2014年12月31日水曜日

本年もお世話になりました。そして、2015年に向けた課題

もうそろそろ来年の話をしても誰も笑わないだろう。

今年最後の仕事を今朝3時頃に仕上げた。「窓」の話なのだけど、こういう何の役にも立たなそうな研究(失礼!)こそが楽しくて、なんで「窓」があるのか、とか、アフリカの家の「窓」が小さいのはなぜか、ということを考えるとなかなか面白い。家の研究を始めて2年が過ぎようとしているけど、まったく別の視点を与えてくれる。こういうスピンオフはたくさんあるといい。

ともあれ、何とか生きて2015年が迎えられそうです。まずは、本年度中は多くのみなさまに大変お世話になりました。大して宣伝もしていないこのブログ、どれくらいの方にご覧いただいているかはわかりませんが、このブログを見つけていただいたということだけできっとお世話になっている方。厚く御礼申し上げます。来年もどうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

今年の業績、数えてみたらこんな感じ。学会発表は6本(うち国際学会/シンポ2本)、学会運営1件、報告書1件(印刷中)、論文1本。まあ、しょうがないか、と言った内容。論文の少なさは忌々しき問題なので、これは改善していきたい。

しかし、執筆中の報告書、論文等々が4本ほどある。編者からの返答待ちだったり、自分の図面がまだ書けていないのがあったり、例のやつがあったりと、もうちょいのところのが3本ほどある。新しいネタも一本くらい書きたいし、ワーキングペーパーもまとめたい。そして、博論も(毎年言ってるけど)…。プロジェクトもあと2年。こちらの成果も上げつつ、自分の分も何とかせねば、です。来年に向けての課題、とにかく書く、です。

改めて旧年中のご厚情に感謝いたします。どうぞよいお年をお迎えください。

※写真は僕の修論の主役、ラミンの新しい露店。その裏には焼打ちにあったCDP(旧与党)。持ち主がいなくなったために、こぞって店を出している、という…

食文化シリーズ 「マトンの焼肉」


ワガドゥグの空港の入り口に変わった「土産物屋」がある。「肉屋」だ。空港のドライバーをしているアブドゥルに聞くところによれば、隣国コート・ジボアールに人気なのだそうだ。なぜか、と言えば、海沿いの地域はヤギは問題ないものの、湿潤すぎるとウシやヒツジは病気になりやすい。しかも、物価が高く、肉自体もそれなりに高価なものなのだそうだ。反面、サーヘルは遊牧・牧畜民の地域。フルベをはじめとする多くの人びとが今も牛追いを主たるナリワイにしている。そんなわけでブルキナも肉が旨いのだ。

ワガドゥグにも多くの肉の売り方がある。固定店舗、屋台、歩き売りと様々な売り方があるし、モツや足、タンやら使う部位もちゃんとわかれているし、料理法もスープ、焼肉、紙蒸し、炒め煮等々、料理法も多様だ。牧畜民がムスリムであることが多いため、必ずしも、般若湯を供して、というわけにはいかないが、他の食事に比べると割高なものの、割と庶民の間でも食べられているのではなかろうか。

写真は、ムトンの紙蒸し焼。この数日前に他の店で固めの肉を食したが、この店はふんわり。口に入れると筋に沿って身がポロポロを剥がれる。脂身も適度に香ばしい。フルベの友人の多くがココを一番とするのがよくわかる。この店は、もも肉や胸肉を多く調理しているが、同じ店でレバーやら内臓を扱うようになった(最近のような…)。できれば、泡の般若湯と合わせたいところだが、この店の立地的にそれは少々難しい。持って帰って…という選択肢もあるが、やはりアツアツを食べた方がいいので、ここに来ると大体コーラで済ませてしまう。

