2013年12月31日火曜日

大晦日に。

2013年もあと8時間ほど。大晦日も元旦も365分の1…なはずなのに、嫌でも「年の瀬」感を覚える。街に出れば打っているものが違うし、家にいてもやることはいつもと違う。

まだ一つ仕事が終わっていないのだけど、朝から買い物に出たり、年賀状を書いたり(今年は元旦配達は早々に諦めた…)、やっぱり落ち着かず、残りの仕事を終わらせようと心に決めつつ、年末も謳歌している。

研究所に就職して2年目。今年の年頭の誓いは全く実行されなかったのだけど、その礎は多少なり進展があった。一昨年から頑張って関わりだした「アフリカ子ども学」は学会誌2誌に報告を載せたし、懸案の論文の投稿もした。「西アフリカのイスラーム」、「宗教組織の経営」などいくつかの研究会も順調に進んで、来年以降に希望を膨らませることができたし、プロジェクトの研究もほんの少しではあったけど新たな展開が見えてきた。

やりたいことはあるのに、大概のことを人に締め切りをきめてもらえないと進められない、という怠惰な性格はどうも治りそうにないけど、今のところ来年もそこそこ忙しくさせて頂けそうだ。どうも来年は「迷わず」の年齢、もう一つの区切りとして「前厄」になるらしい。迷っている暇も、余計な厄に躓いている余裕もない。

何度かあった高校の元同期(僕には同期が二つある)、まったくの同い年の旧友たちの顔を見ていると、みんなそんな年代らしいことが今年はよく分かった、というのも今年の収穫だ。なんとなく人並を知った。きっと気楽な研究稼業の僕などよりもよほど大きなプレッシャーに曝されながら生きているに違いない。そんな年代なのだ、ということを認識した。

大晦日も元旦も1年の約0.3%の時間。ケジメを付けるだけの時間にしてはもったいない。今日、明日と、2014年の展望をもう少し考えてみたい。

ともあれ。本年も大変お世話になりました。今年はこのブログもだいぶ読者が増えて、少し気を付けて文章を書くようにしました。内容もあんまり気楽に自分のことばかりではなくて、研究会とか、映画とか小説のこととか、多少なり有益な情報を書くようにしました。それでも、文芸関係の記事については、周辺的な情報を調べることはしなかったですし、単なる感想にとどまったように思います。このブログももう少し進化させねばな…とも思っています。そんなわけで、来年もこれくらいの頻度で書けるようにしようと思いますので、どうぞ暖かく見守っていただけますと嬉しいです。皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

大きなやつが…

と言ってもトイレの話ではない。


何とか11月―12月の出張の報告書を書き終わった。文字数的には論文1本分くらい。だけど、データの整理やら、図面化とか、作業的にはなかなか手間がかかった。2週間くらい、熱いうちに打っておこうと思ったけど、結局1か月ほど時間がかかってしまった。どこもあきらめたつもりはないけど、そういうところがないといいな、と思う。

この報告書では、多少開発における技術論のようなことも展開した。「我われが教える」というスタンスは批判され、「人びとの実践から学ぶ」ことが大切であることはいたるところで主張されているのだけど、これをいかに具現化するのか、という部分を結論のようにした。

本当に短い調査期間ではあったけど、実に興味深い技術や人物が多く、もっとこうした技術や人びとの試行をアーカイブしていくことが大切だと実感したし、もっと色々なところを見たいな、という思いを強くしている。

とりあえず、今年もあと1日、原稿あと1つ。そろそろ写真のような青い空が恋しくなってきたけど、何はともあれ、もう今晩、何とか穏やかに新年が迎えられますように。

2013年12月28日土曜日

考えるのは如何に間に合わせるか、ということ。

論文の査読の結果が帰ってきたことを前の記事で書いたけど、動いている割にいろんなことが遅々として進まない。とりあえず、年内に、前回の出張のレポートと、3月締め切り予定のアブストラクトを提出しないと…。

兎にも角にも、昨日は少し気分を変えて仕事をしようと職場に行ってみたらネットが繋がらず、とりあえず、本だけを取って、買い物をして帰ってきたのだけど、夜は「風の谷のナウシカ」を見て一日が終わってしまった。まあ、頼まれ仕事は進めたので、なんにも出来ていないわけではないのだけど。

今月は追いまくられて、少々パンチドランカー気味。内心、どれをギブアップしてやろうか…とか考えてはいけないことまで頭をよぎっている。ここのところの思考傾向は、「いかに納期を守るか」ということ、その次に内容のこと。ただ、内容が旨く浮かび上がってこないからのめり込めないのだけど、大方、こういうひらめきに近いものは、絞るから出てくるものではなくて、少し余裕があるときに出てくるもの(少なくとも僕の場合はそうらしい)。なので、スパイラルはそれほどいい方向には向いていなくて、その結果、「どれをギブアップしてやろうか…」などと余計なことを考えてしまうことになる。

この思考から抜けるためには、とにかく手を動かしてみること(こうやってブログに駄文を垂れ流すのもその作業の一環だったりする)。テクストを紡ぐ頭の素地を作って、最初は勢いだけででも書き始めれば少しは前に進むというもの。

そんなわけで、これをどなたかに読ませてしまうこと自体が申し訳ないのだけど。

2013年12月25日水曜日

例のやつ、帰ってくる。

2011年の11月にかけこむように書いた論文を2年弱かけて9月にようやく提出。査読の結果が返ってきた。

正直なところ、寝かし過ぎてしまったようで、自分ではあまり自信をもって送り出していない。言い訳がましいが、2011年まで少しずつ調査を重ね、その後、ブルキナファソの政情不安があり、ずいぶん時間が空いてしまったことや、その間、ニジェールでの調査が入ったこともあって、少し臨場感を失った状況でコンプリートせざるを得なかったこともあり、補足すらほとんどできない状態だった。

しかし、とりあえずリジェクトの憂き目は免れ、事例部分のリライトが宿題、とのこと(もちろん、ほかにもいくつも書き直さねばならない箇所があるのだけど)。まずは、おかげさまを持って、少し光明も見えつつ、年越しの作業とさせていただくこととなりました。

とりあえず、今日から代休消化のため昨日をもって職場の仕事納めとなったけど、まだまだ「良いお年を」という雰囲気ではなく、ギリギリまで年末・正月気分はお預け、と言ったところ。そして、なぜか、ほかの事務処理書類やら原稿の周辺作業やらが飛び込んでくる、などなど、家にいるような感じがしない…

2013年12月21日土曜日

フランクフルトの空港にて。



僕の調査地に行くには、必ずどこかを経由しないと到着できない。経由地で泊まりが入ると、作業をしていることが多いのだけど、トランジットの時間はどうも持て余してしまう。

前回の調査では、フランクフルトを経由してパリに飛んだ。フランクフルトは2度目の経由。しかし、日本からの便が多いことと、パリへの便が多いので、ものすごくトランジットの時間が短い。しかし、前回、乗継に急ぎながらも視界の片隅にデカいソーセージが…「フランクフルト、と言えばソーセージ。次回こそ!」と思っていたソーセージにとうとうたどり着いた。確か4ユーロほど。やはり乗継がギリギリだったので、搭乗口付近でパリパリと。

2013年12月20日金曜日

「宗教組織の経営」研究会(第2回・Closed)

【研究会の成り立ち】
2010年に南山大学の大学院生が中心となって行われている、「南山考人研」という研究会で、藏本龍介さんの発表を聞いた。きっかけは当時、僕もクルアーン学校のことを調べ始めていたころで、当時の研究室の友人に紹介されて参加した。藏本さんの研究は、ミャンマーの僧院の経営を考える、というもの。仏教とイスラームの宗教組織が「経営」という視点で比較できることが分かった。
その後、藏本さんと中部人類学談話会でセッションを組んで研究発表。その間、南山の院生の中尾世治さんと3人で4-5回の研究会を重ねた。
しかし、その後、研究会自体は諸々の事情で一旦休止。2013年に復活させることに。10月に中部人類学談話会でコメンテーターをお願いした門田岳久さん、マリの呪術研究者(というのは狭いですが)の溝口大助さんを加えてキックオフ・ミーティングを行った。

【第2回研究会】
12月22日-23日にクローズド研究会で第2回を行う予定。今回は、さらにフィリピンの呪術/宗教研究の東賢太朗さんに加わっていただき、先行研究の検討として、門田さんのご著書の合評を行い、清水の事例発表を行う。

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とこんな研究会が動き出した。個人的に勉強させてもらおうと思って参加させてもらっているのだけど、ご参加いただいているほかのメンバーの研究がよく練り上げられていて、ついていけるかを心配している。でも、大学院を出て、あるテーマでじっくり語り語り合う機会が激減した今の環境の中で、こうした会合は本当に貴重で、これからますます楽しみになっていくことだろう。

2013年12月17日火曜日

機械オンチ。

GPS、Illastorator、Photoshop…僕が使いこなせないソフトです。

今日も帰りがけの同僚を引き止めて教えてもらってGPSデータをダウンロードできました。こういうデータがあるとないとでレポートも見栄えが違うし、なんとか使いこなしたいな、と思うのだけど、どうも手が進まない…使わないと使えないし、使えないと使わない。

慣れるしかないけど、非生産的な時間を作るのがへたくそ。TwitterとかFacebookとかは見るのにね。でもおかげでレポートが一歩先に進みました。いつもすいません。

2013年12月16日月曜日

『合併人事 二十九歳の憂鬱』江上剛


今日はだいぶ働いた。仕事も何個か終わったし、家のことも2つやったし。もちろん後いくつかの用事に追われてはいるけど、とりあえず一服。

11月の頭にあった古本市で纏め買いした小説その1(?)。

さすがに105円という小説。池井戸潤とどっちが古いか知らないけど、劣化版みたいなイメージを受けた。ちょっといやな感じを受けるのが、この作者がおそらくバブルに相当遊んでいただろう、ということ。銀行の重役さんがナンボ稼いでいる設定か知らないけど、愛人のためにシティホテルのスイートルームにバラの花をちりばめて…なんていう発想自体がバブリーだ。

この中に僕自身足しげく通っていた店が実名で出てくる。実は、おとといの夜、ちょっとそれを確かめたくて、その店のオーナーと話したら、そんなの初めて聞いた(これもどうかと思う)と。それは僕の問題でないので、どうでもいいけど、大方2005年ころの話らしい。すっかりバブルもはじけ、氷河期と言われた時期に、この設定。おカネがジャブジャブだった時代をノスタルジックに語ったつもりか…

さらに、ヨガのインストラクターの設定の主人公の女性のルームメイト(ちなみに彼女たちがすんでいるという設定になっていたのが、確か松井秀樹が巨人にいたときに住んでいたマンション…だと思う)に「癒されて」しまう、話。浮気して、仕事とプライベートを混同させて、社内の立場が悪くなって、「そんなところも受け入れて私らしく生きればいいんだ」!…少々理解に苦しむ…

先日、文学のイベントに出させてもらって、ある作家いわく、「僕の本を読んで、まったく学ぶところがなかったと言われたらとても悲しい」と。こういう文章を書いてはいけない、と言う意味では勉強になったけど…たぶんこの作者の本はもう買いません。



2013年12月14日土曜日

「砂漠を生き抜く-人間・動物・植物の知恵-」


国立科学博物館で行われている地球研との共催企画、「砂漠を生き抜く-人間・動物・植物の知恵-」の展示を見てきました。

久しぶりの上野公園。会社時代に野球をしに行った以来だから10年ぶりくらいか。休日ということもあり、人で溢れかえっていて、そろそろ近くのアメ横なんかも相当混んでいそうだった。

展示も人がいっぱい。意外にデートで来ていると思しきカップルが多く、ちょっとびっくりしたけど、そういう知的なデートもなかなかいいものだ、と少し感心してしまう。この企画を担当しているうちのプロジェクトは大学院時代の先輩が2名入っている。二人ともここのところ忙しく準備をしていた。

ブースが小さい…と聞いていたけど、しっかりワンフロア使っての展示。ここ4年間の研究成果をたっぷり展示してあった。人類学者3名と動物学者、植物学者が懸命に集めた情報のエッセンスが見て取れた。そして、彼らの雄姿もちらほらと。乾燥地の生、知恵…とても勉強になると思う。

ちょっと宣伝でした。

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2013年12月12日木曜日

数を数えること:「ストリート・チルドレン」の統計調査(次回調査)に関して

今日はまじめに書きます(基本的にいつもまじめに書いてますが)。

今週に入って次回の調査の調整を始めた。今度の調査は、ワガドゥグの「ストリート・チルドレン」の数を数えることが目的だ。「数を数える」と言っても、数千人に上る「ストリート・チルドレン」を指差し確認するようなわけにはいかず、しかるべきNGOに協力してもらって、質問表を持ったインタビュア30名ほどを使って行う、かなり本格的なものだ。

自分の研究の目的であることは当たり前だとして、2009年以来行われていない統計データを補完する、また、自分の研究で疑問が出た部分に関していくつかの質問表から明らかにしていく、こんなことを狙って行う。

この調査をし始めてから、内外のいろんなNGOの活動が気になっている。「AIDS孤児」とか、いろんなラベルが貼られていくわけだけど、何を根拠にそんなことを言っているのだろう?どんな裏づけがあるのか、ということ、そもそも、国連なんかが出している数字をどれくらい本気に捉えているのだろう、とか…

きっと僕が今回やる調査でも、「正確」な数字は取ることはできないのだけど、多少なり信用できる数字は取れるのではないか、と思う。この数字を取るだけで、50万か60万くらいのお金がかかる。これくらい、政府が…などと思っても、この仕掛けの大きさを考えたら、一仕事だから、やむをえない。でも、本来、NGOの活動などもこういう数字からはじめないといけないと思う。

すでに2006年の『世界子ども白書』で、子どもたちに付与されるラベルがスティグマとなっていることが指摘され、この状況の危険性について警鐘が鳴らされている。弱者を弱者にとどめておくことが、弱者の救済にはならない、ということも40年も前から文化研究あたりから言われている。僕らはなにをそこから学んだのだろう?

