2009年8月31日月曜日

正常化

ここ6年ほど、メールソフトはYahoo!Mailを使用している。アドレスを気に入っているわけでもなく、漫然と慣例的に。

先週水曜日あたりから、全くYahoo!が開かなくなった。便宜的に最近つくったG‐Mailは開いたし、たぶんHotmailも開いた。他の人にも聞いたらYahoo!フランスもYahoo.comも開かなかったらしい。HPは開かなくて、Blogは開く、とか、単に容量の問題だったのか、Yahoo!の問題だったのか…原因はよくわからない。

なんとか今朝がたから復活。たまったメールの処理をして午前中が終わる…

「IT格差」という問題も以前から指摘されている。ブルキナファソを支える農家や「インフォーマル・セクター」と呼ばれる人たちにはさほど関係なかったはずだが、役所ですらフリーメールソフトを使うこの国のこと。特にYahoo!の利用率は高い。おそらく、国際的な経済活動に携わる人、役所ともにほぼ活動がストップしてしまったことになる。この国の経済規模も小さいし、週末がからんだこともあり、体勢に影響はないはずだが、いやはや、恐ろしいことではあります。

2009年8月28日金曜日

新聞をひも解く。

ゆっくりとしか進まない調査。先日、長い時間聞き取りができたハウサ人のA氏。その友人からも、2003年当時の聞き取りを行ったが、すでに5,6年も前の話。日時はおろか、月すらあやふやになっている。

彼らの話によれば、都市計画プロジェ・ザカProjet ZACA(ZAKAとも書く)の工事が始まる前夜、彼らの抵抗運動は最高潮に達したという。「前夜」と書いたが、どうも、昨日とかいう感じではなく、1か月前と言う人がいれば、数週間前という人もいる。グレーヴ(デモ)は計5回ほど繰り広げられたらしい。その回が進むたびにデモの規模が大きくなったという。

そこに住んでいた人たちの思いや現在の生活はフィールドワークからなんとかひねり出さないといけないが、客観的事実は彼らの記憶だけではいかんともしがたい。細かい作業は不得手だが、これしかないか…と思い、今日の午後、IRD(開発調査研究所)という資料室に足を運んだ。

不本意ながら、ここの資料管理は全く信用していない。最悪フランスに持ち越し…ということも頭を過ったが、幸い2002年ころからの主要3紙の新聞は無事に残っている。約2時間。新聞とにらめっこをしていると、ボチボチとプロジェ・ザカの記事や広報が出てくる。予算の出所、立ち退きの通達記事、住民の規模諸々。なかなかの収穫である。

ただ、約半年間が3誌分…2時間で1か月分ということは、有に一ヶ月くらいはかかりそう…少し気を失いかけた午後だった。

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2009年8月24日月曜日

待つ…

先ほど、隣のガーナから帰国した。中3日、往復の移動時間が50時間という何とも効率の悪い旅になってしまったけど。

ガーナにいるのは、マスター同期入学で現在青年海外協力隊として活躍するN。心から好きになることのできない、協力隊、という仕事を敢えて選んで行った彼女には出発前にずいぶん辛辣な皮肉を浴びせかけたように思う。ずいぶんいろんなことを考えている人ではあるし、天才的に人を和ませる力を持った人なので、言うだけ言ったらどんな世界でもしっかり生きて行く人だろう、と人ごとながらなんとなく自信も持っていた。Nはとても生き生きしていた。いろんな仕事を抱えているみたいだけど、まあ、充実していそうな顔を見られればよし、ということで、それほどたくさん話も聞かなかったように思う。いずれまたどこかで接点も生まれてくることだろうし…

