2011年11月29日火曜日

真っ赤っか。

Aさんに紹介してもらった英文校正会社から原稿が返ってきた。30日までに…とお願いしていたら、ちゃんと29日22時17分に到着。

激しく校正されていたけど、それぞれのご指摘はごもっとも。そして、書きなれない英語論文のポイントみたいなものもずいぶん書いてくれている。すごく勉強になる(今まで如何に適当だったか…)。とりあえず飛行機の中に持ち込みで直しを進めるか…ちょうど小説も読み切ったし(ちなみにもう一冊あるのだけど、上下巻の(下)のみを買ってしまった)、精々資料を読むくらいしかできないし。

そんなわけで、今晩出国。ここでやり残したこともそうだけど、今週の発表と先日の発表のフルペーパーの提出で年内バタバタの模様。一通り全力でやりきっていい年越しを目指そう。

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2011年11月28日月曜日

この地平線の先には…

昨日予定していた調査項目が一通り埋まった。少し余計なプラスアルファもあり、それなりに美しく滞在最終日を迎えた。

別に終わったから、というわけではないけど、ほんの少しビールを飲み、9時過ぎに本を読みながらトロトロと寝る。3時半には起きてしまったが、時差ボケのことを考えたら、これくらいの時間に目覚めるのはいい徴候かもしれない。

今回、初めて写真が貼れた。明け方はネット使用者が少ないのか、割と回線が早い。

ニジェールでは、いつもこの写真のような地平線に囲まれて過ごしている。調査の合間合間に意識が飛ぶと、いつも地平線を眺めてしまう。とてもシンプルな景色なのに飽きない。

社会や人を見るのが僕の研究。プロジェクトをオペレートして環境と人、社会との関係を見るのが今回のタスク。いろんなところでこの二つが絡まりあう。少しずつ言葉を覚え、ここの植物のことを覚え、足の裏で砂を踏みしめ、舌で味わい、手で触り、時々、棘に刺されながら、この大きな大地のほんの小さな輪の中のことを学ぶ。なかなかいい時間を過ごさせてもらったな、と思う。

この仕事としてのニジェールとしてのかかわりは今回が最後で、やり残したことが多すぎて名残惜しい。来年からにうまくつながっていくといいけど。

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2011年11月27日日曜日

今年の年末年始。ちょっと早いけど。

色々と押し迫ってきそうな気配のする11月末。師は走り回るらしいが、きっと師ではない人たちも何かと忙しい季節。

とりあえず、なんだかやらねばならぬことがいくつか手帳に書き込まれているが、もう少し書き込めそうだ。今年の年末年始は西の方へ。連れ合いの実家の方に行くのは夏の時点で決まっていたのだが、その途上、今年ずいぶんお世話になった方を頼って広島のあたりに何泊かしたいな、と考えている。このあたりには久しぶり(もう13,4年ぶり…)に会えそうな旧友もいる。まだ大学の行事やら自分の研究の進捗やらで日程が決められないのだが、今からとても楽しみにしている。

今年は自分のところもはじめ、後輩が何組か結婚した。そういえば、大学時代の同期が結婚したのはいつだったかとか思い起こすと、そんなのはもうずいぶん前だし、彼らにはきっと子どもがいたり、前の職場にいなかったり。ある友人などは今でも僕は親友だと思っているけど、連絡を取らなさすぎて、店を出したのも子どもが生まれたのも知っているけど、お祝いすら言えずにいる。今更ながら、自分の不義理を悔いてみたりする。

今年はFacebookを始めた。高校の同期40名近くとバーチャル空間で再会した。彼とはケンカしたとか、彼と話したことあったかな、とかもう20年も前になるので記憶はすでにセピア色。ちょっと遠回りしたおかげで、今までずいぶん疎遠だったけど、色々な分野で活躍している様子でとても彼らに会いたくなった。とても陳腐なきっかけだけど、こんな殊勝なことを考え出したのは、FBを通じて。

もし遅きに失していなければ、少しずつ昔の友人を訪ねたり、酒を飲みながら話を聞いてみたりしたい。なんとなく思い描く来年の目標。鬼が笑いそうだけど。

2011年11月26日土曜日

穏やかに過ぎるニアメの一日

ミッションのあるアフリカ滞在はいつも怒涛のように過ぎていく。

もちろん日本の日常を持ってきてしまっているのもあるが、できるだけ情報(≒記憶)がフレッシュなうちに言語化する、会計もこちらにいる間に(足りない領収書が出ると面倒くさいので)済ませたいので、どうしてもきついスケジュールになる。

