2009年9月29日火曜日

夜更かし

と言ってもほんわかした雰囲気のものではない。

まずはくそ暑くて寝られん!洪水でもいいから雨降ってくれ!(と一瞬思ってしまう)

そして、後ろでなってる扇風機が発電所並みの音を出す!(うるせー)

しょうがないので、どこにいようと容赦なく襲ってくる締切と闘うため!(おかげで思い出した…)

こたつに入ってテレビを見ながらウトウトしているような夜更かしとは全然違うのである!

2009年9月26日土曜日

さらなる被害(?)

洪水から早1か月近くがたとうとしている。光陰矢のごとし。

ちょっと事情があり、昨日からホテルにて数泊することになった。もう出国もそれほど遠いこともなく、書き残した論文や書類を書くのにちょうどいいタイミングだった。スケジュールのチェックや、もうほとんどできないであろう調査項目の絞り込み、ラストスパートに向けての調整と思っている。

当然、残金やらも確認しなければならないので、久方ぶりに財布を取り出す。ぼくの財布は20年近く使っているcoachのもの。色は黒。アメリカに住む叔父がくれたものだ。ブランドものには疎いのでいくらくらいの代物なのかは知らない。ただ、coachというイケイケのお姉さんたちが狂っていそうなものなのだ、ということくらいである。

さて…と思い、貴重品袋を開ける。見たこともない物体に変化したものが…色が水色に変化している…カビだらけ。安物(1,000円)の小銭入れもカビだらけ。

そういえば…冬のフランスを想定して持ってきた革のハイカットの靴もこんな色だった。革靴代わりにフォーマルな場面で使うので、こちらは先に気づいたが、財布には頭が回らなかった。革靴はカビを丁寧に拭き取り、日光消毒した。

財布も一度日に当てないと…それにしても気付かんかった…

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2009年9月24日木曜日

右足の難

調査旅行にでて、約2か月が過ぎようとしている。なぜかこの間、右足ばかりを傷つけている。

①「和が家」開店時、油を落とす。(8月初旬 1回目)
②できものがつぶれる。(8月10日前後 2回目)
③油を落とした水ぶくれがつぶれる(8月10前後 3回目)
④再びできものがつぶれる(8月20日前後 4回目)
⑤靴下の中に入った石で指の間を切る(8月20前後 5回目)
⑥サンダルで歩いていたら右足の小指をぶつける(9月10日前後 6回目 これが一番痛かった…)

バンドエイドを使い果たし、赤チン(効かない…)もほぼなし。最初の方の傷はほとんど癒えたが、最後の3つがまだ残る。本日、元協力隊の看護師さんに相談したら抗生物質を飲むべし、とのこと。

僕の右足は傷だらけ。

2位決定~惨敗…

今年こそは…という期待を胸に、3月末から見守ってきたドラゴンズ。

ブルキナにいようが、地の果てにいようが気になってほぼ毎日「中スポ」にアクセスし、密かに一喜一憂していた。4番とエースが抜けたが、素人の私でも今年は行けると思えた。それは、他の選手の自信に満ちた顔であり、落合監督のコメントによる。残念ながら、ほとんど、数字を追うことで何とか強弱を判断できる程度だが、今年3番を打った森野であり、和田であり、またチームリーダーの荒木であり、井端の数字はここ数年、非常に安定してきている。

なんとか、今年も優勝争いはできるかな…と思ったが、意外に引き離された。落合監督がシーズン中にだした、「巨人を追えるのはうちだけ」発言。まったくその通りだった。一時は1.5ゲームまで詰め寄り、ファンを喜ばせたが、やはり「追える」だけで「抜ける」わけではなかったわけだ。これくらいの強さが応援のし甲斐があるのかもしれないが、そろそろ優勝が見たい。

「うち以外にどこが優勝するの?」ニヒルにそういい放つ落合監督をきたいしつつ…

2009年9月22日火曜日

謙虚さ…

今朝、事務所に行くとスタッフの一人から

「疲れてるのか?」

と言われる。

「飲み疲れだよ」

と言うものの、正直、助成金の手続きの一件で精神的に相当参っていた。受け入れ先の先生から存外なことを言われ、その返答に困って2日ほど過ぎてしまった。そのスタッフは事情を相談してたので、私の疲れをよく分かっていたのだろうが、彼のアドバイスを素直に実行できなかった。直接行った方がいい、という彼と、文字でやった方がいいのではないか、という私自身の直感の間で揺れ動いていた。

