2016年12月31日土曜日

本年もお世話になりました。

ブログ解禁で、その翌日で店じまい。なんともなタイミングですが、2016年はこれにて。

よく考えたら(いや別にそんなに考えなくても)、僕らは年に2度一年を振り返っている。この年末と年度末だけど、そんなに何度もそれまでの一年を振り返ってみる必要はあるんだろか…

まあ、それはいいにして。とにかく今年の後半はいろいろと忙しくて、結局ここまででコンプリートしているものはほとんどない状態。全部あと一歩のところ。気分的には全く忘年とか、年越しとか、どうもそんな雰囲気ではない。

地球研(前職)にいたころに大きく広げた風呂敷。研究者としては夢のような空間だったことを、今更ながら感じるのだけど、その夢は、給料よりもそういう上司と研究所の仕組みに担保されたものだった。4月に入り、広島に新たな居場所を求め、そこはある程度現実的で、部局の運営のために、外部資金をしっかりとらねばならない。つまり、それに伴ったタスクがあるわけで、今年は、この二つが一気に圧し掛かったことになる。

元上司もそれを察してか、年度末の打ち合わせで、もう一つ成果物を延期する(つまり、この後は自己資金)ことにした。「もう一つ」というのは、すでに、数か月前にギブアップしたものがあるので、都合2つということ。

2016年は一通り地球研の仕事をきれいにして、新たな課題の種まきをしようと思っていたのだけど、2017年ももう少し残りそう。

今年は貴一朗も生まれたし、できるだけ出張を減らそうと思って、調整したつもりだけど、どうも昨年よりも出張は増えていて、たぶん来年はもう少し増えるのではないだろうか。すでに、学会発表は2つ決まっているので、ルーティーンで発表しているもの2つがあるので、それで打ち止め。もう少し自分の身の丈を考えて仕事を決めないといかんな、と思う年の瀬。

結局ほとんどブログも更新できなかったけど、来年は何とか少しくらい書けますように。

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2016年12月28日水曜日

ブログ解禁

解禁とは言ってみたけど、個人的理由で、自分の生活を探られないようにしていて、しばらくの間はブログ、SNS等々自主規制していただけです。たぶん6月あたりから、前職の仕事と現職の仕事のはざまで板挟みになって、身動きが取れなくなっていて、生存確認程度の更新(ほとんどがストレス溜まってますアピール)。

何とか年末までに…と11月の出張が終わってから、かなり必死に仕事に打ち込み、完全にではないものの、なんとなく期限内に終わりそうな目途が立ってきた。まだ新しい仕事は受けられる状況でないものの、ほんの少し気持ちの面で余裕が出てきたので、またブログを再開させようということにした。

10月~12月になにをしていたかというと、10月中旬から11月末まで現職のメインの仕事のJICAの研修の受け入れのコーディネイトをし、これが終わって、1週間の間に2つの発表をこなして、2つ目の発表の翌日から、おとといまでフランスでシンポジウムに参加し、別の研究会で発表一つ、そして2週間ほどブルキナファソに滞在していた。4行で終わるくらいシンプルな予定だったのだけど、ここ何年かで一番忙しい日々を過ごした、気がする。

まだ今年を振り返れるほど年末感などなくて、相変わらず原稿とにらめっこ。細かい原稿、5本ほどなんとか年内に終わらせて、次の原稿と発表資料作成にかかります。そして、この2つが終わると再び調査x2。これが終わるのが3月中旬。それまでは落ち着かない…

来年のことをいうと鬼が笑うというけど、3月くらいまではこんな状況なんだろうな。終わったら何日間か休みを取って少しゆっくりしよう。

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2016年10月23日日曜日

科研費応募の季節

「研究」っていったいなんなんだろう?「研究者」って、いったい…?

という妙な自問自答を繰り返す時期です。

多くの日本の「研究者」は日本学術振興会が出す「科学研究費」によって、研究費を得て、それぞれの研究にまい進する。今週当たりがその応募締め切りにあたり、たぶん、日本中の「研究者」の睡眠時間が最も少なくなるころではなかろうか?

実験をしたり、調査をしたり、論文を書いたり、学会発表をしたり、というのが一般的な「研究者」の仕事なのだけど、たぶん、平均したら、これらと同じか、もしかするとより比重の高いのが研究資金獲得活動ではなかろうか。「政治家」が、選挙に血道をあげるように、研究者と呼ばれる人たちも、この活動に血道をあげる。政治家が選挙で受からなければ、もしくは政権が取れなければ、ただの人であるように、研究資金がない(人に認めてもらえない)ことは、研究者の存在価値にかかわるもの。

かといって、研究者が研究者であるのは、真理や科学の探求にこそ本質があるのであって、カネはその道具、手段であるはず。科研費だけなら良いけど、ほかにもいくつもこういう助成金申請をする。「その一方で」調査、執筆をする、というのが実際のところではないだろうか。

やっぱり、一体なんなんだ?「研究」って??

