2015年3月31日火曜日

パスポート書き換え完了!


2014年度最後の日、9年半使ったパスポートの書き換えが完了しました。

最初にパスポートを作ったのが、20歳の時。2冊目のパスポートが残り期間半年ほどになることから、早目に書き換えをすることにしました。大学生時代には、スタンプラリーのつもりで、とにかくスタンプがほしかったように思いますが、最近は、できるだけ省スペースで、「何ページに押してください」という指示もだしていました。

新しいパスポートはICチップの入ったもの。今やめずらしくないですが、確か、この2冊目のパスポートを取った直後に変わったのではなかったでしょうか。

いやはや。約10年間、一度も事故に遭わずに過ごせました。お勤めご苦労さまでした。そして、新しいパスポートも安全な旅とエキサイティングなアドベンチャーの供で長くお願いしたいものです。

2015年3月28日土曜日

素晴らしい祝辞②[立教大学2015、立教新座中高等学校2011]

卒業シーズンも一段落。毎年、いくつかの学校の祝辞が注目されますが、今年も素晴らしいものが紹介されていました。
立教という学校には全く縁もゆかりもありませんが、たまたま2つの祝辞に接する機会があり、それらにいたく感銘を受けました。双方、それぞれのホームページから拝借してきました。是非ご一読ください。
立教新座中高の渡辺校長の「祝辞」は、実際には生徒の前に話されていないようです。2011年のものだからです。3.11後、多くの学校の卒業式が中止され、「祝辞」は「メッセージ」と呼び換えられたのが印象でしたが、こうした時期だからこそ新しい門出を迎える若者たちに言葉をかけたい先生たちの言葉はより鋭く、重いものになっていきます。以前、高橋源一郎さんの祝辞を紹介しましたが、これも大変すばらしいものでした。
渡辺校長は、大学に進むことを「海に出ること」にたとえ、「津波」に負けない強い人間になるように訴えています。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。」
ちょっと熱すぎるか、そんな風にも思ってしまいますが、大災害で混乱した当時の社会でのこと、敢えてこうしたことを述べられたのだと思います。
このメッセージを受けた立教新座の高校生たちが進んだであろう、立教大学の吉岡総長は(大学院の卒業式でのものですが)、大学という、知の海で、「考える」ことの大切さを説きました。大きく首肯できる、今の時代にとても大切な言葉を紡がれたと思います。
大学は「物事を根源にまで遡って徹底的に考える」場所です。 やや誇張した言い方をすれば、大学が存在しているのは社会の中で大学以外にそのように物事を徹底的に考える場所が他にないからです。もしもそのような場所が、社会の至る所にあるのであれば、大学は不要でしょう。 あるいは逆に、社会がもはや考えることを全く必要としないのであれば,(そのような社会が望ましい社会であるか、そもそも人間の社会と言えるかどうかは別として)、大学は存在意味を失うことになります。
立教大学は、今述べたような「徹底的に考える場所」であることを自らに課してきました。本日学位を取得された皆さんは、立教大学におけるこれまでの研究の過程で、自らのテーマに関して考えられる限りのことを考えぬいたことと思います。そしてその過程で、「物事を根源にまで遡って徹底的に考える」ということの持つ人間社会における意味を体得したに違いありません。この経験をこれからの研究生活、そして社会のためにぜひ役立ててください。」
どんなところで生きていくにせよ、荒れ狂う海で考え抜くこと、とてもしんどいことのようにみえますが、きっとその中にこそ生きていくことの楽しみを見いだせるのではないかと思います。別れと出会いの季節、新しい門出を迎える人には素晴らしい未来が待っていることを切に願います。
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http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/president/conferment2014/
2015年3月25日
立教大学総長 吉岡 知哉
立教大学はこの春、358名に修士号、29名に博士号、30名に法務博士号を授与いたします。このうち、修士46名、博士3名が外国人学生です。学位を取得された皆さん、おめでとうございます。
昨日と本日、このタッカーホールで学部生の卒業式が執り行われましたが、この卒業式は立教大学にとって特別な意味を持つものでした。それは言うまでもなく、今年卒業する学部生の多くが2011年4月に本学に入学した学生たちだ、ということによります。その年の3月11日に起こった東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故によって、私たちは卒業式と入学式を中止し、新年度の授業開始をもひと月遅らせざるをえませんでした。
3.11は、私たちの生きる日常がいかに脆弱な基盤の上に成り立っているかを暴き出しました。同時に私たちは、科学技術によって自然を支配し統御することができるという、人間の傲慢な幻想が打ち砕かれる瞬間を、文字通り目の当たりにしたのです。
巨大地震と津波そして原発事故は多くの人々の命と生活を奪い、広範囲にわたって豊かな国土の喪失を引き起こしました。水や食糧、空気や大地といった物質的環境から社会制度、国の仕組みに至るまで、それまでの信用がことごとく打ち崩され、言わば「底が抜けた」状態になりました。 学問の府であるべき大学も例外ではありません。
あれから4年。震災の年に入学した新入生が卒業するだけの時間が流れました。しかし被災地の復興はまだ途上であり、原発事故は収拾の見込みが立たないまま汚染水漏れが続くなど現在進行形の状態であり、なお多くの人々がかつてのすみかを追われたまま、避難生活を強いられています。それでも、物質的環境の復興は現場の努力によって少しずつ進んでいます。むしろ大きな問題は、3.11によって露呈し加速することになった社会的な意識構造の変化にあると思われます。それは、精神的な価値や創造物をも含め、あらゆるものを市場原理に準拠して価値付けるという思考の強化徹底です。
もとよりこのような思考は資本主義の基本原理であり、今に始まったものではありません。しかし、情報通信技術の発達とグローバリズムの急激な進展に伴って地球規模に拡大すると同時に、生活の隅々にまで行き渡ることになりました。
人間活動のあらゆる局面を市場の判断に任せるという思考は、結果のみがリアルであるという観念を導きます。問題は、人間が歴史的に作り上げてきた社会的な諸制度に関しても、それが産み出す結果と効率のみを基準として価値付けられることになるという点です。企業という組織は利潤を最大化することを目的としており、結果の判断基準は明確ですが、企業以外の社会的な諸組織、諸制度は、直接にある結果を出すことのみを目的としているわけではありません。
大学もまた、そのような組織の一つです。大学において、個々の研究の成果が現在の社会の基準に従って有益であるかどうか、その時々に役に立つ人材を輩出しているかどうかは確かに大切ですが、それよりもはるかに重要なのは、高度な研究と教育が持続的に行われていること、それ自体です。大学は歴史的に、それぞれの社会にとっては異質な多様性を自らの中に内包することによって、社会の画一化とそれによる劣化を防ぎ、社会全体の刷新を進めてきたのです。それはちょうど、ヨーロッパの歴史において、異端研究を行う修道院が教会改革の原動力でもあったのと似ています。
大学は「物事を根源にまで遡って徹底的に考える」場所です。 やや誇張した言い方をすれば、大学が存在しているのは社会の中で大学以外にそのように物事を徹底的に考える場所が他にないからです。もしもそのような場所が、社会の至る所にあるのであれば、大学は不要でしょう。 あるいは逆に、社会がもはや考えることを全く必要としないのであれば,(そのような社会が望ましい社会であるか、そもそも人間の社会と言えるかどうかは別として)、大学は存在意味を失うことになります。
立教大学は、今述べたような「徹底的に考える場所」であることを自らに課してきました。本日学位を取得された皆さんは、立教大学におけるこれまでの研究の過程で、自らのテーマに関して考えられる限りのことを考えぬいたことと思います。そしてその過程で、「物事を根源にまで遡って徹底的に考える」ということの持つ人間社会における意味を体得したに違いありません。この経験をこれからの研究生活、そして社会のためにぜひ役立ててください。
皆さんのこれからのご活躍に心から期待しています。
おめでとうございます。

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http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司

