2017年2月28日火曜日

新たな世界へ

フィジー地図
いくつか溜まっていた、3年越しの仕事。なぜかすべて3年越し。これくらい時間をかけてよいものもあったし、予定外に長引いてしまったものもある。10日ほど前に、その一つを出し、今朝、もう一つの最終稿を出した。今日はもう一つ、速攻な仕事を一つ出した。とりあえず、これで10日間ほどいなくても何とかなる、と確信できる状況になった。

そんなわけで、明日からまた出張です。今度の行先はフィジー。何度かブルキナファソで調査をご一緒した、小林先生の科研費のメンバーに入れていただき、今年度から研究開始となった。カッセーナでやっている風土建築がテーマで、伝統と変容というのが、キーワードになるのだろう。僕のパートはやはり人類学的な調査。まずは少し仲良くなって、いろいろ村のことを聞いて、家系図を書いて…という手順が3年のうちに展開される。はず。

ずいぶん慣れ親しんでしまった西アフリカ。20年前の会社員時代に生き倒した東南アジア。そして、初めて行く太平洋諸島へ。何が待っているのだろう。少しの不安と楽しみと。いろんなものがまじりあっている。

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2017年2月26日日曜日

子育てと子ども学 Vol.12 抱くこと (201702「ストリート・チルドレン」調査@ワガドゥグ メモ-②)

20170215夜 スイスの支援者たちによる食料配給
さて、前回の投稿でも書きましたが、今回は心強い援軍のお陰で、今まで見ることができなかったところを見ることができ、この意味では本当に充実した調査になりました。

子どもの研究を標榜して早6,7年となります。どんな風にフィールドワークをするのか、様々な方と調査をご一緒させていただいたりしながら、このことがいつも頭の中にありました。とある先生の調査の方法は、限りなく子どもの世界に接近していくのですが、もう一つ外側から見ていて、子どもたちはこの先生のことをどう見ているのだろう、自分にここまでできるだろうか、なかなか悩ましい問題です。文化人類学のフィールドワークの一般的な方法論から言えば、まさに全うなアプローチなのですが、やはり、ここまで僕には全くできていません。

今回、スイスから来ていた慈善団体の活動に付き合わせてもらいました。この活動は、ストリートで生活する子ども、女性にパンや洋服、チョコレートを配布するというもの。今回調査に付き合ってくれたルードヴィックさんが毎年コーディネイトしています。これは、夜、皆が寝静まるころに行われるのですが、中に初めて行くサイトがありました。

そこは、夜間、子連れの女性、寡婦、年老いた女性が寝ているところです。我われが到着すると、そぞろに蚊帳の中からゆっくりと出てきます。その前に訪れた、ワイルドにパンを奪い合う子どもたちのサイトとは全く雰囲気が違い、みんなスタッフたちと談笑しながら、支援物資を受けていました。
ここに集うのは、夫に先立たれ、夫のイエを追い出された女性、魔女に疑われて住むところを失った女性、このあたりで考えられる、ありとあらゆる背景を持った女性たち。中によちよち歩きの赤ちゃんの姿もちらほらと…いかんともし難い雰囲気です。

子どもに目を移すと、小さな子どもは僕を含む白人たちにお母さんの陰に隠れてしまう。そんなこともよくわからない赤ちゃんは不思議そうに僕らのことを見ています。その中の一人を抱きかかえると、いい笑顔を返してくれます。少しルードヴィックの話を聞くため、彼女を下におろして彼のところに向かうと、よちよちと追いかけてくるので、抱っこしながら話を聞くことにしました。そこにいたのは10分くらいでしょうか。彼女を抱っこしていたのも数分間。彼女はずっと僕を追いかけてきます。お母さんが抱きかかえるのですが…

話を元に戻すと、僕は完全に大人。子どもにはなれるわけがない。(こんな話もよく聞く話ですが。)僕は父親で、そこで抱きかかえた彼女の重みは、貴一朗と同じようなもので、しばらく離れた我が子を思わないわけもない。彼女を抱っこした瞬間、こういう関係性になるのだけど、どうもここがストイックな研究者と凡人の間の分水量だったようでした。「カワイイ」と言って、罪のない子どもと、生まれて間もなく、貧困という厳しい現実の中にいる子ども。前者は抱っこすることで人との間が縮まるが、後者の場合、僕の立ち位置は、支援者にぐっと寄ってしまう。

僕の感情や感覚の中だけの問題で、いささか自意識過剰な書き方でお恥ずかしい限りだけど、研究者としての立ち位置にどのように影響するのだろうか。客観的に記述することを意識できるのだろうか。こんなことを考えさせられた場面でした。

