2016年2月26日金曜日

On the way to Africa (Istanbul)

(https://latte.la/column/30254963)

今回の渡航もターキッシュ・エアライン。数年前から、西アフリカ便に関しては最安値、しかも、向け地が非常に多様なことで、ずいぶんと乗っている。機内食のレベルは、年々下がっているし、CAさんたちの適当さは、ANAあたりと比べると、「う~ん」なことは多いけど、この航空会社の魅力は、トランジット・ホテルがついていたり、空港ラウンジのレベルの高さ。

このブログもそのトランジット・ホテルで書いているのだけど、Grand Cevahir Hotelという5つ星。ちょっとしたエグゼクティブ気分が味わえます。12時間のフライトで強張った体を熱いシャワーでほぐし、豪華な朝食を食べ、フカフカのベッドで休み、仕事も快適です。時間が長ければ、お昼ご飯を外の食堂で食べたり、多少の観光もできて、最近はこのためにターキッシュを選んでいるのでは…という気さえしてくるのですが…なかなか仕事で来ることも、ましてやプライベート、ということもない土地なので、この時とばかりに楽しんでいます。

ただ、ここも最近のシリア情勢の影響で、トランジットすら嫌われているようで、飛行機は割とスカスカ。おかげで便数を減らしたりもしていますが、それでも、僕らのようなルーティーンでアフリカに飛ぶ人間にとってはありがたい航空会社です。

さて、これからブルキナに飛びます。投げるメールは投げたし、機内ではカッセーナ調査のことを考えながら過ごそうと思います。今度はブルキナから。

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2016年2月25日木曜日

ブルキナファソ―セネガル出張201602-03

いつものごとくバタバタしながら、今晩から出張します。

2月26日~3月4日:ブルキナファソ
3月4日~3月18日:セネガル

大まかにこんな予定です。

ブルキナファソでは、カッセーナの調査、セネガルでは、簡単な調査とワークショップ開催が主なミッションです。1月中旬のワガドゥグのテロのお陰で急遽セネガルのサンルイの大学での開催となりました(予定していた会場がテロで襲撃されたホテルの隣という…)。

何とか無事に貴一朗も出てきてくれて、連れ合い共々、本日退院。苦労をかけますが、無事にいろいろと済みますように。


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2016年2月23日火曜日

命名「貴一朗」

名前を決めました(というか、すでに数か月前に決めていたのですが)。「貴一朗」と言います。音は鑑定士さんにも見てもらった。「ロウ」の字を「郎」にするか、「朗」にするかで、悩んだが、それぞれにいいところがある、ということで。アドバイス通り、顔を見て決めた。

おなかにいるときから、連れ合いは「きいちゃん」、お兄さんは「きい坊」。名前なんて呼んでもらえるためのもの。どんな愛称でも、いろいろ呼び方があってとてもいい。しっかり生きて、しっかり馴染んでいってほしい。

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2016年2月21日日曜日

さりげなく過ぎる人の営みの中の一大事

人類が誕生して40万年。何百億回か何千億回か繰り返されてきた子どもを産み育てる、という行為。こうした人類史の中のたった一人の子どものことを考えれば、それはそれは些細な出来事だけど、初めて子育てにかかわってみると、一つ一つが新鮮で、産んでくれた連れ合いと、小さな体でこの世界を生きようとする自分の子どもがこの上なく愛おしく感じてしまう。あまりに多くの人が感じたこの感覚を言葉にすると、陳腐で恥ずかしいのだけど、こういうことの積み重ねの中で今の人類が存在するのだ、ということに思いを馳せるとなんだか、この荒み始めた世の中が少し明るく見えてくる。


昨日は初オムツ替え、今日は初めてミルクあげをした。後ろの母と義母が心配そうに見つめている。あまりにぎこちないのだろうけど、初めてのことにて致し方なし。




この小さい手。少ししたらくそ生意気になるのがわかっていても、こういう写真は残しておこうと思っている。ぶら下がられても揺らがぬように。

男親というのは、切ないもので、久しぶりに訪れた安らかな時間もここまで。これから京都に帰り、明日は区役所で書類を整え、その数日後にはアフリカに旅立つ。アフリカをフィールドにする男親は子どもが生まれる瞬間、親類の最期の時に立ち会えないことは珍しいことではない。今度会えるのは、1か月半後。きっとメキメキと大きくなり、見違えるのだろう。元気に大きく育ちますように。