2016年10月19日水曜日

グッと堪えて

この前のエントリーの続き。やはり愚痴です。

例の仕事、結局おカネを出しているのは先方だけど、こちらが動かねばなんのリソースもない。結局上下関係なんてないはずなのに、かなり上からの物言いが多い。もちろん、こういう事態が起こる背景には、様々な要因があるのだけど、ここ数日間のそういうことの背景には、先方の組織内での発言の不整合が明らかにあって、おかげでこちらも何時間も費やすことになる。

切れてしまえば楽そうなのだけど、まあ、そんなことはできるわけもなく、でもメールの返信には、「そちらさんでっせ」という要素をたっぷり入れてやる。いつか味わった嫌な感覚…今やそんな風に戦える立場でもないから、ファイティングポーズもこのあたりが限界。

まあ、もうちょい。1か月がまんがまん…

2016年10月18日火曜日

ふ~

10月、11月は今の仕事について時から言われている最繁忙期。某独立行政法人からの受託事業の担当となり、全くペース配分がわからない中でボチボチと準備をしてきたのが、いよいよ本番を迎える。

地球研在籍時には、3つくらいの研究会を回していたし、上司のリクエストも意図をくみ取ってそこそこのモノを組み立てるようなことも、なりにこなしていたように思う。研究そのものについてはそれほど自信はないけど、こういう立ち回りは割と得意だと思っていた。

ところが。自分でも不慣れなところがあるから、そういう意味で差し引いて考えられるくらい余裕はあるのだけど、まあ、某独立行政法人というのが細かい。僕が雑なだけ…なのだろうけど。

それともう一つ。大学卒業後、4年間の会社生活があったとはいえ、すでにそれから10年。もちろん染み付いたやり口みたいなものが、今でもあるのには自覚的なのだけど、研究の世界は経済的な利害関係が会社に比べると少ないので、まあ、ケツの穴がよほど小さい人間でない限り、気に入らない相手に攻撃的なことはしない。基本的に放置だ。研究が苦手とはいえ、10年以上どっぷりこの世界につかれば、だいたいのやり方はわかっている。本当に久しぶりのこの感じ。罰ゲームみたいなやり取り。

まあ、前職が自由で、自由というのは仕事に使えるおカネが潤沢で、こういうタスクが少なくて、上司が放牧主義ということ(つまり、ぬるま湯)を指すのだけど。まあ、この仕事、社会復帰のいい刺激と思って頑張るしかないですね。

しかも、原稿は進まないし、科研費の申請はあるし…どこまでできることやら…


2016年10月6日木曜日

高野秀行氏との出会い




世の中に辺境を目指す人というのはそれほど多くないもので、とうとう出会ってしまった。高野秀行氏。この人の名前は、僕の人生の中で時折顔を見せる。大方、この三冊がその象徴的な本だ。僕なりには、あるシチュエーションでは、結構なとっておきの話なので、どこかで僕がしゃべりだしても、先取りしたりしていじめないでほしい。

下からいく。

『幻獣ムベンベを追え』という、旅行記でももっともバカバカしい部類の本だけど、これは打算的になってしまった学生諸子にはぜひ読んでいただきたい本だ。今後僕がどこかで講義をして、首にならないようであれば、参考図書にしようと思っている本だ。

1999年、僕が都内の某船会社に入社して、僕の教育係になったのは、故佐藤英一さんだ。残念ながら、僕が退職して数年後に亡くなってしまった。佐藤さんは、いつも下を向いて、ことあるごとに、頭を抱えて固まっている。その集中力たるや、すさまじく、頭を抱えてしまったらほぼ人の話は聞こえない。なので、最初のころは全くコミュニケーションが取れなかった。僕は割と開放系の性格をしているから、実は10年先輩の佐藤さんよりも営業の仕事はうまかった。2年目の終わりころで、外回りもさせられ、佐藤さんはひたすら内勤。しかし、いわばコントロールタワーで、船のスケジュールはほぼ佐藤さんの手によるものだ。飲み会に参加することもなく、必要以上に話をすることもなかった。だけど、ほかの上司などから聞く、佐藤さんの話は実に魅力的で、それが、早稲田の探検部時代の話だった。たとえば、メコン川の中州の島に無装備で2か月生活して、その時には、「動くものはなんでも食った」という話だったり(これはのちに僕の思い違いかなんかということが分かった)、アマゾン川を川下りして遭難した後輩たちを助けに行ったとか…ご本人からは、一切そんな話を聞くことはなかったのだけど。

2003年。僕はこの船会社を辞めるのだけど、決意して辞表を持って、課長にそれを渡して、という一通りの儀礼が済み、いよいよ職場を離れる日が迫っていた。僕は、「課長、アフリカで生きていきたいので、会社を辞めます」とまるでマンガのような辞め方をした。そして、確か、送別会の時だったか、最終日だったか、佐藤さんが一冊の本をくれた。それが、高野氏の『幻獣ムベンベを追え』だった。そして、「君はこういうことをやるんだろ?」と言って、ニヤッとしたように記憶をしている。僕は、この本を携えて初めてのブルキナファソ滞在に赴いたのだ。

