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映画『僕は猟師になった』出演:千松信也 ナレーション:池松壮亮 演出:川原愛子

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『福田村事件』の後はなかなか映画を見る機会がない。家族で『コナン…』を見にいったが、劇場の快適な空調に爆睡。二人曰く、3分の2は寝ていた、とのこと…少し函館の絵も見たし、なんかそれはそれで満足。 そんなこんなで久しぶりにまともに見る映画。この映画は前から見たかった作品で、演出の川原さん、主演の千松さんとは、数年前に東京で行われた グリーンイメージ国際環境映画祭 に伺った際の受賞作品で、明け方まで飲み交わしたことがある。 この映画、ゼミの学生たちと鑑賞した。学生たちの感想の中で目立ったのは、「いのちをいただく」というもの。我われの食べているものすべてに命があって…というものだ。狩猟は動物を捕まえ、屠殺するわけだから、動物の解体のシーンは何度か出てきて、おそらく動物を殺す、という経験のない学生たちにとってはセンセーショナルなものだっただろう。私たちの食の問題は、この映画の一つの主題だったかもしれないが、『僕は猟師になった』というタイトルから見ても分かる通り、やはり千松さんがこの映画の主役であり、彼を中心にこの映画を見るのが筋ではないかという話をした。私自身は、千松さんと千松さんの家族を見ていると、決して「世捨て人」的に山の中で自活をしているわけでなく、都市と山の境界線に住まい、現代的な生活をしながら猟師としても生活を送る極めて現代的なライフスタイルを実現している様に着目した。ずいぶん見え方が違うのだな、ということを実感させられた。 映画なんて色々な見方があって、それぞれが面白い、と思うように見ればよいと思うし、学生の見方は一面で新たな一面を拓いてくれるが、映画や映像を見る、という練習も必要なのだ、ということも実感したのであった。 この作品は、淡々と話が進んでいくのだけど、一つ一つのシーンに意味があり、噛めば噛むほど味がでる良作だと思う。多くの方に見ていただきたい作品である。

博論執筆日記Vol.3 一旦整理する。そして再開。

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「博論、書けるところからドンドン書いてます。「書いています」と言っても、僕もすでに研究を始めて15年になろうとしていて、ずいぶん書き溜めたものがあるので、それらをリライトしたり、整理したりすることが多い作業なのです。 1月24日に指導教官のゼミでの発表を控えているのだけど、どこも中途半端で、かなり頭を悩ませていました。」……… 約5年前、この辺りでこの投稿の原稿が止まっていた。何度かあった、博士論文をまとめる機会を悉く逃し、博士課程を満期退学して早12年。とっくの昔に過程博士の期間は過ぎ去り、論文博士の取得を目指さねばならなくなっている。 僕が単に仕事ができないだけなのか、本当に仕事が多かったのかはよくわからない。おそらく前者の方だったように思うのだけど、大きな仕事の波を考えると、今年度は再び訪れたタイミング。新学部が4年目となり、カリキュラムが一巡して、授業準備が各段に楽になったこと、大きな研究プロジェクトがいくつか終わったこと、昨年度役職がなくなったこと等々、いろいろなサイクルを考えると、今年度がエアスポット。人生の宿題を片付けるのには、もってこい、ということで改めて書きます宣言。 年初には終わらせておきたかった仕事がいくつか残っているので、それを片付けながらですが、何とか今年度中に片を付けたいところ。周囲でこれまでお世話になった方々にもご協力をお願いし、ご快諾いただいています。こうしたサポートもありがたい限りです。 にほんブログ村 アフリカ(海外生活・情報)ランキング

