2017年2月26日日曜日

『あん』(河瀨直美監督、2015年)


ちょっと前に見たので、記憶があやふやになりつつあるけど、結構ズシンと来た映画なので、メモします。

何度も書いていますが、基本的に飛行機に乗ると邦画を見ます。まあ、まさかハリウッドを外して海外の単館系の映画を飛行機でやると思えないので、大体ドンパチものが多くなる反面、特にANA(しか知らないですが)はかなり渋いセレクションをしてくれるので、毎回これも楽しみの一つ。これを見たのは、昨年末の帰りの便。

もはや、河瀨直美監督と言ったら、売れ筋なのかもしれないけど、初期のころの映画は、無声映画かと思うほど、静かな作品が多かった。僕のイメージでは、河瀨直美さんの作品は、夏の奈良の山奥、濃い緑、という印象がある。この作品はまったくそんなものではなくて、どちらかというと、上の宣材にもあるように、桜色がこの作品の色で、ああ、確かに、アンコがシンボルなのだから、赤めの色なのかな…と勝手に解釈してみたりもする。

ともあれ、簡単にあらすじ。

冴えないどら焼き屋「どら春」の雇われ店主、千太郎(長瀬正敏)の元に、ある日、1人の老女徳江(樹木希林)が訪れる。千太郎が出した求人広告に応募するためだった。70歳を超えた徳江に、「年齢不詳」としたものの千太郎はなんとか断ろうとするが、徳江の熱心な説得に、粒あんづくりを任せることにした。徳江の作る粒あんのおいしさは、千太郎も驚き、瞬く間に評判を呼ぶ。しかし、徳江はハンセン氏病棟の住人。この噂が広まり、次第にどら焼きは売れなくなってしまう。徳江はそれを察して店に来なくなってしまう。雇われ店長の千太郎は、それをいかんともできなかった。千太郎は、丁寧に、そして純粋にあんを愛し、また、社会とのかかわりを渇望した徳江をやめさせてしまったことに悩む。その後、千太郎と常連の中学生ワカナ(内田伽羅)は病棟の徳江の元を訪れることにする。そこで、徳江は、「こういうことをやってみたかった。雇ってくれてありがとう」と千太郎に深々と礼を述べる。そして間もなくして徳江は亡くなるが、千太郎たちのために、自分が使っていたあんづくりの道具を残していたのだった。

このブログを書きながら知りましたが、原作はドリアン助川なのですね。僕らの学生時代のヒーローの一人です。「叫ぶ詩人の会」ですね。様々な差別問題があるなか、こうして時々それぞれの差別の構造を復習できるような作品が出てくるのはとても重要なこと。「らい病」とか「ハンセン氏病」が法的に隔離されていたのは割と最近までで、「らい予防法」が廃止されたのは、1997年。まだ20年前のこと。すでにほぼ完全に治療ができるようになり、日本では年間0人~1人の感染者しか出ない。しかし、現在でも、重度罹患者が残っており、この映画に出てくるように、差別もされている。この問題も現在進行形なのだ。こういうところを描こうとする作家と映画監督。本当に貴重な作品だと思います。