2015年3月27日金曜日

待ち遠しい…



http://dragons.jp/fan/livedragons/2010/


とうとうきました。やっときました。この日。

プロ野球開幕です。今年もあんまし強くないんだろうな…とは思うので、勝ちにはあんまり期待はせずに、でも、エキサイトさせてくれることには期待しながら、半年間楽しみたいと思います。

せっかく大阪でやるのに、見に行けないのが残念ですが、ナゴヤドームには足を運びたいもの。

名古屋の仕事が増えますように。

さぁ、帰ろ。

2015年3月26日木曜日

川田順造2014『<運ぶヒト>の人類学』岩波書店



川田順造先生の最新作。今年で80歳になられるとは思えぬこの精力的な執筆欲…本当に感心しきりである。
書評などはできないし、多くの学ぶべきことがあるのだが、簡単にこの本のあらすじを意識しつつ、メモをつけておきたい。最後の部分は、結論じみたものはそれほど強く出されておらず、少々尻切れトンボのような印象を受けた。しかし、「運ぶ」ということを通しての人類史を書かれたかったと解釈して、「運ぶこと」を通しての照射できる現代社会のありよう、というところを主張されているのではないかと推察する(間違ってるかもしれないですが)。
そんなわけで、以下メモと目次を載せておきます。

+++++++Note+++++++++++++

ヒトが直立二足歩行するようになって得られたもの
①大きな脳を支えることが可能になった
②口腔の構音器官が多様化して分節された発音が可能になったこと
③直立した歩行と、自由になった前肢とによって、相当の嵩と重さのものを、長い距離運べるようになった(ホモ・ポルターンス)

◇研究の方法
できるだけ異なって見える文化を三つ選んで比較するやりかた(文化の三角測量)
①歴史上関係があったことが明らかな文化を比較する
②地理的にも文化的にも著しくへだたり、相互に直接の影響関係がまったく、あるいはほとんどなかったような三つの文化を比較する

②のやり方を使って比較研究の事例を提示
-労働に対する考え方を、フランス、日本、モシ社会の労働を慰労する言葉から考える。
-女性の自己主張の強さを、親族システムから考える。
-道具も三角測量によって比較が可能
⇒こうした方法論を「身体技法」としての運び方に援用していく。

◇「身体技法」としての運び方
先行研究:モースの「身体技法」、ボアズの「運動習慣」(川田氏自身はボアズに近いと述べる)

「地域の文化に条件づけられた身体の使い方である身体技法」
「生きる営み全般にわたってほとんど意識されずに日々くりかえされている身体の使い方が…個人を超えてある範囲の人々に共有されている「おこない」を、成り立たせている」
「個人の身体の使い方は…意識するにせよしないにせよ、条件づけられていて、ある身体技法を生んでいる。」
「社会と個人は、身体技法の集合である「おこない」を媒介として、だが一方が常に他方を規定しているのではなく、互いのはたらきかけのうちに、かかわりあっている」

⇒「ある程度以上の距離を、かなりの嵩と重量をもったモノを運ぶ方法も、地域によってことなるヒトの身体能力が基盤になって生みだされ、ある範囲の人々に共有される「しきたり」、より狭義には「おこない」となって、地球上の多様な生態学的条件をもつ地域に、多様な形で見出される。」

**重さを支える身体の部位、および必要な道具としてのモノ
頭頂部(巻いた布、輪)、前頭部(帯)、肩(帯、棒、肩当て具)、肩から背の上部(重心の高い背負い具)、腰(重心の低い背負い具、腰で支え前にまわす籠)、前腕(把手つきの籠)

比較対象
①西アフリカ内陸の黒人
②近世以後のフランスを中心とする地域の主な住民である白人
③日本人やアメリカ先住民をふくみ黄人(モンゴロイド)

◇「技術文化」と運搬法
「技術は、いわゆるハードウェアとしてだけ存在するのではない。世界大の文化比較の視野でみれば、技術はある文化の世界観の具体化された一側面であり、他方、その社会の政治的・社会的人間関係のなかで実現され、運用される」
技術文化の総体をモデル化
・モデルA「二重の意味での人間非依存性」(フランス文化):道具の脱人間化
・モデルB「二重の意味での人間依存性」(日本文化):道具の人間化
・モデルC「与えられた状況の最大限の活用」(モシ):人間の道具化

モデルA:「できるだけ人力以外のエネルギーを使い、誰がやっても同じ良い結果が得られるよう道具を工夫するという価値指向の一つの結実として、運搬においては牛馬に引かせる車輪文化の発達が挙げられる」(143)
⇒車輪文化が発達しなかった日本で、農耕で使う馬車や牛車のブレーキをつけることを考えたのは誰か?技術の共通性はいかにして生まれたか?
⇒身体技法にいたっては、変化する部分と、継承される部分が混じっている(「「エスニック」」と「グローバル」が混交しつつある」(147))

しかし、
「グローバル」(地球規模)⇔「ローカル」(地方的):「力関係」に基づくもの
「ユニヴァーサル」(普遍的)⇔「パティキュラー」(特殊):「人間は万物の尺度である」という、ローカルな特殊指向こそが普遍的だ(プロタゴラス)
という二組の考え方を混同してはならない。(149)

「現代におけるグローバル化の中心にあるアメリカが、かつてのフランス主導のグローバル化に対して、ローカルな「慣習的単位」に固執している事実を見ても、グローバル対ローカルという関係が、文化外の要素もふくむ「力関係」の上に成り立っていること、普遍指向と特殊な慣習的価値の尊重という対立も、状況次第でいかに変わるかがよくわかる」(152)

+++++ここまで+++++

*******************【目次】***********************

1. なぜ、「運ぶヒト」か?
ヒトはアフリカで生まれ、世界に広がった-アフリカを出たとき、どうやってものを運んだのだろう?-直立二足歩行が、「運ぶ」ことを可能にした-直立二足歩行のはじまりは?-頭蓋骨から推定できる二足歩行-だが、そもそもヒトのはじまりは?-これもヒトだけの特徴「二重分節言語」-では、ホモ・ポルターンスを研究する方法は?

2. 文化の三角測量
文化を比較する二つの方法-轆轤を逆にまわす-日本での琵琶の普及-風が吹けば桶屋が儲かる-「はたらく」よろこび?それとも経済外的強制?-労働をねぎらい、はげますことばが豊かなモシ社会-自己主張のつよさ-市で活き活きとするヨメたち-地縁組織の弱さ-人間と道具の関係で比較すると-アフリカ式溶鉱炉-夏雨型農耕と冬雨型農耕-前屈したままでの除草の方がラク?-冬雨型のフランスではアザミ除去に一苦労-文化の比較から、「身体技法」の比較へ

3. 「身体技法」としての運び方
身体と文化-身体技法の集合としての「おこない」-モノとのかかわりでの身体技法-「運ぶ文化」にとっての生態学と働体学-二重分節言語の条件-運ぶ行為における、身体と道具-西アフリカ黒人の身体特徴-育児法などとの関連-運搬にみる三つの指向性-前頭帯運搬の系譜は-黒人、白人、黄人にみる運搬具の共通点と差異

4. 「技術文化」の運搬法
技術文化の指向性-ヒトと道具―三つのモデル-道具をまたがない日本の職人-前頭帯と棒運搬をめぐる文化-石器文化の西と東、竹の文化は?-「朸」が提起する問題-棒でかつぐ運搬の日本での異常な発達-中国でも多様だった棒運搬-三文化における「履き物」-背負い運搬における重心の高低-人力以外の動力活用への指向-日本の川船輸送との比較で-蒸気機関以後

5. 「運ぶヒト」のゆくえ
はじめどうやってモノを運んだか、再び-頭上運搬の移り変わり-より効率のよい運び方へ-現代日本における身体技法-「ナンバ歩き」-「グローバル化」とは?-グローバル化のはじまり-シンポをめぐる楽観から、先の見えない悲観へ-エスニックとグローバルのあいだ-モノ運びの仮装パレード-メキシコの少年らのグループ-フランスのグループ-フランスのグループ-いま、アフリカでは-「運ぶヒト」の原点に帰って

