2016年4月29日金曜日

生活基盤、ようやく整う

(貴一朗20160426)

広島に居を構えて早1か月。何とかスーパーの場所くらいは頭に入ったけど、まだ何がどこにあるかすら怪しい状態で、とてもスムーズな生活はおぼつかない。結局病院はどこに行けばいいのか、とか、まだよくわからない。

ともあれ、今週になってようやく保険証を受け取り、市役所で貴一朗の書類もなんとか終わり、そしてネットが開通した。ネットがない生活はとても不便で、ずいぶんテザリングをしたおかげで、今月のパケットが終わってしまう、という…インターネットはすでにライフライン化していることを実感した。

しかし、保険証諸々の手続きが本当に大変だった。大学勤めは初めての経験で、中国地方の拠点校とあって、とにかく組織が大きい。前にいた地球研が小さな研究所で、小回りが利く組織だったことがよくわかった。組織が大きいということは、次第に縦割り度が高くなっていくわけで、すると、一枚の書類が次の部署に行くまでに稟議にかかったりする。30分で済む書類が翌日になったりする。あとは、書類がやたら多い…書類をもって、毎日のように広いキャンパスを散歩するはめになった。

GW、明日からは福岡。そして、月が明けるとようやく連れ合いと貴一朗を広島に迎える。明日は、少し掃除をしてから福岡に出向こうと思う。

来月からはさらに忙しくなりそうだ。


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2016年4月22日金曜日

【学会発表】第17回アフリカ教育研究フォーラム@名大

昨日から名古屋に来ています。師匠にお会いしたり、ほかのOBにお会いしたり。いまや実家のある千葉よりも、自分のホームに近いような気がする。

さて、今回の来名の目的は、第17回アフリカ教育研究フォーラムに参加するため。要旨を出したのはずいぶん前だけど、ちょっと内容モリモリ。少し削らんといかんけど、こんなことを考えています。


制度化するイスラーム教育:ブルキナファソの事例から

西アフリカにおいて「教育」の導入のきっかけとなったのは、植民地期終盤のことである。これは、旧宗主国による植民地支配を進めるため、現地人行政官を育成することを意図して、ようやく現地人(特に首長などの権力者の子弟に対して)に開かれた。その後、啓蒙主義期には、現地人を市民化していく方向性が示されるようになり、徐々にではあるが、教育は人びとの間に広がり始めた。その一方で、宗教組織による教育は、「教育」の導入以前から私塾的なクルアーン学校やごく少数のマドラッサがイスラーム教育を担い、植民地化以降、植民地政府の「教育」導入を密接に関わりながら、徐々にその数を増やしたカトリック校が、それぞれの宗教の布教の一環として広がっていく。しかし、そこでは、「カトリック校=エリート校、クルアーン学校=貧困層向けの学校」という図式が必然的に生まれ、この図式は長らく変わっていない。現在でも、この構造的格差は明白で、発表者の知人のムスリムのエリート家庭では、毎朝カトリック式の礼拝があるにも関わらず、カトリック系の学校に子弟を送り込むほど、宗教的信条よりも「エリート」的な教育を志向する傾向にある。反面、これまでブルキナファソでは私塾として人びとの宗教生活における信仰の規範を伝達していたクルアーン学校は、村落から都市へ生徒(タリベ)を伴った移動を頻繁に行うが、これが子どもの連れ去りや物乞いの強要などのイメージを植え付けた(発表者第15回大会資料参照)。こうした背景から、従来の「カトリック校=エリート校、クルアーン学校=貧困層向けの学校」の図式は益々深化していっていると言ってよいかもしれない。そこで、近年では、クルアーン学校がフランコ=アラブとして、近代教育的なカリキュラムを融合する傾向が強くみられる。


