2009年12月29日火曜日

年の瀬を迎え…

日本では残すところ2日とすこし。こちらも2日半ほどで2009年も終わる。

毎年言われるように、今年も社会ではたくさんのことがあった。個人的にも多少社会の荒波にもまれたような気もするが、まあ、何とかほろ酔い気分で年も越せそうだ。

ここ数年、アフリカと日本を交互に年越しの場にしている。どちらの年越しが好きか、と言うと、間違いなく日本の年越しが好きだ。儀礼的なイベントが多く、なんか踏ん切りがつく。別に何と言った借金もないが、前の年の面白くないものをおいて、それなりに新しい気分になれる。それに比べると、爆竹を鳴らして、酒を飲み、「ボンナネー」と言って頭をぶつけあうこちらの新年は、あまり日常と変わらない。いつもの酒に爆竹と頭突きが加わった程度である。

きっと、自室と研究室を行ったり来たりの日常から、少し非日常的な世界を望んでいるからかもしれない。人並みに悩みもあり、本当は全部2009年においてきてしまいたい気もするが、その実、ほぼすべてが2010年に持ち越しになることになった。日常は続く。

とはいえ、もうすぐ新たな一年が始まる。無理してでも初夢を見ようと思うし、少しいつもより酔っぱらってやろうと思う。何かが新しくなり、余計なものは捨てられるように。

2009年12月25日金曜日

清しこの夜…

到着3日目。22日に到着すれば、今日は24日なわけで、世に言うクリスマスイブ。

日本も大いにうかれているはずだが、こちらも相当に浮かれている。昼間から酒の誘いばかりで、到着以来酒漬の日々。かろうじてインフォーマントへの到着連絡やら、調査の準備は少しずつ進んでいるが、唯一の逃げ場の事務所にこもらなければそこいらじゅうに酒がある。

ちなみに事務所に来ると、狂ったように水を飲む。デトックスという奴で、水で洗い流す。

今晩は近くの教会のミサに参加してみようと思っている。記憶しているだけでも4回目のクリスマスをワガドゥグで迎えるが、そういえばミサに参加したことがない。一応、人類学をやっているので、少しは知らんといかんな、ということで、友人に連れて行ってもらうことになっている。

ま、「清い」のはアルコールで消毒していたからという話でした。えっ?チャンチャン。

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2009年12月23日水曜日

あぁ…忘れ物…

昨日、早朝4時。なんとか到着。

途中、トリポリ出発時に機体故障のためにトリポリ空港に引き返すという、飛行機嫌いにはたまらない事故はあったものの、何とかワガドゥグに到着。大韓航空内で読んだ今週の占いに、「旅行 年内の出発は見合わせ、年明けにすべし」というようなことが書かれ、なんのこっちゃ、と思ったら、忘れ物のことだったようだ。

まず、家に名刺を忘れる…その1。パリのホテルにバスタオルを忘れる…その2。パリ‐トリポリ間の飛行機内に本を忘れる(しかも満を持して持ってきた『悲しき熱帯』を!!!)…その3。

というわけで、忘れ物ツアーになってしまった。心配になり、昨日、到着後に荷物をもう一度チェック。今のところ、これくらいで済みそうだけど、今回は緊張感がない。年末は厄払いに飲みまくるしかないな…

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2009年12月11日金曜日

鬼の霍乱

年も押し迫り、みな忙しそう。暖冬とはいえ、少しずつ冬らしい日が増えていき、さらに、インフルエンザもはやっている。

今週頭、研究室の教官2名が風邪で休みだった。そのうちの1人が昨日のゼミの教官で、普段は「強め」のキャラ。私もでかいが、タッパは私以上(おそらくコレステロールも…)。「フィールドワーカーは体力や!」と言ったかどうかは知らないが、そんなことも言いそうなタイプ。鬼の霍乱。しかし、鬼の居ぬ間に、ということでもある。

2009年12月6日日曜日

たゆまぬ努力で無駄な努力


研究室の一幕。
「LDL(悪玉)コレステロールを低下させる」と書かれたお茶と「脂肪の吸引を抑える」と書かれたウーロン茶。両方とも、「多量に摂取することにより、疾病が治癒するものではありません」という注意書きが付いている。
なんか、飲まないよりはいいか、と思って、1.5倍くらいの値段を出している。酒を控えて運動しろ、という、禁欲的な要求に反抗して、楽になんとかしようという、人間の弱みに付け込んだ商品だと思う。まあ、日本にいる間はやってみようと思う。来年の健康診断が楽しみ。

2009年12月5日土曜日

フィールドの前に。

思い切りはいい方で、たぶん頭より体が先に動いてしまうことが多い。
躊躇した時は、結果はよくない。自分の中で煮詰まっていないから、後手に回り、次のアクションが遅くなる、また躊躇する…こんな負のスパイラルがある。

ここ数回のフィールド調査、毎回「最後の長期滞在」だと思っている。本気で焦っていることもある。少ない情報量、調査の前にやっておかなければならないこと…不安要素は数え上げるときりがない。

それでも、3か月、半年とアフリカで過ごす。少しは、浮世(というか、現実か…)から離れ、こんな不安から解放される。こうやってバランスがとれていたのかもしれない。でも、やはり、そろそろ調査モラトリアムのような状態からは抜け出さねばならない。今回は、調査に集中したい。論文を持っていったり、やたら本を持っていったり、日本から宿題を持っていくのは控えようと思う。それでも向こうで焦らないように、日本での仕事はきれいに終わらせてから出発しよう、ということも強く思った。

そんなわけで、今回の調査、10日出発の予定を10日後にずらす。12月20日出発。3月12日帰国。正味80日。

勝負。

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2009年12月2日水曜日

新たな調査

約1カ月遅れで届いた内定通知。

研究室内でもその不公平な待遇に非難ごうごうで、さらに、この緊縮財政のなか幾分バブリーな「派遣事業」に内定した。派遣先は、ワガドゥグ大学だ。なんの肩書きもないが。大変ありがたい話ではあるので、文句はない。一切。

1か月ほどかけて向こうの先生に頼みこみ、もめまくって何とか書類を提出した。相当自信もあったが、落とし穴は政権交代だった。こんなバブリーな企画が長持ちをするわけもなく、やはり、来年度以降の予算が削られた。つまり、今年度のみ。

それで、とにかく長く調査機関をとりたいので、カツカツのスケジュールで動くことにする。調査予定は近いうちに詰めることにする。

いずれにしても、年内にカタをつけねばならないことがいくつかある。出発は10日後。

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2009年11月15日日曜日

旅に出ます。探さないでください。②

上方日記その2。すでに終わっているのですが。しかも写真もないので、つまりません。写真お願いせねば…

本当は、パリで世話になったMさんのご家族にお届けものがあったのだが、上方で泊めてもらったIさんが委員長を務める「うっかり委員会」に入会すべく、お届けものを忘れる。完全に遊びモードだったわけである。

ただし、Iさんからの指令でS県立大学の学祭で「大雨大王」をやることになり、これが目的になった。5分ほどの寸劇のわき役である。

劇なんて、不良高校生当時もやったことはなく、おそらく小学校の文化祭以来。メチャクチャ棒読みだった。そして、微妙に恥じらいがある。学祭ということで、大学生に絡まれたらどうしよう…とか無駄なことを考えたが、5歳児がジーッと見ていたくらい。でも、一緒に出演したメンバーが楽しい人たちばかりで、いい時間が過ごせた。学祭の運営委員の若人たちも好青年ぞろいで、気分良く終わる。

2日目。

これもIさんの取り計らいで、薪割り大会に参加。「雲が畑」という谷間の小中学校(全校生徒が11人とか。)の校庭で行われた。この学校、環境教育が盛んで、いろんな仕掛けを見せてもらう。そして、薪割り。たぶん日本の現代都市民では相当レベルは高いと自信を持っていたが、薪割りが冬の日課であったという、Iさん(でも東京生まれ)、そして、それ以上だったのが、この街の山で働くジイさんたち。全く力を入れていないのに、スパッと割れる。机の前に座りきりの我々にも数十年で培ったテクニックを惜しげもなく分けてくれる。

ジイさんたちのアドバイスを聞き、翌日の筋肉痛を恐れずに、薪割りに取り組む。山の静けさの中、斧に神経を集中させて振り下ろす。ほどなく無心の境地に達する。これが気持ちいい。季節は晩秋だが、それほど寒くもない中、心地よい汗をかく。これも日常ではないこと。この日もいい一日だった。

しかし、言うまでもなく、そして、悟られたくなかったので強がっていたが、翌日は激しい筋肉痛に悩まされる。

つづく。

2009年11月9日月曜日

旅に出ます。探さないでください。①

去る木曜日、金曜日と上方よりお客を迎える。

なんだかんだと旧交を温め、普段から一緒にいる仲間と歓談し、今年初の鍋などをつつきながら、楽しい夜を過ごす。

翌日。以前からしばしの間旅に出ることにしていたので、客人と共に上方に向かう。旅と言っても修行のような旅なのですが。

2009年11月3日火曜日

オーバーホール

東京から帰った一昨日、大学に止めてあった愛車がパンクしていた。仕方ないので、その日は引いていき、翌日自転車屋に持っていくことにする。

帰国後、なんとか論文を仕上げ、東京でのプレゼンテーションもこなした。ええ加減ちょっと休むか、ということで、昨日は自転車屋に行くくらいにとどめよう、ということで、ゆっくりと外に出る。

