2011年1月31日月曜日

今年は早い。停電続き。

今日で1月も終わり。毎度思うが時の経つのは早いものだ。

毎年、この時期はブルキナファソにいることが多いが、なんか日差しが妙に強い。2月中旬くらいまでは涼しくて夜は良く寝られるものなのだが、今年はすでに壁がオイルヒーター状態。明け方はまだまだ涼しいものの、壁が熱いというのも、日差しが強い証拠。

そして、何より、停電。ここ1週間、ずいぶん増えてきた。しかも、今年の停電は1時間おきに点いたり消えたり、というもの。

後2週間、帰るまであんまり暑くならんといいのだが…

2011年1月30日日曜日

Sagbotengaのイマーム

今回の滞在はプロジェクトの立ち上げが業務で、さほど自分の調査は期待できなかったが、その少ないチャンスが今日。

以前何度か書いたSagbotengaのイマームが病気療養のためにワガドゥグに滞在している、という話をアミノゥから聞いた。アミノゥはあれ以来Sagbotengaのイマームの末っ子の仕事を手配したり、と個人的にも関係性を保っている。

朝からアミノゥのモビレットを駆って、Tanpuyにあるイマームの家族の家を訪れる。近くに住むZakariaにも声をかけ、3人でお見舞いに伺った。

場所はTanpuyのマルシェそば。Zakariaの家のすぐそばにあった。この家はイマームの長男が営むコーラン学校(これで調査になった!)で、65名の子どもたちを養っている。

イマームは2週間ほど前にワガドゥグに来て、病院で手術を受けたとのこと。しかし、術後の経過も良さそうで、顔色もよく、いつもの穏やかな笑顔を僕らに向けてくれた。お見舞いのフルーツを渡し、雑談程度に話を聞く。今回、聞こうと思っていたのは、Yarseの分布についてで、これは、今の仕事の現場の2ヶ村が共にYarseの村だったためである。つまり、ワガドゥグの南にSagbotengaを中心に5つのYarseの村があり、ワガドゥグの北側にも同じくYarseの村が散見されるためである。今、僕がイメージしているのは、ワガドゥグを囲むようにしてYaeseの村があるのではないか、ということ。確実に交易路沿いに村が宿場町のようにしてあるのは理屈として分かりやすいのだが、どうもワガドゥグ(王都)に近いところにはYaeseの村は少ないような気がした(直近にDar es Salaamという村があるのだが)。北部のモシ王国との関係もあるはずだから、いずれにしてもペリフェリーではあるのだろうけど。

この仮説には明確な答えは得られなかったが、まあ、あと10日ほどワガドゥグに滞在する、ということで、また少し話が聞けるチャンスもあるだろう。そんなわけで、少しコーラン学校を見学させてもらったりして、久しぶりに自分のフィールドノートをよごせたので、ちょっと興奮気味な夜です。

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2011年1月29日土曜日

ミシェル・レリスのワガドゥグ

1930年代前半、グリオールらと共に、ダカール=ジブチ、アフリカ横断調査旅行に参加したミシェル・レリスの本。

文庫本なのに、1000ページを越え、しかも値段も2,800円とハードカバー並み。まくら代わりに、と思って買ったら、いい加減読み終わらない。

一時発禁になったというほど、公文書としてふさわしくない内容(もちろん性描写が多いのですが)があり、幻なのはこの本の方だったらしい。

今から80年前の「民族誌学」というのがどないなもんだったのか、不勉強な私は教科書で少し読んだことがあったものの、実はこういうのは初めて読みます。読んでいて思うのは、エヴァンス=プリチャードあたりが、えらく冷徹に調査に徹しているように見えてしまうほど、とても私的だし、詩的だ。レリスとかグリオールが現地の人を殴っちゃったりする。それで、それを反省する。ヒューマニズム、というのが、今ほど意識されておらず、それを模索している時代性がとても感じ取れる。

この本で、一番興味があったのが、ワガドゥグの記述なのだが、300ページくらい読んでいたらやっと出てきた。おっ、と思ったら1ページも記述がなく終了。ドゴンから南下してくるルートを取るのだが、モシ台地に来た途端に、

「…恵まれた田園風景。女たちはきれいで、張りのある美しい乳房をしており、心のこもった仕草をする。男たちは陽気そうな様子で、健康だ。だがしかし、ドゴン族と比べると、民族誌学的にはなんという貧しさ…」(248)

「朝、ワガドゥグへ向けて出発。昨日よりもさらにつまらぬ地方。…」(248)

