2018年4月14日土曜日

長い時を経て

船橋東郵便局近くの桜並木
僕は7歳の時に父の転勤で三重県伊勢市から千葉県船橋市に移り住んだ。以来、高校を卒業し、予備校に通った20歳のころまで。その後も大学卒業からの4年間をすごしているので、合計すると17年ほどこの街に住んでいたことになる。そのあと、いくつかの街を転々として、今回13年ぶりにこの街に戻ってきた。

東京近郊のベッドタウンとして、人口減少時代の現在でもこの街の人口は増え続け、現在70万人に迫ろうとしているらしい。だけど、僕らが住む地区は、年寄の姿が目立ち、とてもこんな勢いのある場所には見えない。近くの商店街もずいぶん前にシャッター商店街になっているし、代わりにできたいくつかの小さなスーパーも高いうえに、それほど品物もよくなく、そして、僕がいたころからコンビニすらできては潰れる(その後の話では、近くの若干荒れた高校生が屯うので、小学校のPTAが閉店に追い込んだということ…)と言った状態で、そういう意味では、あまり生活しやすい街ではない。

都内の中高に通い、会社も都内だった僕にとっては、自分で行動するようになってからは寝るだけの街で、興味を持ってこの街を眺めたことはなかった。免許を持たない僕は、基本的に駅間を移動するだけだし、その駅の回りは歩いたことがあったが、街の中の風景は父の運転する車の助手席からだけ。加えて、中学校から都内に通い始めた僕は、地元の友達がいない。そのため、人とのご縁も非常に薄い。

約20年住んでいたものの、そんなわけだから、この街のこと、僕はほとんど知らない。こちらに移り住んで3週間。今まで東広島の田舎道しか走ってこなかった連れ合いに、道を覚えてもらうことも含め、週に何度かは車を走らせて東西南北に行ってみることにしている。すると、見たことのない景色、幹線道路から垣間見える街の発展の様子、様々なものことが目の前を過ぎ去る。薄れた記憶が蘇る、懐かしい、というよりも、また新たな街にやってきたような気分になっている。

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2018年4月8日日曜日

Bye Bye 広島


このトンネルを抜ければ岡山

年が明け、2月は逃げ去り、3月も半分を過ぎた。あまり何をやっていた、という実感もないまま、ぬるりと滑り落ちてしまったようなこの2か月半、敢えて思い出せば、ずいぶん長い間、本を整理しながら箱詰めをして、これまでに集めた資料をスキャンしていた。

貴一朗と最後の広島電車旅@三次
瀬戸大橋を渡る
3月16日に2年間住んだ官舎から荷物を搬出して、しばらく住所不定状態となった。連れ合いの仕事の都合で、2日間は西条駅近くのホテルで過ごし、千葉に向けて出発した。移動ルートは高松⇒徳島⇒東京というもの。義父の勧めもあり、徳島⇒東京はフェリーだ。フェリーのスケジュールの都合で高松で2泊し、官舎を出てから合計5日間の旅となった。節目としては若干冗長だったが、とても楽しい家族旅行になった。
香川では定番のうどんを。
都合2泊した香川では、うどんをすすり、高松市内を回り、連れ合いが留学時代に懇意にしていたムワンギ先生にも会った。自分の足で歩くことが好きな貴一朗を追いかけまわし、もちろん連れ合いと喧嘩したりもした。

徳島から乗ったフェリーが有明ふ頭に着岸する
気持ちはクサクサと荒み、縮こまっていたこの数か月間の滓が少しずつ落ち、いくつかのとても楽しかった思い出、新たにやってくる不安や古くて新しい環境になることへの期待…いろんなことが目くるめく風景の中で思い出された。
千葉の桜も美しい
いつもの年よりもずいぶん早く咲いた桜は、僕らを迎えるように千葉でもすぐに満開になった。去年、連れ合いと貴一朗と鏡山公園で見た桜もきれいだったけど、千葉の桜も負けていない。

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2018年3月5日月曜日

松坂大輔の生き方を重ねてみる:ご報告

ドラゴンズのことなんて何年かいていないだろう。広島にやってきて、そして、貴一朗が生まれてから、野球からはますます遠ざかり、たまに広島選があるときにテレビで見る程度で、普段はスマホでニュースを追いかける程度になってしまった。