2004年。僕はフランスに留学していた。すっかり高野氏の荒唐無稽な話にはまった僕は、『ワセダ三畳青春記』を携えていた。2冊目の本だ。NGOに絶望した僕は、そのほかの方法で、そして、アフリカに関わりながらメシを食っていく、という会社を辞めるときのわけのわからない一言をかたくなに守ろうと、フランスに来たのだけど、実はこの時かなりぐらついていた。しかし、この本は、スノッブなフランスかぶれのマダムやムッシューたちから僕を救うことになる。これはセレブリティの問題ではなく、フランス的な清貧思想を持つ人たちを指しているのだけど、貧しさが美しくあるためには、小さな幸せに満足して生きるのではなくて、強烈な野望や野心を抱えていることだと思わせたのが、この本だった。もちろん、この本が直接僕の方向性に影響をあたえてはいない(そうであってほしい)が、少なくとも、後々僕の大学院生活を正当化するよい材料になった。そして、実際に若竹荘という、野々村荘に匹敵する、アホの巣窟に院生時代の多くの時間、身をゆだねることになった。

そして、最後の1冊。2016年9月。名古屋、京都、広島とわたって、たまたま広島のアフリカ学会の支部が高野氏を呼ぶといったので、この本を読んだ。とても面白くて、一通り読みたかったのだけど、結局研究会には間に合わなかったが、研究会だけには参加することができた。佐藤さんに教えてもらってから、13年たち、初めて見る高野氏は、何となく佐藤さんのような雰囲気も持ち合わせていただろうか。本に関して、色々伺いたいことも会ったのだけど、ほんの少し懇親会にも顔をださせてもらって、ここに書いたようなエピソードを話ができて、高野さんにも喜んでもらったような気がする。そして、これからのことを伺ったら、ずいぶん僕の興味と重なるところもあり、何等かで一緒に仕事をすることもあるのではないだろうか。

2冊目の本に「ラジカル加藤」という人物が佐藤さんのことであったことは、この日聞いた(著書中には、わざわざ仮名にされていたのにすいません。どうせ誰も読んでいないブログなので…)。一切酒など飲まないと思っていた、佐藤さんは、高野さん曰く無類の酒豪だった、という話や、当時の伝説的な存在であったことなど、会社で知っていた佐藤さんとは全く違う話が聞けた。なにやら、あの頭を抱え込んで、いろんなことを画策していた佐藤さんが仕組んだストーリーだったり…などと帰りの電車で思いを巡らせてみたけど、まあ、そんなわけはない。佐藤さんにとって、別にどうでもいい存在だったのだろうけど、こんな出会いを草葉の陰でどんなふうに見ているのだろう?

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2016年9月27日火曜日

子守歌

貴一朗もあっという間に7か月。最近では、匍匐前進でそのあたりを這いまわるようになった。体力もついてきて、以前のように7時にはぐっすりということも少なくなり、8時、9時までキャッキャと騒ぎ立てる。一応、昼間は出勤している僕にとっては、こんな時間が長いことは願ったりかなったりなのだけど、授乳しなければおとなしく寝付かないこの時期の貴一朗を実際に寝かしつけられるのは、連れ合いだけ。なので、彼女にしたらたまったものではないだろう。

ちょっと寝かしつけてみようと思って、数十分添い寝をしてみたけど、たぶん、父ちゃんは遊び相手で、ニコニコバタバタ。こちらもそれなりに疲れていて、暗いところに横たわればそのまま落ちてしまう。すると貴一朗は飽きて母ちゃんを探し出す。それで、こんな時は子守歌だろうと思って、うる覚えの歌を歌ってみる。しかし、きれいに何にも歌えない。最近聞いている安全地帯でも聞かせてやろうか、と思うが、どうも艶っぽくて、子守歌にはどうか、と思ってしまう。そろそろ秋なので、もう少し日本の伝統的な風景を取り込んだ方がよいか…とか、そんなことを思いながら、結局また寝てしまう。

話は変わるが、このブログでも何度も書いているように、ブルキナファソ南部のカッセーナの家屋の研究。この研究は、どこかで「伝統」をいかに掬い出すか、ということからは離れられない。伝統的な手法、伝統的な景観…こうしたものが失われることを客観的に見たら、結局子守歌も似たようなもの。カッセーナの若者たちが伝統的なイエの作り方を知らないように、僕らも父母が与えてくれたものを忘れようとしている。きっと、父母も僕らの祖父母から受け取れきれなくて、零れ落ちたものも数多くあるのだろう。こうやって、時間が経ち、伝統は「伝統」になる。



2016年8月31日水曜日

急に秋がやってきた/近況

貴一朗20160729
西条はある日突然、夏から秋に季節が移動した。本当に突然に。せっかく買ったエアコンが必要だったのは、ほんの数日間。その数日間も明け方に窓を開けているとスーッと入ってくる涼やかな風に、本当に深い眠りにつくことができた。今年引っ越してきてばかりで、毎年こんな調子なのかはわからないけど、拍子抜けするほどあっけなく暑さは去ってしまった。

7月から8月にかけ、出張に行きながらかなり書きまくっていた。何とか間に合いそうなものも、なんともなりそうにないものと、今更、筆がずっしり重い原稿もある。それに加えて、現職の本務が、いよいよのしかかってくる。事務の方が突然辞められて、二度手間、三度手間になって仕事が終わらなかったり、まだ今の組織に慣れないことからくる仕事の進まなさ…

いろんなことが過ぎていく。出張の重なったこの間、連れ合いと貴一朗を福岡に預かってもらっていて、しばしの独身生活。先日、ようやく広島に二人が戻ってくると、ずいぶん風景が明るくなる。

