小馬徹「アフリカの教育」日野瞬也(編)『アフリカの21世紀 第2巻 アフリカの文化と社会』勁草書房(1992年)

半年くらい前に読んだ(たぶん2度目)この論文。もう20年も前の論文だけど、その切れ味にいたく感動した。そして、先日のアフリカ学会の懇親会から駅への道で小馬(こんま)先生をお見かけして、お声掛けして、そのことをお伝えした。「あーそんなの書いたっけな…でも、少しでもお役にたてたならうれしいです」と飄々とおっしゃる。お名前もお顔も存じていたが、直接お話しするのは初めてで久しぶりに緊張したけど、これからいろいろと学ばせていただこうと思う。

今書いている文章にも大いに参考になるので改めてこの論文を読ませていただいた。備忘録的にまとめておくことにする。



小馬先生の担当された章は、アフリカの教育を考える視点というところから始まる。そこで2つの問題を議論する。地理上のアフリカに統一的な「アフリカ性」を容易に見出しがたい、ということで、もう一つは教育の定義づけのむずかしさである。植民地時代から60年代のアフリカ諸国の独立の折の旧宗主国の政治的影響を抱えながら自主独立を達成しなければならなかった自己矛盾、これが、西欧型の教育を採用したアフリカの教育の諸問題に通底すると論ずる。

次に、アフリカの伝統教育についての論が続く。まず、教育の定義を「個人が、他人との相互行為を通じて、自分の属する集団または社会に適合的な理想や行為のパターンを内面化する過程、すなわち社会科(socialization)過程と規定する」(小馬1992:162)。このように広く定義していくと、教育を非定型的教育(informal education)と定型教育(formal education)に二分して考えると、アフリカの伝統教育は「独自の学校制度のネットワークをもっていたイスラム圏と、それ以外の地域とに大別するのが常識的な分類とされている」(小馬1992:163)。僕に大事なイスラーム教育の部分だけまとめると、イスラーム教育がアフリカの伝統教育として考えられるが、イスラーム原理が民族宗教とが統合される中で、イスラームの学校教育が民族社会の父権的な伝統や中心価値に不可分に統合される。また、イスラーム教師がその社会の宗教的政治的な権威をもつようになることを考えると、「イスラム圏アフリカの伝統的な学校教育は、個人を各民族固有の文化や価値から解き放って、「国民国家」という新たな価値へ統合する目的をもつ今日のアフリカの公教育とは、知識の質や個人と社会の関係について、対照的な性格をもつものだといえる」(小馬1992:167)とする。

そして、その次には現代のアフリカの教育についておもに歴史的観点から論ぜられる。ここは簡単に。植民地以前にはキリスト教宣教とともに、アフリカの人びとをアフリカ的なものから引き離すことが目指され、1930年代になってようやく植民地政府が教育に力を入れ始める。そして60年代にアフリカ諸国が独立し始めると、植民地時代からの旧宗主国の正負の遺産(国境/民族の問題などをp含めて)を引き継ぎながら、「国民」としての教育を進めていくという矛盾にさいなまれる。さらに、急速な教育の量的拡大の中で、教員の質の低下(現在までよく言われる)や科学教育の採用が伝統的な「非科学的」思考/権威の否定的価値観を導き、言語(公用語)の問題を引き起こす。これについての事例(ケニア)が3つあげられる。

最後に、こうした困難な教育環境を抱えるアフリカ大陸は、若い大陸で、小馬先生がこの論文を書かれてから20年が経った現在でも、その爆発的な人口増加には歯止めがかかっていない。増え続ける「若年層を教育するために、社会は一体如何にしてそれに充当する資源を割き与えればよいのか」(小馬1992:185)と警鐘を鳴らす。

とまあこんな感じ。こういう論文は同じような興味を持つ人と共有したいな…

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