こんな思想的なことは今回の調査からいえそうにもないけど、路上で生活する子どもが増えたのか、減ったのか、どんな子どもが多いのか、クリスチャンか、ムスリムか、どの地域の子どもが多いのかetc...少し具体的な数字を出せればいいな、と思う。

2013年12月11日水曜日

自己完結的「温故知新」

今週金曜日から土曜日にかけて東京に出張する。早稲田大学と東京大学でゲストスピーカーを頼まれた。さっき修士論文を書いているという後輩に「遊びにおいで」と言ったら、「かっこいい!」と言われたのだけど、まったくそんなのではない。前期にも早稲田大学では話をしたのだけど、やっぱりよく勉強していてアップアップになるから、はっきりいって「かっこわるい」。しかもネタがネタだけに…

まあ、それはどうでもいいのだけど、今回の依頼者からのリクエストはアフリカの都市研究のレビューとラスタのネタで、とのこと。ラスタのネタは僕が修士論文で書いたものだ。

そんなわけで、5年も6年も前のデータとか発表資料を洗いなおしている。実は少し秋の集中講義で使ったから、少しまとめなおしているのだけど、さすがに、院生の講義でそのまま使うわけには行かない。別に学部生の講義を甘く見るわけではないけど、眠たくならないように、少し楽しい話題も…というのは院生にとってはつまらんだろうから、少し目先を変えざるを得ない。ある程度理論との整合性も必要だし、多少データらしいデータも出さないと講義にならないし。

しかし…よくこんなんでみんななんも言わんかったな、というデータと資料ばっかし。さも幼稚園とか小学校のころの青っ洟の跡のある写真を見るようなものだ。成長の記録、と言えばそれはそうだけど、それを今更引っ張ってきてどうこうしようと言うのだから、なかなかタフな仕事になる。とりあえず関係しそうなパワポを百何十枚並べ立てて、いるやつといらないやつを選別するのだけど、一枚一枚のデータが薄すぎて5枚くらいで1枚になってしまったりする。きっと20枚くらいのスライドで何とか収まってしまうだろう、と思うので、60分くらいは軽くしゃべれるか。

ただ、そんなことを言っても一時期夢中になって調査(の真似事)をやって、そのころの失敗や人脈があって今の自分があるわけで、自分の昔を探りつつ、もう一回いろいろ考えられてなかなか楽しくもある。ちゃんとまとめてみたら、もう一回調査してみたくなるんだろう。そうか、研究と言うのはこういうことの繰り返しなのか、と一人納得してみる。今のところ、自分の中だけだけど、古きを知り新しきを知る。

何度もこうやって使ってくれる依頼者に感謝!



2013年12月10日火曜日

ひと段落。

何とかホストを務めた研究会も終わり、落ち着いた日常を取り戻しつつある。もちろん、日々タスクはあるし、なんらかに追われながらの日常ではあるが、本を読んだり映画を見たりという、少し潤った一日一日が戻ってきた。

3日に帰国して、それから3日間は所内のイベント、その翌日に研究会がある、という無茶なスケジュールで動いたら、とうとう風邪を引き、忙しい中でもなんか知らないうちに治ってしまい、寝込むこともなかったのだけど、昨日の健康診断では絶不調の中で血圧が思いもよらないいい数字で、自分のことながらわけが分からない。まあ、大きな穴を開けずにすんだので、よしとする。

研究会は、新顔のお二人に発表をしてもらったことと、地球研に皆さんをお呼びできたので、これはよし。思ったよりも議論は盛り上がったし、ゆっくり話もできたので、合格点だろう。とにかく、自分には制度や大人から「子ども」への目線だけでなく、「子ども」をしっかり追いかける、という課題が再確認されたので、早い段階で調査に課題を組み入れる、という解決策を肝に銘じた。後は、もう少し大きな視点から話題を提供することをもう少しがんばろう、と思った。

今日は来春本になる原稿の二校目を入稿した。査読者から薦められた参考文献すべてを入れ込めなかったのが残念だけど、今の時点でできることはやった。学ぶことに終わりはないので、次の機会には必ず生かそう、そう思った。

こんなんで、帰国して1週間、よくがんばったので、自分で自分を褒めてやる。大体なにかやっても、内心後悔だらけで、疲れ果てて燃え尽きることが多いので、1年に一回くらいこういうことをさらすのはお許し願いたい。

今年もあと20日?今年はさっぱり切れのいい年末を迎えたいもの。せっかくの大型連休、コタツで原稿…とかあんまりやりたくないしね。やり切って燃え尽きて寝正月。これがいい。

2013年12月1日日曜日

井の中の蛙大海を知らず

僕ら研究者は、「発見」とか「伝統」とか、その言葉そのものの意味とは違う意味で使用していること(ある意味皮肉を込めて)を示すために「」をよく使う。この方法は、読者/オーディエンスからの批判を躱すために用いられることが多いのだけど、今回の調査、まさに「発見」が多かった。つまり、「発見」したのは僕であって、そもそも僕が発見したと思っていたものは、そこにあったのだ、ということ、そんなことを書いてみたいと思う。

今回の調査、5団体のNGOと関わった。特にそのうち3団体については、初めて見せてもらったNGOで、その方法やこれまでの活動、はとても興味深かった。

僕はプロジェクトの仕事として、アンドロポゴンという雑草の人びとの利用を観察している。この草は、西アフリカの乾燥地では家の屋根を葺いたり、穀物庫を作ったり、庇やトイレの目隠しなどにも使われている、ここの生活でもとても大切なものだ。


水の流れや風によって表土が流出してしまうことで、農業生産性を下げ、その結果、その土地を放棄してしまう。これが僕らのいう「砂漠化」のサイクルの一つなのだけど、「砂漠化」を防ぐ一つの方法として、このサイクルを止めることが大切になってくる。しかし、このためにはこれまでにもたくさんの方法が編み出され「実行されている」のだけど、どれも一長一短、なかなか根付かない、という前提があった。そこで、アンドロポゴンがここの人たちの生活に重要な位置を占めている、つまり、売れる、さらにつまり経済的なインセンティブがある、ということを考えた。

今年5月の国際学会で発表した時も別に誰が見に来たわけではないけど、まあ、僕も「これはいいアイディアじゃないか」と思っていた。実際に多少なり確実に効果があるのだけど、見る人が見ないと、この効果はわかりづらくて、「砂漠化」がとまりました、とは言いづらい。

まあ、しかし。こんな話をNGOの人たちとしていると、みなニコニコして聞いてくれる。「そうだよね」って。そしてこう繋げる。

「明日見に行くサイトにそれをやっているところがあるから、ぜひ見に行きましょう」。

果たして。それぞれの村にはかなりの頻度でこの技術が実践され、どうももう10年くらい前から行われているようなのだ。それを新しいものとして、紹介しようとは…現場を見たから感じた恥ずかしさで、ここからまた始めればいいのだけど、去る国際学会でもそんなこと誰も言ってなかったな、と思うと、いかに研究者が適当か、ということがよくわかる。

サブでやっている研究なので、進展は非常に遅い。でも、今のプロジェクトのおかげでずいぶん現場も見せてもらってやっとここにたどり着いた。問題の在処をもう一度精査して、もう少しお役に立てるような研究にしていきたい、今回はそんなことを感じた。


2013年11月28日木曜日

チムレンガ

今年の1月、プロジェクトのメンバーの一人と現地NGOの紹介で知り合ったチムレンガさん(右)。ブルキナファソ中北部のとある村の農家兼ハーバリストだ。篤農家、ということで、畑を見せてもらったり、樹木の現地名を聞いたり、いろいろとお世話になっている。

彼の家、溜まり場が幹線道路沿いにあるので、この地域に出かけるときは必ず彼に挨拶に寄る。僕らの乗った車が通ると大概彼か彼の知り合いが見ているので、僕のところかNGOの方に電話が来る。往路は比較的急いでいることが多いので、ゆっくり寄ることもできないので、大体帰り際による。

今日もこのあたりで調査があったので、帰りにワンタッチ。彼はチャパロ(このあたりのソルガムビール)を飲んでいた。行き際に挨拶がなかったことをぶつぶつ言われたのだけど、「ごめんね。ちょっと急いでたんで…」と言って、隣に座ってご相伴にあずかっているとずいぶん機嫌がよくなる。

今日はワガドゥグでもう一仕事あったので、ちょっと挨拶だけ、ということで、またしばらく日本に帰ることを伝え、彼が取ったラッカセイを持っていけ、ということで、お宅にもお邪魔した。写真はその時のもの。

彼のお宅の日かげに腰かけて、こちらもそろそろ帰国準備に取り掛かっているので、今週末にブルキナを離れることを伝えると、この前は何日間日本にいたから、今回もそれくらいか、とか、まさか僕が数えようもない日数まで持ち出していつ帰ってくるのか、ということを聞かれる。なんか尋問みたいだった。今のところこういう予定で考えてるんだけど、まだちゃんと決まってないんだ、と伝える。そして。そういえば、お前、街ではホテルに泊まってんのか?高いだろ?そうだ、うちの敷地にお前の家を建ててやろう。ブルキナに来たら、ずっとそこにいるといい…

本当に建ててくれなくても嬉しいです。

彼には7人のお子さんがいる。今は奥さんと、90歳になるというお母さん、上の6人はみんな学校に行っていて、一番下の4歳の男の子と暮らしている。奥さんは奥ゆかしく、働き者で、お母さんは歯が抜けた口で「ホンシュール(ボンジュール)」なんて言って顔を皺くちゃにして僕と握手をする。4歳の男の子は見なれぬ「白人」の僕におっかなびっくりでお母さんに促されて挨拶にくる。

このあたりもだいぶ回ったけど、こういう人たちと落ち着いて付き合ってみたい…などと思った。もしかすると、これは昨日の記事を書いたから、本職の方の欲求がでたのかもしれないけど。

2013年11月27日水曜日

調査の向き不向き

今回の調査に来て2週間余り。残り数日間で今回の調査期間も終わる。今回は依頼調査ということで、調査の結果は迅速にレポートにして報告せねばならない。ほかの提出期限と重なっているが、何とか早いところ結果をお知らせしたいと思う。

しかし、潤沢な資金(ここ2年間ずっとそうだけど)を付けていただいて、体力の続く限りのハードスケジュールで飛び回っているけど、なにかいつもの調査よりも緊張感があって、なかなかすがすがしい。人に頼まれているからだろうか。

ちょっとした時間を見て自分のこともやっているけど、今回の依頼と文脈を合わせる形で、機能的に動いているし、集めるべく情報は集まっている…気はする。

人類学を志す者として、僕は恥ずかしながら、どっぷりとこの社会に浸かって調査をした経験は実に薄い。傍からどう見られているかわからないけど、自分ではいつもそのことが不安で仕方がない。もしかしたら、今回のような仕事の方がはるかに向いていて、人類学の調査は不向きだったのではないか、と今回の調子のいい調査の端々で感じてしまう。元々は人類学も金持ちの道楽から始まった部分もあるし、貧乏性の僕にはあんまり向いていないのではないか…と。

今更そんなこと言っても仕方ないのだけど、素朴にそんなことを考えてみた。やはりそんなわけで人の調査がすごく気になったりもする。

2013年11月26日火曜日

なんとかなる。

今日はワガドゥグで資料集め、ただ、ここのところ毎回車をチャーターしてどんどん回る、ということに馴れてしまったことを反省して、今日くらいは前みたいに自力で動こうと思って乗合タクシーと徒歩で頑張ってみた。

今回の出張、ほとんどが地方出張ということもあり、友人にはほとんど今回の渡航のことを話していない。だが、街を歩いているといろんな人に見つかる。調査の助手をしてもらっている友人がバイクで通りかかり、ひとしきり怒られ、妙な言い訳をしてみたり、いつも泊まっているホテルの人にはなんやかんや言われる。

まあ、それはそれでいいのだけど、帰り際、今泊まっている事務所に帰ろうと、タクシーを探していると、なかなかこちらの方向への車が来ない。ちょっと遠いけど、歩け、という思し召しか、と思い、トボトボ歩いていると、後ろからタクシーが。途中で降りれば捕まるかも、と親切に申し出てくれて(もちろんお金は払った)、そこまで乗ることにする。しかし、降りたところで、タクシーは来ず、いよいよ歩くか、とボチボチと歩き出すと、後ろから「Cacao!」と。

ゴメン、知ってるような知らないような…乗っているバイクからすると、ラスタのあんちゃんなんだけど、どっかで会ったけ?とは言わずに、「もしや!」と思って適当に話を合わせていると、「どこ行くの?」。行先を言うと、「途中だから乗ってけ!」ということで、ありがたく乗っけてもらう。

おかげで歩けば1時間くらいかかるはずだった道のりが5分に短縮された。ありがたや…今度会ったら名前教えてね。

2013年11月25日月曜日

NGOって何だった?