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2016年2月19日金曜日

誕生

昨日、2016年2月18日15時12分に第1子が誕生しました。3,098gの男の子です。41での初めての子育て。放っておくと体力がついていかなくなりそうなので、少し頑張って体力を付け直さねば、と心に決めています。

とはいえ、まだ「子どもをもった」という感覚はフワフワして、どうもつかみどころがない。僕などは両親に痺れるくらいつらい思いをさせているので、母と話しても、なんか違うんだろうな、と思う。でも、こんなのは、初めての経験で、なかなか追体験できるものでもなく、経験しながら次第に実感と自覚は生まれてくるのだろう。

とにかく元気に。そして、人の道を外さぬよう。そして、僕の父とはほとんど果たせなかった、父子で居酒屋。最低でもそこまでは両親ともに元気にすごす。ささやかですが、そんなことを考えた息子の誕生日。







2016年2月16日火曜日

応地利明2016『トンブクトゥ 交界都市の歴史と現在』臨川書店


人文地理学の泰斗、応地利明先生が『トンブクトゥ 交界都市の歴史と現在』を上梓されました。ご縁あり、著者割りにて入手しました。ありがとうございました。

かなり高価な本(17,000円)なので、アフリカ研究などを専門にしている人以外はなかなか手の出ない代物ですが、昨日紹介した中尾本に続き、西アフリカ研究を大きく前進させる一書になる本です。

おそらく、出版数はかなり限定的なものだと思いますので、大学図書館や県図書館などにはぜひとも入れて欲しいものです。

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2016年2月15日月曜日

中尾世治・Ibrahim Kalil Mangane(著)『ムスリム文化連合ヴォルタ支部資料集:ムスリム文化連合ヴォルタ支部の設立からムスリム協会までの50年について(ボボ・ジュラソ、1962-2012)』


西アフリカの人文学研究の期待のホープで、ブルキナファソ研究の盟友、中尾世治さんの資料集が出ました。偉そうに監修のところに名前を入れていただいていますが、僕がやったのはロジのみで、中尾さんの努力の賜物です。

はっきり言って、マニアック以外に表現のしようがないのですが、西アフリカのイスラーム史の研究では、大きな穴一つをしっかり埋めてくれるものだと思います。これまで、マリのイスラーム史に関しては、日本では中尾さんのお師匠さんでもある、坂井信三先生がまとまったお仕事をされていますが、その東側はまだまだやらねばならない仕事があります。独立後から現在までですが、坂井先生の仕事にこの資料集が付け加わることで、西アフリカのイスラーム史研究が進展した、と言えるかと思います。もちろん、ブルキナファソの宗教研究、地域研究という意味でも、大変意義深いものです。

昨今のアルカイダやボコ・ハラムがらみで、十羽一絡げにされてしまいがちなアフリカのムスリム。こうした地道な作業の末に、よりよい理解がなされるのだと思います。

ともあれ、中尾さん、お疲れ様でした。益々の研究の進展をお祈りしています。

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2016年2月11日木曜日

ティティンガ・パセレTitinga Pacéré氏がレジオンドヌール勲章を受章

Facebook, Radio Omégafm officiel (https://www.facebook.com/RadioOmegafmOfficiel/photos/a.758343544238008.1073741828.495732770499088/1029443680461325/?type=3&theater)より