写真の整理をしていたら、そういえばこういうのを載せてなかったな…と思ってアップすることに。今日はこれともう一件、2014年のまとめでも書いてみることにする。


2014年12月29日月曜日

ブルキナファソ写真2014

今年ブルキナファソで撮った写真。選んだのは、とりあえず「風景」に近いもの。色がいいな、と思ったり、構図がいいなと思ったり。まあ、お気に入りを載せました。何のコンセプトもありません。雨季と乾季の両方行ってますが、雨季だから空気が澄んでいる、とかいうことはないんだな、ということがわかりました。















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2014年12月28日日曜日

『サンバ』エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ(監督)

監督:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ
主演:オマール・シ(サンバ)、シャルロット・ゲンズブール(アリス)、タハール・ラヒム(ウィルソン)


フランスにおいて、また、日本においても、そして世界のすべての「国」に移民の問題は存在する。そして、この問題はグローバリゼーション(人や情報、モノの国境を越えた移動の活発化)が生み出す象徴的な問題として考えられている。しかし、世界史を紐解くまでもなく、人も情報もモノも、人間がこの世に生まれたころから大なり小なり行われてきた、人間の悠久の営みであった。これが問題となるのは、国民国家、国境が生まれ、そこの出入りを権力が管理するようになってからである。

原理原則論はともかくも、所謂「南」から「北」への人の移動、移住による問題は深刻だ。非常に単純な問題構造として、「南」から「北」への人の移住は、経済的な要因によるものと考えられがちだ。しかし、それが主要因であるとしても、「南」の人と「北」の権力、人びととのかかわり方は多様だ。この映画の監督や出演者が何度も語っているように、そのすべては深刻な問題(悲劇)だけではなく、時にコミカルでシニカルだ。何かこうした問題を扱うときに、社会的正義を振りかざす傾向があるように思うが、この映画はこうした思想が底流に流れているように思う。よって、この映画もそのように描かれている。「南」の人対「北」の権力という図式だけでなく、「南」の人通しのかかわりがあり、また恋愛もある。

移民の扱いは、政治的潮流に大きく影響される。殊に現在の欧米の潮流では、「南」からの移民は歓迎されていないように思う。たとえ、こうした潮流が軟化したとしても、世界が多様である限り、そしてそうでなければならない限り(すべてが一つの基準に収まるということは反面全体主義的だ)、問題の解決はおそらく不可能であろう。であるならば、この映画が示すように、人の多様な営みを様々な角度で理解をすること、まず移民問題を人の営みの問題だととらえ返すひとつのきっかけとなるのではないだろうか。

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2014年12月26日金曜日

澤村信英【編】2014『アフリカの生活世界と学校教育』明石書店 

編者の澤村信英先生よりご献本いただきました。

澤村先生の旺盛な執筆活動、本当に頭が下がります。

年末年始、勉強させていただきます。

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2014年12月25日木曜日

食文化シリーズ 本気の「ト」


この食文化シリーズ、第一回目は「ト」でした。しかも真っ白な、お椀の形をした。「文化」を語ろうとしながら、なんてことをしたんだ、とかなり後悔しています。

街っこのアブドゥルが眠くなるというほど重いト。先日の真っ白なやつはメイズ(トウモロコシ)、今回のこのトはプチミル(ミレット/トウジンビエ)です。こちらも先日ブログでご紹介した、Leleの村でいただいたものです。一つの塊がどんぶり一杯分。手に持った時に分かる穀物の密度の高さは感動的でした。そして、口に入れた時の酸味。「これこれ」という感じです。写真には写ってませんが、この日はラッカセイとブルバカのソースでいただきました。

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2014年12月23日火曜日

調査を締めます

ずーっと前に日本を発ったような気がしてます。今回のアフリカ行。「そういえば、ヤウンデにいたな…」とか、「xxに会ったな…」とか。

すでにアフリカで研究を始めて10年が過ぎ、いい加減、若手扱いもされなくなってきて、もちろん、来るたびにデータ収集の精度は上がっているし、調査の質も上がっている(はずです)。ただ、今回というか、この数回、初めての作業だったのは、調査の終わりを予感しながら、調査を締めていく、という作業。もちろん、延々と来ていれば、それはそれでデータは貯まるし、新たな視点も生まれてくるのですが、そこは一人の研究者の限られた時間の中でしかできないもの。どこかで終わりはくるはずなのです。