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『あん』(河瀨直美監督、2015年)


ちょっと前に見たので、記憶があやふやになりつつあるけど、結構ズシンと来た映画なので、メモします。

何度も書いていますが、基本的に飛行機に乗ると邦画を見ます。まあ、まさかハリウッドを外して海外の単館系の映画を飛行機でやると思えないので、大体ドンパチものが多くなる反面、特にANA(しか知らないですが)はかなり渋いセレクションをしてくれるので、毎回これも楽しみの一つ。これを見たのは、昨年末の帰りの便。

もはや、河瀨直美監督と言ったら、売れ筋なのかもしれないけど、初期のころの映画は、無声映画かと思うほど、静かな作品が多かった。僕のイメージでは、河瀨直美さんの作品は、夏の奈良の山奥、濃い緑、という印象がある。この作品はまったくそんなものではなくて、どちらかというと、上の宣材にもあるように、桜色がこの作品の色で、ああ、確かに、アンコがシンボルなのだから、赤めの色なのかな…と勝手に解釈してみたりもする。

ともあれ、簡単にあらすじ。

冴えないどら焼き屋「どら春」の雇われ店主、千太郎(長瀬正敏)の元に、ある日、1人の老女徳江(樹木希林)が訪れる。千太郎が出した求人広告に応募するためだった。70歳を超えた徳江に、「年齢不詳」としたものの千太郎はなんとか断ろうとするが、徳江の熱心な説得に、粒あんづくりを任せることにした。徳江の作る粒あんのおいしさは、千太郎も驚き、瞬く間に評判を呼ぶ。しかし、徳江はハンセン氏病棟の住人。この噂が広まり、次第にどら焼きは売れなくなってしまう。徳江はそれを察して店に来なくなってしまう。雇われ店長の千太郎は、それをいかんともできなかった。千太郎は、丁寧に、そして純粋にあんを愛し、また、社会とのかかわりを渇望した徳江をやめさせてしまったことに悩む。その後、千太郎と常連の中学生ワカナ(内田伽羅)は病棟の徳江の元を訪れることにする。そこで、徳江は、「こういうことをやってみたかった。雇ってくれてありがとう」と千太郎に深々と礼を述べる。そして間もなくして徳江は亡くなるが、千太郎たちのために、自分が使っていたあんづくりの道具を残していたのだった。

このブログを書きながら知りましたが、原作はドリアン助川なのですね。僕らの学生時代のヒーローの一人です。「叫ぶ詩人の会」ですね。様々な差別問題があるなか、こうして時々それぞれの差別の構造を復習できるような作品が出てくるのはとても重要なこと。「らい病」とか「ハンセン氏病」が法的に隔離されていたのは割と最近までで、「らい予防法」が廃止されたのは、1997年。まだ20年前のこと。すでにほぼ完全に治療ができるようになり、日本では年間0人~1人の感染者しか出ない。しかし、現在でも、重度罹患者が残っており、この映画に出てくるように、差別もされている。この問題も現在進行形なのだ。こういうところを描こうとする作家と映画監督。本当に貴重な作品だと思います。