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2015年3月25日水曜日

ホームページ仮オープン


ホームページ「SHIMIZU Takao's page」を仮オープンしました。

基本的に仕事用で、今の職場の契約が切れたあとも使えるように、業績リストと少しずつ業績の一部を公開する場として使っていきます。このブログもリンクを貼ってあります。

そして、たいして上手くない写真も少し上げてみようと思います(こちらは現在セレクト中)ので、見に来ていただけるとうれしいです。

"The Thomas Sankara The Upright man" 2006, Director: Robin Shuffield (映画)


ずいぶん前に買ったDVDなのだけど、今書いている原稿に役立つだろうと思って、朝から視聴。

そういえば、サンカラ元大統領の声をしっかり聴いたのははじめてかもしれない、と思って、彼の声に耳をそばだてたのだけど、う~ん…普通だ…ゆっくり、はっきりしゃべるので、彼の演説はとても聞きやすかっただろうなとか、コミュニケーションをとる風景では、サンカラの話しかけ方もブルキナでよく見かけるような光景だなとか。今でもブルキナベが彼に共感するのは、彼が意外に普通なこと、そんな感覚を常に持ち続けた、「近い」大統領だったからなんだろう、と思った。

ともあれ、このDVDで紹介されている、サンカラの功績は
・女性の権利の向上
・パブリック・ヘルスの整備
・線路や道路など、インフラの整備
・内需拡大を狙った経済政策
・国民の政治への組み込み(民衆を軍事訓練に参加させた)
などなど。

サンカラに一貫していたのは、帝国主義、植民地主義に抵抗していくことで、それを国民の生活レベルで実践することを求めていったことだろう。フランスが彼を消そうとしたのは、ただ鬱陶しいハエを追い払うためではなく、彼がフランスのアフリカ支配の戦略の核心を突いていたからだろう。コンパオレ前大統領も多くの功績を残した立派な大統領だと思うが、なぜ、サンカラが神格化され続けるのか。それは、自分の思いを国民に、愚直なまでにダイレクトに伝え続けたからではなかったか。

などなど、こんなことを思った。英語のサブタイトルも着いていて、親切なDVDです。まま、お勧めです。

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フィールドぶらり1「岐阜」

(關野さんのFacebookより拝借)

職場の研究員8人とこんな本をだしました。一応、ISBNなんかもついていて、期せずしてちゃんとした出版になりました。

内容はといえば、先日、記事12で紹介した岐阜での合宿の時に行った座談会をまとめたものです。僕の発言自体は結構適当だったように記憶していたのですが、何とかその後の校正の時に軌道修正して何とかみられるようになった。

僕はこの集まりで、こういう緩くディスカッションできる場を「タスク化してはいけない」と言い続けていたのだけど、このブックレットに関してはコンダクトしてくれた三村さんに感服。本当によくできています。相変わらず、これをタスク化していくことには少々懐疑的であり続けるのだけど、この手のブックレットが10冊、20冊と溜まっていったとき、かなり面白い資料になりそうだ。やっぱりタスクになっちゃうかな…



2015年3月18日水曜日

ドラゴンズ2015開幕直前 発想を転換してみては?

野球好きにとってはそろそろ落ち着かなくなる季節。冬眠していた熱いハートがむくむくと…

しかし、今年のドラゴンズ、ほとんどの解説者が最下位予想。いちファンとしても、「優勝、いけるっしょ!」とは全くいえない。もう何年も言われているけど、今年も同じようなメンバーで行きそうな気がするからだ。確かに、これらの選手は実績もあって、すばらしい選手ばかりなのだけど、如何せん、「未来」への希望が見えない。去年は何とか平田選手あたりが芽を出し始めたが、それ以外は、若手の伸び悩み、首脳陣の勝ちへのプレッシャーから新たに意図的に使われた若手というのはほとんどいなかった(野手では)。まあ、多分投手は今年もそれほど問題ではない。去年よりも明らかに上積みがある。

各メディアの報道で、ドラゴンズの若手で最もよく出てきている野手は高橋周平、福田永将の2選手だろう。高橋周平選手は始めて生で見たときに、森野のようなシャープで強いスイングに「これは!」と思ったし、福田選手は打棒が評価されてはいたものの、如何せん守るところがなかった。しかし、今年の開幕直前で言えば、この二人に活躍してもらわねば今年のみならず来年以降もドラゴンズの上昇はありえない。

高橋周平選手 http://npb-news.blog.jp/archives/22751518.html

福田永将選手 http://dragons-official.at.webry.info/201402/article_21.html

そこで、なのだが、この二人を将来的に中心選手に育て上げるため、今のレギュラーをこの2人と平田、大島あたりを中心に組んでみてはどうか、と思う。ベテランはそこをサポートするような布陣とするのだ。去年の平田の使い方もいまいち覚悟を決めて使っていたようには思えないから、もう少し粘り強く。ファンがこんなことを言ったらどうしようもないけど、今のベテラン勢、荒木、森野、和田あたりはやはり衰えを隠せない。それぞれのキャリアハイは正に福田や平田くらいの年齢のときに出てきているし、それは、経験と体力がピークにあるこの世代だからこそ出てくるものでもあるように思う。彼らの成績に近いものは、福田や平田あたりは達成できるのではないだろうか。

特に、内野手のこの2人を出すためには、おそらく荒木のポジションがネックだ。荒木がショートを守れれば、セカンドやレフトを守れる森野の使い道が広がる。もちろん、高橋がショート、福田が外野を守れるようになることも条件なのだけど。

ベテランは簡単に退く必要はないし、若手も道を開けてもらうことを期待してはいけないけど、いちファンからすれば、若手の将来性は選手の能力の一つだと思う。これを大きく伸ばしていくのがフロントの仕事。それぞれが拮抗する中で、今年は将来のドラゴンズを指し示す一つのきっかけの年になればいいと思う。




2015年3月17日火曜日

POPAFRICA再び@一橋大学


2008年以来7年ごしで2回目のPOPAFRICAが開催されるそうです。いや、それにしてもすごいメンバーだ。

今回は、岡崎彰先生の退官記念も兼ねるそうです。

全部は出られないですが、少しでも伺おうかと思っています。

とりあえず宣伝。

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2015年3月16日月曜日

第15回アフリカ教育研究フォーラム 発表要旨

先日アップした「アフリカ教育研究フォーラム」@広島のアブストラクト。まだ正式に要旨集は出ていませんが、まあ自分の分だけなので。

最後の段落が取ってつけた感じがしてしまうのですが、まあ、まだまとまってないと言うこと。今回は、主に文献研究で問題点の洗い出しをすることが目的なので、当日まで粘ってできるだけクリアな問題意識を作っていくことにする。

金曜日、日曜日と今回使えそうな文献を集めたけど、思いのほかたくさんあって、逆にびっくり。少し読み直したりしたら、(簡単には目を通しているはずなのに)知らなかった箇所も多かった。研究と言うのは、こういうことの繰り返し。そして、できるだけ多く人様の目に触れるような、少し緊張感をもたねばならないところで発表することも大切。そのたびに資料や自分の知識を精査していくことで自分の研究も研ぎ澄まされていく…というごくごく当たり前のことを再認識したのでした。

今回は、アフリカの宗教(イスラーム)学校を「ライシテ」の話から切り込めるようにすることが目標。今まで、なんとなく、フィールドワークで得られた生活の中の伝統教育の重要性を語ってきたけど、こういう国民国家や共和制と宗教という関係性をなしには、どうも議論がぼんやりしてしまう。この辺を少しクリアに語れるようになりたいと思っています。

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西アフリカ・イスラーム圏におけるフランコ・アラブ学校についての予備的考察」