今回の調査は「緑のサヘル」というNGOからの委託だ。あんまり大っぴらにしない方がいいんだろうけど、この辺までは大丈夫だろう。いずれ職場のHPにもアップされるのだし。

2010年以来、NGOからの仕事ではずいぶん久しぶりで、改めて、「ああ、こんな感じだったな」というように感覚を思い出しながらやっている。学術的な研究という、きわめて自由度の高い世界から来ると、ちゃんと「仕事」の感じがしてしまう(適当にやってるわけではないので。為念)。

もう少し踏み込んで書けば、今回の仕事の半分はローカルNGOの情報収集で、これがなかなか面白い。もちろんなんとなくは知っていたけど、NGOの階層がこれほどまで明確だったということは、今回知った中でも最も面白いところ。よく考えれば当然なのだけど、カネを取ってくる人(団体)があって、それを下請けに出して、下請けはさらにその下請け(この辺で村の組織になる)に出す。成果はその逆のルートをたどる。つまり、実際に現場におカネやサービスが落ちていくのに「エイジェント」が媒介しているわけだ。さらに、ドナー⇒エイジェント⇒エイジェント…⇒現場、という構図は、上部組織(ドナーと上部エイジェント)のマネッジメント能力や資金力でカバーできる範囲が異なっていたりもする。

今調査している地域が一つの会社だとすると、すごくわかりやすいけど、会社と違うのは、この地域が物理的空間のみならず、概念的にもクローズドな空間ではなくて、すべてにオープンな公共空間なこと。また、こうした援助活動については、Aider Informationというか、役所が当たり前のように情報提供してくれる。援助が地域ぐるみで完全に一つの産業として考えられている。企業を誘致するように、NGOやドナーを誘致する、何の悪気もなく。ただ、ある意味、ビジネスライクで、「仕事」として来ている僕にとっては楽なんだけど。

で、こういう風潮が良いか悪いかは別として、「NGOからの使者」としての僕は、実はあんまりこういうことにいい気がしない。それは、あまりに日本のNGOとここで考えられているNGOの在り方に違いがあり過ぎるからだ。やはり、NGOというのは、活動理念ありきで、そこにおカネや人がくっついてくる、というのが正しい在り方(ただし、「反政府/権力運動」が最初にありき、はまた違う意味で好きではない)なのだと思っている。

この意味で、一つの団体はとても興味深かった。この団体は、養蜂家の集まりなのだけど、環境問題、特に植林や土壌保全にも積極的にかかわっていて、こうした活動から、養蜂の再活性化を狙う、という実にシンプルな理念を掲げ、蜂蜜の販路を広げるなど、ビジネス感覚も持っている。背伸びもしてないような気がするし、自分たちの生活もかかっているからなりに一生懸命やっている感じもする。今回訪ねてずいぶん仲良くなって、仕事の後の一杯、なんてこともあったのだけど、実に楽しいオッチャンたち。上で述べたような団体に比べると、ちょっとウエットな団体なんだけど、こういうのが好きだな。

2013年11月22日金曜日

第4回「アフリカ子ども学」研究会

 
 
出張帰りすぐに研究会やります。あぁ、言ってはみたものの、発表の資料がまだまだできていません。僕の話題提供は、僕自身の関心の経緯を示しつつ、ニジェールのクルアーン学校の事例を出して、最後に問題意識に戻ってそれに基づく今度の調査のことについて少し話をさせてもらおうかと。最終的には構築主義的な「社会問題」論が中心のテーマになってくる…かな。
 
 
いずれにしても、そろそろマジメに考えねば…

2013年11月13日水曜日

『サウスバウンド』奥田英朗著

書店で手に取ったか、古本屋で手に取ったか…なんとなく読んだことがあるような気がしながら古本まつりで買ったこの本。やっぱし読んだことがあった…きっと本棚のどこかに眠っていることだろう。

そんなわけで機内で2度目。2度目と言えば、フライト前半で『42』がやっていたので、こっちも2度目だった…それはどうでもいいのだけど、まあ、2度目にしてはずいぶん面白く読めた。奥田英朗の本は3作目か4作目。少し前から注目している作家さんなのだけど、池井戸潤と比べるとストーリーラインはシンプルで、少しコミカルに書く気があるように思っている。

テーマも多彩だし、この本に関してはものすごくたくさんの興味深い要素を扱っている。たとえば子ども、社会運動、家族、学校、メディア、社会通念…そして、この作品の第2の舞台、沖縄での儀礼のこともなかなかよく描けているような気がするし、この人、八重山あたりで生活したことがあるのではないか、と思わせるほど、沖縄の日常生活の描写が瑞々しい。とにかく盛りだくさんなのだ。

アミューズメントとしての小説としては秀逸。2度目を読んでみて改めてそんな評価をしておきたい。

2013年11月11日月曜日

『42-世界を変えた男』

出張前、しばらくいないので、買い物がてら連れ合いと映画を見に行ってきた。野球の話であるのと、アフリカン・アメリカンの差別の文化的な側面が描かれているだろう、という期待を胸に、『42-世界を変えた男』を見た。

現時点、メジャー球団共通の永久欠番、42番を付けていたジャッキー・ロビンソンの話。第二次大戦後の赤狩りが激しかった時代、アフリカ系の人びとへの差別は相変わらずはびこり続けていたはずである。なんせキング牧師が60年代だから、いろんなところに差別的な「制度」は残っていたことだろう。

当時のドジャースのオーナー、ブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)はこんな時代背景の中でジャッキー・ロビンソンをメジャー選手として採用する。飛行機やレストラン、トイレに至るまで未だアフリカ系を区別する制度が色濃く残るこの時代のアメリカ。さまざまな苦難がジャッキーを襲う。困難を乗り越え、ジャッキーはスターダムを駆け上がる、というストーリー。

まあ、そうだろう。映画として、過去に(もしくは現在に至るまで)アフリカ系に対する差別があったことをハリウッド(アメリカ)が認め、これに対して戦った人がいたことを映画と言う形にしたのは評価。たとえば、オバマが大統領になった、という評価に似ているかもしれない。が、僕はオバマが「ノーベル平和賞」を貰ったことは今でもノーベル財団の価値を大きく落としたと思っているけど、こういう映画もここだけで評価をしてしまうといけないように思う。この映画の問題点は、「苦難」が軽すぎるのである。足を踏まれたり、ビーンボールが飛んでくることは、ちょっといいバッターだったらままあること。野次も時代背景を考えればまたあっただろう。野球を舞台とする映画だけど、この時代、ビーンボールよりももっと恐ろしいことがあったはずで、これをもう少し描いておいてほしかった。

個人的には少々単調、平凡な作品、と評しておきましょう。




2013年11月7日木曜日

From the ground

落合GM就任後、早速取り掛かった仕事は契約更改である。人の懐を覗き込むようで、よく考えたら少々悪趣味だが、1年間野球を見てきて、思い入れた選手たちがどんな評価を受けるのか、九段との間にどんなドラマがあるのか、従来12月あたりのストーブリーグのメインイベントである。

今年のドラゴンズは11月に全選手の契約を更改するという。ニュースでも大きく取り上げられたように、井端が退団し、主力選手が軒並み限界まで年俸カットされている。一野球選手を見れば、たとえば井端など、税金を支払えるのか、というわれわれには関係ないところまで心配してしまうほどで、大方同情的な気分になる。プロ野球の選手がいくらもらおうといいし、誰がもらいすぎで、誰が少なすぎるか、なんて、夢を売る商売の人たちのことで、僕らの世界とはまったく違う原理で動いているはずなので、とやかくいうことはない。

しかし、一野球ファン、ドラゴンズファンとしては、このチームがどうしようとしているのか、ということに関してはとても興味がある。その意味では、今年の契約更改はものすごく分かりやすい。落合GMの一言。「このチームは今年何位だったの?」これに集約されている。この問いは落合GM自身にも向けられる一言なのだろう。ナゴヤドーム来場者数が減少した、ということで首を切られた2年前のことを思うと、球団の最高責任者として、球団運営にも目を配らねばならない。つまり、ハッパをかけられた選手たちががんばって好成績を挙げたら、それに報いる責任は落合GMと球団なのは、僕はよく分かって今回の処遇をしていると思う。

そして、きっとこの時期に契約更改をするのは、もちろん、時間を有効に使え、という落合GMの合理主義的な発想もあっただろうけど、1球団だけが前倒すことで、マスコミの注目が集まることも狙っていたのではないだろうか。公開の禊。

だからこそのほぼ全員の減俸。10年前とは違う意味での「0」からのスタート。From the Groundなのだろう。これで強くならなければきっとうそ。来年は今年よりもいい年になることを確信させられている。

調査「される」

Facebookにこんな投稿をした。

昨日の午後、所内の関係者のお知り合いの先生と学生さんが来られた。専門は建築学だそうで、オフィスの空間とコミュニケーションの調査をさせてほしいとか。特に今の職場に来て、ほかの分野の調査方法を学ぶのはとても面白いことを実感している。昨日来られた方の調査法もずいぶん興味深い。そして、被調査者の経験もおいそれとできることではないし、これもぜひお願いしたい、という話をした。インタビューでも参与観察でもどんと来い。付け回され、ジロジロ観察されるのがどんな気分がするのか、ぜひ体験させて頂きたいもの。

数日前に予告されていたこの調査なのだけど、話を聞いてみて、改めて感じたのが、僕ら人類学者は日常的に「調査」を能動態でしか使っていないな、ということだった。ライティング・カルチャー論争やポスト・コロニアル的な研究の中では、大文字の権利や他者が語られてきた。また、人類学的な参与観察法にあるラポールという概念自体が調査者-被調査者の親密性を重要視すると言う意味ではミクロな視点から語られてきたと言ってもいいだろう。

しかし、逆の立場から調査者を正面から見ながら調査されることは、おそらくほぼない。きっとこれからも少ないだろう。是非ともこれは実現させて欲しいものだ。とても楽しみ。

2013年11月1日金曜日

今年もあと2か月。急きょブルキナファソへ。調査計画もろもろ。

つい2週間くらい前は扇風機が必要だったのに、もう寝るときには厚手の掛布団が必要になってきた。手前味噌だけど2013年も残すところあと2か月、時間が経つのは早いもんだ。

今年の後半は頑張って書き物をしようと思っていたけど、急きょブルキナファソに渡航することになった。超ショートノーティスだったけど、どうしても外せない予定の間にすっぽりとはまって、ご迷惑をかける方は最小限に抑えられた。期間は約3週間。これが終わると今年も押し迫る(=書き物を終えるのがきつくなってくるな…)。

今回の調査は、自分のサブ研究のアンドロポゴンにかかわりの深いNGOからの依頼による。よって、こっちの研究はグッと進むし、研究の社会実装、もしくは、研究と実践のコラボレーションという意味では、多方面に面白いことがある。少し先を見据えることができる調査となるだろう。

そして、せっかくの機会、1日くらいは自分のメイン調査の準備にも少し時間を使いたい。年が明けると、今年度最後の調査が待っている。前に少し書いた「「ストリート・チルドレン」の生態学的調査」と銘打った調査で、現地NGOの助けを借りて子どもたちの数を数える。数千人の子どもの数を数えるわけだから、それなりのおカネもかかる。この辺、トラブルを抱えないように、協力者と膝を突き合わせて話し合いたいと思う。

なんだかんだとやりたいこととやれることが入り混じって、ここの所お断りしたり、ギブアップしたり、ということが続いている。とても心苦しい思いをすることがある。時間が短いこと、もう少し自覚しないといけないな、と思う今日この頃。もうすぐ年末だし、気持ちよく今年を終えることができますように。







2013年10月30日水曜日

「ヤギ2頭「も」」か「ヤギ2頭「しか」」か?