明日から9月。ここ1、2週間でほぼ年末までのスケジュールが埋まった。海外出張2回、国内出張3回。まあ、何とかなるか。

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2016年8月24日水曜日

【食文化シリーズ】ドモダDomoda

20160811Mbacké kadior
ブログ更新を再開してから怒涛の更新。というか、この辺のネタを早いところ書き記しておきたかった、ということにて。

Facebookでドモダを含めて連続更新。Facebookも凹んで更新をさぼっていたので、生存確認にて。その結果、一番反応が多かったのがこれドモダ。まあ、唯一村でのメシだったから、ということもあると思うのだけど。でも、セネガルに慣れた方がこぞってこれに反応したということは、なかなか名前を聞かなかったけど、セネガルを代表する料理であることは間違いなさそう。

このソースは、トマト、魚系の出汁に、酸味として、タマリンド、もしかしたらさらにレモン汁も入っているかも。かなりさっぱりなソース。チェブジェンのように、これに魚やニンジン、キャッサバなどが入っている。うん。間違いない。これも旨かった。

このソースを含めて、6種類のソースを紹介したけど、いずれも「コメ」を美味く食べられるようなもの。ブルキナの場合だと、オクラソース(昨日紹介したスプ・カンジャ)をコメにも合わせるけど、セネガルのスプ・カンジャをトに合わせたらあまり美味く食べられなさそう。というのが、油っこ過ぎる。トは油を入れなくても美味しくないけど、入れすぎてもうまくない。その意味では、トの方が繊細なのかな…とか思わなくもない。

ともあれ。どこまで続くのだろう。セネガルのコメ食。

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【食文化シリーズ】ボロヘBorohé

20160812@Residence Panafricain, Dakar
「あの時食べたあれ。名前を覚えていないけど、また食べたい!」

そんな料理は誰しも一つや二つあるのではないか?2008年、初めてセネガルを訪れたとき、院生だった僕は金もつてもなく、相変わらずストリートで友人を作り、彼らに街のこと、食事のことを聞いてなんとかそこにいることができた。彼の名前もすっかり忘れてしまったが、ヒマなギニア人が最も頻繁にそんなヒマな日本人に付き合ってくれた。今考えたら、きっとメシを食うカネもなかったのだろう。かなり頻繁にメシを食いにいったはず。

ダカールのフランス文化センターのそばにある、安メシ屋。当時相当日本人もいたはずだが、僕が彼に連れられてそこに入ると、店の人がびっくり。こんなとこで日本人が食べるの、きっとそんな風に思われていた。ギニア人の彼に「何がうまいの?」と聞いて、彼は「Sauce Noir(黒ソース)」という。魚の風味がしっかりするそのソースを気に入り、ギニア人の彼がいないときでも、僕はそのソースを食べに行っていた。

それから数年。再びセネガルにご縁ができてから、チェブジェンよりも、マフェよりも食べたかったのがこれ。時々、ソース・ノアールある?とお店で聞いても、常に???。あぁ、もう出会えないか、と思ってあきらめていた。

しかし、ダカールの定宿の日替わり定食を頼むと、これが出てきた。「ボロヘ」と言う名前だそうで、マダムによれば、ギニア料理だと言う。少しエグミのあるソースは、キャッサバの葉。そこに、パームオイルがやはりたっぷりと入る。そして、魚をマッシュしたものだろうか、少し骨も残っているので、間違いないと思うが、それらが絶妙に混ざっている。

一口食べると、あの時の感覚が…美味い。

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【食文化シリーズ】Soup Kandja(スプ・カンジャ)

20160812@ダカール(@3,500Fcfa!たか!)
セネガルに行ったのに、まったくこういう記事も更新していなかった。写真は何枚かたまっているし、メモもあるので、少しずつ足していこうと思う。

こちらも今更なセネガルメシの代表格の一つ。スプ・カンジャ。オクラ・ソースだ。なぜか、セネガルに通う人たちは、「スプ」と書く。「スープ」じゃないのか?フランス語の綴りも一緒だし、セネガルの人の発音を聞いて「スプ」とも「スープ」とも聞こえる。なんでわかりにくい方をとるのか…こんなことはどうでもいいのだけど、西アフリカでも独特の地位を占めるセネガルをフィールドとしていることへの誇りからか、指摘してもみなさんまったく変わらない。

料理ですが、見ての通り、真っ赤なパームオイルに充たされた、決してヘルシーな感じはしない。オクラを細かく刻み、トマト、魚出汁、パームオイルで煮たソース、いや、スプか…これをメシにぶっかける。この時に食べたのは、高級スプ・カンジャなので、写真の通り、でかいマトン肉が入っているが、その辺の食堂で食べれば、肉片すら入っていないことが多い。でも、この油にしては、オクラのツルツル感でそれほどギトギトした感じはない。さっさとメシを済ませたいときにはなかなか優秀だ。

ブルキナファソあたりでは、オクラはトによく添えられるし、農家はみな乾燥オクラを作って、乾季にもよく食べるから、日常食だけど、そういえば、セネガルはあんまり作ってない。乾燥オクラ、どれくらいストックしているんだろう?こういうのも調査のタネやね。ちょっとまとめてみよう。