自転車屋は見落としていた近くの自転車屋で、オヤジはおそらく70歳以上。これくらいのオヤジは大概なんでも直せてしまう。今までの経験上、そんな気がする。まずタイヤを見て、パンク箇所を点検する。一瞬でパンクの修繕は無理/無駄、さらに後輪の車軸の異常に気づく。

約5年。この自転車でどれくらい走ったことだろう…わざわざ帰ってきてくれたし、一度、総点検してもらうのもよかろう、ということで、お願いする。自転車は車検がないから、たまにはこんなのも必要だろう。

そして、自分自身もちょっと休まんと壊れそうだな、と思い、愛車と共にオーバーホール。研究の本すら触らず、料理をしたり、片づけをしたり、昼寝をしたり。なんかちょっと元気になった一日だった。

2009年10月30日金曜日

締め切り

日常に締め切りがある生活。ちょっと文筆家みたいでカッコいい、と思ったことはある。

しかし、マンガでよく見る作者の心象風景が痛いほどわかるこの頃。明日はおとといの記事で書いたプレゼンがあるので、8時の新幹線に乗ることになっている。今日締め切り(実質は月曜日までできそうだが…)の論文は、そう、タイムアップなのである。

何とか終わったということで、新幹線ではビールを飲もう。明日の英気を養うために。

2009年10月29日木曜日

クレーマー

ある日の酒の席。研究室のMが私をクレーマーという。全く自覚はなかったが、昨年から今年にかけて、なんどかあったクレームを数えられ、いつの間にかクレーマーになっていたことに気づく。

本日、昼過ぎ、バッテリーと充電機がいかれてしまった携帯の機種変更のため、ショップを訪れる。

たぶん研修中のスタッフで、前回も少しいじめてしまったのだが、今日は新しく経費が追加されている。

学割がなくなった→今使っている携帯が古くて使えなくなった→解約料を払え

という話に納得がいかず、「なんで?」と言ってみる。いわば、飯を食いに行って、頼んでもないものを持ってきて箸をつける前に金を請求された、みたいな話で、か弱そうなそのスタッフを責め立ててしまった。泣きそうになり、なんども裏の上司に相談に行くスタッフ。ただ、いわれのない6,000円を払う気にもならず、しばらく突っ張ってみる。しばらく「納得がいかん」という話をして、自分が対抗しているのが、その可憐なお嬢さんではなく、巨大な携帯会社だということに気づき、そこで無駄にしている時間と労力、そして、自分のクレーマーぶりに気づく。突っ張り続ければそのうち、なにかあったかもしれないが、そこで戦意喪失。

納得がいかんことを飲み込むのはいかんと思う。でもクレーマーになるのもどんなもんか…

2009年10月28日水曜日

10月31日@道祖神

35名定員のところ、まだ17名だそうなので、自ら宣伝します。

10月31日、14:00より、三田(慶応大学の前)の道祖神で話をします。ブルキナファソの都市と音楽についてで、学会で発表した内容を少し砕いて話す予定。

http://www.dososhin.com/info/event/2009/03.html

2時間ほど堅めの話をしたのち、懇親会、その後浜松町の「カラバッシュ」に場所を移して飲み会の予定。お時間のある方はぜひぜひ。

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2009年10月27日火曜日

愛車!!!!

調査帰り。3か月開けると、結構いろんなことがたまっている。この年でおはずかしながら、実は今年になってから完全独立生計の形を取った。健康保険やら、年金やら、税金やらをさばかねばならないけど、なかなかオートマティックに仕切れない。

そんなわけで、「滞納」していた保険料を払いに区役所に行く。

このあたりは3年前までアパートを借りていたところ。いまだに、この辺に用事があることがある。そんなわけで、用事を全部まとめて、一気に済ませるべく、朝から出陣。

調査の1、2か月前、学校に置いておいた「ケッタ(尾張言葉で「自転車」を意味するそうな)」が無くなった。どなたかが拝借したのだろう。いい具合に古くて、良心の傷みも少なくて済むのかも。

この愛車を買った自転車屋にて。名前などしらないオヤジさんとジイさんが

「あれ?清水さん?」

と。ケッタと僕の顔はつながっているはずだが、なぜに名前を?

「自転車、届いてますよ」

どなたか親切な方が、わざわざ乗り捨てられていたケッタに貼ってあった店の電話番号に連絡してくれたらしい。さらに、オヤジさんがそこまで取りに行ってくれたらしい。その後、少々整備してもらいながら、いろんな話を聞く。この店、何度も修理やら部品の買い足しで色々世話になっている。大概のことはカルテみたいなのをつけてくれているらしい。何で、住所、名前も調べれば分かるという。これだけケアもしてくれてるということ。ジイさんも言っていたが、量販店ではあり得ない。ささやかな自転車屋だが、こういう店、やっぱりいいな。

2009年10月24日土曜日

帰国…睡眠。

一昨日の朝、無事に帰国。





機内ではデブデンマーク人が隣に座り、ひじ掛けをめぐってつばぜり合いを繰り返した。SAS(スカンジナビア・エアライン)、パンが非常においしくて少し見直したが、たのむ、これだけはやめてほしい。デブ+デブ=フラストレーション、なんだよ…





成田到着後、実家傍で母と食事をしてそのまま名古屋へ。夕方、SさんとMさんと食事をしたが、1杯のビールだけで、そのまま気を失うように眠る。ただし、時差ボケのため、2時半ころには起きてしまい、そのまま翌日の講義へ。





今年はこの時期、調査の出入りが多い。Kさんと私が帰国し、GさんとYさんとが来週調査に旅立つ。よって、飲む。そして、寝る。ここのところの新記録、13時間睡眠。



昨日…

そんな調子で起きたらすでに2時過ぎ。なんとか少し食事をして、よろよろと学校へ行ってみる。なんだかんだして、帰るが、今度は寝られない…ほんの少しウトウトしたものの、結局ほとんど一睡もできず。



変な気の使い方をするのが一番面倒くさい。早く日常が復帰するといいのだが…

2009年10月11日日曜日

調査のまとめ

昨日、例の雑務終了。途中、最近激しくなってきた埃のせいで鼻かぜを引いて、かなり焦ったが、まあ、なんとか治って、無事に今日の日を迎えた。

今日は先週約束した友人アミノゥのお父さんへの聞き取りの予定だったが、あいにく外出中とのことで、しばし待機中。この時間を利用して、少し調査のまとめをする。

約2か月半。けっこう頑張れたような気がするが、成果は少なかった。

当初予定していた、トラム・ダキュイでの住み込みができず(住めるところがなかった)、通い調査を行わなければならなかった。しかし、それすらも満足にできていない。聞き取りを進める中で、ザングエテンからトラム・ダキュイへの移転過程、特にカレンダーが全くわからなかったからだ。まずはここから、と思い、新聞をひっくりかえすことから始めることにした。6年前の記憶をたどるわけだから、無理はないか…

何度かブログでも書いたが、この新聞を使っての調査というのが、えらく時間がかかる。手帳を見直したら、16日かかっている。あすの午前中再度行うので、17日間だ。ただ、残念ながら、調べていた新聞には、Projet ZACAの広告、広報記事はあるものの、取材して記事になったものが皆無だった。そのようなわけで、この調査のデータを当て込んでいた論文はかなり難しい状況に陥っている。こちらにいる間にある程度は書いているが、データ自体が薄くて、困っている。

NGOの調査はまあまあ、といったところか。これまで行けていなかったNGOは4軒回れた。人脈の相関図も少しずつわかってきて、なかなか面白いデータが取れたように思う。一応、こちらで第1稿を仕上げ、Gさんのチェックを受けたので、帰国後早い時期にに第2稿は上がりそうだ(⇒ゼミで発表します)。

NGOに関連して、今回は少し突っ込んでKEOOGOに関わってみた。そのきっかけとなったのは、今年開館した大使館で募集する、「草の根無償」という補助金の申請。この申請をめぐって、KEOOGOの責任者、プロジェクトマネージャーとの関係性は一気に濃密になった。調査を行うには十分なラポールが完成したといってよいかもしれない。

ラスタの兄ちゃんたちとも相変わらずの関係を続けている。今年に入ってから再開したグランマルシェ(2003年に火事で焼失)にも顔を出すようにしたし、アミノゥと出歩くようになって、マルシェの新たな民族関係も発見した。少々状況は変わり、土産物屋の状況も様変わりしたが、いくつか面白い変化も目の当たりにした。

前々から考えていたことではあったが、そろそろ本格的に「ワガドゥグ市史」に興味が出てきた。当面はこれまでのフィールドの中心である、Ave.Kwame Nkrumaとその周辺の都市的変化について言及していきたいが、王権や行政、イスラームやカトリックミッションさらに民衆の草の根的な作用がワガドゥグという都市をどのように形成してきたのか、もうひとつ先の目標が見えてきた。村的世界から都市的世界への変化。もしかしたら、この新たな疑問が持てたことが一番大きな収穫かもしれない。

明後日からパリへ。1週間ほど今度は本に埋まってこようかと思う。

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2009年10月9日金曜日

映すことと書くこと

とある縁があり、映像の人たちとしばらく仕事をしている。公共放送の人たちとは、かれこれ4回目くらいの仕事だ。

しかし、申し訳ないが、私はあまり公共放送を利用しない。元々この分野に足を突っ込んだのも、この分野の人と大ゲンカをしたからだし、大学を卒業するころから、どこかバカバカしさを感じながら眺めていた。