昨日書いた学会シンポの件でもう一つ。

「みんなの学校プロジェクト」は、ニジェールの広範域を対象に就学率を上げることを目的としたJICAのプロジェクト。世間的な評価についてはよく知らないが、内部評価は上々なよう。シンポでは、このプロジェクトについてもかなり強く触れられた。

僕が理解している限り、このプロジェクトは、「コジェス」と呼ばれる学校運営委員会がコミュニティと教員によって組織され、自らの手によって学校を運営していく(つまり「住民参加」ということ)ものだ。経済的不調などのこの地域特有の問題や、地方分権化といった制度的変化により、このあたりの小学校にはなかなかおカネも先生も回ってこない。それなら、住民自らが自分たちの子どもの教育を担うようにしようという意図なのだろう、と思う。

果たして日本でもこれが成立するのか、というと、すでにこの辺で疑問を感じてしまうのだけど、JICA関係の方によれば、そこそこうまくいっているらしい。その評価基準として、どんなものが使われているか、というと、ナンボ住民が学校運営のためにおカネをだしたか、ということ(きっとほかにもあるだろうけど)で、1校あたり15万Fcfaくらいなのだそうだ。

15万Fcfa。日本円で約3万円くらいなのだけど、ご発表された方は、(あの貧しい地域の人たちが)「15万Fcfa『も』」拠出した、と評価されている。だが、15万Fcfaといえば、羊が高騰するタバスキ(イスラームの犠牲祭)の大きな羊2頭分くらい。通常でもヤギ4頭を買うのも難しい。確かに一家族で出すのであれば結構な出費だが、150人くらい生徒がいるとすると、この額はたいしたことはない。僕は「15万Fcfa『しか』」と思ったわけだ。僕の感覚としたら、一大事があれば、家畜を売ってそれくらいのおカネを用意できる人が大多数だと感じているし、イスラーム学校なら、少しカネを持っている人がポンと出してしまうだろう、と思うのだ。

当然、日本と同じように、ニジェールでも、「学校」は「国」が提供してくれるもので、周辺国では義務教育の無償化が進んでいるところもある。そこに自分らでおカネを出せ、ということ自体が難しい発想で、当然出し渋るだろうな、というのは想像に易い。確かに、教育は現代社会を生き抜く上で重要な公的サービスであることは間違いない。だが、「教育」は一つでないし、その土地の文脈を十分に理解して実施しなければずいぶん無理がかかるような気がする。

ご発表をされた方の「も」か、それとも僕の「しか」が正しい感覚なのかはわからないけど、「教育学」のフィールドでもこうした議論が起こるとより豊かになるのではないか、と強く強く感じた。

2013年10月29日火曜日

アフリカの教育を巡る深いジレンマ

25日、26日と東京で開かれた「アフリカ教育研究フォーラム」に行ってきた。いつもながらにとても刺激的で、いい研究会だと再度実感して京都に戻ってきた。

しかし、今回は違うところで忸怩たる思いも抱えてきた。

頭の悪さをひけらかしてしまうようだけど、僕は政治のことやらはあまりよくわからない。アフリカを巡る事象にしても、MDGs(ミレニアム開発目標)とか、FFA(全人教育)とか、ESD(持続可能な教育)とか、つい最近まで何の訳だかすら知らなかった。ちなみに、MDGsにしても、ESDについては未だにイメージがわかない。つまり、「世の中」でどんな議論が交わされているのかということもわからない、ズブズブの素人ということになる。

今回のフォーラムでは、この辺のことを扱ったシンポジウムが開かれた。MDGsが評価年になる2015年以降、どんな世界を描くのか、ここまででどんなことをしてきたのか、そんなことを「検証」するプレゼン、と理解した。ただ、「アフリカ教育開発研究の展望」(強調は僕)という題目が気になる。

「教育」に関する学会で、参加する院生、教員ともに、「教育」は必要であることについては誰も疑わない。もしくは、一家言持っていても、おいそれと表には出てこないから、僕はどんな了解があるのかはよくわからない。しかし、少なくとも、発表を聞いている限り、そこを疑う人には全く出会わない。僕は人文学を学ぶ者として、「教育」は何たるか、その方法論とか、視点についてこの学会では探ってきたつもり。その底流にあるのは、文化相対主義的な思考で、進化論的な思考を可能な限り排していく発想だ。

「みんなの学校」プロジェクト、というのがニジェールで行われている。JICAのプロジェクトで、PTAのような、教師と親で組織される学校運営委員会が中心となって学校を運営していこう、というもの。実に結構なことなのだけど、残念ながら、僕の集めてきたデータはそうは言ってくれない。その結果、ドロップアウトした生徒はどうするのか、やっぱりノートやらが買えなくて学校に行けない子はどうするのか、と。そして、そこに根付いている「伝統」教育はどう扱うのか、と。

細心の注意を払って本質的伝統主義に陥らないように気をつけたいのだけど、今一度人の生活を見てみると、「伝統」と呼ばれる「近代化」の反対のベクトルを持つ現象(?)は間違いなく存在している。時に、文字通り近代化と反対方向に社会を引き寄せる力になるのだが、多くの場合、近代化の名の下に切り捨てられてしまう。

ここからが議論のしどころのはず。僕の説明が悪かったようにも思うし、何の疑いもなく「教育」を普及するスタンスをもつ人たち、かつこういう議論をうまくかわして来た人たちにはまったく通じなかった。ここにこそ実り豊かな議論と、これまでの「開発」に対する反省が汲み取れるのではないか、と思うのだけど。負けずにもっと声高にこの話はいろいろなところでさせてもらおうと思う。

2013年10月26日土曜日

セネガルの「兄弟」から。

今日も夜更けまで発表準備に励んでいる。集中力がないというか、才能がないというか…

ダメダメの僕を「兄貴Grand Frére」と呼んで憚らないやつがいる。僕もそこそこでかいけど、彼はもっとでかい。きっと2m以上ある大男だ。気は優しい。きっと力持ち。一人で暮らすお母さんをとても大切にしている。愛すべき奴でかなりシンパシーを感じている。

彼は歯が悪い。しょうがないので治療費を少し助けてやることにした。でもまだ送れていない。時間を見つけてはいろいろやってみるけど、うまく行かない。なので、毎日彼にメールをする。ケンカもする。もっとわかってくれ!お互いがこれで言い張るのだ。

そして、彼は日本に来たいという。助けてやれないけど、いい形で来てほしい。だから必要以上に慎重になる。とても悲しい例をたくさん見ているから。学びたい、知りたい、と「弟」が思うこと、何とか実現させてやりたいのだけど。

今日もたくさん彼と話した。仕事は進んでいない。でも今日はいいか。あと少し仕事をしてゆるりと寝ようかと思う。

2013年10月23日水曜日

第12回アフリカ教育研究フォーラム・発表の要旨(10月24日-25日@早稲田大学)

明後日からの「アフリカ教育研究フォーラム」、こんな発表をしたいと思う。
いろいろと追いまくられて、準備がまだまだ不完全。今日明日(明後日)までこちらに集中して寄りよいものをお届けしたいと思う。

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西アフリカ内陸部の「伝統」教育としてのクルアーン学校[その2

ニジェール共和国ファカラ地方の事例より

 第11回アフリカ教育研究フォーラムにおいて、発表者は同名の研究発表を行った。前発表では、2012年度に行った広域調査のデータから西アフリカ内陸部に広く存在する「伝統」教育機関(クルアーン学校)のメカニズムを概観した上で、クルアーン学校と小学校との比較を試みた。同地域のクルアーン学校の学校数は公立小学校の約2倍存在し、生徒数はほぼ同数が存在し、公立学校が整備されてきた現在でも一定の存在感を示していることが明らかとなり、さらに、クルアーン学校が子どもたちのセーフティネットになっていること、労働力のストック機能をもっていることを指摘して、クルアーン学校の社会的機能について論じた。

 前回の発表を背景として、本発表ではクルアーン学校/西アフリカの「伝統」教育の側面を捉える試みの2回目として、クルアーン学校の「教師」に位置づけられるマラブーMarabous(仏)/Alfa(ザルマ)(以後、マラブーと記す)に焦点をあて、マラブーの出自と来歴から西アフリカのイスラーム社会における「教師像」を明らかにすることを目的とする。

まず確認しておかねばならないのは、この地域には初等教育にあたる過程を実施する「学校」に公立小学校とクルアーン学校の2つの種類の教育が併存していることであり、「教師」もそれぞれの「学校」において異なった位置づけをもっていることである。広辞苑では「教師」は第一義として「学校・教習所などで、学問・技芸を教える人…」、第二義に「宗教上の教えを広める人。宣教師」とされる。公立学校の「教師」は当然のことながら、最初の意味での職業的な教師である。一方で、クルアーン学校における「教師」にあたるマラブーはこの「教師」の定義にしたがえば、マラブーは職業的な公立学校の教師とは明らかに異なる存在であり、子どもに知識を与える存在であるのみならず、この地域の社会を宗教的、道徳的に導く存在である。子どもの教育以外にも宗教・社会的な役割を負っており、いわば、マラブーは村の賢人、「先生」(伊東2009)のような存在にあたる。

マラブーは、カトリック司祭のように宣教を目的として教会本部から派遣されるわけではなく、多くが自らの出身地に根を張り、各々の生業と両立させる形でイスラーム教育に従事する。マラブーは具体的にどのような人物なのか。具体的には、クルアーン学校の教師にはどのような人がなるのか、どのようにマラブーになるのか、また、どのような活動を行うのか。これらを明らかにすることにより、前発表と別角度から伝統教育における「教師論」から西アフリカのイスラーム社会におけるクルアーン学校の位置づけを示すことができるのではないだろうか。一例をあげれば、クルアーン学校を営むマラブーの多くは、最初のクルアーン習得認定(ズマンデZoumandé)を取得した後に数名のマラブーの元でさらにいくつかの認定を受ける。こうした遊学は移動しながら学ぶことを是とするイスラームの教えによるものであるが、遊学を通じて得る知識の蓄積とキャリアアップは、その後マラブーが学校運営を担う際に生徒を集めやすさ、地域のマラブー間の関係性に影響を及ぼすことになり、教育と域内政治が間接的に結び付く様相も指摘できる。

今回の発表においても、伝統教育の西アフリカ内陸部における位置づけを示していくが、特に地域の知識人(≒権力者)である教師に着目することで、教育という領域を超えたクルアーン学校とコミュニティとの関係が垣間見えるものと考えている。

[引用文献]
三省堂編集所「教師」、『広辞苑』1987 三省堂 
伊東未来 2009「イスラーム「聖者」概念再考への一考察-マリ共和国ジェンネのAlfaを事例に」大阪大学大学院人間科学研究科『年報人間科学』第30号 83100

2013年10月22日火曜日

道尾秀介『背の眼』(上)(下)幻冬舎文庫


「文化人類学者は出来そこないの小説家…」とある人類学者の言葉だが、中島らものように人類学に着想を得た小説も少なくない。この作品も文化人類学、特に宗教、呪術、憑依と言った研究に実に示唆的な作品だった。とにかく、道尾氏のこうした領域への知見、そしてそれをもとにしたストーリー展開は実に感心させられる。

心霊現象、除霊、憑依…実に科学的な回答を与えつつ、この作品ではミステリーホラー小説として、本質的な心霊現象を最後まで否定しない。いくつもこの点で感心させられる点があるのだが、一つだけ紹介してみようと思う。

山奥の「天狗」による神隠し(殺人)事件のクライマックス。亡き妻秋子に「憑依」された歌川。亡き妻は聾者で重い病を得てこの世を去り、歌川は幼い息子とともに生活したが、その息子も不慮の死を遂げる。歌川はその結果、元気に走り回る「子ども」に恨みを持つが、良心との板挟みにあった歌川は、秋子の人格(ペルソナ)の元で「子ども」を攫って危害を加えた。主人公の心霊現象探究家、真備は滝壺に亮介(子ども)を叩きつけようとした歌川に「除霊」を試みる。のちに真備は語る。「憑依体との間の共通の言語」を介在させることが「除霊」であり、被憑依者と憑依体、除霊者の三者の間での意思の疎通が必要で、そして除霊者が語りかけるのは、憑依体ではなく被憑依者だ…

小説としても楽しかったし、とても勉強になった。この前、研究仲間とも話していたのだけど、人類学を学ぶ者、小説は忙しくても読まねば、と再実感したのでした。

2013年10月18日金曜日

「TRF」解散!