先日先生に会ったとき、ずいぶんしゃべり過ぎた。たぶんすごく失敗したネゴシエイションだった。そんな実感もあり、より的確に、簡潔に、順序をはっきりと示すこと、フランス語では難しかったが、英文でその文章を作った。慇懃無礼な、とても日本人らしい文章に仕上がったエクスキューズの文章、そのスタッフに診てもらった。

「彼は英語を読まないよ」

そして、フランス語に訳しだした。ほとんど彼の手によるものだが、美しいフランス語に仕上がった。

友達とのアポが終わって事務所でメールをチェックする。先生からの返事は、

「とてもクリアになった。可能なことは手伝いましょう。」

というもの。スタッフは、

「おめでとう!」

と。

フランス語をちゃんと学んでこなかったツケが回ってくる。こんな局面で。

何度でも1にも0にも戻る覚悟が必要なのだろう。自信過剰になっているつもりもなかったが、いつかこういう思いも忘れてしまう。人間とは便利なもので。もう一度地べたに戻ってやりなおそう、そう思った夕方。

灼熱のブルキナファソも微妙に秋を感じることがある。日差しの角度がなんとなく感じさせる季節。調査も残るところ2週間強。もう一度、基本に戻って、ヒトをしっかり見てみることにしよう。

2009年9月20日日曜日

一喝

ちょっとした…もめ事。別に日本に居てもよくあることがおこる。もちろんその質は異なる。

いわゆる開発途上国で生活し、さらにその中でも最も貧しい部類の人たちを調査対象としていれば、日々物乞いに金をせびられ、ものをせびられることには慣れている。ただし、ここに住んでいる人すべてがそうか、と言うとそんなことはない。数万キロ離れた日本で「武士はくわねど…」と似たようなメンタリティにも出会うのである。

実際、ラスタのあんちゃんたちはストリート・ボーイの一類に当てはまる人たちだが、すっかり彼らから金をせびられることは少なくなった。金の無心を受けるのも、お母さんが病気になったとか、雨で家がつぶれた、と言った緊急の類だけだ。

ある人から、金の無心に近いことを言われた。その人は世の中の常識的に、私からお金をせびってはいけない人。その対処にここ数日間頭を悩ませている。

お昼。いろいろやることもあるので、事務所でパンを食べてやり過ごそう、と外へ出る。いつも道端で会うあんちゃん。20代後半くらいか…

今日はラマダン明けでお祭りをする。昨日、「明日祭りをやりたいから200フランくれないか?」と道端で言われる。「俺が祭りをやらないのに、なんでお前がやるんだ?」と冗談っぽく私は言う。そして、今日…「昨日お前が200フランくれなかったから、祭りができなかったじゃないか」

カチン。

彼は新しいサングラスをかけていた。久しぶりに体が反射的に動き、人差し指でサングラスを跳ね、

「もういっぺん言ってみろ」

自分でも怖くなるくらいドスが聞いてた。

「Excusez moi…(すいません)」

ある人にはこれくらいやってやりたい、そう思うラマダン明けの雨の昼下がり。

2009年9月18日金曜日

SAP SAP

本日の日程
8時半 迎えの車が来る
8時50分 大使館で用事開始
9時15分 用事終了
9時35分 行き慣れない写真屋でヴィザ更新用写真を撮る(2分で終了)
9時45分 Gounghenの警察署でヴィザ更新手続き終了(約3分で終了)
10時 Grand Marcheでオヤジ氏と落ち合う(書類ファイルを購入 ちょうどそこにあり1分で終了)
10時30分 マリーナ・マーケットで非常食購入
11時 帰宅
11時半 昼飯(+ビール)

1日がかりの予定が数分単位ですべて終了。明日か明後日ラマダンがあけるからみんな早く帰りたかったんだろう。いつもこうだといいけど、たまにやられると手持無沙汰になる。よって昼寝してました。

2009年9月10日木曜日

ワガドゥグ沈没③


3日連続で参加するNGOの事業地に行ってきた。事業地への道のり、調度今回の水害の被害が最も酷いといわれている地域の横を通る。初日、チラチラとそちらの方を見ていると、道沿いにある小学校に多くの人だかりが見える。事務局長に「見れないか?」と言うと、「許可がいる」とのこと。しかし、翌日、事務局長が「テレビで見たから、ジャーナリストのふりをして行こう」ということで、2日目にKARPALAと言う地域に潜入した。
上の写真がKARPALAの写真。バンコ(日干し煉瓦)づくりの家屋が多かったこの地域は、ほぼ壊滅。つい最近まで村だったこの地域は、ワガドゥグ市の拡大とともに、ワガドゥグに取り込まれていった。この写真の左の方、東側に小さな溜池があるらしいのだが、西側の幹線道路からひたすら下っている。つまり、一番低いところにため池があり、その隣にこの地域があるということになる。しかし、高低差は普通に生活していてはわからない。家事で使う水が流れる方向でかろうじて知るくらいだろうか…

