈夫…








しかし、ここはニジェール。現在仕事をしているこの地域は南西部の比較的雨の多い地域とは言え、正にサーヘル(サハラ砂漠南縁)。水を吸った砂に車の自重でどんどんと沈んでいく。





何とか引っ張り出すのに、通りかかった牛車の牛を借りたりしながら脱出を試みるが、ダメ。車の腹が完全に土にべったりつく。タイヤが浮いてしまう状態になる。





こうなったら、本格的な土木工事…ということで、車の周囲を掘り、タイヤをフリーにして、木の枝をかませての脱出を試みる。





Soさんの家族(というかお子さん)5名ほどを呼び出し、ディゲットを掘るための工具を総動員して、なんとか脱出。約4時間の攻防。みんな疲れ果て、予定は半分でも終わったのが不幸中の幸い。調査も泥沼化しそうなのだった…

2011年7月2日土曜日

忙しかったけど実り多き日々

ニジェールの記事を多く書こうと思っていたのに、ワガドゥグ2連発。

月曜日にワガドゥグに到着し、早4日。残すところあと1日になった。期間も短いし、最低限の人に挨拶をして、後はゆっくり本を読んだり、論文を書いたりしよう、と目論んでいたけど、結局動き回ることになった。もちろん、仕事の方もしっかり終わりそう(あとは荷造りがうまくいくかどうか…)で、思ったよりたくさんの人と会えたし、食べたいものも大概食べた。

昨日は、昔からの友人で、民芸品売りのアローナに会った。民芸品売りと言えば、SIAO(国際工芸品見本市)という、ワガドゥグ南部にルクセンブルグの援助でできたサロンがある。約40-50の店舗が連なり、ワガドゥグの観光名所のひとつとなっている。ここに出店する人々は国の補助を受けながら、それなりの品質の工芸品を売っているのだが、そもそも、ここに連続して出店できる期間が限られていたのに、11年も居座っている、とか。しかし、ここを出たからといって、商売をするところなど、今のワガドゥグにはない。痛し痒しである。その中で、SIAOの商人たちもなぜか(私が話を聞く限りで、その道理が理解できなかった…)蜂起する。あっという間に鎮圧されたので、これからどれだけ彼らの要求が通るのかは分からないが。

そして、本日、何の準備もしていなかったのに、大使に接見することに…本当に恐れ多いことだが、1時間半も話しこんでしまった…ただ、やはり、外交の中枢の方だけあり、裏事情を含め、今までのニュースにリアリティを吹き込んでいただいた感じがする。

今回の騒動、「騒いだもん勝ち」なのでは…と言った印象は持っていたが、最後に起こったボボディウラッソでの軍人の蜂起は、3日間にわたり、上のアローナによれば、初日は欧米系の金持ちの商店を、2日目は地元商店、3日目には、民家を襲ったという。大使によれば、業を煮やした政府は、武力をもって自国軍隊に制裁を加えた、とか。

やっぱり、どうしようもない騒ぎであったことには間違いなく、昨日書いたようなその裏っかわの問題はあるものの、なんか白けてしまった。

ただ、その中で、その日を生きている人たち、また、僕の友人たちはそこで生きていて、それが確認できたことが今回の滞在の一番の収穫だっただろうか。鬱屈とした数か月を過ごしていた友人たちが、闖入者の私のことを見て、一瞬でも笑顔になっただけでも良しとしよう。

日本の震災を心配してくれた何人かの友人と交した、「お互い大変だけど、再出発。がんばろうね。」。別にナショナルな意識はないけど、困難を共に乗り越えようとする共同体の一員として、交した言葉がなんとなくすがすがしかったりもする。

2011年7月1日金曜日

ブルキナ!

月曜日から約1週間、ブルキナに滞在中。

昨年からのプロジェクトの中断の説明の行脚のためだけど、おかげで友人たちにも生存確認ができた。新聞やらネットやらでブルキナの状況は把握しているつもりだったけど、いろいろな人に話を聞きながら、ブルキナの人が見る今回の蜂起の実情が見えてきている。

例の騒乱は終わったんだか終わってないんだか…だけど、ワガドゥグはいつも通りで、うっとおしいモノ売りや、街中が酒場と化すワガドゥグの夜を見るに、本当に、何十人もが亡くなった事件が数週間前まで繰り広げられていたことは簡単には信じがたい。戦争とか、内乱とか、もしかしたらこんなもんかも知れなくて、ある日突然訪れる争乱と「日常」の間はコインの表と裏ほどでしかないのかな、と思ってしまう。これは、「平和」な日本で生活をしている者として、なかなか理解するのが難しい。しかし、ブルキナベは、その一方で、それだけ追い詰められた「日常」を生きているとも捉えられて、たとえば、ガソリンが20円上がると仕事にも行けなくなってしまったりする。また、一番安い穀物を選んだり、いろんな意味で、選択の幅が極限まで狭められた結果なのかもしれない。

こんな闇の一面があって、でも、ワガドゥグの公共事業の進展は、もしかしたら、あの一件の前よりもずっと早く進んでいるのにも驚きを隠せない。いろんなことがありつつ、ここの国の一歩は固い、そんなことを感じさせる。ブルキナファソの国民総生産の0.5%がNGOによってもたらされており、各援助機関を含めると、何倍かになるはずで、さらにそこの外国人スタッフの個人消費を考えると、外国人がこの国にもたらす経済的影響は計り知れない。我々のプロジェクトを含め、早く共有できる「日常」がブルキナファソに戻ることを願ってやまない。

「平和がブルキナファソの最大の資源」。何人もからこの言葉を聞くが、正にその通り。次に来るのを楽しみに、見守っていようと思う。

2011年6月20日月曜日

吉兆?!

到着翌日から早速仕事に掛っている。


初めてブルキナを訪れた98年、熱射病で生き倒れになっていた僕を救ってくれたSさんと上司のNさんと合宿生活。急にサイト変更になったにも関わらず、Sさんの手配のおかげで、この2日間、予定通りにことが運んでいる。


今度のサイトは、西アフリカで唯一野生の麒麟が見られるという地域。Sさん+Nさんと早速出かけた行きと帰りに両方ともで発見。もう2年もこちらにいるSさんはこれまでに1回しか見たことがないとか。


縁起のよさそうな動物だけに、プロジェクトも自分のなんたらかんたらもうまくいくんじゃないか、という、都合のいい解釈をして少しハッピーになる。しかし、帰りは親子連れの7頭を発見し、本当は別に珍しくないんじゃないか…とか思ってしまったり。


あちいけど、なんとか元気に過ごしとります。

2011年6月17日金曜日

忘れ物。

出発前日。研究室の方々をお招きして食事。7月のパーティの打ち合わせ。ときどきある、出発前夜の大宴会の様相を呈し、酒を飲みながら荷造りした。

まあ、忘れ物の一つや二つ…と思ってはいたけど、空港で僕の命の次の次の次の…に大切な耳かきを忘れたことに気づき、見送りに来てくれた嫁に買ってきてもらう。それで、カメラの充電器やらハウサ語のテキストやら、結構忘れ物が多い。

少しブルーなパリ。

でも、気候がいいので、これから爆睡する。カメラはどうしようもないので、バッテリーが持つ限り撮る、それだけ。

2011年6月13日月曜日

学会を振り返る。

学会が終わった。

確かにここのところの一番の大仕事。ずいぶんたくさんの方に発表を見てもらって、たぶん今までで一番丁寧に作れ込めたものだったけど、結果は…なんか微妙だ。研究室の方もたくさん来てくれて、ずいぶん改良されたのに気付いてくれて、「分かりやすくなった」と言ってもらったし、親しくさせていただいている方からも、会場で質問、ご意見をいただき、それがありがたくて有意義だったのだけど…

課題点は、子どもたちの声が聞こえない、ということが一番大きい。理論フレームは古いものだけど、今でも十分に耐えられるもの、言いたいことは、言説にとらわれてはいけない、ということだけど、僕の発表自身がそれを乗り越えられていない。時間の問題もあるけど、本当のところは少々データに自信がないため。今後の課題、としたいところだが、件の暴動の影響で今年度は少々入国することすら難しそう…今までの資料を整理しながらなんとかしないといけないかな…と思っている。これは、これから考えよう。

割と舞台度胸はいいはずなのだが、ここのところ、学会では準備をすればするほど緊張する。ジメッとした気候のせいもあるだろうけど、発表中、一人で滝のような汗。これはこれで以外に凹んだ(笑)。

今回の学会では、僕は「子どもグループ」に入れてもらったみたいで、僕の後に3人の子ども発表が続く。一人は、研究室の同僚ですでに耳にタコができるほど聞いているので、他に聞きたい人の発表を聞きに行ったけど、懇親会での意見交換はずいぶん勉強になった。人類学の子ども研究は目の前にあるものは目を通したけど、子ども環境学会とか、子ども社会学会といった学会もあるらしい。また、理論もずいぶんいろいろあるようで、これからもっと勉強させてもらおうかと思う。

後は、今年2度目を迎えた若手研究者懇談会。とてもいい試みで、去年から学会長をされているW先生との親和性も高く、学会が非常に活気づいた印象を持っている。今年は、震災を被災された若手研究者の話のシェアリングが中心だった。研究者の中にも、何人もがボランティアなどを行った、という報告もあった。いいことだと思う。

このシェアリングでは、人類学者に何ができるか、どう動くべきか、と言った議論が中心にあったと思う。ある方は、「有形・無形の文化財の保護も今我々に可能な大きな仕事」といい、「行動よりも今こそ考えるとき」といったようなことを言った。「行動よりも…」という意見が出た時、阪神の時、人類学者は何をしていたのだろう…と考えていたら、他の方が付け加えて言うに、「何もしていなかった」とか…

僕は、ちょこっと募金をした程度で、何を言う資格も持ち合わせていないし、会場で無言を通して今更こんなブログで呟いてみることにどれだけの意味があるかわからないけど、人類学者の機能はもっと広がりがあって、そういうことを話す人がいてもよかったかな、と思う。何回かブログにも書いたけど、「何もしていなかった」人類学者に対して、阪神のときにずいぶん議論が行われたNGOやNPOの動きは括目すべきものがある。僕はここの人たちの動きしか追っていないので、もっといろんな分野の人、組織が動いているかもしれない。とにもかくにも、ひとつの組織集合体としてのNGOの活動規模は小さいながら、実に体系的に動いていると思う。学ぶこと、考えることも大切だけど、実践として関わりを持って、次に備えるニーズを捉えること、また同時に、そのニーズを満たすこと、言いかえれば、動きながら考えることが大切なのではないかな。

でも、その前に、「動く」ためには、自分たちの足元が固まった人でないと難しい。若手研究者懇談会は、若手がもっと活躍できるように、と作られた懇談会。前日の学会長の懇親会での談話で、毎年4000の大学ポストを16000人の博士保持者が争うのだとか、人類学会の3分の1が院生と期限付き職持ちだとか…同じ器の中で考えると、もう判断できなくなるのだけど、あまりに歪な状況だ…

ともあれ。学会は今年もとても充実していたし、学ぶものは多く、何人もの人と知り合い、何か先に進むためのヒントも得られた。すぐに出発で、また自分のノルマ(書きかけの論文とか…)は達成できないのだけど、成果と課題をすり合わせて、来年もどこかで見てもらおう、と思う。

2011年6月9日木曜日

新天地へ。

ぎりぎりまで粘った。外務省の危険レベルが下がるタイミング、あとは現地の情報をすり合わせ、なんとかブルキナファソでの活動の継続を目指したが、危険レベルが下がる直前に再度大規模な衝突が起こった。結局、ワガドゥグで利害関係のない友人の話で、現地の人間が「保障はできない」とのことで、あきらめた。

そんなわけで、今年度中のブルキナファソ渡航は少々難しくなったが、その代わりにとなりのニジェールへの渡航が決まった。仕事自体は、去年の年末から行っていた、社会調査をニジェールでやり直す形になったが、新たな場所での新たな出発。後ろ髪をひかれつつ、少し楽しみだ。来週、16日の出発。約20日間の滞在。最後の1週間はほぼ自由行動。

ある意味調査難民になったので、少しでも何かを学べるといいと思う。

2011年6月8日水曜日

あぁ眠い…

今週が終われば少しは落ち着く…学会の準備、もうひと踏ん張り。先週のゼミでたたいてもらい、今日もいろいろ見てもらった。濃密な時間だったけど、昨日はほとんど寝ていないので、今晩は適当に寝ます。

何書いてるかもよくわからじ…

2011年6月6日月曜日

「忙しい」と感じてしまう怠惰な日常。

1週間もブログ更新できず。

あれとこれと…とか、この間にやっていたことを挙げればいちいち自分に理由はつけられて、別に眠っていたわけではないのだけど(むしろ睡眠不足で苦しんでいた)、一言でいえば、普段の怠惰な生活が祟っただけ。

それにしても、よく考えると、「忙しい」と感じることは両義的だ。

忙しいのは、人に必要とされていたり、やらねばならないことが多いということで、人間が社会的な動物である以上、それほど不幸なことではない。キリスト教的な「休息日」というのが導入されて、僕らには「休息」が必要になったのだけど、殊に農耕を主な生業にしてきた僕らにはさほど「休息」がないことで不幸には感じないはずだった。そして、もう一方で、人に必要とされ過ぎたり、やらねばならないことが多い時、字の如し、「心を忘れる」。いらいらする、とか、いわゆるストレスがたまる。

でも、していることが多くても、「やりたいことをしている」の場合は、そうでもない。そして、「やりたいこと」は、簡単に決まらない。「やりたい」と興味を持つまでに、それなりに「やらねばならないこと」をこなさなければならない。

はたして、怠惰な僕は、この間、心を忘れてしまっていただろうか。

2011年5月30日月曜日

発表@文化人類学会(2011.6.11-12、法政大学)

気がつけば5月も残すところ1日。この季節学会シーズンで、研究室もいつもよりもあわただしい。

今年は、先々週弘前で開かれたアフリカ学会は欠席した。遠い、ただそれだけだったが、こんな機会でもないとなかなか行けないところだったので、少し後悔している。

毎年一回は生存確認のためにもどこぞで発表しよう、ということで、今年は文化人類学会でやることにした。2007年以来だから、もう4年も発表していないことになる。

提出した発表要旨はこんな感じだが、なかなかまとまらず…これを書いたとき、どんなこと考えてたかな…などと思いだしつつ。
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都市のはざまに揺れるイスラームと少年
ワガドゥグのタリベと「ストリート・チルドレン」の関連性について