例年、ペナントレースが始まる直前のこの時期は、希望的観測が飛び交い、「お!今年こそは!」と思うことしばしばで、ゲームが早く始まらないかと心浮き立つ時期だ。去年も高橋周平やら福田と言った、若いスラッガーたちが泥まみれになる姿が載った記事を見るに、その年の秋口の結果を想像したりもした。

僕は専門家でもないから、現実的に見たらどうなのか、ということはよくわからない。順位予想もそれほどよくなかったわけだし、シーズン中に覚醒した選手がそれほどいたわけではないので、まあ、そういう順位なのだろう。

これも例年思うことだが、今年は違う。1月に入団が決まった松坂大輔の存在である。各誌松坂のゲームそのものへの貢献よりも、チームに与える影響の大きさを報じ、なんだか僕もそんなことを感じている。感じさせられている、のかもしれないけど。

一時代を作った野球選手が、彼の最晩年を応援するドラゴンズで過ごしてくれるのは、ファンとしてはとてもうれしいことだ。そして、各誌がこぞって報じる松坂の一挙手一投足は、僕にとってもとても含蓄がある。

突然だが、あと10日ほどすると広島を後にすることになっている。このブログでも何度も「書く」と宣言した博論を書くためが第一、そして、もう一つ今の所属先には何の貢献もできなかったと評価されたことが第二の理由だ。かっこつけても仕方ないので、こう書いておく。

僕自身の研究者人生はこの後うまく行けば、あと現役時代は20年、そのあとも続けられるようであれば、25年かそこいらはあるだろう。でも、こんなことができるのは1年だけ。だから、松坂のようにあと1,2年、という感覚は今回はとてもよくわかる。

「周りにどう見られようが、どう思われようが、自分でまだやり切った悔いのない野球人生だったとは思えない。そう思えるようになるまでは、自分を信じて進んでいきたい」
(日刊スポーツ0302https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180301-00136701-nksports-base&pos=1)

僕はこの記事を読んだとき、たとえ僕の研究者人生があと1年しか残っていなくても、こんな気持ちなんだろうと思った。松坂を自己投影するのはおこがましいが、まだフィールドワークをやっていて、いつもワクワクするし、仲間から刺激をうけて頑張ろう、とも思える。論文を書いたり、学会で発表すれば、いつも反省や後悔ばかりが先に立つ。やり残したことも、やりたいことも山のようにあるのだ。

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2018年2月27日火曜日

「アフリカのストリートの子どもたち」@子ども大学横浜

アフリカも日本も子どもたちの写真を載せると問題なので私のもので失礼します
2月24日、「子ども大学横浜」で講義を行いました。

初めての小学生相手の講義(「大学」なので)で、資料の言葉遣いや文字数、すごく気を使ったつもりだったのだが、最初にできたものを見て愕然…

学会発表縮小版やないか!!

何度か推敲しても、やはりそれほど変わっていないように見えてしまう。味見をするなら3度まで、そのうち舌がバカになって、どの辺に合わせようとしたのかわからなくなってしまう(そんなようなものだ)。小学生がどれくらい話を理解してくれるのかがわからないのだから、あんまり考える材料もない。そもそも時間的にももうギリギリ。もうこれで行ってしまえ、と思って資料をお送りする。こんな経緯を経て、講義前に読み原稿も作ったのに、直前まで不安で不安で仕方がない。

とにかく、ポイントは①アフリカの子どもの生活について知り、関心を持ってもらうこと、②多様な側面から人を知ることが、人を理解する上で大切なこと、この2点を伝えることを考えて話をするようにした。もう一つ、テクストとお話しだけでは、宇宙や深海のこと(前の講義でこんなテーマのものもあった)よりもニュースが少ない西アフリカのこと。澤崎さんにブルキナファソで撮ってもらった映像を借り、ここ一番のスンバラのにおいを嗅がせる、と言った、ほかの感覚に訴えるような方法も使った。

蓋をあけてみると、ちゃんと話を聞いてくれて、中には前のめりになって聞いてくれている子も何人かいるほど。休憩時間に話をしにくる子もいて、質問もたくさん、しかも、大学生あたりよりもちゃんとした質問をしてくる。さらに、時間配分が、本当に珍しく完璧。そして、この「子ども大学横浜」のサポート体制も細部に気が利いた、快適な授業環境を作っていただけたことへの謝意も加えておきたい。

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2018年2月17日土曜日

二月は逃げる

原稿が溜まっていたり、出前講義があったり、プライベートでも変化があるので、多少バタついているものの、まったくブログが開けなかったわけではない。気が付いたらほぼ一か月間、未更新でした。ほかで書くことは書いているので、ブログまで書く力が回らなかっただけかもしれないですが。

