2014年1月28日火曜日

年明けと年度明け

つい先日年が明けたと思ったら、早くも1月が終わろうとしている。おそらく日本で生活する多くの人にとって、12月が終わるのが儀礼的な年末であるとすると、実質的に1年が終わって新たな1年が始まるのが3月から4月にかけてのこと。

ともあれ、儀礼的な年末年始が終わると、いよいよ実質的な年末を考えるようになる。つまり、仕事の契約が切れない限りは、一度は繰り返した新たなサイクルが始まる準備をすることになる。僕らの職域であれば、そろそろどの学会に出るか、とか、どこら辺でイベントや研究会をやるか、ということを考え始める時期になる。

と、同時に、自分の研究をどこら辺まで詰めていくか、論文をどんな風に書くか、などということも考え始める(ではいけないのだけど)時期で、大抵、目標を高めに設定するので、このあたりですでにいろいろとあせりだす。

人間活動一般、立てた目標を100%達成するのは無理な話で、手に余ったアイデアやら切り捨てざるを得なかった副産物を寄せ集めてまた新しい活動につなげていくわけで、そんなことの整理も、この辺でやってしまいたい。

とはいえ、まだまだ年度内の作業やら調査やらが残っているので、それも疎かにはできない。

と、合間合間にTo doを並べてはみるのだけど、今のところ、いかんともしがたいことがいくつも見つかり、始まってもいないことに対して途方にくれてみたりして、こんなところに吐露している。わざわざこんなところにさらす必要はないのだけど、後で自分で見返して、このときこんな仕事をしてたな、ということを振り返れるように…

・学会誌に投稿した原稿の改稿作業(もうちょい)
・依頼された原稿(アブストラクト提出→再提出原稿および本文の執筆)
・次回調査の手配(あと半分くらいか)、そして渡航(2月8日~3月14日)準備
・「宗教組織の経営」研究会(3月29日)準備(大体OK-事務作業少々残)
・来年度提出予定の環境系論文の執筆(文献資料は大体OK)
・そして、学位論文の準備(まだまだたくさんやることあり)

この前も書いたけど、とにかく来年度は書くほうに重きをおいていきたい。改稿中のものも含めて3つくらい、なんとかなるといいけど。と、少し早いけど、改めて年度明けの誓いをたてつつ。

2014年1月24日金曜日

都知事選に出馬した家入一真氏に思う

家入一真さんという人、年末だったか年始のNHK教育テレビの討論番組を見てはじめて知ったのだけど、その途端に都知事選に出られるとのこと、ホリエモンが指示ということで少し興味が湧いた。そんなわけで、TwitterでFollowしてみたり、Webだけだけどニュースで注目している。

家入さんの公約は以下の3点。

1つは「居場所のある街」東京を作っていきたい。多様性のある人達が生きていく場所をつくりたい。あとは、「仕事や遊びがとことん楽しめる遊べる街」である東京を作りたい。それから政治をもっと身近にしていく。特にインターネットを使って「政治に参加したくなる街」、そういう東京を作っていきたいと思っています。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/22/kazuma-ieiri-kaiken_n_4641901.html 20140124閲覧)

ご自身が引きこもりの経験があり、21歳でIT系企業を起業、同時に、引きこもりの時期の経験から弱者に居場所を作る、と言った、なんとも波乱万丈な人生を送られている。僕よりも年下で、なかなかのガッツ。ホリエモンも、立候補者が「おじいさんばっかりなんでどうなの?」(同上)、ということで、家入氏の「若さ」の部分を強く押し出しているように見える。

とても現代的な、そして、東京という世界一の大都市特有の問題意識から生まれた、候補者ではあるように思う。もしかすると、プロセスの問題かも知れないし、少々ジェネレーションギャップを感じてしまうのだけど、下の主張あたりは「?」をつけたい。

「「なんで居場所がないんだろう」「なんで就活しなければいけないんだろう」ということに、答えられる大人はいない。答える政治家はいるかもしれないが、正解とは思えなくて。」(同上)