ともあれ。今回はチルメンガさんのライフヒストリーのベースを取り、近代教育とイスラーム教育の折衷であるフランコ・アラブのデータ、あと、何よりブルキナファソの政変のデータが取れました。そして、ヤウンデの痛恨の発表…(思い出すのも辛い)。まあ、少しは足しになったか、というところで今回の調査を締めます…と言いたいところなのですが、先ほどメールがあって、頼まれ仕事が一つ増え、明日も最後までフルスロットルでやってきます。

昨日の休みにとりあえず記事、論文を書き始めました。年末年始は連れ合いも仕事なので、僕も頑張ってやりますか。グダグダの年末年始は今年やったし、今度の年末は仕事です。

2014年12月22日月曜日

音のない世界

No music No life

と言うヒト、結構多いですよね。僕も高校生から大学生にかけては、かなりの量のCDを買い込み、一生かけたらものすごい量になりそうだな…と思っていたこともあったのですが、いつのころからかほとんど買わなくなってしまった。

たぶん、買わなくなった原因、一つは会社を辞めて大学院に入ったことでおカネが回らなくなった、ということ、あとはYoutubeの存在というのもあるだろうか。まあ、とにかく、おカネを出して買うというモチベーションはずいぶん低くなってしまった。

今日は、滞在が残り少なくなったにも拘わらず一日静かに過ごそう、ということで、本を読んだり、頼まれていた仕事をしたり、原稿を書いたり、と静かに過ごしている。もちろん、アフリカの街中にいるので、来る時間が来れば、適当に鳴りだす音楽というよりも、少しちゃんと音を聞きたいな、という欲求にかられた。なぜかメディア・プレーヤーにも音楽を持ち歩いているつもりもなかったので、少々モヤモヤしていて、試しに開いてみたら入っていた。三丁目の夕日のサウンドトラックとか…

しかし、音のない、シンとした世界から少し解放されてこれはこれで満足。

2014年12月21日日曜日

食文化シリーズ 「田舎パン」



ブルキナファソは言わずと知れた旧フランス植民地。ほぼすべての意味でフランスの植民地政策、その後の関与はどうしようもない、と思っていますが、唯一、パンが旨いのは、かろうじて許せるところです。

この地域にしばらくいた方なら、割かしご存知かもしれませんが、ワガドゥグで食べるパンと地方で食べるパン、ずいぶん違いますよね。それでも最近は少々田舎にいったところで、フワフワのパンが出てくることが多いのですが。

個人的には、この田舎パンの方がずいぶん好きです。違いは、田舎パンはイーストを使っていないとか、小麦にミレットが混ざっているとか言われます。田舎パンの焼きたてを食べたら、おパリのパンも腑抜けて見えます。噛みごたえがあって、香ばしくて、しっかりモノを喰った、という気にさせてくれるパンです。

将来、少しおカネができたら、ワガドゥグにメシ屋を作りたいと妄想しているのですが、その時には、この田舎パンで作ったサンドウィッチをメニューに入れたいと、やはり妄想しています。

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Leleの村に行ってきました

今日はワガドゥグから西に約150㎞ほどのところに位置するPERKOAという村を訪れました。

数年前からブルキナファソ南部からガーナ北部にかけて分布するカセーナという民族の家屋の調査をしていますが、カセーナはグルンシという民族のサブグループ。グルンシは、カセーナとレレLeleという民族(他にもあるのかな?)で構成されています。恥ずかしながら、レレという民族を知ったのはつい最近で、それを教えてくれた人の村にも行ってみようということで、今回の小旅行をすることになりました。