ブルキナファソのイスラーム過激派による不安定化-② カッザーフィー(カダフィ)と西アフリカ

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Wikipedia「ムアンマル・アル=カッザーフィー」より ずいぶん長い時間がかかってしまったが、現在の西アフリカの政治を理解する上で、どのあたりから考えればよいのか、ということを考えていました。もちろん、根源はイスラーム化や西アフリカの王権について踏まえておくことが重要なのですが、そこから書くことは私の能力を超えているので、歴史家の仕事に一任することとし、ここ20-30年の大きな出来事に思いをはせれば、おそらくマグレブの影響はとても大きかったにも関わらず、余り注目されてこなかったような気がしています。なので、ある一区切りの歴史を振り返る意味で、「アラブの春」と西アフリカについて、カッザーフィーを中心に見ていこうと思います。 2010年から2012年にかけ、「 アラブの春 」と呼ばれる、アラブ諸国の「民主化」の大きなうねりがマグレブ諸国を中心に起こる。発端は、2010年12月17日にチュニジア中部のシディ・ブジドで起こった露天商の青年の焼身自殺だった。モハメド・ブアジジというこの青年は、いつものように露店で果物や野菜の販売を始めたが、販売許可がないとして地元の役人が野菜と秤を没収したうえ、女性職員から暴行と侮辱を受ける。ブアジジは没収されたものの返還を求めて複数回役所を訪れるが、役人から賄賂を要求された。再三の申し出を断られたブアジジは、午前11時30分、県庁前で自分と商品を積んだ荷車にガソリンをかけて焼身自殺を図る。その様子を撮影したブアジジの従兄弟のアリ・ブアジジがFBに投稿すると、アルジャジーラがそれを取り上げ全国にこのことが知れ渡る。ブアジジと同じく就職できない若者を中心に、就業の権利、発言の自由化、政治行政の腐敗の改善を求め、ストライキやデモが起こるようになる(Wikipedia「ジャスミン革命」)。 こうした民主化運動にあったが、その流れは周辺国に及ぶ。この記事で述べるリビアにも「アラブの春」の波は押し寄せ、リビアの「独裁者」ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)もその動きの中で命を落とし、中東の現代史に大きな変化をもたらした。(APF) 「アフリカ屋」の私がなぜリビアなのかは、後々述べるとして、今少しカッザーフィーを中心としたリビア情勢を復習しておきたい。 1942年にリビアの砂漠地帯(スルト)に生を受けたカッザーフィー。中東、アフリカが次々と独

クーデタ未遂@ブルキナファソ (注 2015年の記事です)

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ブログを整理していたら、この記事が中途半端に残っていた。ニュースソースが切れているのもあるのではないかと思うけど、できるだけ残しておく。2014年にブレーズ・コンパオレがブルキナを去り、その後の混乱の一端をメモしておこうとしたらしい。2015年に記事を書こうとしたいたらしいです。若干なり当時の様子が分かるのではないでしょうか。 20151003取得、http://m.voaafrique.com/a/gilbert-diendere-est-retranche-dans-une-ambassade-a-ouagadougou/2985802.html 9月16日午後、大統領特別警護隊(RSP、Regiment of Presidential Security)の一部が大統領府で行われていた閣議中に乱入、カファンド暫定大統領とジダ暫定首相他、ルネ・バゴロ住宅都市開発大臣とオギュスタン・ロアダ公務員大臣を拘束して立てこもる。 同日夜に事態に抗議する数百人の市民が大統領府に向けて行進を開始する。 翌17日朝、RSPにより、暫定大統領と首相の解任、暫定政府の解体が発表される。この時点で夜間外出禁止令、空港及び国境が閉鎖される。そして、ジルベール・ディエンデレGilbert Diendéré将軍が国家指導者に就任されることが発表される。(おそらく)スポークスマンのバンバ中佐が国営テレビ(RTV)を通じて「道を踏み外した体制に終止符を打つため」の方策であった旨を発表(時事ドットコム)。ディエンデレ将軍は、フランスのメディアに対して「選挙を控えた深刻な治安情勢」を受けての措置であると説明(同上)。 このバリケードはどのあたりだろう。今、この通りはほとんど人が見られない。当時は地図局などがあり、よくふらふらしていた。 20151003取得、http://icibrazza.com/2015/09/burkina-apres-avoir-reinstalle-kafando-dans-ses-fonctions-la-population-nettoie-ses-rues/ このニュースはリンクが切れてしまっていますが、写真が残っていてよかった。混乱がある度にブルキナべたちは外にでて道を清める。自分たちの進む道を切り開き、清めているよ