ネットで調べていたら、ドリアン助川氏へのインタビュー記事が出ていたので、引用します。

***以下引用です***
1990年代に「正義のラジオ ジャンベルジャン!」というラジオの深夜番組をやっていて、10代の中高生と生で話していました。よく俺が投げかけたのが、本当に青臭いんですけど「どう生きたら納得できるのか」ということ。たくさんの子が割と紋切り型に「社会の役に立ちたい」「人の役に立ちたい」「そうでないと生きている意味がない」と言うけど、俺は内心、何か隙がいっぱいある言葉のように思えたんですよね。
当時バンド(「叫ぶ詩人の会」)をやっていて、レコード会社の担当プロデューサーの子供が2歳で亡くなったんです。心臓に大きな病があって、病院から一歩も出られず、僕が誕生祝いに贈った小さな靴を1回も履くことなく、一緒に棺に入れられた。
その子の人生にどんな意味があるんだろうと思っていた頃、1996年に「らい予防法」が廃止されて、ハンセン病の患者たちの人生がメディアで浮き彫りになったんです。子供の時に発病して療養所から出られず、70歳、80歳になった人たちにも絶対、生まれてきた意味があるはずだし、「人の役に立たないと」という言葉の暴力性を感じたんですよね。ハンセン病の療養所を背景に、本当の命の意味を書こうと誓った。でも北条民雄さんなど、患者の手記を読むと、壮絶すぎて、心がやけどしたようになる。患者でもない人間が、無理かな、おこがましいかな、と、手が出ない状況が続いていました。
単行本が2013年2月に出版されてから、角田光代さんや中島京子さん、その他いろんな方が書評を書いてくださって、あれあれ、という間に広がった。すぐにNHKが西田敏行さんと竹下景子さんで、ラジオで連続ドラマを6回やってくださった。
映画化のオファーもあったんだけど、聞こえないものを聞こうとする、見えないものを見ようとする人の物語。そんなものを撮れる人は河瀬直美さんしかいないと思った。2011年に彼女の作品「朱花の月」に出演させてもらったんですが、彼女は自分が書いた物語以外は絶対に撮らないんです。無理だろうなと思いながら手紙を添えて本を送ったら、1カ月後ぐらいに「号泣しました。私でいいんですか」と返事が来た。
執筆していた3年間、上野さんを精神的モデルにしながら、ビジュアルのモデルを樹木希林さんに書いていた。希林さんの「ずれ方」がすごく愛らしくてファンなんです。希林さんにも手紙を書いて本を送りました。河瀬さんも口説きにいってくれて「やりましょ、やりましょ」って言ってくれた。河瀬監督は奄美和光園の療養所に行って、「初めてわかりました。病んでいるのは囲いの外です」というメールを送ってきた。希林さんは上野正子さんにも会いにいってくれたし、クランクインの1カ月前から手を縛って生活して、ものすごく役に入り込んでくれた。
──国際的な反響は大きかったですね。
2014年1月にスポンサーゼロでスタートした企画が、あれよあれよとスポンサーも決まって、2015年6月にカンヌのオープニングを迎えられた。生きている人間だけじゃなくて、いろんなものが後押ししてくれたような気がします。全員、壇上に上がってスピーチしましたし、すごい拍手が5分ぐらい鳴りやまなかった。希林さんが「拍手している人たち、手が痛いでしょ」と言って、舞台から下がっちゃったので終わりましたけど。カンヌから2週間で40カ国で上映が決まりました。
うれしかったのは、地中海にある小さな島、マルタの映画祭で作品賞と主演女優賞を取ったこと。まったく違う人種、文化で、審査員の満場一致。観客の熱気が後押ししてくれていた。たぶんマルタの人はどら焼きなんて見たことないだろうけど、人の命とは何かという普遍的なところで、河瀬さんの作品が伝わっている。徳江さんの気持ちが国境を越えたんだと思う。
時間の都合でカットされたシーンも多くありますが、幸せなことに、なぜ俺がこれを書いたのかを、監督と俳優陣が完全に理解してくれているので、シーンの数は減っても違和感はない。完全版は朗読劇でやっています。中井貴恵さん演じる徳江さんはまた違ったよさがあります。全国を回って公演するつもりです。
千太郎が働く「どら春」は、ハンセン病患者が働いていると噂が立ってお客さんが減っていきます。そんなことが、今の日本であるのかとも思いましたが。
それはね、多磨全生園のある東京都東村山市は今「あん」で町おこししようと動いてくれているんですが、あの場面が「それが東村山だってことになる」と反対の市民もいるんです。でも市長は「じゃあこの町に差別はないのか」と言ってくれた。
「らい予防法」が廃止されて十数年経つけど、入所者や納骨堂の骨はまだほとんど故郷に帰れていない。受け入れてもらえないんですよ。それが何よりも現状を語っています。本を読んだり、映画を見たりした方から「指が曲がった人がどら焼きを作ってたら、その店に私は行きません」というメールも来ます。日常的に接すれば、何ということはないんですけどね。誰だって鼻が取れた人を見ればショックを受けるけど、たくさんの経験や、学んだことで、屁とも思わなくなることも立派な教養だと思うんだよね。
──2015年にこの作品が広く受け入れられる意味って何でしょう。
NYでマンハッタンに住んでいて、2001年9月11日の同時多発テロを目の前で見たんですよ。アメリカがどう戦争に向かっていくか、つぶさに見た。アフガンやイラクに行く連中を、ブッシュ(大統領)は「選良」と呼んだ。良き市民が正義、自由のために勇敢に戦うと。日本でも「社会のために」がいつ「国家のために」「役に立つ、これが正義」となるかわからない。もう寸前まで来ていますよ。たかだか100年の人生で、誰のものでもない小さな島のために命を捨ててどうしますか。そんなところが伝わっているのかもしれませんね。
(Huffpost 20150714, 吉野太一郎氏のドリアン助川氏へのインタビュー、http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/13/an-sukegawa-interview_n_7790076.html、20170209閲覧)

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