1960年代のフィールドワークを通してSkinnerが喝破したように、ワガドゥグは、西アフリカ内陸部という、イスラーム文化圏の中央にありながら、「キリスト教的なイスラーム都市」(Skinner1974)である。ワガドゥグは西アフリカのイスラームに特徴的な、スーフィー教団の影響が少ないことや、1950年代からアラブ諸国の布教支援を受けたこともあり、いわゆるマラブー崇拝もほとんど行われおらず、表面上は極めてオーソドックスなイスラーム信仰が行われている。
 こうしたイスラーム都市、ワガドゥグにおいて、2000年前後から「ストリート・チルドレン」が急激に増加した。1990年中盤に調査を開始した当初、「ストリート・チルドレン」は、ワガドゥグ市全体で80人ほどと報告されていた。しかし、「ストリート・チルドレン」や少年・少女の強制的な移動に対応した活動をするローカルNGO、KEOOGOの2009年の報告によれば、その数は8,063人と100倍もの数になっている(KEOOGO 2009)。
 本発表で注目するのは、このうちの半数以上の5,943人を占めるタリベTaribéである。タリベは従来、イスラームを学ぶ者を意味し、ワガドゥグでは、従来のタリベの定義よりも少し狭く、コーラン学校の生徒、という認識が一般的である。つまり、「ストリート・チルドレン」とタリベは等しいものではない。しかし、この統計を見ただけでも、NGOはタリベの増加が「ストリート・チルドレン」の増加につながっていると考えていることは間違いない。では、なぜワガドゥグにおいて、「ストリート・チルドレン」とタリベが結びついたのか、本発表では、このメカニズムの一端を明らかにしていきたい。
 まず、NGOなどが指摘するタリベの「ストリート・チルドレン」化のメカニズムについて、KEOOGOの見解を中心に提示する。
 ブルキナファソの多くのイスラーム家庭では、5歳程度になると、子どもをコーラン学校に通わせることが多い。従来、コーラン学校は、子どもを預けた親やイスラーム協会Committé Muslimentからの支援を資金で運営されてきた。また日々の食糧は、コーラン学校の農園で師弟が食糧を自給し、足りない分はタリベ自身が大人たちから食事を恵んでもらうなどしていた。しかし、慢性的な貧困状況のため、両者の支援が期待できなくなった。そして、都市のコーラン学校は農園を持つことが難しいため、食糧にも事欠くような状態である。さらに、生活の近代化イスラーム教師にもおよび、彼らが所有する携帯電話、バイクを維持するた めの現金の必要性が学校経営をさらに圧迫している。
 この結果、イスラーム教師はタリベを「労働力」として捉え、集金のため、ストリートに向かわせる。そこでタリベがストリートで行うのが「物乞い」である。そして、KEOOGOによれば、指定の額を持ち帰れないと、タリベに対して暴力が振るわれる。タリベは帰る場所を失い、ストリートに滞留する。これが、NGOが考える「ストリート・チルドレン」とタリベの結びつきである。すなわち、タリベと「物乞い」、ストリートに滞留する「物乞い」と「ストリート・チルドレン」の二つの等式の結びつきの図式である。つまり、NGOは中間にある「物乞い」を抜かして、タリベと「ストリート・チルドレン」を結びつけ、名付けているのである。
一方で、タリベと「物乞い」の関係は、殊に貨幣経済が顕著に入り込んだ都市社会においてのタリベ自身のサダカ(「喜捨」)の読み変えだと言及することもできる。たとえば、嶋田は「本来、「喜捨」をすすめるための論理であるが、子供たち(コーラン学校の)は、この論理を逆手にとって「喜捨」を要求」することだという(嶋田1993:273)。WangreとMaigaも「物乞い」がもはやイスラームの宗教的慣行ではなく、カネもうけの手段となり、職業化している、と指摘している(Wangre&Maiga 2009)。「物乞い」のシンボルとしてコード化された赤いトマト缶は、今やタリベのシンボルでもある。タリベが、ストリートとコーラン学校を包含した都市の空間を生きるための戦略として、あえて職業的に「物乞い」化していることにも目を配る必要があるだろう。
 これらをまとめれば、タリベと「ストリート・チルドレン」の関連は、ひとつに、NGOによるタリベへの二度のラベリングにあり、さらにこの名付けを補強するように、タリベの「物乞い」化、如いては「ストリート・チルドレン」化をタリベ自身が行っている、という図式が明らかになる。
【参考文献】
KEOOGO
(2009) Rapport annual d’activités KEOOGO
Skinner, Elliot P
(1974) African Urban Life: The transformation of Ouagadougou Princeton University Press
嶋田義仁
(1993)『異次元交換の政治人類学』勁草書房
Wangre, Naba Jérémie et Maiga, Alkassoum
(2009) Enfant de rue en Afrique; Le cas du Burkina Faso, L’Harmattan

都市/イスラーム/少年/ストリート

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2011年5月27日金曜日

ブルキナファソ政情11

落ち着いた、と思ったら、ダメでした。暴れ癖がついてきてるのか、給料が安い、というので、「俺も俺も…」状態。

しかし、今回の内閣はずいぶん筋目がはっきりしているように思う。簡単に暴徒化してしまいそうな軍や警察に対しても、「個別に対応するのではなく、社会全体の安定のために政府が一丸となって動き対話を進めている。現時点で軍の指揮系統に沿って吸い上げている要求以外は承知していない。」(RFI、5月24日付(3))と。

一進一退が続く情勢。だが、時間は待ってくれない。おそらく、私が参加するプロジェクトもサイト替えの可能性があるだろう。外国のプロジェクトはこうやって離れていかざるを得ない。まあ、ただ一つ、小さな小さなプロジェクトだが、これを頼りに生活を考えている人間もこちらにも向こうにもいるわけで…権利の要求は正当な運動だけど、暴力に訴える方法は如何ともしがたし。

またもや大使館情報から以下に抜粋。いつもお世話になります。
****5月24日付*****
当地治安情勢につき,以下のとおりお知らせいたします。

1.国民衛兵隊(Garde National)の威嚇発砲
5月23日(月)20時頃、市内パスパンガ地区に所在する国民衛兵隊(式典等で国歌等の演奏を行う音楽隊)の駐屯地内で威嚇発砲が発生したところ、外電等の報道も含め各種情報のとりまとめ以下のとおり。

(1)国民衛兵隊の兵士の一部が、大統領府治安部隊(RSP)と同期入隊であるにもかかわらず、RSPが獲得したような手当が国民衛兵隊には支給されていないことを不満に思っている。RSPは給与明細には記載されていないが月末に「名誉手当(Prime d'honneur)」といわれている手当を支給されており、国民衛兵隊にも支給するよう要求した模様。

(2)威嚇発砲は数分続き終了したとも(仏国際放送RFI)、断続的に深夜まで続いたとする(ロイター)報道がある。不満兵士は接収したバスを使って隣接する大道路を封鎖し、当該駐屯地周辺は交通に混乱が生じたが、負傷者は発生していない模様。

(3)政府報道官はRFIのインタビューで「個別に対応するのではなく、社会全体の安定のために政府が一丸となって動き対話を進めている。現時点で軍の指揮系統に沿って吸い上げている要求以外は承知していない。」と述べた。

2.中・高等学校等教員のストライキ
(1)23日(月)、中・高校教員は待遇改善を要求して3日間のストライキに入った。労組によると、教員の搾取、学級あたりの過剰な生徒数などの問題を糾弾し、実現されていない昇給の実施、特殊手当、住居手当、バカロレア等の各種試験の実施手当の増額を要求している。

(2)23日(月)、ストライキが続くことによって学年末の各種試験が実施されないと、今学年は白紙とされること(annee blnache)を恐れた中高生が,教員への支持を示すために中高等教育省(省内のいくつかの椅子、机等を道路にもちだし焼き払う象徴的な示威行動あり)、首相府に集まった他,報道によると数千人の生徒がデモ行進した模様。

(3)政府報道官は、中高校生の進路を質にストを打った教員組合の態度は誠に残念であるが、24日に首相、中高等教育相が教員代表と会見し、早期解決に向け対話する旨述べた。

(4)報道によると、24日(火)も同様に、ワガドゥグ市、ボボ・デュラッソ市、ワイグヤ市、カヤ市、クドゥグ市、ガウア市で、教員を支持する生徒達数百人によるデモ行進が行われ、特にガウア市ではCDP事務所が焼き討ちされるなどの示威行動があった模様。

****5月25日付*****
24日(火)、ティアオ首相、ウエドラオゴ中高等教育相、ベンベンバ財務・経済相は、中等教育機関教員労組代表との中高等教育機関教員の待遇改善等に関する協議を行い、中高校生代表と会談したところ、報道等取り纏めは以下のとおりです。なお、教員労組の要求はほぼ聞き入れられ、授業は遅くとも来週初め30日から再開される見通しとなりました。

1.中等教育機関教員労組代表との協議
(1)教員労組代表は協議後のインタビューで、協議は終結していないが、前進があったと述べた。具体的には以下の4点。
 ア.教員の各種手当て増額
 原則合意し、実施にあたっての技術的側面を検討。中高等教育相は、緊急対策案で示された質・量の両面での改善を実現するとの首相の約束を強調した。

イ.昇給
 労組側は、政府の公務員全般にわたる昇給の実現の公約を信じていると述べた。

ウ.教育参与(conseiller pedagogique)の給与体系改正
 首相は、労組側の主張の正当性を認め、直ちに新たな給与体系の作成を指示した。

エ.学級あたりの過剰な生徒数の改善
 両者は長期的に対応する必要があるとの認識を共有。どのように学級当り生徒数削減を実現できるかを政府側が真剣に検討することを期待。

(2)政府側は25日(水)からの授業再開を要請したが、労組側は政府の正式な提案は26日(木)となるであろうことから、「この提示を組合代表で議論し正式に決定したい、遅くとも来週30日(月)には授業を再開可能である」と述べた。

2.首相他と中高校生代表との会談
 (1)中等教育機関教員労組代表との協議終了後、首相は生徒代表と会談し、遅くとも30日(月)には授業再開となること、ジュスタン=ゾンゴ(警察官から暴行を受けたクドゥグ市の学生。同人の死因が病死であると発表されたことが今次社会騒動の発端となった)の裁判は遅くとも7月15日には開始されることを伝えた。

 (2)生徒代表は授業再開、ジュスタン=ゾンゴの裁判の開始発表につき満足していると述べた。他方、23日(月)のデモで中高等教育省の機材(机、椅子など)を焼き払ったのは生徒達ではなく、デモに紛れ込んだ不届き者の仕業であると述べた。

3.教員・生徒の地方でのデモ等
  24日(火)、ワイグヤ市、クドゥグ市、ガウア市等の地方都市でも待遇改善のための教員の座り込み、生徒のデモ活動があり、ガウア市では生徒が与党CDP事務所を焼き討ち、大統領滞在用住居で略奪を行った他,ワイグヤ市では負傷者が2名出た模様。

2011年5月23日月曜日

読み直す(『サバンナ・ミステリー』川田順造)



ずーっと前に読んで、分かった気でいたこの本。ゼミの課題文献となった(にしてもらった?!)ので、再読した。


言い方は悪いですが、世界的な文化人類学者というか、歴史家、というか、とにかく何でもできる先生がとうとう行ってはいけない領域に達したことを書いた本、と認識していた。で、本当にごめんなさいでした。本当に「歴史」とはなんぞや、ということが分かりやすく書かれているし、ちゃんと川田先生も自分の情報の出し入れに悩んでるんだな、と。


実は、川田先生とは、何度か学会なんかで拝顔している。


最初に言葉を交わしたとき、名古屋で行われた学会だったが、あまりに緊張して、自分がブルキナファソをフィールドにしているなんて言えず、段差の多いうちの大学で、「段差、気をつけてください」とか言ったら、「私はそんなに老いぼれてないよ!」って怒られた。その後、仲良くしてもらっているTさんに紹介してもらい損ね、結局、研究を始めて以来まともに言葉を交わしたことがない。


まあ、そんなことはいいのだが、とりあえず目の前のやることが終わったら、やりたいのがヤルセの歴史。こちらもモシと同じく口頭伝承の世界。しかも、言葉を失った民族の。間主観的に(私は通時的かつ共時的に、つまり3次元的に…と読んだが)、編み込まれていくのが「歴史」とする川田先生のこの歴史認識は、今では当たり前に知っているのだけど、この人が言うからより説得力を増すのだな、と。


最近、あまり川田先生の文献にあたっていなかったけど、もう一回一通りじっくり味わってみたいものである。

2011年5月21日土曜日

『環境・災害と向き合う地域づくりを目指して』

木曜日、久しぶりに シンポジウムに参加した。


『環境・災害と向き合う地域づくりを目指して』


という題目で行われたもので、フィリピンの高校生ダンスグループを招き、フィリピンで活動するNGOの反町さん、フィリピンを主なフィールドとする人類学者、清水展さん、そして、今回の震災で活躍するNGOの関口さんと高校教師でありながら「愛知ボランティアセンター」の所長を務める久田さんの4名がプレゼンテーションを行った。

まあ、多少無理のある組み合わせなような印象を持っているのだが、フィリピンのピナトゥボ火山の時の災害や、災害と言えば戦争災害(日本軍の長期間にわたる駐留が行われたフィリピン)もあるのだな、ということは一つの発見だった。


ともあれ、そこは司会の亀井さんがうまくまとめていたし、それぞれ、久しぶりに聞くNGOのトーンや、今回の震災の生々しい活動体験はとても興味深いものだった。


中でも一番興味深かったのは、久田氏の数々の発言だった。阪神淡路大震災で親を失った子どものために、現在に至るまで毎週栄で募金を募り、その思いとおカネを届けているとか。もう17年になるという。そして、久田氏自身のその時の経験、つまり、荷物が届けられても仕分けがされていなかったために、現場が混乱に陥り、モノが被災者になかなか渡らなかった、という経験から、名古屋で仕分けまでやり、それを被災者に届ける、というシステムを採用した、という。たしか、テレビ番組にも取り上げられていた。


そして、久田氏は聴衆とステージに挑発するように言う。この週末、バス7台を編成して高校生のボランティアを現地に送り込む。だが、「大学(生)には期待していない」。


この久田氏に関しては、一方で感心し、一方で少々このラディカルな活動スタイルに疑問をもった。人類学会でも、多くの研究者が今回の震災について語り、非常に重く受け止めているのに、誰か現場に行ったのか?私も含め、今のところ、私はその存在を知らない。その意味で、いち早く現場に赴いて、その状況に基づいて活動を展開している久田氏のグループは、まず、現場を語る権利を持っている。ここまではっきりとモノを言いきる、また、現場に則して活動を展開する行動力、洞察力、また、それを支えるボランティアを集める人望、全く脱帽せざるを得ない。