そんなわけで、また何度かセネガルメシシリーズが続きます。

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人間関係というのは難しい

SNSとか、ブログとか色々やっていて、なんて自己顕示欲が強いのだろう、ということを時々感じるのだけど、無意識のうちに人の目に意識をやっていることにふと気づいて、なんかこういうことから一瞬でも遠ざかりたい、と思うことがある。しばらくブログの更新がなかったことの一つの理由は、つまりはこういうことだった。のだけど、あまりヒマな営みにうつつを抜かしていることを曝せるような状況でもない、というのも大きかった。

自分の直接かかわっている方、突然辞めてしまった職場の方、長い人生の中では、ほんの些細なことなのだけど、この些細なものの積み重ねが人生なのだとすると、ここ最近だけでもずいぶん多くのことが変わっていった。うまく行っていることもあるし、全然コントロールが効かなくなってしまったものもある。バランスが悪くなって、どちらかに引っ張られまくる。しばらくは、後者の方に引きずられまくったので、ちょっと立て直し。実は、SNSもブログもやらずに、一人で殻に閉じこもるためにゲームとかやってみたり。

でも、ブログはもともと自分の書き癖を付けることとか、むしろ人の目を気にしながら文章を素早く書く、という練習のためとか、逆にあまり特定の方に見せられない文章を書くため(他人の愚痴は書かないと決めているので、ゴシップ的なものは基本的には書かないのだけど)に始めたものなので、もう一度初心にもどって、再開しようと思う。


2016年8月7日日曜日

『家族はつらいよ』2016年監督)山田洋次

http://www2.myjcom.jp/special/tv/movie/kazoku-tsuraiyo/より
インドネシアの出張から帰りました…と書いたところで止まっていた…
すでに、次の出張のトランジット先のイスタンブールより書いています。

ANA便だったこともあり、邦画に期待しつつ…そこで見つけたこの映画。2016年公開の山田洋次監督、『家族はつらいよ』。先日酷評した、『東京家族』とまるっきりキャストが同じで、キャストの職業が全く違う、そして、扱うのが、橋爪功と吉行和子の熟年離婚騒動。

『東京家族』を引き継いだように見えるこの作品、山田洋次監督だけに『男はつらいよ』の二番煎じのようにも見える。前者なのであれば、小津安二郎の『東京物語』を引き継いでいることにもなり、ということは、また僕は酷評しなければならないんだけど、後者、ないし、前者と後者をごちゃまぜに、ということであれば、まあ、パロディとして、まあ見られなくもない。

まあ、どうとでもとらえてくれ、というところだろうから、勝手に捉えるけど、まあ、問題として熟年離婚はあんまりおもしろくないし、結局、よくワイドショーでやるレベルの痴話げんか。それはそれで滑稽な世相を反映しているのかもしれないが、まあ、もういいかな、と。

どうも2017年に続編があるらしいので、まあ、『男はつらいよ』的にやるんですね。

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2016年7月23日土曜日

【食文化シリーズ】ジャカルタのホテルの朝食

20160723@Century Hotel, Jakarta
東南アジアのちょっと高いホテルの朝食は大概食べ過ぎる。バイキングであることが多く、アジア飯とパン食、さらに中華系がモリモリと盛られている。

インドネシアと言えば、ナシゴレンとミーゴレン、あとはサテーくらいしか思い浮かばないのだけど、間違いなくそんなことはなくて、肉魚介は豊富なはずだし、フルーツも少ないわけがない。パンとかはとりあえずおいておいて、やはりインドネシアなりの味付けや食材の使い方を見たいと思い、できるだけこんな盛り方をしている。

まず左のスープから。このホテルの朝食で一番ヒット。ココナツミルクと、鶏スープ、もしかすると魚介系のスープが混ざっているかもしれない。塩気はどうやってだしているのだろう?中華醤油とか、ニョクマムのような臭みは感じないのだけど、もしかすると、ニョクマムを煮込むとこんな風になるのかも。実にマイルド。具材には、もやしやトーフ、鶏肉など。これに、ネギと焦がしニンニクを添える。

それで、今朝のジュースはグアヴァ。これは大したことなし。砂糖たっぷり。

プレートの方なのだけど、多すぎるので、気づいたことを少し。
まず、トーフ使いがとても面白くて、カレーやハッカク+醤油の煮込みにも入っている。多くが揚げてあって、厚揚げ状態なのだけど、油を使っているのに日本のものよりもずっと軽い。他に、はんぺんのようなものがあるのだけど、これは魚のすり身か、はたまた、トーフを使った何かか…微妙にわからなかったけど、ビールと一緒に食べたらうまいだろうな、と。

しかし、東南アジアの調味料、最近でこそニョクマムが広まってきて、親しみがあるように感じるけど、実はよく知らない。スープの塩気、しょうゆを使ったら、きっともっと色が真っ黒になるだろうし、なんか別のものなんだろうな、と思う。少し調べてみないといかんです。

同行の先生との折り合いで、まだほとんど現地飯が食べられていないのだけど、次の目的地、バンドンでは「飽きるほど」のことにて、それを楽しみに。

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Fly to Jakarta

いつのころからか、飛行機に乗ることが楽しみになっている。機材や乗り心地、いろんなことに関心がでてくるにしたがって、最も仕事ができて、映画が見られて、音楽が聴ける、だれにも邪魔されない貴重な空間になってきた。