残りのニジェール滞在は4日。約1か月の滞在だから、もうほぼ終わり。調査も大方終わったので、足りない部分を補足し、足せそうな部分を足す。直近に迫った原稿を仕上げ、発表の準備をする。タスクは明確だ。今日は会計データを打ち込み、昨日までの村滞在で溜まった洗濯、同居のSさんと昼食を作り、少し昼寝をして、雑務を少々。これから夕食を作り、少しビールを飲む。夜には自分のタスクに手を付けられそうだ。しかも、この時期は本当に暑くない。汗っかきの僕でもほとんど汗をかかない。

どうも大学では学生のストが行われているらしい。ラジオも新聞もないここには全く情報はないのだが、こちらも物騒だ。今年前半の隣の国の騒乱を思い出させる。ニジェールは今月末から産油国となるのだが、自国で石油が出るのに、思ったよりも安くならないガソリン代に対するレジスタンス、なのだとか…

しかし、そんな中でも穏やかに過ぎるニアメの一日。

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2011年11月25日金曜日

ニアメ帰還

4日間だけだが、今回最後の村滞在終了。

今回は仕事用のノートと研究(趣味?)用ノートを用意。仕事用のノートがはるかに早く埋まっていくが、趣味用のノートも少しずつ埋まっていく。しかし、宿舎というか、事務所というか、管理人(仕事用の肩書きは「コーディネーター」)のSさんなどと情報を共有していると、かなりの部分が以前なされていることもわかる。一応役所の仕事なんだし、うまいこと共有させてもらえんかな…。

一杯になったノート、1000枚を超えた写真、録音データは2,3個だけど、カウンターパートのフォローのおかげで大体ノートに取れているのでそれほど心配ないだろう。今日中に手を付け始めたかったけど、集中力がないので、今日はこの辺で寝て、明日頑張ろう。

まだまだこの地域の全体像が見えないので、五里霧中な中で調査をしているけど、前回に比べれば今回、もし次回があればもう少しいろいろ聞けるだろう。残り4日。きっとそれほどたくさん話を聞けるわけではないだろうけど、こんな新鮮な調査ができるのは本当にありがたい。

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2011年11月20日日曜日

終戦。

ドラゴンズ惨敗。ニジェールでPCに噛り付いて一球一打を見守った。

もちろん、ここのところ、毎年この時期まで楽しませてもらっていることの幸せさを思うと、それだけでもドラゴンズ、落合監督には感謝。しかし、やはり、今年はこの監督の退任が決定した中での日本シリーズだったのが、少々ひっかかりを持たせた。

僕はドラゴンズファンで、野球ファンなのだが、技術的なものとか、勝敗以外に、野球を通した人間ドラマに感動するタイプで、いつかのダルビッシュなどのように骨を折りながらも涼しい顔をしてプレーしてしまうストイックな人たちにも感動を覚える。8年間、球団から課せられた「勝てる球団づくり」を淡々と、しかしストイックに求め続けた落合という監督には、敬意を持っている。そして、この監督がどれほど選手に愛されていたか。しばしば固すぎてつまらないといわれる、勝つための野球を一糸乱れずに見せた選手を見れば、彼らの監督への信頼と愛がにじみ出ていたように思う。本当にいいチームだったなと思った。力尽き矢折れる、やりきったな、というシーズンだった。選手も監督も少しゆっくりと骨休めをしてほしいと思う。

来年。往年の名選手の高木さんが監督として舞い戻る。名伯楽権藤さんがヘッドコーチとか。球団には、しっかり責任を感じてもらうとして、これはこれで新たなドラゴンズが生まれるのではないか、という胎動を感じさせる年にしてほしい。

2011年11月12日土曜日

カレー!