~~記事より~~
Titinga Pacéré氏が2月12日にフランス語圏レジオンドヌール勲章を受けることが決まった。
文学・文化人のティティンガ氏は、*レジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受賞。2015年12月には文化省大臣として、ブルキナファソ人間国宝(Trésor Humain Vivant, THV)を受けている。
~~~~~~~~

ティティンガ・パセレはジョセフ・キ・ゼルボ亡き後のブルキナファソを代表する歴史家で、法律家としても著名。出身村のマネガには、モシの創世神話をブロンズの人形で表した展示や「ブルキナファソ諸社会のイエの展示があり、おそらくは、ブルキナファソで最も充実した博物館を個人的に経営している。さらにブルキナファソの歴史文化に関する著作も多く、文化保全活動に非常に積極的な方です。

cf.レジオンドヌール勲章
ナポレオン1世のときに制定されたフランスの栄典制度。フランスの最高勲章。
シュバリエ(騎士、5等)     
オフィシエル(将校、4等)
コマンドゥール(司令官、3等)
グラントフィシエ(大将軍、2等)
グランクロワ(第十字、1等)

(Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8B%B2%E7%AB%A0)


2016年2月9日火曜日

やはりANAファンです。

(http://www.boeing.jp/%E7%89%B9%E9%9B%86%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/787-9%E5%9E%8B%E6%A9%9F.page?)

遡ること20年前。僕は初めてアフリカの地を踏んだ。その時に初めての長距離移動、もちろん飛行機で行ったのだけど、乗った飛行機がエア・インディア。今でこそ、インドの空港はとてもシステマティックだけど、当時は、薄暗くて、みんなタバコ吸って煙がもうもうとして、そこにスパイスのにおいが漂う、というなんともエスニックなところだった。

確か30時間ほどのトランジット。外に出たいので、ビザ・カウンターに行くと、例のインド鈍りの英語で捲し立てられる。今考えたら当然なのだけど、確か30ドルほど要求されたのだと思う。すっかり動転していた僕は、後ろを通りかかったJALのCAさんに助けを求めたのだけど、「勤務時間外ですから」の一言でスッと立ち去ってしまった。結局僕はその30時間を空港で過ごしたのだけど、それからすっかりJALが嫌いになってしまった。そしてそのまま20年間、一度もJALには乗っていなくて、経営破たんしたときは、「ほれみたことか」と思ったのは言うまでもない。

JALに乗らないと、当然ANAに偏重していくのだけど、なぜか、ANAはやたらといい印象ばかり。色々思い出すけど、とにかく相性がいい。もちろん、スターアライアンスという、最大のネットワークを持つアライアンスのメンバーということで、大体どこに行くにも困らないという、本来の航空会社としてのサービスがよい、ということが第一なのだけど、今のところ、電話や窓口の対応で深いな思いをしたことはない。

先だって、トルコ航空のマイルが積算されていないことについて、問い合わせをしたのだけど、こちらが揃えるものを揃えれば、個人的にしっかり対応してくれた。おかげで、ようやく無事にステイタスが上がることになって、めでたしめでたし。ラウンジが使えないと、空港での時間がもったいなくて。作業をするにしても、休むにしても、10時間とかの待ち時間を有効に使えるかどうか。雑音の少ない空港や機内はまとめて作業が出来る貴重な時間だし。

ともあれ。JALの破綻後、ANAが国内最大のキャリアになり、新たな機材も近々に導入されるというし、アフリカ直行便もできるとか。社内でも一昨年からCAさんが再度正社員になったり。思うに益々サービスが向上するのではないだろうか。「移動する」という手段から、「移動中」が仕事をしたり、楽しんだり、益々いい時間になっていくように、今後も期待したいと思う。


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2016年2月7日日曜日

ねばり、誠意、徹夜

日曜日の夜。広い研究所に一人。

キーをたたく音のほかはパソコンのファンの音しかない。

今日は久しぶりの徹夜仕事。結婚してから、たまに朝まで飲み歩くということはあったにせよ、基本的に毎日家に帰るように心がけていた。連れ合いが出産のため実家に帰っていることもあり、帰って仕事をしても光熱費がかかるだけ、と思い、今晩は職場で夜を明かすことにした。