レレとカセーナの関係は、あまりよくわからず、言葉もまったく異なり、お互いにほとんどコミュニケーションが取れないそうですが、どうも歴史としてつながっているとのこと。ただ、家屋はそれなりに特徴があるということで、期待しながらの訪問となりました。

写真が前後します。村は、パッと見た感じで、モシの村とあまり変わらない印象を受けましたが、中に入ってみると、穀物庫が大量につくられています。そして、とにかく屋敷の敷地内の掃除が行き届いている。これはここに住んでいる人の個人的な問題なのかもしれませんが、とにかくこれは印象的でした。


それで、屋敷地内の家屋前には、こんな形をした「バンコ(日干し煉瓦)」の鉢が置いてあります。ここには水を入れたり、ドロ(ソルガムのビール)の元になる発芽ソルガムを水につけたりするそうです。もちろんおなじみの素焼きの壺もありますが、これが水ダメの主力になっているのも印象的でした。しかし、「バンコ」ということは、日干しという意味だったんでしょうか。機会があったら確かめてみたいです。


それで、所謂「伝統的家屋」です。見た目はそんなに特徴はないのですが…
ちなみに、この家屋は25年前に建てられたそうです。壁の厚さは20㎝のところと40㎝のところがありました。カセーナの方が雨が多いせいでしょうか、あちらの方が家屋の耐久性は弱いようです。


このお宅には、友人のお婆さんがお住まいです。IDカードには1920年生まれと記されていましたが、もう少し上ではないかとのこと。1920年でも94歳なんですけど…耳が遠かったですが、まだ杖を突きながら歩けるとのこと。チルメンガのところのお婆さんしかり、バアチャンたちは本当に元気です。


芸術的に取れた!と思った写真だったのですが、なんか白黒のしょぼい感じになってしまいました。炊事場です。さすがにこのお婆さんのところは使っていないようでしたが、もう一か所見せていただいたお宅では全くの現役でした。



この家屋の天井部です。この家の梁は太さ30㎝ほどの太い木材が使われています。この作りはカセーナや他の古い建造物と同じ。ただ、この梁は、全て木の太さを揃えるのだとか。なかなか手が込んでいます。

家屋の中のモノも面白いです。たとえばこれ。女性が薪を運ぶ時に頭に乗せるものだそうです。これと呪いの(おそらくお守りでしょう)弓矢はそれぞれのお宅にありました。


そして、外に置かれていた持ち運び用のかまどです。なかなかよくできていました。こういうのもカセーナにはなかったな…

簡単ですが、とりあえずこんなところで。

全体的な印象ですが、Leleの人たち、カセーナのように外から注目されていなかったからか、とてもシャイで親切でした。そして、とてもすがすがしい。こう感じたのは、まず、「伝統」を気負うことなく、しっかり住んでいるな、という感じがしました。家屋の中はごみ一つ落ちていないですし、屋敷地の中もとてもよく掃除が行き届き、モノもとても大切に扱われていました。そして、近くに金山、亜鉛鉱山などがあるのですが、ちゃんと家に帰ってきてるんですね。ほかのところだと生活が爛れてしまうのですが、ちゃんと「家(ホーム)」になってるんだな、ということも。これも変な気負いがないからなんでしょうけど。

もちろん、今回も研究の一環としてこの村を訪れましたが、あんまりコミットせず(汚さず)に、時々遊びに行けるくらいだといいな、と感じてしまいました。

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2014年12月19日金曜日

ブルキナ政変 現地報告④

昨日で終わりにしておこうと思ったのですが、もう一回続けます。

というのも、今日はほかの調査の帰りに、そういえば…と思い、グラン・マルシェの友人たちの元を訪ねてきました。きっと彼らは運動の中心にいたはずだ、と思ったからです。

ワガドゥグの商業の中心、グラン・マルシェは、昼下がりにも拘わらず、いつもの通りというより、幾分以前よりも活況を呈していました。例の一件の後でというよりも、間近に迫ったクリスマス、年始を控えてのものかもしれません。友人たちも忙しそうに客をあしらっていましたが、僕の顔を見ると、待ってましたとばかりに、かわるがわるにあの時の話をしてくれました。

