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博論執筆日記 Vol.2 フィールドノート

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フィールドノート。何度かこのブログにも出てきたが、人類学者というか、フィールドワーカーにとっては、宝物だし命の次に大切と言ってもよい。人それぞれで位置づけは違って、単なるメモ帳の人もいれば、僕のように、すべて書き込むタイプもいる。

研究を始めてかれこれ60冊ほどのノートがあるのだが、最初からすべて書き込む、というスタイルではなく、最初は記憶力が悪いくせに、ほとんどノートもとらず、さらに見返しもしない。よく修士論文が書けたな、と思うほどだ。いろんな経験とほかの人のノートの取り方を見て、例えばトピック毎にノートを分けてみたり、また1冊にまとめてみたりして、今はすべてを時系列的に並べて、できるだけ詳細に、図をできるだけたくさん入れる、というスタイルに落ち着いて3-4年になった。結局、正確な情報を映像と共に思い出せるようにしようと思うと、情報をクラスト化するのはあまりよくない、という結果に落ち着いている。今のところ、である。

さて、文化人類学の論文(博論に限らず)はこういうノートを清書し、それをまとめて分析し、そこから生まれてくる。もちろん本も大事だけど、僕のスタイルはフィールドのデータが命なのだ。

さて、大きな話を書いた。なぜフィールドノートのことを書いたか、というと、実は未整理のものがかなりたくさんあるのだ。数年前から、ヴォイス・レコーダーを3台体制にして(埋まったことはない)音声データもあるから、かなり再現性はあるのだが、これがすんごい時間がかかるのよ。ノートだけですでに数百ページあるけど、これをさらにまとめると…いつ終わるんだろ?


想田和弘監督『牡蠣工場』2015年@大竹財団会議室

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3年越しでようやく見ることができた『牡蠣工場』。実は想田映画を「劇場」で見るのは今回が初めてです。

岡山県牛窓(瀬戸内のエーゲ海というらしいが…)の牡蠣工場を舞台としたこの映画。主に渡邊さんという、もともと三陸で牡蠣の養殖をしていたが、震災の影響で宮城から岡山に避難してきた方が中心的に描かれる。渡邊さんは、牛窓の牡蠣工場を継ぐことになっている。この地域も過疎の影響を受け、どこの工場も人手不足。その人手不足を補うため、中国をはじめ、アジア諸国から出稼ぎを受け入れている。渡邊さんのところでも、中国人の出稼ぎを受け入れることになった。

とあらすじめいたものを書くと、なんかチンケな話だけど、そこは観察映画。さまざまな「今」が見えてくる。震災のその後、過疎問題、一次産業の人手不足、今のご時世の文脈で言えば「差別」の問題等々。145分という長い映像だが、トピックはいくつもでてくる。ポスターには「過疎の町にグローバリズムがやってきた」として、グローバリゼーションが前景化されているが、別のテーマであるといわれても、いかようにも取れる。これが想田監督が言う、オーディエンスに解釈を任せる、というものなのだろう。ある景観を形成する要素や、その切り口は一つだけではないのだから。

蛇足。つい最近のこと。東京のセネガル人の集まりに呼ばれて、ゴハンをごちそうになりながら、カメラを回すことになった。僕にとっては、一部調査ということもあり、いろいろ話を聞きたかったのだけど、カメラに気を取られて全く調査にならない。ノートにメモできないことがこれほど不安だとは…もちろん、この手法に慣れた想田監督だから、比べても仕方ないのだけど、観察しながら映像を撮るというのは実に難しい。



ブログを一新しようとして失敗してる話

ブログを一新しようと思ったら、思いもよらない方向に…

ちょっと色気を出してみたのだけど、まったくの失敗。
背景の青いのは、写真の半分上の空の部分。う~ん、うまくいかん…
投稿の仕方も変わってしまってややこしくなった…