大学院にいたときも、遅くなってくると、次第に残っている友人たちとビール片手に…となり、結局作業もそぞろに何をするわけもなくいろんなところを泊まり歩いていたわけだけど、唯一、修論を書いているときはこんなことがよくあった。徹夜仕事に限れば、年に何度か、締め切りに追われて、ということはあったが、京都に来てからはこれが初めてのことだ。

なぜ今日は徹夜になったかというと、僕の思い違いで締め切りを一ヶ月先だと思い込んでいた原稿が実は1月末までだったから。すでに1週間遅れているのだけど、そこは編集の方に平謝りして伸ばしてもらった次第。

これまで、なんやかんやで原稿を落とす、ということは幸いにして一度もない(実は一つ落としてしまいそうなものはあるのだけど)。性分として、ギリギリにならないとエンジンがかからないほうだし、計画性があるわけでもないのだけど、一応、誠意だけは持って取り組んでいるつもりではある。こんな薄っぺらい誠意などあったものではないが、誘っていただいた原稿、また、自分で応募した原稿とも、やはり原稿の先に人の顔が見えてしまうから、そのクオリティはさておいても、何とか体裁だけは整えて出す。そのために一応、ギリギリまでねばる。

もう少しさかのぼって、高校生の定期試験なども、だいたいこんな感じで、三つ子の魂百まで、よろしく、全く変わっていない。ただ、高校の定期試験は客観点なので、相当赤点を喰らったわけだけど。赤点は喰らわないにしても、大切な友人の著作の書評だけに、また今回も誠意を込めて、今宵書ききります。

朝から一応机には向かっていたものの、全く進まず、今日始めてこんな速さでキーボードを打った。まあ、このブログでウォーミングアップ完了ということで、朝まで駆け抜けるとしよう。

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思えば35年前の古い傷だった

今年は暖冬といいながら、冬が始まるころから足の裏にひびが入った。アカギレ(皸←これはあのアカギレのことだろうか?)のように皮膚が割けて、どこかにひっかけてからしばらくかなりの痛みを伴っていた。1か月くらい違和感があったのだけど、年の変わったころからハンドクリームを塗り始めたら、かなり楽になった。

冬になれば乾燥して皮がむけたりということはよくあったのだが、こんなことは初めてで、年のせいかななどと思ってみたりもした。しかし、今日もクリームを塗りつけていると、足の裏に凸になっている箇所にふと気づいた。というか、思い出したのだけど、ここに古傷があったのだ。6歳のころ、仮面ライダーごっこをしていて、足を滑らせてガラスに突っ込んで割れたガラスで足の裏を切って何針か縫った痕だ。

あの時のことは今でもよく覚えている。スイミングスクールか何かのバスを待っていて、母は家のことをやっていて、僕は玄関のところにあった部屋で一人遊びをしていて、ガラスを割った。それほど痛みはなかったのだと思うけど、何が起こったのか自分でもよくわからなかったように思う。だが、ガラス一枚が割れたわけで、相当派手な音がなったことだろう。母が血相を変えて、僕を探しに来た。驚いた母の声に僕も驚き、我に返ると、血みどろ。ガラスの割れた音に引けを取らないほど派手に泣いたような気がする。そのあと、坂の上にある小さな病院に、当時すでに30㎏ほどあった僕をおぶって、母は走り出した。我が子の一大事、そんな風に思ったのではないだろうか。

病院で縫われた僕は、その後数週間、学校に行くのに、近くに住んでいた担任の先生の荷台に乗せられて(三輪自転車)学校に行ったり、なんか周りの人にすごく気遣われたのを思い出す。

アカギレは治りつつあるけど、ひょんなことから昔の話を思い出して、なんか楽しくなってきたので、書き記しておくことにした。久しぶりの独身生活、やることはたくさんあるのだけど、こんな風に少し昔話を思い出してみたり、まあまあいい時間を過ごしている。

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2016年2月3日水曜日

ワガドゥグのテロ‐4(ワガドゥグのテロ前日の記事)

(Googleマップより)

1月16日に発生したワガドゥグのテロ。日本でも大々的に報道されたが、その前日、次のような報道があったことはあまり知られていないでしょう。

「ブルキナファソ軍の発表によれば、2016年1月15日、Tin Abao(ゴロム・ゴロムから40km)から15km離れたTin Akoff(地図上のマーク)において、憲兵隊(おそらく国境警備)が襲撃され、2名が殺害(憲兵隊1名、市民1名)と2名の憲兵隊が重傷を負った。」