でおしまい。ちょっと残念。

ただ、僕もここの文化の平板さには辟易していた時期がある。「研究」という活動を始めて、5年間、割と最近までどうしてもここになじみ切れなかった。以前は「ハリボテ」という言葉をよく使っていたように思う。その裏に何があるかわからなかったし、それを話そうともしない。妙な負け犬根性みたいなのが見えたり、ニコニコしてるけど、決して僕が他のアフリカの国で出会った親切にもあわなかった。5年通ってまだアウェイ感が強かったように思う。そして、この街、本当に見るものがない。どうも何かをまねしているらしいのだが、そのまねがなんのまねだかようわからん、とか。音楽でも絵でも、工芸品でも何から何までヘタクソなのだ。

ちょっと迂回してやっとわかったここの面白さ。レリスには分からんかったんだな…と、ちょっと優越感に浸ってみる。

2011年1月27日木曜日

停電

昨夜の停電はずいぶん長かった、というか、断続的で、夜8時半ころから断続的に点いたり消えたり。

乾期になると殊に停電が多くなるが、これがそれなら、ちょいと始まる時期が早い。そういえばちょっと昼間の気温が上がりだすのが早い感じがするし、日差しも強くなってきた感じもする。

確かにそれもそうなのだが、消費電力が増えてもそうなるはずだから、そちらも一因か。

どうなっているのだろう、ブルキナファソの電気事情…

2011年1月26日水曜日

Aminou来る。

先生方がブルキナを離れ、体も大方元に戻ったので、昨日の夜、Aminouに連絡をとった。

彼は1年半ほど調査の手伝いをしてもらっている僕の3つ年下のハウサ/フラニ。調査助手というよりも、本当に仲の良い友達だ。ザングエテンのことを調べ始めた時に知り合い、ヤルセやハウサの調査、コーラン学校の調査など、いちいち彼に付き合ってもらっている。

「もし時間があったら」ということで、あまり期待せずに待っていたが、夕方になって仕事の帰りによってくれた。久しぶりの再会。この間あったことを報告し合う。ちょっと悲しい話も聞き、でも頑張れよ、なんて話をしてみる。

前に彼のことはずいぶん書いたけど、彼を前にすると、なぜか調査欲が高まる。とにかく、Aminou自身の好奇心が強くて、彼自身がよろこんで一緒に調査に参加してくれているような感じだ。

そんな彼から、Sagbotengaのイマームが病気療養のためにワガドゥグにいる、という話を聞く。幸い、さほど大したことがないらしく、話をするくらいならまったく問題なさそう。ちょうど今仕事で入っている村のことで聞きたいことがあったので、一度話でもしてみるか、という話になる。

僕の調査と仕事、どんな化学反応が起こるのか…

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2011年1月25日火曜日

パンク。

師を走らせるほどに忙しい12月を師走、と呼ぶなら、現代日本においては、年度末の方がそれにふさわしい。

1月もあっという間に数日を残すのみとなり、いよいよ年度末に向かって猛ダッシュ。

研究も今の仕事もこなしつつ、年度末には助成金関係の決算、報告書やら、大学の学務やらが立て込み、さらに忙しくなる。適当に外をふらつきながらやっていてもまとめて仕事ができないので、今日は完全にホテルに籠って外界との交渉を断った。

しかし、頭がパンクだ。パンクと言っても、ヘッドバンキングしたわけではない。基本的にパンクは聞かない。破裂しそうだ、ということだ。

とわけのわからんことを考えている時点で壊れてきとる…

アブドゥル揉める。

アブドゥルの声はデカイ。3日ほど前、僕を待っていたアブドゥルがホテルのロビーで挙げた気勢は、200m先でも聞こえただろう(ブルキナファソがアフリカユースカップで初優勝した瞬間)。

今日も資料を取りに行ったりで、朝からアブドゥルに運転をお願いした。

研究所から出ると、端っこで誰かとワーワー言っている。まあ、いつものことか、と放っておく。車の中でも携帯でワーワー。何度も続くので、ちょっといらつき気味に、「何の話?」と聞いてみる。聞けば、僕もよく知っている韓国人P氏となんかやっているらしい。

もめごとはこう。

韓国からテレビ局の人が撮影に来るので車とドライバー、さらに、ドライバーが北の方に住むトワレグに詳しいこと、という条件でアブドゥルにお願いして、アブドゥルは要求通りのドライバーと車を手配した。しかし、今夕着くテレビ局の人を迎えに行くのに付き合え、というのを一生懸命断っていた。