しかし、私は、この人は古典的活動家だと感じた。久田氏の前に話をした、関口氏の団体では、津波の被害で出た「瓦礫(これはどなたかの家の一部であったのだが。これは許可を取りながらやっているらしい)」を利用して「表札」を作る活動をしているという。確かに、食料、衣類は喫緊に必要なもので、より多くのボランティアを動員して瓦礫をいち早く片付けること、これは最優先課題であるのだが、関口氏たちのような活動は、一方でより重要であることもある。そして、フィリピンの火山災害の時のコミュニティの相互扶助を語った反町、清水両氏に対して「コミュニティが大切なのは当たり前でしょ」と。


以前、このブログでも書いたことがあるが、今回の震災に対応するNGOの連帯は、阪神淡路の時の教訓が非常に生きていたし、これからもこれがいかんなく発揮されると思う。たしかに、久田氏の目の付けどころは鋭い。しかし、名古屋という地方都市だけでこれをやっているだけでは、彼の問題を解決したことにはならない。確かに名古屋という大都市での範として、大きな役割を果たしているのだろうが、東京や大阪、さらに地方諸都市を考えれば、やはり微々たる力で微々たる仕事をしているだけだ。実際、久田氏がどのようなネットワークの中で活動しているかはしらない。しかし、壇上での久田氏のやり取りを見る限り、久田氏自身が他の人たちの経験から学ぼうとしている態度は見受けられない。「支援側‐受益者」というネットワーク以外にも、支援者間、受益者間のネットワークの重要性は、おそらく、阪神淡路の時の大きな経験として残っている筈である。

2011年5月18日水曜日

ブルキナファソ政情その10

「便りがないのは無事のしるし」…しばらく新聞などにもほとんど記事が載っていないかった。14日付で、ポで再び威嚇射撃という報道は見たが、その原因は以下の通り、給与の払い忘れ。ここへきてけちることもないだろうから、即日支払いが行われたようだ。

そして、ようやく夜間外出禁止令が解かれた。落ち着きを取り戻した証拠だろう。少しずつ日常に戻っていく。

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1.当地新聞報道をもとに総合した,14日(土)のポー市での威嚇発砲の顛末は以下のとおりです。 

 ●14日(土)16時頃,不満兵士はポー市内の憲兵隊詰め所に集合し,その後市内に散っていった。18時頃,上空に向けて威嚇発砲を始め,翌15日(日)の朝5時頃まで続けた。水道公社,公的機関の車両が兵士によって接収された。

 ●威嚇発砲をした兵士は,ポー市の駐屯地(エリート部隊、特殊部隊訓練施設と士官養成の軍アカデミーが併設)の教官兵士。威嚇発砲を行った理由は,4月の騒動時に「訓練手当(兵士の訓練を行うことによる手当)」を支給してもらうよう要望し,認められたにもかかわらず,給与明細を見たところ,約束された訓練手当が入っていなかったことによるもの。

 ●16日(月),フランス国際放送(RFI)のインタビューに答えたトラオレ政府報道官は,「訓練手当(Prime de Formation)が支払われていなかったので,直ちに支払い,兵士達は駐屯地に戻った。再度同様のことが発生しないように望む。」と述べた。

2.16日(月)から,夜間外出禁止令が解除されました。

2011年5月14日土曜日

ワイシャツ

久しぶりにワイシャツを着た。普段は研究室に籠っているので、大概ジーンズで、過剰に天然ヒートテックをまとっているので、そろそろ短パンの季節だ。

生活も着ている物同様本当にラフだし、自分の都合でほぼすべてが動いている。だが、たまに、びしっと予定がつまることがある。

昨日がそうで、外部の方に会い、研究会の打ち合わせをし、学会発表の予行演習に参加させていただいた。会社に勤務していたときはこの程度は普通だったが、この数年間のダラッとした生活のせいか、ずいぶん気持ちが張り詰めた。外部の方にお会いするというのもあったが、ちゃんとワイシャツくらいは着よう、ということで、朝から着てみた。気持ちもパリッとする。

たまにはいいもんだ、と思いつつ、そろそろ少しはきちんとした格好をせねばならんな…と。

2011年5月12日木曜日

『コクリコ坂から』



もうずいぶん時間がたってしまったが、連れのたっての希望で『コクリコ坂から』におつきあいした。最終的に、とてもよかったのっだけど、。








内田樹氏は、Twitterで『コクリコ坂から』の主題を「「パターナリズムの消滅」です。1970年に日本の父たちは生身を失って、あとイデオロギーだけが残るのですが、63年の父親たちはまだ「生身」を残していたのでした。」(Twitter 2011.8.17)と評している。内田樹氏の深遠な思考の世界は凡人の私には理解できないし、この時代を知らないので、映画評として少し書いてみたい、と思って駄文を編むことにした。








第二次世界大戦が終わり、その傷跡を残しながらも、復興に向かう日本、横浜が物語の舞台だ。粗筋は書かないが、戦中に船乗りだった父の帰りを信じる高校生の女の子、海、彼女の祖母が営む「コクリコ」荘








一応、大学生時代の4年間を横浜で過ごし、会社員時代








時代は人の人生の下敷きとして描かれそうなものだが、この『コクリコ坂』は、それらが並列に描かれているように見えた。どのセリフ、というのではないが、全体的な雰囲気として。


2011年5月11日水曜日

ブルキナファソ政情 その9

ここ数日間も特に暴動等の報告はない。ビン=ラディン師殺害に対する報復も見当たらない。

今日も大使館の情報から。

こちらを見ると、ティアオ新首相指導の元、着実に問題解決が進んでいるようだ。昨日の大使館情報では、物価高騰に対する措置、すなわち、食料、生活必需品の値下げが政府補助金などによって実現しそうなこと、暴動で損失を被った人たちへの補てんなどが決まったことが報告されている。

情報筋の見込みでは、今週末5月14日の公務員(軍隊?)が分岐点になるのではないか、とのこと。

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1.ブルキナファソ全土で平穏が保たれており,威嚇発砲・暴動等が発生したとの情報はありません。

2.ティアオ新首相が今次社会危機解決のため4月28日に発表した緊急対策の進歩状況につき,工業・商業・工芸省は生活必需品
   の価格に関する措置を発表したところ、概要以下のとおりです。

(1)各生活必需品の価格
● 輸入コメ(破砕米25%を含むもの)
 16,000 CFA/50kg(政府緊急対策前の市場価格は18,000CFA~23,000CFA:11%~21%価格減となる)
 輸入業者の希望卸売価格16,975CFA/50kgと消費者団体希望小売価格16,000CFA/50kgの差額975CFA/50kgは政府が輸入業者
 に補助金を支給する。

● 地元産コメ
 15,000 CFA/50kg(政府緊急対策前の市場価格は18,000CFA:17%減)
 政府は食糧安全保障管理公社(SONAGESS)と実施方法を決定する。

● 砂糖
 650 CFA/kg(政府緊急対策前の市場価格は850CFA:24%減)
 政府は砂糖の一時的輸入を認め、砂糖公社(SN-SOSUCO)の保護策を検討。

● 食用油
 825 CFA/kg(政府緊急対策前の市場価格は1,100CFA:25%減)
 政府は、CITEC(製油企業)の便宜のため綿種購入価格を引き下げる。また、一時的にUEMOA域外からの食用油の輸入を許可する。

● 地元産穀物
 市場価格の通りとする。
 昨年の価格に比べ、今年の市場価格は低下傾向にある。ただし、SONAGESSは脆弱な生産地においては農家に有利な穀物購入
 価格の維持を図る。

● パン用小麦粉
 パン価格に見合った小麦粉価格に関する協議を行う。

● 乳製品
 必要な情報が不足しており、近々調査を行い適切な価格体系を関係者と協議する。

● 石けん
 市場価格の通りとする。アビジャンからの鉄道輸送が正常化しつつあり、価格は下落する見込み。

(2)実施要領
● 公定価格は9日から実施され、当面3ヶ月間実施される。3ヶ月後に消費者団体、輸入・卸売・小売り業者団体、政府の三者機関
  で評価を行い、次に執るべき措置につき協議する。

● 公定価格は、ワガドゥグ市、ボボデュラッソ市で適用され、右2都市以外の地方においては公定価格に輸送費を上乗せした適切な
  価格を設定する。

● 公定価格・量が遵守されているかは国が監視する。独占の問題、地場産業の保護、大規模購入センターの設置等についても議論
  を深める。

 3.10日付シドワヤ紙は、ベンバンバ財務経済大臣のインタビュー記事を掲載しているところ、概要以下のとおりです。

 (1)4月15日の軍兵士による略奪被害者への救済
  被害者への損害賠償が基本原則であるが、経済活動を継続できるように支援することを重視。5つのカテゴリーに分けて対応。

● インフォーマル・セクターの小商人(携帯電話、屋台販売、果物野菜商等)
 被害額は少額であるので、被害額に応じて150万CFA(約27万円)までの即時賠償金を支払った。

● インフォーマル・セクターの商人で被害額が150万CFAを超えるもの
 損害賠償が支給されるまでに、年利4%、6ヶ月間返済猶予の500万CFA(約90万円)を上限とするインフォーマル・セクター
 支援基金(FASI)の特別融資を実施。

● 中小企業
 年利4%、6ヶ月間返済猶予、24ヶ月返済を条件として最大2千5百万CFA(約450万円)を上限とするブルキナファソ連帯基金
 (FDS)の特別融資を実施。

● ガソリンスタンド経営者
 略奪された燃料を支給。代金は政府が支払うが、政府との間で年利4%、6ヶ月間返済猶予、24ヶ月返済を条件とする協約を締結。

● 大企業(大規模スーパー、大規模ブティック、ホテル)
 2千7百万CFA(約480万円)以上の被害額がある場合、それぞれの取引銀行からの融資を得られるよう政府が口添えする。
 インフォーマル・セクターの小商人のカテゴリーについては、既に500人以上の商人に賠償金を支払っている。その他のカテゴリー
 は300人程度から申請があるものと思われる。現時点で10億CFA(約1億8千万円)を支出している。

 (2)所得税(IUTS)減税、昇給の実施
  IUTSの一律10%減税とは、現在税率20%を適用されている者は適用税率が10%になること。これは政府・経営者と賃上げ
 交渉をすることなく、公務員も民間企業従業員も直ちに所得が1割増加することになる。先の閣議で決定された減税法案が国会
 で可決された後に適用される。
  昇給実施についても、各省の人事局が昇給昇進辞令等の実態を把握すべく動いている。該当者が人事局に公的書類を提出
 すると手続きは早くなる。

 (3)財源
  これらの諸措置にどれだけの財源が必要かはまだ最終的な数字は出ていない。しかし、首相の指示は明確であり、これらは全て
 透明性の下で実施される。すなわち、国の予算で賄う。そのため、早期に補正予算を提出する。政府は節約と支出の見直しを行う。
 保健、教育、食糧安保といった社会部門の予算は削らない。行政費用の削減、新政府が省庁を削減したことで行政のスリム化を図る。
  また大規模行事の中止・延期も行う。しかし、生産部門、社会部門の予算は削らず、新しい課税も行わない。とにかく節約できる
 ところを節約していく。

2011年5月4日水曜日

ブルキナファソ政情 その8

大使館の方、GWでお休みかと思ってたら、しっかり更新されてました。本当にご苦労様です。

ビン=ラディン師殺害の影響はやはりここでも起こっている。アメリカの動きをこうして伝え聞く限り、やはりこのあたりまでは想定内のようだ。これから1998年のタンザニアでのアメリカ大使館襲撃のようなことに備えて行くのだろう。

この一件がどのように作用するのか、また一つ危険要因が増えたが、メーデーの集会は無事に終わったようだ。新聞各紙を見ても、さほど大きくは取り上げられていない様子。とりあえずはひと山越えた感じだ。

【5月3日付】
 在留邦人の皆様へ(本情報は在留届等に記載されたメールアドレスにも送信されています)  

●5月1日(米国時間),オバマ米大統領は,パキスタンのアボダバードにおいて,米国の掃討作戦によりウサマ・ビン・ラーディンが死亡した旨発表しました。また,米国務省のウェブサイトによれば,世界各地の米国政府施設が高度の警戒レベルにあり,警戒態勢見直しのため一時閉館又は公共サービスの一時停止を行う可能性があるとのことです。

●本件は今後の国際テロ情勢及び各国の対策に多大な影響を与えることが予想され,ブルキナファソにおいても,イスラム過激派組織「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」(AQMI)の活動が懸念されており,ブルキナファソ北部の国境地域は、マリに存在すると言われるAQMIの活動拠点に地理的に近いことから,日本大使館としても政府当局,関係機関と連携して情報収集・対応にあたっております。北部地域はAQMIによる誘拐等の危険性が高いことから,今まで以上の注意が必要です。

●在留邦人の皆様におかれましては,4月30日の野党集会,5月1日のメーデーデモは平穏に終了しましたが,事態が急変する可能性もありますので,引き続き,ブルキナファソからの退避を勧告いたします。

【5月1日付】
一連の事件に関し,5月1日の事件経過をお知らせいたします。

●5月1日(日)、労組によるメーデーの集会は8時30分より、市内中心部に位置する労働会館で2-3千人が参集し始まった。

●労組の集会では、ティアオ新首相の発表した緊急対策案に労組要求事項が含まれており、評価する旨の発言があった。

●集会は11:00頃終了。当初、集会後市内をデモ行進する予定であったが、同行進は中止され市内は終始平穏であった

成長記録1

うちの愛娘(?)。オクランとミニトマトン(今名付けた)。親バカなので、今日は長女のオクランの写真。

近くの花屋さんで苗を買って、プランターに納めてから、根がちゃんと張るか心配で、しかも、それから数日間風の強い日があって、茎がグラグラしていた。でも、真ん中の小さい葉っぱが出てきて、懸命に生きているのが分かる。毎日朝ごはんを食べた後、彼女たちに水をやるのが日課。雨の日の翌日は水を少なくしたり、いろいろ気はつかっている。


これがうちのオールスター。今日は日当たりがよくてこの時間でも成長が分かる。すくすく育てよー。

2011年5月3日火曜日

オサマ ビン=ラディンの死から。

GWのさなか、昼過ぎにやっとその日のニュースに目を通して驚いた。ビン=ラディン師がアメリカに殺害された、というニュースがトップにあった。

Twitterを見たり、Webで新聞を読んだり、また他の媒体を見ても、大方が賛同、称賛だった。もちろん、Twitterでは批判的な意見も散見されたが。ちなみに、ブルキナファソのイスラーム協会からは、「彼とは関係ない」という見解。国の情況が状況だけに、静観と言ったところか。