年が明けて、少し作業を進めていたら、もう2月中旬。光陰矢の如し、二月は逃げると言われるわけです。

月末には、3つか4つの小さい原稿が上がっているはず。ということは、2月後半戦も一気に過ぎてしまうでしょう。

生存確認でした。

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2018年1月21日日曜日

子ども学と子育て Vol.23 アッカンベー

「アッカンベー」
1月に福岡の実家から広島へ、そしてその週末には千葉の実家に帰郷した。貴一朗はいろんな乗り物に乗れてウキウキだったけど、千葉から広島に帰る前夜、突然の嘔吐。生ものを食べたし、ちょっとしたお腹のカゼか…と思っていたら、まさかのノロ。上からも下からもドンドン出てしまう。本人はケロッとしているのだけど、手洗いや掃除にいつも以上に気を付け、水分を補充するようにした。聞きしに勝るノロの脅威。とにかく再発させないよう、そして、1か月ほどはウィルスを保有し続けるらしいので、もう少し気を付けたいと思います。

さて、今までの貴一朗の記事を見返してみると、物事を覚えるスピードにただただ驚くのみなのが分かります。日々複雑なコミュニケーションができるようになっていく。昨日、今日あたりは、「ゴメン」が言えるようになった。「アリガトウ」、「イタダキマス」、「ゴチソウサマ」はなんとなく言えるので、また基本的なコミュニケーションのボキャが増えたということです。

今日、とても面白かったのが、「アッカンベー」ができるようになったこと。まだどんな場面で使うのかはよくわかっておらず、ニコニコしながら「アッカンベー」とか言っていたけど、そういう場面が分かるようになるのもそんなに時間がかからないでしょう。本当に生意気になったときに使われて張り倒さないように気をつけねば(笑)。



2018年1月15日月曜日

子ども学と子育て Vol.19 貴一朗のカゼ その2



貴一朗寝起き201705

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Vol.19が下書きのままでした。ちょうど大変なことがあったので、そのまま追記します。
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4月に保育園に行き始めてすぐにもらったカゼはGW中に何とか終息したかに思ったけど、そこでは収まらなかった。

今年は学会参加の数も、調査の数もだいぶ減らした「つもり」で、「つもり」だったことを十分に自覚して、学会参加も必要最低限で帰る、というようにしている。特に発表もない、義理で参加せねばならないアフリカ学会は長野で開催だった。広島から長野へは、いったん東京に出て、そのあと、長野新幹線に乗らねばならず、やたらと遠い。朝4時半おきの予定だった。

明け方3時。授乳していた淳子から「熱が40度ある」と言われ、座薬をいれる。土曜日は淳子も稼ぎ時。僕ももろもろの前払いもあって、学会に行かねばそれが返ってこない…座薬を入れたし、様子をみるかどうするか…二人でいろいろ話をした結果、福岡の実家からお母さんに来てもらうことに。何とか都合をつけていただき、これで一安心。僕はのんきに学会に参加し、旧交を温め…しかし、落ち着いていられるわけもなく、2日目は学会をほぼキャンセルの状態で、広島に帰ることにした。長野から新幹線を待つ間、超高級りんごジュースを貴一朗のために買い、僕は意気揚々と広島に向かった。

ジュースのせいでやたら重くなった荷物をエッチラオッチラしながら、バス停からの坂を上がる。宿舎の入り口に下の階の奥さんがいる。僕は能天気に「こんにちは」なんて挨拶をすると、

「清水さん、大変です。お子さんが…」

「え?」

「けいれんを起こしたみたいで、今救急車を誘導するところなんです!」

たいした距離ではないけど、飛んで帰ると、多少容体の落ち着いた貴一朗を抱える連れ合い。義母さんから事情を聴く。熱が続いたあと、ぐったりして、急にけいれんしたとか…
病院に運ばれた貴一朗は2時間ほどして家に帰ってきたが、いつもの元気はなく、ぐったり。連れ合いも、義母さんもぐったり。もちろん僕も…

翌日、病院にいくと、突発性の熱性けいれん、とのこと。一度起きると二度目、三度目があることや、後遺症が残る可能性があること…

なんでのんきに学会なんて行ってたんだろ…かなり後悔して、大いに反省。
子育てをしながら仕事をする、というのがいかに難しいことか…