そして、次の写真。住民が瓦礫を掘っている。取るものも取りあえず逃げ出したそうだ。家財道具、金、貴重品が瓦礫の下に眠っている、という。瓦礫はその次の写真のような状態。バンコであったことはすっかりわからない。溶けて、まさに土に返っている状態である。
学校には、UNICEFのテントがあり、昨日「和が家」に来たフランス大使館勤務の方によれば、フランスもNGOなどを通して緊急支援のために走り回っている。
とりあえず、援助が決まり、少しでも早い復興を願うばかりだ。ワガドゥグ市の真ん中の橋は落ちたままだし、これから崩れる可能性のあるバンコの家はまだまだ多い。何をどのようにするか。緊急援助はとりあえずの生命維持装置で、生き返ったワガドゥグ市をどのように強くしていくのか。今回は天災で済むかもしれないが、次回は完全に人災になる。
ワガドゥグ市はハリボテ、と言うのは、不肖私がよくワガドゥグを揶揄するいい方である。コンクリートの板を張っただけの水路は、水の勢いでコンクリートがはがれ、コンクリートでつくったかに見える家はよく見るとその後ろ側が崩れてなくなっていたりもする。政治的にハリボテなだけでなく、大工も家のたて主にもハリボテ観がある。
「オリジナル」という言葉をよく聞く。たとえば、日本から直輸入した電化製品であり、フランスから持ってきた自転車、車であったりする。いろんなものにこの言葉を使う。たぶん、これを判断するのは一つの能力やスキルで、なかなかこれを習得するのは難しいものらしい。「ハリボテ」を脱出するためには、この「オリジナル」を見分ける能力を身につける必要がある。
しかし、昨夜、オヤジ氏が奇しくもこんなことを述べた。
「うちで働いている女の子は、先を読まないんだよね~。油がなくなった、とは言うんだけど、だからなんなんだ?なくなったから、買いに行きたい、というところまで言わないんだよ」
そういえば、ここの人たちは自分で判断することを極度に嫌うように思う。もちろん、自分で仕事をしている人たちは、その真逆に独断的なことが多いのだが。ある意味、マスター、パトロンが必要で、指示を常に待っている。リスクはほんの小さなもののはずなのに、それすら負う気はないらしい。だから、マスターであり、パトロンである、フランスや日本で作られた(実際はそのメーカーの冠を持っている商品)がオリジナルだと思ってしまうのではなかろうか。
話はすっ飛んでしまったが、数千人が被害を受けた、今回の洪水。「オリジナル」な街ではないことが露呈した。それを笑い飛ばすここの人たちの気質は見上げたものだと思う。しかし、人が死に、爪に火をともすような努力をしてコツコツと貯めたお金が土砂に埋もれ、住むところすら失ってしまうことは、なかなか笑って済ませられない問題が残る。これはこれからじっくり見て行かねばならないところだろう。

2009年9月8日火曜日

ワガドゥグ沈没 番外編2

台湾でも大規模な水害が起こっている。

ブルキナファソ政府は、関係各国、国際機関へ援助を要請。今のところ、フランス政府に続き、日本政府も多額の援助を約束した、という報道があった。他にも、世界銀行、WHOなどが支援を表明している。

しかし、これは政治の問題なのだろうか。確かに、下の記事を読めば、明らかに水害の多い、台湾での出来事。ゆえにその対応に遅れた政府が退陣した、と言うのは、違和感がない。しかし、ここは…

