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1月, 2017の投稿を表示しています

研究会情報(1月29日@名古屋、2月1日@広島)

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昨年3月にセネガルはサンルイで開催した ワークショップ 「Des vies d'enfant en Afrique' 」、ご自身が当日不在であることがもともと分かっていたにも関わらず、この開催の会場、セネガル側の発表者とコメンテーター、食事やコーヒーまで手配してくれた、影の功労者フレデリック・ルボーさんが日本にやってきます。 実は、ご自身の研究が、崇教真光という高山に総本山のある宗教者たちのセネガルやコート・ジボアールにおける活動についてのもので、本来、もっと早く日本にもいらっしゃっていてもよかったのですが、今回が初来日。しかし、日本の宗教がどのようにみられているのか、また、伝道者がどのような活動をしているのか、彼女のプレゼンへの興味は尽きません。 しかも、今回は、名古屋と広島、という地方都市のみでの開催。こういうのも戦略的にやれるといいですね。ともあれ、楽しみです。 にほんブログ村

子ども研究と子育て Vol.11 立つ

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最近の貴一朗(いつも貴一朗ばかりだけど…)、「ダメ」と言われたことをわざわざやるようになってきました。僕が片付けをしないのがいけないのだけど、書斎もなるべくなら入ってきてほしくないところ。 居間に隣接した書斎。ふすまを開けると、貴一朗が入ってくる。僕の足にしがみついた貴一朗をパシャリ。 夕飯を食べていると、明日から仕事の研修に出るために手伝いに来ていた実家の母が嬌声。何かと思っていると、貴一朗が立っている。つかまり立ちをしだしてから2ヶ月。感激感激。 怪訝そうな顔をしているのは、買ったばかりのカメラでフラッシュを焚いたから。ちょっとびっくり。 まだ半袖で過ごせた時には足をバタつかせ、ようやく寝返りを打った。少し寒くなるころには、つかまり立ちをするようになり、ようやく自分の名前に反応するようになって、離乳食を食べ始めた。最近では、子ども茶碗にいっぱいの固めのコメをパクパクするようになり、最近では、大人が食べているものに興味が出てきて、おもちゃを散らかしまくる。そして、甘えたり、いたずらしたり、気に入らないことがあると叫んでみたり、寝かせつけるのが父親になると、そこそこ諦めに見える表現も。本当に短い間に「子ども」になった。彼は僕がボヤボヤしている間に、一体いくつのことを覚えたのだろう。ちゃんと僕らの子どもになって、僕らはちゃんと彼の親として彼のことを学んでいるだろうか? どんなに親を困らせても、とにかくこのまま元気に。平凡だけど、そんなことを思う日々なのでした。 にほんブログ村

子ども研究と子育て Vol10 記憶

お風呂が大好きな貴一朗。 貴一朗が生まれてから、福岡の淳子の実家と広島を2往復、のべ4回お風呂が代わった。短い期間を入れれば、あと3回くらいは別のお風呂に入っていることになる。 生まれてすぐのころは全くよくわかっていなかっただろうから、仕方ないけど、3度目あたりのお風呂から必ず泣きわめく。でも2日目はケロッとしてニコニコ。なので、こちらもそれほど気を留めていなかったのだけど、正月に広島に帰ってきてからはどうも今までと質が違うよう。 とにかく泣きわめく。今日、1週間ぶりくらいにニコニコで入ってくれた。 なんとなくだけど、まず、環境が変わったことへの戸惑いがあるだろう。これはいつも通り。 次に、たまに帰ってくるおっさん(僕)がずっと認識できなかった。貴一朗が周りの人間をどんな風に認識しているのか、すごく興味があるのだけど、2か月間留守をした僕は、お乳をくれる母親でも、おじいちゃん、おばあちゃんでもない、もう一人。たぶん、まだ2ヶ月前の記憶は残っていないのではないだろうか。 もう一つ、2点目に関して言えば、母親は完全に認識されていて、一瞬見えなくなると、手が付けられないほど泣き叫ぶ。たぶん、おっさんが毎日帰ってこられる仕事をしていたら、この辺りはおっさんでも何とか宥めることができたかもしれないけど、残念ながら、すっかり記憶の外にあるおっさんにはかなり難しい。 そして、ここへきての急な断乳(一時中断中)と寝かせつけ。まあ、貴一朗の人生最初の試練の時なのは間違いない。 とはいえ、毎日少しずつ新しい記憶が創られているし、新しい習慣が身についてくる。 寝かせつけは、2日連続で淳子が風呂に入っている間に完了。でも面白いのが、すっかり光を遮断した状態で、僕が抱っこをすると、まず泣く。ミルクを少し上げて落ち着いたと思うと、もう一度泣く。僕の抱っこを掻いくぐって、ふすまのあたりでかあちゃんを呼ぶ。もちろん練習中だから出てこないのだけど、真っ暗なリビングに連れて行ってやると、そのあたりであきらめる。抱っこされて、おなかのあたりをトントンやると1,2分でコトッと寝る。 もちろん、寝かせつけに関しては僕も少し腕をあげているはずだけど、貴一朗はどうやってその場で対処するのか、ということを習得しつつある、ということなんだろう。2月~3月にかけては再び1月ほど会え

