2013年6月30日日曜日

仕事のやり方

この前調査方法のなんちゃらとか書いたのだけど、その翌日(昨日)褒め称えた奴にすっかり怒られた。ずいぶん凹んで、昨日はふて寝。最近寝不足だったのも手伝って、10時間以上寝た。

今日は午後から彼が会いたいと言ってホテルまでやってきた。で、昨日のことは昨日のことで、謝ってきたりもしたのだけど、まだ悩みがあると。聞くと、昔から調査を手伝ってくれていた彼の幼馴染をなぜ呼ばないのか、ということ。昨日は強い言葉を使ったこととそのことで寝られなかったと。

彼の幼馴染を使わなかったのは、たまたまで、特に他意はないし、本当に都合が合わなかっただけ。その彼も相当気にしている、ということで、急きょホテルに来ることになって、今さっきまで「ごめんね」と言い続けた。

人類学の調査というと、孤独にコツコツとやっているイメージがあって、僕の調査が人類学の調査として正しいのだろうか、という感覚に襲われることしばしば。でも、こういう柵にからめとられるのは致し方なくて、昨日、彼に怒られたのも、僕がちょいといい気になって使ったちょっとした言葉が原因だった。

「分け合う」という言葉をよく使うのはアフリカを研究してる人ならよくご存じなところだろう。はたから見れば、美しい隣人/家族愛にも見えるし、体のいい搾取のようにも見える。ある意味、富の再分配/セーフティネットと一人だけが勝つことを妬むのが同居しているような状態だ。逆に、僕らの住む仮に日本の世界では、個人化が進み、研究を進めるにあたっても、いかに自由に動けるか、というところに重点が置かれ、ある意味その結果として独自の人脈などが形成されていく。きっと、この大局的な世渡り術はなかなか両立できなくて、僕はきっとあまりに日本社会的な方法をここで行使しようとし過ぎたらしい。

彼の幼馴染に関しても、僕なりの評価の末にそうなったのかもしれないし、それが何人かの人にずいぶん嫌な感覚を与えてしまったらしい。変なしこりを残したままだとうまくいくものもうまくいかないし、彼らのやり方にできるだけ合わせていくことにした。ただ、こちらの持っているものは限られていて、パイを小さくするしかないのだけど、次回からそうするしかないんだろうな。

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2013年6月28日金曜日

調査法試行錯誤

こんな適当なブログに書こうと思うくらいだから、結構適当にしか考えていないんだろう。調査法についてである。

僕は人類学を勉強していて、いわゆる「フィールド・ワーク」というのをやっている。最近、人の調査を覗く機会が何度かあり、都度とても興味深く見させてもらっている。たとえば、建築学の方は壁の厚さにずいぶん目が行っているようだったし、モノを研究している人の写真の撮り方は独特だったけど、(やはり?)コミュニケーションが苦手みたいだった。

長期短期のいずれにしても、調査など一人ではできない。たとえ、「モノ」が対象であってもである。

僕の調査地は「街」なのだが、いろんなところに入る必要性から、割かしいろんなところにゲートキーパーとなる人がいる。かれこれ5,6人は僕の調査を手伝ってくれているはずだ。当然それぞれが性格を異にしているが、家庭状況というか「家計」状況は似通っていて、定職だかなんだかわからない仕事をしながら日々口に糊している。というわけで、昨日書いたように物価が急に上がったり、観光客がモノを買わなくなってしまうと途端に干上がる。そこに僕が登場するわけだから、僕は途端にヒーローになる。カーゴカルトよろしく、天から降ってきた恵み、やつが空から舞い降りた、となる。

ところで、僕は今「クルアーン(コーラン)学校」の調査を行っている。先生の経歴や生徒数、生徒の出身地や生活状況についてである。もしかしたら、僕一人でもできたのかもしれないが、ストリート・チルドレンの調査をしている間に入り込みたかったのに、まったくだめだった。3週間、なんにも収穫なし、ということさえあった。そんな時、何人かの友人たちがそっとその扉を開けてくれた。おかげでいろんなしがらみや規則に巻き込まれることになったけど、何とかそれらしいことができるようになったのである。

今回はこの調査の続きだ。と言っても、実はまだ数か月しかこの調査をしていない、ごくごく初期的な調査である(2011年のブルキナファソの混乱で今年の1月まですっかりなにもできなかった)。ゲートキーパーとなってくれたうちの2人が相当に困っていたのも手伝い、あまり気が進まなかったのだけど、今回の自分の調査は同時に2人に手伝ってもらっている。

とても贅沢なやり方をしているのだけど、これがなかなか難しい。最終的に僕が判断を下すのだけど、2人でできることを3人でやると、いちいちコンセンサスを取らなければならず、倍の時間がかかる。確かに情報量はかなり多いし、インタビューをしていても行きすぎの部分や聞き漏らした部分のレビューはやりやすい。そして、何より、聞き取り可能な言語がずいぶん増えて、ワガドゥグでやっている分にはまず困らないだろう。ただ、もう一つの問題として、やはりおカネがかかるので、今回のように短期で集中的に聞き取りを行うくらいならいいが、長期となるとなかなか難しい。