【日本のアフリカン・レストラン】② Tribes(アフリカン・フレンチ)

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このレストランに初めて伺ったのはいつのことだろう?【日本のアフリカン・レストラン】シリーズ第一回目は Tribes さん。 おそらくは2002年とか2003年とかあたりではないかと思うのだけど、神楽坂を一本入った静かな街並みの中、「アフリカン・フレンチ」を標榜し、店主の石川さんはイケメン。正直なところ、最初はとてもハードルが高かった。 その後、四谷荒木町、そして荻窪と、お店のロケーションを変えて営業されてるのですが、どんどん庶民的な街に移っているような…なぜお店を移されているのかは聞いたことはほとんどないので、今度伺ってみようと思います。現在の荻窪のお店はラーメン好きならよくご存じの「春木屋」の2件隣り、という悩ましいロケーション。春木屋に行ってからTribesに行くわけにもいかず、帰りは基本的に閉まっており、いつもモヤモヤしているのがここだけの話。ともあれ、このレストランについては、石川さんが「石川コフィ」さんとして、先日『 筋肉坊主のアフリカ仏教化計画 』を上梓されましたが、石川さんの来歴はこちらにしっかり書かれていますので、こちらの本に譲りたいと思います。 店内はかなりムーディーなのですが、今回訪れた際は「青」。ご一緒した旧友たちも、入店するなり「青!」と叫んでいました。窓が青いだけなのですが、夜は外からは何も見えないのだとか。 店主の石川さん とにかくアフリカ好きの石川さん、この店に置いてあるものは、ほとんどは基本的にアフリカがらみ。ビール、ワイン、料理… さすがに「常連」と言っても怒られないと思うので、そういう立場だと説明しておきますが、ここ数年間、メニューを見てお願いしたことがなく、ここの料理を紹介することが叶いません(しかも、久しぶりに見せてもらったのに写真を撮り忘れるという…)。お伺いすることを伝えておくと何某か考えておいていただけるので、毎回それを美味しくいただく、というだけ。 チェブジェン・スンバラ仕立て 石川さんとは、ずいぶん前から、レストランと客、という関係以上のことをさせていただいています。最初は、勤めていたNGOとの「チャリティナイト」の企画だったり、イベントへの食販の出店だったりと一緒に厨房に立たせてもらったりもしました。石川さんご自身も大変なアイディアマンで、いろんなことをされています。それゆえの地力の強さのようなものもあり、お話も実