揉めそうもないところで揉める。向こうとしては、一緒に飲もうぜ、くらいの勢いで、それを懸命に断るアブドゥル。悪いのは彼の断り方で、「忙しい」の一点張り。「僕と仕事をしている」と言えば一言で方がつくのに…と言っても分からない。

そして電話が終わるとしきりに怒る。愚痴をこぼされる。気分が悪い。

ここに出てくる、アブドゥル、P氏、僕とオヤジ氏のネットワークの中の人間。隠す必要もないし、別にアブドゥルが儲かっていても誰もなんにも言わない。なんでアブドゥルがこんな行動をとるのか、残すはそういう性向なんだろう、ということくらい。

昼、別れ際に、ちゃんとP氏に説明しておいて、と言い残して分かれた。しかし、きっと言わないだろう、と思い、そして、非常に理知的なP氏と関係がこじれるのもなんなので、こちらから電話して事情を説明する。P氏もなんでアブドゥルがそれを言わんのか、と激こうする。
午後。彼に聞く。「ちゃんと電話した?」
「うん。したした。」


「なんて言ってた?」

「むにゃむにゃ…」(やっぱり電話していない)

「なんか僕と仕事をするのはまずい?やりたくなければここで降りるので結構。おカネもすぐに払うから、勝手にどうぞ。そして、僕は彼と関係をこじらせたくないので、電話しました。P氏もあなたに怒っていました。あなたも知っているように、P氏とは仲の良い友人だし、僕がちゃんとしたミッションで来ているのも知っています。なぜ隠すのか意味がわからない。」

アフリカにいながら、アジアの荒波に揉まれるアブドゥル。ちょっとかわいそうだったけど、普段いろいろ聞いてやっているのでたまにはピシッと。

2011年1月24日月曜日

救援物資。

写真はそもそも苦手だ。そして、食べ物の写真は特に。食欲が勝ってしまって、先に手が出てしまう。そんなわけでこの写真も喰いかけだし…

体力が弱ったとき、日本食が嬉しい。こちらの食事「油はごちそう」で、とにかく油が多い。油あたりすることがあるくらい油だ。例の腹痛でしばらく胃にものを入れていなかったのもあり、油やら肉やら匂いを嗅ぐだけでも勘弁してほしかった。

NGO、HのTさんに緊急用のコメやら味噌汁をいただき、パワー回復、そして、オヤジ氏のところで焼き魚定食+梅干しをいただき、さらに回復、そして、今日は先日こちらにミッションでいらしたT先生の緊急物資をいただいた。NGO、AのKさん、Sさん、どうもありがとう。カレーでさらにパワー回復。来週からガンガン仕事できそうです。

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2011年1月23日日曜日

薬。

腹痛記事④。
少し腹も落ち着いてきたので、昨日友人に会った。ここ数日間の病状を話して、アメーバ何とか、と言われたことを話す。
友人曰く、そりゃ寄生虫だな、という。ドクターにはアミーブamibeと言われ、寄生虫parasite云々は言われていなかったのだが、どうも、同じもんらしい。出された薬(→)は下痢止めと抗生物質なのだが、寄生虫なら虫下しじゃないかな?詳しいことはよくわからんのですが。
一昨日より薬を飲み始めたのだが、正しい薬は正しく効く。
imodiumという薬は水溶性の下痢を止める。さすがに一発では止まらず、一日6錠を限度に「出る」たびに飲むというもの。
meteospasmylは「膀腸による食欲不振を改善する」と書いてある。確かにドクターに食欲不振を告げた気がする。確かに、昨日あたりから結構食べられるようになってきている。ダイエットが無駄になる可能性があるが、まさに背に腹は代えられず、食べられるようになってから机の前に座っていられるようになった。
flagylとintetrixというのが抗生物質。flagylを最初の10日間飲み、その後、intetrixを10日間飲むというやり方。おそらく、次回の検査の結果を見て、後者が免除される可能性があるのではないか、と思うのだが…
幸運にも今週はワガドゥグでの資料収集がメインだったので、ボチボチとやってきたが、来週はまた忙しくなりそうで、あんまりこんな無駄なところに力を割きたくない。
ただ、日々、薬に反応して少しずつトイレの回数が減り、食欲が出ていく自分の体を眺めていると、日々細胞が新しくなり、いつもの状態に戻ろうとしていることに気づく。それに伴って、研究や仕事への意欲が湧いてくる。はたして、この欲求が健全なのかどうか、何かに毒された考え方なのか知らんが、健全な体に健全な精神が宿る、と昔の人が言ったことはあながち間違いではないな、と感じる。明らかに「快い」状況に戻りつつある。もう「一」病息災とか言えないくらい既往症(名誉の負傷)が増えたが、改めて、元気に過ごしたいもんではある。