民主的であることが、いいのか悪いのか。その議論は置いておくとして、政府に未然に災害を防げるというキャパシティを民衆が感じられるかどうか、ということか…ここの国の何人がこの記事を読むのかわからないが、何を感じるのだろう…

http://mainichi.jp/select/world/news/20090908k0000m030051000c.html
(毎日JPより) 
【台北・大谷麻由美】台湾の首相にあたる劉兆玄行政院長(66)は7日、台北で会見し、台風8号による大水害への対応の遅れの責任をとり、辞任すると発表した。内閣は10日に総辞職する。馬英九総統は新内閣の発足で信頼回復を図る考えだが、馬政権の不手際に対する住民の不信感は根強く、年末の地方首長選挙にも影響を与えそうだ。
 劉院長は会見で、大水害の死者・行方不明者が700人を超えたことに触れ、「政府に政治責任があり、誰かが責任をとらなければならない」と語った。劉院長は8月中旬にも馬総統に辞意を伝えたが、被災地の復旧を優先するため慰留に応じていた。馬総統は7日、次期行政院長に、与党国民党の呉敦義副首席(61)を任命した。
 馬総統は先月18日の緊急会見で、9月初旬までに内閣改造を含め行政責任を明確にすると表明。その直後から閣僚らの辞意表明が相次ぎ、政権の求心力は急速に低下していた。
 台湾紙「中国時報」の世論調査によると、馬総統の支持率は今年6月には60.7%と好調だったが、大水害後は29.6%にまで落ちた。信頼回復には時間がかかると予想され、しばらくは低支持率が続き、厳しい政権運営を強いられそうだ。

2009年9月5日土曜日

ワガドゥグ沈没 番外編


今回の記事はmixiにも広報してみた。ウメコさんから教えてもらったのが下のURL。



写真を撮られて「ムカついた」と言ってたら、BBCに写真が出てしまった…「和が家」もすごい宣伝だ…
ちなみにキャプションには、「Business have been affected…」と書かれていましたが、もちろん「和が家」は営業しました。Y'a pas de probleme!

2009年9月4日金曜日

ワガドゥグ沈没②












2日火曜日に起こった水害。3日、4日とも、街中で水に浸った商品を虫干しする姿が目立った。のっぺりしたワガドゥグの街が、なぜか華やいでいたように見えるのは僕だけだろうか…




一昨日、洪水の日に到着した旧知のN氏と車をチャーターして水害後の街の様子を見て回った。この写真は、ワガドゥグ北部にある溜池。ワガドゥグの水ガメの一つだ。雨季の中盤にも関わらず、水量はほぼ満タン。ずいぶん水があふれて、この溜池のまわりにある「高級」ホテルは軒並み水浸しとか。

それにしても、大雨の翌日だけあって、空気がきれいな日だった。

その後、ワガドゥグ西部のグンゲンGounghenと言う地域に掛かる橋の様子を見に行った。グンゲンは市中心部の西側に位置し、中、上流階級の住宅地、大使館関係者などがある地域。



この写真はグンゲンと市中心部を結ぶ2本の橋の一つ。上に向かって伸びているのは、橋の先。半分崩れ落ちて、通行止め。裏ッ側を覗いて見たら、ざくっりとえぐれている。ぼくの体重だと、さらに崩れ落ちそうなほど。某日本国援助機関の事務所がこの近くだが、結構交通量の多いところなので、かなり不便になりそう。

「人生がけっぷち」な感じで…

この橋のことは結構早くから周りの人間が知っていて、相当な人数の見物客がいた。警察(中国の警察のユニフォームを着ている。なぜか…)が5,6人いるが、どちらかと言うと、僕を含む見物客の整理に当たっているように見える。もちろん、無茶なことを言うやつもいて、この危なっかしい橋をバイクで渡らせろ、という交渉をしている。



そして…

果たして何かで報道があったのかどうかわからないが、友人の口の端々に水害と政治の間の関係を言いだす者が出てきた。たとえば…

「世界銀行や国連から援助資金が来たらしい。しかし、被害者へは全く渡らず、すべて政治家が横領している。」

とか、

「なぜ、立体交差*なんかつくったんだ。その前にバラージ(溜池)をつくっておくべきだったのではないか?水の管理はこの国にとって最大の課題なはずだ」

と言ったもの。意外にシリアスな災害の少ないブルキナファソ。誰が自分たちを守ってくれるのか、自分たちがどのように政治に参加するのか、という議論は今まで非常に少なかった気がする。汚職が悪いことは、潔白だったサンカラ前大統領の話を引き合いに出し、よく話に聞いていた。もちろん、その頃から近代的国家建設への道は、すべてのアフリカの国と同じく進んでいる。しかし、いつも違和感を感じていたのは、なぜ汚職がいけないのか、という話がなかったこと。今、目の前に友人や親せきが家を失い、ともすると命を落としている。人々が、病や自然の力の前に屈したように見えても、実は政治の問題でもあることは今回の水害でずいぶん広がってきたのではないか、と思う。しかし、政治の「そもそも」の部分が議論の中に含まれない(つまり、援助頼みでしかない)のが少々気にかかる。ともあれ、政府はないなりに誠意を見せ、外国やNGOは速やかに復興の手伝いをしていくことを切に祈る。