N-1 グランプリ参加してきました

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N-1グランプリに参加してきました。 会場は「金戒光明寺」。「純和風な」「納豆」のイベント会場として「寺院」での開催というのはなかなか赴きがある。というか、京都の大きな寺院、意外にいろいろなイベント(中には「大丈夫か?!」というも…)をやっていて、開かれた感じは、「宗教」という内向きな精神世界を想像させる営みが行われる場というイメージからは離れている。 梅雨はどこへやら、という猛暑と夏空の下、金戒光明寺へと向かう。お恥ずかしながら、この寺の名前は初めて聞き、もちろん場所も知らなかった。ググってみると、自宅からそれほど遠くない。吉田山の東側(?)、あぁ、白川通の西側に見えるあの山のあたりか…などと思いながら会場へと向かう。聖護院のあたりの住宅地は道が細く、自転車がギリギリ通れるような道を縫いながら、参道らしい雰囲気の道にでて、その道を急ぐとこんな立派な門が… 自転車を門近くに止め、さらに奥へと進むと、勇壮な門(なんというのでしょうね?)。会場の案内が見つからず、しばらく、木陰で休憩。一緒に出店する奥祐作さんに連絡を取る。都会の喧騒を一切感じさせない静寂と日陰を通り抜ける熱いが気持ちのよい風。「10分もいたら寝てしまうな…」などと思いながら奥さんからの返事を待つ。 なんとなく場所がわかり、会場へと向かう途中、こんな会津関係のいろいろがある。なかなかの門跡らしい…(ほんとに知らんかったです…) 寺の奥にある広間がこの日の会場。奥にこんなかんじで9種類の納豆が鎮座し、周りには10ほどのブースがあり、パンが売っていたり、コーヒーが売っていたり… ありました。奥さんのブース。スンバラ飯は今回は奥さんが担当。なかなかうまく出来ていました。 少し落ち着いたところでいよいよ納豆の実食。 第2回アフリカ納豆サミットでもやりましたが、納豆の食べ比べはなかなかに難しい。大粒、小粒、挽き割りと大きく3つの形態がありますが、挽き割りがもっとも味が濃く、旨味を感じやすい(気がする)。大粒は歯ごたえと豆の香り、小粒は豆の食感を保ちながらも、若干大粒より発酵臭が強いような。 昨年参加された方によると、今年は若干似たり寄ったりの味だとのことですが、いろいろな順番で食べ比べて何とか順位をつける。 で申し訳ないですが、順位をメモるのを忘れて、講評できないのですが、下のインスタ当たりで発表になるので、どうか

禁煙…成功なのか?!

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  5月のまだ寒い夜、少し体調を崩していた貴一朗が夜中に盛大に咳き込む。背中をさすったり水を持ってきたりしているうちに、僕に絡みついてきて、顔の前で「ゲホゲホ…」。こんなことが何日か続き、とうとう、その咳は僕にも… もちろん仕事のある私は、とりあえず…と思い葛根湯あたりの感冒薬から始め、市販の咳止めを飲み、それでも止まらないので、咳が出始めて1週間ほどでかかりつけに。かかりつけでもらった薬は全く効かず、薬を変えてもらったにもかかわらず、それもそれほど劇的に変わるわけでもなく、3週間ほどが経過。今度は呼吸器科の専門医を訪れ、強い薬を処方してもらい、友人の医師には漢方を出してもらい、他の友人の医師にもいろいろアドバイスをいただくなど、この1か月半ほど、かなり体調を崩していました。2020年に診断されて以来の「喘息」。貴一朗の咳がトリガーになったのかどうかは定かではないですが、とにかく、この間相当辛い時期を過ごしました。 で、5月23日、ちょうど呼吸器科の先生とのアポイントが取れた日、僕は咳き込みながら最後のタバコを吸った。僕の性格なのか、宣言をして構えてしまうと、大体失敗する。その日、ゼーゼーいいながら大学の喫煙所に行くと、澤崎さんが授業終わりの一服をついていた。そこには、いつもの同僚たちもいて、咳込みながら煙草を吸う姿をみて、心配してくれるのだけど、箱に残った最後の一本を加えた。実は、「チェッ、買ってくるのを忘れた」と思っていたのだけど、ちょっと口を滑らせて「これでタバコを止めます」と言ってしまった。 咳をしていても、タバコを吸うと一瞬肺が楽に感じられる瞬間がある。これは喫煙者でないとわからないと思うけど、だからタバコはやめられない。でも、物理的にそこにタバコがない状態を続けば、物理的に吸うことはないわけで、何となく数日間続き、呼吸器科の先生の問診を受けたときに、タバコのことを聞かれて、「禁煙してます」と…「いつ頃からですか?」「3日前からです」…苦笑い、失笑、どちらか、両方か分からないけど、一瞬ニヤリとされた気もしましたが、お医者さんはえらいですね。バカにもせずに「じゃあ頑張りましょう」ということで、そのまま禁煙を続けることにしたわけです。 長引く喘息から何とか早く解放されたい…という気持ちが強かったが、その一方で「おっ、今日も吸わずに済んだ」という一日を続けていく