とにかく、今のプロジェクトにいる限りはいくつかのことを摘まむような調査が続くので、この環境でのやり方、さらに試行錯誤せねば…

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2013年6月27日木曜日

ワガドゥグの物価

今回の滞在はまた半年ぶりくらい。前回は連れが何人かいたので、割と普通のものを買わなくてあんまり気づかなかったけど、地面を這ってみると、いろんなものの値段が高くなった。

ガソリン:750Fcfa(記憶にある限り630Fcfaとか650Fcfa)
ミネラルウォーター:500Fcfa(一昨年まで400Fcfa)
お気に入りのレストランのソースアラシッド:700Fcfa(3年くらい前は400Fcfa)
タクシー初乗り:300Fcfa(一昨年200Fcfa)

などなど、下手をすると50%以上上がっているものがある。2011年以来安定しているブルキナの経済が成長している証だろうけど、なかなかついていないな、とは思う。

僕の友人には手工芸品にかかわる人が多く、彼らは特に観光客の変化に敏感だ。彼らが言うのは、ツーリストが非常に少なくなった、ということで、つまり観光手工芸品がかなり売れなくなった、とのこと。いろんな理由が考えられるけど、例えば、僕のように馴れきってしまって、もう面白くないし、あげる人にはあげてしまったということ。旅行の仕方が変わった、とうこと(これには彼らの同業者やNGOの旅行者の囲い込みも一因)、昨今の西アフリカの治安の悪化から通常の旅行者に忌避される傾向にあること、などなど。

おかげですでにずいぶんとっ捕まりまって買わされました…そうしたら、ボゴランもネックレスも何もかも、前の値段で言ったら泣きそうな顔をされました。あんまり突っ込むとまた買わされるのでもうだんまりにしますが…

というか、€が30%アップ、物価がアップで僕の方もシャレにならんのだよ。

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2013年6月26日水曜日

仲がいいほどケンカする。

たぶん、仲睦まじいカップルのための言葉だと思うけど、「仲がいいほどケンカする」。おそらくそうなんだろうな、と思わせる出来事があった。

僕が修士論文で書いたラスタマン、その多くはストリートで民芸品を売ったり、音楽をやったりして生計を立てている。その中でもリーダー格のラミンは2003年に知り合って以来の付き合いだ。NGOの目線でアフリカを見ることに疑問をもち、文化人類学に軸足を移そうとしたとき、真っ先に彼の顔が浮かんだ。当時、いろいろな人にアドバイスをもらったけど、実際の調査の見込みは彼によってもたらされた、と言ってもいいと思う。

あれから10年。彼は相変わらずストリートを中心に民芸品を売り、僕はほんの少し立場が変わって、少しぜいたくな滞在をするようになった。10年間お世話になった彼らに少しは恩返しをする時期に差し掛かったのかな、と思うようになった。ちょうどカセーナ出身のラミンには、そんなわけで、カセーナの道先案内と通訳をお願いすることにした。ほんの少し謝金が発生するので、少しでも生活の足しになれば、と思って。

今回のカセーナの調査でも彼に登場してもらった。調査はまあまあ順調に進み、その帰り道にとある村で車を止め、ある人を待っていた。その時の立ち話で、「田舎の親が心配しているから、そろそろ結婚なんかを考えている。そのために、小さな土地を買った。そこに今家を建てている」という近況を聞かせてもらった。

ブルキナファソでは日本では考えられないような値段で家が建つ。せいぜい数万円。彼はそこで、「トゥワレグのネックレスのいい奴がある。タカオ、どうだ?」と。僕は笑ってごまかす(「いらんよ」という意味で)。

そして、ワガドゥグに帰り、ラミンには翌日ホテルに来てもらうようにお願いする。謝金の領収書にサインをしてもらうためだ。

そして翌日…

ラミンがホテルに来ると、おもむろに手提げの中身を広げる。「何をおっぱじめるんだ?仕舞ってくれよ」というと、ラミンが激昂する。「おまえ、おれが何度お前にモノを売りつけようとした?!昨日、状況を説明しただろう。たまにはいいじゃないか?」対して僕は「そんなもん、今更買うわけないだろう?10年付き合ってそんなこともわからんのか?人の顔を見ればカネカネいいやがって!」。とまあ、いつもの泥仕合。

結局、知り合いに頼まれたボゴランを彼に頼むことにし、そして、彼は謝金をその前金だと勘違いしていた、ということですっかり手打ちになったわけだけど、ここまで好き勝手言い合える相手は日本では思い浮かばない。時々、僕はブルキナファソに普段ため込んでいるいろんな感情を解放しに来ているのではないだろうかと思うことがある。そんな僕を受け入れてくれるラミンをはじめとする友達たちに感謝感謝。