もしTRFファンの方が迷い込んでこられたらごめんなさい。あのカッコいいグループのことではありません。最初にお詫びします。

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29歳のときに発症した痛風。その後発症した高血圧症…その他アフリカでいろんな病気をして、年を追うたびに病院にはよく通うことになっていた。基本的に投薬治療でなんとかなっていて、ビールを少なくして(たくさん飲めなくなってきていると言うのもある)、焼酎に変えたり、おかわりを減らす程度しかしてなくて、痛風に関しては10年ほど一進一退。

おとといあたり薬が切れたので、今日は病院に行ってきた。8月に検査をしているのでその結果の受け取りもしてきた。とりあえず、所見をいただいてくるのだけど、尿酸値が3期連続で低下。1年間ほどは尿酸値が通常値をキープした。そんなわけで、尿酸値を抑える薬を半分にすることになった。

それで、なんでTRFかと言うと、T=痛風、R=リュウマチ、F=ファット、ということで、それぞれの患者が「サバイバルダンス」を踊る、というおっさんネタでで、なかなか笑い(苦笑)が取れたのです。とりあえず、尿酸値が通常値なので、もう僕は痛風ではなくなったので、Tが抜けます。Rave Factoryとして再編しましょう。相変わらずFではあるので。

朝からつまらん話題でした。

2013年10月17日木曜日

誰が野球放送を減らしたのか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131017-00000081-spnannex-base

地上波から野球放送が減ってからずいぶん経った。確か、Jリーグが始まったくらいのタイミングだったと思うが、確かに90年代初頭、王長島という一時代のスーパースターが引退して、今考えてもプロ野球が多少地味な時代に突入していた時代だったかもしれない。

しかし、その後、松井秀樹やイチローという王長島に匹敵するプレーヤーが出てきていて、特定の球団に入れ込んでいる人でなくともそれなりに楽しめるクオリティはいつもあったように思う。何でこんなに少なくなってしまったんだろう。帰ってテレビをつけて、野球がやってなくてがっかりする人はまだまだ数多いはずなのに。

上の記事を見てもわかるとおり、広島での視聴率40%とか。人気ドラマの「相棒」が20%弱で「大成功」と言っているのなら、広島に限ってはその倍ある。近年、ソフトバンク(当時ダイエー)が福岡に、日ハムが東京から札幌へ、オリックス+近鉄-一軍=楽天が仙台へ、と球団の地域密着化が進んだ。仮に、昨日の広島のような現象が地方に限ったものなら、地方局がやればそれで済む話だが、できればいろんな試合が見たいので、できたらキー局でももっとやってほしいもの。

問題はスポンサー?どんな契約なのかしらないけど、たとえば、視聴率に応じてスポンサー料が変動するような仕組みを作るとか?あとは増えすぎた芸(能)人の行き場所がなくなる?野球ファンのボヤキでした。




2013年10月16日水曜日

会社と上司

連れ合いが就職活動で苦戦している。

面接の様子を聞くに、小説で読むようなどうしようもない面接官ばかり…昨日など、有限会社の理事長が「徹夜仕事があることがあるけど、残業代は出さない。それでもやる人でないと取らない」という内容を「説明会」で話したとか。絵にかいたような「ブラック企業」」だ。

ここ何年か(ミーハーでないことを自慢してみる)池井戸潤の諸作品を読んでいるけど、この人の小説に出てくる上司もとてもステレオタイプな人が多い。順法意識が薄弱だけど、家庭は大事…という上司キャラクターが多い。

僕も4年間と短い間だけど、何人か漫画に出てきそうな上司にであった。入社早々、激しく虚勢を張ったほかの部の長を見て笑いをこらえるのが大変だったのはとても懐かしい。体が埋もれそうなデカい革の椅子に埋もれて葉巻を吸い、タバコを吸っていたほかの社員に「そんな臭いものを吸うな!」と怒鳴り散らす。威張りたいのはいいけど、もうちょっとカッコよく威張れよ、と心の中で思った。でも、大方の上司は逆にいい意味でマンガに出てきそうな人たちだった。「ガンガンやれよ。やるだけやって失敗したらケツは持ってやる」というありがたい上司が多かった。仕事に失敗すると、ほかの課の上司、先輩が飲みにつれて行ってくれた。今の上司も含め、何人かの上司に使えたけど、不思議と連れ合いが出会ったような人には出会ったことがない。運がいいだけかはたまた…

そんなわけで、僕は社会(会社)というのは、いろんな人がいることでバランス取れているように思っていたけど、どうもそうでもないらしい、ということがわかってきた。僕がいたのが、船会社。割と荒々しい業界で、連れ合いが受けているのが教育系、割とお上品そうなのに、後者の方が品がないことをおっしゃる。こんなんでちゃんと「教育」できるのか?ちょっとひどすぎるので、レコーダーを貸してやろうと思う。

2013年10月14日月曜日

『シャイロックの子供たち』池井戸潤(2008)


ドラマ「半沢直樹」のお蔭でやたらメジャーになった池井戸潤氏。こんな感想文を書いて、やたらミーハーにみられるのがなんだけど、面白いものは面白いので、気にしないことにして。

たぶんこの作品もいろんなところに感想文が書かれているだろうから、すごく端的に。この作品は小説の作りが面白かった。短編小説のように感じながら読み始めると、銀行の一支店の空間を中心として、そこに働く行員とその家族の物語で、ちゃんと一貫性のあるひとつの小説として成立している。

池井戸潤作品の多くは基本的に勧善懲悪調のいわば水戸黄門的に安心して読める作品なのだけど、その意味ではこの作品は少し異色。謎を置きっぱなして読者に委ねるという、ミステリーでよく使われる手法を使っている。

銀行/金融、また、会社という世界を分厚く描く池井戸作品だけど、もしかするとそのうち飽きが来てしまうかな…と思ってしまう。世界観がぶれないので、定番としての位置づけは得られるのだろうし、もしかすると、金融論とか、商学のテキストになっていくかもしれないけど。まあ、かと言ってもミステリー。余計な心配をせずに、たっぷり楽しみたいと思う。

2013年10月10日木曜日

罰金!?


消費税、増税で騒がしい昨今。FBにこんなのが流れてきた。シニカルで面白いな、と思っていたら、某飲食店店主さんがさらに「健康である罰金=健康保険料」などとのたまう。確かにこれから消費税が上がったり、ほかの新税が加わったりするらしいので、それを嘆くのも一計。

でも、すでに日本は返せないほどの借金を抱えている。最近のアメリカの政府機能停止状態を見ていると、国というのはとめたらえらいことになるのだ、ということがわかる。そして、それは決して対岸の火事ではない。

海外に逃亡するのも一計、嘆くのも一計。しかし、腹の底では「罰金」に負けないくらい稼いでやろう、それくらいのファイトがあってもいいと思う。というか、そうしないと生きていけんね。この前来た年金特捜便によれば、僕の年金は2万くらいらしいので。


2013年10月9日水曜日

谷繁監督・落合GM体制決まる。



これが気になって仕事が手に着かなかった…
球団の資金難、立浪のプライベートの問題、色々な情報が飛び交う中で谷繁が監督、落合元監督がGMに就任。フロントの一斉更迭。激動のストーブリーグの開幕。方や、秋季合宿では血のにじむ特訓が繰り返されているともいう。

この間の2軍の監督・コーチの更迭や川上憲伸の戦力外を見ても、こういう結末を見ると、落合GM・谷繁監督が既定路線だったようにも見える。

あるファンによれば、ドラゴンズファンは落合元監督に勝つことに慣れさせられた、という。勝ちまくっていた8年間に、もしかすると勝つことにすら飽きてしまったようにも。おかげで観客動員数は減少の一方をたどることになり、負けが混んだ今年は益々客が入らなかった。

ちょっと県民性のようなものを感じてしまうのだけど、「お値打ち」に弱い名古屋人は基準価値が上がると、もっと上がないと「お値打ち」を感じない。つまり、勝ちが当たり前になったら、勝ちにほかの付加価値を付けなければならないのかもしれない。反面、阪神ファンのように勝っても負けてもファンでいつづけてくれる、まさに浪花節のファンで「勝ち負け」よりも、阪神球団の存在そのものを認める。

昔、「名古屋で商売ができたら世界中どこに行っても大丈夫」と言われたことがある。それほど名古屋は商売がやりにくいところで、球団経営もそんなむずかしさがあるように思う。しかし、革命的なほどの改革は白井オーナーの大ナタによるものらしい。今度はきっとファンがこの大ナタを「暴挙」にするか、「英断」にするかを決める。一ファンとして今年はなんとか1度でも2度でも聖地に足を運びたいものだ。

2013年10月8日火曜日

小さい原稿こそ難しい。

ここのところ仕事がオーバーフロー気味で、あんまり「忙しいのはいいことだ」とか言ってられなくなった。やることがありすぎて一つの仕事を集中的にやる、ということが難しくなってきて、その結果、仕事が雑になって…という何度も経験したスパイラルにはまりそうだったので、今日は事業仕訳をしながらの作業になった。

一応、飼っていただいている研究所の仕事は断れないので、とりあえず今日はこれをやった。「フィールドの様子を生き生きと。字数1,500字」こんな課題だ。


何を書こうかな、と頭をひねってみて、久しぶりに調査を始めて間もないころに題材とした「ラスタマン」のことを書いてみよう、と思い立った。伝えたいことは、「都市を下から見上げてみる」ことで見える色々なこと/モノ。「神の視座」からは見えないものが時に生々しくグロテスクに、時に生き生きとした人間の鼓動として立ち現れること…なんだけど、このボリュームではなかなか難しい。前も4,000字でアフリカの子どもの話をかいたことがあったけど、その時にも似たようなことを思った。

とりあえず今日は粗稿ができたので、今晩読み返してみて、誰かに読んでもらって一気に終わらせてしまおう。山が多いので、とりあえず小さな達成感でも欲しいところ、なので…

今年のドラゴンズ勝手に総括

気が付いたら終戦していた…今年のドラゴンズを象徴するような終わり方だった。

そして、Yahoo!ニュースのトップには連日次の監督を詮索する記事と退任する高木監督を揶揄する記事、そして戦力外通告を受けた選手の記事が連日踊る。まだ暑い日が続くけど、こういう寒々とした記事を見ていると秋を感じてしまう。

たとえば、野球のチームが強いか弱いかというのは、せいぜい144分の20、つまり1週間に1勝多いか少ないかで決まる(時に40くらい差が付くけど)。今年のドラゴンズはこんな差だったと思う。要因を分析していけば、エースの吉見、浅尾の経年疲労、井端、荒木、大島、山内のケガ、若手の伸び悩み…反面、上積みも結構あって、3人抜けた外国人の穴はルナやクラーク、カブレラがよく埋めていたし、森野が復活したし、平田もそこそこ良くやり高橋周平は大器の片りんを見せている。ピッチャーでも大野がよく投げた(ブランコは想定外だった…)。

来シーズン、興味があるのは、高橋周平と森野という、プレースタイルの似ている左打ちの内野手スラッガーをどう使うか。これはアライバを固定的なレギュラーとして考えるのではなく、3つのポジションをこの4人、そしてここに食い込んできそうなもう1人か2人としっかり競わせることに通じていく。そして、外野手も和田、平田、大島、藤井、堂上剛(個人的に彼を楽しみにしているのだけど)、野中あたりをどう使うか、そして、谷繁の後釜をいよいよ真面目に考える局面に来ているので、ここをどうするか。

ちょうど今年はCSもないし、まずはケガ人がしっかり治す。次の監督がだれなのかわからないけど、落合前監督なら、また「10%のレベルアップ」と言えるくらいのものは持っているのではないだろうか。巨人あたりの戦力の充実ぶりを見ていると、それでも足りない気がするので来シーズンまでは雌伏の時かと思ってはいるのだけど。

2013年10月4日金曜日

秋のカルチャー講座「現代アフリカの呪術」全2回in大阪(道祖神)



明日はこれに行ってみようと思う。講師の近藤英俊さんは我らが森本栄二師の最初の教え子。大学は違うけど、昔から勝手に兄弟子だと思っている方。なんだかんだ2年ぶりくらいかな…ご挨拶がてらお話を伺いにいく。

どこぞでほかの研究会があるとの情報も入っているけど、申請書類やらアブストラクト作りがあるので、負担の少ない方にて。

2013年10月3日木曜日

初めての非常勤を終えて

帰国後すぐに始まった愛知県立大学での集中講義。何度かゲストスピーカーとして非常勤講師の経験はあったが、半期15コマすべてを取り仕切るのは始めてのことで、現在採点作業の真っ最中。

4コマx3日+3コマx1日というしゃべる方にとっても聞く方にとっても大変なスケジュールだったのだけど、(もちろん途中でお休みになられる方もいたが…)基本的に教室は静かで、熱心な方にはしっかり聞いていただけた。何を伝えたいかの部分はずいぶん意識したので、それなりに自信はあったが、回収したレポートを呼んでいると、こちらが思っている何倍もいろんなことが伝わっていて、ずいぶん励まされる。

どんなことをしゃべったかは具体的に書かないけど、今まで一番影響を受けた大学生時代の先生の受け売りのようなことをずいぶん話した。そして、その言葉に反応してくれた学生も多かった。もう20年前に聞いてずいぶん感銘を受けた言い回しだけど、こういうことは時代を超えるのだな、と実感した。

少し準備不足のところもいくつもあって、聞き苦しいところもたくさんあったと思うのに、ありがたいことに、「おもしろかった」と感想を書いてくれる学生が多く、この気遣いには感銘を受けた。何か考えたり、知るきっかけになれば僕の仕事は上出来なわけで、あとは想像力の翼を伸ばして本を読んだり、いろんなところに行ったり、人に会ったりしてくれればいい。

少し贅沢をいわせてもらえば、「センセイ、飲みにつれてってよ」っていう学生がもっと(1名いた)いてもいいな、とか、感想で「お前の言っていることは間違っている」というのがあるといいと思った(実はこういう人がいたらいやだな…と内心ビビっていた)。

教育機能のない研究所に勤務していて、こうした機会が得られたのはとても貴重なことで、来年以降また機会があれば、ブラッシュアップして準備したい思っている。

2013年10月2日水曜日

西アフリカの伝統教育における「教師」論

こういうことは一人で温めておいた方がいいのだろうけど、どうせ大した話ではないので少し書いてしまおう。まだアイディア段階で、まとまった話にはならないので。でも、僕にわからないところでいいアイディアだと思ったらこっそり「こうしたら」と教えてください。

この月末、「アフリカ教育研究フォーラム」という学会で発表することになっているのだけど、前回の発表の時に調子に乗って「毎回発表します」とぶち上げてきたので、今回もやることになっている。これは全く後悔していなくて、前回もアイディアレベルをまとめて持っていったら、ものすごくよくまとまった、という経験がある。学会だから、完成度をあげて行かなければならないので本当にこんな意識で持って行ってしまうのは申し訳ないのだけど、大御所の先生と院生が主体で、いい雰囲気のゼミのように感じていて、叩いてもらうにはいい環境だと思っている。