この主張の上でなのだろうけど、Twitter(#ぼくらの政策)のトップに、こんな文言が踊る。(仮の?)ポスターの一節なのだけど、

「働かなくても生きていける社会にします」

「居場所のなさ」ということを聞くと、公園のベンチの「ひじかけ」(横になることを拒む)とか、若年ホームレスの問題やら、ドヤの問題やら、いろんなことを思い浮かべるのだけど、その次の「なんで修活しなければいけないんだろう」は僕にはあまり理解ができないし、「働かなくても生きていける社会にします」というのは、どういう仕組みを考えているのだろう、という疑問が湧く。もう一方で、「労働」という概念が「今の若者(なんて寂しい言葉なんだ!僕はもう理解できないのか…)」の中では変わってしまったのだろうか。ますます分からなくなる。

ただ、Twitter上に、

「宇都宮氏が75歳以上の医療費無料を主張しているが、若者差別甚だしい政策が多くて困ってるのも事実」(家入氏ではない方の発言。引用方法が分からないので要約)

という発言があった。僕は家入氏がこれを支持するのかは分からない。僕自身は、これはあまりに社会を水平的に見たもので、社会が時間軸でも動いていることを認識していない発言で、家入氏がいう、「働かなくても生きていける社会」と逆ベクトルにあるものだと思う。議論として、こういう発言があるのはいいのだけど、この辺の判断はネットを選挙に導入しようとする人たちはきちんと処理していかないといけないように思う。Twitterの種々コメントには含蓄の深いものもあり、とても勉強になるのだけど、こんな危うい発言も山ほど飛び交っているわけで、政治に責任を負わない人たちの発言(Twitter)まで言質にとられると考えると、オジサンは少々ネット選挙というのが怖くなってしまう。

いずれにしても、首相経験者が出てきたり、人道派弁護士が出てきたり、とてもにぎやかな選挙になってきているが、候補者も結果的にどうなるにしても、しっかりとした議論がなされ、それぞれ、また都民、強いてはこの国の政治に資する選挙でありますように、そう願ってやまない。

2014年1月22日水曜日

思い立って書き始めてみる。

砂漠化対策/防止の活動、研究に携わり始めたのが2010年のこと。ちょうど学振の研究員の任期が切れて半年後ほどたったころだった。当時、乾燥地とか、「貧しい」村で調査をする自信もその気もなかったので、自分の口に糊するため、と割り切ってはじめたが、はじめてみると意外に面白くて、しかも、それにかかわる今の仕事までいただけた。

こうやってブログで自分の研究のことを書いていると、如何に自分が怠惰で、能力が足りない人間かということを思い知るのだが、この領域の研究活動に関してもまさにそのことを感じてしまう。すでに研究を始めて3年が経過したのだが、農学的な知識は経験則の枠を出ないし、何度か学会発表をしたものの、まだ論文の一本も書いていないのだ。ボスにもやんわりと「そろそろ書いてみない?」などと言われる。

そんなわけで、来年度の投稿を目指し、これまでの研究を一旦まとめるべく、論文を書き始めた。足りない農学的な知見はボスやメンバーに少しお力添えいただき、この前の報告書などでも触れてきた、ローカルな知見についてまとめてみようと思ってる。

次々号の学会誌に間に合わせようと思うと、4月末が締め切り。一昨年から学会発表をずいぶんやってきたので、今年は「書く」方に力点が移りそうだ。

2014年1月21日火曜日

「調査」された。

机の上を整理していたら、この前の調査の被験者をやったときの書類が出てきたので、ちょっと書いてみようかと。今日3本目、史上最高回数だな(笑)。11月にこんな記事を書いたのだけど、その続き。

調査は1月8日~16日にかけて行われた。調査の内容は、オフィス内でのコミュニケーション。つまり、誰と、どんな内容(目的)を、どれくらいの時間、何のためにコミュニケートしたか、ということを申告していく、というもの。数十枚のシートを渡され、たとえ一言でも誰かとしゃべったらこれらを記述していくという段取りだった。

僕の席は一番奥の端。一端席についてしまえば、トイレかタバコ、後は必要がない限り、誰かと話をするということはないのだけど、実際、調査が始まると、より周囲とのコミュニケーションに気を使う。雑談でも、そう書かないといけなかったので。僕で一日7-8人程度としか話さないのだけど、事務担当の方は30人くらいとのこと。30枚も書いていたのか…と後で聞いて驚く。