嫌なヤツなので、チクチク厭味も言ってみたりもする。

「どうせ作るんなら派手に作りましょうよ」

とかいう具合にである。

合間合間にこちらは書く作業を進めている。残り少なくなった調査期間。自分でいやみを言いながら自分の話になると、さも客観的です、というように書く。表現者のカタワレとして、これがひとつのスタイルになっているのかもしれない。

もっとちゃんと見なきゃ、とか、もう少し聞き取りをしなければ、とか。書きながら改めて実感する。あやしい部分は山ほどあるのに、公共放送の人たちと同じく、私も帰らねばならず、帰るとシメキリがあるのである。彼らは表現することをどんな風に考えているのだろう。飯を食いながら聞いてみよう。

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2009年10月6日火曜日

そして…あきらめと次へ。

ザングエテンの動乱を追うべく、1年分の新聞に目を通し終わった。日本語でも1週間では読み切れないであろう量を、なんとか正味2週間で「目を通した」。

2003年。この年はワガドゥグの変化の年で、市中心部のグランマルシェは焼けおち、ザングエテンの住民が暴れた。ある意味、商業の中核が相次いでなくなった年であったといってよい。反面、これらが中心だと思われていたのに、実は大した中心でなかったことが、その年以降もワガドゥグが順調に経済発展していたことから証明されてしまったのでもあるが。

ということのディテイルが知りたかったので、新聞とにらめっこしてみたが、ザングエテンに関する記事はほぼなかった。L'observator誌と言う、左派系と言われている新聞で、こんな記事は結構好きなんじゃないか、と思ってこの新聞を採用したが、なぜか何もない。

他の新聞(Sidwaya誌)にも手を伸ばしかけたが、やめた。時間は刻一刻となくなっていくし、中途半端に手をつけると再開するのが億劫になる。真っさらな仕事として残しておくことにする。

なんか、次の機会が近くにありそうだと思っていたが、どうも政治の荒波の中に消えてしまう可能性もあるらしい。まあ、いろんなタイムリミットが差し迫っているが、ひとつひとつけじめをつけないといけないだろう。

残り滞在期間は1週間。調査可能日数は2日間。

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2009年10月1日木曜日

調査の終わりと10月

調査期間も残り10日前後。往々にしてこのくらいのタイミングが一番調査がはかどる。というか、焦ってめちゃくちゃなスケジュールの中を駆け抜けることになる。

今回は旧ザングエテンの調査がメインだったが、今まで行けていなかったストリートチルドレンに関わるNGOを回ったり、洪水にまつわる人々の言説を追った。決して実り多き調査だった、とは言いにくいが、まぁ、こんなもんだろ、という程度には諦めがつく程度にはできたし、また来なけりゃならんな、という見通しもできた。特に、旧ザングエテン調査は、旧市街からの撤去移動について、初めて新聞を使用したが、これが意外に時間がかかって大変だった(まだ何日か続けるんだけど)。それで、これだけでも、まだまだ興味深い記事がたくさんあって、少しずつこれも進めていきたいと思う。

10月に入り、完全に雨季が終わってしまったことを感じる。何せくそ暑い。今日も40度越えだろう。調査という名前を借りた、避暑避寒の行先であるブルキナが、こうなってはどうしようもない。昼下がり、事務所に向かう道には誰もいない。きっとここに住む人たちにとってもつらい暑さなのだろう。

昨夜、「和が家」に常連の料理人A氏が来た。昨年の献立表の10月のところをみんなで見ていたが、あぁ、そんな季節なんだな、ということで日本に思いを寄せる。キノコに海の幸、芋の煮付けに…どうせいろんなものに追い立てられるようにして学食でがっついていることだろうけど、ほんの数回のこういう食事が郷愁を掻き立てる。まだ肌感覚は真夏だけど、なんとなく秋を感じる10月のはじめ。

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2009年9月29日火曜日

夜更かし

と言ってもほんわかした雰囲気のものではない。

まずはくそ暑くて寝られん!洪水でもいいから雨降ってくれ!(と一瞬思ってしまう)

そして、後ろでなってる扇風機が発電所並みの音を出す!(うるせー)

しょうがないので、どこにいようと容赦なく襲ってくる締切と闘うため!(おかげで思い出した…)

こたつに入ってテレビを見ながらウトウトしているような夜更かしとは全然違うのである!

2009年9月26日土曜日

さらなる被害(?)

洪水から早1か月近くがたとうとしている。光陰矢のごとし。

ちょっと事情があり、昨日からホテルにて数泊することになった。もう出国もそれほど遠いこともなく、書き残した論文や書類を書くのにちょうどいいタイミングだった。スケジュールのチェックや、もうほとんどできないであろう調査項目の絞り込み、ラストスパートに向けての調整と思っている。

当然、残金やらも確認しなければならないので、久方ぶりに財布を取り出す。ぼくの財布は20年近く使っているcoachのもの。色は黒。アメリカに住む叔父がくれたものだ。ブランドものには疎いのでいくらくらいの代物なのかは知らない。ただ、coachというイケイケのお姉さんたちが狂っていそうなものなのだ、ということくらいである。

さて…と思い、貴重品袋を開ける。見たこともない物体に変化したものが…色が水色に変化している…カビだらけ。安物(1,000円)の小銭入れもカビだらけ。

そういえば…冬のフランスを想定して持ってきた革のハイカットの靴もこんな色だった。革靴代わりにフォーマルな場面で使うので、こちらは先に気づいたが、財布には頭が回らなかった。革靴はカビを丁寧に拭き取り、日光消毒した。

財布も一度日に当てないと…それにしても気付かんかった…

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2009年9月24日木曜日

右足の難

調査旅行にでて、約2か月が過ぎようとしている。なぜかこの間、右足ばかりを傷つけている。

①「和が家」開店時、油を落とす。(8月初旬 1回目)
②できものがつぶれる。(8月10日前後 2回目)
③油を落とした水ぶくれがつぶれる(8月10前後 3回目)
④再びできものがつぶれる(8月20日前後 4回目)
⑤靴下の中に入った石で指の間を切る(8月20前後 5回目)
⑥サンダルで歩いていたら右足の小指をぶつける(9月10日前後 6回目 これが一番痛かった…)

バンドエイドを使い果たし、赤チン(効かない…)もほぼなし。最初の方の傷はほとんど癒えたが、最後の3つがまだ残る。本日、元協力隊の看護師さんに相談したら抗生物質を飲むべし、とのこと。

僕の右足は傷だらけ。

2位決定~惨敗…

今年こそは…という期待を胸に、3月末から見守ってきたドラゴンズ。

ブルキナにいようが、地の果てにいようが気になってほぼ毎日「中スポ」にアクセスし、密かに一喜一憂していた。4番とエースが抜けたが、素人の私でも今年は行けると思えた。それは、他の選手の自信に満ちた顔であり、落合監督のコメントによる。残念ながら、ほとんど、数字を追うことで何とか強弱を判断できる程度だが、今年3番を打った森野であり、和田であり、またチームリーダーの荒木であり、井端の数字はここ数年、非常に安定してきている。

なんとか、今年も優勝争いはできるかな…と思ったが、意外に引き離された。落合監督がシーズン中にだした、「巨人を追えるのはうちだけ」発言。まったくその通りだった。一時は1.5ゲームまで詰め寄り、ファンを喜ばせたが、やはり「追える」だけで「抜ける」わけではなかったわけだ。これくらいの強さが応援のし甲斐があるのかもしれないが、そろそろ優勝が見たい。

「うち以外にどこが優勝するの?」ニヒルにそういい放つ落合監督をきたいしつつ…

2009年9月22日火曜日

謙虚さ…

今朝、事務所に行くとスタッフの一人から

「疲れてるのか?」

と言われる。

「飲み疲れだよ」

と言うものの、正直、助成金の手続きの一件で精神的に相当参っていた。受け入れ先の先生から存外なことを言われ、その返答に困って2日ほど過ぎてしまった。そのスタッフは事情を相談してたので、私の疲れをよく分かっていたのだろうが、彼のアドバイスを素直に実行できなかった。直接行った方がいい、という彼と、文字でやった方がいいのではないか、という私自身の直感の間で揺れ動いていた。

先日先生に会ったとき、ずいぶんしゃべり過ぎた。たぶんすごく失敗したネゴシエイションだった。そんな実感もあり、より的確に、簡潔に、順序をはっきりと示すこと、フランス語では難しかったが、英文でその文章を作った。慇懃無礼な、とても日本人らしい文章に仕上がったエクスキューズの文章、そのスタッフに診てもらった。

「彼は英語を読まないよ」

そして、フランス語に訳しだした。ほとんど彼の手によるものだが、美しいフランス語に仕上がった。

友達とのアポが終わって事務所でメールをチェックする。先生からの返事は、

「とてもクリアになった。可能なことは手伝いましょう。」

というもの。スタッフは、

「おめでとう!」

と。

フランス語をちゃんと学んでこなかったツケが回ってくる。こんな局面で。

何度でも1にも0にも戻る覚悟が必要なのだろう。自信過剰になっているつもりもなかったが、いつかこういう思いも忘れてしまう。人間とは便利なもので。もう一度地べたに戻ってやりなおそう、そう思った夕方。

灼熱のブルキナファソも微妙に秋を感じることがある。日差しの角度がなんとなく感じさせる季節。調査も残るところ2週間強。もう一度、基本に戻って、ヒトをしっかり見てみることにしよう。