今回の僕の興味は、どのようにして群衆が、統制のとれた行動ができたのか、というところにあるのですが、その一端をいろいろ教えてくれました。

期待していた通り、彼らは実際に国民議会に突入したまさにその人びとでした。彼らは10月28日からデモ隊を形成してきました。28日は市中心部を練り歩き、元々、憲法37条の改変の国民投票を行う議決が発表される予定であった、29日に標準を合わせていたようです。当初、この議決は、29日深夜に行われる予定でしたが、当日になって30日の午前10時に変更になります。彼らはその時刻に遅れてはいけない、ということで、数千人が街のど真ん中の道路を封鎖してそこに寝たのだそうです。30日8時、すでに街の中で夜を明かした人びとに、ワガドゥグ中から加勢が加わります。

予定通り、議決が行われることになることを聞いた人びとは、国民議会場に殺到。警察隊、憲兵隊、大統領警護部隊が待ち構えていたといいます。しばらくにらみ合いが続いている間、警察隊らは威嚇発砲をしたり、最後に催涙弾を投入します。民衆は手に水をもち、催涙弾のガスから身を守り、街中の防火栓を開け、防御態勢を固めつつ、次々に加勢する市民を巻き込み、警察隊らに圧力をかけていきます。間もなく議決発表予定時刻の10時になろうとしたとき、人びとは警察隊らを包囲し、一気に国民議会場に突入します。その後は、これまでにご報告した通り、これまでに権力を傘に、搾取をしたと思われる人びとへの仕返しが始まったといいます。



こんな話を聞き、やはり今回の政変でも30名もの若い命が失われました。これだけの規模にしては、ずいぶん少なく済んだな、と感じつつも、やはりこうした犠牲の元に政治は浄化されていくのだな、と思わされました。友人の一人が、こんな機会だから、ということで墓地に連れていってくれました。彼らのうちの7名は、市の中心部の西側のグンゲという地域の墓地に埋葬されていました。損傷が激しかった他の犠牲者の遺体は、早々にそれぞれが埋葬したそうです。


それぞれの生年を見ると、10代~40代の働き盛り、これからのブルキナを支えるべき青年たちでした。彼らは、この民衆の代表として、この墓地の入り口のところに並んで埋葬されています。

そして、なぜこの墓地だったか、と言えば、1998年に凶弾に倒れたジャーナリスト、ノベル・ゾンゴが埋葬されているからでした。ノベル・ゾンゴは、コンパオレ前大統領の不正を暴くために取材を重ねている最中、何者かに(フランソワだといわれている)襲撃され、何名かの仲間と共に斃れた、トマス・サンカラと並ぶブルキナファソの政治的英雄です。それから15年が経ち、30名の犠牲者を出しながらも、ノベル・ゾンゴの仕事が再度注目されることになっています。前政権の不正を暴き、ゾンゴ氏らを襲撃したのが誰だったのか。連日、ラジオではこうした話が流れています。



国民的英雄、トマス・サンカラは、この国を、「ブルキナ・ファソ」(高潔な人びと)と名付けました。とても貧しいこの国には、もちろんいろんな人がいます。個人的な経験でも、とんでもない奴はたくさんいました。しかし、今回の政変で、不必要な犠牲を一切出さずに、一貫した正義を貫き通すこのやり方は、実に称賛されるべきものだと思います。

昨日も同じようなことを書いた気がしますが…1か月半ほど前に、国政のシンボルに破壊の限りを尽くした人たちは、今日の暮らしのために、しかも明るくマルシェを駆け回っていました。人のなりわい、生活とはなんなのか。何のために生き、何のために死ぬのか。そして、僕は観察しているだけでよいのか。今日もいろんなことを考えさせられました。