 第15回大会では、こうした傾向の構造的な背景をライシテ(≒政教分離)の原則との関連性に求め、西アフリカ・イスラーム圏におけるライシテを今後の研究課題として提示した。第15回大会以降、201512月に、フランス、ケベックのライシテの事例を研究する宗教社会学者の伊達聖伸氏(上智大学)を招聘した研究会を実施し、西アフリカのライシテの事例の研究可能性や研究課題の検討を始めた。ここで明らかになったのが、フランスにおけるライシテが、共和国政府によるカトリック教会の権力を引き離す狙いがあった一方で、西アフリカにおけるライシテは、フランスで出来上がったライックな制度が、既成のものとして取り入れられたことにあることである。本発表はこうした大きな枠組みの中の一つとして、ブルキナファソにおけるイスラーム教育の制度化について、ブルキナファソ、基礎教育省(MEBA)の教育査察官、デメ・ハチミDeme HATIMI氏の修士論文の第1部を先行研究としてまとめ、制度研究における課題を提示する。また、発表者が2013年より調査を開始しているフランコ=アラブの事例から、今度の調査の展望を論じていく。



2016年4月20日水曜日

熊本大地震と企業




4月14日、熊本を中心に大地震が起きた。東日本以来の大災害だ。震度7、6クラスが一日に何度も起きる。熊本城は崩れ、断層がむき出しになった。世論の関心は、川内原発をなぜ止めないのか、ということに集まり、その陰で、TPPが全くの例外を認めずに通ってしまった。自衛隊はおそらく目覚ましい働きを見せていることだと思うが、その上の政治は全く信用ならないし、実に不可解だ。

その一方、今回の震災では、企業の支援がずいぶん目立っているように見える。今日だけでも商船三井がフェリーを仮設宿舎として、吉野家が炊き出しを、サントリーがミネラルウォーターを、そして一風堂がラーメンを炊きだす、というニュースを目にした。もっとほかにいくつもの企業がこうした支援に乗り出しているはずで、実に素晴らしいこと、これこそが民間の底力だと思う。


確かに、最初は腹をくらますこと、雨風をしのぐことに集中しなければならない。しかし、そんなことは数日もすれば今の体制があればなんとかなる。そのあとは、いかに幸福に過ごせるような環境を整えるかだ。吉牛、ラーメン、美味いだろうと思う。きれいな水、うまいだろうと思う。

このあたりの記事を読んでいて、途上国支援の話を思い出した。特に食にははやり嗜好があって、そういうものを理解してやっている支援なんてこれっぽっちもない。コメさえ作ればなんとかなる、という一辺倒な考えしかもっていないところなど、よく学ぶべきだ。

ともあれ、本当に早く地震が収まって、日常を取り戻せる日が一日も早く訪れますように。

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2016年4月13日水曜日

森壮也(編)2016『アフリカの「障害と開発」』アジア経済研究所


筆者の亀井伸孝先生よりご恵投いただきました。

何度かセネガルにご一緒して、その調査のご様子(そして、本書の原稿をご苦労してご準備されているご様子も)を存じ上げておりますので、拝読するのが楽しみです。

当然のことながら、「障害」を持って生まれた、もしくは、「障害」を負った方はこれまでずっと存在したわけですが、「障害」に注目した研究も実践もまだまだ「新しい」トピック。アフリカという広い大陸を「文化人類学、法学、言語学、開発学といった様々なディシプリンを背景として」(まえがき)網羅的に扱った書は初めてではないでしょうか。もちろん、これがすべてではありません。この書が「障害」という、ようやく注目され始めたテーマのスタート地点となり、ますます研究が進みますように。

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2016年4月10日日曜日

研究を始めるのが遅くなった人へ、もしくは、再開する人へ

研究の世界に入って、早いもので10年が過ぎた。

正直に言えば、僕より遅く入った人たちがパーマネントの職を持ったり、学会賞を取ったり。もちろん、研究の発展に寄与しているということなので、特に親しくさせてもらっている人たちには、心からお祝いをするのだけど、一方で羨ましくないと言えば、嘘になる。