2009年9月20日日曜日

一喝

ちょっとした…もめ事。別に日本に居てもよくあることがおこる。もちろんその質は異なる。

いわゆる開発途上国で生活し、さらにその中でも最も貧しい部類の人たちを調査対象としていれば、日々物乞いに金をせびられ、ものをせびられることには慣れている。ただし、ここに住んでいる人すべてがそうか、と言うとそんなことはない。数万キロ離れた日本で「武士はくわねど…」と似たようなメンタリティにも出会うのである。

実際、ラスタのあんちゃんたちはストリート・ボーイの一類に当てはまる人たちだが、すっかり彼らから金をせびられることは少なくなった。金の無心を受けるのも、お母さんが病気になったとか、雨で家がつぶれた、と言った緊急の類だけだ。

ある人から、金の無心に近いことを言われた。その人は世の中の常識的に、私からお金をせびってはいけない人。その対処にここ数日間頭を悩ませている。

お昼。いろいろやることもあるので、事務所でパンを食べてやり過ごそう、と外へ出る。いつも道端で会うあんちゃん。20代後半くらいか…

今日はラマダン明けでお祭りをする。昨日、「明日祭りをやりたいから200フランくれないか?」と道端で言われる。「俺が祭りをやらないのに、なんでお前がやるんだ?」と冗談っぽく私は言う。そして、今日…「昨日お前が200フランくれなかったから、祭りができなかったじゃないか」

カチン。

彼は新しいサングラスをかけていた。久しぶりに体が反射的に動き、人差し指でサングラスを跳ね、

「もういっぺん言ってみろ」

自分でも怖くなるくらいドスが聞いてた。

「Excusez moi…(すいません)」

ある人にはこれくらいやってやりたい、そう思うラマダン明けの雨の昼下がり。

2009年9月18日金曜日

SAP SAP

本日の日程
8時半 迎えの車が来る
8時50分 大使館で用事開始
9時15分 用事終了
9時35分 行き慣れない写真屋でヴィザ更新用写真を撮る(2分で終了)
9時45分 Gounghenの警察署でヴィザ更新手続き終了(約3分で終了)
10時 Grand Marcheでオヤジ氏と落ち合う(書類ファイルを購入 ちょうどそこにあり1分で終了)
10時30分 マリーナ・マーケットで非常食購入
11時 帰宅
11時半 昼飯(+ビール)

1日がかりの予定が数分単位ですべて終了。明日か明後日ラマダンがあけるからみんな早く帰りたかったんだろう。いつもこうだといいけど、たまにやられると手持無沙汰になる。よって昼寝してました。

2009年9月10日木曜日

ワガドゥグ沈没③


3日連続で参加するNGOの事業地に行ってきた。事業地への道のり、調度今回の水害の被害が最も酷いといわれている地域の横を通る。初日、チラチラとそちらの方を見ていると、道沿いにある小学校に多くの人だかりが見える。事務局長に「見れないか?」と言うと、「許可がいる」とのこと。しかし、翌日、事務局長が「テレビで見たから、ジャーナリストのふりをして行こう」ということで、2日目にKARPALAと言う地域に潜入した。
上の写真がKARPALAの写真。バンコ(日干し煉瓦)づくりの家屋が多かったこの地域は、ほぼ壊滅。つい最近まで村だったこの地域は、ワガドゥグ市の拡大とともに、ワガドゥグに取り込まれていった。この写真の左の方、東側に小さな溜池があるらしいのだが、西側の幹線道路からひたすら下っている。つまり、一番低いところにため池があり、その隣にこの地域があるということになる。しかし、高低差は普通に生活していてはわからない。家事で使う水が流れる方向でかろうじて知るくらいだろうか…

そして、次の写真。住民が瓦礫を掘っている。取るものも取りあえず逃げ出したそうだ。家財道具、金、貴重品が瓦礫の下に眠っている、という。瓦礫はその次の写真のような状態。バンコであったことはすっかりわからない。溶けて、まさに土に返っている状態である。
学校には、UNICEFのテントがあり、昨日「和が家」に来たフランス大使館勤務の方によれば、フランスもNGOなどを通して緊急支援のために走り回っている。
とりあえず、援助が決まり、少しでも早い復興を願うばかりだ。ワガドゥグ市の真ん中の橋は落ちたままだし、これから崩れる可能性のあるバンコの家はまだまだ多い。何をどのようにするか。緊急援助はとりあえずの生命維持装置で、生き返ったワガドゥグ市をどのように強くしていくのか。今回は天災で済むかもしれないが、次回は完全に人災になる。
ワガドゥグ市はハリボテ、と言うのは、不肖私がよくワガドゥグを揶揄するいい方である。コンクリートの板を張っただけの水路は、水の勢いでコンクリートがはがれ、コンクリートでつくったかに見える家はよく見るとその後ろ側が崩れてなくなっていたりもする。政治的にハリボテなだけでなく、大工も家のたて主にもハリボテ観がある。
「オリジナル」という言葉をよく聞く。たとえば、日本から直輸入した電化製品であり、フランスから持ってきた自転車、車であったりする。いろんなものにこの言葉を使う。たぶん、これを判断するのは一つの能力やスキルで、なかなかこれを習得するのは難しいものらしい。「ハリボテ」を脱出するためには、この「オリジナル」を見分ける能力を身につける必要がある。
しかし、昨夜、オヤジ氏が奇しくもこんなことを述べた。
「うちで働いている女の子は、先を読まないんだよね~。油がなくなった、とは言うんだけど、だからなんなんだ?なくなったから、買いに行きたい、というところまで言わないんだよ」
そういえば、ここの人たちは自分で判断することを極度に嫌うように思う。もちろん、自分で仕事をしている人たちは、その真逆に独断的なことが多いのだが。ある意味、マスター、パトロンが必要で、指示を常に待っている。リスクはほんの小さなもののはずなのに、それすら負う気はないらしい。だから、マスターであり、パトロンである、フランスや日本で作られた(実際はそのメーカーの冠を持っている商品)がオリジナルだと思ってしまうのではなかろうか。
話はすっ飛んでしまったが、数千人が被害を受けた、今回の洪水。「オリジナル」な街ではないことが露呈した。それを笑い飛ばすここの人たちの気質は見上げたものだと思う。しかし、人が死に、爪に火をともすような努力をしてコツコツと貯めたお金が土砂に埋もれ、住むところすら失ってしまうことは、なかなか笑って済ませられない問題が残る。これはこれからじっくり見て行かねばならないところだろう。

2009年9月8日火曜日

ワガドゥグ沈没 番外編2

台湾でも大規模な水害が起こっている。

ブルキナファソ政府は、関係各国、国際機関へ援助を要請。今のところ、フランス政府に続き、日本政府も多額の援助を約束した、という報道があった。他にも、世界銀行、WHOなどが支援を表明している。

しかし、これは政治の問題なのだろうか。確かに、下の記事を読めば、明らかに水害の多い、台湾での出来事。ゆえにその対応に遅れた政府が退陣した、と言うのは、違和感がない。しかし、ここは…

民主的であることが、いいのか悪いのか。その議論は置いておくとして、政府に未然に災害を防げるというキャパシティを民衆が感じられるかどうか、ということか…ここの国の何人がこの記事を読むのかわからないが、何を感じるのだろう…

http://mainichi.jp/select/world/news/20090908k0000m030051000c.html
(毎日JPより) 
【台北・大谷麻由美】台湾の首相にあたる劉兆玄行政院長(66)は7日、台北で会見し、台風8号による大水害への対応の遅れの責任をとり、辞任すると発表した。内閣は10日に総辞職する。馬英九総統は新内閣の発足で信頼回復を図る考えだが、馬政権の不手際に対する住民の不信感は根強く、年末の地方首長選挙にも影響を与えそうだ。
 劉院長は会見で、大水害の死者・行方不明者が700人を超えたことに触れ、「政府に政治責任があり、誰かが責任をとらなければならない」と語った。劉院長は8月中旬にも馬総統に辞意を伝えたが、被災地の復旧を優先するため慰留に応じていた。馬総統は7日、次期行政院長に、与党国民党の呉敦義副首席(61)を任命した。
 馬総統は先月18日の緊急会見で、9月初旬までに内閣改造を含め行政責任を明確にすると表明。その直後から閣僚らの辞意表明が相次ぎ、政権の求心力は急速に低下していた。
 台湾紙「中国時報」の世論調査によると、馬総統の支持率は今年6月には60.7%と好調だったが、大水害後は29.6%にまで落ちた。信頼回復には時間がかかると予想され、しばらくは低支持率が続き、厳しい政権運営を強いられそうだ。

2009年9月5日土曜日

ワガドゥグ沈没 番外編


今回の記事はmixiにも広報してみた。ウメコさんから教えてもらったのが下のURL。



写真を撮られて「ムカついた」と言ってたら、BBCに写真が出てしまった…「和が家」もすごい宣伝だ…
ちなみにキャプションには、「Business have been affected…」と書かれていましたが、もちろん「和が家」は営業しました。Y'a pas de probleme!