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2013年6月25日火曜日

調査をしながら感じるブルキナの変化

ブルキナファソ到着6日目。と書くと、もう1週間もたつのか…と時間が経つ速さを実感する。いつものごとく、のんびりしたブルキナの雰囲気にのまれていつの間にやら帰国間近となることは必然。時間をしっかり区切って調査をせねば、と思う。

ここまでの調査経過。

20日 到着
21日 調査の打ち合わせと関係各所への到着のあいさつ
22日 カセーナ調査
23日 カセーナ調査
24日 文献調査(ISDN、IGN)と調査打ち合わせ
25日 文献調査(ISDN)

こんな感じで書いてみると、まあまあ働いているな、と少し安心する。あと、かなり密度も高かったと思う。

さっきまで南山大学の中尾世治君と一緒で、彼と一緒にいることでずいぶん勉強にもなった。ここ5日間ずっと一緒にいろいろと回ったのだけど、カセーナでの彼の土器実測や聞き取りの仕方は非常に参考になったし、日々車の中や宿のテラスでのディスカッションもとても勉強になった。今日、彼は村の方に旅立って行ったのだけど、実りあるものとなることを切に願う。

昨日、今日と行った文献調査、ブルキナの人口統計局に行ってきた。本当はもっと前にもっていないといけなかった資料がたくさん出てきて、必要そうなものは全部買ったのだけど、二人で話していたのは、まったくブルキナの統計局にしても地図局にしても親切で、ぼんやりと以前はアンダーテーブルの世界だったのに…などとここでも隔世の感がするわけなのだ。

とにかく、今年は口頭発表のピークは過ぎたが、書く方の仕事はここからが本番。とにかく、こうして気持ちよくデータが揃うと、ずいぶん気持ちが違う。

そんなわけで、すでに前回の滞在から半年近くが経つ中で、また少しブルキナの変化を読み取ったという報告。

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2013年6月24日月曜日

「住む」ことを考える。

前回、ブルキナファソに来た時から家屋の調査を始めた。職場のプロジェクト・リーダーの提案で、いわば上司命令だが、とにかく人類学の範疇のことは食いついておけ、と思って、できる限りエフォートを出している。

今、『マルセル・モースの世界』(モース研究会 平凡社新書)という本を読んでいるのだけど、その中にモースの文章を引用して、こんな一文が載せられている。

「現認することと統計をとることによる科学である民族学においては、直観の働く余地はない。社会学と記述的民族学は、研究者に古文書学者であり歴史家であり統計家であることを求める。さらにある社会における生活全体をありありと感じさせる小説家であることも。(ME:8)」(31)

すると、「家屋」を記述しようと思うと、「建築家」にならねばならない…のだろうか?

前回の調査、建築学の先生に同行したのだが、やはり図面の取り方や視点、実に人類学的にも面白いお話を伺いながらの充実した調査だったが、やはり図面などは職人技。これを要求されるなら「建築家」はちょいと難しい。

では、ということで、そこに住む人の履歴を考えてみようと思った。どこにどんな風につながっていくか、いまいち自分でもよくわかっていないのだけど、少なくともそこに住む人は世代ごとに決まった人なのではないか、という「直観」があって、家に象徴される家族関係があるのではないか、というところに行きついている。僕自身が伝統的なものに執着したエキゾチックな感性から抜け出ていないだけかも…という不安は持っているのだけど、まあ、今の自分にできそうなのは、どうもこれくらいではないか、と思っている。

とりあえず、週末の2日間、この調査の続きをやってきた。

ブルキナの6月は雨が降り出すはずなのだが、今年はどうも雨が少ない年らしい。おかげで道はよかったが、少し心配もしつつ。

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2013年6月22日土曜日

Gent(201306)


「砂漠化と…」の国際会議がベルギーのGentという街であった。会場となったホテルに宿泊先もいわゆるオールドタウンにあり、中世の煉瓦造りの建物に石畳という、Theヨーロッパな風景。なんとなく思ったのは、でかいネズミーランド。バカにしているみたいだけど、街のサイズも雰囲気もとても良くて、今度は旅行で来たい、と思ったり。

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2013年6月20日木曜日

砂漠化と土壌劣化対処の国際会議(Gent(ベルギー))

月曜日、火曜日とベルギーの学会(砂漠化と土壌劣化対処の国際会議)に参加した。初めて参加する国際会議だったが、現在の環境研究の潮流がわかってなかなか充実した学会だった。僕もまことに僭越ながら発表させていただいた。ここ2年ほど追いかけていたアンドロポゴンのネタで、まだデータが少ないので公表するのはちょっと憚られるが、そこはご愛嬌ということにて。

時間があればまた日本語訳をつけるつもりだけど、とりあえず英語バージョンにて。
Co-design of practical technique using local materials and knowledge to control water erosion with improvement of household income in Niger, West Africa


T. Shimizu, U. Tanaka, Y. Sasaki, K. Ikazaki, H. Shinjo and H. Nakamura


 Desertification remains a serious problem despite several commitments from international communities, including the UNCCD (1994), to address it. Difficulty of desertification control may be explained from its complexity and causes directly related to human activities for basic survival and daily livelihood, such as cropping, animal husbandry and gathering of fuel wood. It means that efforts to desertification control should be made with keeping its causes.