現在、事務所兼宿舎に住んでいる。かなりの日本人が出入りするせいで、大量のカレーが備蓄されている。その量、おそらく数百人前。スーパーの棚よりははるかに多い気がする。

そんなわけで、ニジェールに来てから3度目のカレーナイト。お昼にフォーを作った時に鶏肉(ブロイラー1把)を解体したので、チキンカレー。ちなみにフォーはスープから作成。以外にここにある食材でこのへんのものはなんとかなりそう。今日もおいしくできますように。

しかし、昨日も食事会でインド料理!どんだけカレー喰うんだという件。

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2011年11月11日金曜日

ワークショップ

ニジェールの朝は涼やかで、朝により仕事がはかどる。

昨日より、今回の主目的であるワークショップが始まった。ブルキナファソの騒乱から転身し、ニジェールでバタバタと始めた今回の砂漠化対処のパイロットプロジェクト。このサイトを村の人に見てもらいながら、これまで村の人がやってきた在来技術と比較してもらい、何かの参考にしてもらうものだ。

もうこの仕事に携わって1年が過ぎるが、相変わらず農業や土壌の話に疎い。あぁ、勉強不足だな…と思ってしまうが、これは一朝一夕ではどうしようもない。だが、スタッフと相談しながら聞く「在来技術」。「環境系」なら、土と有機物、土壌を回復させるということは、土壌の流出を防ぎ、表土を回復する、という大原則があるわけだけど、「在来技術」では、多くの人が無機物すらも利用する。

これだけでも興味深いのだけど、上演される開発プロジェクト「劇場」的な部分も面白い。

「村はコントロールできない」

これは、請負形式で昼食を用意した農業技官の発言だが、食事の時だけ予定の2割増しの人数になり、請け負った昼食の予算を大きく上回り悲鳴を上げている。と思えば、真面目な意見を戦わせ、うがった見方かもしれないけど、僕らの気に入る態度を取る。そして、僕も久しぶりに演じてみたりもする。

今日もこれから行ってきます。

2011年11月7日月曜日

まるはち人類学研究会(12月3日)

予定より少し告知が遅れたけど、研究会での発表の要旨ができた。一緒に発表する藏本さん、あと、ここには名前が出てこないけど、南山大学の中尾さんにはずいぶんお世話になった。

大方筋書はできているけど、あと1か月、しっかり準備して研究会に臨みたい。場所などはまた後日。

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[発表趣意]

経済から宗教をみる
――「宗教組織の経営」についての文化人類学的研究――

◆本企画の背景:実践宗教研究の系譜
キリスト教・イスラーム・仏教など、いわゆる世界宗教を対象とした学術研究は、長らく文献学的な教義研究がリードしてきた。しかし教義としての宗教と、信徒によって実際に生きられている宗教は異なる。こうした問題意識から1950年代以降、人類学的な世界宗教研究が始まる。「教義」ではなく「実践」を解明すること。これが現在に至るまで、人類学的な世界宗教研究の一義的な目的であるといってよい(cf. Leach ed. 1968)。
それでは実践をどのように分析するか。この問題について、先行研究において重視されてきたのが、信徒の生きる社会的コンテクストである。信徒はそれぞれのコンテクストにおいて、教義を様々に理解・解釈し、実行する。こうした理解から実践は、コンテクストとの関わりにおいて分析されてきた。たとえば初期の研究(1950~80年代前半)において注目されたコンテクストとは、その社会に固有の信仰体系であった。つまり現実に展開している実践は、外来の教義(大伝統)と土着の信仰体系(小伝統)が融合した結果生じたものであると考えられ、両者の構造的な関係の解明を目指すシンクレティズムの議論が盛んであった(ゲルナー 1991; Tambiah 1970など cf. Redfield 1956)。
しかしこのようなアプローチは実践を画一的・図式的なものとしてしか描けない。こうした反省から近年の研究(1980年代後半~現在)においては、政治・産業構造の変化、都市化、近代教育の普及、交通・通信の発展といった大きな社会変動という動態的なコンテクストに注目が集まるようになり、多様で新しい実践がそうしたコンテクストと結びつけられて分析されている。たとえばキリスト教圏における公共宗教の復興(カサノヴァ 1997)、仏教圏における改革主義的な仏教運動の展開(ゴンブリッチ&オベーセーカラ 2002)や仏教儀礼の祭礼化(田辺編 1995)、イスラーム圏における急進的な政治運動の登場(大塚 2000)や、再ヴェール化に代表されるようなイスラーム復興現象(大塚編 2002)などである。
しかしこれらの諸研究は、観察されたミクロな実践とマクロな社会的コンテクストを安易に結びつける傾向にあり、特定の社会的コンテクストからなぜそのような実践が析出するのかという問題を、十分に説明できているとは言い難い。したがって宗教の世俗化/再活性化、個人化/公共化といった相反するイメージが、同じ社会変動というコンテクストによって説明されるという状況になっている。
このようにこれまでの実践宗教研究においては、実践を取り巻く社会的コンテクストが重視されてきたが、そうしたコンテクストが具体的にどのように実践の現れ方を規定しているのか、よくわからない。その原因は、実践とコンテクストの距離が離れすぎているところにあるように思われる。今・ここにおいて、なぜこのような実践が行われているのか。その核心に迫ることができるようなコンテクストの設定、分析枠組みが必要である。