2009年9月4日金曜日

ワガドゥグ沈没②












2日火曜日に起こった水害。3日、4日とも、街中で水に浸った商品を虫干しする姿が目立った。のっぺりしたワガドゥグの街が、なぜか華やいでいたように見えるのは僕だけだろうか…




一昨日、洪水の日に到着した旧知のN氏と車をチャーターして水害後の街の様子を見て回った。この写真は、ワガドゥグ北部にある溜池。ワガドゥグの水ガメの一つだ。雨季の中盤にも関わらず、水量はほぼ満タン。ずいぶん水があふれて、この溜池のまわりにある「高級」ホテルは軒並み水浸しとか。

それにしても、大雨の翌日だけあって、空気がきれいな日だった。

その後、ワガドゥグ西部のグンゲンGounghenと言う地域に掛かる橋の様子を見に行った。グンゲンは市中心部の西側に位置し、中、上流階級の住宅地、大使館関係者などがある地域。



この写真はグンゲンと市中心部を結ぶ2本の橋の一つ。上に向かって伸びているのは、橋の先。半分崩れ落ちて、通行止め。裏ッ側を覗いて見たら、ざくっりとえぐれている。ぼくの体重だと、さらに崩れ落ちそうなほど。某日本国援助機関の事務所がこの近くだが、結構交通量の多いところなので、かなり不便になりそう。

「人生がけっぷち」な感じで…

この橋のことは結構早くから周りの人間が知っていて、相当な人数の見物客がいた。警察(中国の警察のユニフォームを着ている。なぜか…)が5,6人いるが、どちらかと言うと、僕を含む見物客の整理に当たっているように見える。もちろん、無茶なことを言うやつもいて、この危なっかしい橋をバイクで渡らせろ、という交渉をしている。



そして…

果たして何かで報道があったのかどうかわからないが、友人の口の端々に水害と政治の間の関係を言いだす者が出てきた。たとえば…

「世界銀行や国連から援助資金が来たらしい。しかし、被害者へは全く渡らず、すべて政治家が横領している。」

とか、

「なぜ、立体交差*なんかつくったんだ。その前にバラージ(溜池)をつくっておくべきだったのではないか?水の管理はこの国にとって最大の課題なはずだ」

と言ったもの。意外にシリアスな災害の少ないブルキナファソ。誰が自分たちを守ってくれるのか、自分たちがどのように政治に参加するのか、という議論は今まで非常に少なかった気がする。汚職が悪いことは、潔白だったサンカラ前大統領の話を引き合いに出し、よく話に聞いていた。もちろん、その頃から近代的国家建設への道は、すべてのアフリカの国と同じく進んでいる。しかし、いつも違和感を感じていたのは、なぜ汚職がいけないのか、という話がなかったこと。今、目の前に友人や親せきが家を失い、ともすると命を落としている。人々が、病や自然の力の前に屈したように見えても、実は政治の問題でもあることは今回の水害でずいぶん広がってきたのではないか、と思う。しかし、政治の「そもそも」の部分が議論の中に含まれない(つまり、援助頼みでしかない)のが少々気にかかる。ともあれ、政府はないなりに誠意を見せ、外国やNGOは速やかに復興の手伝いをしていくことを切に祈る。

*昨年、市南部にブルキナファソ初の立体交差が完成した。この立体交差は日本の援助米を打って建設されたもの。ちなみに、この援助米の売上は当初の予定通り、ブルキナファソ政府が自由に用途を決められるものだった。

2009年9月3日木曜日

ワガドゥグ沈没①


ワガドゥグが水没した。9月1日のことである。朝3時ころから降り始めた雨は14時ころまで降り続き、ワガドゥグの街の多くで床上浸水した。シドワヤ誌Sidwayaによれば、約半日間の総雨量は246mmで、ブルキナファソ観測史上最高の雨量となった。これまでの最高雨量は、1919年までさかのぼり、ボボ・ディウラッソで降った213mmで、90年ぶりの降雨量となった。





ぼくが居候する「和が家」もひざ上まで水につかり、「和が家」前は腰のあたりまでの水量で、しかも、側溝に沿って流れは激流。オヤジ氏とともに外に出たが、浅いところでも足をすくわれそうになった。

←のこの写真が、午前10時ころの「和が家」前の様子。前の舗装道路が完全に冠水し、激流と化していることがお分かりいただけるだろう。この直前、某巨大NGOの車両が「和が家」の前にとまり、私にカメラを向けた。精一杯の憐れみを含んだ顔で「ボン・コラージュ(頑張ってくださいね)」と声をかけられる。なぜかムカついた…



そして、左が水没する「和が家」である。開店からまだ1か月もたっていないのに、今回が2度目の水没。この時で、僕の足の付け根あたりまで水があったから、80cm-90cmの深さ。


しかし、舗装道路まで行くと、とりあえず問題なく歩ける。近くの様子を見に、少し歩いてみる。すると、東西に走る舗装道路に沿って北側から南側にかけて水が集中している。事務所のある通りが心配でそちらの方を見に行った。


その写真がこれ。見えていないが、消防車が出動し、流れの中に取り残されたこのあたりの住民を救出している。中に旧知のドイツ人の家もあり、心配していたが、この人だかりの中に夫婦とも無事を確認。事務所のガードマンの安否が気遣われたが、翌日、水で押し流された壁の隙間から脱出したとのこと。九死に一生を得たという。ともあれ、大災害だったが、なんとかけが人も死者も出なかったことが不幸中の幸いだった。

この日、雨が上がると、1,2時間で水はすっかり引く。水は引いて、残るのは大量の土砂。家の中、事務所の中はブルキナファソ名物の粘土質の赤い土だらけ。「和が家」はも事務所も早速土の撤去に汗を流す。「和が家」はオヤジ氏の商売人根性により、その日から通常営業。しかし、これだけの土砂が一日で撤去できるわけもなく、2日の午前中までかかってなんとか通常業務が可能な程度に回復した。

次回に続く。

2009年9月1日火曜日

百聞は…



8月7日、ブルキナファソに「居酒屋」ができた。


「和が家(わがや)」。Ouagadougou(“ワガ”ドゥグ)と“我が”家を掛けている。この居酒屋の主はオヤジ氏である。足かけ6年。井戸を掘り、孤児院を建て、若者たちの日本友好倶楽部を結成し…いつも生き活きとして、ブルキナファソの地を生きるオヤジ氏。

この写真がエントランス。この日は雨が降っていて、なかなかしっとりした雰囲気になった。目指すは「ブルキナファソの中の日本」。
そして、入口付近にはこんなボードが掲げられている。数年前、調査で訪れた時にオヤジ氏宅に突然あらわれたもの。以前ワガドゥグに滞在していたT氏が「ぜひこれをお店に…」というわけで、店の看板的に置かれた。
百聞は一見に如かず 百見は一行に如かず 百行は一念に如かず
面白いな…と思ったが、ついぞ今まで、その心は聞いていない。オヤジ氏の生き方を見ていれば、なるほど、と思うのである。
人類学を学ぶ者、「百見」まではいくが、その「百県」が「行」に昇華できるかどうか…その「行」が「念」と呼べるものになるのか…
なかなか味わいの深い言葉だな、と改めて思うのである。

2009年8月31日月曜日

正常化

ここ6年ほど、メールソフトはYahoo!Mailを使用している。アドレスを気に入っているわけでもなく、漫然と慣例的に。

先週水曜日あたりから、全くYahoo!が開かなくなった。便宜的に最近つくったG‐Mailは開いたし、たぶんHotmailも開いた。他の人にも聞いたらYahoo!フランスもYahoo.comも開かなかったらしい。HPは開かなくて、Blogは開く、とか、単に容量の問題だったのか、Yahoo!の問題だったのか…原因はよくわからない。

なんとか今朝がたから復活。たまったメールの処理をして午前中が終わる…

「IT格差」という問題も以前から指摘されている。ブルキナファソを支える農家や「インフォーマル・セクター」と呼ばれる人たちにはさほど関係なかったはずだが、役所ですらフリーメールソフトを使うこの国のこと。特にYahoo!の利用率は高い。おそらく、国際的な経済活動に携わる人、役所ともにほぼ活動がストップしてしまったことになる。この国の経済規模も小さいし、週末がからんだこともあり、体勢に影響はないはずだが、いやはや、恐ろしいことではあります。

2009年8月28日金曜日

新聞をひも解く。

ゆっくりとしか進まない調査。先日、長い時間聞き取りができたハウサ人のA氏。その友人からも、2003年当時の聞き取りを行ったが、すでに5,6年も前の話。日時はおろか、月すらあやふやになっている。

彼らの話によれば、都市計画プロジェ・ザカProjet ZACA(ZAKAとも書く)の工事が始まる前夜、彼らの抵抗運動は最高潮に達したという。「前夜」と書いたが、どうも、昨日とかいう感じではなく、1か月前と言う人がいれば、数週間前という人もいる。グレーヴ(デモ)は計5回ほど繰り広げられたらしい。その回が進むたびにデモの規模が大きくなったという。

そこに住んでいた人たちの思いや現在の生活はフィールドワークからなんとかひねり出さないといけないが、客観的事実は彼らの記憶だけではいかんともしがたい。細かい作業は不得手だが、これしかないか…と思い、今日の午後、IRD(開発調査研究所)という資料室に足を運んだ。

不本意ながら、ここの資料管理は全く信用していない。最悪フランスに持ち越し…ということも頭を過ったが、幸い2002年ころからの主要3紙の新聞は無事に残っている。約2時間。新聞とにらめっこをしていると、ボチボチとプロジェ・ザカの記事や広報が出てくる。予算の出所、立ち退きの通達記事、住民の規模諸々。なかなかの収穫である。