とにかく、ここでこんなことを書くと申し訳ないのだけど、シート記入が億劫でいくばくかコミュニケーションの頻度が落ち込んだのは事実。

自分の調査に振り替えてみると、時々面倒くさそうに対応されるのに、逆にムッとしてみたりするのが如何にお門違いだったか、ということに気づかされた。なんとなく分かってはいたけど、今回はそれを実感した。

そんなわけで、できるだけ努力はしたけど、ちゃんとした資料になっていますように。あとはこれを反省材料に、もう少し気の利いた調査ができるようになりますように。

宮本常一『生きていく民俗 生業の推移』河出書房新社(2012年)


「人類学」と「民俗学」どう違うか、と言われると、今や古臭い言い方になってきたけど「異文化(他者)を扱う人類学」と「自文化を扱う民俗学」と理解しておけばいいのではないだろうか。実際のこれらの領域の手法や考え方はずっと複雑になってきて、もしかすると、この考え方自体、すでに間違いの部類に入ってしまうかも知れないけど、そこまでのことを突き詰める場ではない、ということで、この場はご寛容いただきたい。

さて、僕はそのうち人類学を学んでいる者なのだけど、やはり民俗学はとても気になる存在だ。もちろん、その手法やテーマといったものは然りで、自分が生まれ育った世界の世界観や暮らし(その多くがまったく体験したことのないものだったりするのだけど)、こうしたことに触れるのはなかなか刺激的なことだ。

そして、宮本常一をはじめとする、民俗学の先達たちの書く文章は真に美文。モノの描写、時代の描写、学ぶところが多い。そして、この本は、宮本が歩いて集めた「生業」を通した資料を基に、商業や職業の起こり、都市と経済の関係など、数多くのテーマをつむぎだしている。人びとの生活とその周囲について、実に豊かな記述を織り成している。

さて。中にこんな記述がある。権力構造による職人層の形成の文脈である。

「◎一人前
 自給生活はいうことは、実は素人の"間に合わせ"で暮らしていくということであった。したがって、そこに見られる技術はいたって稚拙であった。
 しかし貴族に規制する工匠たちの間には、高い技術が見られた。そして民間との間には大きな断層が存在していた。
 ところが、律令政治が崩壊して、中央政府の力が衰微してしまうと、これらの工匠の子孫たちは、しだいに民間に入り込んでくる。そしてそれぞれの仲間で同業者集団としての座を形成してくるが、それは自分たちの権利を守るだけでなく、自分たちの技術を伝えていくための組織でもあった。」(202)

中央集権的な「国家」の成立が社会分業論的な過程を生み出し、その後の日本に見られるようになった職業意識や職人文化を生み出していく、という構造を説明した箇所である。その後、

「封建社会にあって、都会が農村に対して働きかける力はきわめて弱いものであった。したがって、職人たちの作り出す品物も一般大衆を相手にして、つくっておけば誰でも買ってくれるというようなものは少なく、たいていは注文に応じて作ったものである」(216)

として、技術の質的部分に言及していく。構造的な記述を施しながら、この15ページの間に、ヒエラルキー、空間的な配置、そして人の動態までが語られる。実に鮮やかな社会構造記述、こうした記述からはみ出た部分(何をやってもすべて書ききれるものではないが)には、赤松啓介あたりに柳田が書かなかったことが批判されるように、人間の見られたくない部分がある。僕はあまりよくしらないけど、いろんな批判はあるはずななか、やはりこういう記述の手法や機能主義と構造主義では割り切れない社会の描き方とかはとても勉強になる。

これからどれくらい読めるか分からないけど、もっとこういう本も読まねばな、と思う。



とあるアフリカ人の話

ちょっとしたきっかけから2人のセネガル人と食事をした。特に調査…というつもりはなかったけど、最近は職業病か、こういうシチュエーションになるとなんとなくその人がどんな人なのか、気になってしまう。最近はずいぶんご無沙汰してしまっているけど、日本に暮らすアフリカの人たちは、院生時代に2番目の研究テーマとして考えていた人たちだ。

2人のうち、特にAさん(仮名)のことを、なるべく脚色を付けずに、メモ的に書こうと思う。

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Aさんは、30代後半。実は6年ほど前に現地で一度顔を合わせていた。それほどじっくり話したわけではないので、お互いにほとんど覚えていなかったのだけど、こういうことも縁、と思い、食事をしながら話を始めた。