 Many techniques have been introduced to control desertification to date, but most are, unfortunately, not adopted by local people. Introduced techniques, however scientifically sound and rational, may not match the needs and situation of local people, e.g. in relation to cost, or time and labor requirement. Some techniques are highly dependent on materials and machinery from outside that may not be affordable locally or normally available.


 Together with volunteer villagers in the western part of Niger, we designed one technique combining local materials and indigenous technique to control soil erosion by water. In an on-farm experiment, we set a line of local wild perennial grass (Andropogon gayanus Kunth) with indigenous planting technique, zai, along the contour line in a cultivated field. The grass line may be effective to control erosion. At the same time, participating villagers put more focus on collecting run-off water by this setting which facilitates growth of the grass. The grass harvested is used for their daily life such as the materials of housing, granary, shading and so on. Moreover, it is sold in local market which becomes an alternative source of income. In the market place, one big Mat(L6m x H1.5m) of the grass, for instance, is traded around 2,000Fcfa(3.0)-6,000Fcfa(9.1) depend on the season. Usually, 1sac (100kg) of powder maize (equivalent to 1month for 10familly members) can be bought around 17,500Fcfa-20,000Fcfa, therefore villagers are able to make up for shortfall of food with it.  

The experience shows the possibility of establishing a practical technique with locally available material that contributes both to household income and erosion control.


Keyword: Co-design, Household income, Indigenous knowledge, Local material, Practical technique, Water erosion control,

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2013年6月18日火曜日

『進化とはなにか』今西錦司

出張中は本が進む。空き時間に何かできてしまう日本と違って、やれることが限られる海外では自然に書物に手が伸びる。一方で、日本で読みかけたり読みそこなったり死蔵してしまいそうな本を読む機会ともなっている。

今西錦司さんという、これまた人類学の巨人。生物学から大きな枠組みでの人類学へという、京大人類学の祖ともいえるこの人については、現代のチャラチャラした人類学をこね回す僕にとっては、どうもとっつきにくい人だった。しかし、多少なりとも後学のために読まねばならぬだろう、ということで、今回の調査旅行に同行願うに至った。

食わず嫌いというのはもったいないもので、実に面白い話に満ち満ちており、あっという間に読み終えてしまった。

文化人類学を専攻している人で、まともにダーウィンの進化論を肯定する人はいない。文化相対主義は進化論への批判にまつわるものだし、特に今や社会進化論は触れずとも通れる、大前提となっているので、議論になったこともない。よって、今西錦司さんを教科書でしか知らない僕は、実に新しい発見をすることになる。ともあれ、これが議論になるのだ、ということに。今更で実にお恥ずかしい話なのではあるが。

ちょいちょいいろんなブログにも感想や要旨が書いてあるのと、ボチボチホテルの部屋を出て学会の会場に行かねばならないので、全体的に省くが、帰ったら古本屋で探してみよう、と思いを新たにしている。

『アラビア・ノート アラブの原像を求めて』片倉もとこ


片倉もとこさんの第2弾。実際に読んだのはNHKブックスバージョンだけど、この表紙がいいなと思って、こちらを載せておくことにする。 

時々書いているけど、この時代の人類学者の文章の簡明性やまなざしの優しさ、芳醇なデータに触れるにつけ、自分の仕事の小ささとか自己嫌悪とかに苛まれる。とても充実した読書だったのに、どこかにそんな気分を持ってしまう。 

この本は「日記よりあるアラビアの一日」「フィールド・ノートより荒野に生きる人々」「雑記帳より移動文化を考える」の3つの大きな章からなっている。エピソードから日常生活、さらにアラブの人々の思想へと発展していく。時々接するアラブ系の人々との何とも言えない彼らの親愛の情の表現とそのあとのえらくあっさりした距離感の理由がよくわかった。

昨今、シリアやマリ、その他もろもろの血なまぐさいニュースはすべてがアラブ社会に関連している。僕が感じていたような一種違和感のようなものが相まってこうしたニュースを得体のしれない不気味な他者の仕業にしてしまう。きっと、片倉もとこさんが述べたかったのは、こうしたことへの反論だったのではないだろうか。

知ること。関心を持つこと。ずいぶん前から自分の中でのテーマで、今ではこの欲求こそが仕事の原動力になっているのだけど、研究者に限らず、片倉もとこさんの主張はしっかり受け継いでいかれるといいな、と思う。最後の方に、こんな一説がある。