で、「待つ」というのは…今回のガーナ旅行でひたすら繰り返した行為で、いわば待ちくたびれたわけです。

①タクシー 往路のアクラ着はAM3時。さすがにタクシーなど頻繁に通るわけもなく、約1時間のタクシー待ち。
②ホテルの水 どうも頻繁にタンクのバルブを閉めているらしく、毎朝毎晩頼まないとバルブを開けてもらえない。昨日の朝は、起きてすぐに頼んだのに、30分以上水が出ず、結局顔を洗うのもあきらめる羽目に…
③再びホテルの食事諸々 このホテル、反応が良くない。食事を頼んで、30分。紅茶を頼んで30分。部屋の下に、立派なガス台と5,6人のスタッフが見えるのに…
④バス 

④これが酷かった…復路。本当はクマシでもう一日…と思っていた。しかし、翌日バスがないことが分かり、急きょそのままブルキナに向かうことにする。2時半に乗り場につき、4時の出発。幸いにもチケットはあるようだ。チケットを買い、出発までNとご飯を食べることにする。

4時…来ない。「まぁ、アフリカだから…」
5時…来ない。「う~ん、おかしいな…」
6時…来ない。「Nさん、先にホテル行きなよ。」というわけでNと別れる。
7時…来ない。周りが騒がしくなる。スタッフがやり玉に挙げられ、ずいぶん責められている。
8時…来ない。スタッフ氏「今日はキャンセルした方がいいかも…」という弱気な発言。
8時半…来る…

詳しく書くと、その後、ボルガテンガという街の直前にバスのエンジン故障。バスの乗り換えのため、停留所で1時間、国境で2時間、ブルキナファソに入って税関の抜き打ちチェックで1時間…

いやはや、待ちました。いろいろと。

2009年8月16日日曜日

ワガドゥグのHausaコミュニティ

本当は2,3泊する予定だったのが、いろいろと予定が入り、結局1泊のみとなってしまったが、Aさんのところでホームステイしてきた。

Aさんは西アフリカの商業民族、ハウサの出身だ。Djiboというブルキナファソ北部の街を出たお祖父さん、お父さんの世代からワガドゥグに住み着き、彼は2.5代目といったところか。彼が育ったザングエテンという地域が今回のメインの調査地なのだが、実はザングエテンと呼ばれていた地域は今は荒野と化している。何度もこのブログでも取り上げたが、都市計画で2003年につぶされている。

タイトルには「コミュニティ」という言葉を使ったが、正確には地縁的なコミュニティはAさん宅のあたりにはない。ワガドゥグの西の果てにお父さんと兄弟姉妹数名が同じ敷地に住んでいる。Aさんにはすでに4回にわたってインタビューをしているので、そろそろ気心が知れてきている。ぼくが何をやりたいのか、とか、なぜここにいるのか、も大体わかってくれている。

Comment chez toi.(あなたの家のように【使ってください】)

と言って、彼の部屋に通された。イスラームらしい。額面通りに適度に図々しく、多少気を使いながらお世話になることにする。

とにもかくにも、しばらくは彼に張り付いていろいろなことを聞かなければならない。彼の金魚のフンになって、彼の仕事場にもお邪魔する。彼の仕事はネックレスづくり。またもや民芸品店に行く。しかし、僕の友人たちとは面識すらない様子。発見である。宗教、民族による住み分けがはっきりと見える。以前もその地域を訪れたが、かなりそっけなくて相手にされなかった。しかし、Aさんと一緒だと、なんと愛想のいいことか…このあたりのことを何気なく聞くと、その地域では、ハウサしか話さないとのこと。イスラームグループのことや、ラスタのこと、かなりはっきりと意識しているようだ。そのうえ、今回の調査である程度見えてきているザングエテンのこともかなり詳しく聞ける。 

たくさんの収穫を得て、Aさんの部屋に戻る。すると、午前中は出かけていたAさんのお父さんが帰宅している。彼の父は、丸いメガネをかけた、実にインテリジェンスな雰囲気を漂わせる「紳士」。こちらの趣旨を話すと、遠慮勝ちに、「私はザングエテンのことはあまりよくしらないんだ…」と。「歴史はあなたたちが作っているんです。もしご迷惑でなければ、あなたが見たこと、経験したことを話してはいただけないだろうか…」と説得を試みる。「では機会を改めてお話しましょう」と。大成功。

