2015年9月30日水曜日

速水健朗2013『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』朝日新聞出版


速水健朗さんの作品第2弾。先日の『ラーメンと愛国』に続く食文化シリーズ。

前回のようにメモ書きはしませんが、こっちはえらく文字も大きく、さらさらっと読める。

この本の中でも言われているけど、左翼と右翼というのは、それぞれにどんな整合性があるのやらだんだんよくわからなくなるけど、というほどにどっちがどっちでもよいということ。でも、この本の中では、おもしろいマトリックスがあるし、それに左右の考え方をくっつけたときになかなか面白い分析ができるのだ、ということがわかる。

こんな雑駁な感想で申し訳ないのだけど、このキャリアと容貌で、この人がジロリアンだったら、ちょっと意外な感じがしてしまう。

「もっと日常や生活、そして消費などの延長線上に生じるものとしての政治の話を書いてみたかった」(204)

ということが何度か繰り返されるのだけど、この問題意識や善し。意識せずとも広義の政治には加担している、ということを僕らに語り掛けてくれるのは、ここのところの「政治」に嫌気がさしてきた僕の耳にもとても心地よい。

ぜひ小旅行にでもお持ちいただきたい一冊です。

空の写真

初めて飛行機に乗ったのは、もう20年以上前のこと。乗る回数は年によって変わるけど、確実に日常化しつつある。連れ合いと付き合い始めたときは、まだまだ「高所恐怖症」で、カタッと揺れただけでも、手にじんわりと汗をかいていたほど。

そんでもって、スペースの広さを考慮して基本的にとる席は通路側。なんで、外を見るなんてことはほとんどしてこなかった。でも、最近、席が空いていると窓の外を見るようになった。だんだん雲の上の景色が美しく思えてくるように(かと言って、スカイダイビングなど、考えもしないけど)。結構撮りためているのだけど、そのうちの何枚かを。


上の写真は、午後のギリシャあたり。まだほんの少し夏っぽい積乱雲が見えたりします。窓越しだけど、真っ青な空と真っ白な雲。本当に美しかった…


次は、左側に見えるのが地中海で、陸地はチュニジアあたり。アフリカ大陸っぽく茶色い大地に、雲の少ない風景。


で、最後はアクラを飛び立ち、ギニア湾岸沿いにロメに向かう途中。たぶんアクラの中心街当たりではないだろうか。大都市。

それにしても、今回は飛行機運がいい。関空‐イスタンブール間は3人掛けを2人、イスタンブール‐アクラ間は3人掛けを占拠。アクラ‐ロメ間は2人掛けを占拠、ロメ‐ダカールは3人掛けを2人、という感じ。さすがに次のダカール‐パリ間は満席だろうけど、パリからの帰りが空いてるといいのだけど。

2015年9月19日土曜日

速水健朗2011『ラーメンと愛国』講談社



ずいぶん前に知人から勧められていた本書。タイトルは「ラーメンと愛国?どうつなげるんだろう」と関心をひくものです。

速水健朗さんの本は『1995』に続き2冊目。速水さんは僕と同世代で、『1995』などもそうですが、彼が書くことにはとてもリアリティを持って読むことができる。かなり筆の早い人で(僕との比較なので、羨みやらたくさん感情がこもっています。為念)、40歳前後で新書を相当数だしています。●●学者ではないですが、僕らの世代の大切な語り部だと思っています。

ちなみに、特にこの本を批判される方が多いのですが、ここではそこは置いておきます。

それでは、簡単に本書の内容を。

乱暴に本書の流れを纏めてみよう。中国料理のはずだった「ラーメン」がいかに日本に受け入れられ、国民食にまで昇華されたのかというプロセスを追いながら、このプロセスは戦後のアメリカのライフスタイル志向から、「日本的なるもの」への志向への回帰とも密接に結びつきながら展開していったことを示していく。「日本的なる物」は、必ずしも日本古来の真なる伝統は必要ない。つまり、真なる伝統を突き詰めてきたと考えられるナショナリズムではなく、趣味的共同体としてのナショナリズムこそが僕ら(90年代頃に社会に参加し始めた年代)のナショナルなアイデンティティなのだ。

ちなみに、個人的にラーメンは好きだが、体調のことを考え、週1回以下にしているし、以前に比べたら、かなり頻度は減った。しかし、5章あたりで紹介されているラーメン屋は大概暖簾をくぐったことはあるので、なりにすきなのでしょう。

この人の本はデータが豊富で、面白い話題がふんだんに盛り込まれているので、そんなのも含めて章毎のまとめをしながらメモを残しておきたい。長文というか、一応、文脈を意識しながらメモしたが、断片的ではあるので、

第1章
・第二次大戦後、日本は食糧難に陥るが、アメリカからの「ララ物資」により最悪の時代を乗り切る。しかし、この「ララ物資」は純粋に日本を救済するためのものではなく、大戦期に生産力をつけすぎたアメリカ国内の小麦農家の生産物の逃げ場所として利用された側面がある。
・こうした小麦は、「粉食奨励費」や学校給食を通じて、日本に浸透していく。
・従来、米食に固執してきた日本の国民が、なぜこうした小麦食に傾倒していくのか。敗戦によるアイデンティティ・クライシス、また、日本人が粉食を主とする欧米人に体格的に劣っていることへ反省など。
・のちにチキンラーメンを作る安藤百福は、戦後直後に「支那ソバ」に行列を作る人々を目の辺りにし、「工業生産によるラーメン」を作ることを誓う。同じ小麦食でも、東洋に根付く麺に着目する。ちなみに、安藤は日帝時代の台湾の出身であったため、日本の伝統的に食されたうどんではなく、東洋にまで視野を広げた支那ソバが選択された。

