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ブルキナファソ201301-1

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昨夜、1年半ぶりにブルキナファソに到着しました。一昨年の混乱以降、ずいぶん足が遠のいてしまったのですが、ようやく来られました。もちろん、今回も調査で、建築学の先生がこれから来て、乾燥地からスーダンサバンナにかけての建築物を見る、というのが最初の目的。もう一つ、同じプロジェクトで調査をしている院生(と言っても、ブルキナにはかなり長く関わっている方なのですが)の調査を視察する、ということが目的です。 いつもプライベートだかなんだかわからない人脈をつかって調査を行っているわけです。 今回の調査もありとあらゆる人脈を総動員して行われるわけですが、そうなると、可能な限りの友人にあたりをつけることになります。そのなかで、イスラームの調査に付き合ってくれた友人はご家族みなさんで本当に良くしてくれて、今回も調査に付き合ってもらおうと思っていました。 しかし、日本から何度も連絡したのに電話はつながらないし、親兄弟ですら居場所をよく知らない、という状況。彼は小学校時代からスポーツ万能の優等生で、しかもいつも穏やかに僕が欲しい情報を最短距離で手伝ってくれていました。そんなわけで、僕の方でもいろんなことをお願いすることになり、いくつかの村でゲートキーパーになってくれていたので、彼がいるといないでは質量ともに雲泥の差が生まれることになるのでは、と心配していました。 そんなわけで、到着早々、彼の自宅に伺うと、彼のお父さんから、「奴はバマコにいるよ」という情報。そして彼の電話番号を教えてもらったのですが、「ワガドゥグは仕事がないので、バマコに引っ越した」と。彼は腕のいいアクセサリー職人なので、着道楽のマリ人を目指して行ったのでしょう。ともあれ、電話をすると、「お前の頼みは断れない」ということで、今晩バマコを出立してワガドゥグに戻ってきてくれるとのこと。ありがたや。 ほかに修士論文のネタとなったLに、パリの友人の親戚のZ、みんなずっとブルキナで一緒にいてくれる人たちです。久しぶりの訪問に、嫌な顔をするどころか、歓迎すらしてくれる、ここにはいつも居場所を作ってもらっています。 ブルキナに始めて足を踏み入れて15年。ものすごい時間が流れてしまいましたが、その時以来の友人が今もとりあえず元気でいることをうれしく思いますし、いい調査ができれば、また帰ってこられるだろう、そう信じて頑張ってみよう