ネットで調べていたら、ドリアン助川氏へのインタビュー記事が出ていたので、引用します。

***以下引用です***
1990年代に「正義のラジオ ジャンベルジャン!」というラジオの深夜番組をやっていて、10代の中高生と生で話していました。よく俺が投げかけたのが、本当に青臭いんですけど「どう生きたら納得できるのか」ということ。たくさんの子が割と紋切り型に「社会の役に立ちたい」「人の役に立ちたい」「そうでないと生きている意味がない」と言うけど、俺は内心、何か隙がいっぱいある言葉のように思えたんですよね。
当時バンド(「叫ぶ詩人の会」)をやっていて、レコード会社の担当プロデューサーの子供が2歳で亡くなったんです。心臓に大きな病があって、病院から一歩も出られず、僕が誕生祝いに贈った小さな靴を1回も履くことなく、一緒に棺に入れられた。
その子の人生にどんな意味があるんだろうと思っていた頃、1996年に「らい予防法」が廃止されて、ハンセン病の患者たちの人生がメディアで浮き彫りになったんです。子供の時に発病して療養所から出られず、70歳、80歳になった人たちにも絶対、生まれてきた意味があるはずだし、「人の役に立たないと」という言葉の暴力性を感じたんですよね。ハンセン病の療養所を背景に、本当の命の意味を書こうと誓った。でも北条民雄さんなど、患者の手記を読むと、壮絶すぎて、心がやけどしたようになる。患者でもない人間が、無理かな、おこがましいかな、と、手が出ない状況が続いていました。
単行本が2013年2月に出版されてから、角田光代さんや中島京子さん、その他いろんな方が書評を書いてくださって、あれあれ、という間に広がった。すぐにNHKが西田敏行さんと竹下景子さんで、ラジオで連続ドラマを6回やってくださった。
映画化のオファーもあったんだけど、聞こえないものを聞こうとする、見えないものを見ようとする人の物語。そんなものを撮れる人は河瀬直美さんしかいないと思った。2011年に彼女の作品「朱花の月」に出演させてもらったんですが、彼女は自分が書いた物語以外は絶対に撮らないんです。無理だろうなと思いながら手紙を添えて本を送ったら、1カ月後ぐらいに「号泣しました。私でいいんですか」と返事が来た。
執筆していた3年間、上野さんを精神的モデルにしながら、ビジュアルのモデルを樹木希林さんに書いていた。希林さんの「ずれ方」がすごく愛らしくてファンなんです。希林さんにも手紙を書いて本を送りました。河瀬さんも口説きにいってくれて「やりましょ、やりましょ」って言ってくれた。河瀬監督は奄美和光園の療養所に行って、「初めてわかりました。病んでいるのは囲いの外です」というメールを送ってきた。希林さんは上野正子さんにも会いにいってくれたし、クランクインの1カ月前から手を縛って生活して、ものすごく役に入り込んでくれた。
──国際的な反響は大きかったですね。
2014年1月にスポンサーゼロでスタートした企画が、あれよあれよとスポンサーも決まって、2015年6月にカンヌのオープニングを迎えられた。生きている人間だけじゃなくて、いろんなものが後押ししてくれたような気がします。全員、壇上に上がってスピーチしましたし、すごい拍手が5分ぐらい鳴りやまなかった。希林さんが「拍手している人たち、手が痛いでしょ」と言って、舞台から下がっちゃったので終わりましたけど。カンヌから2週間で40カ国で上映が決まりました。
うれしかったのは、地中海にある小さな島、マルタの映画祭で作品賞と主演女優賞を取ったこと。まったく違う人種、文化で、審査員の満場一致。観客の熱気が後押ししてくれていた。たぶんマルタの人はどら焼きなんて見たことないだろうけど、人の命とは何かという普遍的なところで、河瀬さんの作品が伝わっている。徳江さんの気持ちが国境を越えたんだと思う。
時間の都合でカットされたシーンも多くありますが、幸せなことに、なぜ俺がこれを書いたのかを、監督と俳優陣が完全に理解してくれているので、シーンの数は減っても違和感はない。完全版は朗読劇でやっています。中井貴恵さん演じる徳江さんはまた違ったよさがあります。全国を回って公演するつもりです。
千太郎が働く「どら春」は、ハンセン病患者が働いていると噂が立ってお客さんが減っていきます。そんなことが、今の日本であるのかとも思いましたが。
それはね、多磨全生園のある東京都東村山市は今「あん」で町おこししようと動いてくれているんですが、あの場面が「それが東村山だってことになる」と反対の市民もいるんです。でも市長は「じゃあこの町に差別はないのか」と言ってくれた。
「らい予防法」が廃止されて十数年経つけど、入所者や納骨堂の骨はまだほとんど故郷に帰れていない。受け入れてもらえないんですよ。それが何よりも現状を語っています。本を読んだり、映画を見たりした方から「指が曲がった人がどら焼きを作ってたら、その店に私は行きません」というメールも来ます。日常的に接すれば、何ということはないんですけどね。誰だって鼻が取れた人を見ればショックを受けるけど、たくさんの経験や、学んだことで、屁とも思わなくなることも立派な教養だと思うんだよね。
──2015年にこの作品が広く受け入れられる意味って何でしょう。
NYでマンハッタンに住んでいて、2001年9月11日の同時多発テロを目の前で見たんですよ。アメリカがどう戦争に向かっていくか、つぶさに見た。アフガンやイラクに行く連中を、ブッシュ(大統領)は「選良」と呼んだ。良き市民が正義、自由のために勇敢に戦うと。日本でも「社会のために」がいつ「国家のために」「役に立つ、これが正義」となるかわからない。もう寸前まで来ていますよ。たかだか100年の人生で、誰のものでもない小さな島のために命を捨ててどうしますか。そんなところが伝わっているのかもしれませんね。
(Huffpost 20150714, 吉野太一郎氏のドリアン助川氏へのインタビュー、http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/13/an-sukegawa-interview_n_7790076.html、20170209閲覧)