前回は教育を行う組織であるクルアーン学校の社会的位置づけについて発表した。今回は、そこで教える「教師」のことを話そうと思う。「学校」という組織の主体が、生徒と教師によって成立するとすれば、その一つのアクターについてである。おそらく教育学だと、「教師論」のようなものがあるのだろうけど、今回はこれはぶっ飛ばそう(論破するという意味ではなく、やらないという意味)と思う。想像するに、西欧的な教師論とアフリカの「センセイ論」はずいぶん違う気がするし、比較することにはさほど意味はないだろうから、エスノグラフィックに描き出していこうというわけだ。そのため、方針としては、教師の人間、生い立ちなどパーソナルな面に焦点を当てていく方法をとろうと思っている。

何度かにわけて、イスラーム地域の教育を包括的に明らかにしていこう、というプロジェクト第2弾。「アフリカ子ども学」からスピンオフした「アフリカ教育学」、学校/教育の機能は間違いなく子どもたちの生活に大きな影響を与えているし、教育という場やそれが行われる空間には子どもに大人の理想やその社会の理念が反映されるはずで、間違いなく大きな関連性が見られるはずだ。その空間をフィーチャーするのが教師だとすれば、この一連の研究の肝のようになっていくのではないか。

メモ書き程度、自分の考えのまとめまで。

2013年10月1日火曜日

「国際人類学民族科学連合中間会議2012報告」, 2013, 飯嶋+清水+小泉+今中+亀井+國弘+鈴木+井本+山本, 『文化人類学』78-2, pp278-283

インドで行われたIUEAS/国際人類学民族科学連合の学会からそろそろ1年も経つ。何をやってもそう思うけど、時間が経つのが早くて、びっくりしてしまう。

学会終了後に亀井伸孝先生、飯島秀治先生の呼びかけで取り掛かった報告書が載りました。そういえば、学界アブストラクト100ページくらいを統計資料にまとめようとしたけど、思いのほか時間がかかってフィールド調査にも持って行ってやっていたな…としんどかったことはずいぶん昔のことのように感じてしまう。まあ、ともあれ、何とか『文化人類学』誌に載ったし、来年度日本で開かれるIUEASになにがしか資することができれば、少しは苦労した甲斐があるというもの。

レポートを書いていただいた先生方、とりまとめをしていただいた飯嶋先生、そして、一緒に発表して一部の方から「最善の分科会」と評価していただけるほど頑張った亀井先生、阿毛さん、今中さん、本当にお世話様でした。これで一つ片が付きましたね。

2013年9月30日月曜日

最初の一画

小学生のころ、師範の資格を持つ母の強い勧めで書道教室に通っていた。今やその跡形もないような癖字になってしまったけど、真面目に書けば多少みられる字は今でも書けると思っている。字を書くとき、最初の一画がうまく入るか入らないかで気分がずいぶんと違う。最初の一画がうまくいかないとその後リカバリーするのはなかなか難しい。

日々の生活もこれに似たようなことがあるように思う。朝一、Officeに着いて、PCの電源を入れたり、ルーティン化した作業をして、仕事の最初の一画を…これが手に着かなかったりすると、午前中は旨くいかない。でもそれでは困るので、Todoリストを作ってみたり(前の晩にやっとけ…)、こうやってブログを書いてみたりする。ブログの更新が割と朝一が多いのはそれが理由なのだ。

とにもかくにも、大きな仕事(出張と論文を投稿することと集中講義)が終わり、一瞬ホッとしているのだけど、週末の打ち合わせの結果、かなりやることがあって、カレンダーがずいぶん埋まった。今度はどこから手を付けていいかわからなかったりして…まあ、忙しいことはいいことなので、一個ずつやるか…

2013年9月25日水曜日

恐れ入りました。

集中講義初日終了。1日4コマというしゃべる方も聞く方も大変なスケジュールで、さらに初日ということもあり、ドタバタな一日だった。

9時から17時まで、8時間しゃべり倒し、コピーに走り、久しぶりにちゃんとした労働をしたような感覚を覚えたけど、よく考えたら、小中高の先生たちはみんなこれくらいの仕事を毎日やっていると思うと、「疲れた…」とは言っていられない。まだ明後日のものが不完全なので、この数時間で何とか形にしたけど、これで1週間もつかな…とか。いかに普段楽ちんな仕事をしているか…反省です。

ブログというよりツイートにすればよかった…

2013年9月23日月曜日

準備万端?

昔からスロースターターで、いつも始めるのが遅い。始めるまでに気分を盛り上げて、「えいっ!」というのがいつも必要で、古いアメ車のようなやつなのだ。

でも昨日は割とエンジンの調子が良かったというか、長持ちして、夜半まで作業をして、だいぶ作業を終わらせ、今日も午前中は職場で頑張って作業を続行してまた少し終わったのだけど、結局移動して名古屋に来て続きをやることにした。

それでもう10時か…まだ旅の疲れが残っているらしく(もう1週間になろうとしているのに…)、先ほど少し寝てようやくスタンバイ完了。やっぱりまた夜中までかな…いやはや。この習性、治らんものかな。

2013年9月22日日曜日

明日から名古屋出張です。

出張の用件は集中講義なのだけど、実は15コマやるのは初めてのこと。非常勤講師というのは昔は博士課程の大学院生か大先生がやるものだったけど、最近は、ポスドクがやるケースが多く、大方そのリクアイアメントに「教育経験があること」などとされていることが多い。

院生時代にいただけたのは、1コマだけとかだけだったので、いい年をこいて初めて教壇に立つようなことになってしまった。ここ数日間はこの準備に追われているのだけど、これは院生時代にやっておくべきものだな、と実感した。遅きに失するというわけではないけど、もっと早く経験したかった。準備段階でそれだけ勉強になっているし、きっと実際に講義をするともっと勉強になるだろう。

別に研究の才能がないから、というわけではないけど、研究室にこもるよりも、教壇に立ちたいという願望はずいぶん前から明確にあった。そういう意味では、願望が叶うことになったのだけど、教壇で得たものとフィールドや本から得たものがうまく融合していくようになるとよいな、と少し考え方が変わった。

こんな機会を与えてくれた愛知県立大学には感謝したいし、ひよっこの僕の講義を耐えて聞かなければならない学生のみなさんには持てる力をすべて出し切ることをお約束したい。

不安と楽しみと、入り混じった気分でいます。

2013年9月20日金曜日

「徳」は世界を超えて。

【書きかけだった調査メモ。停電で仕上げきれていなかったので思い出しながら…】

クルアーン学校の調査をしているので、普段から「宗教者」にはよく接している。優秀な調査助手のおかげか、今のところ、あまりに世俗的な「宗教者」に会ったのは、1度か2度。そのほかすべての宗教者は謝礼をするにしても、顔色一つ変えず、貴重な寄進に感謝します、ととりあえずは言ってもらえる。

この日最後にお会いした方は、年の頃60歳くらいだろうか。非常に物静かな雰囲気のマラブーだった。この方、本当に珍しくきれいなフランス語を話す。ただ、儀礼的に通訳を通してだったが、大方、自分で聞き取りを行った。

その柔らかな語り口、タリベへの愛情を語るときの慈愛、「育つ」という普遍的な人間(生物)の営みの語り。演説調には決してならず、言葉が多すぎず、必要なことは話す、そんな印象を受けた。

ある程度聞き取りが終わったところで、ザカリア(調査助手の一人)がいう。「今日、あなたに会えたことがとても幸せです。もしかすると私はあなたに会うために生きてきたのかもしれません」と。カリスマ、というやつだろうか。僕も聞きほれてしまっていた。

Grand Marabous(大マラブー)と呼ばれる人はかれこれ数十人に会ってきたけど、こんなマラブーは珍しくて、僕自身、とても興味を持った。たった1時間くらいの聞き取りだったけど、この方の「徳」は文化を超えて、僕のような日本人にまで届いた。

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帰国しました。時差ボケのため、妙な時間に起きて調査の反省です。

帰国しました。帰りの飛行機は両方とも満席で寝られたのかねられなかったのかわからないほどだったけど、イスタンブールで少し贅沢してホテルを取って仕事ができたので、明日は少し緩めに行けそう…とも言っていられず、非常勤の準備が大幅に遅れているので、明日も通常通りに仕事します。



まずは、セネガル前半。メインは「アフリカ子ども学」のワークショップin Dakar。ISMというセネガルのビジネススクール、協力隊のみなさん、そして、昨年のインドで開催された学会以来短期間で3度目となるセッションを組んだ亀井先生、阿毛香絵さん、そして亀井門下のお二人とともに、まずまず面白い企画ができた。自分の発表は時間が取りきれず、英語になってしまったのが反省点。せっかくみなさん頑張って準備されていたのに…でも、こうしてアフリカの研究をアフリカでシェアできたのは大きな収穫。来年、再来年と何度もやって行くことになるとよいと思った。

そして、サンルイ、トゥーバなどを廻り、8月最後の日はゴレ島に。2度目の訪問だったけど、道はほとんど覚えておらず、亀井門下のお二人とグルグルと島を散策。しかし暑かった…


9月2日から7日まではブルキナ滞在。朝から夕方まで仕事漬け。今更どこが見たい、と言うのはないし、今回は1週間にも満たない滞在で「これをやる」しかなかったので、まあ、こんなものか。やった仕事は、来年1月に予定している統計調査の打ち合わせ、バム県の市場調査の打ち合わせと次回以降の予定の周知、後は1日だけだったけど、コーラン学校への聞き取り。調査協力者にずいぶん助けてもらって、なんとか最低限は達成。統計調査の方は僕の連絡不足もあり、実働をお願いするNGOの担当者と会えなかったのが一番の痛手。でも責任者をお願いする人にはちゃんと何度もコンタクトをしたので、何とかなるかな、と思っている。そして、コーラン学校の調査がいまいちデータが集まらない。まだ1週間程度だけど、15校くらいか。次回も少し頑張ってやらねばならんところ。


そして、9月7日にダカールに戻り、上司の到着を待つ。ここまでで原稿の締め切りが2個、あとは2年ほど寝かしてしまった原稿1本を投稿。2本の締め切り原稿は落とされることはないと思うけど、最後のやつがやっぱり日本で仕上げて行けばよかった、と後悔しながら過ごす。7日からのダカールでは、上司の到着までの下準備。多少の資料収集と訪問先のアレンジ、宿泊先やら車の手配などをする。最初に泊まったViaViaというホテル。スタッフはとてもフレンドリーで楽しい滞在だったが、(おそらく)この間降り続いた雨のため、湿気が非常に多く、そのために南京虫が発生。数日間痒さにくるしんだ。


12日夜にボス到着。今回は出来るだけアポを少なく、ボスも初滞在となるセネガルを広域に見る、という目的の初期調査にあたるもの。僕の個人的興味としては、「アンドロポゴン」という草があるかどうか。これが今後のセネガルでの調査を意味づけるものだった。翌13日にはダカールを出発、カオラックでJICAのプロジェクトを見学(13日、14日)、その後、トゥーバを経由してサンルイへ(15日)。サンルイではガストン・バーガー大学を訪問(16日)、その後、セネガル川沿いの国道3号線を100㎞ほど東征した(16日)。調査最終日となる17日はダカールへの道すがら、ルーガという街からさらに東に50㎞ほど東征した。

結果的に初めて行くところでは発見も多く、セネガルの北半分の東半分についてはなんとなしに雰囲気がつかめたと思う。ボスもご満足いただけたのではないか、と思う。僕の関心事であった、「アンドロポゴン」についても調査の想像はついてきた。「ここでやりたい」と思う街も一つ、二つあり、2015年以降に向けて少しずつ詰めていきたいと思う。

全体的には、データが集まった、という調査ではなく、可能性を作りに行った(そして、宿題を騒音の少ないところで仕上げに行った…)という調査だった。色々な事件、事故が起こりやすい西アフリカ。こういう調査を少しずつやっておくことで、リスクヘッジをすることは大切なこと、でも実は、それだけでなくて、こういう調査をやることで、西アフリカという「地域」として理解が進むという利点もある。その意味でも非常に有意義な1か月間だった。

次回は年明け1月。それまで論文書きと調査の準備に明け暮れようかと思う。

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2013年9月7日土曜日

ネイションを感じるとき

僕ら人類学徒はネイションとかネイションステイツという言葉に敏感であるはずだ。間違いなく、例えば開発途上「国」と言ったときに、この概念が発動されるし、この概念がこれらの国/地域に住む人たちの生活を脅かしてきたと考えるからだ。

しかし、おそらく身体化されたネイションはふとした時に自らに最も近しいものとして感じられることがある。

本日の調査にて…

相変わらずクルアーン学校の巡検を続けているのだけど、調査助手のお宅で食事をとっていた時のこと、一人の男性が入ってきて、彼に何かを伝える。聞けば、以前調査に行ったマラブーが呼んでいるとのこと。食事をしたのち、そのマラブーは僕に見てほしいものがあると言って、書類の束を渡す。その書類は大使館の「草の根無償援助」の申請書だった。

このマラブーはフランコ・アラブという私立のイスラーム教育とフランス語教育を行う学校の校長先生で、地域のイマーム(礼拝を先導する人)でもあり、さらに孤児院の経営まで手掛けている人で、孤児院の方で書類を書きたいという。まだ施設は見たことがないのだけど、日本の援助資金は非常にとりにくい。実際、僕自身一度かかわったことがあるけど、その書類の多さは尋常ではない。おそらく、かなり難しいだろうと思う。

