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ヤウンデフォーラムとブルキナ調査

いくつかブログの記事を用意しているのだが、遅々として書き進まなかった。ワガドゥグの政変と読んだ本のメモ書きみたいなやつで、結構まとめるのに手間取っているのと、11月は(も?)発表やらが異常に忙しかった。ワガドゥグの政変に関する記事は、そのうちまとめて学会誌に投稿する予定にしているのだけど、ブログにメモを落としてそれをまとめようと思っているのに…

11月もあと2日で終わり。12月に入ると、今年度最後のイベント、ヤウンデ・フォーラムがあり、続けてブルキナファソに出張の予定。今、その準備で切羽詰っている(そして、今週末は研究会にもお呼ばれしている)。発表資料は兎も角も、プロシーディングスの準備とさらに、ブルキナファソ出張までに統計資料の整理をしておかねばならず、昨日まで3日間続いた地球研プロジェクト発表会でも、後ろの方の席でカチャカチャ…いわゆる内職せざるを得なかった(あと100枚弱!ここ10日間で200枚は終わった)。

ヤウンデ・フォーラムでは、コンフリクトを乗り越えるアフリカのポテンシャル、という統合テーマの下、ブルキナファソのイスラーム教育について発表する…と言いたいのだけど、まだまだきっちりまとまっていない。いやはやどうしたものか…

何とかワガドゥグでブログの更新もしたいのだけど、とにかくやることが多くて手がつくかどうか不安なところだ。できれば、またヤウンデの様子などもアップしていきたい。

ハラールと日本の文化的障害について

近年のムスリムの増加に伴って、日本でもかなりハラール食品が買えるようになってきたし、大学の学食でもハラール・メニューを置いてあることが珍しくなくなってきた。もちろん、まだまだこうした動きは鈍いとする向きはあろうが、この辺に批判を加えても努力している方に悪いので、「がんばれ」というにとどめて、ちょっと違う話を。

これから書く話をふと思い出したので、こんなことを書こうと思ったわけなのだけど、日本という国はあまりに便利すぎてつまらない、ということをいうヒトは少なくないだろう。ハラールフードについても、いずれ、不便がなくなるのだと思うけど、少し不自由なときには、いろいろな話が出てくる。人が死んだりしない限りは後々笑い話にできるから、少し不自由な時代、それはそれで面白いものだ。まじめにやっている方には申し訳ないのだけど、僕はこれくらいの方が好きだ。

思い出した話というのは、勤務先の向かいにある大学にお勤めのマリ人の先生から聴いたものだ。この先生、ウスビ・サコ先生と言って、建築学を中国、日本で修められた方。日本在住ははや10年を超える。先日研究会にいらしていただいた後の懇親会でのこと。日本にいらしたばかりの頃のことを聞いた。

サコ先生は、日本では豚をたくさん食べることを知る。イスラームの多いマリから来た方にとって、ここはちゃんと気をつけなければならない。豚を「ブタ」を呼ぶことは覚え、外で食べるときは、お店の人に「ブタ」がはいっていないものを食べていた、という。そして、同じマリ人の知人から、「トンコツ」ラーメンの美味しい店を紹介され、それからしばらくこれにはまってしまう。が、「ブタ」の入っていない「トンコツ」などあるわけもなく、ある日、このことを知る。「豚」を「トン」と呼ぶことを教えてくれよ!(笑)。「トンカツ」も好きだったのに(という話だったと思う)。

書いてしまうと別に面白くもないが、日本で用いる漢字には音訓があり、というのはハラールの文脈では乗り越えがたい。文化的な「障害」、と言ったほうがいいかもしれない。こういうところは、ムスリムだろうが、なんだろうが、やはり学んでもらうしかない。その上でのハラールフードだ。

話は変わるが、昨今大学(特に大学院)では、英語で講義をやるところが増えている。やはりどうしても英語でのインパクトが少ない日本、ワールドスタンダードを考えればそうな…

ブルキナファソの政変①

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(http://burkina24.com/2014/10/25/blaise-compaore-cette-reforme-ce-nest-pas-pour-moi/ 20141105取得)
1987年、盟友トマス・サンカラを殺害しクーデタを成功させたブレーズ・コンパオレ。以来27年にわたる長きに渡ってブルキナファソの大統領に君臨したが、見た目は本当にあっけなく政権は倒れ、本人はその大統領選で力を貸した隣国コート・ジボアールに逃れた。 僕自身、もちろん、コンパオレ「前」大統領の為政化のブルキナファソしか知らないので、これからどうなっていくのか、将来への不安もあるが、あまりに当たり前だったものがなくなったことによる喪失感すらある。 Facebookにもずいぶん書き込みをしたのだけど、こちらの方ではもう少し詳しく書いてみようと思う。 なにはともあれ、この問題は、27年という長きに渡ったコンパオレ大統領が「憲法37条」、すなわち、「大統領は2選まで認められる」とする、3選を禁ずる条項を変更するための国民投票を行う法案を国民議会に提出したことにある。しかし、ある日突然この法案が出てきたわけではなく、これまでにもいくつかの局面でこのアンタッチャブルへのアクセスが認められる。コンパオレ前大統領自身がこの条項に直接触れたのは、おそらくはこれが最初だったのではないだろうか。「直接」と言ったのは、間接的に37条を変更する伏線のようなものは、いくつか思い当たる節がある。たとえば、昨年末あたり話題となった、Senat(「元老院」)の設立が代表的だろうか。元老院は国内の有力者によって構成され(たしか、終身身分ではなかったか?)国会での決議に影響を与え、憲法改正の反対者に圧力をかけることができる。この元老院の設立の法案が上がった時、ワガドゥグの市民が立ち上がった。デモを起こしたのだ。僕の友人も何人も参加、その時のある友人の言葉はまさに今回の抗議運動を予言しているかのようだ。
「俺たちの行動は、元老院に反対するだけではない。コンパオレ大統領の退任を求めるものである」

(https://www.facebook.com/bbcworldnews/photos/pcb.10153770313392588/10153770307547588/?type=1 20141105取得)
そして、2014…