ただ、約半年間が3誌分…2時間で1か月分ということは、有に一ヶ月くらいはかかりそう…少し気を失いかけた午後だった。

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2009年8月24日月曜日

待つ…

先ほど、隣のガーナから帰国した。中3日、往復の移動時間が50時間という何とも効率の悪い旅になってしまったけど。

ガーナにいるのは、マスター同期入学で現在青年海外協力隊として活躍するN。心から好きになることのできない、協力隊、という仕事を敢えて選んで行った彼女には出発前にずいぶん辛辣な皮肉を浴びせかけたように思う。ずいぶんいろんなことを考えている人ではあるし、天才的に人を和ませる力を持った人なので、言うだけ言ったらどんな世界でもしっかり生きて行く人だろう、と人ごとながらなんとなく自信も持っていた。Nはとても生き生きしていた。いろんな仕事を抱えているみたいだけど、まあ、充実していそうな顔を見られればよし、ということで、それほどたくさん話も聞かなかったように思う。いずれまたどこかで接点も生まれてくることだろうし…

で、「待つ」というのは…今回のガーナ旅行でひたすら繰り返した行為で、いわば待ちくたびれたわけです。

①タクシー 往路のアクラ着はAM3時。さすがにタクシーなど頻繁に通るわけもなく、約1時間のタクシー待ち。
②ホテルの水 どうも頻繁にタンクのバルブを閉めているらしく、毎朝毎晩頼まないとバルブを開けてもらえない。昨日の朝は、起きてすぐに頼んだのに、30分以上水が出ず、結局顔を洗うのもあきらめる羽目に…
③再びホテルの食事諸々 このホテル、反応が良くない。食事を頼んで、30分。紅茶を頼んで30分。部屋の下に、立派なガス台と5,6人のスタッフが見えるのに…
④バス 

④これが酷かった…復路。本当はクマシでもう一日…と思っていた。しかし、翌日バスがないことが分かり、急きょそのままブルキナに向かうことにする。2時半に乗り場につき、4時の出発。幸いにもチケットはあるようだ。チケットを買い、出発までNとご飯を食べることにする。

4時…来ない。「まぁ、アフリカだから…」
5時…来ない。「う~ん、おかしいな…」
6時…来ない。「Nさん、先にホテル行きなよ。」というわけでNと別れる。
7時…来ない。周りが騒がしくなる。スタッフがやり玉に挙げられ、ずいぶん責められている。
8時…来ない。スタッフ氏「今日はキャンセルした方がいいかも…」という弱気な発言。
8時半…来る…

詳しく書くと、その後、ボルガテンガという街の直前にバスのエンジン故障。バスの乗り換えのため、停留所で1時間、国境で2時間、ブルキナファソに入って税関の抜き打ちチェックで1時間…

いやはや、待ちました。いろいろと。

2009年8月16日日曜日

ワガドゥグのHausaコミュニティ

本当は2,3泊する予定だったのが、いろいろと予定が入り、結局1泊のみとなってしまったが、Aさんのところでホームステイしてきた。

Aさんは西アフリカの商業民族、ハウサの出身だ。Djiboというブルキナファソ北部の街を出たお祖父さん、お父さんの世代からワガドゥグに住み着き、彼は2.5代目といったところか。彼が育ったザングエテンという地域が今回のメインの調査地なのだが、実はザングエテンと呼ばれていた地域は今は荒野と化している。何度もこのブログでも取り上げたが、都市計画で2003年につぶされている。

タイトルには「コミュニティ」という言葉を使ったが、正確には地縁的なコミュニティはAさん宅のあたりにはない。ワガドゥグの西の果てにお父さんと兄弟姉妹数名が同じ敷地に住んでいる。Aさんにはすでに4回にわたってインタビューをしているので、そろそろ気心が知れてきている。ぼくが何をやりたいのか、とか、なぜここにいるのか、も大体わかってくれている。

Comment chez toi.(あなたの家のように【使ってください】)

と言って、彼の部屋に通された。イスラームらしい。額面通りに適度に図々しく、多少気を使いながらお世話になることにする。

とにもかくにも、しばらくは彼に張り付いていろいろなことを聞かなければならない。彼の金魚のフンになって、彼の仕事場にもお邪魔する。彼の仕事はネックレスづくり。またもや民芸品店に行く。しかし、僕の友人たちとは面識すらない様子。発見である。宗教、民族による住み分けがはっきりと見える。以前もその地域を訪れたが、かなりそっけなくて相手にされなかった。しかし、Aさんと一緒だと、なんと愛想のいいことか…このあたりのことを何気なく聞くと、その地域では、ハウサしか話さないとのこと。イスラームグループのことや、ラスタのこと、かなりはっきりと意識しているようだ。そのうえ、今回の調査である程度見えてきているザングエテンのこともかなり詳しく聞ける。 

たくさんの収穫を得て、Aさんの部屋に戻る。すると、午前中は出かけていたAさんのお父さんが帰宅している。彼の父は、丸いメガネをかけた、実にインテリジェンスな雰囲気を漂わせる「紳士」。こちらの趣旨を話すと、遠慮勝ちに、「私はザングエテンのことはあまりよくしらないんだ…」と。「歴史はあなたたちが作っているんです。もしご迷惑でなければ、あなたが見たこと、経験したことを話してはいただけないだろうか…」と説得を試みる。「では機会を改めてお話しましょう」と。大成功。

その夜、久しぶりのティーパーティ。蒸し暑かったこの夜は、家の外に蓆を引いて行った。ザングエテンの古き良き時代。汚い街だったけど、夕方になると、どこからともなくお茶を煮る匂いがしたもので、そんな話をしながら、実は初めてのマスターを引き受ける。時折停電になり、蚊に刺されながらも、気がつくと20人ほどの隣人たちが集まってきた。夜は更けて、我々が床に就いたのは0時を過ぎていた。

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2009年8月14日金曜日

遅まきながら…

本格的調査開始。シガラミが山ほどあるのは、こちらの滞在が長くなってきた証拠で、ここまで来るのにずいぶん時間がかかってしまった。

せっかく首都にいるのだから、ネット環境が欲しいと思い、いろいろ右往左往して、寝床の確保も一か所に落ち着くことはないけど、相変わらずオヤジ氏に頼りながら逃げ場を確保した。少々アクロバティックな調査準備期間だったのは仕方ないか…

今日はラスタのお友達のところへ。クワメ・ンクルマ通りで一日を過ごした。ずいぶん前にリーダーのラミンが一時抜けて、グループは崩壊したかに見えたが、彼がストリートに帰ってきて約半年。前のメンバーもずいぶんと戻ってきた。新しく入った数名とまじりあい、どんなパワーバランスになっているかを観察していた。やはり、話の中心にはラミンがいた。

しかし、あとでこっそりと呼ばれて、ずいぶんしんどい状況を説明される。先月、お父さんと妹を相次いで亡くし、お金がなくて実家へもなかなか帰れないとか…彼の実家へは来週月曜日から1,2日の予定で訪れる予定にしている。ちょっとした無心もあったが、これも仕方なし。長いこと世話になっているので。

久しぶりに一日外に出ると、強い日差しの下、ずいぶんと日焼けする。少しヒリヒリとする肌の感覚がちょっとした調査の実感だったりもする。

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2009年8月6日木曜日

ワガドゥグのアジール「側溝」





47haにあった「近代的」建物以外の建物が取り壊されたワガドゥグの中心街。通称プロジェ・ザカ。ワガドゥグの「近代化」政策の一部である。


数日前、この地域を知人女性と歩いていた。他のNGO関係者と食事をしにいくところだった。彼女はカメラをむき出しで持っていた。ちょっと危ないかな…と思ってはいたが、街の写真を撮りたい、と言うので、放っておいた。


この地域を過ぎ、僕の調査地クワメ・ンクルマ通りへ。そして、そこを越える。ここのところ、ワガドゥグの街は停電が多い。街は暗かった。

←の写真は、半年ほど前、ストリート・チルドレンを調査していた時に撮ったもの。プロジェ・ザカ全体に張り巡らされている。深さは区々だが、深いところで大人一人が立って入れるほどになる。ここは彼らが寝床にしているところだ。

そして、事件は起こった…

僕の後ろを歩いていた彼女は、突然カメラを引っ張られ、この側溝に吸い込まれるように引きずり込まれる。叫び声…気づいた時には半身が側溝にはまっていた。必死に引き上げようとするが、下に引く力とそれを上にひっぱる力。どんなに力の差があっても後者が不利。どれくらいの時間がたったか分からなかったが、とにもかくにも、彼女の無事を確保して、すぐにその場を去った。

「アジール」…「聖域」とか「自由領域」とか「避難所」を意味する社会学とか歴史学とかの言葉。たとえば、ユダヤ人のゲットーとか、駆け込み寺とかがその例としてあげられる。もしかして、ワガドゥグの街に張り巡らされている「側溝」もアジールになっているのではなかろうか…

「近代国家」ブルキナファソ政府は「近代的」なものとして、この得体のしれない世界の住人達を駆逐しようとしている。これよりさかのぼること、数か月前、ここからほど近い地域の「側溝」の住人達を無差別に射殺した、という。しかし、この事件の時、僕が最初に目を合わせたのは、どうもこの「側溝」の住民ではない。「側溝」の住民は、物乞いをすることがせいぜいのいわゆるストリート・チルドレンであり、暴漢は20代も後半くらいに見えた。手口からしても、確実にプロだ。どこにラガーマンの中でも力の強かったおっさんより力の強いストリート・チルドレンがいるものか…