子ども研究と子育て Vol.9 断乳

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数日前から父ちゃんに寝かしつけられるようになり、今日で断乳することにした。ひとえに、淳子が仕事に行けるようにする準備なのだけど、11か月になろうとする貴一朗にとっては受難の数日間だ。 朝、6時過ぎに貴一朗が起きだし、寝室をウロウロ。しばらくして、僕が起きると、嬉々としてやってくる。おむつを替え、ご飯の支度をして…と、昼ころまでは順調。しかし、夕方に昼寝をして、それからが大変。間違いなく、母乳を飲んでいないことのストレスなのだろうけど、今まで見たことがないくらいに泣きまくり。例の寝かしつけの経験で、ママがそばにいないと不安なようで、トイレに行っただけ、洗濯物を見に行っただけでシャウト。たぶん、いくつかのストレスが溜まって放出できないのだろう。大好きなお風呂も、同じでずっと母親を探していた。 これまでの貴一朗はわけもなく泣き叫ぶ、ということがなかっただけに、今日は本当に異常事態だったようだ。 自然にお乳をやめる子がいたり、うちのように、親の都合で辞めさせざるを得ない子がいたり、また、もともとお乳の出の悪いお母さんの場合は、断乳どころではないのだろうし。でも必ずどこかでお乳をやめなければならないから、一種の人生儀礼、ともとらえられるのだけど、一日泣かせっぱなし、というのがなかなか切ない。ニコニコしながらじゃれついてくるのがこちらも心穏やかなだけに。 本やらネットに書かれていることを見ると、これは一日で終わる子もいれば、1週間、2週間と続く子もいるらしい。できれば早くこの生活に慣れて、またニコニコと生活できるようになるといいのだけど。 にほんブログ村

ブルキナファソ調査(201612)にて

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12月10日。パリでのシンポジウム、研究会をこなして、10か月ぶりにブルキナファソに降り立った。とにかく原稿が終わっていなくて、まったく心安らかではないが、広大の本務から離れ、いくつかのタスクが終わったことで、少し楽な気持ちで2016年最後の調査に赴いた。 今回の目的は…というか、前職の上司との話合いで、フィールドの映像化のために澤崎さん(映像作家)、元同僚の宮嵜さんを伴ってのいつもとはまた違った滞在となった。せっかく宮嵜さんが来ているので、少し話を聞きたかったし、久しぶりということもあり、非常にセンシティブな子どもの調査はさわりくらいにして、村の訪問を中心にすることにした。 あとは、昨年依頼のあった、チャパロの論文と発表のこと、以前からやろうと思っていた、スンバラのことがあり、この際なので「発酵食品」の調査の初期調査という位置づけにした。 チャパロ、といえば、チルメンガさんだろう、ということで、コングシを最初の訪問地として、到着後すぐに向かう。 チルメンガさんからは相変わらずの大歓迎を受け、1年ぶりの再会(前回は治安上の問題から、カッセーナのみの滞在だったので、チルメンガさんに会うのは実に1年ぶり)し、旧交を温める。この間にあったことを報告しあい、さっそくチャパロ。チャパロやら、スンバラやらのことを調べたい旨を伝えると、いろいろと世話をしてくれる。その日は挨拶をして、終わったが、翌日は、チルメンガさんのお隣さんが当番でチャパロを出すというので、そちらでいろいろ見せてもらうことにする。 大体これで60ℓ。もっと簡単かと思っていたら、実は1週間近くかかって作っていることを聞く。思いのほか大変な作業。 これは最後の過程で、ざるの中に残るのは、赤ソルガムの穀物片。まだこの段階ではアルコールは出ていない。このカスは、羊やらの家畜にやるそう。 この過程で濾した後の液体を釜に戻して、酵母を入れて煮立てていよいよチャパロの完成。 泡々であんまりよくわからないけど、これで完成。ふ~、いや本当に大変な作業。 そして、これができたのが、朝8時。ということは、この直後に「味見」をせねばならない…早速1ℓほど買って、みんなで回し飲む。うん。アルコールはまだあまり感じず、酸味も立っていない、甘味を感じるくらい。 コン

「サバンナの住まい:ブルキナファソ、カッセーナの「伝統」と変容」(『アフリカ研究』No.90、pp.97-107)

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6月に 第53回アフリカ学会(@日大藤沢)で発表 した、カッセーナの家屋研究の第1報として、学会報告を簡単にまとめたものが掲載されました。せいぜい10分程度の発表なのですが、それでも6000字程度の短い原稿にするのが大変で…かと言って、「特集」にするほどはデータもなし…「帯に短したすきに長し」状態でしたが、何とかテクストにできたのでまずはひと段落。 学会のHPでは2年後待たないとオープンにならないので、ご希望の方はどうぞお声がけください。 にほんブログ村