◆本企画の視点:経済から宗教をみる
この分析枠組みとして本企画で提示したいのが、実践を取り巻く経済的な問題に注目するという方法である。ここでいう経済的な問題とは、一言でいえばカネの問題である。現実の社会で活動するためには、様々なモノやカネといった財が必要である。それは宗教実践も例外ではない。教義がどれほど高邁な理想を掲げていたところで、実際に何をどのようにできるかは、経済的な問題に大きく左右されている。その一方で、各宗教には財をどのように獲得・利用すべきかについては、何らかの教義的な制約(経済倫理)がある。つまり宗教的な理想を実現するためには、財と自由に関わっていいわけではない。
ここに宗教実践の大きなジレンマが存在している。つまり教義に固執すれば、経済的な現実にうまく対処できない可能性がある。逆に、経済的な現実への対処を優先すれば、教義を逸脱しかねない。こうした教義的理想と経済的現実のジレンマに、信徒たちは実際にどのように対応しているのか。そしてその中からどのような実践を紡ぎ上げているのか。こうした信徒の日常レベルに生じる経済的な問題こそが、信徒の実践により密接に関わる社会的コンテクストである。このように本企画では、実践を教義的理想と経済的現実のせめぎ合いの中から析出するものとして捉え直し、その実態を解明することを試みる。
このような方法論をとることは、以下の二つの点において人類学的な宗教研究に貢献しうると考える。第一に、経済的な問題に注目することによって、宗教実践のダイナミズムを浮き彫りにしうる。教義というプログラムが、現実の社会においてどのように実行されるかを左右する大きな要因は、【教義的理想⇔経済的現実】というせめぎ合いにある。したがってこのせめぎ合いに対する信徒たちの試行錯誤を描き出すことによって、一つの教義から多様な実践が表出していく原理・メカニズムを理解することができる。
第二に、経済的な問題に注目することによって、宗教と経済の相互関係をより具体的に捕捉しうる。宗教(教義)という観念的領域と、経済という唯物的領域はどのような関係にあるのか。この問題についてはK.マルクスとM.ウェーバーの古典的な議論がある。マルクスは物質的経済的土台である下部構造が、政治的・法的・思想的諸形態である上部構造を規定する、つまり「経済が宗教を規定する」と主張した(マルクス 1956など)。それに対してウェーバーは、宗教は経済に規定されない独自の生命をもち、それゆえに「宗教が経済に影響を与えうる」という発想から、近代における資本主義経済システム誕生という大問題に挑んだ(ウェーバー 1989など)。
しかしこれらのいわばマクロな理論は、現実を生きる信徒そのものへの視点を欠いている。ミクロなレベルからみたとき、信徒の実践は、教義的理想もしくは経済的現実のどちらかに規定されているわけではなく、二つのベクトルのせめぎ合いの中にある。つまり宗教と経済の相互関係は動態的で未決定である。したがって、教義的理想と経済的現実がせめぎ合いの中からどのような実践が析出しているかを具体的に観察することは、こうした宗教と経済の複雑な相互関係の一端を解明する一助となるだろう。

◆本企画の目的・方法:「宗教組織の経営」に注目する
経済に注目して宗教実践をみるという試みを行うにあたって、本企画で具体的に取り扱うのは「宗教組織の経営」という問題である。信徒個人ではなく、信徒集団としての宗教組織に注目するのは、その方が研究対象を限定しやすいという実際的な理由による。つまり各宗教の信徒たちが、上述したような教義的理想と経済的ジレンマにどのように対処しているかという問題を、宗教組織の経営という問題を通して具体的に検討する。
 宗教組織の宗教実践とは、布教活動と表現できる。つまりあらゆる宗教組織は、何らかの宗教的・教義的な理想を実現・普及することを目指して活動している。しかし先述したとおり、現実の社会で布教活動をするためには、相応の財(経営資源)が必要である。一方で財の獲得・利用方法については様々な教義的な制約がある。こうした教義的理想と経済的現実のジレンマの中で、宗教組織はどのように経営資源を獲得・使用し、どのような布教活動を行っているか。つまりどのように経営されているか。本企画ではこの問題を、ブルキナファソのコーラン学校(清水発表)とミャンマーの上座仏教僧院(藏本発表)を事例として具体的に検討する。それによってコーラン学校/上座仏教僧院の実態を明らかすることを目的としている。
またこの問題を検討するにあたって、特に都市というコンテクストを重視する。本企画で扱う二つの宗教組織はともに、伝統的に村落社会を主要な経営基盤としてきた。しかし近年の急激な都市化は、宗教組織を取り巻く環境を大きく変化させつつある。こうした都市という環境の中で、コーラン学校/僧院はどのように経営されているのか。そこにはどのような問題があるのか。都市化は、現代社会においては不可避の趨勢である。したがってこの問題を検討することは、コーラン学校/僧院の布教活動、つまりムスリムや上座仏教徒(出家者)の宗教実践の未来を占う上でも重要な意義をもつだろう。
(文責:藏本龍介)