西アフリカは内陸部を中心として、19世紀のフルベのジハードが起こった時代に広くイスラーム化が完了し、現在に至るまでイスラームの宗教的な存在感は諸社会に高まりを見せている。発表者はこれまでの発表において、西アフリカにおいてインフォーマルな教育機関としての役割を担ったクルアーン学校の伝統教育的諸相や村落部における社会生活に埋め込まれた様子を明らかにしてきた( [11回~第14] AERF発表資料参照)。一方でこれらの地域の国家レベルに目を向けると、西アフリカ諸国家がフランスを模した「建前上」の共和制をとっている。共和制をとることは、すなわち、ライシテ[1])を原則とすることは、教育制度においては宗教を教育内容に含めないことを原則とするため、宗教教育に特化するクルアーン学校は制度的に周縁化されていく。発表者のニジェール、ブルキナファソにおけるフィールドワークでも、公的な学校とクルアーン学校は一見共存関係にあるように見えたが、児童労働問題やストリート・チルドレンの問題を引き起こす元凶とみなされたクルアーン学校は制度的に阻害され、それにも関わらずイスラームの基礎的な学習を担う仕組み、また、生活レベルでは依然、この社会には必要な仕組みである。
 本発表では、発表者のこれまでの研究を背景として、その中でもしばしば名前を挙げてきたフランコ・アラブと呼ばれる教育システムの重要性を論じていく。フランコ・アラブは、ニジェール、ブルキナファソだけでなく、セネガルやマリ、その他西アフリカ諸地域においてそれぞれの地域文脈に沿う形で発展してきている。本発表では、すべての地域の動向を追うことはできないが、ブルキナファソにおいて開始した調査と文献資料を元に、その現状と問題意識を整理していきたい。
 現在のフランコ・アラブの存在は、上記のようにアフリカの近代国家において増大するイスラームの位置づけを象徴している。ここでは、近年のフランコ・アラブの動向を確認するだけに留めるが、その影響力の一端は示せるのではないかと思う。
 フランコ・アラブは一般に「Franco-Arabeはフランコフォン・アフリカではマドラッサMadrsa[2]と同等のものと考えられており、(イスラーム)信仰や教育をフランス語とアラビア語の両方でおこなう」、「学校」のことを指す(Deme2007 :26)。近年のフランコ・アラブの最も重要な特徴は、イスラームの伝統的教育機関でありながら、行政上は明確に定義されていることである。殊にブルキナファソにおいては、1999年以来、フランコ・アラブは私立の小学校として登録できるようになった。しかし、キリスト教系の学校のような宗教的精神に基礎付けられた教育ではなく、クルアーンの暗誦やイスラーム教育で培われたイスラーム教育を行う学校を共和制の国家が承認した、ということである。そして、フランコ・アラブの数は2008年ころには全国で1,000校を超え、現在は1,500校に迫る勢いであり、フランコ・アラブ側も積極的にオーソリティの取得を進めている。



[1] ライシテ:「十九世紀後半のフランスで…教権主義的カトリック…に対し、共和派が宗教によらない(自律志向の)政治と社会秩序を目指」す中で生まれた用語(ゴーシェ199818
[2] フランコ・アラブはマドラッサMedrasa/Madrassaと同義に用いられることが多いが、マドラサは高等教育機関までを持つ教育機関であると認識されている

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2015年3月15日日曜日

今更ながら挑戦しようと思います

今のプロジェクトも残り2年。先日自分の実績をまとめていて、自分の実績(大したものはないのだけど)をちゃんと公表してくれている、そういうシステムを用意してくれているので、ずいぶん助かっているな、ということを思った。

のだけど、あと2年したら、こういうサービスも基本的に受けられなくなる。う~ん。

もちろん、このブログもあるので、適当にやればいいのだけど、すでにタグはやたら多いし、実績は見にくいし。いろいろと不満もある。そこで、この際ということで、自分のHPを作ろうと思い立って、少しずつ構築を始めている。Facebook、Twitter、Blogとどうやってリンクさせていくか、とか、更新の頻度とか、考えないといけないことも多いな。

今年に入ってから、これは秘密だけど、イラストレーターも勉強し始め、ホームページが作れれば、今までのITリタレシーの低さを克服できるだろうか。

2015年3月13日金曜日

第15回アフリカ教育研究フォーラム@広島大学

(https://sites.google.com/site/aerf1960/home)

またこちらのフォーラムで発表します。まだHPにはアップされていませんが、日程は4月10日(金)、11日(土)で、場所は広島大学。

学会は、初日の一番最初のコマがいいのです。発表が終わってしまえば、ほかの発表も集中できるし、懇親会もたっぷり楽しめるので。今回はその一番最初のコマで割とテンションがあがります。
発表タイトルは「西アフリカ・イスラーム圏におけるフランコ・アラブ学校についての予備的考察」で、短めの10分発表です。

アブストラクトが明後日締め切り。まだ読もうと思っていた資料の読み込みをしていないので、これから急いでやります。また学会直前にアップしましょう。

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2015年3月12日木曜日

2014年度の業績と2015年の展望

もう3日もブログをあげていなかった。なんもしていなかったわけでなくて、適当に忙しくしてました。

遅れに遅れている原稿を頑張っているのと、2015年度に向けた体制作りをしているのだけど、まあ、まずは恥(今年度の仕事)をさらしておくべきだろう、ということで2014年度の振り返り。

なにはともあれ、論文が「0」というまず酷い話がある。出した原稿がすべて2015年度にずれ込んだ、ということなんだけど、学会誌に投稿するはずだった原稿も間に合わず…これは激しく恥ずかしい。今、正に2,3本の見えている原稿に取り組んでいますが、これがなかなか大変。そんなこと行ってられないのですが。

今年度は4度の海外渡航があり、セネガル、カメルーンで成果発表をしました。ほかに、アフリカ教育研究フォーラムの大会委員長を務めました。あと前期は愛知県立大学での非常勤などもありました。かなり働いた実感はありますが、やはりペーパーがないので、今年度はダメです。

来年度はペーパーのラッシュにします。予定の方にも海外渡航を最低限にして(それでも、なんやかんや3回は渡航しますが)、デスクで落ち着いて仕事をすることに集中したいと思います。今書いているブルキナファソの政変に関するもの、篤農家の論文を4月頭までに、その後は、学会で何度か発表したストリート・チルドレンの統計調査の成果報告、あとは、眠っているストリート・チルドレンの論考をもう一本出し切る、これはマストの仕事なので、公表して、自分にプレッシャーをかけます。

一応、2014年の実績一覧は以下の通り。(通算の実績は、地球研のホームページ参照。http://archives.chikyu.ac.jp/archives/AnnualReport/Viewer.do?prkbn=R&jekbn=J&id=482)

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【口頭発表】
Takao SHIMIZU, Ueru TANAKA and Hiroshi NAKAMURA The technology co-designed with 'Studying Farmers (Tokuno-ka 篤農家) in Burkina Faso and Niger . Joint seminar on 'Community development assistance based on local resources and social networks in the Sahel', 2015,02,04-2015,02,04, ISM, Dakar, Sénégal.(本人発表).  
清水貴夫 Becoming Muslim in a modern educational system in Burkina Faso: A challenge of Coranic school and 'Franco-Arab'. ヤウンデ・フォーラム(科研費(基盤S)「アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生 の実現に関する総合的地域研究」代表:太田至), 2014,12,05-2014,12,06, .(本人発表).  
清水貴夫 「サーヘルの篤農家の水食との戦い 西アフリカの篤農家の挑戦」. 北海道大学大学院工学研究院・総合地球環境学研究所共催 地球環境研究の社会的インパクト評価に関するワークショップ「地域に寄り添う研究の在り方とは?」, 2014年11月01日, 北海道大学、北海道札幌市.(本人発表).  
清水貴夫 ワガドゥグにおける「ストリート・チルドレン」の統計調査・調査結果. 第14回 アフリカ教育研究フォーラム, 2014年10月24日-2014年10月25日, 総合地球環境学研究所、京都市.(本人発表).  
町慶彦(NTCI)、田中樹(地球研) 真常仁志(京都大)、清水貴夫(地球研) ブルキナファソ・中央北部州におけるザイの普及状況と地域住民による受け入れ. システム農学会2014年秋季大会, 2014年10月17日-2014年10月18日, 京都大学、京都市.システム農学会優秀発表賞(北村賞)受賞.  
Takao SHIMIZU Is the problem of "street-children" is a "social problem" or a phenomenon on the urban space? Looking through anthropologist on NGOs (Ouagadougou, Burkina Faso). International Union of Anthropological and Ethnological Sciences (IUEAS) 2014 with JASCA, 2014,05,15-2014,05,18, Makuhari Messe, Chiba, Japan.(本人発表).Co-convened "Learning of/with children: anthropologist at "school") with Kae AMO (EHESS) and Jean Paul Filiod (Université Claude Bernard Lyon 1), 査読付.  
清水貴夫 ワガドゥグの「ストリート・チルドレン」統計調査:中間調査報告と今後の計画. 第13回アフリカ教育研究フォーラム, 2014年04月11日-2014年04月12日, 大阪大学、大阪府豊中市.(本人発表).  