「相手にあわせようとするのではなく、相手を理解しようとさえしていればいいのではないか。その世界を100%理解することは、とうてい不可能であることを前提にしておいた方がよいと思われる。」(233

そして、最後にこんな風にこの本を閉じる。

「何もかもわかってしまったら、この世はつまらない。」(234

お人柄がよくわかる文章だと思う。改めてご健在なうちにご指導を仰いでみたかった方だと思った。

 

2013年6月14日金曜日

L'Harmattan(本屋)

パリ滞在も終盤を迎え、そろそろタスクも終わりに近づいている。あと原稿1つやれば、とりあえず落ち着いて学会に参加できるくらいになってきた。

降りしきる雨の中、昨日はL'Harmattanという本屋に行った。フランス語圏で研究をするアフリカニストなら、おそらく知らない人はいないフランスの出版社で、数多くのアフリカに関する本を出版している。毎回パリを通過するたびに気にはかかっていたのだけど、どうも街中にでるのが億劫で、ついついネットで済ませてしまっていたけど、今回は幸い長期滞在にて満を持して訪問。

この本屋はRue des écolesといういわゆる「カルチェラタン」にある。そこらじゅうにカフェがあり、フランスの思想家や学者が議論を重ねたといわれるなんとも文化の薫り高い町にある。毎回迷うのだけど、今回はイスマに案内されてすぐにたどり着く。

店の中に入ると、相も変らぬ3mはあろうかという書棚に本がうなっている。最近殊に思うが、アマゾンやらネット販売は楽だし、ピンポイントで必要な本がそろうけど、やっぱし本屋に行かねば掘り出し物は見つからない。知り合いが知らない間に本を出してたし、少し研究領域を広げたせいで山ほど本が目に入る。

敢えて予算を度外視して結局15冊ほど。今度も毎年来られるわけもないし、また、必要経費として。

Book List 1
#Marie-France Réveillard, 2010, ENFANTS MARTYRS, l'esclavage moderne au Burkina Faso, ÉDITION MONDE GLOBAL
#Aboubacar Yenikoye Ismaël, 2011, VULNÉRABILITÉ DES ENFANT AU NIGER, Enfants non scolarisés et enfants descolarisés État des lieux et pédagogie de prise en charge, L'Harmattan
#Olivier MEUNIER, 2009, Variations et diversités éducatives au Niger, L'Harmattan

などなど、ブルキナ、ニジェールあたりの子ども、教育関連文献とアフリカのイスラーム関連文献など。この辺は即効性のある本で、今書いている論文にも使えそうなので、ブルキナに持参予定。

備忘録みたいになりましたが…


2013年6月13日木曜日

図書館かくあるべし

6年ぶりにフランス国立フランソワ・ミッテラン図書館(BNF)に入館した。

先週の金曜日にインスクリプションを済ませ、研究者用図書館への入館許可を得たものの、ホテルにこもって論文を書いていたので、今日が2度目の入館。実際のところはよく知らないけど、たぶん世界有数の蔵書数を誇る図書館。パリに来た時にできるだけ寄るために年間登録にさせてもらった。

ピリッとした雰囲気。静寂。柔らかい照明と10mはあろうか大きな窓一面の緑。椅子がかたすぎるのが玉に瑕だが、たまにはコーヒーでも飲めよ、ということだろう。

今日は週末の学会のパワーポイントの修正をしながら、雑用をいくばくか。せっかくこんな環境なのに。しかし、まずまずはかどり、何とかめどが立った。ただ、まだ使い方がよくわからん。できればここでしか見られないものを見たいのだけど。

未だ席の予約すらできないというありさまにて…

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2013年6月10日月曜日

母にささげるバラード(泣)

パリ5日目。暑いと思ったら、今日あたりは半そででは身震いする気温。国立図書館に行こうと思ったけど、今日はホテルで缶詰めになることにする。

こうやって何回もブログを更新しているのは、現実逃避。最近こうしてほんの少しプライベートなブログに逃げ込むのが常態化してきている…FBが鬱陶しいことがあるのもあるけど。

結局ニジェール行がなくなり、いつもより少し長めに組んだフランス滞在がさらにながくなり、約10日。その後学会のためにベルギーに行くけど、これだけ長くヨーロッパにいるのは実に久しぶり。2008年か09年にやはり10日ほど滞在して以来になる。

「寒い」とは書いたけど、実に気持ちのいい季節で、ベッドが快適な気温と言えばわかりやすいだろうか。4月の中旬から5月末にかけてドタバタとしてほとんど休みが取れなかったので、ここでいったん休憩、と思いきや、そうもいかない。

先日のアフリカ学会でセッションを組んだというのは前に記事にしたけど、その後、セッションで学会誌に投稿することが決まり、いくつか外からもお仕事のご依頼をいただいた。ありがたい。

