2015年3月26日木曜日

川田順造2014『<運ぶヒト>の人類学』岩波書店



川田順造先生の最新作。今年で80歳になられるとは思えぬこの精力的な執筆欲…本当に感心しきりである。
書評などはできないし、多くの学ぶべきことがあるのだが、簡単にこの本のあらすじを意識しつつ、メモをつけておきたい。最後の部分は、結論じみたものはそれほど強く出されておらず、少々尻切れトンボのような印象を受けた。しかし、「運ぶ」ということを通しての人類史を書かれたかったと解釈して、「運ぶこと」を通しての照射できる現代社会のありよう、というところを主張されているのではないかと推察する(間違ってるかもしれないですが)。
そんなわけで、以下メモと目次を載せておきます。

+++++++Note+++++++++++++

ヒトが直立二足歩行するようになって得られたもの
①大きな脳を支えることが可能になった
②口腔の構音器官が多様化して分節された発音が可能になったこと
③直立した歩行と、自由になった前肢とによって、相当の嵩と重さのものを、長い距離運べるようになった(ホモ・ポルターンス)

◇研究の方法
できるだけ異なって見える文化を三つ選んで比較するやりかた(文化の三角測量)
①歴史上関係があったことが明らかな文化を比較する
②地理的にも文化的にも著しくへだたり、相互に直接の影響関係がまったく、あるいはほとんどなかったような三つの文化を比較する

②のやり方を使って比較研究の事例を提示
-労働に対する考え方を、フランス、日本、モシ社会の労働を慰労する言葉から考える。
-女性の自己主張の強さを、親族システムから考える。
-道具も三角測量によって比較が可能
⇒こうした方法論を「身体技法」としての運び方に援用していく。

◇「身体技法」としての運び方
先行研究:モースの「身体技法」、ボアズの「運動習慣」(川田氏自身はボアズに近いと述べる)

「地域の文化に条件づけられた身体の使い方である身体技法」
「生きる営み全般にわたってほとんど意識されずに日々くりかえされている身体の使い方が…個人を超えてある範囲の人々に共有されている「おこない」を、成り立たせている」
「個人の身体の使い方は…意識するにせよしないにせよ、条件づけられていて、ある身体技法を生んでいる。」
「社会と個人は、身体技法の集合である「おこない」を媒介として、だが一方が常に他方を規定しているのではなく、互いのはたらきかけのうちに、かかわりあっている」

⇒「ある程度以上の距離を、かなりの嵩と重量をもったモノを運ぶ方法も、地域によってことなるヒトの身体能力が基盤になって生みだされ、ある範囲の人々に共有される「しきたり」、より狭義には「おこない」となって、地球上の多様な生態学的条件をもつ地域に、多様な形で見出される。」

**重さを支える身体の部位、および必要な道具としてのモノ
頭頂部(巻いた布、輪)、前頭部(帯)、肩(帯、棒、肩当て具)、肩から背の上部(重心の高い背負い具)、腰(重心の低い背負い具、腰で支え前にまわす籠)、前腕(把手つきの籠)

比較対象
①西アフリカ内陸の黒人
②近世以後のフランスを中心とする地域の主な住民である白人
③日本人やアメリカ先住民をふくみ黄人(モンゴロイド)

◇「技術文化」と運搬法
「技術は、いわゆるハードウェアとしてだけ存在するのではない。世界大の文化比較の視野でみれば、技術はある文化の世界観の具体化された一側面であり、他方、その社会の政治的・社会的人間関係のなかで実現され、運用される」
技術文化の総体をモデル化
・モデルA「二重の意味での人間非依存性」(フランス文化):道具の脱人間化
・モデルB「二重の意味での人間依存性」(日本文化):道具の人間化
・モデルC「与えられた状況の最大限の活用」(モシ):人間の道具化

モデルA:「できるだけ人力以外のエネルギーを使い、誰がやっても同じ良い結果が得られるよう道具を工夫するという価値指向の一つの結実として、運搬においては牛馬に引かせる車輪文化の発達が挙げられる」(143)
⇒車輪文化が発達しなかった日本で、農耕で使う馬車や牛車のブレーキをつけることを考えたのは誰か?技術の共通性はいかにして生まれたか?
⇒身体技法にいたっては、変化する部分と、継承される部分が混じっている(「「エスニック」」と「グローバル」が混交しつつある」(147))

しかし、
「グローバル」(地球規模)⇔「ローカル」(地方的):「力関係」に基づくもの
「ユニヴァーサル」(普遍的)⇔「パティキュラー」(特殊):「人間は万物の尺度である」という、ローカルな特殊指向こそが普遍的だ(プロタゴラス)
という二組の考え方を混同してはならない。(149)

「現代におけるグローバル化の中心にあるアメリカが、かつてのフランス主導のグローバル化に対して、ローカルな「慣習的単位」に固執している事実を見ても、グローバル対ローカルという関係が、文化外の要素もふくむ「力関係」の上に成り立っていること、普遍指向と特殊な慣習的価値の尊重という対立も、状況次第でいかに変わるかがよくわかる」(152)

+++++ここまで+++++

*******************【目次】***********************

1. なぜ、「運ぶヒト」か?
ヒトはアフリカで生まれ、世界に広がった-アフリカを出たとき、どうやってものを運んだのだろう?-直立二足歩行が、「運ぶ」ことを可能にした-直立二足歩行のはじまりは?-頭蓋骨から推定できる二足歩行-だが、そもそもヒトのはじまりは?-これもヒトだけの特徴「二重分節言語」-では、ホモ・ポルターンスを研究する方法は?

2. 文化の三角測量
文化を比較する二つの方法-轆轤を逆にまわす-日本での琵琶の普及-風が吹けば桶屋が儲かる-「はたらく」よろこび?それとも経済外的強制?-労働をねぎらい、はげますことばが豊かなモシ社会-自己主張のつよさ-市で活き活きとするヨメたち-地縁組織の弱さ-人間と道具の関係で比較すると-アフリカ式溶鉱炉-夏雨型農耕と冬雨型農耕-前屈したままでの除草の方がラク?-冬雨型のフランスではアザミ除去に一苦労-文化の比較から、「身体技法」の比較へ

3. 「身体技法」としての運び方
身体と文化-身体技法の集合としての「おこない」-モノとのかかわりでの身体技法-「運ぶ文化」にとっての生態学と働体学-二重分節言語の条件-運ぶ行為における、身体と道具-西アフリカ黒人の身体特徴-育児法などとの関連-運搬にみる三つの指向性-前頭帯運搬の系譜は-黒人、白人、黄人にみる運搬具の共通点と差異

4. 「技術文化」の運搬法
技術文化の指向性-ヒトと道具―三つのモデル-道具をまたがない日本の職人-前頭帯と棒運搬をめぐる文化-石器文化の西と東、竹の文化は?-「朸」が提起する問題-棒でかつぐ運搬の日本での異常な発達-中国でも多様だった棒運搬-三文化における「履き物」-背負い運搬における重心の高低-人力以外の動力活用への指向-日本の川船輸送との比較で-蒸気機関以後

5. 「運ぶヒト」のゆくえ
はじめどうやってモノを運んだか、再び-頭上運搬の移り変わり-より効率のよい運び方へ-現代日本における身体技法-「ナンバ歩き」-「グローバル化」とは?-グローバル化のはじまり-シンポをめぐる楽観から、先の見えない悲観へ-エスニックとグローバルのあいだ-モノ運びの仮装パレード-メキシコの少年らのグループ-フランスのグループ-フランスのグループ-いま、アフリカでは-「運ぶヒト」の原点に帰って

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