【招待講演】
安藤寿康(座長・慶応大学)、亀井伸孝(愛知県立大学)、竹ノ下祐二(中部学院大学)、山田肖子(名古屋大学)、清水貴夫(地球研) 文化的・社会的環境で育つ子ども-アフリカ子ども学の試み. 日本子ども学会 第11回子ども学会議, 2014年09月27日-2014年09月28日, 白百合女子大学(東京都 調布市).亀井発表「アフリカ子ども学のねらい:私たちがアフリカから学べること」、竹ノ下発表「ガボンの村の小学校で動物界がコンクールをやってみた」、山田発表「アフリカ子ども学の経緯とねらい」、清水発表「ストリート・チルドレンから「アフリカ子ども学」を考える」.  

2015年3月7日土曜日

ブルキナファソの政変②-b デモ行進当日

この記事もずいぶん遅くなってしまった。2か月くらい前にメモをつけはじめて、途中に再度調査をはさんだのだけど、先日の調査では革命成立の高揚感はすでに過去のモノ。こういう仕事、集中して早いところ済ませないと、と思った次第。しかし過ぎた時間は取り戻せないので、とにかく少しずつでも書いていきます。

今回は、デモ行進当日です。12月の調査の際には、すでにいくつもの媒体がこの当時の様子を時系列的に伝えており、聞き取りをしなくてもかなりの情報量があります。ただ、今回は主にJeune Afriqueの記事を元に書きます。

10月28日(火)
8:00 第2の都市、ボボ・ディウラッソで反対派の呼びかけにより数千人規模のデモが起こる。(前日27日夕方、すでに一部の若者たちが街中の商人、労働者に対してデモのことを喧伝していた)。M21運動、Balai citoyen、UPC、MPPと言ったNGOは反対派の動員数の優位性を発表。
(http://burkina24.com/2014/10/28/bobo-une-maree-humaine-contre-la-modificaation-de-la-constitution-burkinabe, 2015年1月5日閲覧)

10月29日(水)

(http://burkina24.com/2014/10/29/)

9:00
ブルキナファソ各地で多くのデモ隊が議決回避を求めて出動。しかし、その多くは非武装。ボボ・ディウラッソでは2000人ほどの市民が出動。
Jeune Afrique (http://www.jeuneafrique.com/Articleimp_JA2809p020.xml0_burkina-le-r-cit-de-la-chute-de-compaor-heure-par-heure.html, 2014年12月30日閲覧)

15:30
コンパオレ大統領はフランス、アメリカ、EUからの退任勧告をKosyam(大統領官邸)で受け取る。その間にBalai citoyen(市民団体)を中心に市民反乱がそれぞれの街区で組織され、夕方には、Place de Nationを埋め始める。また野党連合が権力奪還のための会合を行う。さらに、5500人の若者たちと2011年(騒乱の際)に軍隊を退役した元軍人たちを雇い入れる。人によっては、25,000Fcfa(約38ユーロ)を受け取っている。これらの資金は商人やビジネスマンが支払った。
Jeune Afrique20141118(http://www.jeuneafrique.com/Articleimp_JA2809p020.xml0_burkina-le-r-cit-de-la-chute-de-compaor-heure-par-heure.html, 2014年12月30日閲覧)

●日本大使館からの通達。
…10月30日(木)に国民集会において国民投票実施にかかわる法案の採決が実施される予定であり、同法案の採決を阻止する目的で、野党による国民議会議事堂前の座り込みが実施される模様です。野党は国民に対し、同日の6:00に国民議会議事堂前に集合し、抗議活動に参加するよう呼びかけを行っている模様です。
 国民議会議事堂は早朝から厳戒態勢に入る予定です。既に、国民議会議員の多数が安全確保のためアザライホテルに滞在している模様です。
 なお、採決のための国民議会本会議は、当初16:00に招集される予定でしたが、10月28日の党首会合において10:00に招集されることが、決定されたとの報道があります。

10月30日
午前中に国民会議における法案の採決を前に国会議事堂前に集結していた野党支持者が同法案の採決を阻止しようとして暴徒化、議事堂を焼打ちした跡、与党関係者の自宅、商店を襲撃するなどして混乱化。憲兵、警察もこのお事態を収拾できずに一時撤退し、コンパオレ前大統領は内閣の解散、法案の取り下げを発表。

9:00
国民議会からほど近い「国連ラウンドバウト(Rondpoint Nations-Unies)」をジャンダルメリーと警察が取り囲む。催涙弾や放水の準備は整えられていたが、それらを使用する許可は降りていない。

9:25「最後の堰を切った」(le dernier barrage saute. Jeune afrique)

9:30 一筋の黒煙が国民議会から上がる。Philippe-Zinda-Kaboré高校(国連ラウンドバウトから200mほど)近くに待機していた小隊が囲いの中に入り、放火を始める。
これがきっかけとなり、包囲網の中(国民議会内)は一気にパニック状態に陥る。議員たちはわれ先に逃げ出した(「自転車鶏よりも早くその場を抜け出した」)。国民議会のほど近くに住む外相のDjibrill Bassoléは、彼の家をめがけてくる30名ほどの議員の姿を見て、彼らと共に、Paspanga(国民議会から数百メートル)のジャンダルメリーの基地に移る。そしてすぐに大統領に電話をして、憲法改正案を取り下げ、大統領職を辞任することを提案した。
時を同じくして、コンパオレ大統領の腹心、内務大臣Jérôme Bougoumaは野党のリーダーである、Zéphelin Diabréに電話をかけ、「沈静化するように呼び掛けてほしい。憲法改正案の国民投票は行われない。」と述べた。Diabréは「政府がイニシアティブをとらなければだめだ」と返答し、Bougoumaは首相のLuc Adolphe Tiaoと情報大臣のAlain-Édouard Traoréに接触、「テレビとラジオで声明を発表するよう」要請、二人は反論し、「不可能だ、すでに略奪が始まっている…」と述べた。
その頃、他の「戦士」グループは前日に定めた標的を攻撃していた。標的とは、国営のテレビ局、ラジオ局、CDP(与党)本部、何人かの高官、特にFrançois CompaoréとAlizéta Ouédraogoの自宅である。Kosyam(大統領官邸の別称*)の周囲数㎞にわたるデモ行進が進んでいる間、Ouaga2000**から少し離れた街区でコンパオレは悩んでいた。何名もの大臣がコンパオレに対して退陣を促し、権力を軍隊に移譲するように勧めていた。

*大統領府のある場所の以前の村名
**ワガドゥグ南部の官庁、在外公館、高級住宅地の集まる街区

11:00
コンパオレが軍司令官のNabéré Traoréを召喚する。2人は非常に懇意だ。TraoréはコンパオレのPô***駐留時代、革命期に補佐官を務めていたのだ。2011年の暴動ののちにTraoréを防衛大臣に任命した。
Traoréは「国民広場」近辺のワガドゥグの状況を目の当たりにしていた。大統領官邸に駆けつけたTraoréに対して、戒厳令を引くように指示をだした。つまり、全権力を軍政移管するということだ。そして、Bougoumaに対しては、2つの文案を起草することを命じた。ひとつは戒厳令、もうひとつは、議会の解散である。