こればっかりやってられないので、今日はここまで。明日以降作業をやり直します。

そんなわけで、これから時々変わります。引き続きごひいきに。

博士論文執筆日記 Vol.1

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突然こんなことを書き出すことにした。ここ1年程、再びブログ倦怠期に陥っていた、というか、別原稿(後日詳細を書く)に係っていて、この原稿の関係で、あまりブログをいじりたいと思えなかったのだ。そして、その原稿に係っているうちに、ブログ上でもチョコチョコ「宣言」めいたことをつぶやいていた博士論文のほうも、ようやく、本当にようやく走り出してきた。

やはり一筆目が大変で、次の一画からは意外にサッサと筆が進む。「思うより行うが易し」とは言うが、めくら滅法にに書き始めるわけにもいかない。だが、とにかく最初の1文字を書き始めなければ、終わりもないわけで、ある程度方向性を決めたら次は無理をしてでも書き始める、こんな感じでなければ、と思う。

4月から月に1回から2回のペースで名古屋に通い、指導教官の佐々木重洋先生に指導を仰ぐ。これがペースメーカーとなっている。前期中はとりあえず、目安となる目次の作成、そして、ブルキナファソ調査2度(こっそりと)で補完データを収集し、図書館でも文献収集をした。資料のまとめやらで割と時間がかかっていたのだが、8月にようやく本格的に執筆が始まった、というのがここまでの経緯。もうずいぶん長くやっているので、既出論文は何本かあり、これを解体して、重複箇所を削除して、プロットの組み換えをやり…としていると、すでに原稿用紙200枚分。量を書けばいいわけではないが、とりあえず、これが今のところのベースだ。

今のところ、12月末には初校を上げ、3月に晴れて学位取得、というのが目標。もちろんやることは、これだけではなく、そのあたりを考えると、すでにかなり厳しいスケジュールになってきている。しかし、まずはやれることをコツコツと。

とりあえず、改めて執筆宣言をしてみたのだけど、内容の話はまた追々と。タイトルすら書いてないし…


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災害に際して思うこと

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7月から続く数々の災害。大阪の地震、大雨、台風、そして北海道の地震…これでもかという自然災害が日本を襲っている。「厳しい」環境だと言われているアフリカにいると、最近では「暑いだけか」というくらいで、ずいぶん優しい環境に感じてしまう。

ここのところTwitterの住人と化し、ほとんどブログを更新することもなくなってしまったが、災害が起こっているときのいわゆるネトウヨ諸氏による野党攻撃は目に余るものがある。逆側もそう取られているのかもしれないが、まあ、僕はそんな立場なので、こちら側に軸足を置いている。ネトウヨ諸氏の野党批判は、災害が起こって諸野党が「災害対策本部」を設置するわけだが、政治家が現地に赴くのをあげへつらって「邪魔しに行くな」とかそういう批判が多い。確かに、よく考えたら、野党諸氏は現地に行って何をしているのだろう?というのは疑問だ。独自の目線から情報収集を行う、これは間違いなく必要だろう。だが、ホームページを見ると「支援」と言う言葉がチラホラと目につく。どんな「支援」をしているのかな?と思ってみてみると、それは全くホームページに書いていない。これは色々言われるわ、と思ってしまう。これでは、現政権批判のための情報収集にしか見えない。

これだけ頻繁に災害が起こると、毎度初めまして、というのはなんだかおかしい気がしていて、確かに日本社会としての知識や経験の蓄積はあるのに、声高な政党が情報収集だけだったら、「本当に政権をとるつもりがあるのか?」という批判に耐えきれるものではない。被災者の「支援」を本当にやっているのなら、もう少し具体的な報告がアップデートされてもいいと思うし、情報収集だけなら、効果的で体系的な「支援」を考えなければならないと思う。NGOや研究者、企業などを巻き込んだ備えのプロットを多く作ることで、よりレジリアンスの高い社会をつくる。特に、関心も知識も高い、NGOや研究者はその存在自体、特にイベンチュアルに起こる自然災害は平時は得てして忘れ去られてしまいがち。こうした人たちを常に備えさせることで、より質の高い「支援」も実現するのではないだろうか。

まずは目先の被災者「支援」にご尽力願いたいが、少し落ち着いたらこんなことも考えてほしいと思っている。