<都市>を生きる出家者たち
――上座仏教徒社会ミャンマー・ヤンゴンの僧院経営――

藏本龍介(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)

 本発表の目的は、ミャンマーを事例として上座仏教僧院の経営という問題を検討することによって、現代社会における上座仏教僧の仏教実践のダイナミズムを浮き彫りにすることにある。
上座仏教僧院(以下、僧院)とは、「無執着」という上座仏教の理想を実現することを目的とする出家者の共住集団である。この目的を達成するために、出家者は上座仏教教義、特に出家者の規則である「律」(ヴィナヤ)によって、経済活動や生産活動が禁じられている。つまり僧院を経営するために必要な諸々の資源を自ら獲得することができない。したがって在家者からの布施に依拠するという経営スタイルをとっている。しかし布施というのは要するに与え手の善意に基づくものであるため、経営基盤としては不安定なものである。こうした原理的なジレンマを抱える僧院は、実際にどのように経営されているのか。
この問題は、上座仏教徒社会に関する人類学的な研究において、長らく明示的な問題となってこなかった。なぜならこれらの先行研究においては、出家者が国家レベル/村落レベルにおいて社会に不可欠な役割を果たすがゆえに、在家者(世俗権力/村人)からの布施を受けるという、出家者と在家者の互酬的な共生モデルが前提とされていたからである。つまり僧院が布施を受けるのは自明のこととされた(石井 1975; Gombrich 1971; Spiro 1970; Tambiah 1976など)。
しかし「近代化」と総称されるような社会変動は、こうした自明性を掘り崩している。王国から国民国家への移行、市場経済の進展に伴い、僧院を取り巻く環境も大きく変化した。それは一言でいえば、僧院の民営化・市場化である。僧院の経営基盤は、旧来の①パトロン型(国家)や②コミュニティ型(地縁共同体)から、③マーケット型(市場)へと急速に移行しつつある。僧院は、こうした市場的環境――本発表ではこれを<都市>と表現する――にどのように対応しているのか。
この問題についてはタイ都市部を事例として、「黄衣ビジネス」と揶揄されるような護符の商品化(Tambiah 1984; 林 2000)や、瞑想法の簡易化・組織化によって多くの信徒・資金を集めたタンマガーイ寺についての分析などがみられる(矢野 2006など)。ただしこれらは特殊事例の分析に留まっており、<都市>を生きる出家者たちの実態が明らかになっているとは言い難い。そこで本発表では、1990年代以降、急激な都市化を経験しているミャンマー最大都市ヤンゴンを事例にその具体的様相を検討する。
発表の前半では、都市僧院の布施調達活動の実態とその問題について、俯瞰的に整理する。発表の後半では、律の遵守を目指す原理主義的な二つの僧院に対象を絞り、そうした試みがどのように展開したかを紹介する。こうした検討を通して、教義的理想(律の規定)と経済的現実のジレンマがどのように表出し、それに対してどのような試行錯誤がなされ、そこにどのような問題があるのかを整理する。それによって出家者の仏教実践が多様化していく原理・メカニズムを描き出したい。