第2章
・戦後復興→大量生産/経済発展/大量生産(アメリカ式製造方式/フォーディズム)
・第二次世界大戦→戦後の日本において、デミングの統計学や品質管理の手法を学ぶことで、日本の生産力の成長が促された。
チキンラーメンの安藤百福:オートメーション化
・大量消費される場としてのスーパーマーケット(50年代の「紀伊国屋」(高級志向)、「主婦の店ダイエー」(庶民向け))など流通インフラの整備が整ったことにある。
→チキンラーメンがヒットした理由は流通インフラ
・チキンラーメンが日本の食生活を大きく変えたように、アメリカ人の食生活を変えたインスタント食品にコーンフレークがある。コーンフレークは、終末論的な新興宗教(セブンスデー・アドベンティスト派)の健康改善療養所の所長を務めていたケロッグ博士が考案。禁欲を旨とするこの宗派の宗教的理想を達成すべく、性欲を抑制に効果があると考えられていた全粒食品を、博士が開発したフレーク加工技術を使って実現した。しかし、事務長を務めていた、ケロッグ博士の弟が商品化、その際に砂糖をまぶすことを発案したが、性欲を促進すると考えられていた砂糖を使うことに激怒。兄の怒りを買いながらも弟は商品化を決行、大ヒット商品となった。
・百福はテレビによる宣伝にこだわる。1953年に放送が始まったばかりのテレビ58年のチキンラーメン発売当初から広告を打つ。また、子供向け番組を提供し、子どもへのアピールに力を入れた。この結果、「支那そば」「中華そば」と呼ばれていたものが、「ラーメン」に置き換わった。

第3章
・その後、さまざまなメディアに登場するラーメン。ホームドラマ、『渡る世間は鬼ばかり』の舞台は、幸楽という「ラーメン屋」。小島家(幸楽)は「昭和的」家族の象徴。
・「ドラマや漫画におけるラーメン屋は、庶民的であることや貧困な生活の象徴として用いられる」(106)
・戦後、日本が豊かになるなかで、闇市の屋台ラーメン屋が固定店舗のラーメン屋になっていくことが時代とオーバーラップしている。
・『ALWAYS 三丁目の夕日』+「ラーメン博物館が再現しようとした年」は昭和33年。この年はインスタントラーメンの誕生や東京タワーの建設など、戦後の混乱期から高度経済発展期に移行する時期のエポックメイキングな年。「“あの頃”の遠い記憶」(114)がラーメンと結びつくようななる。
・独身男性を中心とした日本人の生活に浸透するインスタントラーメン。あさま山荘で対峙する反体制側の学生も、警察も、厳しい寒さの中でインスタントラーメンを食べ、これが当時まだ珍しかった生放送で国民に伝えられる。

第4章
・ラーメン博物館館長の岩岡洋志氏の語り「郷土料理も強度ラーメンも、その地域で長く生活している人々によって、時間の経過とともに練り上げられてきたもの…郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした味が生まれました」への疑問。日本全国にご当地ラーメンが発生していった経緯を戦後の国土開発の流れに重ね合わせる試み。

・田中角栄を軸に考える
◆前期:角栄が政治家として道路行政に関わった52年から首相になる72年
(戦後復興→経済復興→娯楽の分野の受容の伸び)

・『暮らしの手帖』による「札幌ラーメン」の紹介:札幌の観光ブーム
・当時の札幌ラーメンは、トンコツしょうゆ。ミソラーメンは60年代に入ってから登場。
・サンヨー食品の「サッポロ一番みそラーメン」の登場(68年)

・博多ラーメンもストレート細麺+白濁とんこつになったのは戦後。白濁スープは「明治期に長崎の外国人居留区の華僑が始めた福建風五目そば→長崎ちゃんぽん→博多ラーメン」
・「ラーメン」という言葉が「味覚の共同体」を作り出す。「我々は、ラーメンという共通の食文化を持つ民族である」(155)という共通の記号をもち、その中の地域を「固有の文化」として捉える。