2009年8月2日日曜日

無責任な雨乞い




少し前になるが、オヤジ氏とスタディ・ツアーで来ていたT氏とともにKoubriへ小旅行。右の写真がオヤジ氏の孤児院にほど近い溜池。普段、雨季だとこんなところから写真が取れないほどというのは、オヤジ氏談。


土の色を見てもらえれば分かるが、少々黒っぽい。他の場所は赤、赤褐色の西アフリカ特有のグラニッド 層だから、ずいぶん違うのがお分かりかと思う。





そして、オヤジ氏に誘われるままに豚肉(←)をがっつく。500円ほどで1kgはあろうかという肉の量。これが旨い。

そんなわけで、雨が少ない。私が来てからはボチボチ降っているように思っていたが、この溜池を見て、今年の作凶状況が思いやられる。3日前は今までの借りを返すかのような土砂降り、そのうえ、翌明け方5時ごろから午前中いっぱいシトシト雨。昨日、今日はずっと曇り。曇っとらんで、さっさと降りゃいいのに。

とか、ビールを飲みながら思う今日この頃。雨が降ると調査ができないので、自分に言い訳がつくだけなんだけど…


ちなみに、左の写真は「強く、美しい」という意味のBeaufortというビール。最近のお気に入りビールなのですよ。 こちらはそろそろ夜中なのでお許しを。

サボっとるように見えて、たぶんやっぱりサボっとるのでしょうが、今日は調査紛いのこともやったし、家探しも一歩前に進んだので、お疲れビールにて。

あっ、やっと「赤提灯」にふさわしい酒の話。




仮の宿(Auberge la roses des sables)


ブレブレの調査を象徴するように、未だ宿が決まらない。知人の家に転がり込んで調査することにしている。人類学の調査では当然の話だが、実はひとのうちに泊りこんでの調査は今回が初。おはずかしながら。
ただし、村ではないので、どこかの家族に部屋が空いているなんて言うことはそうそうない。先日会った、B市で調査するEさんなどは数ヶ月間友人と同じベッドに寝ているのだそうな…さすがに耐えられんと思うが、似たようなことはしなければならない。
とりあえず、調査をしようと思っている、ワガドゥグ南縁部のトラムダキュイの知人とは本日再会。ハウサの話を聞きながら、「実は…」と事の経緯を話してみる。「電気はないけどいいか?」というありがたいお言葉。今日以前にも親友Lから「うちでよければ…」という申し出もあった。ポジティブに捉えれば、チョイスがあり、とても恵まれた環境にあるということ。しかもそれぞれ気心が知れているから、どちらに行っても良いだろう。
ブレブレの調査。トラムダキュイは市街地から15kmほど離れている。間違いなく、資料室へは通わないといけないし、ワガドゥグ大学にもいくつか用事が出来そう。トラムダキュイに入ってしまったら身動きがとれんし…ここ数日間の悩み。
写真は仮の宿。以前NGOの仕事で20日間ほど投宿したことがあるAuberge Rose des Sables。ここ数日間で書類を一気に仕上げるべくホテル住まいをしている。このホテル、スタッフもよく知っていて、安い上に居心地がいい。友人T曰く、「初めて会ったらまず避ける」というほど人相の悪いBenはここのホテル付きのドライバー。でも非常にひょうきんでまじめなおっさん。ブルキナファソに来られる方にはお勧めです。

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2009年7月30日木曜日

大雨

ブルキナファソは雨季。

三方を山、南を海に囲まれる、蒸し風呂のような名古屋の夏にに比べれば、ウキウキするほど…ではないがずいぶん過ごしやすい。

今年のブルキナファソの雨季は降り始めが遅く、この時期にしては溜池に水が少ないし、ミレットやソルガム、メイズの生育もずいぶん遅い。しかし、そこは雨季。昨日の夜はものすごい勢いで雨が降り、一旦気温が下がる。電気公社が「そろそろ止めていいか…」と思ったのか、停電。

くそ暑い…

あまりの暑さに恨み節をブツブツ言っていたら、雨の神様が悪いと思ったのか、もう一回雨がふる。今回は日本の梅雨のようなシトシト雨。おかげでずいぶん寝やすい夜になった。

雨と雨の間にあまりの暑さに出た家の外。見上げると、さそり座や北斗七星がきれいに見える。これも雨季の楽しみ。

2009年7月26日日曜日

到着

うっすらとトリポリあたりで飛行機が遅れて一泊させてくれないか…と思っていたのに、今回はすんなりワガドゥグ到着。パリが涼しくて、とても気持ちがよかったので、ワガドゥグの湿度にいきなり凹む。

とにもかくにも、無事に到着。しかし、Yahoo!メールがつながりにくく、連絡ができないので、こちらで(誰か見てんのか??)ご連絡。さっそくブルキナ親爺氏に世話になりながら、久々のブルキナビールにおぼれてみる。

今日は日曜日。一応イスラーム地域のくせに身動きが取れないので、親爺氏ともども近隣のKoubriへ小旅行。ぶっかけ飯になぜか郷愁をそそられる。

明日から新しい寝床を探し、調査の準備。今のうちに仕事をせっせとこなす。

2009年7月22日水曜日

前日

向こうの知り合いにメールを打ったり、

お土産を買いに行ったり、

書類を出しに行ったり、

お金を換えに行ったり…

雨が降っているのですよ。涼しくていいのですが…世の中は解散総選挙と皆既日食ですか。調査を解散して月の影に隠れる…とか自分に移し替えてみたり、という妄想・希望的観測。

2009年7月17日金曜日

調査計画(2009年夏の調査)

調査計画書からの抜粋。あんまり人に晒すもんでもないけど。

今回はフランスでの文献調査を含めて約3か月の調査期間。人類学の調査では短期の部類に入るんでしょう。これくらいだと、大体の予定を立てて行かないとブレた調査になってしまうので、調査地のことを思い描きながら、論文で書ききれなかった箇所を思い出しながら、毎回こんな計画書を立てている。

①ストリート②NGO③ワガドゥグ市誌。今回のポイントはこのへんのキータームを元にしている。都市と言う社会空間をとらえるとき、どんなことが必要だろうか…こんなことを考えながら、かなり直観的にこのあたりのテーマを選んだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ⅰ. ストリート研究の進展を目指す。継続調査項目として、ラスタ、ストリートチルドレンの動向を引き続き追う。この調査の目的は、
1. ラスタ:データの通時性を持たせるための調査
2. S・C:データ量の増強と、S・Cの分布を把握するために、ワガドゥグの全域に調査区域を広げるた  
   めの準備を行う。
3. NGOでの聞き取り
       (ア) AMPOの経理部長(元S・C)など、ストリート経験者への自らがS・Cだったころのこと  
          の聞き取り
       (イ) NGOを立ち上げた人々への聞き取り。ストリートの捉え方、NGO設立の目的、NGO
          の現在の状況など
4. クワメ・ンクルマ通りの路上販売を行う商人の調査
       (ア) 路上販売者が販売するモノの品目、価格
       (イ) 上記販売者によるモノの仕入れ状況
       (ウ) 路上販売者から購入する人

ⅱ. ワガドゥグ市誌と都市化に関する調査
1. ハウサ人コミュニティの調査
       (ア) プロジェ・ザカ(Projet ZAKA都市計画)により、ワガドゥグ市中心部ザングエテン
         (Zangouetenハウサ人の町)を追われたハウサ人の新しい集住地域の調査を行い、都市計画が及ぼした人々の生活への影響を調査する。旧ザングエテンは調査中のストリート、クワメ・ンクルマ通りに隣接していた地域であり、クワメ・ンクルマ通りの以前の姿、また、人の流れの移り変わりを聞き取ることも目的としている。
       (イ) 新ザングエテンには、約50名の子どもを収容しているコーラン学校が存在している。前回の調査の際、この地区のシェフにはすでに調査の申し込みをしている。このコーラ
         ン学校がストリートチルドレンを生み出しているかは不明であるが、とも、コーラン
         学校の生活を見ることができる。
2. ワガドゥグ市誌
       (ア) ティティンガ氏(マネガManega博物館長、ワガドゥグ市史家)
       (イ) ワガドゥグ市役所
       (ウ) ワガドゥグ大学
       (エ) フランスの図書館、博物館における文献調査
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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身辺整理

出発前、前期の終わり、論文の締切…乗り越えられないものがいくつかありながら、日々すごいスピードで過ぎ去っていく。それでも、生活のプロットは少しずつ形を変えておかないと、あとで困る。後回しにしてきたものをこの際だからバシバシ切る。

カードの支払でいつも気になっていた項目があった。なんだったか…と思ったら、今や宅電のない僕に某P社から1年半にわたって月に数百円とられていた。使っていないサービスにそれだけ払っていたわけだ。他にもそんなのがありそうな気がして、そう言うのを探しながら、出発の準備を進める…