(http://lefaso.net/spip.php?article69115)

この記事の続報は、管見の限りまったくありません。というのが、おそらくは、その数時間後の1月16日のAM1:00にワガドゥグでのテロが起きたためでしょう。この記事とテロは、無関係でしょうか?推測の域を出ませんが、テロリストは、国境警備をしていた憲兵隊の壁を突破して、ワガドゥグに到達し、凶行に及んだ。こう見ることも出来ます。ゴロム・ゴロムからワガドゥグまで状態のいい四駆であれば、5時間~6時間。この事件が、夕方であっても、充分にテロ前にはワガドゥグには到着できます。

そして、もう一つ着目しておかねばならないのが、AQIM系の多くがトゥワレグであることから、ジボの南のマリの難民キャンプに紛れ込んでブルキナファソに入国している、と見られていました(
僕の友人たちの語りから)。しかし、今回は、道路のよく整備されたドリ-ワガドゥグルートを取ることで、かなり機動力もあったのではないか、と思います。この前のエントリーで紹介したJeune Afrique誌は、何人かのテロリストが警備のあみをかいくぐった可能性を示唆していましたが、こちらのルートを帰っていったとすると、テロ収束のその日の午後には国境を越えることも可能なわけです。

もちろん、武器などを輸送していることでしょうから、検問の厳しい大通りをわざわざ通ることはないでしょうが、さらにこうした小さな国境も警備を強めておく必要があるでしょう。

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2016年2月2日火曜日

天草の「のさり」-5 その他

天草の「のさり」シリーズ最終回。

まず、高浜にある白磯旅館へ。ここは、明治後期に建てられた瀟洒な洋館と日本家屋がくっついて並んでいる。現在の支配人のお祖父さまがマダガスカルで築いた財で建てたのだとか。

この地域は洋行する人が多かったらしく、とても面白い歴史の話があった。そのせいか、建物もそれぞれ風格のあるものが多く、なにやら興味深い。




同行の最年長氏がこの当たりの「こんにゃく」の話をききつけており、支配人さんに話を聞くと、旅館の隣に、有名な方がいらっしゃるとのことで、お伺いすることに。すると、でてきたのは80代のご夫婦。このお二人がまた面白い。矍鑠としたご夫婦で、冬の間はこんにゃく作りを休んでいるらしいが、かなり品質にはこだわりがあり、この下の写真の粉を「銀粉」と呼ばれていた。元々は広島からコンニャクイモの粉末を取り寄せていたらしいけど、現在は栃木からだとか。やはり本場だけに、品質が向上したとおっしゃっていた。

そして、旦那さんの方、このあたりの炭焼き職人としても有名な方。お茶を点てるときの炭なども作っていらっしゃる。なぜこんにゃくやさんが炭を?と尋ねると、子どもを大学にやりたかった、と意外なお答え。元々、広葉樹の多いこの辺りの山はよい炭材が取れたとか。


で、そのほか、恐竜資料館(御所浦)、民俗資料館(通詞島)も訪問。恐竜の資料館は、ユルキャラのみですが…


こちら(通詞島)の資料館で面白かったのは、塩の生成の展示。


こんな素焼きの陶器でつくり、そのまま足を折って販売していたらしい。復刻してデモンストレーションをしているらしいので、ぜひ実際のものを見てみたい。


「のさり」探しのたびシリーズもこれでおしまい。

最後に。現職のこうした国内(調査)旅行はなかなか楽しい。一度も行ったことのない地域に入り、すでに入っている人の案内で、確実に普段の旅行では入れないところにまで一気に入れてもらえる。美味いものも食べられるし、少々心苦しいほどだ。

一応、研究の一貫なので、あるキーワードが毎回ある。今回は、エリア・ケイパビリティ(地域の可能性、本当は違うらしいけど、まあとりあえず)がキーワード。なので、「地域のことを考える」訳なんだけど、少し違和感を覚えるのは、「地方は問題を抱えている」という言説とどう向き合っているのか、向き合っていけばいいのかということなのだ。問題を解決すること、というのが、おカネや人を増やすということで、このネオリベ的な前提は何とかせねば、と思っている。滅びの哲学を語る気はさらさらないのだけど、こういうあたりはこの研究所、ずいぶん無防備な気がする。ということを言っても分かってくれる人はゴクゴクわずか。でも、人文学の研究者としては、今一度、声を大にして言い続けなければならないと思っています。

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