◆中期:首相になった72年から「均衡ある国土の発展」が進み、バブル経済の80年代
・角栄が首相になるころ、万博の企画を担っていた堺屋太一は「産業のソフト化」と「脱工業化社会」の構想をもっていた。→ファストフード、ファミレスの隆盛、フランチャイズ制が盛んになる
・ラーメン業界にもフランチャイズ制が取り入れられる。フランチャイズ制は、「出店時の内外装、材料、調理、経営まで、開店のノウハウをすべて本部がマニュアル化しているため、資金さえ調達できれば経験のない人間でも飲食店経営を始められる」(162)
→「天下一品」、「札幌ラーメン どさん子」、「うまいラーメンショップ」など。
・「札幌ラーメン どさん子」は駅前商店街や街中への出店が中心。「8番らーめん」や「くるまやラーメン」は郊外のロードサイドに特化して拡大。
・この動きは、車社会が本格的に始まったこと、それに伴い、商業施設の郊外化
・各市町村に大都市にある公共施設や大規模商業施設を「ワンセット揃える」⇒「ファスト風土化」(三浦展)
・「ご当地ラーメンは「地元に根ざした」食文化の決勝である本来の郷土料理に成り代わって、観光化のニーズに応える形で全国的に増殖した。…日本古来の食文化という観点で見れば、ご当地ラーメンは、多様性尾が失われ画一化した、戦後日本の食文化の象徴でもある」(167-168)
・喜多方ラーメン:観光キャンペーンによって有名になった。これがご当地ラーメンのモデルとなる。
・50年代半ばから80年代中ごろにかけてのラーメンブームにおけるメディアの役割:「九州(博多)、喜多方、佐野、久留米、旭川といった新しい地方ラーメンの情報が求められ、“のりのち郷土ラーメンに注目が当たる基礎”がつくられていった」

◆後期:バブル経済が崩壊した1990年代から現在まで
・ラーメン博物館が生成するご当地ラーメンの言説と角栄パラダイム後に現れる観光の時代とのリンク

第5章
1990年代以降のラーメンが、「作務衣化」と名付けた「国粋主義的」な装いに変わり、ある種の熱狂を生み出すという文化的側面が取り上げられる。

「ご当地ラーメン」→「ご当人ラーメン」:独立系ラーメン(麺屋武蔵)
「90年代のラーメン屋は匿名的ではなく、ラーメン職人の存在が前面に出た属人的なものとなっていく」(218)
「「ご当地ラーメン」は地元の伝統料理ではない。むしろ、それらに代わって登場した、地元に根ざさないファストフードの側に立っている。とはいえ、ファストフードとして定着してきたラーメンは、ある時期より地元の食材を使ったメニューを推奨するようになり、地域ならではの湖西を生み出そうという地域主義と結びつくようになる。「ご当地ラーメン」「郷土ラーメン」という呼び名がまさにそれを表す。これは、ファストフードでもない、両者を折衷した“第三の道”とでも言うべき、日本らしい食文化の在り方かもしれない」(222)

(オウムの議論を踏まえ)「1990年代以降のラーメンは、単なる食べものの域を超えた熱狂、信仰といっても過言ではない宗教的な要素をはらんでいる」(228)
・「ラーメン二郎」:「ジロリアン」と呼ばれるファン。「美味くないのに通わずにはいられない」、「「ラーメン二郎」という一風代わったラーメンチェーンの中に見え隠れする理念の体系のようなものを自分たちで見いだし、その中から勝手にルールを作り出して、それに則ったゲームを行っている」(236)
・「九州じゃんがら」:<ラーメンポエム>
店長下川が開いた「ブルカン塾」(家計が苦しい子からは授業料を取らない)の経営を安定させるためにはじめたラーメン屋。→ラーメン屋の文化に自己啓発メッセージを持ち込んだ第一人者。

当時の外食産業におけるラーメン屋の位置づけ
・世の中はデフレモード(すかいらーく→ガストへ/客単価半分くらいにする)
・その中でラーメン屋は単価をあげ続けた。

・職人、地域、地方という特色を強く打ち出すラーメン屋…
食の画一化、グローバルチェーン(スローフードやラーメンチェーン)への抵抗という側面がある一方で、排他的ナショナリズムの影を帯びるのもまた必然。(250)
90年代末(「バガボンド」がヒットしたころ)の右傾化する日本社会と一致する。

国粋主義的なコピーやいでたち(作務衣化)がもてはやされる。
→「<趣味的>ナショナリズム」

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
[目次]
まえがき
第1章 ラーメンとアメリカの小麦戦略
第2章 T型フォードとチキンラーメン
第3章 ラーメンと日本人のノスタルジー
第4章 国土開発とご当地ラーメン
第5章 ラーメンとナショナリズム
あとがきにかえて
ラーメン史年表
主要参考文献


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2015年9月16日水曜日

奥田愛基さんの陳述(アーカイブ[メモ]用)

昨今世間を騒がせていた、大学生を中心とする団体、SEALDsの奥田愛基(おくだあき)さんが国会の参議院中央公聴会で陳述を行った。その前文を東京新聞のWeb版より拾ってきた。
もちろん誰かのアドバイスはあっただろうが、この陳述は本当によく出来ていると思う。問題点をシンプルに指摘しており、理知的。とても僕の出身校の学生が書く文章には見えない。少し安心したのが、問題点が、「民主主義の堅持であり」、9条の堅持に集約されていなかったところで、おそらくその辺りはずいぶん意識したのだろう。今回のデモの求心力となっているのが、安保関連法案のこれまでのプロセスに対するもので、一部の政党の主義主張に偏っていないことだとすると、この陳述は十分にそのことを言い表している。そして、その先にあるのが、政治「家」への批判であって、与野党を含め、この陳述には傾聴し、真摯に応えていくべきだと思う。選挙のみが政治家生命を決めるものではない、ということだ。
Twitterでブルキナファソの政変の話と比較してみたが、個人的には、SEALDsのメンバーが政治「家」にならないように、この陳述の中にあるように、一市民として政治を監視していく、という姿勢を崩さないことが(仮に安保関連法案が通ったとしても)重要。そうであれば、存在そのものが価値を持ってくると思う。
僕自身、この先もサイレントマジョリティであり続けるように思うが、この陳述を見る限りにおいて、彼らの運動は注目してみていこうと思っている。
■■■『東京新聞Tokyo web』(2015年9月16日閲覧)より□□□
大学生の奥田愛基と言います。シールズという学生団体で活動しています。こんなことを言うのは非常に申し訳ないが、先ほどから寝ている方がたくさんいるので、もしよろしければ話を聞いてほしい。僕も二日間くらい緊張して寝られなかったので。僕も帰って早く寝たいと思っているのでよろしくお願いします。