そして、この時コンパオレは自身の辞任を決めていたのだが、一方で、いかに言い逃れるかということも考えていた。一人の大臣は、「大統領は一時的に姿をけし、その後権力に返り咲くための戦略を考えていた」と語った。

***Pôにはブルキナファソの精鋭部隊が駐留するキャンプがあり、サンカラ、コンパオレ共にここで訓練を受けていた。

16:00
国民議会の焼打ち後にデモ隊はKosyamに向かった。14時頃より、大統領警護隊がLaicoホテル****前に引いたバリケードによってデモ隊は足止めを食っていた。しかし、デモ隊が気勢を上げ前進すると、大統領警護隊は後退し、そこにDiendéré将軍の到着をもって政府側との話し合いがもたれた。

デモ隊の指導者たちは、大統領との面会の機会を得ることとなった。統一反国民投票派のHarvé Ouattara氏は「我われは官邸に入った」と述べ、30分ほどするとブレーズが迎えてくれたという。「そこにいた、私が人生をかけて嫌悪したその男は私に言った。「Ouattaraさん、ご機嫌いかが?しばらくぶりにあなたのことを聞きました。」私は彼の言葉を理解するのにしばらくの時間を要しました。

****リビア資本で2010年ころに建てられたワガドゥグ最高級ホテル。

20:15
デモ隊の代表者たちは大統領の辞任を要請した。「よくわかった。彼らの反論は。私は一つの発表をする」しかし、20:15に彼がテレビカメラの前で発表したのは、辞任ではなく、内閣解散と次の選挙の勝利者に権力を移譲することの約束であった。


コンパオレが思いを変えたとしたら、それはTraoré将軍が裏切ったと考えたからだろう。日中大統領からTraoré将軍への聞き取りのあと、コンパオレはTraoréを最高幹部のなかの最も信頼をおけるオフィサーだと再認識していた。彼らは10年にわたって軍事的な力を保持することを目的とした関係にあった。「ある発表をしなければならない」彼らは決めた。しかし、書かれた発表内容は揺らいでいた。Traoréは権力を奪取したのか?Diendéréを呼び、説明を求めた。そして、大統領警護隊のナンバー2である、48歳のZida中佐を呼んだ。しかし、彼はクーデタには与しないことを説明した。軍部もすでに引退していた元将軍Kouamé Louguéにも事態の収集の可能性を探った。
こうした権力のありかはほとんどの人の知るところではなく、Zida(おそらく)の名前は、国民ひろばでデモをしている人たちにとっては突然明らかになったものだった。この日の午後、彼らはモロ・ナーバ(モシ王)宅で見られた。そして、Zidaは総司令官に対して権力を要求した。(ブレーズが?)「ダメだ。それ(政権掌握)はお前がするべきではない」尊大な態度で反論した。このエピソードは束の間の出来事だった。もしもう一度ブレーズが権力をとったとしても、11月2日には彼はやはり失うことになっているのだから。
この木曜日の夜がブレーズにとっての分水嶺となった。こうした一連のやり取りは問題ではなく、コートジボアールに逃げたある議員によれば、Traoréは数か月も前から野党メンバーとの関係性をもっていたとも言われている。しかし、Traoréの側近であり、この歴史的な日の何人かのアクターは彼には何も保証していなかった。

Jeune Afrique20141118(http://www.jeuneafrique.com/Articleimp_JA2809p020.xml0_burkina-le-r-cit-de-la-chute-de-compaor-heure-par-heure.html, 2014年12月30日閲覧)

10月31日
8:00
コンパオーレの発表は火をつけた。彼には選択肢はなかった。辞任か血か。朝8時、首相のTiaoはコンパオーレに辞任するように説得していた。Bassoléは「大統領、もう終わりだ。決定を促す」とSMSを送った。

10:00
大統領は軍隊が介入しないことを理解した。Bougoumaを呼び、「憲法43条を見ろ。政府発表の草稿を用意できるか?」1時間ののち、大臣はコンパオレ、Céleste Coulibaly、Ibrahiman Sakandéと相談のうえで起草した政府発表をEメイルで送った。

11:32

12:00
その30分後、コンパオレは大統領親衛隊を従えて大統領官邸を辞した。そこには妻のChantalと幾ばくかの側近がいた。28台の車列は彼の軍隊時代の街、ガーナから数キロのPôに向かった。しかし、彼はデモ隊がそこに待ち受けていることを知る。車列はManga*****で止まった。一機のフランス軍ヘリコプター(ワガドゥグの特別部隊のものかと思われる)がコンパオレと妻、数名を連れだした。そして、東のFada N'Gourmaにはフランス軍機が彼らを連れてYamoussoukroに向かった。ほかの車列は夜を待ってBenin方面に動き出した。その日一日、政権高官の一群が2機のプライベートジェットでブルキナべのビジネスマンの元に逃げ去って行った。

*****Pôの北側50㎞ほどに位置する街。

Jeune Afrique20141118(http://www.jeuneafrique.com/Articleimp_JA2809p020.xml0_burkina-le-r-cit-de-la-chute-de-compaor-heure-par-heure.html, 2014年12月30日閲覧)

その後、Zidaが暫定的に政権を握り、現在の臨時大統領、Kafando氏へと政権が移ってくが、そのあたりは③にて。


何度も書きましたが、今回の政変の特徴は、「市民」がキーワード。11月2日の記事には、ワガドゥグ市民が今回の騒動で散らかった町を掃除する(Mana‐Mana)という、なんともブルキナファソらしい活動があったり、今朝の記事では、暫定政府から、通常化するように市民に要請があった、というものもありました。
いつも思いますが、この国の一番の財産は「平和」。争いが起こってもすぐにケロッといつもの国に戻ることだと思います。今回も本領を発揮して、いつもの生活を取り戻し、近々行われる選挙が平和裏に粛々と執り行われることを望んでいます。
この間、ブルキナファソでお仕事をされている何人かの方には大変有益な情報を提供していただきました。ここでは、具体的なお名前を出すのは控えさせていただきますが、お礼申し上げます。そして、上のまとめに付け足すべきことや誤りがあれば、ご指摘いただければ幸いです。また、このまとめには、Burkina24、RFI、Juene Afrique(Burkina: le récit de la chute de Compaoré, heure par heure, 18/11/2014 web版)などの記事と外務省海外安全ホームページを参考にさせていただきました。

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曾野綾子さんのコラムとその反応:「差別」の構造を考える


2月11日の産経新聞に曾野綾子さんが書いたコラムが話題を呼んでいる。曾野氏のコラムを要約すると、バイアスがかかるので、上の記事をご覧いただくとして、抗議は「アパルトヘイトを擁護、日本にも導入しようとしている」というもの。

昨日(3月6日)付けの産経新聞にもペコ南ア大使のコメントとして、

 また、ペコ大使と編集幹部らとの面談の席でも同様の内容を伝え、大使からは
「日本国内で移民の論議が行われるのは大切ですが、南アの悪い過去 が、例として使われたので、発言せざるを得ませんでした。ただ、今回のことは日本と南
アが理解しあうためのよい機会となります。これをきっかけに 両国の理解を深
めていきたい」という話がありました。」

こんな文章が載っている。ここで、「日本国内の移民の議論」が曾野さんの論点だとしたら、それを説明しようと考えて提示した事例がまずかった。都市ではいわゆる「ジェントリフィケイション」という現象(貧困層が住むエリアに富裕層が流入してそこに貧困層が住めなくなってしまう現象)が起きて、階層による棲み分けがおこることはよく知られている。やはり人為的に、肌の色と習慣を結びつけた時点で、アウトなのである。