難しさについては少し説明して、でも何度も出さないとダメですよ、絶対あきらめないで、ということは伝えてみる。少し僕に対する期待は感じたけど、さすがにそこまで抱え込めないので、申し訳ないけどエールを送るだけにした。

別れ際、いつものごとく、長い演説調でいろいろなことを言われるのだけど、今回、「草の根」に応募しようと思ったのは、あなたがここに訪れてくれたからだ、と。お世辞でも嬉しいことを言ってくれる。でもきっと初めて訪れた日本人の僕のことは、きっとその時に本当に思い出したことだろう。僕はその嬉しさを感じた時、これがネイションの感覚なのだ、と実感した。そして、ここの所世界に迷惑をかけている日本というネイションを背負った人間として、何かしたいと、ものすごく青臭い気分になった。今更でちょっと恥ずかしいけど。

ナショナリズムに没入することで排他的になること、たとえば、最近の「ネトウヨ」なんかの気分はよくわからないけど、こんな少し元気になるようなナショナルなら歓迎だ。そもそもどこにも属さない人間などいないのだし。

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2013年9月6日金曜日

ほんの少し肩の荷がおりた(出してやった)

文章を書くのは実に苦手な作業だ。こうしてブログを書くのは即興でいろんなことを書くための訓練だと思ってやっている。テーマは自由気ままにやっているからそれなりに楽しいけど、時々義務のように感じて苦痛を伴いながらの作業だ(じゃあ書くな、ということはわかってます)。

という発言から始めることにする。

実はこの1週間で2本文章を手放した。内容やデータはほぼ同じで、同時進行でやっていたので、どっちに何を書いたやらよく覚えていない。あんまりいいことは言えてない気がするし、最近自分の文章をもんでくれる人が少なくなってるから、自信というのもない。自分の目でとりあえずお見せしてもいいだろう、というところまではやっているつもりだけど、締め切りがある作業なので、あと1冊、あと一回、というのができずに出す羽目になる。でも、もう一つ出せていない大きな仕事があって、これなどもうすぐ2年になってしまう。あの本を読んで…とか、こことここをひっくり返して…なんてやっていてどうしようもなくなっている。やっと締切仕事が終わったので、これもいい加減ここ何日中に出す予定だけど、やっぱり自信がない。

しかし、出さねば先に進まないので、出す。しぶしぶだけど。何にホッとするかといえば、仕事が終わったことというよりも、先に進めるかもしれない、という微かな希望があることになのだと思う。これから査読もあるし、その直しもある。それぞれ何とか載せてくれるといいけど…これも出さねば思えないこと。肩の荷の重さは変わっていないけど、荷物の薄皮分くらいは軽くなったのかもしれない。

このオーダーが見たかった。

今年のドラゴンズは弱い。ネット上ではもはやすでに飽きられるほど監督批判が繰り広げられたが、僕は何度も言うように、今年のドラゴンズの弱さは落合監督時代の負の遺産が噴出した結果だと思っている。

勤続疲労を起こしたであろう、浅尾と吉見。野手でも落合野球の申し子と言われたアライバもケガでスタメン出場がかなり減っている(2軍?)。中継ぎでも、個人的に岩瀬のあとを継ぐのではないかと思っていたようやく高橋が出てきたけど、ソトやらを在浜球団にとられ、2年前までの主力選手がずいぶん少ない中で戦っている。防御率なんて3点台後半で、当時から1.5点くらい下がっているから、勝てるわけもない。

でも人は年を取るし、世代交代が必ずしもうまく行くわけでもない。落合野球があまりにスタメンを固定しすぎたツケが来ているのだ。

無責任なファンとしては、世代交代をしながら勝ってくれると一番いいのだけど、そんなわがままは言いますまい。落合の「勝つことが最大のファンサービス」と豪語していたが、特にコアのファンは球団のストーリーにも思い入れを示す。固定されたメンバーで長くやると、ついついその球団の将来が心配になる。会社や組織でもそうなように、新たな力の息吹は常に感じていたいものなのだ。

たとえば、今日のオーダーは2番に堂上(弟)、7番に高橋周平のドラフト1位コンビ(しかも、近年もっとも期待された)が名を連ね、最近ではもうおっさんだけど藤井が大島の代わりに出たり、やはりドラフト1位で期待されて背番号「3」を継承した吉川あたりが入ってくるようになった。つい昨年まで投手王国と呼ばれた球団だけど、大野が出てきてくれたりすると、彼についつい期待したくなる。結果がダメでも、懸命に投げて打ち、走っている彼らなら許されるのだ。

本当はもっと戦略的にこういうシチュエーションを作ってほしかったが、結果的にそうなったので、個人的には今年はこのままこの路線で行ってくれれば満足。おそらく上に挙げた若手の何人かは今までのレギュラーを脅かす存在になってくれるだろうから。

2013年9月5日木曜日

道尾秀介『月と蟹』文春文庫(2013年)


今は読んではいけない、と思うと手が伸びてしまう小説。調査の際の精神衛生管理のために鞄に入れておく小説は大概そんな葛藤を生み出す。

道尾秀介の小説は以前から何冊か読んでいて、ミステリーというか、少しオカルトチックなイメージがあった。結局本屋で気になった本が見つからず、関空の本屋で直感で買った。直木賞を受賞しているということで、面白くなくないわけはないだろう…と思って。

アフリカ子ども学、などとここのところ自分の研究を標榜しているけど、子どもを描くのは実に難しい。僕ら大人は必ず子ども時代を通ってきているはずなのに、その時の感情や考え方をもう一度しろ、と言われてもまずできない。忘れてしまうのか、経験の中に埋もれてしまうのか、はたまた別の理由なのかはよくわからないけど。

この本は慎二という少年を主人公を中心に進められていくのだけど、子どもを中心に親の再婚、暴力、子ども同士の友情や甘酸っぱい初恋、嫉妬や苦悩が描かれていく。解説にも「生のあやうさ」という言葉が出てくるけど、まさにそんなところを描きたかったのではないだろうか。

その中でも、ヤドカリを焼く、そこに願をかけるとそれが叶う、というストーリー設定。少しグロテスクで、子どもに特有の残酷さが如実に現れる行為は呪術的だけど、結局それは呪術的でなくて、春也の複雑な感情の蟠りから生まれ来る「行為」だった。そしてそれをわかってしまう慎二は少し大人びすぎだけど、その結果…

いずれにしても、次第に雁字搦めになる少年たちが子どもであることの苦しさは、この作品では「父」という存在に求められそうだ。慎二の父はがんで早世、惜しまれながらなくなり、慎二の父の父、つまり祖父の昭三は、慎二が心を寄せる鳴海の母を事故で亡くした時に同じ船に乗っていた船乗り、男やもめの鳴海の父は慎二の母に思いを寄せ、春也の父は暴力癖がある。親を偲び、親を愛し、親に殺意を抱く…こんな風に立体的に子どもの感情を描き出したこの作品は秀逸だろう。次作も期待したい。

2013年9月4日水曜日

ダカールアウトワガドゥグイン

一昨日は朝4時起きで荷造りをして8時発の便でワガドゥグにお昼すぎに到着。

昼間の便ということで、景色を楽しみにしていたが雲がかかっていてまったく下界は見えず…どれだけ切り崩しても終わらない仕事をしたり本を読んだり、うとうとしたり。

今回は最短の滞在で、5日間。すでに3日目。初日から打ち合わせばっかりで、なんかすかされた、将来を甘く考えているような気がするフワフワした感じで生活している。しかも、書類や論文の締め切り、その他もろもろがあって空いた時間に打ち合わせをしているという、本末転倒な情況下にある。

う~ん、早くこの状況を打破しなくては…週末からのセネガルではボスと一緒にたっぷり堪能したいし。

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2013年8月27日火曜日

ダカール到着


この写真、どこの写真かわかりますか?決してお盆明けのどこかの高速ではなくて、なんとダカール。今や日本の料金所は大概ETCになってるから、人がおカネを回収する風景も少なくなったけど
、セネガルにもこんな風景が見られる。

さて、一昨日、最後までいろいろとゴタゴタしたものの、無事にダカールに到着。昨日さっそくモーリタニア国境にほど近い、Saint Louis(「サンルイ」と読む)に移動。上の高速の料金所の写真はこの途中。ダカールでいろいろ用事を済ませながら出てきたので、約6時間かけてサンルイに入った。2008年にセネガルを訪れた時にも、この街に滞在したが、セネガル川の河口に作られた、コロニアルな街並みと漁村としての活気、あとはとにかく魚がうまい、というのが印象的。まだある。アフリカ大陸最西端のこの街のセネガル川を渡ると中洲があり、ここがオールドタウン、さらにわたると、一番狭いところで200mほどの砂州があって、そこからの夕日はそれはそれは美しい。
到着、即移動、ということで、今日から調査に入りたいと思う。というか、締切があってそうもいかなそうだけど…やっぱりいろいろ持ち込むのはいかん…

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2013年8月23日金曜日

いざ、セネガルへ。



と、それほど勇ましく言い放てるような状況ではなくて、いつも以上に仕事がやり残っていて、あと1日くらいでどこまで終わるか、ということを考えたり、さほど能率の上がらない機内や現地に宿題を持ち込まなければならないな…と思ったり…いやいや…いきなり愚痴から始まってしまった。

明日からセネガル-ブルキナ-セネガルというまたややこしい旅程にて調査+ワークショップに出発します。すでに気になることがあって、そのことを少し書いておこうと思う。

まずはヴィザのこと。

セネガルはサハラ以南アフリカ唯一のヴィザなし渡航が可能な国でした。2013年7月よりヴィザが必要になった。ヴィザの申請は、このURLから事前申請をする。

www.visasenegal.sn   

その後、申請受け付けのメールがすぐに来て、そのあと確認のメールがくる、「はず」。このメールを持ってダカールの空港でヴィザをもらう、という段取りらしい。今回はこの確認メールが来ない。催促してもなしのつぶて。なれないとはいえ、余計なことをしてくれたもんだ。

また行ってから書こうと思うけど、物価が非常に高くなっているという話をよく聞く。屋台で200円(1,000Fcfa)とか。ワガドゥグの倍以上。本当だろうか?

あとは野となれ山となれ。徳俵に足がかかったまま2,3週間を過ごして、ワガドゥグでちょっと仕事をこなしてセネガルに戻ってボスを迎えます。

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2013年8月22日木曜日

小馬徹「アフリカの教育」日野瞬也(編)『アフリカの21世紀 第2巻 アフリカの文化と社会』勁草書房(1992年)

半年くらい前に読んだ(たぶん2度目)この論文。もう20年も前の論文だけど、その切れ味にいたく感動した。そして、先日のアフリカ学会の懇親会から駅への道で小馬(こんま)先生をお見かけして、お声掛けして、そのことをお伝えした。「あーそんなの書いたっけな…でも、少しでもお役にたてたならうれしいです」と飄々とおっしゃる。お名前もお顔も存じていたが、直接お話しするのは初めてで久しぶりに緊張したけど、これからいろいろと学ばせていただこうと思う。

今書いている文章にも大いに参考になるので改めてこの論文を読ませていただいた。備忘録的にまとめておくことにする。



小馬先生の担当された章は、アフリカの教育を考える視点というところから始まる。そこで2つの問題を議論する。地理上のアフリカに統一的な「アフリカ性」を容易に見出しがたい、ということで、もう一つは教育の定義づけのむずかしさである。植民地時代から60年代のアフリカ諸国の独立の折の旧宗主国の政治的影響を抱えながら自主独立を達成しなければならなかった自己矛盾、これが、西欧型の教育を採用したアフリカの教育の諸問題に通底すると論ずる。

次に、アフリカの伝統教育についての論が続く。まず、教育の定義を「個人が、他人との相互行為を通じて、自分の属する集団または社会に適合的な理想や行為のパターンを内面化する過程、すなわち社会科(socialization)過程と規定する」(小馬1992:162)。このように広く定義していくと、教育を非定型的教育(informal education)と定型教育(formal education)に二分して考えると、アフリカの伝統教育は「独自の学校制度のネットワークをもっていたイスラム圏と、それ以外の地域とに大別するのが常識的な分類とされている」(小馬1992:163)。僕に大事なイスラーム教育の部分だけまとめると、イスラーム教育がアフリカの伝統教育として考えられるが、イスラーム原理が民族宗教とが統合される中で、イスラームの学校教育が民族社会の父権的な伝統や中心価値に不可分に統合される。また、イスラーム教師がその社会の宗教的政治的な権威をもつようになることを考えると、「イスラム圏アフリカの伝統的な学校教育は、個人を各民族固有の文化や価値から解き放って、「国民国家」という新たな価値へ統合する目的をもつ今日のアフリカの公教育とは、知識の質や個人と社会の関係について、対照的な性格をもつものだといえる」(小馬1992:167)とする。