◆保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えてつながっている

 シールズとは、日本語で言うと「自由と民主主義のための学生緊急行動」だ。私たちは特定の支持政党を持っていない。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えてつながっている。最初はたった数十人で、立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、五月に活動を開始した。その後、デモや勉強会、街宣活動などを通じて、私たちが考える国のあるべき姿、未来について社会に問い掛けてきたつもりだ。
 話したいことは三つある。一つは今、全国各地でどのようなことが起こっているか。人々がこの安保法制に対してどのように声を上げているか。二つ目は安保法制に関して、国会はまともな議論の運営をしているとは言い難く、あまりにも説明不足だということだ。このままでは、到底納得することができない。三つ目は政治家の皆さんへの私たちからのお願いだ。
 第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている安保法制に対する大きな危機感だ。疑問や反対の声は、現在でも日本中でやまない。つい先日も、国会前では十万人を超える人々が集まった。東京の国会前だけではない。私たちが独自にインターネットや新聞で調査した結果、全国二千カ所以上、数千回を超える抗議が行われている。累計して百三十万人以上の人々が、路上で声を上げている。
 調査したものやメディアで流れているもの以外にもたくさんの集会が、あの町でもこの町でも行われている。全国各地で声が上がり、人々が立ち上がっている。声を上げずとも疑問に思っている人は、その数十倍もいるだろう。
 強調しておきたいことがある。私たちを含め、これまで政治的無関心と言われてきた若い世代が動き始めているということだ。誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではない。この国の民主主義のあり方について、この国の未来について主体的に一人一人、個人として考え立ち上がっているのです。
 シールズとして行動を始めてから誹謗(ひぼう)中傷に近いものを含め、さまざまな批判の声を投げかけられた。例えば、「騒ぎたいだけだ」とか、「若気の至りだ」とかいった声がある。「一般市民のくせに、おまえは何を一生懸命になっているのか」というものもある。つまり、専門家でもなく学生なのに、もしくは主婦なのに、サラリーマンなのに、フリーターなのになぜ声を上げるのか、ということだ。
 しかし、先ほども説明したように私たちは一人一人個人として声を上げている。「不断の努力」なくして、この国の憲法や民主主義が機能しないことを自覚しているからだ。
 「政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい」。この国にはどこかそのような空気感があったように思う。それに対し、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なのだと考えている。その当たり前のことを当たり前にするために、声を上げてきた。
 二〇一五年九月現在、今やデモなんてものは珍しいものではない。路上に出た人々が、社会の空気を変えていった。デモやいたる所で行われた集会こそが不断の努力だ。そうした行動の積み重ねが、基本的な人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと私は信じている。
 私は、私たち一人一人が思考し、何が正しいのかを判断し、声を上げることは間違っていないと確信している。それこそが民主主義だ。安保法制に賛成している議員も含めて、戦争を好んでしたい人など誰もいないはずだ。
 先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会った。七十年前の夏、あの終戦の日、二十歳だった方々は今では九十歳だ。ちょうど今の私やシールズのメンバーの年齢で戦争を経験し、その後の混乱を生きてきた方々だ。そうした世代の方々もこの安保法制に対し、強い危惧を抱いている。その声をしっかり受け止めたいと思う。そして議員の方々も、そうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思う。
 これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決はそうした思いを軽んじるものではないか。七十年の不戦の誓いを裏切るものではないか。