『タリベとコーラン学校のモビリティ:ブルキナファソの事例から』

名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程
清水貴夫

ムスリム社会であるブルキナファソにおいては、都市化の流れに伴い、一般的に「ストリート・チルドレン」と呼ばれる少年たちの姿が目立つようになった。ブルキナファソ社会行動省の調べによれば、その44%が、コーラン学校の生徒タリベTaribéだという(Ministre de l'action sociale et de la solidarite national 2002 Programme national d'action educative en milieu ouvert2003-2007)。本研究の発端は、コーランを学ぶ少年たちのはずのタリベがなぜストリートに繰り出すことになったのか、ということであり、コーラン学校が「ストリート・チルドレン」の発生にいかようにかかわるのかということへの疑問である。本発表では、この問題に対し特にコーラン学校の経営の変容を通して、なぜタリベが社会問題化されたのかを検討する。
 コーラン学校は、そもそも外来宗教であるイスラームがこの地域に浸透する過程で、この地域にとっては初めての体系的な教育システムとして各所に設置されてきた。いわゆる伝統的社会においてもこの制度は広く受け入れられてきた。伝統社会におけるコーラン学校は、畑を所有し、タリベとマラブー(導士)がともに働いて自給自足を行っていた。そして、タリベの親や地域の富裕者層からのタリーカ(喜捨)による金品の贈与、この二つの収入獲得手段によってコーラン学校が支えてきた。これが一つのコーラン学校のプロトタイプとして、この地域の人びとに認識されている。
しかし、このコーラン学校を取り巻く環境は大きく変容している。ひとつは近代的な教育システムの普及によって、コーラン学校の地位が相対的に低下したことによる。現在のブルキナファソにおいては、マドラサ、フランコ=アラブ、コーラン学校の3つの学校形態が存在し、CMBF、およびムスリム富豪による支援はマドラサとフランコ=アラブに集中している。より私的な組織でマラブーが個人で経営する、いわば寺小屋的なコーラン学校は、独自の収入源を求めなければならない。
もうひとつは村落部の変容である。CMBFなどから毎年決まった支援を受けたことのない村落部のコーラン学校では、地域社会がマラブーに使用させる土地での自給自足がコーラン学校の運営の基礎となる。これに喜捨が加わってコーラン学校が成立していた。しかし、村落部の人口圧力や不安定な農業生産、さらに貨幣経済の比重が重くなることにより、従来のコーラン学校のシステムにひずみが生じ、村落での持続的な運営は困難になっていく。
このためコーラン学校は、より資源獲得の可能性が高い都市へと移動を繰り返す。実際に、多くのコーラン学校が数年単位、時に数カ月単位で拠点を移しながら、最終的に大都市、ワガドゥグにたどり着くこととなる。都市に移動したとしても、コーラン学校は従来のシステムを踏襲できるわけではない。マラブーは、様々な運営努力をする中で、宗教的な要請から外れていると認識しつつも、タリベたちにストリートで「喜捨」を集めさせる。こうした、タリベの行為は、物乞いをする少年たち、つまり「ストリート・チルドレン」として見做されるようになる。
このようにブルキナファソにおける「ストリート・チルドレン」問題は、新たな経済的現実に「喜捨」を集めるという方法で対処しようとするコーラン学校の経営形態と密接に結びついている。本発表ではこの事象を、現代ムスリム社会における宗教と経済の相互関係を示す一事例として提示してみたい。
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2011年11月6日日曜日

日曜日

今日は日曜日でタバスキ。

本当は村でタバスキに混ぜてほしいな~、とか、少しは聞き取りができるといいな~、とか思いつつ、事務所にこもっている。もともと予定していた会計の仕事のため。一緒に仕事をしている方の仕事と合わせながらやっているので、ネットを見たり、少し論文書いたり、発表の準備をしたり。

これはこれでいいか。

クライマックスシリーズ、ドラゴンズが決めた。当たり前のことを当たり前にやる。勝つことまでが当たり前になった気がする。日本シリーズはソフトバンク。地味ーなドラゴンズと華々しいソフトバンク。どうも経済効果は一番薄いと言われているが、自分のペースに巻き込んだ方が勝つだろう。などと、日本に思いを馳せつつ…

2011年11月1日火曜日

忘れた。

昨日明け方まで起きていたので、午前中は家でグダグダしていたが、これでは腐ってしまう、と思い、午後から大学へ。

色々とイベント続きだったため、また、明後日からの出発のため、割かし雑用がたまっていた。一通り片づけようとしたら、イヤホンがない…大音量でBarning SpearsとCultureが聞きたい!と思っていたのに…特にいろいろ考えなくていい時は、あんな存在感のあるレゲエがいい。が…残念。なんか音なしで仕事をしたらずいぶん早く終わった。

おかげで原稿を進める余裕ができたので、それはそれでよしか…