それにしても、このニュースを追いかけて行くと、やはりアメリカの独善性や一種ファッショにも見える潜在的な全体主義性がよく見える。そして、改めて彼らが掲げる民主主義の正体が分からなくなる。夜、テレビをつけると、グラウンドゼロで上がる歓声、ムスリムたるオバマの「Justice has been done」…

そもそも、「復讐」は現代の法では禁じられているわけで、「殺害作戦」ではなく、「生け捕り作戦」でなければなかったはず。そして、「殺害」という形を取ることによって、イスラーム社会は改めてアメリカによって圧迫される。ムスリムのオバマが「イスラームとは戦争はしない」と述べたところで、何度手のひらをひっくり返すのか…

2005年からブルキナファソの調査を始めた。9・11から4年が過ぎたそのころ、かなり多くの若者たちがビン=ラディンのTシャツを着ていた。あごひげを生やしたおっさんのあだ名は軒並み「ビン=ラディン」だった。そして、ある日アメリカ人がリンチに遭ったという事件もあった。アフリカの片田舎で、ビン=ラディンは、強大な資本主義(旧宗主国群)社会へのレジスタンスの象徴だったし、民衆の敵は、アメリカだった。そして、その構図は今回も変わらない。それどころか、この構図は強化されてしまったのではないか。

「【マーチン・ルーサー・キング牧師】何千ものかけがえのない命が失われたことを私は嘆き悲しむが、たとえ敵であっても一人の人間の死を喜んだりはしない。憎悪に対して憎悪で応じることは、憎悪を増幅させ、既に星々の失われた夜闇を増々暗いものにしていく。」

2011年5月1日日曜日

ブルキナファソ政情その7

今日から5月。件のブルキナファソ情勢は相変わらず緊迫している。

当初の小さな火種が集まって始まったブルキナファソ情勢、4月末時点でずいぶん政治色を帯びてきた、といっていた。4月30日は、野党34党がデモを行う、という予定だと伝えられ、それが実行された。消費者(≒一般市民)の行動である、5月1日のメーデー行進と共に、ブルキナファソに蠢く現政権への不満や不信感をまとめ上げる人々の行動ということで注目に値する。

しかし、RFI(Radio France Internationale)によれば(下の大使館の情報と同じソース)、「新たな動き」とし、ほとんどの野党党首が参加しながらも、さほど多くの人が集まらず、あまり盛り上がらなかったようだ。RFIの伝えるところによれば、リーダーはたくさん参加していたが、リーダーとなるべき人は見えなかった、という。つまり、このあたりの情報を収集すれば、反ブレーズ・コンパオーレの動きには違いはないが、ポスト・ブレーズ・コンパオーレがいない、という解釈が妥当だろうか。

そして、昨日、ワガドゥグの友人たちに電話をした。

アブドゥル(タクシー運転手、レンタカー業)は、すっかり外国人の姿がなくなってしまったといい、何とか生きているが、仕事がない、という。

アミノゥ(手工芸品作家、僕の調査助手)も外国人の姿が見えなくなったことを最初に述べる。そして、一般市民の足である、バイクのガソリンを買えない(おカネがない、場所によってガソリン不足)といい、益々生活がつらくなっている、という。

もしかすると、市民生活はギリギリのところまで追い詰められているのかもしれない…などと、彼らの話を聞いて思った。

後2週間ほどで、報道が報じている「イベント」が終わる。彼らは機知によって今の状況を乗り越えるだろうが、一通りの手続きの後、どのようなブルキナファソが作られていくのか。益々注目したいと思う。
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一連の事件に関し,29日から30日までの事件経過をお知らせいたします。
明日5月1日午前8時30分より市内中心部でメーデー・デモが行われます。平和的に行われる予定ですが,混乱が生じる恐れも排除できないため,市中心部には近づかないようにお願いします。

●政府の動き(29日(金))
(1)バソレ外相は,各国大使・経協機関代表との第2回会合を開催。前日のティアオ首相の発表した緊急対策についての協力を要請。外交団・経協関係者の安全を確保するための憲兵隊特別部隊の設置を発表。

(2)コンパオレ大統領(国防相兼務)は,軍幹部との会合を持った。大統領は「軍幹部は,兵士の一部が国軍にとっても社会にとっても大きな不安を作り出してしまったことを認識し,このような状態を正し,新しい基礎から出発する必要があることを理解した。自分はそれを実現するように命令を下した。軍幹部はこのような無規律の状態に再びならないように真剣に取り組み,状況は改善すると確信している。」と述べた。

(3)ブグマ国土行政・分権化・治安大臣は,2日間にわたる警察官との協議の結果,警察官は威嚇発砲を行い,市民へ不安を与えたことを謝罪し,もう威嚇発砲をしないことを約束したと発表した。

●マンガでの学生によるデモ行進
(1)29日(金),マンガ市で前日(28日)に発生した警察官による威嚇発砲により,11歳の女子生徒が(空に向かって打った銃弾が落下した)流れ弾によって負傷し首都に緊急移送されたことに抗議するため,学生が同市警察本部にデモを行い,警察は威嚇発砲と催涙弾で対抗。警察本部が焼かれ負傷者が数人発生。

(2)30日(土)午前,首都に緊急移送された少女は死亡したことが発表され,ブグマ国土行政・分権化・治安大臣は国民に謝罪するとともに,少女の搬送先の病院に行き親族に謝罪した。

●野党連合による集会
(1)30日(土)午前8時から昼頃まで,市内中心部に位置する国民広場で野党34党の連合の集会が開催された。参加者は数百人程度(フランス国際放送の報道)であり極めて低調。フランス国際放送(RFI),FRANCE 24で,野党連合の集会に労組も合流するとの報道があったが,労組は野党連合の集会へ参加せず,予定どおり明日5月1日にメーデーの行進を市内中心部で行う予定。

(2)野党連合の集会後,参加者の一部は上述の少女の死亡に哀悼の意を表明するため,少女が亡くなった病院まで行進し,病院近くでタイヤを燃やし抗議したが,特に混乱は生じなかった模様。

2011年4月30日土曜日

ブルキナファソ政情その6

「政情」の報告、こんなに何度もするつもりもなかったが、もう6回目。今回も大使館からの情報を中心に。


しばらく小康状態を保っていたワガドゥグでまた「威嚇発砲」が行われた。これまでにもかなりの死傷者が出ているとのこと。

明日が労働者のデモ(メーデーにつき)、その後もちょろちょろとデモが行われる予定。GWも目が離せません。

さっきLe Mondeを読んでいたらPCがフリーズ…次回のお知らせの時に他の新聞情報なども入れようかと思ってます。
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【4月29日】
 1.28日(木)午後,ティアオ新首相は今回の社会・治安危機解決のための緊急対策案を発表し,全ての市民に対し,寛容と忍耐をもって同首相に続くことを求めました。緊急対策の概要以下のとおりです。

●物価高(La vie chere)対策
基礎食品・生活品の高騰を抑制するため,政府は輸入業者と協議して価格を決定し公表する。当該業者には政府から補助金を払う。

●購買力促進のための減税
(1)共同体開発税の廃止
地方自治体の公共事業等の財源として車両(4輪、2輪)を所有する市民から徴収する税を廃止する。地方自治体の公共事業予算に関しては,国会で議論し自治体開発予算の措置を講じる。

(2)所得税減税
5月末より10%減税。国には公務員給与を引き上げる余裕はないので,緊急措置として減税によって所得向上を図るもの。

(3)公務員の昇給の実施
2008年の昇給を本年6月までに,2009年の昇給を本年9月までに実施。

(4)医療行為料金の大幅値上げ法案の廃案
前保健大臣が,市民に諮ることなく料金の大幅な引き上げを実施する法案を提出していたが,国民から大きな反発があった。政府は関係団体と新料金のコンセンサス確立のために協議を行う。

(5)電気料金の6月までの延滞料の免除
コートジボワール情勢の混乱により,同国からの送電が実施されず,例年にない停電が続いていたことに市民は不満を持っていた。

●全国土地開発区画整理事業の中止
市が未利用土地の区画整理を行い,販売し市の収入にしていたが,富裕層が土地を取得し,地域住民には全く裨益しないとして住民の不満の的であった。

●裁判の迅速化
「司法の独立」を厳守しつつ,2月22日にクドゥグ市で発生した学生デモの原因となった学生(ジュスタン=ゾンゴ)の死亡(死因は髄膜炎による病死との発表に対し学生は警察官による暴行と主張し、デモが発生)及び当該デモの最中に死亡した学生に関する裁判の迅速化。同様に地方で発生したデモの鎮圧の最中に死亡した学生の事件に関する裁判の迅速化も図る。3ヶ月以内に汚職事件に関する裁判の結審。

●治安の強化(人身及び財産の保護)
現在の治安に対する不安を長引かせず,軍等による人身への危害,財産の略奪行為を起こさせないように措置を執る。特に大都市における治安が脆弱な地域への治安強化,警察の展開強化を行う。

●大学内の警察官配備の中止
学生が要求する「大学構内への警察官配備の中止」を実施。今後中高等教育省と大学学長による協議の下,大学内の安全を確保する手段を検討する。

●労組・政党の活動の自由の保障
政府は民主主義の根幹をなすこれらの自由を保障する。しかし,市民は権利のみならず義務もあることを理解しない限り自由は保障されない。

●行政のガバナンスの強化
大臣,総局長,大使党の高級官僚,幹部の任命の透明化・機動化を図る。無能力,汚職,不正があった場合は,最終判断がなされる前に直ちに解任される。

2.29日(金),ブルキナファソにおいて暴動等が発生したとの報道はありません。

3.30日(土),午前8時30分よりPlace de la nation(市内中心部の最も広い広場)で野党の集会が開催されます。平和的に行われる予定ですが,混乱が生じる恐れも排除できないため,市中心部には近づかないようにお願いします。

【4月28日】
一連の事件に関し,以下のとおりお知らせいたします。

●事件経過
1.27日(水)午後10時頃、ワガドゥグ市東部辺境に所在する共和国保安機動隊(CRS)の駐屯地敷地内で上空に向けて威嚇射撃が約2時間程度続き、28日(木)午前5時頃にも同様の威嚇射撃があった模様。また、地域住民が、CRS隊員が駐屯地近隣地区に出て銃声及び催涙弾の臭いがしたと述べた旨の報道があった。

2.同様の事件が、ボボデュラッソ市、デドゥグ市のCRS駐屯地で発生した模様。

3.28日(木)午前7時頃、ワガドゥグ市内中心部に所在する中央警察本部敷地内で威嚇射撃が発生した模様。市中心部にある銀行、事務所等は直ちに閉鎖した模様。

4.28日(木)午前9時頃、マンガ市でも警察署で威嚇射撃が発生した模様。

●事件背景
 CRS及び警察の威嚇射撃の背景として、27日にCRSの処遇改善協議が開催される予定であり、政府側に自分たちの要求を聞き入れさせるための行動と見られる。

●その他
1.29日のAir France航空便が急遽キャンセルとなった。

2.現在のところ、本件事件による負傷者等が発生したとの報道はない。また、略奪行為は起きていない。

3.今月中旬の威嚇発砲事件の際,上空に向けた放たれたの銃弾が一般市民の頭に命中し死者が発生している(被害者は家の中にいたが,銃弾はトタン屋根を突き抜け命中した)。

4.夜間外出禁止令を遵守せず22時以降に外出した者に対し,軍人が禁止令違反を理由として暴行を加え,死者・負傷者が発生している。数分でも22時を過ぎていれば容赦なく同取り締りの対象となっている。

2011年4月28日木曜日

ブルキナファソ政情その5

しばらくサボってしまった…まとめて、この間の情報を。

大使館からの情報は下の通り。なかなか詳細に書かれていて、仏、ブルキナの新聞報道とも整合しているので、またそのまま拝借。

昨日はまた少しずつ暴動が飛び火している。ここ数日間のデモは、ずいぶん政治色を帯びてきた印象を受ける。いよいよ野党連合がコンパオーレ大統領の退陣を求める。数年前、大統領の3選以上を禁止した憲法を、制定した本人が改正、4選したことがことの発端。新聞報道にもあったような「現政権が退陣しなければ根本的な解決にはならない」と指摘されていたことが、ここで一気に真実味を帯びてきた。

私自身はさまざまな問題あれど、現政権には一定の評価をしている。何より、「独裁政権」と「平和と安定」という究極の両天秤をつきつけた政権だから。いいわけがましいが、民主主義の重要性は十分に理解している。そのうえで、ブルキナファソは民主主義を取ったために起こる動乱に耐えるだけの体力はないような気がしている。現大統領を下ろすのはいいが、その後、誰がかじ取りをするのか?不勉強もあるだろうが、34もの野党からそれを一人選べ、となると、顔も何もわかったものではない。

閑話休題。そんなわけで、まだまだ落ち着かないが、一応の目安は、5月15日の「給料日」とする見方もある。今のところ、実質的に動乱のコアになっている軍隊の要求は「住居手当等の支払い」であり、これが支払われなかった場合は再度行動に出る、ということらしい。それまでに、下の大使館からの情報を総合すれば、市民の目立った運動が5月1日のメーデーがある。この2つをどう乗り越えるか。

JICAのプロジェクトも一旦引き揚げが決まり、ほんの2,3ヵ月前の在ブルキナファソ日本人もこれで10名前後。残られている皆さんのご無事を祈りつつ…

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【4月27日】
一連の事件に関する26日から27日までの状況を以下のとおりお知らせいたします。

1.26日,野党第一党のUNIRーSP(通称サンカラ党)他33党は,30日に Place de la nation(市内中心部の最も広い広場)でミーティングを開催する旨記者会見した。「コンパオレ大統領が直ちに辞任することを要求する」と述べた。このデモは「人民による平和的な」会合・デモであると述べた。

2.26日及び27日に軍が繰り出す又は商人によるデモ行われるという噂が広まり,ワガドゥグ市内はガソリンスタンドで燃料を満タンにする市民で混雑したが,27日午後現在において,そのような動きは見られない。

3.26日夜,テレビニュースで労組が5月1日にメーデー・デモ行進を行う旨の報道があった。

4.27日朝,クドゥグ市で商人によるデモがあり,市庁舎,市長宅,市場管理事務所,警察署が焼き討ちされた(市中央市場で営業する商人のうち,市場利用料未払いの者には,市場の利用が出来ないようにした市の措置に対して抗議した模様)。

5.27日,渡航情報(危険情報)を改訂した。改訂前の「渡航の延期をお勧めします。」に「滞在中の方は、事情が許す限り,早期の退避を検討してください。」の文言を付記し,今月18日時点よりもブルキナファソ国内の危険度が増していることを示した。