しばらく用事について話したのち、僕らは家族のことを話し始めた。いつ日本に来たのか、結婚をしているのか、子どもはいるのか…Aさんに話が及んだとき、彼は口ごもった。だけど、話たくない風ではなくて、どう言っていいのかわからない、そんな感じだった。Aさんは「長い話だ」と断り、彼のことを語りだした。

Aさんは、セネガルで知り合ったBさんという女性と知り合う。なぜBさんがセネガルに渡航したのかはわからなかったが、とにかく、AさんとBさんは、セネガルで知り合うことになり、Bさんの何度目かのセネガル渡航のときに、Aさんとの間に子どもを授かった。父として、そして、夫として、AさんはBさんのそばにいるべく、日本に渡航する。2008年のことだ。Aさんは渡航するも、例によってまともな仕事にありつくことは至難の業。6ヶ月間、簡単なアルバイト以外には仕事が見つからず、Bさんはそんな稼ぎのないAさんに食事すら与えなかったという。そして、Aさんは何とか仕事を得(職種は伏せる)、二人の間に娘が誕生した。

しかし、それから1年ほどがしたある日、Aさんが仕事から帰ると、部屋にはAさんの洋服以外のものすべてがなくなっていたという。Aさんは5分ほど立ち尽くし、パニックに陥る。警察に行き、事情を説明し…しかし、「警察は日本人を守って」、Bさんを探すことすらしなかった。そして、その翌日、彼の元に、30万円の請求書が届く。AさんがBさんに渡していたお金から家賃を払っていたはずなのに、Bさんは払っていなかったのだ。大家さんの温情で、すぐに退去させられることはなかったが、Aさんは少しずつ、お金を返していく。

その後、Aさんは別の女性と再婚したが、Bさん、Bさんとの間の娘にはそれ以来一度駅で会ったのが最後。すでに娘は父の顔を忘れ、Aさんの顔を見て怖がったという。その娘も今年で5歳。Aさんは「きっともう何もおぼえていないだろう。そろそろ娘は自分の父はどこか、とBさんに聞くだろう。そして、彼女は、あなたの父は死んだ、というか、いなくなったと説明するだろう」という。そして、結婚するときに分かったことらしいが、Bさんは実年齢を10歳も若くAさんに知らせていたと言う。
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何度もうそをつかれ、娘とも引き離されたAさんに同情し、また、それでも「日本にもアフリカにもいい人もいれば悪い人もいる」と達観する彼の言、僕の目の前だからそう言ったとしても、彼の人間愛には感心するばかりであった。以前、バレンタインさんの話を少し書いたが、彼の場合は権力、Aさんの場合は、どうもある個人の人格的な問題(たぶん、お互いに分かり合えないままに結婚生活を始めたのではないか、と思うのだけど)、この国に暮らすアフリカ人には少々つらい現実が多い。僕は、だからイコール、「日本」とか「権力」にその責のすべてを負わせてしまうことはロジックではない、そんな風に思う。もちろん、このままではいけない、と思うのだけど、権力の源泉には個人があり(ちょいネオリベ的だけど)、その個人はある社会の中で培われた風潮や印象の中で生活しているのだし、僕らからは見えない人をそのまま非難するのは何の問題解決にもならないように思った。そんな意味でも、日本でのつらい現実を受け入れて、彼の肌感覚のある範囲の人のことを語る彼にはとても感心した、そんな夜であった。

2014年1月16日木曜日

Global Food Index(Oxfam)の政治性

またこういう記事を書いているとお世話になっている業界の人から嫌われそうなのだけど、やっぱり書かざるを得ない。

Oxfam UKが先日Global Food Indexというのを公開した。実に分かりやすくて、よくできた指標だと思う。しかし、いくつかの「ただ」をつけてみると、やはりどうも怪しい。
 

一応、こんなのが出てくるのだけど、一目して、アフリカの国々(緑色)が下位にあり、欧米諸国(水色)が上位にあって、その間に中南米(紫)、アジア諸国(ピンク)が間にあるのがよく分かる。まあ、一歩譲って、そういうものだろう、と思う。
 
このページの説明書きにもあるけど、データは8種類のデータを使用。データソースは国連機関で、直接見られるIndexは、Enough to eat(十分に食べられているか?)、Affordability(価格)、Food Quality(食事の質)、Diabetes & Obesity(糖尿病と肥満)の指標だ。ファストフードに塗れた僕らの日常生活に対してはなかなか示唆的な指標だと思う。
 