*昨年、市南部にブルキナファソ初の立体交差が完成した。この立体交差は日本の援助米を打って建設されたもの。ちなみに、この援助米の売上は当初の予定通り、ブルキナファソ政府が自由に用途を決められるものだった。

2009年9月3日木曜日

ワガドゥグ沈没①


ワガドゥグが水没した。9月1日のことである。朝3時ころから降り始めた雨は14時ころまで降り続き、ワガドゥグの街の多くで床上浸水した。シドワヤ誌Sidwayaによれば、約半日間の総雨量は246mmで、ブルキナファソ観測史上最高の雨量となった。これまでの最高雨量は、1919年までさかのぼり、ボボ・ディウラッソで降った213mmで、90年ぶりの降雨量となった。





ぼくが居候する「和が家」もひざ上まで水につかり、「和が家」前は腰のあたりまでの水量で、しかも、側溝に沿って流れは激流。オヤジ氏とともに外に出たが、浅いところでも足をすくわれそうになった。

←のこの写真が、午前10時ころの「和が家」前の様子。前の舗装道路が完全に冠水し、激流と化していることがお分かりいただけるだろう。この直前、某巨大NGOの車両が「和が家」の前にとまり、私にカメラを向けた。精一杯の憐れみを含んだ顔で「ボン・コラージュ(頑張ってくださいね)」と声をかけられる。なぜかムカついた…



そして、左が水没する「和が家」である。開店からまだ1か月もたっていないのに、今回が2度目の水没。この時で、僕の足の付け根あたりまで水があったから、80cm-90cmの深さ。


しかし、舗装道路まで行くと、とりあえず問題なく歩ける。近くの様子を見に、少し歩いてみる。すると、東西に走る舗装道路に沿って北側から南側にかけて水が集中している。事務所のある通りが心配でそちらの方を見に行った。


その写真がこれ。見えていないが、消防車が出動し、流れの中に取り残されたこのあたりの住民を救出している。中に旧知のドイツ人の家もあり、心配していたが、この人だかりの中に夫婦とも無事を確認。事務所のガードマンの安否が気遣われたが、翌日、水で押し流された壁の隙間から脱出したとのこと。九死に一生を得たという。ともあれ、大災害だったが、なんとかけが人も死者も出なかったことが不幸中の幸いだった。

この日、雨が上がると、1,2時間で水はすっかり引く。水は引いて、残るのは大量の土砂。家の中、事務所の中はブルキナファソ名物の粘土質の赤い土だらけ。「和が家」はも事務所も早速土の撤去に汗を流す。「和が家」はオヤジ氏の商売人根性により、その日から通常営業。しかし、これだけの土砂が一日で撤去できるわけもなく、2日の午前中までかかってなんとか通常業務が可能な程度に回復した。

次回に続く。

2009年9月1日火曜日

百聞は…



8月7日、ブルキナファソに「居酒屋」ができた。


「和が家(わがや)」。Ouagadougou(“ワガ”ドゥグ)と“我が”家を掛けている。この居酒屋の主はオヤジ氏である。足かけ6年。井戸を掘り、孤児院を建て、若者たちの日本友好倶楽部を結成し…いつも生き活きとして、ブルキナファソの地を生きるオヤジ氏。

この写真がエントランス。この日は雨が降っていて、なかなかしっとりした雰囲気になった。目指すは「ブルキナファソの中の日本」。
そして、入口付近にはこんなボードが掲げられている。数年前、調査で訪れた時にオヤジ氏宅に突然あらわれたもの。以前ワガドゥグに滞在していたT氏が「ぜひこれをお店に…」というわけで、店の看板的に置かれた。
百聞は一見に如かず 百見は一行に如かず 百行は一念に如かず
面白いな…と思ったが、ついぞ今まで、その心は聞いていない。オヤジ氏の生き方を見ていれば、なるほど、と思うのである。
人類学を学ぶ者、「百見」まではいくが、その「百県」が「行」に昇華できるかどうか…その「行」が「念」と呼べるものになるのか…
なかなか味わいの深い言葉だな、と改めて思うのである。