6.一部の大使館員,JICAブルキナファソの全ての専門家が国外退避することとなった。



【4月26日付】
●26日(火)もブルキナファソ全土で平穏が保たれており,ワガドゥグ市内も平常どおり様子である。

●未確認情報ながら,明日27日(水),軍人及び商人によるデモが行われるとの情報に接している。突如として,大きな混乱が生じる可能性も懸念されるところ,不要不急の外出を避けるとともに十分な注意が必要である。

【4月22日付】

 一連の事件に関する21日夜から22日の動きは以下のとおりです。

●21日夜、ティアオ内閣の閣僚名簿が発表された。コンパオレ大統領が国防大臣を兼務する。新外相にバソレ元外相・スーダン国連SG特別代表が任命され、その他の重要閣僚(議会・政治改革国務大臣、経済・財務大臣、農業大臣、鉱山エネルギー大臣等)は再任された。主要閣僚は以下の通り。

 1.国防大臣 ブレーズ=コンパオレ(大統領が兼務)
 2.国務大臣、大統領府付大臣政治改革担当 ボンニエッサン・アルセーヌ=イエ(留任) 
 3.外務域内協力大臣 ジブリル・イペネ=バソレ(元外相、スーダン国連特別代表)
 4.農業・水利・水産大臣  ローラン=セデゴ(留任)
 5.経済・財務大臣    リュシアン・マリ・ノエル=ベンベンバ(留任)
 6.鉱山・採石場・エネルギー大臣 サリフ・ラムサ=カボレ(留任)
 7.外務域内協力大臣付域内協力担当大臣ヴァンサン=ザカネ(前外務省官房長)

●ブルキナファソ全土において平穏が保たれている。

2011年4月25日月曜日

ブルキナファソ政情その4

先週末以来、Twitter、フランスの新聞等への記事がずいぶん減ったように思う。このまま終息してくれればいいのだが…
ただ、夜間外出令は解かれていないし、エールフランスはワガドゥグ便をずいぶん絞っており、まだ警戒態勢下にある。

今回も、在ブルキナファソ日本大使館の公開している情報から。

【治安情勢について その9】

一連の事件に関する20日夜から21日の動きは以下のとおりです。

●20日夜,国営テレビのインタビューでティアオ新首相のインタビューが放映された。
(1)ブルキナファソに多くの優秀な人材がいる中で,首相に任命されたことを名誉に思うが,大統領はこの重要な職務を自分(新首相)が果たせると思い任命したに違いないので,何のコンプレックスもない。大統領の信任に応えるよう,いつものように忠誠と使命感と無私の心で職務を遂行する。
(2)新政府はオープンで締まった政府にする。国が直ちに再出発できるような人材が必要である。状況は厳しいが希望を持ち続ける。一両日中に発表できると思う。
(3)(様々な問題の火消し役としてどのように対応するのかと質されて)まだ応えるには時期尚早である。自分がわかっているのは,国民の全てが,国が上手く機能していないと感じていることである。分裂したものを元にもどし,社会的平和というブルキナファソの根本的な豊かさを保持するために何が出来るのかを検討する。

●21日午後,週末の復活祭の休日のため,夜間外出禁止の時間帯を24時から翌朝5時までとする旨発表された。25日朝までこの時間帯が適用される。

●新聞論調
(1)ティアオ新首相は有能な人物で,言論・コミュニケーション分野で活躍してきたことに敬意を表する点は共通した意見である。体制よりの意見では,同人が卓越した対話能力で国民の不満を聞き、解決をはかることに期待している。
(2)野党指導者等の反政府勢力は,問題の根本は政府ではなくコンパオレ大統領自身であり,政府を変えても大きな変化はないとする主張が大方である。貧困削減と社会正義の確立が根本問題であり,コンパオレ大統領の体制が存続する限り解決しないとの主張。

●アメリカ国務省は,19日にブルキナファソに関する渡航警告(Travel Warning)を発出した。ブルキナファソへの渡航の危険を警告するとともに,暴力事件と無法状態に係る治安面での懸念を理由に,ブルキナファソへの渡航を控えるよう勧告した。

●フランス外務・欧州問題省の渡航情報は,16日に出された「渡航は全く勧められない」とする警戒レベルから変更はない。

【治安情勢について その8】
一連の事件に関する19日夜から20日までの動きをお知らせします。

●19日,国軍参謀本部で参謀長交代式が行われ,オノレ=トラオレ参謀長が国軍の指揮を開始した。式典後のインタビューで,咎められるべき行為をした部隊及び全兵員に,軍隊の力を構成する忠誠,規律,労働の価値を尊重するよう呼びかけ,特に規律を確立するために軍内での対話を確立していくと述べた。

●ワガドゥグ市内は平静を保っており,ブルキナファソ国内においても事件が発生したとの報道はない。夜間外出禁止令は継続中である。

【治安情勢について その7 】

●18日21時30分頃,大統領令でリュック・アドルフ=ティアオ駐仏ブルキナ大使を新首相に任命する旨報道があった。
  【略歴】
    1984年  情報省新聞総局新聞局長
    1987年  シドワヤ新聞総局長
    1990年  通信・文化省次官
    1992年  在仏ブルキナファソ大使館報道官
    1996年  首相府報道局顧問
    2001年  情報上級評議会議長
    2008年  駐仏ブルキナファソ大使

●同日22時15分のテレビ・ニュースで,14日夜に威嚇射撃を行った大統領警護隊の兵士たちが,以下の内容の声明を読み上げた。

 我々は,自分たちの権利である住居手当,食糧特別手当が行政手続きの遅れによって未払いであるため,これらの支給を要求して行動したのであり,他の目的で行ったものではない。
 我々は,最近の軍兵士による商店の襲撃,強奪,治安の不安定化を遺憾に思う。
 我々は,強奪品を所持していた者を逮捕し,憲兵に引き渡した。大統領警護部隊を代表して,国民,上司,国家機関に面倒をかけたことを謝罪する。
 我々は,他の軍兵士の全てに,本来保護・防衛すべき市民に多大な損害を与える示威行動を中止するよう要請する。
 コンパオレ大統領への尊敬と忠誠をあらためて誓う。

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2011年4月22日金曜日

プチ菜園。

ちょいちょいと用事をしながら、前から考えていたプランターを導入した。

左の2株がオクラ、右の2株がトマト。近くの花屋さんで購入した。両方ともアフリカでよく食べる野菜。ずいぶん環境は違うけど、観察しながら楽しもうかと思っている。

幸い、拙宅は日当たりだけはすばらしく良い。そして、完璧に朝型生活の我が家は朝確実に水やりをする。

でも、ちゃんと育ちますように。

2011年4月18日月曜日

そんなわけで日本にいます

何度かお伝えしたように、ブルキナファソへの渡航が延期になった。 仕事の方も、自分の調査の方もこれで一旦休止。でも、遅れた原稿があるので、この一時休止は有効に使わせてもらうことにしよう。 すでに今回の騒動で50名近い人がケガをし、多くの人が強奪の憂き目を見たという報道だ。どうも、軍隊への給与未払いが暴動のそもそもの原因だという。他にもクドゥグで大学生が殺されたり、痴話げんかの末の軍隊の動員、一時にたくさんの事件が重なって起こった暴動のようだ。たまにあるこんな動き、いつもの調子であっけらかんとこの騒動が早いところ終わりますように。 コートジボアールの大統領選挙の後、知り合いのブルキナベは、実に冷静に、ブルキナファソが平和であること、これを維持するクレバーさについて語っていた。確かに、権利を主張することは、大切だ。大切な人を守るため、また、生きていくために。しかし、こうして傷つけあうことは長く続いてはいけない。今こそ、その時のことを思い出すべき時。 早くあの熱い大地に足を踏み入れられる日が来ることを祈りつつ。

ブルキナファソ政情その3

続けてもうひとつ。大使館からの勧告も引っ張ってきます。出所はいずれも在ブルキナファソ日本大使館

4月15日 在ブルキナファソ日本大使館発 

在留邦人の皆様へ(本情報は在留届等に記載されたメールアドレスにも送信されています)  15日21時頃より、大統領官邸付近で軍人による威嚇発砲事件が発生,本日午前から不満兵士らが市内に展開し始めている模様です。邦人の皆様におかれましては,不要不急の外出は避けるとともに,外出時には安全に十分な注意を払ってください。また,JICA関係者の皆様はJICA事務所からの指示に基づき行動願います。なお,現在までのところ,邦人の皆様への被害は報告されていません。

●事件経過 15日21時頃から、大統領官邸(ワガ2000地区)の裏に位置する大統領警備隊の10数人の若手兵士が、上空に向けて威嚇射撃を開始。同威嚇射撃は、市内の軍キャンプの兵士にも波及し,ワガ2000地区以外でも威嚇発砲事件が発生。コンパオレ大統領は市内中心部の政府の建物に避難、本日早朝に大統領の出身地であるジニアレ市へ待避。ディエンデレ軍参謀長の自宅が被害を受けた。

●市内状況 現在,不満兵士がワガドゥグ市内に展開し始めている模様。市内目抜き通り(クワンエンクルマ通り)のバイク店や携帯電話会社,市場等のガラス扉,ショーウィンドウなどが破壊され,略奪にあっている。ガソリンスタンド,銀行,家具・電化製品店などは閉店している。

●事件理由 大統領府筋によると,軍が約束した「住居特別手当」が支給されなかったことへの不満と怒りによるものとのこと。

4月15日発

在留邦人の皆様へ(本情報は在留届等に記載されたメールアドレスにも送信されています)

 軍人による威嚇発砲事件及び市内での強奪事件に伴う治安悪化に関し,ブルキナファソ公官庁は職員に対し自宅待機を命じました。
 邦人の皆様におかれましても,自宅待機を励行願います。また,JICA関係者の皆様はJICA事務所からの指示に基づき行動願います。

 ●事件経過
 (1)ジニアレ市へ待避していたコンパオレ大統領は,大統領府へ戻り本事件への対応指揮を執っているとのこと。

 (2)現時点においては,戒厳令等は発出されていない。

4月16日発

 在留邦人の皆様へ(本情報は在留届等に記載されたメールアドレスにも送信されています)

 軍人による威嚇発砲事件及び市内での強奪事件に伴う治安悪化に関し,以下のとおり事件経過等をお知らせいたします。
夜間外出禁止令(19時~翌朝6時)も発出されておりますので,ワガドゥグ市内在住者は引き続き自宅待機をお願いいたします。地方に在住の方は不要不急の外出は避けるとともに,外出時には安全に十分な注意を払ってください。 なお,JICA関係者の皆様はJICA事務所からの指示に基づき行動願います。

●事件経過
 1.15日,19時に以下の大統領令が発出された。
 (1)現国軍参謀長を解任し、オノレ=トラオレ(ワガドゥグ・ウエドラオゴ駐屯地責任者)が新参謀長に就任
 (2)現大統領警護隊長を解任し、ブレイマ=ケレ大佐が新隊長に就任
 (3)現内閣を総辞職させる。新内閣設立までは各省の事務次官を日常事務の最高責任者とする。

 2.15日夜,ワガドゥグ市内で散発的に兵士が上空に向けて威嚇射撃を行った。国軍駐屯基地の近くの住宅街(プチ・パリ地区)で,軍兵士と 見られる4-5人のグループがホテル・住宅を訪れ,四輪駆動車を強奪しようと試みた。また,クワメ・エンクルマ通りに位置するスプレンディッド・ ホテル,パルム・ビーチ・ホテルでも,兵士の格好をした者が宿泊客の部屋を強襲,貴重品等を略奪。

 3.16日午前中,軍兵士による強奪被害を受けた商人が,軍・政府に対する不満を表明するため軍参謀本部に向けてデモ行進を行ったが,軍 に威嚇発砲されたため,目抜き通りへ方向転換し,同通りに所在する与党CDP本部の建物に放火。市内中心部の政府関係庁舎・官庁街は軍 が保全した。

 4.16日14時頃,夜間外出禁止令が発出された(19時~翌朝6時まで)。

 5.Air Franceは本外出禁止令を受け,本日到着予定の航空機をコトヌで1泊させることとした。同航空機は明日9時30分に当地到着予定。

ブルキナファソ政情その2

数日前に「ブルキナファソ政情」をお知らせした。

この週末、ずいぶん動きがあった。痴話げんかから始まったこの動きは、先日の報告でもあったように、政治や経済の色を強く帯びながら拡大している。


FigaroやLe Mondeなどのフランス各紙、ブルキナファソのローカル紙Le pays, Sidowaya Plaaga紙なども大きくこの事件を扱っている。右の写真はLe Pays紙から拝借したものだが、ワガドゥグの中心、「国連交差点」付近から火の手が上がっている様子である。


この週末、情報収集をしたので、これから渡航される方などは参考にしてほしい。ただ、事象毎の相関関係などは確認がとれていないので、情報があればご教示願えれば幸いだ。


① 政府官僚の更迭があった。特に、今回の事件の中心となった、陸軍、空軍の代表とそれを取り押さえる役割の憲兵隊の代表も更迭された。(Figaro、Le Paysなど)


② 政府代表団がブルキナファソ南部のポPôに派遣された。ポには、陸軍訓練施設がある。この施設からは、サンカラ前大統領、コンパオーレ現大統領が軍事訓練を行った施設。ブルキナファソの精鋭部隊が駐留している。どのようなことが話されたのかは分からないが、事態を収束させるなんらかの耕作がなされているものとみられる。(ソースは同上)


③ ワガ2000(新都心)やプチ・パリ(高級住宅街)などでも威嚇射撃が続いているという情報。また、クワメ・ンクルマ通り(私のフィールド【泣】)沿いのホテルなどでも軍服を着た兵隊らしき一団に金品を強奪された、という情報もある。しかし、私の友人(中流かそれ以下)によれば「来週になれば収まるのでは」という楽観的な意見がでており、戦闘行為発生地は濃淡がはっきりしていそうだ。


④ この状況を受け、フランスは渡航禁止令を発令、また、日本大使館からも渡航の延期などを呼び掛けている。フランスの措置に関しては現在確認中。知人からの情報のみ。


引き続き、こちらで得た情報は公開していこうと思う。


ツイッターはいい情報源だけど、TLがすぐに消えてしまうので、こうやって情報を蓄積しておくところも大切。他に情報があればコメントにでも書きこんでいただければ嬉しい。

2011年4月16日土曜日

プリン

体は強いが、マラリアには敵わない。昨年も3回ほどマラリアの症状に悩まされた。そして、そのうち2回は日本に帰国してからだった。

いつごろからか、マラリアになると冷蔵庫にプリンが2個入っているようになった。プリンの主は滅法甘いものに弱い。だが、熱が出た時にはプリンがいい、と言い張る。なので、それに従ってプリンを食べてみるのだが、冷たくて甘くて、熱のあるときには涙が出るほどうまかった。