 
出典同上
 
それで、Diabetes & Obesityをクリックしてみると、こんな指標が出てくる。総合評価のほぼ入れ替わったものがここに出てくる。確かに、満足に食べられないとされる国が上位に、逆に、メキシコとかアメリカと言った、やたらたくさん食べそうな国が下位に位置づけられる。
 
そもそも、、「いかに腹をふくらかすか」に重きのあるアフリカが上位にあり、その国々に肥満と糖尿病が少ないのは自明。それが健康的なら、多少飢餓状態の方が健康的、と読めてしまう。どこまでこういう皮肉な現象を意図的に扱っているのか、このホームページからは読み取れなかったが、少々ナンセンスだな、と思う。
 
こういう指標が指標の枠を出ないのが、食習慣や地域的文脈、都市と農村、また、地域の食材などが、切り取られているのではないか、という懸念だ。たとえば、平均寿命などを加味したとしても、健康的であることとと食生活の健全さは必ずしも正比例しないので、食生活の評価にはつながらないはずである。
 
この辺を考えると、こうした指標が開発援助に直接反映されていくことが相変わらず恐ろしい。マスデータの出所自体が疑わしい部分が多いのと、マスデータがミクロデータの例外的な(でも重要な)部分をすべて無視してしまっているような気がする。この辺は情報のリタレシーの問題だけど、マスデータをそのまま使わないこと、そして、こういうデータを面白がれる(もしくは、批判的に見られる)感覚や「貧しい」人や地域に同情することがいかに恐ろしいことか、という感覚を養うことについてもっと議論が進むといいと思う。おそらくはこのIndexは格好の材料だと思うので。
 
 
 
 

2014年1月13日月曜日

Blogger調子悪し

数日ぶりに更新する。書くことがなかったのもあるけど、家で使っているPCの調子が悪い…のか、Bloggerが悪いのか分からないけど、家で更新できない。結構、仕事しながらブログをアップしたりはしているけど、仕事が詰まってくると仕事中はなかなか厳しい。

というよりも、家のPC(Vaio)からだけできないと言うことは、そろそろ引退させることを考え始めねばならないか…買ってすぐのころから、タッチパネルが過剰反応したり、メモリが小さくて早々にバグが出たり、やたらSonyからメールがきたりで、割とイライラさせられたような気がする。でも、購入から3年半、長持ちしているのか、どうなのか分からないけど、時々手を入れてやると、きちんと答えてくれたようにも思うので、そのあたりは悪くなかったか…

と、なんかブログのプロバイダの話を書くはずだったけど、パソコンの買い替えの話になりそうなので、この辺で。

3連休、食事会を一度やって、昨日は寝正月再び、今日は仕事。なんかあんまり変わったことがなくて、仕事もあまり進まなかった、ということで。いい加減正月気分から抜けないといけないな…(ちゃんと休日出勤しとりますが…)

2014年1月8日水曜日

報告書完成!

前回の調査の報告書がようやく終わった。とりあえず委託先には年内に提出済みで、現在修正作業中。内部への報告もこれで一段落。

ちょっと時間がかかったのは、今まで「アンドロポゴンの調査」と呼んでいた、土壌保全のための在来知の調査という、本調査の合間にやっていた調査のまとめに時間がかかったから。この辺の資料の整理もまとめてやっていたら、レポートの類で100ページ以上書いていた。そろそろ論文になりそうな雰囲気だけど、決定的に足りないのが、実証的なデータで、アンドロポゴンやらの植物を植えることでどれだけ水の流れを食い止められるか、ということだ。
 
 
なにがどこまでローカルの知恵なのか、ということを考えるだけでも十分に価値のある研究なのだけど、「じゃあ、どれだけ食い止められるの?」と聞かれるとなんとも言いがたいのが現状。写真のように、畑の境界にこんな草を植えたりする(写真)のは、かなり浸透しているのだ、ということは分かっているのだけど、すべてが経験知で、それを実証的データで裏付けたい。
 