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2014年12月18日木曜日

ブルキナ政変 現地報告③

現地報告第3弾です。実は、今日はうまくアポイントが取れず、早く終わってしまったので、ホテルでメールの処理を…と思っていたら、Yahoo!がなかなか開かず(他のはいろいろ開くのに)、それを待ちながらこんなことをやっているわけです。

さて、たぶん現地報告はこれで最後です。

今回のブレーズ・コンパオレ大統領降板劇は、いろいろな言い方がされます。まず、日本で一番よく言われている、「クーデタ」、これは間違いです。軍部は市民に押し出されるような形で表舞台に挙がりましたが、さほど力を持っていません。たとえば、前大統領降板後にトラオレという軍人が、暫定政権を宣言しましたが、市民の反対運動にあい、1日も持たずに引きずりおろされました。なので、軍事的な要素は実は非常に薄く、憲法37条(大統領の任期が2選までと定められた条項)の変更を阻止するための市民のうねり、おそらく、「政変」とか「動乱」という言い方があっているように思います。

しかし、憲法37条は非常に象徴的で、これまでに積もりに積もった不満を爆発させたトリガーの役割を果たしたように思います。ブルキナファソの人びとは、「2015年まで我慢すれば、コンパオレ大統領は交代するはずだ。それまでの辛抱」と思っていたように思います。つまり、市民感情として、コンパオレ大統領がさらに任期を延長することがもっとも許せないことだった、これが今回の政変の根幹にあったと考えるべきでしょう。そのほかの不満の代表的なものは、物価の高騰、縁故主義といったものだと思われます。

これまで2回の報告で、ひどい破壊行為が展開された様子を写真と共に書いてきました。しかし、これまで1週間の滞在で、まったく不便になったことはありませんでしたし、ワガドゥグの風景もいつものワガドゥグそのままでした。

今回は、なかでも最もひどく破壊活動が展開されたところを報告します。

それは、コンパオレ大統領の弟、フランソワ・コンパオレ氏の家宅です。下の写真がフランソワの家の門です。本来は頑丈な門が取り付けられていたはずですが、それはすっかりありません。そして、門の周りには、物売りが何人もいます。彼らが売るポスターの一つには、「Nouveau Musée à Ouaga(新ワガドゥグ博物館)」などと書かれ、多くの人びとが勝手に出はいりしています。私も便乗して中の様子を見学してきました。

中に入ると、権力に在りし日のフランソワの瀟洒な生活の様子が垣間見えます。部屋数など数えられませんでしたが、おそらくは10部屋以上の部屋があり、下はおそらく大理石。人びとはその様子をしっかり目に焼き付けているようでした。


全ての部屋は、前に紹介したJoly Hotel同様に、瓦礫が敷き詰められ、形あるモノはほぼ残されていません。

写真を載せるのは止めましたが、この家宅の地下室には、血塗られた部屋があります。フランソワは呪術師を雇っていることがささやかれていました。実際に、今回のフランソワ家宅襲撃で、多くの呪物が見つかり、最初にその一つを手にした青年が狂死したといわれます。また、その上の階の一部屋には、ガリブ(物乞いの少年)が持つトマト缶が山のように積まれていたとか、彼らの服が何十着も放置されていたとか…書くのもはばかられる惨状がこの家宅にあったといわれます。

フランソワにまつわる不正の噂は一つや二つではありません。たとえば、1998年に暗殺されたジャーナリスト、ノベル・ゾンゴの殺害者、ないし教唆したのがフランソワであること、多くの生活必需品からは自動的にフランソワの口座にコミッション(?)が落ちるようになっていたとか、不動産で多くの利益を上げていたり、さらに、兄のブレーズの陰で操っていたのはフランソワだったとか、枚挙にいとまがありません。そのため、もしかすると、コンパオレ大統領よりも、フランソワが標的だったのではないか、と思わせるほど、その破壊は苛烈でした。