実は、年末からこのプリンの主と同じところに住むことになった。引っ越しは僕の帰国の5日後に行われ、引っ越した翌日にはオランダとフランスから主の友人が泊まり込み、そして、僕はいつの間にかまたアフリカにいて、帰ってきて少し落ち着いたので、紙にサインした。事実上、そして、実質上、同じ屋根の下で暮らす人ができた。

こういう願望が昔から強かったというと、あまりに自由に生き過ぎてきていて、笑われる。でも、なんとなく自分の頭の中で描いていた光景があって、現実はそれとはずいぶん違ってしまった。ただ、今、この瞬間、僕は十分に幸せで、きっとプリンの主もブリブリ僕に文句を言いながらも前よりも少し幸せでいてくれると思う。本当にいい年をして、まだまだ何もできないどうしようもない2人で、形すら満足に作れていないけど、こういうのはスタートラインなのだろうから、ここから少しずつ、でもたくさんのことを積み上げて行きたいと思っている。

まあ、プリンはなるべく食べなくていいように…。

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書類が通ったらちゃんとご報告をするつもりでしたが、どうも出発前に間に合いそうにありません。帰国したら住所を伺っている方にはご挨拶、お送りいたします。ブログ先行で申し訳ありません。

2011年4月12日火曜日

コートジボアール大統領選挙(結末へ)

約3ヵ月にわたって揉めたコート・ジボアール情勢がようやく終息を迎えそうだ。今朝のTwitterは日本の地震の話以外はかなりこの記事が多かった。この間、日本の地震のニュースの影に隠れて、日々虐殺が起こり、こちらでもずいぶんと多くの人の命が失われた。大変残念なことだ。

しかし、まだ終わっていない。これまでのアフリカでは権力闘争の末、負けたものが無事でいたことなどほとんどないのではないか。バグボ氏は、多くの人々が命を失う原因をつくり、それは決して許されるものではない。ただ、これはバグボ氏の命をもって償われるものではなく、なぜこうしたことが起こったのかを追求することにより断罪されるべきではなかろうか。

*************************
 [アビジャン 11日 ロイター] 大統領選の結果をめぐる混乱で内戦状態に陥っているコートジボワールの最大都市アビジャンで11日、大統領辞任を拒否するバグボ氏が拘束された。同氏の身柄は、国際社会が大統領選の当選を承認するワタラ元首相陣営の管理下に置かれている。
 フランス軍は同日夜、国連平和維持活動(PKO)部隊とともにバグボ氏の邸宅への攻撃を再開。30台以上の装甲車で施設に向けて進行した。

 バグボ氏のスポークスマンは、同氏が避難していた部屋から出て、抵抗せずにフランス軍に投降したと明らかにした。

 一方、フランス軍によると、身柄拘束は国連PKO部隊などの支援を受けたワタラ氏の部隊が行ったと発表。同軍のスポークスマンは、「(現地時間午前)3時過ぎ、バグボ前大統領がコートジボワール共和国軍に投降した。フランス部隊はバグボ邸に一切立ち入っていない」と述べた。

 バグボ氏が拘束されたことで、大統領選をめぐる一連の混乱は収束に向かうが、新大統領に就任するワタラ氏は、長年の民族対立や経済の低迷、悪化する人道問題という課題に直面することになる。
(http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-20555120110411?feedType=RSS&feedName=worldNews&utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter&utm_campaign=Feed%3A+reuters%2FJPWorldNews+%28News+%2F+JP+%2F+World+News%29&utm_content=Twitter)

2011年4月11日月曜日

食文化にはまる

今さら…ではあるが、最近、「食文化」にはまっている。まあ、私自身、飲み食いが人並み以上に好きなのと、料理もそこそこにするからなのだが、当初は人類学でまとまった研究はないかな…と思って資料を読み始めたのがきっかけ。それと、今季、2コマほど非常勤講師で話すのが「生活文化」で、自分でも意外なほどネタに困ったのがもう一つのきっかけになった。



前に「」 の記事でも書いたのだが、あまりに食い意地が張っていて、食べ物の写真すら事欠く始末。直接自分の研究に関係がなくとも、少しは注意深く生活をすることを心がける意味でも、大事ではないか、と思ったのもある。



人類学者が書く「食文化」は、たとえば、調理器具に注目したもの、食材、調理方法の比較などが目立つようだ。当然、食を掘り下げることは、農業や流通と言った経済的なことにつながり、文化面でも、食物タブーや供犠と言った宗教的な部分につながっていく。



以前から興味があったのは、たとえばエチオピアのテフなのだが、なんであんな処理の面倒くさいものを作り、食べるのか、他に楽で旨いものもある筈なのに…などと思う(ちなみに、テフで作られるインジェラは大好物なのだが…)。それとか、ブルキナファソでも、なんであんな手間のかかる「ト」などをつくるのか、とかは今でもものすごく疑問だ。小川了氏がこのあたりのことを「噛む」ことと「飲む」ことの間で詳細に論じているのだが、まだ腑に落ちない。



本業がおろそかにならない程度に少しずつ進めてみようかと思っている。面白そうな本をご存知の方、是非教えてください。

2011年4月9日土曜日

ブルキナファソの政情(2011.4)

日本が地震で揺れている間、アフリカの政治も大きく揺れていた。地震のおかげで日本にあるアフリカ諸国の大使館が機能しなくなっているし、ブルキナファソの現状もなかなか情報が得にくい。Twitterでも断片的に現地メディアが報じていたが、このデモ、暴動の原因が何だったか、なかなか知ることが難しかった。何人かから問い合わせを受けたので、こちらに知人からの私信を少しアレンジして現状報告。

************************************
3月下旬にかけ、ワガドゥグのみならずバンフォラ、ガウア、ファダ・ングルマなどで軍人によるデモが行われた。実弾を使った威嚇射撃が数日間続き、3月30日より4日間夜間外出禁止令が発令した。そのため、エールフランス等各航空会社も便の欠航や変更を余儀なくされた。しかし、現在は大統領と軍で話し合いが決着し、街は落ち着きを取り戻しつつある。

ただ、8日に全国規模でのデモが呼びかけられており、これは軍のデモとは別件で、以前から予定されていたもの。このデモの目的は物価高騰に対するもので、労働組合は学生や商人、失業者、労働者など幅広くデモへの参加を呼びかけている。平和的に行われるかどうかは疑わしく、関係各所が注目しているところである。

また、軍人によるデモで性的暴行の罪で刑務所に拘束されていた軍人が開放されたり、暴動に発展しワガドゥグの商店がいくつか襲われ、根こそぎ商品を奪われたり、裁判所が砲撃対象になったり、法関係者のフラストレーションも溜まっているように思われる。3月に起こったゾンゴ事件(学生が警察に拘束され、拘置所で死亡した事件。1998年のジャーナリスト殺傷事件とは別件だと思われる。)も根本的な解決がなされないまま今に至っており、まだ発端地であるクドゥグでは学校も再開されていない状況だ。
***********************************

おそらく、リビア、チュニジアあたりの民主化要求運動とは一線を画しているのだと思うが(実にくだらない理由で軍隊が動いている)、いずれにしても、いつもより行動には注意が必要、と言ったところか。

2011年4月2日土曜日

気だるい。

人間の体はどこまで進化できるか?どこまでタフになれるか? 私の腹を見た人はそんなストイックな感覚を私が持っているとは思うまい。たしか、ラグビーをやり始めたのも、これに似た動機があったように思うし、ブルキナファソを私の仕事場と決めたのも、一番しんどそうだからだったように思う。 そんなこんなで、いろんな病気やケガをする中で、大概の体のトラブルには対応できるようになり、いろんな免疫がついてかなりタフな体が仕上がった。 日本で風邪などひくことはないのだが、昨日の昼ごろからどうも頭が重く、体の節々が痛い。そして、今朝から微熱。そんなわけで本日は店じまいします。

2011年3月30日水曜日

業績2011年

毎年しつこいですが、研究室ホームページにリンクしている都合、また全部載せます。 ************************************************************
学位論文
○ 清水貴夫1999「アフリカ農村部における持続可能な保健衛生開発への一考察」明治学院大学国際学部国際学科1998年度卒業論文
○ 清水貴夫2007「アフリカ都市の若者文化の都市人類学的研究‐ワガドゥグのラスタの事例から」名古屋大学大学院文学研究科2006年度修士論文

論文(査読あり)
○ 清水貴夫2007a「ブルキナファソのラスタの演奏活動に見る『アフリカ』」『神話・象徴・文化』篠田知和基編pp.207-223 楽瑯書院
○ 清水貴夫2008b「ワガドゥグのストリートの若者たちの生活とその背景」『名古屋大学比較人文学年報』Vol.5 pp.137-154名古屋大学大学院文学研究科比較人文学講座
○ 清水貴夫2008 c「来住アフリカ人にとっての六本木‐「アフリカ人-アフリカ人」のインフォーマルな接合の調査報告‐」2006年度科学技術研究費報告書『来住アフリカ人の相互扶助と日本人との共生に関する都市人類学的研究』(基盤研究A 研究代表 和崎春日 研究番号:16202024)pp.135-144
○ 清水貴夫2008d「セネガル文化としてのバイファル、ラスタを探る」2007年度科学研究費報告書(基盤研究A 研究代表 嶋田義仁 課題番号:18251006)pp.119-134
○ 清水貴夫2010d「ワガドゥグで活動する「ストリート・チルドレン」支援のNGO、ケオーゴKEOOGOの活動から見える「路上の生き様La vie dans la rue」」『名古屋大学比較人文学年報』Vol.7 pp.67-86 名古屋大学大学院文学研究科比較人文学講座
○ 清水貴夫2011 「都市計画と住民生活の変化~ワガドゥグ市のザカ計画Projet ZACAとザングエテン住民の事例から~」(「土地・法・不安」セッション 松岡陽子、木村周平、高野さやか共著)九州人類学研究会(投稿中)

論文(査読なし)
○ 清水貴夫2006「ラスタのフロンティア」『名古屋大学人文科学研究』第35号pp.57-70 名古屋大学大学院文学研究科
○ 清水貴夫2010a「都市計画が住民生活に与えるインパクトに関する都市人類学的考察~ブルキナファソ、ワガドゥグ市のプロジェ・ザカProjet ZACAの事例から~」『名古屋大学人文科学研究』第39号pp名古屋大学大学院文学研究科pp.61-74
○ 清水貴夫2010c「少年の移動と「ストリート・チルドレン」~ブルキナファソ ワガドゥグの事例から~」人間圏の探究シリーズ9 Kyoto Working Papers on Area Studies No.99 (G-COE Series 97)

研究ノート(査読なし)
○ 清水貴夫2009a「ワガドゥグにおける染色綿布、ボゴランBogolanの制作過程」『名古屋大学人文科学研究』第38号pp.133-144

雑誌・エッセイなど
○ 清水貴夫2005-2007「国際協力の今」(全10回)『HARMATTAN』(認定NPO法人)日本ブルキナファソ友好協会会報 19号~29号
○ 清水貴夫 2007b 「来住アフリカ人のコミュニティ形成と生活」『メタプティヒアカ(名古屋大学大学院文学研究科 教育研究推進室年報)』Vol.1 pp.128-129 名古屋大学大学院文学研究科 教育研究推進室
○ 清水貴夫 2008a「アフリカ都市の路上販売者と「観光」-ワガドゥグのストリートから-」『アフリカNow』79号(特活)アフリカ日本協議会会報誌pp.12-13
○ 清水貴夫2008e「産業化する国際NGO-国際NGOで働く職員たち」『伝統知識と技術の再活性化によるアフリカの草の根開発(Grass Root Development)と環境保護』嶋田義仁編 平成19年度「国際協力イニシアティブ」 名古屋大学文学研究科pp.127‐128
○ 清水貴夫 2008f「『ポップ』が生み出される場所」(第1回11月)、2008h「ネットで取引される『伝統』」(第2回12月)、2009c「中国の介入を受ける手工芸品」、2009d「隣の芝は青い‐綿布の話」、2009e「ポップな「伝統的」楽器‐ジェンベDjembe」、2009f「ラスタという考え方」『porto』、(フリーペーパー)への連載
○ 尾関葉子氏によるインタビュー記事(清水貴夫) 2009b 「アフリカNGO事情 ブルキナファソのNGO法」『NPO Management Review』64号p.36-40
○ 尾関葉子氏によるインタビュー記事(清水貴夫) 2010b 「アフリカ NGO事情 ブルキナファソのNGO法」『NPO Management Review』65号p.34-38
○ 清水貴夫2010e「Vous êtes invité? 」フリーペーパ『Porto』

口頭発表
○ 清水貴夫 「ワガドゥグのラスタ」現代アフリカ都市文化研究会第27回例会 於名古屋大学 2005年7月
○ 清水貴夫 「ラスタの生業と思想-ワガドゥグのラスタを事例に」第43回日本アフリカ学会 研究大会 於大阪大学 2006年5月28日
○ 清水貴夫 「ラスタの生業と思想‐ワガドゥグのラスタを事例に」アフリカセミナー 2006年7月1日
○ 清水貴夫 「「周辺」のラスタが捉える「伝統」と「アフリカ」-ブルキナファソ、ワガドゥグのラスタの事例から‐」現代アフリカ都市文化研究会第29回例会 於名古屋大学 2007年2月24日
○ 清水貴夫 「アフリカ都市の若者文化の都市人類学的研究―ワガドゥグのラスタの事例から」中部人類学談話会 於椙山女子大学 2007年5月19日
○ 清水貴夫「「周辺」のラスタが捉える「伝統」と「アフリカ」-ブルキナファソ、ワガドゥグのラスタの事例から-」第41回文化人類学会学術大会 於名古屋大学 2007年6月2日
○ 清水貴夫「西アフリカの都市の若者文化のフレームについての一考察-ブルキナファソ、セネガルの事例から-」アフリカ ポップカルチャー研究会(アフリカセミナー、アフリカ都市文化研究会と合同)於 名古屋大学 2008年3月27日
○ 清水貴夫「セネガル文化としてのバイファルとラスタ」科研費研究会(科学技術研究費 基盤研究A アフリカ・イスラーム圏における白色系民族と黒色系民族の紛争と共存の宗教人類学的研究 研究代表:嶋田義仁 研究番号:18251006)於 名古屋大学 2008年7月5日、6日 ○ 清水貴夫「ワガドゥグのクールなラスタ」アフリカン・ポップカルチャー研究会『いまアフリカにのる?』 2008年11月15日、16日
○ 清水貴夫「ストリートの少年たちとNGO ブルキナファソ・ワガドゥグの事例から」第46回日本アフリカ学会学術大会 於東京農業大学 2009年5月24日
○ 清水貴夫「少年の移動と「ストリート・チルドレン」ワガドゥグの事例を中心に」GCOE若手研究者合宿 於 KKRホテル琵琶湖 2010年3月16日
○ 清水貴夫「イスラーム、タリベ、NGO~イスラームの「ストリート・チルドレン」がなぜ発生したのか」まるはち人類学研究会 於 名古屋大学 2010年4月24日
○ 清水貴夫「ワガドゥグの都市計画と住民の生活変化~旧ザングエテンZangouetin住民の動向を中心に~」第47回日本アフリカ学会学術大会 於 近畿大学 2010年5月29日、30日
○ 清水貴夫「茶会がつなぐキズナ-都市計画による離散を乗り越える人々の営み」」九州人類学研究会 於 九州大学 2010年10月30日