前回のエントリーはちゃんと愚痴になっていたのだろか。なんか少し気分は楽になった、というか、ある諦めを自分にしみこませるように、努力をしているところ。どうも、あんまりMy Revolutionな気分ではない。

自分の心の在りかのいかんにかかわらず、時間は過ぎて、あっという間にインドネシア渡航となった。今回は、10月~11月にかけての所属先の準備のための渡航だ。


広島から羽田へ。羽田で一泊して、いざ南へ。インドネシアは2002年くらいに行ったっきりなので、15年ぶりくらい。当時は勤めていた会社の代理店がフルアテンドだったため、街の景色や、土地勘といった類の、ソフトな記憶はない。港町から港町に移動し、その間は暴飲暴食の疲れから、ずっと寝ていた気がするし、行く先々で高い飯を食い、高い飲み屋で酒を飲み、ずいぶん高級なホテルで眠った。ただそれだけ。

今回がどれほど違うのか…たぶん今日と明日はホテルに缶詰めで原稿を書いているだろうし。なんかもったいないな、と思いながら、今回というか、インドネシアに関しては仕方ないだろう。仕事だし。


南国特有の青い空と海。空の上からなので、青く見えるのは当たり前なのだけど、なんとなくそんなリゾートな感じを想像しながら。

少し場所を変えること(最近、ケニアに行ったばかりだが…)が必要な感じなので、これもよいだろう。


ジャカルタが近づくと、大きな入道雲がそびえたつ。少し揺れるかな、と思いながら、出張の資料を整理していると、いつの間にか機体は静かに着陸した。約7時間のフライト、映画も見られず、豊かなものだったとは言えないけど、まあ今回は仕方なし。少し準備が進んだ、ということで。

さて、インドネシアから帰るころには、状況は改善しているだろうか。

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2016年7月18日月曜日

時間ナシ、人情ナシ、能力ナシ

超ネガティブです。

どこに吐き出すか考えたのですが、こういうことは自分のテリトリーに。最近ツイッターも適当に知り合いができたので、これは連動させません。

具体的にどの仕事とは言いませんが、今まで手を取り合ってやってきたと思った人にすっかり無視されるようになった。この方はもうなんだかよくわからないので、落ち着いたら何があったのかを聞いてみようと思うけど、それ以上にその影にたくさんの人にご迷惑をかけてしまっている。今日からリカヴァーをかけようと思ったら、どうも手も頭も重い。現実逃避しまくり、結局ダラダラこんな時間。

で、聞いているのが、テレサテン「つぐない」⇒渡辺美里「My Revolution」。

2016年7月14日木曜日

広島で地域研究のプラットフォームを!

http://african-studies.com/より
引き続き、地域研究について。

広島に引っ越してきたものの、大学と大学そばの拙宅の往復の毎日。連れ合いも貴一朗もいるので、家にいることは全く苦痛でもないし、むしろ、最近はそんな静かな生活も悪くないとも思っているので、何人かの気の置けない友人たちとたまに食事をするくらいでもよかったのだけど、これも性分か、アフリカ学会で、広島近辺の研究者にちゃんとあいさつをして、「なんかやりましょう!」なんて、話してしまったので、後にも引けず…

少々「嫌々」な印象を与えかねない書き出しだけど、実は、結構乗り気。

7月はなかなかタイトスケジュールで、どうしても予定が合わない。しかし、広大の院生には、これから気楽に来ていただこうということで、0次会と称して今週末に広大にて開催させていただくことに。

アフリカ学会と言えば、地域研究や人類学が多くて、人類学会あたりと被っている人も多い。それにくらべ、広島大学には、国際開発、教育が多くて、どうもこういう方々がマジョリティになりそうな感じがする。地方色ではないけれど、比較的アフリカ学会本体の相似形にあった名古屋、京都を渡り歩き、この広島、中四国あたりのアフリカ研究がどんなふうに展開するのか、とても楽しみな会になりそうです。


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2016年7月6日水曜日

地域研究というプラットフォーム

4月から6月の学会シーズンが終わり、とりあえず一段落。今年は所属が変更になったこともあり、発表と名刺配りでだいぶ頑張った。

今年度のシーズン最終戦は、比較教育学会。どの学会でも、若手は学会に閉塞感を感じ、新たな方法やブレークスルーを狙う。実に健全な動きで、こうでなくては、その学問は発展しない。比較教育学会で参加した「ラウンドテーブル」はまさにその動きの大本営みたいなところだった。

この「ラウンドテーブル」は「これからの比較教育学を考える(2)」というもの。僕は、昨年の(1)に参加していないのだけど、昨年は「地域研究」的手法を取り入れる、ということがキーワードだったよう。今年は、それに基づいた、方法論の新たな地平を拓こうとするもの。しかし、昨年来の経緯を聞いていて、気になったのは、「地域研究」ということが、僕ら「地域研究」研究者とどれくらい共有できているのか、ということだった。たとえば、人類学と混同されていないか、また、「地域研究」が、「地域」という、ある分節された空間の中を網羅的に学ぶことに一義性があると思われていないか、など、こういうことが心配だった。方法論の研究であるので、やはり実行性がなければ意味がない。そういうところにコントリビューションできないか、ということが今回の僕の仕事だと認識して臨んだ。