そして、たくましく、すでにこの政変を商品化する若者たち、そして彼らの商魂には脱帽です。

今日、またいろいろとこの政変の話を聞いたところ、いわば襲撃リストのようなものを見せてもらいました。今回の破壊活動は非常に限定的で、なぜそこを襲うか、ということのコンセンサスがしっかりと取れていたように思われます。焼け焦げ、家財が略奪にあった、いくつかの施設や家宅。すべてにそこを襲った理由を符すことができます。ここかxxの持ち物、この施設はxxがオーナー…そうわかったところは容赦なく襲撃しています。しかし、権力側も表に名前がでないようにしていたところが何か所もあるはずですが、確信が持てないところは襲っていないといいます。

この動乱自体も、憲法37条を改定するための国民投票を行うことが閣議決定される、1時間とか2時間前から起こったことだと言います。決定され、それが発表される十分前に市民が国民議会に突入してそれを防いだとも伝えられます。

そして、動乱がコンパオレ大統領の退陣、国外逃亡という結果を迎えた翌日の11月1日。ワガドゥグの街には、多くの人が繰り出し、清掃活動を行いました。Mouvement Mana-Mana(清掃(ジュラ語)運動)と呼ばれ、シモン・コンパオレ元ワガドゥグ市長の提唱によるものだそうです。結果、ワガドゥグには、日常の中にひっそりと激しい略奪の跡が残ると言った、類まれなる状況が数日間のうちに創り出されました。

今日のニュースでは、コンパオレ前大統領の領袖を務めていたCDPが強制的に解党になったと言います。これは、コンパオレ前大統領がCDPの全国大会を目論んだため、という、あまりに信じがたい計画が明らかになったためです。謝罪も、償いも、さらに、天文学的な数字になるであろう搾取した財産の返却もなく、そんなことは認められない、小さなキオスクで語った小市民の友人たちの決意は固いようでした。

政治が雲の上にプカプカ浮いているような日本にあって、こうしたブルキナファソの政治の近さは、少々羨ましい気がします。選挙が名目で、最後は実力行使。日々コーヒー片手にラジオを聴きながら喧々諤々と政治議論を交わしている彼らには、何がよく、何がダメなのか、明確な価値観を共有している、ということがこうした状況をつくりだしているのではないでしょうか。これは、政治に対する姿勢だけでなく、生活の中での価値観すらそこで共有され、確認されているのではないか想像されます。なかなか日本では考え難い政治プロセスですが、しがないキオスクの友人たちが教えてくれるのは、話をすることの大切さで、価値観フリーな日本の環境の中に身を置く僕らは、もっとこんなことを学ばねばならないのではないか、と思いました。

最後、余計なことを書きましたが、とりあえず、今回の報告はこの辺で。一連の政変の様子は、とある学会誌に投稿する予定ですので、またできましたらこちらでもご報告いたします。

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2014年12月16日火曜日

食文化シリーズ「ブクンザイ」


本日は三連投。

そういえば、こんなシリーズをやってました。コツコツと積み重ねていくことにしましょう。FaceBookにすでにアップしたので、省エネでコピペ(一部修正)します。

先日、コングシの近くの知り合いのお宅で珍しいものを食べました。
と言っても、ゴマの料理です。


主要な作物ではないですが、この地域の農家、ほとんどで作っているのではないでしょうか。いわゆる換金作物です。


昨年は、トマト缶(たぶん2-3㎏ほど)いっぱいで2500Fcfa(約500円)の買値がついた(かなりよい)ので、今年は多くの農家が増産傾向で、ずいぶんだぶつきが出たようです。結果、今年の値段は700Fcfa前後…ちょっと辛いですね。


ともあれ、どこでも作っていたのは知っていたので、時々、ゴマを使ったお料理はないの?と聞いて回っていたところ、「う~ん、あんまり食べないな…」とか「ソースに使うと聞いたことがある」という回答がほとんど。たしかに、思ったほど収量はないし、あんまり食べないのだな、と思っていました。