講演
○ 岡山大学「国際交流と平和B」臨時講師(森本栄二非常勤講師担当) 2005年11月
○ 岡山大学「国際交流と平和B」臨時講師(森本栄二非常勤講師担当) 2006年11月
○ 清水貴夫 「Qui est vrai Africain?(本当のアフリカ人は誰?)」ファンサバ 2006年11月11日
○ 清水貴夫 「音楽をめぐるラスタの生活~ブルキナファソ・ワガドゥグのストリートから~」(特活)アフリカ日本協議会 あふりか広場 2006年11月
○ 清水貴夫「アフリカの音楽と都市性の関わりOuagadougouのラスタの事例から」『アフリカ・カルチャー講座』 道祖神2009年10月31日
○ JICA専門家研修講師「ブルキナファソ」2010年4月22日
○ JICA専門家研修講師「ブルキナファソ」2011年2月28日

調査暦
○ 2005年11月~2006年3月 調査国:ブルキナファソ(4か月)
○ 2006年7月~2006年9月(科学研究費 基盤研究A 研究題目『来住アフリカ人の相互扶助と日本人との共生に関する都市人類学的研究』 研究代表:和崎春日 研究番号:16202024)調査国:ブルキナファソ、ガーナ(3カ月)
○ 2007年2月~3月(科学研究費 基盤研究A アフリカ・イスラーム圏における白色系民族と黒色系民族の紛争と共存の宗教人類学的研究 研究代表:嶋田義仁 研究番号:18251006) 調査国:セネガル(1か月)
○ 2007年7月~2008年2月 調査国:ブルキナファソ(2か月)
○ 2008年7月~2008年9月 調査国:ブルキナファソ(日本学術振興会 特別研究員奨励費)(3カ月)
○ 2009年2月~2009年3月 調査国:ブルキナファソ(科学研究費 基盤研究A 研究題目『滞日アフリカ人の生活戦略と日本社会における多民族共生に関する都市人類学的研究』 研究代表:和崎春日 研究番号:19202029)調査国:ブルキナファソ(2か月)
○ 2009年7月~10月 調査国:ブルキナファソ(日本学術振興会 特別研究員研究奨励費)(4か月)
○ 2009年12月~2010年3月 調査国:ブルキナファソ(日本学術振興会 特別研究員 優秀若手研究者海外派遣プログラム)(3カ月) ○ 2010年7月~9月 調査国:ブルキナファソ(笹川研究助成)(3カ月)
○ 2010年11月~12月、2011年1月~2月、2011年4月~5月、2011年 調査国:ブルキナファソ、バム県(砂漠化対処技術の普及方策等検討委託業務 (財)地球・人間環境財団、環境省より受託)

所属学会
○ 日本アフリカ学会 ○ 日本文化人類学会 ○ 日本宗教学会

所属研究会
○ ポップアフリカ研究会(運営委員) ○ 現代アフリカ都市文化研究会 ○ アフリカセミナー ○ アフリカ研究会(STAN、国際開発研究科) ○ まるはち人類学(2010年4月~) ○ 南山考人研(2010年)

所属NGO
○ (認定NPO法人)日本ブルキナファソ友好協会 理事(2002年~2007年) ○ (特活)アフリカ日本協議会 会員(2005年~現在) ○ (特活)国際協力NGO推進協会(JANIC)(2000年~2003年) ○ (特活)ハンガー・フリー・ワールド(2007年~現在)

職歴
○ 東興海運株式会社(1999年4月~2003年3月)
○ (認定NPO法人)日本ブルキナファソ友好協会ブルキナファソ事務局長(2003年4月~9月)
○ (特定非営利活動法人)ハンガー・フリー・ワールド ブルキナファソ準支部臨時代理事務局長(2007年7月~2008年2月)
○ 日本学術振興会 特別研究員(DC2)(平成20年度(2008年度)採用)
○ (特定非営利活動法人)ハンガー・フリー・ワールド理事(2009年6月~2010年3月)
○ (特定非営利活動法人)ハンガー・フリー・ワールド事務局次長(2010年4月~6月)

研究・教歴 ○ 名古屋大学ティーチングアシスタント(2007年4月~7月)
○ 名古屋大学ティーチングアシスタント(2008年10月~2月)
○ 名古屋大学ティーチングアシスタント(2009年5月~2010年2月)
○ 愛知江南短期大学非常勤講師『国際文化』(2009年6月27日)
○ 愛知甲南短期大学非常勤講師『国際文化』(2010年5月7日、5月14日)
○ (財)地球・人間環境フォーラム プロジェクト研究員(2010年10月~2012年3月)

研修
2001年度 地球市民アカデミア8期修了、 2002年 地球市民アカデミア9期運営委員 2002年 「NGO‐JICA相互研修」 2008年7月-9月 KEOOGO(ブルキナファソNGO)での研修員

賞罰・助成金・競争研究資金獲得状況
名古屋大学大学院学術奨励賞(2007年度)
日本学術振興会 特別研究員(DC2) 平成20年度(2008年度)採用
日本学術振興会 優秀若手研究者海外派遣プログラム (平成21年度(2009年度))
笹川研究助成平成22年度(2010年度) 採用

2011年3月28日月曜日

卒業式

暖かい日差し、命の息吹、そして「ケジメ」の季節。3月は微妙な季節。新しい何かへの希望と別れの寂しさが日々入り混じる。

3月25日。僕の所属する大学でも卒業式があり、卒業生による謝恩会があり、そして追いコンがあった。

今年も頑張った修士号取得者を祝った。地震のこともあり、すこしゴタゴタはしたが、とてもいい一日だった。

そして、数日後には僕にとっては何年間も机を並べて切磋琢磨した同期がそれぞれの形で巣立つ。きっと、これで関係性が終わるわけではない。でも、振り返ればそこにいた人がいなくなる。まだ喪失感はない。でも、いつか、そんなことを感じることも出てくるだろう。

そして、いつの間にか、普段研究室にいる同期入学は僕一人になった。一番先に出て行くつもりでいたのに、最後の最後まで残ってしまった。いろいろと浮気をしてきた…、いや、そもそも研究に向いていないために、いつの間にか研究に遅れが生じているのだろうか…なんていうとてもネガティブな考えも生まれなくもないのだが、いずれにしても、なんとなく孤独感もある。

毎年訪れるこの時期。感じ方はその年それぞれだったけど、今年は特に感じ入ってしまう。

でも、とにもかくにも、修士課程を修了した人も、またどんな形であれ違う環境で新しい道を進む人も命あってのもの種。どうかどうか、元気で過ごしてください。そして、益々発展しますよう。

2011年3月23日水曜日

祝辞【高橋源一郎氏】

Mixi上で後輩から教えてもらった、高橋源一郎氏の卒業生への祝辞。一応、ここの卒業生だが、僕がいたころには、まだ高橋源一郎さんはいらっしゃらずに薫陶を受けたわけではない。ただ、たまたまこの大学の卒業生であったことで、この後輩と繋がり、その先にこの方がいた。この偶然性にまず感謝したい。

Twitter:http://twitter.com/#!/takagengen

全文通して読んでもらえれば、僕ごときが何を言わんでもいいのだが、なんて力強い希望を語る人なんだろう、と思った。本人は、今のこの時代、「希望」など語れない…などと言いながら。

「「正しさ」の中身は変わります。けれど、「正しさ」のあり方に、変わりはありません。気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつは簡単です。けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです。



「正しさ」への同調圧力によって、「正しい」ことをするべきではありません。



あなたたちが、心の底からやろうと思うことが、結果として、「正しさ」と合致する。」

強い言葉だな。
********************引用*******************************
今年、明治学院大学国際学部を卒業されたみなさんに、予定されていた卒業式はありませんでした。代わりに、祝辞のみを贈らせていただきます。

いまから四十二年前、わたしが大学に入学した頃、日本中のほとんどの大学は学生の手によって封鎖されていて、入学式はありませんでした。それから八年後、わたしのところに大学から「満期除籍」の通知が来ました。それが、わたしの「卒業式」でした。

ですから、わたしは、大学に関して、「正式」には「入学式」も「卒業式」も経験していません。けれど、そのことは、わたしにとって大きな財産になったのです。

あなたたちに、「公」の「卒業式」はありません。それは、特別な経験になることでしょう。あなたたちが生まれた1988年は、昭和の最後の年でした。翌年、戦争と、そしてそこからの復興と繁栄の時代であった昭和は終わり、それからずっと、なにもかもが緩やかに後退してゆきました。

そして、あなたたちは、大学を卒業する時、すべてを決定的に終わらせる事件に遭遇したのです。おそらく、あなたたちは「時代の子」として生まれたのですね。わたしは、いま、あなたたちに、希望を語ることができません。あなたたちは、困難な日々を過ごすことになるでしょう。

あなたたちの中には、いまも就職活動をしている者もいます。仮に就職できたとして、その会社がいつまでも続く保証はありません。かつて大学生はエリートとされていました。残念ながら、あなたたちはもはやエリートではありません。この社会に生きる大多数の人たちと同じ立場なのです。

だからこそ、あなたたちの生き方が、実は、この社会を構成する人たちみんなの生き方にも通じていることを知ってください。わたしは、この学校に着任して六年、知識ではなく、あなたたちに「考える」力を持ってもらえるよう努力してきました。

その力だけが、あなたたちを強くし、この社会で生き抜くことを可能にすると信じてきたからです。あなたたちは、十分に学びましたか? だったら、その力を発揮してください。まだ、足りないと思っていますか? では、社会に出てからも、努力し続けてください。

あなたたちの顔を見る最後の機会に、一つだけ話したいことがあります。それは「正しさ」についてです。あなたたちは、途方もなく大きな災害に遭遇しました。確かに、あなたたちは、直接、津波に巻き込まれたわけでもなく、原子力発電所から出る炎や煙から逃げてきたわけでもありません。

けれど、ほんとうのところ、あなたたちはすっかり巻き込まれているのです。なぜ、あなたたちは「卒業式」ができないのでしょう。それは、「非常時」には「卒業式」をしないことが「正しい」といわれているからです。でも、あなたたちは納得していませんね。

どうして、あなたたちは、今日、卒業式もないのに、少し着飾って、学校に集まったのでしょう。あなたたちの中には、少なからず疑問が渦巻いています。その疑問に答えることが、あなたたちの教師として、わたしにできる最後の役割です。

いま「正しさ」への同調圧力が、かつてないほど大きくなっています。凄惨な悲劇を目の前にして、多くの人たちが、連帯や希望を熱く語ります。それは、確かに「正しい」のです。しかし、この社会の全員が、同じ感情を共有しているわけではありません。

ある人にとっては、どんな事件も心にさざ波を起こすだけであり、ある人にとっては、そんなものは見たくもない現実であるかもしれません。しかし、その人たちは、いま、それをうまく発言することができません。なぜなら、彼らには、「正しさ」がないからです。

幾人かの教え子は、「なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいのかわからない」と訴えました。だから、わたしは「慌てないで。心の底からやりたいと思えることだけをやりなさい」と答えました。彼らは、「正しさ」への同調圧力に押しつぶされそうになっていたのです。

わたしは、二つのことを、あなたたちにいいたいと思っています。一つは、これが特殊な事件ではないということです。幸いなことに、わたしは、あなたたちよりずっと年上で、だから、たくさんの本を読み、まったく同じことが、繰り返し起こったことを知っています。

明治の戦争でも、昭和の戦争が始まった頃にも、それが終わって民主主義の世界に変わった時にも、今回と同じことが起こり、人々は今回と同じように、時には美しいことばで、「不謹慎」や「非国民」や「反動」を排撃し、「正しさ」への同調を熱狂的に主張したのです。

「正しさ」の中身は変わります。けれど、「正しさ」のあり方に、変わりはありません。気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつは簡単です。けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです。

二つ目は、わたしが今回しようとしていることです。わたしは、一つだけ、いつもと異なったことをするつもりです。それは、自分にとって大きな負担となる金額を寄付する、というものです。それ以外は、ふだんと変わらぬよう過ごすつもりです。けれど、誤解しないでください。

わたしは「正しい」から寄付をするのではありません。わたしはただ寄付をするだけで、偶然、それが、現在の「正しさ」に一致しているだけなのです。「正しい」という理由で、なにかをするべきではありません。「正しさ」への同調圧力によって、「正しい」ことをするべきではありません。

あなたたちが、心の底からやろうと思うことが、結果として、「正しさ」と合致する。それでいいのです。もし、あなたが、どうしても、積極的に、「正しい」ことを、する気になれないとしたら、それでもかまわないのです。

いいですか、わたしが負担となる金額を寄付するのは、いま、それを心からはすることができないあなたたちの分も入っているからです。三十年前のわたしなら、なにもしなかったでしょう。いま、わたしが、それをするのは、考えが変わったからではありません。ただ「時期」が来たからです。

あなたたちには、いま、なにかをしなければならない理由はありません。その「時期」が来たら、なにかをしてください。その時は、できるなら、納得ができず、同調圧力で心が折れそうになっている、もっと若い人たちの分も、してあげてください。共同体の意味はそこにしかありません。

「正しさ」とは「公」のことです。「公」は間違いを知りません。けれど、わたしたちはいつも間違います。しかし、間違いの他に、わたしたちを成長させてくれるものはないのです。いま、あなたたちが、迷っているのは、「公」と「私」に関する、永遠の問いなのです。

最後に、あなたたちに感謝のことばを捧げたいと思います。あなたたちを教えることは、わたしにとって大きな経験でした。あなたたちがわたしから得たものより、わたしがあなたたちから得たものの方がずと大きかったのです。ほんとうに、ありがとう。

あなたたちの前には、、あなたたちの、ほんとうの戦場が広がっています。あなたを襲う「津波」や「地震」と、戦ってください。挫けずに。さようなら。善い人生を。
********************ここまで************************************************