◆70年 平和主義引き継ぎたい

 今の反対のうねりは世代を超えたものだ。七十年間、この国の平和主義の歩みを先の大戦の犠牲になった方々の思いを、引き継ぎ守りたい。その思いが私たちをつないでいる。私は今日、そのうちのたった一人として、ここで話をしている。国会前の巨大な群像の中の一人として国会に来ている。
 第二に、この法案の審議に関してだ。世論調査の平均値を見たとき、はじめから過半数近い人々は反対していた。月を追うごと、反対世論は拡大している。「理解してもらうためにきちんと説明していく」と政府の方はおっしゃっていた。しかし、説明した結果、内閣支持率が落ち、反対世論は盛り上がり、法案への賛成の意見は減った。
 選挙の時に集団的自衛権に関して「すでに説明した」という方々もいる。しかしながら、自民党が出している重要政策集では、アベノミクスは二十六ページ中八ページ近く説明されていたが、安保関連法案に関してはたった数行しか書かれていない。
 昨年の選挙でも、菅官房長官は「集団的自衛権は争点ではない」と言っている。さらに言えば、選挙の時に国民投票もせず、解釈で改憲するような、違憲で法的安定性もない、そして国会の答弁がきちっとできないような法案をつくるなど、私たちは聞かされていない。
 私には政府が、法的安定性の説明をすることを、途中から放棄してしまったようにも思える。憲法とは国民の権利であり、それを無視することは国民を無視することと同義だ。本当に与党の方々は、この法律が通ったらどのようなことが起こるのか、理解しているだろうか。想定しているだろうか。
 先日言っていた答弁とはまったく違う説明を翌日、平然とし、野党からの質問にも審議は何度も何度も速記が止まるような状況だ。一体どうやって国民は納得したらいいのか。
 シールズは確かに注目を集めているが、現在の安保法制に対して、国民的な世論を私たちが作り出したのではない。もしそう考えているのなら、残念ながら過大評価だと思う。この状況を作っているのは、紛れもなく与党の皆さんだ。安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解しがたいたとえ話を見て、不安に感じた人が国会前に足を運び、また全国各地で声を上げ始めた。
 ある金沢の主婦の方がフェイスブックに書いた国会答弁の文字起こしは、またたく間に一万人以上の方にシェアされた。ただの国会答弁だ。普段なら見ないようなその書き起こしをみんなが読みたがった。不安だったからだ。今年の夏までに、武力行使の拡大や集団的自衛権の行使の容認をなぜしなければならなかったのか。それは、人の生き死にに関わる法案で、日本が七十年間行ってこなかったことでもある。
 一体なぜ十一本の法案を二つにまとめて審議したか、その理由もよく分からない。一つ一つ審議してはだめだったのか。全く納得がいかない。結局説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の九月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのだから、もう結論は出ている。今国会での可決は無理だ。廃案にするしかない。
 私は毎週国会前に立ち、この安保法制に対して抗議活動をしてきた。そしてたくさんの人々に出会ってきた。その中には自分のおじいちゃん、おばあちゃん世代の人、親世代の人、そして最近では自分の妹や弟のような人たちもいる。確かに若者は政治的に無関心だと言われている。しかしながら現在の政治状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのだろうか。関心が持てるというのだろうか。
 彼らがこれから生きていく世界は、相対的な貧困が五人に一人と言われる超格差社会だ。親の世代のような経済成長もこれからは期待できないだろう。今こそ政治の力が必要だ。これ以上、政治に絶望してしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。何も賛成からすべて反対に回れと言うのではない。私たちも安全保障上の議論が非常に大切なことを理解している。その点に異論はない。
 しかし、指摘されたこともまともに答えることができない、その態度に強い不信感を抱いている。政治生命をかけた争いだというが、政治生命と国民一人一人の生命を比べてはならない。与野党の皆さん、どうか若者に希望を与えるような政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください。まさに「義を見てせざるは勇なきなり」。政治のことをまともに考えるのがばからしいことだと思わせないでください。
 現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないか。世論の過半数は、明確にこの法案に対し、今国会中の成立に反対している。自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度考え直してはいただけないか。
 私は単なる学生であり、政治家の先生方に比べて、このようなところで話すような立派な人間ではない。正直に言うと、この場でスピーチすることも、昨日から寝られないくらい緊張して来た。政治家の先生方が、毎回このようなプレッシャーに立ち向かっているのだと思うと、本当に頭が下がる思いだ。
 一票、一票から国民の思いを受けそれを代表し、国会という場所で毎回答弁し、最後に投票により法案を審議する。ホントにホントに大事なことであり、誰にでもできることではない。それはあなたたちにしかできないことだ。
 では、なぜ私はここで話しているのか。どうしても勇気を振り絞り、ここに来なくてはならないと思ったのか。それには理由がある。参考人としてここに来てもいい人材かどうか分からないが、参考にしてほしいことがある。
 一つ、この法案が強硬に採決されるようなことになれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるだろう。連日国会前は人であふれかえるだろう。次の選挙にももちろん影響を与えるだろう。当然、この法案に関する野党の方々の態度も見ている。本当にできることはすべてやったのだろうか。私たちは決して今の政治家の方の発言や態度を忘れない。
 三連休を挟めば忘れるだなんて国民をバカにしないでください。むしろそこからまた始まっていく。新しい時代はもう始まっている。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。
 私は学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げる。できる範囲でできることを日常の中で。私にとって政治のことを考えるのは仕事ではない。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力だ。私は困難なこの四カ月の中で、そのことを実感することができた。それが私にとっての希望だ。
 最後に私からのお願いだ。シールズの一員ではなく個人としての、一人の人間としてのお願いだ。どうか、どうか政治家の先生たちも個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください。
 皆さんには一人一人考える力がある。権利がある。政治家になった動機は人それぞれ、さまざまあるだろうが、政治家とはどうあるべきかを考え、この国の民の意見を聞いてください。勇気を振り絞り、ある種、賭けかもしれない、あなたにしかできない、その尊い行動をとってください。
 日本国憲法はそれを保障し、何より、日本国に生きる民一人一人、そして私はそのことを支持します。困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します。
■■■□□□

 