何度かこのブログにも書いたけど、この近くでは、かなり金が採れる。金のせいで、ところどころの村で耕地を放棄している様子も伺えたし、こんな草を植えて経済的なインセンティブを誘引する、という僕らのプロジェクトの思惑はずいぶん貧しいインセンティブに見えてしまう。でも、明らかにこういう草を植えたほうが効果は薄いながらも、安定的に、そして簡単に現金を得ることが可能だ。これはここのあたりの農家の人たちが経験知としてよく知っている。あまりこんな言葉は好きでないけど、いわゆる「持続可能な技術」なのだ。なので、「人屋」(人類学では、「サル屋」と比較してこんな言葉を使う)としては、こういう技術を採用している人の営みに大いなる興味を抱く。
 
こんな二つの方向性を考えながらこの調査を進めているのだけど、さて、どこまでいけるか…とにかく、毎回少しずつしかできない調査なので、一回一回、こうやって少しずつ書き溜めていくしかないのだろうな…

2014年1月6日月曜日

佐久間寛(著)『ガーロコイレ ニジェール西部農村社会をめぐるモラルと氾濫の民族誌』平凡社(2013年)


正月に本屋をブラブラしていたらこの本を見つけました。年明けに出勤しだしたらすぐに購入しようと思っていたら、なんとご献本いただきました。本当にありがとうございました。じっくり読ませていただきたいと思います。

著者の佐久間さんには昨年地球研で行った「西アフリカのイスラーム」研究会にお呼びしてご講演いただきました。もちろん学会で以前からお顔は存じ上げていましたが、なかなかお話をさせていただく機会もありませんでした。しかし、ただでさえ少ない西アフリカ研究者、また、非常に優れた研究者でもある、ということで、研究会のメンバーとはやはり一度お話を聞かせていただこう、ということで、何とか研究会にお呼びすることが叶いました。

先ほどいただいたばかりで、まだ目次をパラパラめくった程度ですが、「親族」、「首長」、「土地」と言った社会を規定する重要なキーワード、おそらくは、いや間違いなく重厚なデータに裏付けられた図太い論文であることはまず間違いないでしょう。先日のご発表のときには、「情動」というキーワードが印象的でしたが、きっとこの本でも鍵概念になってくるのではないか、と想像しています。

新年早々、すばらしいお年玉をいただきました。ありがとうございました。

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2014年1月5日日曜日

貧乏性の寝正月

今年の年末年始は最大9連休。たっぷり9連休になったうえ、管理部から指導を受けたので、溜まった代休を年末にとり、結局、連休は13連休に膨れ上がった。おカネもないのと、連れが年末年始にバイトをするとのことで、13連休のほとんどを家で過ごした。こんなこと、ここ10年を考えてもほぼなかった。院生の時でも、結局そんな休み方をしなかったし…

家でも年内締切のいくつかの原稿を仕上げたりして、大晦日から元旦にかけて徹夜仕事だったけど、そのあとは所謂寝正月。のんびり、といえば聞こえはいいが、まったく性に合わない。昨日は後輩が京都に来ていて、お昼を食べたりしたけど、さすがにいてもたってもいられず、今日は午後から今年初出勤。家で少しくらい本を読めるだろう、と思っていたらまったくそんなことはなくて、こたつでウトウト、ちょっとTwitterやらFacebookやらやって、ウトウト。食べて飲んでウトウト…明日からの勤務開始前に、原稿の打ち出しやらコピーやら整理やらやっていたら、もうこんな時間。少しは日常を取り戻せた感じがする。

基本的に貧乏性なので、仕事場が恋しかった、新年早々だった。今年も頑張ろう!

2014年1月4日土曜日

鈴木創(2013)『なごや 古本屋案内』風媒社

そしてもう1冊。これは、今日本屋でたまたま見つけた。

最初に感想を言ってしまうと、実に、実に味わい深い本、こんなかんじだろうか。そして、院生時代の7年間を過ごし、そして、通った古本屋、今更オッチャンたちのこだわりが読めて割とジンとさせられた。

この著者はシマウマ書店という、名大近くのおしゃれ古本屋の店主で、僕自身、この著者ともおそらく一言二言交わしたことがある。僕の専門の人類学でも宗教方面の本が割とあったのと、文庫の揃えが好きで、この本屋には月に2,3度は通っていた。それよりも、このシマウマ書店の向かいにある、脇田書店は週1くらいのペースで通っていたので、思い出深い。この本屋が8つも倉庫を持っていたことなど、初めて知った。とにかく、最初は高いな…という印象があって、なかなか通うまでにいかなかったのだけど、ある日、思い立って2万円くらい買ってからはずいぶん安くしてもらえるようになったのを覚えている。この本に出てくるオッチャンの話を読んでいて、古本屋を巡る人は少なくなったけど、一定のマジメな学生がいて…という件、僕もその中の一人として見てもらっていたら嬉しいな、と思った。