歌詞は全部覚えてないけど、昔何度かカラオケで歌って結構好きな曲になっている。

『いってこい、どこへでもいってきなさい。
母ちゃん、お前のごたあ息子がおらんごとなっても、何も さびしうなか。
が、いうとくがなあ、なまじ腰ば降ろして休もうなんて絶対思たらつまらんど。
死ぬ気で働いてみろ、テツヤ。
人間働いて、働いて、働き抜いて、もう遊びたいとか、休みたいとか思うた ら、
一度でも思うたら、はよ死ね。
それが人間ぞ。それが男ぞ。おまえも故郷をすてて都へ出て ゆく限りは、
帰ってくるときは輝く日本の星となって帰ってこい。
行ってこい。行ってこい。』
(作詞 武田鉄矢)

自分に当てはめるには盛り過ぎの歌だけど。

さぁ、頑張るか…

『パーニュの文化誌 現代西アフリカ女性のファッションが語る独自性』遠藤聡子(著)


最近のブルキナファソの民族誌としては、同僚の石本雄大さん以来、と言っても、ここ2,3年の間に立て続けに出版されているのは、同時代にこの地域で研究活動を行う者にとって、大変心強く、また、未だくすぶる自分自身への愛のむちのように思いながら読ませていただいた。

この本はブルキナファソの第2の都市、ボボジュラッソ(僕はボボ・ディウラッソという言い方が好きなのだけど、ここは本書に従う)の女性のファッションについての著作である。著者の遠藤聡子さんによれば、工業製品としてのパーニュ(工業製品としての更紗)は在来の民俗服でもなく、洋服でもない。衣服がそれを身に着ける人に関する情報を表すとすれば、この布を使用した衣服は何を示すのか、という問題意識をもっている。この問いに応えるため、この衣服がこの地域で普及している理由を、歴史的経緯(通時的分析)とパーニュがどのように着られているか、という共時的分析から明らかにしていこうとしている。

僕自身、この地域に馴れすぎてしまって、遠藤さんの問題意識を共有するのに時間がかかったのだが、確かに、なんでこんな布をみんな着てるのだろう、ということは改めて納得した問題意識である。僕も工芸品製作をしている人を調査対象としていた時期があるので、その歴史的経緯はなんとなく聞きかじっていたけど、遠藤さんは丁寧にまとめられていて、改めて勉強になった。そして、この本の最大の強みは、しつこいフィールドワークで得た数百、数千に上るデータによる分析と言っていいだろう。こうした京都大学の人類学の十八番ともいえる生態学的な手法は、問答無用の説得力を持つ。僕も憧れるやり口だ。僕もワガドゥグに仕立屋の知り合いが何人かいるけど、そんなシステムで動いていたのか、と相槌を打ちながら読んだ。

それで、気づいた点を何点か。備忘録的に、メモしてみようと思う。

① 普及について
「第7章 流行を生み出すしくみ」では、3つの小節から流行を生み出すメカニズムを明らかにしようとしているが、僕なりに解釈して、模倣と委託という二つの手法によって、スタイルの統合が図られる、ということが言われたかったのではないか。スタイルの統合の過程については、実によく描かれているが、ここはもう少し一般化できる、「普及」というところまで踏み込んではどうだっただろうか?決してモデル化したりすることはないと思うが、社会学では「普及」についての研究は非常に蓄積が多い。モデル化するのを目的とするのではなく、モデルを参考にしてみると別の角度から面白い分析ができたのではないか、と思った。たとえば「ファッションリーダー」となりうる人(本書の中では、仕立屋とか、仕立屋が写真に収めるような人)についての分析や重層的なファッション(=イノベーション)の伝達過程が描けたのではないか、と思う。

② ブルキナファソというネイションステイツの中の文化としての服飾文化について
この本はボボジュラッソというブルキナファソ第2の都市の事例が中心となっている。しかし、最終的に西アフリカ全体のファッションという部分があることから、ブルキナファソという国家の中における「文化圏」についての記述はもう少しほしかった。ボボジュラッソが西のマンデ系の人々の影響が強いとすると、首都のワガドゥグは東側の文化の影響を大きく受けているといってもいいだろう。もちろん相対的な意味でだが。東からはハウサが通商のためにこのあたりに居留しており、きっとハウサの藍染綿布などは、割と昔からあったのではないか、と推測する。同じく綿布としては、マリの泥染め綿布のボゴランが有名だが、ワガドゥグでは今でも腰巻布として藍染を身に着けている人が散見される。ボボジュラッソでどうなのか、僕はよく知らないけど、感覚的にいくつかの点での文化的分断と連続がブルキナファソという国家内でも明確に分かれるのではないか。筆者が強烈に国民国家論に反対しているわけでもなさそうなので、この辺もこれからご意見を伺ってみたいところだ。