2015年9月15日火曜日

京都の本屋の新たな展開

20150915閲覧、http://lmaga.jp/blog/news/2015/09/seikosha_horibesan.html

今朝、こんな記事を見つけた。我が家から徒歩なら10分強、チャリなら5分、そして僕の通っているスポーツジムの向かい側。恵文社という本屋の店長さんが独立するという。

職業柄、本屋は嫌でも時々は足を踏み入れる。確かに、アマゾンなどなどのせいで以前に比べれば回数は減ったが、それでも、日本にいれば、毎月数回は古本屋なり、大き目の本屋なりは仕事の一貫としていかねばならない。

4年前に京都に引っ越してきたときに、知人に「一乗寺あたり」というと、美味しいたこ焼き屋があることとラーメン街であることと、この本屋があることを教えてもらった。確かすぐには行かなかったが、しばらくしていってみると、実にお洒落な内外観に、草食系というか、山ガール的な、人畜無害そうだけど、それなりにクセのありそうな(失礼。ほめ言葉なのですが…)店員さんたち、そして何より、これでもかというほどのマニアックなラインナップ。東京なら、下北の端っこでやってそうな感じ、そんなイメージを持っていた。

ただ、レヴィ=ストロースなんかも、「構造主義」という枠組みで扱っているようで、多少なり専門領域に引っかかる本があるものの、僕としては、あまり使い勝手のよい本屋ではない。でも、考えの幅を少し広げたいな、と思ったときには実に面白い。

ともあれ、これまで15年間、この店をリードしてきた店長さんが独立されるとのこと。恵文社の方は十分に軌道に乗っているとは思うので、これはこれで維持してもらい、新たな本屋の方に期待したい。これだけ本屋がやっていけない時期に、新たな本屋を始めるというのは、とても大変なことだと思うし、逆に店長さんの自信の表れでもあろうかと思う。

11月に開店とのこと。

20150915閲覧、http://lmaga.jp/blog/news/2015/04/gakesyoboutohohoho.html

うちの近くには、もう一軒有名な本屋がある(った)。ガケ書房という、北白川にある本屋なのだけど、車が突き出た、妙な外観の本屋で、初めて見たときは「何屋??」と思った。これは過去形で、今年の4月に北白川から浄土寺の方に店舗を移転。社名も「ホホホ座」と変えて再出発。

この記事を読むと、「ホホホ座」が中心となって、浄土寺エリア自体の雰囲気を変えてしまいそうだ。この辺り、あんまり歩いたことはないが、レコード屋、お惣菜屋、カフェと続々オープンさせようとしているらしい。

そして、「ホホホ座」は尾道にも。「空き家再生プロジェクト」というNPOが中心となり、「三軒家アパート」という古いアパートをリフォームしながら若者たちが様々な試みをしている。その中に、「ホホホ座」もオープン。先日の尾道訪問のときに訪問したら、店舗は小さいながらも、厳選された「オシャレ本」がきれいに陳列されていた。
こうした元気な本屋の試みは、以前このブログでも紹介した、名古屋の古本屋にも見られた。これはいろんなところでしゃべっているので、このブログで書いたかどうか定かではないが、東京の早稲田通り。僕が中高校生時代をすごした街だが、以前は神田に次ぐ古本屋街として有名だったが、ここ数年間ですっかりラーメン街道になってしまった。ラーメン屋が増えることはそれはそれでいいのだけど、これは経営者の高齢化などの問題があるとは思われるものの、学生が本を買わなくなった、ということの裏返しでもあるのではないか。僕は一読者として、多少なり切実にそのことを考えている。なので、京都の有力な「街の本屋」さんの試みは、出来る限り応援したいと思っている。

朝からずいぶん長く書いてしまったけど、恵文社の元店長、現在の誠光社の社長(?)の堀部さんの誠光社の社是というか、マニフェストを拝借しておきたいと思う。静かな文体だけど、今の時代への憤りや本に対する熱い思いが伝わってきます。さすが本屋さん、という文章にて。

「街から本屋が姿を消しつつある。そんな話をここ十数年いたるところで耳にしてきました。もう聞き飽きたという方も多いでしょう。メディア上ではノスタルジーと感傷にまみれた言葉が飛び交い、危機感を伴う記事もあちこちで目にします。話題になりながらも新刊書店は増えるどころか減る一方。百万冊規模のメガストアや、企業がバックアップする複合店がオープンしたというニュースは雑誌やSNSで目にしますが、雑誌や文庫を取り揃える個人経営の本屋が最近開店したという話は、寡聞にして知りません。

「街の書店」についてこれだけの言説が飛び交う中、なぜ新たに本屋が生まれないのでしょうか。その理由のひとつに、流通を一手に取り仕切る大手取次店との契約が困難なことや、その流通上の問題から新刊書の販売利益がごくわずかしなかいという、構造矛盾があります。脱サラをした書店員さんが新刊書店を立ち上げるにはあまりにも高い障壁が目前にそびえ、それを乗り越えたとしても、本という商材だけではとても経営が成り立たないのが現実です。