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2011年1月22日土曜日

アメーバ。

腹痛日記3回目。

なんとなくトイレの回数も減り、隣の部屋の元同僚からいただいた貴重な日本食のおかげで微妙に食欲も回復。ただ、明日からフィールドに行け、と言われると全く不安。というわけで、原因をはっきりさせてちゃんと薬を飲もう、と思い、急きょ病院に行ってきた(もっと早く行け。はい…)。

約8,000円掛った検査(血液検査、検便諸々…)の結果、アメーバが原因だろうと。10年以上前にアメーバ赤痢というのに罹ったことがあるが、アメーバ性腸炎、というのかな。ただ熱が出なかったから、炎症を起こしているわけではなさそうだし。とにかく、薬を大量に処方され、これからヤクヅケです。

ヤクヅケになったおかげで、昨夜は1度しか起きなかったし、久しぶりに良く寝られ、起きてすぐに食欲もあり、多少なり、健康のありがたさをかみしめる朝となった。週末少しのんびりさせてもらって、週明けから少しアクセルを踏み込めるといいのだが。

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2011年1月20日木曜日

ダイエット?!

連続で腹痛ネタです。

結局今日は一日ベッドとトイレの往復で潰れた。おかげで、読みたかった伊坂幸太郎の本を読了したのだが、しんどい一日だった。

それにしても。大食漢の僕、本当に燃費が悪いのだが、今日は出る量がハンパなかった。おそらく20回以上はトイレに籠ったので、何リットルでるんだ、という。こんなときはしょうがないのでミネラルウォーターを飲むのだが、飲んだ5分後にトイレ、と言った繰り返し。すっかり洗腸したので、体重はガクっと落ちているはず(過去の実績で5kgは。)。

ただ、体内の溜まった奴が出ただけなので外見全く変わりなし。

きたねーネタでした。

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2011年1月19日水曜日

寒い。

1月のブルキナファソ。大雪だそうな日本にいる方に怒られそうだが、実はずいぶん「寒い」。

日中は30度前後、カラッとしているので、なかなか気持ちがいい気候なのだが、明け方はかなり気温が下がる。村の方はさらに寒いのだが、ワガドゥグも十分に寒い。

先生方のアテンドを終え、昨日夕方にはその事後処理も一段落。同じホテルに宿泊する、前の同僚と共に食事に出かけた。久しぶりのケジェンヌ、魚までなかなかおいしくいただいた。ホテルにたどり着いたのは9時半ころだが、ずいぶん気温が下がっていたらしく、おなかがゴロゴロ言いだす。

そして明け方…信じられないかもしれないが、息が白くなり、寝袋をかぶっていたにも関わらずさらにゴロゴロ…

あっ、これは…

案の定。寒さで腹をやられた。ちっ!

沈黙の艦隊

年の半分くらいをアフリカで過ごし、殊にこの時期、つまり、プロ野球でいえばストーブリーグの時期は人の実入りの記事をしこたま読むことになる。

実に悪趣味。しかしながら、その後シーズンが始まると、勝手に「給料分くらいは働け!」と株主然として応援に精を出すので、シーズンを熱く過ごすための前哨戦、と言ってもいいかもしれない。

しかし、これはこれとして、どの新人がいい、とか、怪我でシーズンを棒に振った選手の復帰状況とか、どちらかと言うと、こちらの方で楽しむのがこの時期の健全な過ごし方だろう。

今年は斎藤投手やら、かなり粒ぞろい、とのこと。2月1日のキャンプインに向けて、Webにも続々とこんなニュースが舞いこんでいる。

ところが、だ。中京圏に特化したマスコミを親会社にもつ、我らがドラゴンズの記事は例年に比べやたら少ないような気がして、ひとり憤然とする。昨日今日は落合監督の野球殿堂入り、とか、食堂に不審者、とかいうニュースはあったものの、昨季の覇者にも関わらず、情報がやたら少ない。確かに、元々マスコミ受けが悪いここ数年(落合監督になってから?)。マスコミを締めだしたりした結果なのかもしれないが、もう少し選手を追ってよ、と思う。

しょうがないので、給料の話ばかりを追う羽目になるのだが、この不満、シーズンにがっつりと取り返してもらいたいもの。沈黙の艦隊、ドラゴンズ。

2011年1月17日月曜日

一段落

昨夜一人、今朝一人、先生が次の訪問先、また、自宅に向けてワガドゥグを出発。

約1週間。多くの実績を残し、知識の塊のようなお二方とご一緒できたのは、プロジェクトを差し引いてもいい経験だった。見よう見まねで始め、なんとなく自分のマニュアルで調査を進めてきた僕にとって、他人の調査のやり方を客観的に見て、また、質問をされたり指摘されたりする中で、得たものは大きい。