2011年3月15日火曜日

情報の嵐の中で

Twitter初心者だからか、事件の大きさからか。1日中Twitterを見ている。

元宮崎県知事あてにリツートされたSOS、デマ情報にそれを訂正する情報、内外の応援メッセージ、科学者による情報の検討…

きっとこの1週間で、我々は世界のだれよりも災害の怖さを知ったし、原発のことも知ったし、そして命の尊さも知ったし、それを心配する人の悲しみも知ったし、それを悪用する人がいることも知った。

ものすごい勢いで真偽定かでない情報が行きかう。でも、迷うことはない。それが嘘でも本当でも、人と人がつながっていることは間違いない。前に進もう。

2011年3月14日月曜日

敵を探すことではなく。

地震、本当に大変なことだ。まずなによりも、できる限り多くの方の命が救われ、被災した方が早く日常に戻れますよう、お祈りさせていただきたい。

天災は多くの人の命を奪い、多くの人を傷つける。戦争ではない。悪意がそこに感じられない中、誰を恨むこともできない。確かに、今最も多く時間を割いて報道されている原発に関しては、今度、これまでの論調を換えるようなメルクマールになる事件になるはずだが、日本の国情を考えれば、ただ「危ないからなくせ」だけでは済まされないように思う。

阪神淡路大震災は、ボランティアブームを創りだした。もちろん、無計画なボランティアの配置があったり、活動の意図が不明であったり、というさまざまな批判はあったが、この動きは、今の日本社会を少し動かしたように思う。この動きがあったから、今回のこの地震でも、たくさんの募金が集まり、また、ボランティアを行う人が数多くいる。今のところ、のうのうとしている僕は、被災された方の優しさや、そういう熱意に燃えた人の言動を見て、胸を熱くする。

しかし、一方でとても悲しく思うようなこともなくはない。「国の対応が後手後手に回っている」と批判しかしない報道。確かに、これまでガタガタだった管政権。地震のおかげで寿命が延びたのに気付くが、1時間おきに会見を開いているという、官房長官や、不眠不休で対応している諸官公庁を、非難する時ではない。敵を探すことは、今日び全く有効な手段だとは思えない。もっと、たくさん調べて提供されるべき情報があるのではないだろうか?先ほどの報道で、鳥越俊太郎氏の海外の友人がどのようにすれば寄付ができるだろうか、という質問を投げかけたそうだが、これに答えた専門家がいろいろと説明したのだから、Twitterで呟いてみたらいいと思う。そして、情報の真偽も全く明らかでない。もっと精査して話をしないと混乱を招くばかり。その混乱は、粛々と仕事をしている国のせいではなく、「落ち着いて行動してください」と言っている報道の方ではないかな?まずは、報道にできることをしっかり考えて、より多くの人をつないでほしいと思う。きっと敵を探すことではなく、味方になってくれる人をどれだけ捕まえられるかが今の仕事なのではないだろうか?

金曜日から研究合宿に行ってきた。セミナールームに入った瞬間に、何か波の上に立っているような緩やかな揺れを感じた。セッションが終わり、宿泊所のテレビを見ると、現実のものとは思えない光景が広がっていた。そして、僕らは大変な状況の被災地をしり目に議論を交わした。最後のディスカッションで、災害の人類学を専門にするKさんから発言があった。「どうしようか考えて、やはり、今回の地震のことを話してみたい」と。そう。僕ら研究者に何ができるのだろうか?何をしなければならないのだろう?

2011年3月9日水曜日

研究会(第204回 中部人類学談話会)

これから自分で参加しそうな研究会の情報も載せてみようかと思う。

初回はこちら。お世話になっている人たちばかりですごく楽しみ。
****************************************
☆ 日時:平成23年3月26日(土曜)午後13時半より
☆ 場所:椙山女学園大学 現代マネジメント学部 地下一階001教室
(名古屋地下鉄東山線星ヶ丘駅下車 徒歩5分)

* 会場付近は、駐車スペースがありませんので、車でのご来場は固くお断りいたします。

☆ 話題提供者と話題:

■ シンポジウム 「世界観の揺らぎを捕獲する―個と集合の境界から」

コーディネーター:東賢太朗(名古屋大)
シンポジアスト:織田竜也(長野県短期大学)、木村周平(富士常葉大学)、東賢太朗(名古屋大学)

趣旨文:
文化人類学は世界の諸相を経験的に把握すると同時に、思考の方法や認識のあり方を思弁的に理解することを志向してきました。相互に情報が往復する中で研究者ばかりでなく、対話者、聴衆、読者の世界観までもが揺らいでしまう。その効果の大きさ故に、「人類学は面白い学問だ」と私たちは考えます。
本シンポジウムでは「世界観の揺らぎ」を主題に設定しました。発表者の揺らぎが会場の揺らぎと共振するとき、新たな世界観への手がかりが得られるのではないか。本音の議論をお楽しみ頂けたらと思います。

各報告者の発表タイトル:
織田竜也(長野県短期大学)「幻想の人類学序説 ―理論的課題と展望」
東賢太朗(名古屋大学)「救われるものは信じている?―宗教的フィールドでの「変身」
体験より」
木村周平(富士常葉大学)「呼びかけと公共性に関する試論(仮)」

2011年3月7日月曜日

細胞分裂

論文が大詰め。

去年10月に発表したワガドゥグで行われる「茶会」を事例としたものを文章化している。野暮用でずいぶん寝かせてしまい、結局締め切り直前でヒーヒー言っているのはいつものこととして、コメントをいただいた粗稿(粗すぎてすいませんでした)を見ながらもう一回改稿。

いつになっても書くのがヘタクソで自己嫌悪に陥るのだが、大概、テーマの絞り方が大きすぎて、本当は2,3本に分けてより深く、より「厚く」書かねばならないところを1つにまとめてしまおうとする。毎回この繰り返し。

そんなわけで今書いている論文は、発表内容から少しずれて、というか、もう少し前に戻って、書いている。この論文では「茶会」にまで触れないでなんとかしようと思う。そうなると、去年書きなぐった論文がベースになる。古い原稿を引っ張り出し、今回書いたものとつき合わせながら、再度検討と言う作業になった。

この前のコーラン学校ネタの発表も2本になりそうだし、勉強しなければならないことが山積み。今年中になんとか一通り文章にしたいのだけど…はたして…

2011年3月5日土曜日

支留比亜四露死苦

ゴミだしやらの家事を終え、大学に向かう前に、喫茶店に入った。

支留比亜(シルビア)という喫茶店で、名古屋では相当有名らしい。以前、今のあたりに住んでいた時に、1,2度行ったことがあった。研究室の先輩が、うちに泊まった時に「ぜひ近くまで来たから…」ということでご一緒させてもらったことがあった。 

少し気持ちを切り替えたかったので、支留比亜にコーヒーを飲みに行った。別にアイディアは浮かばなかったが、どうしても見たくなかった(しかも締め切りが迫りつつある)論文を通読、いただいたコメントも通読、今置かれている状態を再認識。100kgのバーベルよりも重かった自分の論文が読めた(読む勇気が出た)ので、支留比亜さまさま。

スペースは広いし、机はいい感じだし、珈琲もうまい。しかもBGMは聞こえるか聞こえないかくらいのジャズ。これから第2書斎として使わせてもらいます。

2011年3月2日水曜日

『インパラの朝』



tsujiさんに触発されて読んでみた。『インパラの朝』。



約2年間にわたる旅行の記録をブログに落とした文章が元になっている。ブログもその後拝見したが、この本と同様、なかなかおもしろかった。



僕もバックパッカーからアフリカ通いを始め、そのきっかけとなった問題意識もとても似ている。「彼らは本当に貧しいのか」、という疑問。そして、そこで「私に何ができるのか」、「私は何をして/すればいいのか」という、私と貧困、もしくは他者との付き合い方(これは読みすぎかもしれないが)。


彼女の視野の広さは、ユーラシアからアフリカ大陸という「旅行」にもう一つの視座をおいているところから分かる。この本を読んで、筆者の関心のコアには、上の貧困への問いと、もうひとつ、人の声に耳を傾ける、という旅人として正しい営みが読み取れることである。この意味で、自慰的なスタンプラリー・バックパッカーとは違う。


筆者はとてもストイックだが、決して優等生的ではない。ズルもするし、女の部分も使う。書かれた正義は軒並み破たんする時代、どちらかというと、彼女のたくましさとクールさ/クレバーさはそれなりに称賛したい部分だ。


あんまり比較しても意味がないかもしれないが、沢木耕太郎氏の「深夜特急…」と、読後感の比較レベルで考えてみたい。この二つの旅行記の差は、旅行された時代の差だ。それは、旅を取り巻く環境だけでなく、著者自身が育った環境こそ、「旅」に異なった色を与える。沢木氏の著は1970年代から80年代、まだヒッピー文化の影響を色濃く残す。一方で、90年代の退廃的なバックパッカー(もしくは「自分探し型」)の時代を越えて、すでに、自分を浄化してくれる辺境も他者もないことを織り込み済みで行われた旅、これが中村安希さんに与えられた環境だったのだと思う。これは、たとえば、ボランティアであふれかえるマザー・テレサの施設やらに象徴的に表れる。きっと沢木氏の時代なら、相当にもてはやされた経験が30年を経て、すでに色あせてしまう。


中途半端だがこの辺で。文章も熱からず冷たからず、とても心地いいので、一気に読めてしまう。間違いなく、最近の正統派旅行記としてお勧めしたい。


最後に…一番気に入らなかったのは、5人の評者が書いた帯のキャッチで、誰のもよくわからん。

2011年3月1日火曜日

「覚悟」の研究会

金曜日、土曜日と連ちゃんの研究会。金曜日は、前回のブログで書いたように、僕の発表。今後の研究課題を軽く揉んでもらったもので、土曜日は、まるはち人類学研究会。おかげさまで1年を迎えた。

1年の区切りのこの研究会、ある意味「区切り」にふさわしい発表だった。殊に、僕の同期の発表は、少なくとも、しばらくの間はこれで最後。そう。彼女はこれを最後に一旦研究の世界を離れる。一緒に入学したのが6年前。かなりの時間を一緒に過ごしているから、老けた(僕?)とか、外見的な変化はよくわからないけど、紆余曲折しながらずいぶん頑張ったんだな、と思った。

「覚悟」、やけっぱちな心持ではなく、十分にすべてのリスクを取り払ったうえでの勇気ある行動、これが今回の研究会の彼女の評価だ。

彼女はアフリカンダンスのダンサーであり、その仲間をフィールドワークする研究者でもある。「他者=被調査者」と「研究者」たる彼女の間で、限りなく「他者」に近い立場をとった彼女はある時は非常に苦しい立場に立っていたと思う。しかし、今回、彼女は、なんと、自分と「他者」を「他者」の目の前で語りきり、ともに最高のダンスを披露した。

なんかよかったなー、と思った。彼女のここでの舞台はとりあえず幕引き。同期として、いつかまた机を並べ、議論をしたいと思うけど、それはイッシャーラー。次に彼女に用意される舞台がどのようなものか、僕にはわからないけど、今以上に生き生きと舞える最高の舞台になるように。楽しみだ。

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2011年2月26日土曜日

研究発表@南山考人研

本当に小さい研究会なので、事後報告。

そこそこ書かねばならないこともあるのだが、新ネタ。そのうち「まるはち人類学研究会」で共同発表する内容で、コーラン学校の話をした。

この研究発表を考え始めた時に、いつもどこかに「NGO批判」を抱えていることに気がつく。NGOのセンセーショナルな言説は、いつもなにか違和感を抱かせる。決してそれは一般的な問題ではないのに、世論のイメージに合わせた言説をつくり、貧困の商品化をして、弱者の再生産をする。これでいいのだろうか…人類学に足を突っ込もうと思ったときの最初の問題意識が常に付きまとっている、そんな感覚を覚えた。

今回のコーラン学校の話は、移動するコーラン学校の話。雑駁にフィールドのデータと今まで少し勉強したことをぶちまけたような発表。西アフリカのイスラーム史、参与観察のデータ、聞き取りのデータを並べた。イスラームの知識と交易の歴史が影響し、さらに、現金主義化する都市世界におけるコーラン学校の生き残り等々をどのようにまとめるか。こんな話をした。

そのうち学会等でも発表するので、またこの内容はまとまり次第。

2011年2月22日火曜日

ZaiとDiguetto2

論文執筆と発表準備x2の合間に前の話の続き。



ブルキナファソはいわゆるサヘル地域にある。気候帯は乾燥サバンナとかサヘル気候とか言われる。どんな気候か、と言えば、やはりえらく乾燥して、乾期の終わりはくそ暑い。先日、今回の仕事で設置した気象計を見る限り、湿度は10%を切っていた。そのくそ暑い乾期の終わりには50度近くなることもままある。

そんなわけで、雨もそれほど多いわけではない。たとえば、東京の降水量は1,400mm、高知あたりの日本で一番降水量が多いところでは2,500mmとか、尾鷲あたりで4,000mm(小学校の時の記憶では…)とか。この地図(見にくいが)では、ワガドゥグ当たりで700mm、今仕事をしているコングシあたりでは600mm程度だろう。


前回、書きれなかった(今回も書けない)「土」。ここの土は、粘土質、砂質、後はこの地域に象徴的なグラニッド。どうみても保水力はなさそうだ。


そして、乾燥、こうした土から良く言われるこの地域の問題が、砂漠化とか土壌侵食。日本やヨーロッパの黒々して湿り気のある土はここではほとんど見られない(雨期になればそこそこなのだが…)。こんな土質なので、雨が降ると一気に表土が流れる。


表土の流出を抑えられれば、砂漠化はひとまず進行を止められる(実際は大した効果はないらしいのだが…)。そして、それ以上に目に見えるのが、収量の増加である。土が残ることが直接作物=植物の生育を助け、多くの実りをもたらす。
そこでようやくザイZaiとかディゲットdiguettoの話になる。そしていつになるかわからない次回に続く。
出典:Jaque Barret "Géopolitique du Burkina Faso" SEM

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2011年2月21日月曜日

うっかり…

昨日、日用品の足りないものをボチボチと揃えに外に出た。

まずまず暖かく、食料品やらなんやらを背負ったまま気持ちよくサイクリングに出て、家に帰る。来客があったので、そのまま夕食の準備をして、その日はおとなしく就寝。

今朝。昨日購入したヒゲそりの刃を付け替えて、切れ味の良さを堪能していると、もうひとつのヒゲそりの塊が…以前買ってあったものが発見されて、連れ合いからひとしきり説教を食らう。

最近、こういうのが多い。電池、クリップ、ボールペン、ライター…本をだぶって買うことは1回しかないが、細かいものがやたら増えている。うっかり…というか、モノ忘れが酷くなったというか…いやはや…