結局、どんな風に理解されているかは語られなかったけど、少し講義じみたやり方をしてみたら、参加者はずいぶん熱気をもって聞いてくれていた。そのあたりから見ると、今のところ、僕が想定していた認識レベルからはそれほど離れていないことが読み取れた。

6月初頭に開催されたアフリカ学会。まさに地域研究学会の再大手なわけだけど、ここには、教育系の研究者はほとんどいない。毎年、2,3の発表のみだ。比較教育学会を見ていると、やはりもう少し、この間をしっかりつないでいった方がよいだろうという思いに至った。地域研究は、そのものとして強力なディシプリンがあるわけではなく、様々なディシプリンを取捨選択しながら行う、学際的研究だ。1950年代に起こったこの学問は、当初は、京大の今西錦二、梅棹忠雄らが組織したような集団調査が方法論としてメジャーだったようだ。推測するに、人類学者の一人学際研究が勢力を伸ばすにつれ、次第に今のような方法に固まりつつある。しかし、僕らがカッセーナ研究で行ったような、今西・梅棹時代の研究手法は改めてやってみると実に実りは多い。いずれの場合でもよいのだけど、おそらくは、地域研究というプラットフォームに、いろんな専門性を持った研究者が少しずつエフォートを持ち寄る、というスタイルは一周回って有効なことを示している。

おそらく、教育学系以外にも、いくつもの分野にアフリカを研究対象地としている研究者が眠っているように思う。こうした眠った人材と、既存の人材が研究交流を通して、新たな課題を発見し、それを解決していく。きっと地域研究学会の真髄はそんなところにあるのだろう。

今年もいくつかの学会に参加し、こんなことを考えたのでした。その後、広大内で何人かのアフリカをフィールドにしている人たちを発見した。これから立ち上がる広島アフリカ研究会には、彼女たちもお誘いし、新たな活躍の場を作ることができればよいな、と思う。


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2016年7月1日金曜日

子ども学と子育てVol.6 クネクネ

video

寝返りを打ったと思ったら、最近は横向きに寝るようになった。こんな時間まで作業をして、寝床に行くと、連れ合いと相似形な感じで寝ている。こんなのを写真に撮ると張り倒されそうなので、決してやらないのだけど、これと並んで、ここ数日間のお気に入り。

始めて映像をアップするのだけど、ちゃんと見られるかしら?

クネクネダンス。朝方のご機嫌の時によくやってくれます。



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2016年6月30日木曜日

広島県は「おしい」かもしれないけど、東広島は…

http://travel.rakuten.co.jp/movement/hiroshima/201204/より
去年だか一昨年だかにこんなポスターが張り出されていた。県外に住んでいた時は、この自虐的なポスターをほほえましく見ていたのだけど、最近は、「おしい」???そんな気分。

「東」広島に住み着いて3か月。最近、妄想するのは、「東広島」改善計画。

東広島は、旧西条町が1973年に広島大学を誘致、1974年には周辺3町が合併してできた市。言わずと知れた酒どころで、広島大学の近くには、サイエンスパークと言われる研究所群もあり、まがいなりにも中国地方一の学園都市だと言ってもいいでしょう。

が、大学、研究所とも、駅から遠い。せっかく新幹線を通しても、中心街の西条駅周辺からは隔絶されている。どういうことかと言えば、東広島⇒広大には、朝のみバスがあるが、午後には広大⇒東広島に数本しかバスがない。西条駅と東広島をつなぐバスも非常にすくない。広大ができてから40年、多少なり学生街のような下見という地域は大学に隣接してはいるが、やっぱりパッとしない。駅からのアクセスが悪すぎるのだ。

そして、学園都市、という割に本屋はない、映画館もほぼないに等しい。学生のたまり場になるようなところもたぶん大してない。文化資本が限りなく乏しい。大学は世界に打って出ようと威勢はいいが、どうもこんなところでそんなに素晴らしい研究が生まれるような気配はない。大学も世界に目を向けているけど、足元は自分たちの仕事ではないと思っている節もある。

もう少し苦情を書けば、子育てにはなかなか厳しい土地。医療費は高い、どうも待機児童も少なくないらしい。

僕らがここに住んでいる間には、何も変わらないだろうけど、例えば、東広島―広島大学―西条のバスのラインを充実させるだけでも、ずいぶん人の導線は変わると思う。東広島にはなぜかチェーン系のホテルがいくつかあるが、あの辺りももう少し飲食店が増えるだろうし(現在ほぼない)、もう少しいろんな仕事が増えるだろう。きっと広大関係者もわざわざ広島に戻って新幹線に乗らずに、東広島から乗るのではないか。通勤範囲もかなり変わって、町自体が変わるきっかけにはなると思う。

こんなブログでグダグダ言っても仕方ないのだけど、いくつもの名産があり、環境もいいのだけど、大学関係の知人に「広大に勤めることになりました」というと「あ~、あそこ?ちゃんと暮らせる?」という反応が返ってくる、そうみられていることから考えた方がいい気がする。東広島、頑張っておくれ。

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『トウキョウソナタ』黒沢清(監督)2008年

http://mihocinema.com/tokyo-sonata-6146より拝借
先日の『東京家族』、その後ウェブで色々調べたら、とんでもない酷評だらけ。とあるブログでは、「小津を盗むなら「トウキョウソナタ」のようにやるべきだ」とのコメントがあった。それで、DVDを買ってみた。