こうしてただ一人残された不安もなくはないが、しばしの自由時間。少しペースを落として後始末と、これからのプロジェクトに向けた準備、そして、自分の論文に読書、送ってもらった論文を読むことに数日間費やしたい。

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2011年1月16日日曜日

鳥の目

1月11日にワガドゥグに到着した。

今年の仕事はじめは、お二人の先生方を連れての調査。このメインイベント、コングシでの調査を昨日と今日行った。時間は短い。しかし、研究者と一緒にフィールドを歩くのは今回が初めてで、研究者の粘っこい視点、また、分野の違うお二人の先生の幅広い目に2日間感心しきりだった。

殊、T先生の博覧強記には舌を巻く。専門の土壌学の他、開発、社会、人類学…「枠にはまりたくない」という言葉通り、多様な視点からフィールドをバサバサと切り刻む。そして、話は2時間の道のりで泊まることはなく、際限なく周到な回答を用意したアイディアが湧きでる。「社会学系の研究者でも、景観が読めなければだめだ」、伝え聞いた川田順造氏の「まず土を見よ」という言葉に通ずる。

そして、昨日の夜、「あの山に登ろう」ということで、朝8時半からY村近郊の小高い丘に登った。
砂利道に足を滑らせながら、50過ぎのお二方は淡々と登る。100mか200mくらいの小高い丘を登ると、絶景が待っていた。
前日、地を這いまわるように、村を歩き回り、土や石を見て淡々と解説を加えるT先生。そして、そのあたりで一番高い場所から村々を見回してみる。
畑、湖、山、地形が180度のパノラマに収まる。村の配置や水系、それを利用する人の営みが手に取るように見える。
フィールドワーカー=地べたを這いまわる、という図式が一気に崩れる。自然科学から社会を読むことのスケールの大きさと地平線にしばし感動する。
実はこの山じゃないのだが、なんとなくイメージで。
少し迷宮に入りかけた自分の研究もこんな感じで見直さねば、と思う今日この頃…

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2011年1月7日金曜日

再びx2

12月21日に帰国後、怒涛の日々に終止符。

しかし、そうそう簡単には終わらせてもらえなかった。元旦こそ無理してでも休んでやったが、それ以外は家の片づけと事務作業。気がついたら松の内も終わり。世の中が日常に戻ることで、自分に追いついてきたような、妙な感覚に陥る。

が、一昨日。なぜか腰が痛む。膝が痛む。自転車をこいでいたら股関節までが…そして、寒気。確かに寒い日だったが、研究室の周りの女性陣よりもずっと寒がっている。これは、もしや…

その夜、熱は39度を越え、完全にマラリアの症状。その夜は解熱剤を飲むだけにしたが、全く効果はなく、翌朝Artefanというインド製の薬を投薬。10月に発症したときに投薬したのがメファキン(西アフリカのマラリアの多くが耐性を持つと言われる)だったので、きっと、原虫が残存したのかも…Artefanは少しめまいがする程度で、今日あたりは全くなんでもない。症状もほぼ完全に収まり、すこぶる調子が良い。3ヵ月で2度のマラリア…知人に数ヶ月間毎月、という人がいたから、その人ほどではないけど、なかなか体力を消耗する。

そして、もうひとつの再び。

10日からブルキナファソに渡航。まだ暑くないからいいか…

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2011年1月2日日曜日

明けてしまいました。

昨年、喪中につき、新年のご挨拶は控えさせていただきました。

年賀状が届かないのは、嫌いになったからではなくて、そんな理由からです。以前、本気で嫌われたか、と思ったことがあるので、念の為。

12月21日に帰国して、あっという間の10日間。この間、実は引っ越しまでしてしまいました。寒中見舞いには間に合いませんが、ご住所を伺っている方には、いずれお知らせいたします。

例年通り、師走がドタバタと過ぎ、少しゆっくりできてしまう正月がなんとなく物足りなくて、「作業」と称してこうして大学に来てみている。サラリーマンのころについた習性だ。きっと来年の末にも同じようなことを言っていると思うけど、せっかくこうして季節の折り目があるわけなので、気持ちを新たに、心の中でムニャムニャ…と今年の目標なども唱えてみる、というのは卑怯なので、一応…「博論書くぞー!」とちょっと小さく、そして見にくく書いておいてみる。

そんなわけで。本年もよろしくお願いいたします。