特に検討はしないが、このコラムに対しては、アフリカ学会やNGOから抗議文が寄せられ、掲載元の産経新聞は対応に追われている。



僕もFacebookにちょろっと記事を挙げたりコメントをしたのだけど、「産経(保守)だから…」とか「曾根(保守)だから…」という、産経、曾根さんのみならず、僕まで暗に反保守的な枠組みに当てはめようとするレスが多かった。自分自身が保守であるか、進歩的(保守の反対はこれでいいのか?)なのかどうか、僕自身、よくわからないのだけど、少なくとも、この枠組みは好きではない。仲間意識をもってくれるのはいいのだが、この枠組みを取ってくる時点で僕とは全く相いれない。

そもそも、アパルトヘイトの原点には、肌の白い植民者と未開なアフリカの黒人という存在の二項対立があった。ナチスもユダヤ人という仮想敵を設定して、二項対立をつくりだし、戦後のアメリカも時に対イスラームという図式をつくりだすことで、罪もない人びとを被害者にしてしまった。こうした誰でも知っている歴史と、保守と反保守、という図式は、僕にはどこか似たものを感じさせてしまう。だから、僕は、産経新聞が議論のアリーナを築くべき、また、曾根さんはもっとアパルトヘイトについてどのような理解をしているかを語るべき、という主張にした。確かに、産経は保守的な報道をしてきたのは事実だし、曾根さんにしてもそうだろう。だが、産経や曾根さんに保守というラベルを張り付けることで、議論はそこで終わってしまう。曾根さんのその後のコメントを見ても、小説家の魂、言論の自由という、大文字の語りを展開するものの、アパルトヘイトに対してどのような認識であったかは語られずじまい(「アパルトヘイトはダメ」とは言っているが)。

ご存じのとおり、僕らが受けてきた歴史の授業でアフリカのことなど、ヨーロッパの歴史からすれば微々たるもの。あの程度の授業で普通の人が今回曾根批判をしたアフリカ・フリークほどの知識を持っているかといえば、それは疑問だ。悠長に思われるかもしれないが、アフリカ学会、NGOはもう一度語ればいいし、もっと語らなければならないように思う。右とか左とか、そういう枠組みを作ること自体が差別を生み出したこと、こんなことは60年代、70年代にずいぶん語られたことで、このことももっと語らなければならないのではないかと思う。

曾根さんが本来言いたかった移民に関しても、曾野発言以降にHuffington Post(2月28日)が「人手不足」と外国人として提示したように、この話題はとても重要なのだ。敢えて「言葉じり」を取ったとは言わない。「アパルトヘイト」は人類史的に大切な問題だ。だが、ここで終わってしまっては、サヨクが吠えただけ、というとても小さな事件として終わってしまいかねない気がしてならない。


【抗議文例】
南ア大使館 (20150216)https://www.facebook.com/media/set/?set=a.700448363401240.1073742000.238954642883950&type=1
SYNODOS (亀井伸孝・20150225) http://synodos.jp/society/13008
日本アフリカ学会 (20150216) https://www.facebook.com/sankeikougi
アフリカ日本協議会 (20150213) http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/archives/sonoayako-sankei20150211.html

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2015年3月6日金曜日

田中直2012『適正技術と代替社会-インドネシアでの実践から-』岩波書店


この本は今のプロジェクトの仕事に役に立つだろうと思って購入した。

「適正技術」というのは、シューマッハの『スモール・イズ・ビューティフル』に出てくる「中間技術」の概念を発展的に特に途上国開発の文脈で作られた用語だ。つまり、いわゆる「ハイテク」は途上国では維持管理できないから、もっと易しくて安価な技術を用いてそれに代替するような効果を狙おう、という理解でいいと思う。

この本、もっと技術屋がしたり顔で語り出すのかと思いきや、「はじめに」で上のような「適正技術」
論を批判的に切り出すではないですか。うれしい驚きの気持ちを持ちつつ本を読み進めることができた。そして、剋目すべきは、適正技術を、近代科学批判、田中さんが用いた例を簡単に示せば、「公害や再生不可能な資源の浪費、人間疎外などの、近代科学技術がもたらしたさまざまな問題」を解決するための分析概念として捉えていたことだ。この本は、この「適正技術」の二重性を、ご自身のインドネシアでのバイオガス工場の事例と絡めつつ解きほぐすという書き方をしている。

そして、本書の面白さは、田中さんの経歴も大きく影響する。企業、NGO、(おそらく理系サイエンティスト)としての視座が交差しながら話が進む。勝手に読み込んでしまえば、経済性(企業の経験)、理想(NGO)、合理性(サイエンティスト)という側面をもっていることになり、読んでいて、援助系の本でよくあるような青臭く浮ついたところがない。

もし援助関係の分野に進みたい、という大学生がいれば、本書はお勧めしたい。

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2015年3月5日木曜日

今村仁司1996『群衆-モンスターの誕生』筑摩書房



僕は修士論文で「ワガドゥグのラスタマン」について書いたのだけど、実は論理的な背景に「社会運動論」を使った。サブカルや若者論というよりも、どちらかと言うと、何が人と人を結び付けているのか、というところに興味があったからだ。たぶんNGOでの経験も大きくこの問題意識に強く結びついていて、なぜ人がある共通の趣向を持ち、同じ方向に動くことに同意するのだろう、NGOの場合、何が共有されているのだろう、ということをいつも考えていた気がする。

今村仁司さんのこの本の最初に「近代の歴史は、とりわけ19世紀以降の歴史は、群衆の歴史と言っても言い過ぎではない」と述べるが、今村さんが指摘するように、カネッティ、タルド、さらにマルクス、ニーチェなどに至るまで、確かに、得体の知れない人の集合を扱っている。きっと僕が扱っていたようなローカルだけどグローバルな運動体も、現代的な意味では群衆のひとつのあり方なのだろうと思った。

この本では、カネッティを引いて、迫害群衆、逃走群衆、禁止群衆、顚覆群衆、祝祭群衆という5つの群衆のモデルを用いて、その後の群衆の捉えられ方を考えていくのだが、共通認識はどのように醸成されるのか、というプロセスの話が少々乏しいように感じた。カネッティを未読なので、ここは要勉強なのだけど。

マルクスやニーチェのくだりもとても示唆に富んでいる。経済学や哲学の巨人の目の先にあるものが、群衆であり、これをいかに制御するか、また、統治するか、処遇するか、ということが近代の最大の課題であったこと、実に目からうろこ。そう読まねばならなかったか、と思わされた。

きっと、僕が見てきたラスタマンは群衆には当てはまらないだろう。ただ、今、書いているブルキナファソの政変のときの市民蜂起は間違いなく、群衆の仕業だ。さすがにこれを組み込む時間はないが、今後のためにも少しずつ勉強したい領域だ。

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【目次】
プロローグ 群衆への問い
第1部 群衆の本質
1 群衆への視点
2 群衆一般
3 群衆の累計
4 近代の群衆
5 都市と群衆
6 群衆と理性
第2部 群衆の分析
1 恐怖と魅惑-『フランケンシュタイン』
2 多数者の専制

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2015年3月4日水曜日

岐阜合宿(20150114-15)② 山川醸造

あぁ、なんかずいぶん時間が経ってしまった…下書きにずっとあったのだけど、なんか手がつかず放置してしまったのだけど、早いところ書いてしまわねば忘れてしまいそうなので、午後の仕事を始める前に書いてしまうことにしよう。

岐阜合宿の初日のメインイベント(と僕は思ってる)は山川醸造訪問。「ん?醤油?味噌でなくて?」と少し不思議な感じをもちながらだったのですが。

そして、醸造所は意外に街の中にある。でも、近づくとほんのりと漂う醤油の香り。



こんな店構え。道をはさんで工場がある。中は↓こんな風景で、多くの醤油樽が並んでいる。


社長の山川晃生さんからしょうゆのレクチャーを受ける。以下、その時にとったメモです。

◇日本のしょうゆの8割がたが「こいくち」。野田(キッコーマンがありますね)が有名。「こいくち」以外に「うすくち」(タツノ)、たまり(東海地方)、白しょうゆ(碧南)、再仕込み(山口、麹をしょうゆにつけたもの)などの種類がある。意外だったのが、東海地方でより多くのしょうゆがある、ということでした。

