2012年2月16日木曜日

第10回まるはち人類学研究会

前日のアップになってしまった…10回目のまるはちは修論検討会。力作ぞろいの修論です。



    * * *


日時 : 2012年2月17日(金) 13:00~17:40


会場 : 南山大学人類学研究所1階会議室


13:00      開始


13:00-13:10 趣旨・あいさつ・発表者紹介

13:10-14:00 奥村哲也(名古屋大学)『観光資源化される民族芸能の伝承に関する研究―沖縄市諸見里青年会の「エイサー」の事例から―』


14:00-14:15 質疑応答


14:15-15:05 中林那由多(南山大学)『たばこ喫煙の身体技法―工業製品の民族誌に向けて―』


15:05-15:20 質疑応答 


15:20-15:30 ~休憩~


15:30-16:20 中尾世治(南山大学)『物質文化としての史資料の分析に基づく西アフリカ中世史研究への寄与―伝播の考古学的人類学』


16:20-16:35 質疑応答


16:35-17:25 小山剛(名古屋大学)『花祭りの伝承母体における青壮年集団の役割についての研究』


17:25-17:40 質疑応答


17:40      終了

2012年2月7日火曜日

真面目にやろう、ダイエット。

どうもこうもない。ジョギングして脂肪の揺れを感じ、ちょっと歩いて息が切れ、調子がいいのが胃腸だけ、というどうしようもない体をどうにかしてやろう、ということだ。

今日も医者に行ってきた。昨年6月以来、4回目くらいだろうか。血圧は薬でずいぶん抑え込まれている。足が痛いのもここ3か月は出ていない。表面的には今のところただのデブ。

一応、年明けは忙しかった1月中盤を除き、かなりの頻度で泳ぎ、タニタメニューとかやってみたり。泳ぐのはずいぶん前から、暇があれば…という感じだったので、まあ、いいとして、すべては始めたばかり…結構頑張っているのに、今日プールで、「体重が増えている…」。実は先週1週間で1.5kg減った。

よく考えてみたら、日曜日に映画を見る前にモスバーガーを食べ(おやつ)、見ながらバケツ・ポップコーンを完食し、さらに夜は韓国料理をたらふく食べた。ちょっと気を抜いたすきに…というのはなかなか共有してもらえないだろうな…「三歩進んで二歩下がる」くらいでいくといいのだけど…

2012年2月6日月曜日

『ALWAYS 三丁目の夕日64’』

久しぶりに劇場で映画を見た。毎回話題になる作品だけど、初発ではほぼ乗らない。みんなが面白い、という話はまずスルー。波が静まったところで、静かに見る。でも、今回は乗ってしまった。

舞台は昭和39年、東京オリンピックの年。前作では建設中の東京タワー、まだ戦争の余韻が感じられるような時代背景だったが、本作は高度経済成長期のまっただ中にある。バブルの前、僕には実感できる時代ではないけど、きっとそういう時代だったんだろう、というのが映画から見えてくる。

今、この時代を表現すれば、たとえば、坂本九の「上を向いて」などにあらわされる、上を向いていればよかった、単純化された経済社会状況として言いあらわされる。しかし果たしてそれほど単純だったか。

本作でも、三浦友和扮する宅間医師は、若き菊池医師(森山未来)とともに無料診療を行う。孤児、売春婦など社会的周辺にいる人びとに対して無償で医療を提供する。「社会」のメタファーである、病院は、非経済的な活動を抑圧し、菊池医師を排除する。しかし、それを止めない菊池医師、それに同調する宅間医師、さらに、宅間医師に「おカネで解決できないものがある」と言わしめる。「経済」の仕組みに行き詰った今の時代だからこそ、こうした部分に僕らは今の時代との接点を見いだせる。

高度経済成長期と名づけられた、経済に注目が集まる時代の物語。バブルのころのようなネオンの明かりに照らされたキラキラした時代ではないけど、少し色あせたセピア色に彩られる世界。僕の父や母が青春を過ごした時代。僕は知らない時代だけど、この時代の感性には十分に共感できる。50年後、この作品がどのような見方をされるのかわからないけど、できれば長く残ってほしい作品だと感じる。

2012年2月4日土曜日

伊坂幸太郎2009『終末のフール』集英社文庫


先週末、栄のBook Offに初めて足を踏み入れ、『死神の精度』とこの『終末のフール』を購入。『死神の精度』は早々にやっつけ、ここ数日間は『終末のフール』を読んでいた。


伊坂は研究室内でも読者が多いので、飲み会のときのネタになりやすい。とてもスマートな文体だし、仕掛けも面白いので、「文学研究科」の大学院生にとっては、格好の「酒のあて」となる。


構成は8つのプロットで、最初のプロットで全体の前提が敷かれる。5年前に発見された小惑星が、8年後に地球に衝突し、人類が滅亡する、人類全体が残り3年の命と宣告された世界が舞台である。


解説を書いた吉野仁氏が的確に、そして完結に、この小説の見どころを書いているのだが、もっと簡単にしてしまうと、「死」を描くことで「生」、「生きること」の在り方を問う、これが本作品の狙いだろう。吉本隆明が引いたE・キューブラー・ロスの一節を吉野氏が引いている(曾孫引き…すいません)一節から。ロスは「〝死に至る″人間の心の動きを明らかにした」のだが、ほとんどの人は、死を「否認」⇒自分が死ぬことに「怒り」⇒生に執着するために何かにすがり(「取り引き」)⇒何もできなくなり(「抑鬱」)⇒最後に「受容」する、という5段階を経る、という。伊坂はこのロスの〝死に至る″人間の心の動きをたどっている、という。


この物語が始まる前、世界の滅亡が宣言され、殺戮が繰り返され、いわば社会規範自体が崩壊する。しかし、死を「受容」したタイムリミット3年のこの世界では、再び人が人を必要とするようになる。ニーチェあたりを下敷きにしていそうな、死を語り、ポジティブに生き抜かねば、という話なのかと思う。

「明日までしか生きられなかったら、何をするか」、よくカレーとかラーメンを食べる、と答えていたように思うけど、改めて「生きる意味」のようなことを考えてみたくもなった。

深くてさわやか、伊坂作品でも割かし上位にランクづけ。