子ども学と子育て Vol.8 寝かせつけ

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貴一朗もまもなく1歳。淳子とは、正月明け(明日!)に卒乳させる、ということで相談していて、そうなると、寝かせつけも母親でなければならない理由にはならない…そして、2週間後には、淳子は仕事の研修のために1週間家を空ける。というわけで、3日前から寝かせつけに挑戦。 初日。普段、豆電球をつけて寝ていたところ、真っ暗にして泣きまくり。こちらもどうしていいやらわからず、パニック状態になり、あえなく撃沈。 二日目。一瞬落ち着いたかと思いきや、お風呂を出てきた淳子の扉の音に反応して、再び泣き始める。こっそり部屋を覗き込んだ淳子の顔を見てジ・エンド。母親に抱かれると、何事もなかったごとくおっぱいを飲み、安らかに眠っていった。 三日目。朝、抱っこをして寝室に入ると、その時点で泣き始める。夕方、仕事帰りにも抱っこして再び寝室に入ると、3秒前までニコニコしていたのが、一気にフルスロットルの泣き声…「もしや、トラウマに…」と頭をよぎる。食事後、お風呂に入れ、淳子が入れ替わりにお風呂へ。僕はテレビを消し、電気を消し、貴一朗を連れて寝室へ。当然のことながら再びフルスロットル。布団に寝かしつけようとしても、すぐに起き上がり、リビングと隔てられているふすまを恨めし気に見つめながら泣き続ける。温かいミルクをあげようとしてもまったく口をつけようとしない。誰に似たのか、なかなか頑固。なかなか寒い東広島、何とか布団の中に入れないと湯冷めしそうだし…などと思い始めても、ひたすら泣き続ける貴一朗。お風呂から戻った淳子がつけたリビングの電気の光が寝室にも漏れると、泣き声はさらにアップ。電気を消してもらうと、いよいよあきらめたか、グネグネしながらも布団の中へ… 腕の中でウトウトする貴一朗。おなかのあたりをトントンとリズムをとってやると、どうやら本格的な寝息。見たことのなかった安らかな寝顔。母親にしか見せなかった顔なのだな…と少々感傷的になっていると、思い出したかのように泣き始める。しかし、もう暴れまわる体力も残っておらず、1,2分で再び寝息を立てる… 体力勝ちで何とか寝かしつけたけど、いやはや、大変だ… 寝かしつけてから、ネットで検索すると、世の父ちゃんたちはなかなか苦労しているようで、今日の経験は皆さん一度は通る道。ネットの人たちによれば、父と子の信頼関係(ほとんど会えない家庭が想定され

子ども学と子育て Vol.7 大惨事 

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1月3日、11月の頭以来、淳子と貴一朗が広島に帰ってきた。11月末の出張の合間に一瞬だけ貴一朗の顔を見たけど、ほぼ2か月淳子の実家に預けたまま。仕事柄とは言え、ホームシックとは違ったさみしさになかなか堪えた。 帰ってきた貴一朗は、もう10か月。福岡に行く前はようやくつかまり立ちができる程度。布団に転がしておくと、足をバタつかせる程度で、まだまだカワイイだけの「赤ちゃん」。 ハイハイは高速化、つかまり立ちもずいぶん安定して、少しずつこちらの言っていることが分かってきている。2か月で本当にたくさんのことができるようになっていて、「腕白」な「子ども」になりつつある。 昨日から新年の仕事が始まり、軽めに仕事をして、帰宅すると、ぐったりした連れ合い。そして産卵する本…この日、すでに2度目だそうです。なんでも珍しくて、とりあえず触ってみる、放り出してみる。興味津々。たまに人の顔色を窺って、ちょっといたずらっぽいことをしてみたり。 今日は朝からリビングにあった本棚を書斎に移して、リビングをクリーンアップ。書斎とリビングはふすまで仕切られているだけなので、時間の問題な気もするけど、まあ、しばらくはこれで何とかしのごう。 確かに消耗するけど、日々、貴一朗に接して生活できるのは、本当に充実したもの。一瞬一瞬がかけがえない、ということを実感します。 にほんブログ村

明けましておめでとうございます

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新年、あけましておめでとうございます。 本年もよろしくご高配のほどお願いいたします。 今年の年越しは、福岡の連れ合いの実家にてすごしました。ほぼ2か月ぶりに貴一朗にも顔を合わせ、連れ合いと義理の家族と割とゆったり目の年末年始。前回書いたように原稿が終わっておらず、結局1月1日のお屠蘇の前にすでに書初めを済ませ(対して進んでいないのだけど)、飲んでしまったら遠慮せずに寝させてもらうことに。 一年の計は元旦にあり。だけど、もう1年を振り返った時点で計など立てるような状態ではなく、押し寄せる締め切りを何とかしてやり切らねばならないだけなので、特に「今年は…!」ということを考えられるような状態ではありません。強いて言えば、身の丈に合った予定を立てよう、それくらいでしょうか。 にほんブログ村