そして、その次には現代のアフリカの教育についておもに歴史的観点から論ぜられる。ここは簡単に。植民地以前にはキリスト教宣教とともに、アフリカの人びとをアフリカ的なものから引き離すことが目指され、1930年代になってようやく植民地政府が教育に力を入れ始める。そして60年代にアフリカ諸国が独立し始めると、植民地時代からの旧宗主国の正負の遺産(国境/民族の問題などをp含めて)を引き継ぎながら、「国民」としての教育を進めていくという矛盾にさいなまれる。さらに、急速な教育の量的拡大の中で、教員の質の低下(現在までよく言われる)や科学教育の採用が伝統的な「非科学的」思考/権威の否定的価値観を導き、言語(公用語)の問題を引き起こす。これについての事例(ケニア)が3つあげられる。

最後に、こうした困難な教育環境を抱えるアフリカ大陸は、若い大陸で、小馬先生がこの論文を書かれてから20年が経った現在でも、その爆発的な人口増加には歯止めがかかっていない。増え続ける「若年層を教育するために、社会は一体如何にしてそれに充当する資源を割き与えればよいのか」(小馬1992:185)と警鐘を鳴らす。

とまあこんな感じ。こういう論文は同じような興味を持つ人と共有したいな…

2013年8月21日水曜日

そうだ。小説を選びに行こう。

忙しくてもできるだけ小説は読もう。ずいぶん前にそう決めたけど、ここの所あまり読めていない。

忙しいのだ。

今週末はセネガルに向けて出発、来週締切の原稿が2つ、非常勤の準備もある。小説を一日のうちでいつ読むかは忙しさのバロメーターみたいなもんで、それはもしかすると生活の乾き具合にも比例していく。日中に読むという暴挙ができる時は割と生活にゆとりがあるとき、寝る前にしか読めないのは勝手にそうしているときか、それなりに忙しいとき。小説を読みながら寝落ちるのがちょうどいい生活なんだと思う。そして、今は、というとまったく手に着かない。こんな時は仕事の効率も良くない。

でも、調査に出ているときは24時間自分の時間がアンダーコントロールにあるので、比較的いろんな本が読める。できるだけ読み止しの本は持っていかないようにして、たっぷり時間を使って読書もする。前回も1か月で8冊、学術書も3冊ほどあったから、まあまあいいペースで読めた。今回もっていく本も今朝あたりから選んでいる。

でもそういえば小説がなかった。たぶんあんまりいい状態じゃないんだろうな…近日中に何か新しいのを買いに行こうかと思う。

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2013年8月20日火曜日

『「ゆるく生きたい」若者たち 彼らはなぜ本気になれないのか?』榎本博明+立花薫著 廣済堂新書 (2013年)

なんとなくアマゾンで注文した本。

心理学者の師弟で書かれた感じでしょうか。いまどき女性(立花さん?)の年齢を気にするのは野暮だけど、少々抹香くさい感じを受けてしまった。おっちゃん+おばちゃんの「いまどきの若い者は…」的な、それを正当化する理屈を与えてくれる、おっちゃんの僕としてはありがたい一冊(たっぷり皮肉「も」こめて)。しかし、皮肉抜きで、心理学者から見た現代若者論としてはとても勉強になった。

色々書きかけては、書ききれないのだけど、ハウツー本なんぞ読まんでよろしい、そんなところに人生の答えなんか書いてない、とか、若者にどうこう言うのと同時に大人のみなさんももっと頑張れ、と言ってるところとか、まあ、どうぞ読んでみてください、という本ということで紹介しておきます。別に新しくもないし、刺激的でもないけど、そういうおっちゃん+おばちゃんが考えそうなことを心理学的に理論武装してくれそうです。

2013年8月19日月曜日

夏休みいただきました(尾道)

福岡を後にして尾道に向かう。本当はのんびり鈍行の旅…の予定だったがあまりに時間がなかったので広島までは新幹線、広島は「みっちゃん」でお好み焼きを頂き、一路尾道へ。

いつもの通り、村上さんのところにお世話になる。そいでまたいつもの通り、「とこぶし」にて宴会。その翌日はこんな風景に出会う。


来島海峡まで飛ばしてもらう。海はべたなぎ。暑い太陽が照り続けたけど、とても気持ちのいい海。この時ばかりは仕事のことはすっかり忘れた。


そして夕方。向島のてっぺんに上り、絶景を楽しむ。その夜は地元の人が並ぶ串カツ屋さんへ(取材お断りの頑固おやじの店らしい)。とても楽しい滞在。


最終日は浄土寺の祭事に参加して、ちょうどやっていた小津安二郎展に足を運び、京都へ。遊び疲れた子供のように、電車の揺れに体を任せると強烈な睡魔が襲う。会いたかった方に会い、力を貰ったはず。少し頑張れそうな気がする、いいことがありそうな予感のする休み。たまにはこうやって休みをとるのもいいもんだ。

夏休みとりました(九州)

先週一杯夏休みを取りました。休んでいる場合じゃないんだけど…でも、行った先々で大層なおもてなしをいただき、何年振りかで夏休みらしい夏休みになりました。遊び疲れるくらい遊んでしまった…

ルートは福岡にあるjunkoの実家に行き、復路に広島、尾道を廻って昨日帰京。

ちっとくらい写真があるので、写真を出しつつ。

福岡のjunkoの実家に着いたのが夕方で、その翌日は熊本へ。今年の年始に行ききれなかったのでリベンジということで。熊本も暑い一日で、熊本城も暑かった。しかし、おそらくは満足度の一番高い天守閣で、なかなか勇壮ないいお城だと。そして、本丸御殿もしっかり修繕してあって、もっとゆっくり回ってみたいな、と思った。


この辺は名古屋の人が見たらニヤリとするところ。

お城のあとは阿蘇へ。正月は雪のために通行止めになっていて、大観峰までだったので、今回は火口を見に行こう、ということで、一番上まで上った。




しかし天候が悪く、駐車場に車を入れてすぐに雷雨。しかも…



火山ガスが出ているということで、火口までは行けず…しかも、頂上に続く道も雷が危ない、ということで通行止めに。またお預けを喰らった。


それにしても阿蘇は雄大で、ぜひまた来てみたいと思った。

そのあとは写真がないけど、翌日はわがままを言って義理の父と甥っ子、junkoと新宮まで魚釣り。何から何まで申し訳なかったです。でも普段砂漠の方のことばっかりやってると、海が恋しくて…久しぶりの潮風、しばし暑さを忘れて過ごさせてもらいました。

そして九州はご飯がおいしい…夏のモツ鍋もなかなか!今度は福岡市内にも繰り出したいもんです。

2013年8月12日月曜日

Bob Marleyを知らない?

朝、職場に着いて、汗を拭き、コーヒーを入れてYou Tubeで選曲する。一日の僕のルーティンだ。

最近誰が歌っているとか、あまり気にならなくなった。そこに意識が行くと仕事の手が止まってしまうからだ。なので、割とスムーズなジャンル、曲が多くて、自然とBossaとかピアノjazzなんかが増える。

今朝も“Bossa n' Marley”というトラックを聞いているのだけど、これを見てふと思い出した。

先日呼んでいただいた都内の某大学で、僕の研究遍歴を少し話したのだけど、ちょっと若ぶろうと思って、音楽の話をしてみた。ラスタの話やらレゲエの話だったのだけど、ラスタがラスタファリアンという宗教社会運動に発端があって…とかいうのはともかくも。

「Bobはさすがに知ってるだろうと思って、Bob Marleyっているでしょ?彼らみたいなお兄さんたちのことを調べてました」

って言ってもポカーン…あれ?知らない?

話を聞くと、最近は「レコード屋(この言い方が伝わらない)」にもいかないのだそうだ。その大学、渋谷も新宿も近いのに、繁華街すら足を運ばないらしい。呼んでいただいた方によれば、音楽ソフトは基本的にダウンロード、そして、最近の学生はおカネがなくて「レコード屋」で物色するということもないのだそうな。

ものすごいジェネレーションギャップを感じた出来事だったのだけど…それでもBob Marleyくらいは知ってて欲しかったな…

はっ!もしかしてBeatlesとかも知らんのかな…

2013年8月11日日曜日

『終戦のエンペラー』(ちょっとネタバレ)


8月は戦争や平和について考える機会が多い。映画もこの前見た『風立ちぬ』もそうだし、今日見た『終戦のエンペラー』もその一つ。

個人的にはハリウッドがこの作品を作れた、と言うだけで評価するし、『風立ちぬ』よりもテーマが面白かった。配役も僕好みでなかなか見応えがあった。

戦いの果てにわかり合えるのか」という副題があるけど、これはあんまりどうでもよかったけど、たぶん当時のアメリカにしたら、日本は理解不可能な、「オリエンタル」の象徴だったのだろう。作中、何度も天皇が戦犯でない「証拠」という言葉が使われるのだけど、悉くそれはなくなっている。そして、官僚や側近の決死の証言は、天皇の戦争責任を回避するに至らない。状況証拠的に、日本人の心性がこの間を埋めていく、というシナリオなのだけど、「タテマエとホンネ」とか、割と僕らには聞き覚えのある分析がなされていく。もちろん『菊と刀』なんかを思い出すのだけど。

最終的に「わかり合える」のではなくて、アメリカが日本をいかに理解して、平和的な統治が始まったか、という、ハリウッド的に言えば日本はいまだにアメリカの植民地、という超政治的なメッセージ?と取れないこともないけど、これは十分に面白かった。

しかし、血なまぐさい戦争を恋愛劇で中和しようというプロット、『風立ちぬ』もそうだったけど、やっぱりこうなっちゃうのかな?違うのも見てみたいもんですが。

2013年8月9日金曜日

日常の回復

調査から帰り、国内出張で東京に出て、帰ってきてオープンハウス。そして、愛知県立大学をお迎えして、ようやく日常の研究に戻った。

辞書を片手にじっくり文献に向かい合い、メモを取り、少しずつ論文を書く、というプロセスがずいぶん久しぶり。そんなんではいかんけど。少し詰め込みすぎた感は否めないけど、いくつかのフロンティアワークに、教育のトレーニング、「お勉強」以外のところでずいぶん成果もあったと思う。

そんなわけで、一通りのイベントが終わった。まだ報告書が残っていたりするけど、ここから次の調査の準備をしながら論文書き。遅々として終わらない学会誌投稿論文を仕上げて、今月末締切の原稿を書く。あとはセネガルでのワークショップの資料作りか。

ようやく訪れた日常の中で、少し潤いを回復させながら、闘い、楽しみたいところだ。

2013年8月5日月曜日

第7回「西アフリカのイスラーム」研究会

7月31日に第7回「西アフリカのイスラーム」研究会を実施した。

昨年から理系の多い今の職場でバリバリに人文学系の研究会を続けている。寛大なボスのおかげで、「みんなにわかるように」ということだけを考えて若手の西アフリカ研究者を集めて、しかもセミクローズドに開催できている。オーガナイザー本人はともあれ、きっと次世代の西アフリカ研究の中核を担う若手研究者が集まり、喧々諤々やっている。これまでの経過はこんな感じ。

開催日発表者所属タイトル備考
12012年8月13日清水貴夫総合地球環境学研究所はじめに 「西アフリカ・イスラーム研究会」の「砂漠化をめぐる風と人と土プロにおける位置づけキックオフ、西アフリカ史研究の手法と限界、可能性について
中尾世治南山大学大学院人間文化研究科人類学専攻西アフリカ中世史
22012年9月10日清水貴夫総合地球環境学研究所モシ王とイスラーム:西アフリカにおけるもうひとつのイスラームのあり方政治権力とイスラームの関係性を民族誌的に分析した
伊東未来大阪大学大学院人間科学研究科都市ジェンネのイスラーム
今中亮介京都大学大学院アジア・アフリカ・地域研究研究科マリ帝国とイスラーム
32012年10月5日清水貴夫総合地球環境学研究所タリベとコーラン学校のモビリティ:ブルキナファソの事例からイスラームの重要な社会的機能である教育機関と教育者についての解説
伊東未来大阪大学大学院人間科学研究科隣人としてのマラブー:マリ共和国のアルファを事例に
42012年12月20日溝口大助九州大学人間環境学府 研究員マリ共和国南部カディオロ県におけるセヌフォ社会の集団性と死西アフリカの湿潤地における「社会的紐帯の再組織化」を家族論、呪術論から解説
52013年3月1日   2012年度のまとめと2013年度の打ち合わせ
62013年5月29日阿毛香絵フランス社会科学高等学院「セネガルにおける若者とイスラーム ~教育、政治活動、宗教実践の現場から~」セネガルのダーラ(イスラーム教育機関)から見る宗教実践、教育制度を紹介した。
72013年7月31日佐久間寛東京外国語大学 ジュニアフェロー「この土地は誰のものですか‐ニジェール共和国西部ソンガイ系社会をめぐる/からの問い-」ニジェール共和国ソンガイ系(ザルマ)社会の土地制度をめぐる「所有」の問題を分析


今回は佐久間寛さんにスピーカーをお願いしてソンガイ系社会の土地制度についてお話をお願いした。割と簡単に使ってしまう「所有」という権利。これが近代的社会における特有のものであることは先達により指摘されていること。しかし、土地を使う権利と処分する権利の間に断絶があり、「所有」(≒相続できる権利)と貸借関係の弾力がありつつ「情動」により「所有」が保たれているという説明。非常に複雑だが、近代的所有概念とは相いれない哲学的課題だと言えるだろう。