③ なぜ「女性のファッション」に着目したのかについて
最後に、本書は副題にもあるように「女性のファッション」に着目した著書だが、僕は最初題名を見た時に、ジェンダー(社会的性差)に関する記述がもっとあると思った。僕はあまりこうした議論が得意な方ではないので、なければないでとても読みやすかったのだけど、遠藤さん自身の「女性のファッション」への強烈なパッションはわかったけど、なぜもっと「ファッション」一般へと突っ込まなかったのか、という釈然としない思いが募った。男性の着衣がよりシンプルであり、研究対象として面白みに欠けるのは、なんとなくわかるが、それでも、女性にこだわる理由が明確でないなら、もう少し一般化できる課題に取り組んでもよかったかと思う。

ずいぶん生意気なことを書いたけど、直接ご本人を存じ上げる者として、エールを込めて。ますますの研究のご発展を祈りつつ。

【参考:目次】
序章
1.本書の目的
2.関連研究と本書の構成
3.調査地について
第Ⅰ部 衣服の成り立ち
第1章 パーニュができるまで:技術的歴史的背景
1-1. インド更紗とヨーロッパ更紗
1-2. ジャワ更紗
1-3. 模倣ジャワ更紗の生産と西アフリカでの普及
1-4. まとめ:グローバルな更紗の歴史とパーニュ
第2章 アフリカにおける服装の変遷に関する諸研究
2-1. 服装の変遷をみる視点
2-2. 植民地経験以前
2-3. 植民地経験とその後
2-4. まとめ:植民地期以前に成立していた衣服様式の普及
第3章 ボボジュラソにおける服装の変遷
3-1. ボボジュラソの最初の住民とその服装
3-2. 植民地支配と着衣の習慣の広まり
3-3. 高年齢の仕立て屋への聞き取りから
3-4. まとめ:1940~60年代に普及した着衣の習慣とその衣服様式
第Ⅱ部 衣服の特質と着用
第4章 パーニュを用いた衣服の所有と着用
4-1. 衣服の種類とその所有
4-2. 衣服の着用
4-3. パーニュを用いた衣服の特質:他の布との比較から
4-4. まとめ:装いの選択を広げるパーニュ
第5章 パーニュを用いた衣服のデザイン
5-1. 衣服の基本モデル
5-2. 女性と基本モデル
5-3. 細部の多様さと流行
5-4. まとめ:衣服の形の多様性と一時性
第6章 衣服の生産とファッション
6-1. ボボジュラソにおける仕立屋の分布状況
6-2. 仕立屋の事業:30店の事例から
6-3. 事業をよりよく営むために
6-4. まとめ:衣服をあっさえ形作る仕立業
第7章 流行を生み出すしくみ
7-1. 554点の受注記録から
7-2. 情報源1:他の女性のデザインを複製する
7-3. 情報源2:仕立屋にまかせる
7-4. 情報源3:モデル写真を参考にする
7-5. まとめ:小規模な活動が支える西アフリカのファッション
終章
1 パーニュを用いた衣服が支持される理由
2 グローバル化の中で保たれる文化の独自性
3 ギニア湾岸周辺地域の産業と文化

2013年6月9日日曜日

フランス的な。

パリに着いてから4日。水曜日の夜に到着して、木曜日にパリ市内に移動、以前からお世話になっているミズキさん+イスマ+ロウのお宅に居候している。金曜日はEHESSのセミナーに参加させていただく機会があり、はじめてフランス語で人類学の話を聞く。

たぶん以前僕は「白人的」な生活スタイルを志していたような気がするし、フランス的なちょっと退廃的なスタイルに憧れていた。でも、なんかバカバカしくて、そういうのは止めた。だからこんなスタイルにしました、という話ではなくて、自分なりには少し肩ひじ張るのをやめたつもりなのだけど、それはほかの人がどう見るかだけで、対してポリシーはない。なので、別にその意味では面白くない。

でも、いるところが変われば、そこの流れに体を任せなければどうしてもしんどくなってしまう。突っ張るより、少し流されてみる、つまり、フランス人っぽくふるまってみるのである。アフリカに行くときにほぼ必ず通るフランス。滞在時間は日本、ブルキナに次いで僕にとっては3番目に長い土地。なんとなく、ここの人たちの振る舞いは身体化できるようになってきただろうか。まだ数日だけど、ずいぶん馴染んできたように思う。

楽しいけど、すべきことはしっかりと残っており、あまりのんきなことは言っていられないのだけど。

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2013年6月6日木曜日

姜尚中『母-オモニ-』

おパリざんす。

姜尚中、こういう本も書いているのだな、と思って買った本です。寝る前に読むように入手した本だけど、ここのところ1行読む前に寝てしまうような状態だったので、読みかけにもかかわらず持ってきてしまった。飛行機の中で一気に読んだ。