その夜、久しぶりのティーパーティ。蒸し暑かったこの夜は、家の外に蓆を引いて行った。ザングエテンの古き良き時代。汚い街だったけど、夕方になると、どこからともなくお茶を煮る匂いがしたもので、そんな話をしながら、実は初めてのマスターを引き受ける。時折停電になり、蚊に刺されながらも、気がつくと20人ほどの隣人たちが集まってきた。夜は更けて、我々が床に就いたのは0時を過ぎていた。

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2009年8月14日金曜日

遅まきながら…

本格的調査開始。シガラミが山ほどあるのは、こちらの滞在が長くなってきた証拠で、ここまで来るのにずいぶん時間がかかってしまった。

せっかく首都にいるのだから、ネット環境が欲しいと思い、いろいろ右往左往して、寝床の確保も一か所に落ち着くことはないけど、相変わらずオヤジ氏に頼りながら逃げ場を確保した。少々アクロバティックな調査準備期間だったのは仕方ないか…

今日はラスタのお友達のところへ。クワメ・ンクルマ通りで一日を過ごした。ずいぶん前にリーダーのラミンが一時抜けて、グループは崩壊したかに見えたが、彼がストリートに帰ってきて約半年。前のメンバーもずいぶんと戻ってきた。新しく入った数名とまじりあい、どんなパワーバランスになっているかを観察していた。やはり、話の中心にはラミンがいた。

しかし、あとでこっそりと呼ばれて、ずいぶんしんどい状況を説明される。先月、お父さんと妹を相次いで亡くし、お金がなくて実家へもなかなか帰れないとか…彼の実家へは来週月曜日から1,2日の予定で訪れる予定にしている。ちょっとした無心もあったが、これも仕方なし。長いこと世話になっているので。

久しぶりに一日外に出ると、強い日差しの下、ずいぶんと日焼けする。少しヒリヒリとする肌の感覚がちょっとした調査の実感だったりもする。

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2009年8月6日木曜日

ワガドゥグのアジール「側溝」





47haにあった「近代的」建物以外の建物が取り壊されたワガドゥグの中心街。通称プロジェ・ザカ。ワガドゥグの「近代化」政策の一部である。


数日前、この地域を知人女性と歩いていた。他のNGO関係者と食事をしにいくところだった。彼女はカメラをむき出しで持っていた。ちょっと危ないかな…と思ってはいたが、街の写真を撮りたい、と言うので、放っておいた。


この地域を過ぎ、僕の調査地クワメ・ンクルマ通りへ。そして、そこを越える。ここのところ、ワガドゥグの街は停電が多い。街は暗かった。

←の写真は、半年ほど前、ストリート・チルドレンを調査していた時に撮ったもの。プロジェ・ザカ全体に張り巡らされている。深さは区々だが、深いところで大人一人が立って入れるほどになる。ここは彼らが寝床にしているところだ。

そして、事件は起こった…

僕の後ろを歩いていた彼女は、突然カメラを引っ張られ、この側溝に吸い込まれるように引きずり込まれる。叫び声…気づいた時には半身が側溝にはまっていた。必死に引き上げようとするが、下に引く力とそれを上にひっぱる力。どんなに力の差があっても後者が不利。どれくらいの時間がたったか分からなかったが、とにもかくにも、彼女の無事を確保して、すぐにその場を去った。

「アジール」…「聖域」とか「自由領域」とか「避難所」を意味する社会学とか歴史学とかの言葉。たとえば、ユダヤ人のゲットーとか、駆け込み寺とかがその例としてあげられる。もしかして、ワガドゥグの街に張り巡らされている「側溝」もアジールになっているのではなかろうか…