【あらすじ】
ごく一般的な家庭、佐々木家。ある日突然竜平(父)がリストラされるが、竜平はそのことを家族に言い出すことなく、スーツを来て出勤するふりをする。竜平は再就職先を探すが、仕事は見つからない。ある日、炊き出しをする公園で昼食をとっていると、高校の同級生の黒須と再開する。黒須も職を失い、3か月がたっていたが、やはり、会社勤めを演じていた。しかし、黒須は妻と心中してしまう。竜平はこのことをきっかっけに清掃員としてショッピング・モールで働きだしたのだった。しかし、それでも家族にはそのことを言い出せない。
そんな中、フリーターの長男の貴はアメリカ軍の国外志願兵に応募、次男の健二は竜平の反対に対して隠れて行っていたピアノ教室で才能を見出される。ピアノ教師の金子は健二を音楽専門中学校に行かせることを勧める手紙を送り、竜平の知るところとなる。そして、妻の恵の留守番中に強盗が入り、誘拐されるなどと、一家を様々な事件が襲う。
誘拐された恵は、車での移動中、竜平が働くショッピング・モールを訪れる。そこで、清掃中に札束を拾った竜平にばったりと会う。竜平は走り出す。恵は強盗の元に戻り、やはり車で走り出す。
健二は友人の家出を手伝おうとしたが、友人は途中で喘息の発作を起こし、父親につかまり、健二はバスの無線乗車で警察に補導される。結局不起訴になり、健二は家に帰るが、そこには誰もいない。恵を誘拐した強盗は車で海に突っ込み、走り去った竜平は交通事故に遭い意識を失うが、軽傷でそのまま家に帰る。3人は家で出会い、もくもくと、無言で食卓を囲むのだった。
そして、貴は志願兵を辞めるが、アメリカで学ぶことを選択し、健二は音楽大学付属中学校を受験する。そこで健二を見守る、竜平と恵。健二が演奏するのは『月の光』(ドビュッシー)だった。

【感想】
確かに家族がテーマのこの作品だが、言われなければ、『東京物語』(小津安二郎)をインスパイアした作品ということはわからない。なんせ、『東京物語』の大きなプロットである、竜平の両親に当たる人物が出てこないのだから。現代の家族の中には、それほど田舎の親の存在は小さいのか…
家族の描き方で感じるのが、『東京物語』は休息に成長する日本経済の中に埋没していく家族像が描かれ、その結末を知る僕らは、それほど幸福な未来がやってこないことを感じ、なんだか途方に暮れてしまう。その一方、『トウキョウソナタ』は2008年という、最悪の経済状況の中、家計を維持することも難しく、希望の見いだせない時代のこと。希薄になった家族間の関係性の末、家族を包む妻の恵すら、自暴自棄になり、一緒にいることしかできない。そこには、やはり家族の絆があるのだけど、決して『東京物語』の時代のような、何かを見失うほど浮かれた人間はいない。実は、この時代に暮らす人たちはとても冷静で、しかし、見回すと何もない、これも別の意味で、途方に暮れざるを得ない。
もし、黒沢監督が『月の光』になにかのメッセージを込めていたとしたら、きっとそれが監督の意図するこの作品のゴールなのだろうけど、僕が読み取ったのは、『東京物語』がアポロ的な世界観で描かれたとしたら、この作品はその陰、デュオニソス的な世界だと捉えたのではないか、ということだ。
この作品からそろそろ10年が経とうとして、この暗い時代はある意味過去のものになった。この時代の家族はどのように描かれるのだろうか。

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2016年6月27日月曜日

「セネガルの食と景観をめぐる謎」手代木功基+清水貴夫,『地理』7月号

http://www.kokon.co.jp/book/b239834.htmlより
昨年9月に田中樹先生、手代木功基さんと敢行したセネガル広域調査。確か2週間弱の短いものだったのですが、その割に色々な成果が生まれた調査になりました。

「砂漠化プロ」(前職のプロジェクトの名前です)のグルマン3人衆の2人が参加ということで、本当によく食べました。食文化不毛の地(笑)ナミビアを主戦場とする手代木さんには、リッチなセネガル料理をお楽しみいただこうと思い、本来の調査と同等の力をかけて食事をしました。最後は、超のつく健啖家の我われに合わせた田中先生が体調を崩し、「お前ら勝手にしろ」とご本人が断食まですることに…というのもよい思い出です。

帰国後、せっかくだから、ということでプロジェクトのHPにエッセイを書き、その一部を使いながら手代木さんが立派な原稿に仕上げてくれました。

今回の僕らの疑問は、セネガルはコメなどほとんど作っていないのに、なんでこの人たちはコメばっかり食べてるんだろう、というもの。セネガル以外の西アフリカの食事をご存知の方なら、異様とも思えるほどのコメへの執着を感じるのではないでしょうか。この執着心を書くことはできませんが、どれくらいセネガルの人たちがコメが好きか、ということは多少示せたのではないかと思います。

割と小さな書店でも売っている雑誌ですし、もし見かけたら、立ち読みでもしていただければ、と思います。

このブログでも、「食文化」というタグをつけて、ここ数年間、意識的に資料をつくるようにしていますので、また何かの機会にまとまった文章にしたいと思います。

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