2017年2月25日土曜日

『聖の青春』(森義隆監督、2016年)


(『聖の青春』公式HP http://satoshi-movie.jp/より)
先日の調査の往路の飛行機で見た作品その①。

【あらすじ】
関西を中心に活躍した棋士・村山聖を松山ケンイチが演じた。聖は幼少のころから腎ネフローゼを患い、入退院を繰り返すが、父の勧めで始めた将棋に没頭するようになる。その後、師匠(リリー・フランキー)と出会い、聖はメキメキと頭角を現し、やがて、東京の羽生善治(東出昌大)の存在を意識するようになる。聖は東京に出て、羽生との対戦を重ねるが、聖の体を病魔がむしばむ。ガンだった。聖は治療を拒み、最後の瞬間まで羽生と戦うことを選択する。

【感想】
松山ケンイチが役作りのために20㎏の体重増をしたことで有名な作品。将棋という、とても静的な競技を中心としたもので、将棋の知識がなくても大丈夫だろうか…と思ったが、これは杞憂。とにかく、松山ケンイチとそのわきを固める、リリー・フランキーや竹下景子(聖の母親)といった、安定のわき役たちとの絡みで十分に見られる。
しかし、テーマ的にあまり興味がなかったので、たぶんもう一度見ることはないだろうけど、悪くはなかった。松山ケンイチと東出昌大の演技は一見の価値がある。

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2017年2月15日水曜日

201702「ストリート・チルドレン」調査@ワガドゥグ メモ-①

20170211 サイト近くに落ちていたトマト缶(物乞いの象徴)
「ストリート・チルドレン」調査4日目。明日はアシスタントをしてくれているLudovicがやんごとなき用事があるとかで、最終日の午前中のみ。

調査をしようとしたとき、焦ってたくさんのことを詰め込みすぎると、まずすべて達成できることはない。長い調査期間がとれた大学院生時代には、まったくこんなことを考えなくて、できるところまで、という感覚でやっていたけど、多少なり結果を意識しだしたここ何年かは、いかに効果的にたくさんの情報を集めるか、ということが頭の多くを占めるようになった。しかも、今回は久しぶりの自分のためだけの調査ということで、その意識はより強くなっていた。

到着翌日に、ずっとお世話になっているNGO、KEOOGOを訪問して、アシスタントをしていただける方を紹介してもらう。Ludovic Savadogoさんというフィールドワーカー20年の大ベテランがちょうど年末に契約が切れたから、ということで、この方に手伝ってもらうことに。翌日、こちらがやりたい調査を説明して、条件を調整して、木曜日から調査を開始した。

さすがに、この道20年のベテラン。僕など、以前の調査で手伝ってもらった子どもたちがいなくなれば、まったくの新参者と化していたが、まあ、いろんな人が出てくる。何度も顔を見たことがあったけど、実はストリート生活がずいぶん長くて、ベネフィッシャー(受益者/「ストリート・チルドレン」)だとわからなかった人がわんさと出てくる。

初日は、今回の調査地の主をあいさつ回り。こちらもこの道(「ストリート・チルドレン」)30年近い、僕よりも年上の大ボス、彼の仲間の数名に会った。実に面白かったし、彼らの見てきたワガドゥグは、教科書(そんなものは存在しないですが)で読むのとは、一味も二味も違うワガドゥグという街。乱暴な警察、壁の向こうの世界、そして、街の発展や、人びとの変化、とてもリッチな話を、僕は満喫した。これはすごい調査になるぞ、そんな期待感を持ちながら…

しかし、2日目。そんな期待にほとぼりを持った僕の頭に冷や水を浴びせられる。そんな調査などできないことが分かった。子どもたちを見ていると、午前中に適当に腹が満ちると、すぐにコル(シンナー)を始める。もちろん、知らないわけではなかったし、前回の調査の時に手伝ってもらったうちの一人は、ひどいシンナー中毒だったから。しかし、それは少々甘い認識で、NGOの人を目の前に平気でシンナーを吸い始める。しばらくすると、ろれつが回らなくなり、話していることが全く理解できなくなる。そして、お昼頃になると、すっかり深い眠りについてしまう。

ということは、話を聞こうと思ったら、朝の数時間が勝負。そして、僕らは彼らに「どこから来たの?」とか、「何がしたいの?」などと一々彼らにとって都合の悪い話ばかり聞くわけだから、途中で「疲れた」と言ってプイっとそっぽを向いたり、どこかに行ってしまったり。もの珍しくて、「俺の話も聞いてくれ」と言ってくる子もいるけど、「じゃあ、次ね」と言っておいても、いつの間にかいなくなってしまっていたり。