残念ながら、2軒ほど、気に入っていた古本屋が載っていなかった。結構味わいのある古本屋なのに。でも、こういう記録はきっと必要だろうな、と思う。本と向き合う仕事をしている者として、そんなことを思った。

速水健朗2013『1995年』ちくま新書

正月を休みすぎて夜中に目が覚めた。年末に読もうと思っていて結局読めなかった本に手をかけたら止まらなくなった。

1995年、僕にとっては皆さんより2年ほど遅れて、(当時)暗鬱として行きたいとも思っていずに滑り止めで入った大学に通い始めた年だった。ちょうどサリン事件が起こった日など、今も手元にある中華鍋を買いに合羽橋に行っていて、危うく巻き込まれそうになった。あと、阪神淡路大震災に始まるボランティアの興隆は、自分自身の仕事につながっていたり、時代として自分の中に刻み込まれたさまざまなことがこの年から始まっているので、僕自身にとっても忘れられない年だ。

僕の時間感覚でもそうで、こんな話もこの前の講義の時に話をしたばかりだけど、すでに20年近い時間が流れたことが信じられないほど、1995年は2014年から差を感じない。速水氏も最後にそのことを言っていて、確かに、1995年から5年前のバブルの最後の年1990年とこの本が出た18年後の2013年では、いろんな意味で1995年は2013年に近い。鈴木謙介氏の言を借りて、「(1995年に)「何かの終わり」を見出す人と、…「何かの始まり」を見出す人とのふたつの人種がいる」(7)としている。世代によって見方が大きく分かれそうなところだけど、僕の感覚では、今、僕らの周りで起こっていることがこの年に始まったのだと思っている。そして、なんとなく、そこからマイナーチェンジはしているけど、大きな流れは全く変わっていないのだと感じている。

今、ぼんやり考えていることがあって、それは、日本のNGO史のようなものをいつかまとめてみたいな、ということ。どんなことかというと、何十年も前から欧米のNGOが巨大化・専門化し、所謂「市民」が政策決定や世論形成に大きく影響を与えているのに、日本のNGOが「ボランティア元年」と呼ばれた1995年以来、それほど大きな成長を遂げないのか、という、ここ数年間抱いている疑問からなのだけど、きっと1995年あたりから探れば何かが言えるのではないか、と思っている。速水氏も震災から始まる「ボランティア」、田中康夫の転身に絡めてこのことを少し述べているのだけど、なんか、そういう時代的なものの中で位置づけることもできるな、と。あと、前に知人たちと話している中ででてきた、旅のスタイルの変化とか(この詳細は企業秘密)絡めてみると、実に文化的な角度からいろんなことが見えてくる気がしてきた。

これ以上は内容に触れないけど、読みやすい文体、データも新書レベルにしては充実しているし、なかなかの好著かと。なにより、僕らの年代以上の人にとっては、「あー、あったね」を連発すること間違いなし。

2014年1月2日木曜日

明けましておめでとうございます。

無事にそして静かに新年を迎えました。
 
年末ぎりぎりまで仕事に感けており、新年のご挨拶すら遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。
 
なぜか徹夜仕事になったので、一睡もせずに如意が岳へ。真っ暗な中、銀閣寺傍にチャリを止めて、山道へ。事前にネットで調べたら「意外にきつい」と書かれていたのだけど、それ以前に真っ暗。ただ、その中で割と人も多くて、多くの人がよく慣れているようで、みなさん懐中電灯を持っている。
 

暗闇の中に、こんな表札があり、そのあとはブログの通り、なかなかの山道。運動不足の我われは休み休みに、登っていく。
 
そして…



絶景。京都一望の景色。
本当は初日の出を…と思っていたけど、結局東側を望めず、そして、小雨が降っていたので、あきらめたが、この景色で代用することに。先を見通せる素晴らしき一年になりますように。

帰ってから膝が笑ってしまうという、新年にふさわしい福々しいおまけまで。