システムに無理があるならば、改善し、あらたなルールを提案すればいい。本屋の話はもうやめにして、本屋をはじめてみよう。

誠光社は本屋の新しいあり方を提案すべく始めた、ささやかな実験でもあります。できるだけ出版社さんから直接本を仕入れ、双方の利幅を確保する。最小限の規模で、できるだけ店主が選書も店番も取引先とのやりとりも行う。売り上げを確保するため本以外のメディアを扱う際には、できるだけ本と親和性の高いものを選ぶ。土地に根付き、お客様に影響され、店主自身も勉強しながら商品構成が変化し続ける。姿形はこれまでに親しまれてきた街の本屋でありながら、経営のあり方はこれまでと一線を画する。そうして出来た店が、これからの当たり前の本屋であることを願っています。

本屋は街の光です。誠光社の試みが広く認知され、同じスタイルの本屋が全国に百店舗できれば、薄暗くなりつつある街も少しは明るくなるはずです。今回の試みはできるだけオープンにし、本屋を志すみなさんと共有し、参照できるよう発信するつもりです。

この試みに賛同し、われわれと直接取引してくださる版元さまを募集しております。」
20150915閲覧、http://www.seikosha-books.com/about/




2015年9月14日月曜日

地球研セミナー「環世界学の展望」オギュスタン・ベルク

8月から地球研に外国人研究者として招聘されている、オギュスタン・ベルク先生の講演会に参加してきました。もちろん、お名前は存じていましたが、なかなか本を読む機会もなく…というのは言い訳で、ちゃんと纏めて購入しました。今度の調査のときに主著くらいは読んできます。

10月末までいらっしゃるそうで、10月29日にも地球研で開催されるようです。またこちらで告知します。

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2015年9月13日日曜日

うちの避難経路ってどこ?

数日前の茨城と宮城の堤防決壊による水害、被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。

うちの実家もそれほど遠いところではなかったので、少々心配していましたが、実家の方は問題なかったということ。しかし、東日本大震災の津波の時のような、居住地域の選択の問題、堤防の管理の問題など、たくさんの問題が浮上してきた。その場しのぎのものではなく、長期的な視野に立った解決策を講じられることを祈っています。

さて、こうした水害は遠いところの話ではなく、僕らが住む京都でもよくあるはなし。同僚の地理学者によれば、扇状地は基本的に水害の積み重ねでできたところ。人間はそういうところが住みやすい、といいます。まあ、確かに…ということは、盆地や平野に住む限りはどこにいても水害のリスクがあるということ。

それで、8月の台風の時に、初めて避難指示というのを経験しました。と言っても、スマホにそういう警報が送られてきて、「xx学区はxx小学校に避難」ということなのですが。しかし、そもそも、僕らは何学区に住んでいて、「xx小学校ってどこだっけ?」という始末。

後日、研究室の人に話を聞くと、町内会に入っていれば、回覧板が回ってきたり、避難訓練があったり、集合場所の打ち合わせがあったりするらしく、新しいアパートの住民の僕らは、そういうものからは縁遠いので、そういう地域コミュニティからは守ってもらっていない状態なのだ、ということを実感したのでした。

それで、先述の地理学者曰く、雲母坂の上の砂防ダムは、まさにこのあたりの最高峰、比叡山からの土砂の流出を防ぐためのもの。

でも、すでにこんな状態。満杯です。


こんなに立派な砂防ダムなのに、作られてから数十年。こういう砂防ダムがたくさんあるらしいのです。今住んでいるところは、谷から少し離れているので、この砂防ダムの影響は受けないとは思うのですが、こういう災害のリスク、もう少し自分のこととして考えねばなりません。


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2015年9月12日土曜日

「海外出張」(もはや調査ではなくなってきた…)20150922-1017

だいぶ前に決まっていたのですが、次回の「海外出張」です。再来週のシルバーウィークの22日から10月17日まで、この地図のような経路で行ってまいります。

最初のガーナは6年ぶりくらいですが、Africa-Asia:New Axis of Knowledgeという学会での発表。今しこしこ準備してます。

次はブルキナ。こっちの方に行くから、ちょこっと寄るかという気持ちではいたのですが、今書いているものの補足のデータやら、エッセイのネタ集めやら、できれば少し自分の調査のデータの補足やら、打合せやら、実はやることてんこ盛り。

その次がセネガルで、上司と同僚とまた広く回ります。僕は完全に道案内。多分、ここでは発表準備と溜まった書き物をしている予定。

最後がフランス、パリ。来年開催する大きなシンポジウムの前振りです。こんなとこで発表していいんかな、というくらいのところでの発表。

毎度毎度ですが、どっぷり調査に浸れなくなると、調査したいな、という気分が首をもたげます。3月はそれなりにどっぷり浸れそうなので、それまでは我慢。

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秋風吹く。往年の名選手と来年へ。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/79/77c078e8d82531253183ca7b18dbdc0a.jpg

http://dragons-camera.at.webry.info/201404/article_8.html

http://yaqjin.blog.fc2.com/img/201312012120380d8.jpg/

この三人の写真を見ているだけでワクワク「した」のは、すべてのドラゴンズファンに共通する敬虔なのではないだろうか。そして、シーズン終盤、何度かの劇的な反抗むなしくBクラスに甘んじることになりそうなここ数日間のうちにこの3人の戦力外が発表された。