◇しょうゆの香りには、300種類ほどある。

◇「しょうゆ」は大豆から、というのは有名ですが、そのほかに小麦が主な原料。原料に大豆が多いほどに色が濃くなる。よく、関西人が関東のそばつゆの色が濃くて文句を言うが、それが色の問題としたら、それは間違い。関西でよく使う「うすくち」が塩分が薄いわけではなく、原料に小麦が多いから。山川さん曰く、「うすくちの方がむしろ塩分が強い」とのこと。東海地方生まれ、関東育ちの僕としては少し勝ち誇った気分になる。

◇上の写真のような「木桶」は現在では作成が難しくなっている。以前は、酒樽をしょうゆ、みそ工場が貰い受け、さらに、最後は漬物を漬ける桶になったそうで、日本酒を金属の樽でつけるようになり、樽の業者が激減、現在は作れる人が非常にすくなくなったといいます。日本酒が金属樽になったのは、酒税法の問題。つまり、酒を仕込んだ時の量に対して税金がかかり、目減りする木樽は損をすること。もう一つは衛星管理が難しいという問題もあるのだそうな。山川さんのところで使用している樽は杉材で、戦前から100年ほど前のものが多いそうで、樽の寿命は200年ほどとか。タイムスパンの長いことに驚きました。

◇しょうゆ会社は現在全国で1300社ほど(うち自社製造しているのは400~500社)。最盛期は12,000社ほどあり、昭和30年代に6,000社に淘汰。地産池消産業であったが、大手が集約化して全国販売を展開したことで、地場のしょうゆ屋が少なくなった。

◇もちろん、一般消費者への販売を行うが、山川さんのところの大口のお客さんはうどん屋さんとうなぎ屋が多いとか。確かに、しょうゆをたくさん使うお店です。オンデマンドで醤油をつくったりもしているとか。


大人の現場学習です。


こういう石で重みをかけるのだそうです。


絞りかす。なんかに再利用すると言っていたけど、なんになるのか忘れてしまった。やはり記憶の新しいうちに書きつけておくのだった…


そんなわけで。とても面白い経験だった。そういえば、小学校のころに、実家からほどちかい野田市のしょうゆ工場に行ったな…と思い出したのですが、何を聞いたか全く覚えていません。なんか醤油の匂いの立ち込めた町だったことくらいは薄っすら覚えているのですが。こうして大人になってから学びなおすと、もっと勉強しておくのだった…などと少し後悔などもしてみています。

ご紹介いただいた關野さん、どうもありがとうございました。

もしかしたらまだ続くかもしれません。

山川醸造(たまりやHP) http://www.tamariya.com/

2015年3月2日月曜日

保坂俊司2006『宗教の経済思想』光文社





2010年ころから「宗教組織の経営」という研究会に参加している。最初は、藏本龍介さん、中尾世治さんと3人で南山大学や名古屋大学の一角で細々とやっていたのだが、昨年からメンバーを増やして、さらに少しおカネのめどが立ったので、「研究会」として堂々としたものになった。この間、藏本さんはミャンマーの僧院の経営をテーマとした博論を書き、『世俗を生きる出家者たち 上座仏教とミャンマー社会における出家生活の民族誌』という著作を出された。研究会は今年も続ける予定で、僕自身も少しずつ勉強している。

そんなわけで、「宗教」、「経済」といったキーワードを持つ本はなるべく目を通すようにしていて、この本はそんな中の一冊。構成上、とても興味深かったのは、所謂三大宗教それぞれの経済思想を比較(羅列)しようとしているところだ。ただ、これはこのような小さな本ではなかなか難しかったことが想像される。

特にイスラームの箇所は、労働や勤労には多少言及されているものの、経済思想と銘打つほどの記述はない。タウヒード(聖俗一元)というキーワードが出てくるのだが、タウヒードがどんなものかはあまり説明されていない。そもそもタウヒードは「聖俗一元」という訳出しでいいのだろうか…「神の唯一性」とか、訳すのだと思うのだけど。

タウヒードからイスラームの労働観に話が移るのだけど、「イスラームにおいては、同じセム系の伝統を持ったキリスト教の中から生まれた、近代ヨーロッパ(キリスト教)文明におけるような一種の宗教的な救済行に労働が代替されるというようなことはない。つまり、ルターやカルヴァンの労働(職業)観のように、世俗的な労働を宗教的に価値づけるという積極的な意味づけは行っていない」(64)とする。これも少々怪しい。イスラームが労働を伴わない蓄財を禁じていることは有名で、イスラーム銀行が利子をとらないこともよく知られている。確かに、経済が宗教に優先することはない(他の宗教でもあるか?)が、つまり、勤労意識はある程度宗教的に規定されているのだと思うのだが。

自らの浅学をさらしているようで怖いのだが、イスラームのところが本当によくわからん。筆者がイスラーム関係の著作も多い保坂先生なのに…

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【目次】
はじめに
第1章 キリスト教の経済思想
 第1節 ゲイツとバフェットの選択
 第2節 資本主義の胎動
 第3節 資本主義を支えるキリスト教的論理
 第4節 アメリカ型資本主義と宗教
 第5節 二一世紀の経済倫理の可能性
第2章 イスラームの経済思想
 第1節 「味の素事件」とイスラーム
 第2節 タウヒード(聖俗一元)の経済思想
 第3節 イスラーム金融の考え方
 第4節 イスラームにおける労働と蓄財
第3章 仏教の経済思想
 第1節 仏教と経済の関わり
 第2節 原始仏教と商人階級
 第3節 大乗仏教の経済倫理
 第4節 日本の「仏業即世俗業」
 第5節 日本型資本主義思想と鈴木正三
第4章 日本教の経済思想
 第1節 日本的勤労観の核
 第2節 滅私奉公的勤労観の形成
 第3節 日本独自の実践倫理
おわりに 
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参考: http://islamhouse.com/ja/articles/49874/

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2015年3月1日日曜日

『もうひとりの息子』


帰国後2日目で映画…時差ボケで爆睡…わかりやすい成り行きだけど、敢えて挑戦。昨日はこの映画を見るために民博に行ってきました。

鈴木紀さん、菅瀬晶子さんの解説付き。映画の舞台となる地域の専門家を解説につける、というのは民博ならでは。とてもいい企画だと思う。

一昨年、福山雅治主演の『そして父となる』という映画があった。子どもを取り違えて、生物学上の両親の元に戻そうとするが…という内容でこの作品と背景が似ている。しかし、この『もうひとりの息子』は同じく病院で取り違えが起こるが、その背景は、さらに複雑だ。それは、パレスチナ、イスラエルという、20世紀から21世紀にかけての世界的な政治問題を背負う。生物学上の親と育ての親、生まれと同等かそれ以上に育ての親の価値が強調される、言い換えれば、人間の人格が後天的につくられていく、という原則は両作に共通している。これは一つ面白いところで、どこか、人間の天賦の才を認めることを忌避しているような…

ただ、この作品は、どちらかといえば、パレスチナ-イスラエルの関係の方により重きが置かれているように見えた。上のような親子関係の話だけであれば、実に平板な面白くない話、ともいえるが…ユダヤ教とイスラーム、聖典の民であるにも拘わらず、この地域においては、特に激しく忌避し合う。宗教、歴史を乗り越えるのか、このあたりでは怪しい枠組みになってしまう国民国家のレベルで考えるのは難しい。ただ、それが個人のレベルだったら…というと、これは菅瀬さんも指摘していたように、実はこれも難しいのではないか、と思う。周囲との関係性や習慣の違い、さらにこの作品では、フランス語話者であるという奇妙な共通性があるのだが、こうした偶然がなければ、もっと難しい話となっただろう。

その他、フランス系のユダヤ人が数多くイスラエルに帰還している、ということやら、近々のイスラエル状況も興味深かった。