相変わらずネタバレするようなことは書かないので、印象なのだけど、シンプルな話題、文体だけど(しかしあまりこなれない)、深みのある本。何度も書いてるけど、僕は母親ネタには非常に弱いので、それだけでウルウルきそうになるのだけど、それでもが戦後の混乱期をむしゃらに生き抜く母親の姿、クールに見えるのにとても孝行者の筆者、それだけでおなかいっぱいだった。

最後の「文庫版あとがき」にこんな一節がある。

「ありふれたひとりの母とその家族の物語とはいえ、そこには『三丁目の夕日』のような、ほのぼのとしたノスタルジーを掻き立てるものはどこにもない。それでも、その物語に多くの読者が感情を移入できたのは、本書の中に書き込まれた母の肖像が、民族や出自、背景や場所の違いを超えて、それぞれの読者の「母」の記憶と重なり合っていたからに違いない。それは、ある時代を生きた世代だけが共有し合えた「母」のイメージや記憶であるにしても、そこには間違いなく波乱に満ちた時代がしっかりと刻印されていたのである」(311)

『三丁目の…』は未来へと続く、成長の物語で、もし対置させるとしたら、日本に渦巻いたルサンチマンのはけ口にされた人びとの暗雲垂れ込めた未来への物語、というべきか。筆者自身がハングル名を名乗るに至った経緯や、強き母親像を織り交ぜながら語られる戦後の混乱期の日本におけるマイノリティの生き様。でも決して恨み節でないところが、この姜尚中という人のなせる業か。

この日韓関係のこじれた時期だから読み直してみたい一冊であることは間違いない。

2013年6月4日火曜日

いつもの風景。

出発前日。あれをやり、これをやり、というタスクはもちろんあるのだけど、多くの努力は出来るだけ背負った荷物を軽くするところに向けられる。「荷物」というのはもちろんメタファーで、「出発前にはここまで終わらせてから!」というタスクがその多くを占める。

学会とかイベントは時間が過ぎれば成功だろうが失敗だろうが、自動的に過ぎ去ってしまうのだけど、自分の実績に関しては、公的な〆切がない以上、どこらへんで諦めるか、というあたりで決まる。結局一つ、もう1年以上かかっているタスクを残してしまったのだけど、ほかの〆切がある仕事が一段落ついたので、ちょうど時間ができたパリで仕上げることにした。

時間ができたのは、僕にとっては天の恵みだが、実のところ複雑だ。というのが、ここへきてニジェールの情勢が緊迫してきたためにニジェール行き分が取りやめになり、この間がパリに置き換わった。1月のマリ情勢の悪化で、首都のニアメ以外はほぼ外出禁止になったのだが、3日前に起こった刑務所の襲撃事件により、一気に緊張が高まったことがその理由だ。調査が面白くなってきていたニジェールで仕事ができないのが残念だが、こればかりは仕方なし。出来ることはと言えば、早く収束してくれることを祈るのみだ。

ともあれ、荷造りをし、両替し、という出発前の風景はいつも通り。

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2013年6月2日日曜日

TICADとアフリカ学会

一昨日の自分たちのシンポがなんとか無事に終わり、昨日は半分ホテルにこもって仕事、あとは会場の方に行ってみた。なんともすごい人手で、びっくりした。自分らのシンポは数十人だったけど、昨日はすべて満席。立ち見もできないような状態だった。

安倍さんが新たな投資先、日本の将来がかかる大陸など、何とも主観的な見方をしているけど、これは日本の首相として全部ダメだとは思わないので、まあおいておいて、どんな理由にせよずいぶんたくさんの人が関心をもっているのだ、ということが分かった。

一方で、先週末に行われたアフリカ学会。今年50周年ということで、草創期を支えた御大が当時の話を交え、いかにしてこの学会ができたのか、ということをお話になった。豪快なエピソードがいくつも紹介され、本当に大変な思いをしてアフリカを勉強し始めたのだな、ということを感じた。

5年前のTICADⅣ。僕は発表のために会場の龍谷大学に行った。NGOから背を向け始めていた時期で、TICADには特に関心を払っていなかったのだけど、なんか違和感を感じた。アフリカという大陸をいくつもの分野で研究する人たちが集まっているのが、TICADの行われている横浜でなく、数百キロ離れた京都だったからだ。

そして今回の学会。おそらく「たまたま」東京で行われたけど、何人かが発表の枕でTICADのことに触れていたように思うけど、すごく他人事な気がした。

アフリカ学会50周年、非常に蓄積のある学会だと思う。こうした学会がTICADの蚊帳の外に置かれる、もしくは敢えて(?)蚊帳の外にあることは、何か釈然としない。日本が経済的で主観的な目でしかアフリカを見ているわけでなく、実に多様なまなざしでアフリカを眺めていること。それは別に何を生み出すものでもないかもしれないけど、でも何かまったく違うものを生み出すのではないか、と思っている。

もし第6回が行われるなら、アフリカ学会がいかにTICADにかかわるか、ということを真面目に議論してみてもいいように強く思う。