トータルで見て、Ludovicのお陰でとてもフルーツフルな調査になっているけど、インタビューのサンプル数で言えば、まあ、予定の半分以下。全体の調査で言えば、今の3倍-4倍くらいは欲しいところ。

残り、あと半日、というか、2-3時間でどれだけ取れるか、こういう勝負になってきた。

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2017年2月4日土曜日

一抹の後悔:今度の調査とこれまでの研究生活

昨日は「ここ数か月だいぶ頑張って、ちょっとした休みで少し息を吹き返した」ということを書いたのだけど、今日は少し自省の念を込めて。

もともと、あんまり過去にはこだわらない性格だと思っているけど、たまにはこういうことも考えねば、ということで、少し過去を振り返ってみたいと思う。

2年前から更新しているホームページ。業績のところに、これまでの調査歴も書いてあるのだけど、ここまでで31回の海外調査をしている。この中で、依頼調査や受託調査といわれる類のもの、もちろん、地球研の時の調査は、半分これに該当する。本来、博論をあげるまでには、人類学に限った話だけど、12か月~18か月ほどの調査期間が必要で、間違いなくこの期間は超えているのだけど、自分の研究に没頭した調査というのは、実は本当に少ない。おそらく、12か月にも届いていないだろう。博論が書けない言い訳に聞こえると嫌なのだけど、これが一つの後悔と言っているところだ。もっと自分の調査に没頭しておけばよかった…

でも、実は、こうなったのは、「研究で飯を食う」(会社を辞めた時は「アフリカで飯を食う」という理由だったのだけど)ために、その時その時でチャンスに喰らいついたからで、逆にそのおかげで何とか「研究で飯を食」うようになってから、5年目になる。博士も取らずに。

地球研に入る前には、地球研での調査は、自分の好きなように、また、広大に来る時にも、仕事をこなしながら自分の調査を…と思って入っているのだけど、100%自分の思うようになることはない。当たり前のことだけど、それぞれでタスクがあり、そのタスクをこなしながらなので、当然相当しんどいことになる。

そんな中、職場にも多少迷惑をかけつつ、ようやくありついた「自分の調査」。明後日から、ようやく心置きなく調査ができる。たった10日。でも、とてもとても貴重な10日間。しっかりやんないといけないですね。

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2017年2月2日木曜日

1月から2月へ、そして尾道小旅行

村上宏治さん撮影20170202@尾道市、浄土寺にて
いやはや、まったく時間がたつのは早いものだ。

「今年ももう1か月経ってしまった」というのは、たぶん毎年1月末にはに思っている…。

昨年の後半あたりから仕事がオーバーフロー気味で、少し振り返れば、精神的にも多少疲弊していて、ずいぶんしんどかった。「〇×がしたい!」という欲望は減退して、「あれをやらねば…」という毎日で、よくもまあ今日こうして過ごせるものだ、というほど綱渡りな日々。つい今朝方までそんな生活。今朝方、2月1日が締め切りの原稿を提出した。

こういう生活が習慣化していたので、逆になんか今日中に仕上げねばということはなかったか…と探してみたら、とりあえずのところTodoリストには何もない。あぁ…終わったか…

なんとかひと段落。もちろん、これらに付随する作業がポツポツと残っているけど、何とかかんとか目途が立ったようだ。

ちょうど先週から日本に滞在していたフレデリックが広島に滞在していたので、一緒に尾道へ。固定観念で、フランス人なら嫌いなわけはない、ということで、変な平和学習的に広島に行くよりもこちらを選んだ。案の定、ずいぶん感銘を受けていたようで、最低限のことはできたと少しホッと胸をなでおろす。

フレデリックもそうなのだけど、今回は連れ合いと貴一朗も一緒に連れて行った。ついでのようで申し訳ないけど。でも、とても穏やかで優しい性格のフレデリック。連れ合いもきっと気に入ってくれるだろう、と思い、紹介も兼ね、たまにはフランス語をしゃべってもらおうとか、貴一朗も抱っこしてもらおうとか…

そして、これもついでのようで申し訳ないのだけど、しばらく村上さんにもお会いしていなかったので、ご無沙汰ぶりの再会も兼ねさせてもらった。

なんかいろんなものがごちゃまぜだったけど、うまいこと楽しい時間が作り出せた。いろいろと申し訳ないこともあったのだけど、少し心安らかに気の置けない人たちとの時間が過ごせて、心地よい疲れと充実感に包まれて。

ブログを書いていたら冷たくなってしまったけど、久しぶりの自宅での焼酎薄めのお湯わり。

そろそろ寝ますかね。

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