2016年4月22日金曜日

【学会発表】第17回アフリカ教育研究フォーラム@名大

昨日から名古屋に来ています。師匠にお会いしたり、ほかのOBにお会いしたり。いまや実家のある千葉よりも、自分のホームに近いような気がする。

さて、今回の来名の目的は、第17回アフリカ教育研究フォーラムに参加するため。要旨を出したのはずいぶん前だけど、ちょっと内容モリモリ。少し削らんといかんけど、こんなことを考えています。


制度化するイスラーム教育:ブルキナファソの事例から

西アフリカにおいて「教育」の導入のきっかけとなったのは、植民地期終盤のことである。これは、旧宗主国による植民地支配を進めるため、現地人行政官を育成することを意図して、ようやく現地人(特に首長などの権力者の子弟に対して)に開かれた。その後、啓蒙主義期には、現地人を市民化していく方向性が示されるようになり、徐々にではあるが、教育は人びとの間に広がり始めた。その一方で、宗教組織による教育は、「教育」の導入以前から私塾的なクルアーン学校やごく少数のマドラッサがイスラーム教育を担い、植民地化以降、植民地政府の「教育」導入を密接に関わりながら、徐々にその数を増やしたカトリック校が、それぞれの宗教の布教の一環として広がっていく。しかし、そこでは、「カトリック校=エリート校、クルアーン学校=貧困層向けの学校」という図式が必然的に生まれ、この図式は長らく変わっていない。現在でも、この構造的格差は明白で、発表者の知人のムスリムのエリート家庭では、毎朝カトリック式の礼拝があるにも関わらず、カトリック系の学校に子弟を送り込むほど、宗教的信条よりも「エリート」的な教育を志向する傾向にある。反面、これまでブルキナファソでは私塾として人びとの宗教生活における信仰の規範を伝達していたクルアーン学校は、村落から都市へ生徒(タリベ)を伴った移動を頻繁に行うが、これが子どもの連れ去りや物乞いの強要などのイメージを植え付けた(発表者第15回大会資料参照)。こうした背景から、従来の「カトリック校=エリート校、クルアーン学校=貧困層向けの学校」の図式は益々深化していっていると言ってよいかもしれない。そこで、近年では、クルアーン学校がフランコ=アラブとして、近代教育的なカリキュラムを融合する傾向が強くみられる。


 第15回大会では、こうした傾向の構造的な背景をライシテ(≒政教分離)の原則との関連性に求め、西アフリカ・イスラーム圏におけるライシテを今後の研究課題として提示した。第15回大会以降、201512月に、フランス、ケベックのライシテの事例を研究する宗教社会学者の伊達聖伸氏(上智大学)を招聘した研究会を実施し、西アフリカのライシテの事例の研究可能性や研究課題の検討を始めた。ここで明らかになったのが、フランスにおけるライシテが、共和国政府によるカトリック教会の権力を引き離す狙いがあった一方で、西アフリカにおけるライシテは、フランスで出来上がったライックな制度が、既成のものとして取り入れられたことにあることである。本発表はこうした大きな枠組みの中の一つとして、ブルキナファソにおけるイスラーム教育の制度化について、ブルキナファソ、基礎教育省(MEBA)の教育査察官、デメ・ハチミDeme HATIMI氏の修士論文の第1部を先行研究としてまとめ、制度研究における課題を提示する。また、発表者が2013年より調査を開始しているフランコ=アラブの事例から、今度の調査の展望を論じていく。



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