寂しい。正直な思いです。

和田はFA、小笠原は事実上のトレード、メジャー出戻りの憲伸。それぞれが紆余曲折があり、彼らのストーリーを共有できたのはとてもよかった。憲伸はまだどこかで野球を続けるそうだけど、和田や小笠原には、ぜひコーチとしてドラゴンズに残って欲しいもの。古本や高橋周平、堂上やら、福田、赤坂、野本、そして、平田など、期待されながら伸び悩んでいる若い選手を、和田や小笠原自身のようなスケールの大きな選手に育てて欲しい。

しかし、残り14試合。まだ一つ上に順位を上げる可能性はある。きっと3人ともまだ力になってくれるはず。最後まで彼ららしいプレーを見せてくれることを切に願います。

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2015年9月9日水曜日

新しい冷蔵庫が来た。

新しい冷蔵庫が来ました。

京都に引っ越してくるときに知人(当時一人暮らし)にもらったものを買い換えました。名古屋にいた8年間使っていたのも、同じくらいの大きさだったでしょうか。基本的に一人暮らしだったので、いくら大食いとは言え、そのサイズで十分だったのですが、結婚してからというもの、夏場はさすがにフル回転させても氷が間に合わなかったり、野菜の痛みが早かったり。

連れとも「そろそろ買い替えよう」ということをしばらく前から話していて、ようやく先週電気屋に見に行って、そのまま購入。昨日、新しい冷蔵庫が来ました。

古い冷蔵庫にお礼を言いながら、二人で掃除をする。今までで一番ピカピカでした。

お恥ずかしい話ですが、僕の仕事も連れの仕事も安定しない中、本当に高々冷蔵庫なのですが、それすら、おいそれとは買えなかった新婚時代。それはそれでいい時間だったのですが、この何年か、二人で少し頑張ったので、ささやかなご褒美。

僕の方は成果はあまり出ていないけど、日々一生懸命研究所に通い、連れも朝晩関係なく、毎日仕事に通い、精力的に家事をこなす。働いている実感。その報酬で買った、新しいものがくると、ほんの少し生活の色が変わる。ひねた人なら、従属的に見えるかもしれないけど、こういうことを重ねていくことが、家族を作るということなんだろうと思う。こういう感動を忘れてはいけない気がする。

2015年9月2日水曜日

研究の社会実装について

9月に入りました。しばらく更新が途絶えましたが、例によってテンパっています。ただでさえアップアップなのに、また新しい仕事を引き受けてしまったり、本当に大丈夫なのか、自分でも不安でいっぱいです。

今日は題目の「研究の社会実装について」思うところをメモしていきたいと思います。

僕らの研究所では、比較的、「社会実装」という言葉が使われます。つまり、研究した成果をいかに実社会に役立てるか、埋め込んでいくか、ということです。「白い巨塔」という言葉に象徴されるように、研究、学問というのは、大学や研究所の内側でしか役に立たない、という世間の目に対する対応策、と解釈できるように思います。また一方で合理的(経済的)精神に基づき、プラグマティック(功利主義的)に考えれば、研究教育への投資への反対給付として、成果を還元することは資本主義世界の宿命だといえるかもしれません。話はずれますが、最近の人文科学軽視は後者の立場から説明できるような気がして、実に人文科学というのは、役に立たないように見えてしまうのだということが如実に表れているわけです。

「あなたの研究を5分で説明してください」

あるNGO関係者からこんなことを言われたことがあります。面接でもなんでもなく、喫煙所での会話です。僕が説明を試みたか、そんなのできるわけないと説明しなかったかは記憶が定かでないですが、これは無理。学会発表でギリギリまで切り詰めて15分。学振の面接はポスターがあって、完璧に原稿を書いて4分。いずれも、ある程度のジャーゴンが通じるプラットフォームがあって初めて成立する時間で、何も知らないに近い人に理解できる説明などまず無理な話です。

そして、最近、SNSでアフリカのことを説明してほしいという依頼が来たのですが、これはお断りしました。一つは、そのテーマ自体が全く賛同できないということと、もう一つに、「あなたの研究を5分で説明してください」と言われているのといっしょだと思ったからです。

誤解のないように、すべてのNGOがそういうわけでないですし、実によく学び、研究されているNGOの方が多いのはよく知っています。なので、そうした方と話をしているとものすごく勉強になるのですが、それらも実に長い経験から生まれてくるもの。僕らも日々研究室の机の前に座っているだけでなく、世界中に散らばる書物(経験や考察)を収集し、自分の足で現地を歩き、という中で知りえたことを文章にしたり、皆さんの前でお話したりということで生計を立てています。

話を戻しますが、研究の社会実装、といったとき、僕らの発想の悪いところは、学会で発表したり、本や論文にして、完了と考えてしまうところです。最近うちの研究所では、ワークショップというのが流行っているようですが、そういうところに対する反省の現れです。もしかしたら、SNSも使いようで、本当は5分で自分の研究のエッセンスを説明できることが求められるのかもしれないですが、話を聞く人がどんな人かわからない以上、より多くの言葉を積み重ねなければなりません。ある程度のプラットフォームをどう構築するか。こうなると、これはあるリタレシーの問題だし、より仕事が専門家していくとすると、こういうことを教育の中にどのように埋め込んでいくか、ということも課題になってくるように思います。5分で研究を説明せよ、という発想自体が問題で、まず、学問や研究という世界のあり方や、必要性をもっと積極的に表明していくこと、研究をある層の社会に還元していくために非常に重要なことかと思います。

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