今、また論文の校正をしているのだけど、やはり言われるのが、フィールドデータの弱さだ。これは毎回言われる。これだけ渡航しながら、何をやっているのか、と問い詰められれば、それにはなにも反論できない。しかし、なぜフィールドデータが弱いかと言うことの言い訳をいくつかすれば、その一つは、2011年以降のブルキナファソでたびたび起こる政治的混乱ということがあったし、もう一つは、何か、すべてを投げ打ってフィールドに集中できなかったこと、これも小さくない。

僕は30歳で大学院の門をたたいた。ストレートでくれば、22歳で入学してくるから、そこそこの遅れを抱えていた。この年齢差、繰り返すが、言い訳にしか聞こえないかもしれないけど、以外に大きい。一応、会社などという、安定した組織の中を経てみると、院生という、とても脆弱な立場にいること、また、一般的な大人にとって当然のことが、大学院ではまったく当たり前ではない、そのギャップに、大いに焦りを感じる。

たとえば、大学院生は、何の躊躇もなく、数百万円の奨学金を借り、それを生活費に充当する。その先に、返す当てもないのに。大学院を卒業して、いきなりパーマネントの職を得られる人など、1%もいないだろう。僕のように、期限付きの職をいくつも経てようやく、というのが現状だ。それでも、僕の場合はラッキーで、院生時代に非常勤の研究員をさせてもらい、そのあと、地球研、そして、現在の広島大学、と研究員を何とかつなげている。

まだ学位も持っていないのに、何とかなっているのは、おそらく、会社にいたころに染み付いた守りの姿勢を持っていたからで、つまり、生きていくための術、ある人に言われたのが、「ストリート・ワイズ」(⇔「スクール・ワイズ」)に過ぎている、ということが大きい。簡単に言ってしまえば、つまり、自分のプロパーの研究を放っておいても、頼まれ仕事をやる、ということになる。

これだけたくさん「渡航」しているのに、なぜフィールドデータが集められなかったか、と言えば、結局この辺に原因がある。しかし、その結果、僕は地球研でたくさんの経験とつながりを得て、おそらく、大学院にいてはありようもなかった、ほんの少しの貯金、借金(奨学金)の返済が行えた。研究を始めるのが遅くなったり、再開しようと思っていても、心配することはない、何とかなる、ということは一つ言っておきたい。

それで、何度も言うけど、僕個人の問題としては、ここに書いたことは単なる言い訳。でも、何とか、借金を少なく、結婚して、何とか子どもを持ち、ということの背景には、こういう生き方をしなければならなかった、ということは書き留めておきたかったし、これから、新たに挑戦しようと思う人には、参考にしてほしい。一つの後悔は、やはり、できるときにやらなかった、一時期のフィールドでの怠惰な生活だ。しかし、後悔先に立たず。足りないところは埋めていくしかない。そして、そう思ったときは、まだ遅くないはず、そう信じて進むしかない。

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2016年4月8日金曜日

広島に棲みつきました

3月31日に京都を出て、いよいよ広島での生活が始まりました。

不便、不便…京都に移ったときにも同じようなことを言っていた気がしますが、今回も。当たり前ですよね。何がどこにあるかはわからないし、慣れたところで当たり前だったことが、新しいところではそうでなかったり。職場も生活も手探り状態です。

なんとか月曜日あたりから自炊ができるようになり、食材を買ったり、部屋を片付けたり、あとは生活の基盤である、社会保障の手続きで市役所に通ったり、口座を開いたり。研究なんてほとんどできない日々が続いています。

ようやくブログでも書いてみるか、という気になったということは、少し生活パターンが決まってきた、ということ。まだ研究室の荷物も片付いていないけど、これは少しずつやりましょう。とりあえず、今日は職員証ができて、いつでも研究室に来られるようになったし、研究費を受け入れられる基盤も整いました。

そんなこんなで、思い通りの生活ができずにイライラが募りそうですが、とにかく、怒らない、自分に言い聞かせながら、穏やかにおおらかに日々を過ごすように心がけています。まわりの人のことも少しずつ分かってきたし、いろんな関係が築けたらいいと思います。