「近代国家」ブルキナファソ政府は「近代的」なものとして、この得体のしれない世界の住人達を駆逐しようとしている。これよりさかのぼること、数か月前、ここからほど近い地域の「側溝」の住人達を無差別に射殺した、という。しかし、この事件の時、僕が最初に目を合わせたのは、どうもこの「側溝」の住民ではない。「側溝」の住民は、物乞いをすることがせいぜいのいわゆるストリート・チルドレンであり、暴漢は20代も後半くらいに見えた。手口からしても、確実にプロだ。どこにラガーマンの中でも力の強かったおっさんより力の強いストリート・チルドレンがいるものか…

2009年8月2日日曜日

無責任な雨乞い




少し前になるが、オヤジ氏とスタディ・ツアーで来ていたT氏とともにKoubriへ小旅行。右の写真がオヤジ氏の孤児院にほど近い溜池。普段、雨季だとこんなところから写真が取れないほどというのは、オヤジ氏談。


土の色を見てもらえれば分かるが、少々黒っぽい。他の場所は赤、赤褐色の西アフリカ特有のグラニッド 層だから、ずいぶん違うのがお分かりかと思う。





そして、オヤジ氏に誘われるままに豚肉(←)をがっつく。500円ほどで1kgはあろうかという肉の量。これが旨い。

そんなわけで、雨が少ない。私が来てからはボチボチ降っているように思っていたが、この溜池を見て、今年の作凶状況が思いやられる。3日前は今までの借りを返すかのような土砂降り、そのうえ、翌明け方5時ごろから午前中いっぱいシトシト雨。昨日、今日はずっと曇り。曇っとらんで、さっさと降りゃいいのに。

とか、ビールを飲みながら思う今日この頃。雨が降ると調査ができないので、自分に言い訳がつくだけなんだけど…


ちなみに、左の写真は「強く、美しい」という意味のBeaufortというビール。最近のお気に入りビールなのですよ。 こちらはそろそろ夜中なのでお許しを。

サボっとるように見えて、たぶんやっぱりサボっとるのでしょうが、今日は調査紛いのこともやったし、家探しも一歩前に進んだので、お疲れビールにて。

あっ、やっと「赤提灯」にふさわしい酒の話。




仮の宿(Auberge la roses des sables)


ブレブレの調査を象徴するように、未だ宿が決まらない。知人の家に転がり込んで調査することにしている。人類学の調査では当然の話だが、実はひとのうちに泊りこんでの調査は今回が初。おはずかしながら。
ただし、村ではないので、どこかの家族に部屋が空いているなんて言うことはそうそうない。先日会った、B市で調査するEさんなどは数ヶ月間友人と同じベッドに寝ているのだそうな…さすがに耐えられんと思うが、似たようなことはしなければならない。
とりあえず、調査をしようと思っている、ワガドゥグ南縁部のトラムダキュイの知人とは本日再会。ハウサの話を聞きながら、「実は…」と事の経緯を話してみる。「電気はないけどいいか?」というありがたいお言葉。今日以前にも親友Lから「うちでよければ…」という申し出もあった。ポジティブに捉えれば、チョイスがあり、とても恵まれた環境にあるということ。しかもそれぞれ気心が知れているから、どちらに行っても良いだろう。
ブレブレの調査。トラムダキュイは市街地から15kmほど離れている。間違いなく、資料室へは通わないといけないし、ワガドゥグ大学にもいくつか用事が出来そう。トラムダキュイに入ってしまったら身動きがとれんし…ここ数日間の悩み。
写真は仮の宿。以前NGOの仕事で20日間ほど投宿したことがあるAuberge Rose des Sables。ここ数日間で書類を一気に仕上げるべくホテル住まいをしている。このホテル、スタッフもよく知っていて、安い上に居心地がいい。友人T曰く、「初めて会ったらまず避ける」というほど人相の悪いBenはここのホテル付きのドライバー。でも非常にひょうきんでまじめなおっさん。ブルキナファソに来られる方にはお勧めです。

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