そして、先週末に調査に行っていたコングシの知り合いの家を訪ねた時に、そのことを覚えていてくれた知人が奥さんに言って用意してくれていました。ブクンザイというのだそうです。
ゴマをすり潰して塩をしてあるものと、炊いたササゲ豆を合わせた感じでしょうか。ゴマから出るアブラで適度に油分もあり、割と食べやすいです。ただ、ゴマというと、日本やアジアのごま油の香りを想像してしまうのですが、残念ながらこちらのゴマは香りがいまいちしません。このあたりでよく食べるラッカセイのソースがその香りを含めて楽しめるとすると、少々存在感が小さい…これもあまり食べられない理由のひとつかも…などと考えていました。


少し付け足しますが、このブクンザイを出してくれたお宅は、基本的にケミカルなものを使いません。肥料も調味料も。かと言って、薄味に感じるかというと、これが食べ始めると止まらないほどに旨い。香りの話を少ししたけど、誤解を招かないように言うと、香りの質の違い、と言った方がいいかもしれないです。

最近、本当にこの家に住みたいな、などと思っています。

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ブルキナ政変 現地報告②

写真の整理やらしていたら、もう少し書きたくなったので、引き続き現地報告第2弾。

10月30日。ワガドゥグの市民がまず向かったのが国民議会。言うまでもなく、国政の中心です。当時の写真は、数万人の人びとと濛々と上がる煙、いかにも暴動が起きている光景が映し出されていました。あれから1か月。日曜日ということもあり、そこに足を止める人もなく、静かに佇むのは焼けただれた1か月前までの国権の象徴でした。



まだまだ舗装道路の少ないワガドゥグにあって、完璧に整備された都市的な風景の中の国民議会は焼けただれ、当時のデモの激しさの余韻を残していました。ここはさすがに入れませんでしたが、覗き見ると焼けた車や焦げた壁、中には何かがある雰囲気すらありません。

次に向かったのは、政府与党のCDPの本部。実は、ここは僕が修士論文の調査をした、まさにその場所でした。この建物の向かい側で僕はラスタマンに聞き取りをし、飯を喰い、昼寝をしていました。 相変わらずラスタマンたちが土産物を売っていましたが、なんでしょう、この既視感とついさっきまであったものすごい人の情念の渦巻の跡の混淆は…


この車、中古車だったか、新車だったか…ボディー以外、なーんも残ってない。


ちょっと失礼して、中を覗かせてもらいました。事務所に火をつけたので、紙が残っているのは当然として、それ以外はなーんもありません。あったはずの机、イス、エアコン、その他備品…ここでもすべて持ち去られたのでしょう。


そして、これ。もうこの人も過去の人になったんですね。


他の件でインタビューしている人にも、今回の動乱のことを毎回聞いています。コメの値段の何パーセントが自動的に大統領のポケットに入ったとか、PMB(競馬)のおカネの何パーセントが大統領のものだったとか、にわかに信じがたい、そしてあまりに単純な大統領の錬金術の話を耳にします。

僕は、この国の平和が、悪さをしながらもこの大統領の長期政権によって担保されていると思っていました。だから、2015年に予定されている選挙では、きっとこの国は一定の期間荒れてしばらく来られないのではないかと思っていました。しかし、それはいい意味で裏切られました。この国の最も大きな財産の平和は、トップを一気に蹴落とし、あっさりと実現されました。

ただ、このトップのすげ替えの結果を見るのは、まだまだ時間がかかりそうです。コメ、金、ガソリン、嗜好品、競馬と言った、多くの産業でスポイルされてきたものが、今までのものは戻らないにせよ、これからのこの国の発展にどう役立てるのか。それ以前に、これらの話が本当にあったことなのか。目を凝らして、よく見ていきたいと思います。

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