出発まで後5日…

2009年7月6日月曜日

『チョコラ』


東京で見逃した『チョコラ』を見てきた。ケニヤのスラムを舞台にしたストリートチルドレンが題材。数名の男の子や女性の参与観察的な映像(インタビューは思いのほか少ない)が主体のドキュメンタリー形式。
おそらくどの観客よりも監督に同情できる自信だけはある。途中で靴を投げつけられ、金をせびられる。私の調査のときも同じような状況である。ただ、監督、あんまり言葉を解していない様子だったので、知らぬが仏だったか…
映画が終わった後、監督の舞台挨拶があったので、質問を投げかけてみた。
「ストリートチルドレンはなぜストリートに行きついたのか?監督のお考えをお聞かせ願いたい。」
さすがに自己紹介を入れるわけにもいかず、少々不躾な質問だったことは山々承知。しかし、真摯にお答えいただいた。
「おそらく「貧困」でしょう」
そして、
「私が描きたかったのは、「貧困」ということに絡め取られ切らない子供たちの姿」
「アフリカを「貧困」というまなざしでのみ捉えられてしまうことを恐れる」
と言った趣旨のことを付け加えられた。なかなかいい監督だと思った。だから子どものすべての言葉が分かる必要もないのだ、ということも。しかし、やはり思う。「彼らがどこから来てどこに行くのか?」。
映画のワンシーンで、親が息子に、「なぜストリートに出たか?」と問うシーンがある。少年は「別に」と答えるのみ。なんかワガドゥグを思い出させる一言だった。

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2009年7月1日水曜日

ひげおやじ

私もひげおやじだが、今日は私の大学生時代の恩師の話。たぶんミクシの日記には何度か書いたが、ブログでは初めてだった。と言っても、ひげおやじも大学を引退して5年になり、どうしても縁遠くなってしまうので、なかなかネタがない。

昔から電話をすると2、3時間は当たり前。最長12時間と言うのがある。何をしゃべっていたかはあんまり覚えていないが、下ネタが7割くらいを占めていたように思う。

ここ数週間、何度か電話をかけていたのだが、なかなか電話に出ず、やっと一昨日電話に出た。

「お~、ダイエットに失敗して死んだかと思ってたよ。まぁ、僕はxxさん(私)が死んでも葬式にはでないけど。」

という一言目。相変わらずである。

そして何人かの消息の情報交換、そして、下ネタへと入る。これも相変わらずである。

下ネタに飽きると、いかに無駄な買い物をしたかということを自慢げに話す。超アナログ生活を送るひげおやじ。パソコンはおろか、洗濯機、テレビなどもない。情報は短波ラジオからで、最近、フランス国際放送が聞こえなくなったとか、BBCも弱くなってきたとか…その中で、某エロ本についていたDVDが見れないことを知っていつつ、その本を買って、私も知る友人に送りつけたとか…相変わらずである。

恩着せがましくはなく、下ネタの間にこちらのこともしっかり聞く。引退後、それほど長くは大学に関わるのは難しい。今、ひげおやじの後を追うようにその世界を目指す私の力になれないことをなんとなく申し訳なさそうだ。それも雰囲気でしか語らない。相変わらずである。

半年振りに話したひげおやじ。規則正しい生活を送っているこちらはいい加減眠くなってはいたが、気がついたら明け方4時半。酒も飲まずに。

ひげおやじに出会い、15年。ある意味、この世界に腰を落ち着けようとするのは、ひげおやじによるところが大きい。周りの環境は刻一刻と変化しているが、唯一変わらないのがこのおっさん。初心忘れるべからず。ひげおやじがそんなことを言うわけもないが、6時間の電話が終わり、そんなことを思いながらまどろんでいた。

2009年6月23日火曜日

調査日程決まる

論文は終わらない。一旦粗い原稿をあげて、ゼミで血祭りにあげられるのだろうが、その先はまだまだ真っ暗。

そうこうしているうちにそろそろ7月の声が聞こえてくる。調査の季節である。

泥沼の論文から現実逃避しつつ、夏の調査計画ができた。出発は7月23日。旅行会社の方にはさんざん迷惑をかけたが、なかなか安い手配が出来た。エールフランスで見積もったときよりも15万ほど安い。自分の研究費を持っているとはいえ、微々たるもの。これだけ安くなると少し気持ちに余裕を持って出発できるというものである。

今回の調査は、引き続きワガドゥグのストリートの調査、ワガドゥグの歴史、あと、先々のことを考え、ワガドゥグに住む西アフリカの商業民族、ハウサの人びとのカルティエの調査を行う。相変わらず盛りだくさんで、バラバラなことをやっているように見えるかもしれないが、この一つ一つは有機的につながっている。全部できるわけはないが、できたこととできなかったこと、あとで見直して次回の調査目標を立てていくわけである。

今回は3か月。前回の調査では、悩んでいたことをミクシで文字化したことで、今年のアフリカ学会のネタができた。研究を始める時、ある友人にブログをフィールドノート代わりにするのはどう?と言われて、こうやってさらしてみるのだが、すぐに人に見せるように文字化することで意外に成果も上がった。今回からはこちらに書いていくつもりにしている。

2009年6月17日水曜日

腐りかけが一番うまい?!

論文を書いている。約1年寝かしてしまったやつ。たぶん腐りかけギリギリだった。

一応一通り書いて、これから調整していく過程に移るわけだが、この作業がつらい、というか痛い。自分の文章など、読んでいて気持ちいい、という感情に駆られたことはない。よく「結論が書ければ半分…」と言われるが、たぶんもう半分はこの作業ではないか、と思う。

それで、なんでこの論文が腐りかけギリギリだったか、と言うと、自分で書いた内容をほとんど忘れてしまうほど忘却の彼方にあったからで、結構熱い思いと書きあげる決心をして、昨年の誕生日に始めたように記憶している(mixiの日記にそう書いてある)のにも関わらず、である。それでも、章をひっくり返し、混乱している部分を削り、必要な情報を付け加え、という作業を繰り返し、なんとかここまで来た。

ところで、今年のゼミのルール。
・Dの院生は基本的に発表の前の週に論文を出すべし
・出せんかったら名大ビールをおごるべし。

ビールを誰におごるのかよく知らないが、もし全員分なら、15人程度…7,500円…結構なプレッシャーで、このペナルティが心が切れない最後の砦。提出は明日なのです…

2009年6月10日水曜日

高槻市の体育協会が…

高槻市の体育協会が破産した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090610-00000123-jij-soci

体育協会がどんな団体か、と言うと、おそらく、(財)日本体育協会、と言うのがトップにあってその下部団体に各地域の体育協会がある、ということか。ぼくの大嫌いな古館伊知郎あたりが「裏金の温床」とか、「天下りの温床」とか言って騒ぎそうな感じの組織繰りだけど。

たとえば、横浜体育協会あたりの業務として、競技スポーツの推進事業、スポーツ支援事業、健康・体力づくり事業、スポーツ人材の要請・育成・活用事業、スポーツ施設管理・運営事業、スポーツ情報の収集・提供事業、スポーツ団体等の育成事業、その他と、8つの柱を抱えている。大概の市民マラソンの類の事業は体育協会の管轄にあるらしい。

この事件、1996年にサッカー大会中に当時高校1年生のサッカー部員の頭部に落雷の直撃。このサッカー部員が重い障害を負ったことで、学校や大会運営にかかわった高槻市体育協会に損害賠償を求めている訴訟ということ。お天道様のしでかした事件で、なかなか切ない判決な気がする。市体育協会の無念ながらのこの判断は潔いし、被害者にも同情を持たざるを得ない。

しかし、それでこの団体を潰してなんかなるんだろうか…この街からすっかりスポーツが無くなってしまいそうな感じがしてしまう。

2009年6月2日火曜日

俺に近寄ると危ないぜ ~酷暑の6月~

ポストモダンとか、たまに使うくせに、私自身は完璧に「モダン」な大量消費型の人間である。最近でこそダイエットなどと言っているが。

そろそろ梅雨入りのニュースなどもチラホラと聞くと思ったら、6月に入ってしまった。時の流れの速さには今更驚きはしないが、今の時流についてはホトホト参る。

何が参るか、と言えば、今年から学内のほとんどで、エアコンが使用できるのが7月1日からになったことである。大量消費型の私は熱量排出量も多く、当然のことながら、あまり暑いところではオーバーヒートを起こす。殊、日本という環境にいることを自覚的に生きているわけで、体よりも精神的にオーバーヒートを起こすような気がする。

とか書いていたらますます暑くなる。

2009年5月27日水曜日

で、ちょっと思ったこと。

今回のアフリカ学会、NGO関係の人もチラホラ。

大概知人ばかりで、学会でこういう人たちと会うのもまた趣がある。その辺の院生に比べればよほどしっかりした知識を持ち、会場で手をあげて教員顔負けの鋭い質問を投げかける人も一人や二人ではない。

でも、他の学会、こんなにNGOの人、来ないよな…

おそらくアフリカ学会の特殊な側面もあるのだろうが、「素人」の姿が多い。しかし、学会と言うのがもう少し開けた場であってもいいような気がした。言い古された感があり、かつ、何も変わっていないとしたら、それはこの世界の人間の怠慢以外の何ものでもない。いろんな申請書が学問の「社会的意義」を求めるなら、数少ない公開の場である学会などは、もっと開いておいてしかるべし。大体、多くの研究者が税金で喰ってるようなもんだし。

2009年5月25日月曜日

学会終わる。

なんとかインフルエンザの影響か、ずいぶん人気のなかったアフリカ学会。元々発表者数も少なかったので、なんか気が抜けた学会だったな、と言うのが正直なところである。

しかしそれにしても、研究資金の申請書を書きながら、夜遅くまで学会の発表準備をして、それでもさらにもう1ステップいい発表にするために、最後の最後まで頑張った同僚たちにとっても充実した学会だったのではないだろうか。365日すべてアクセルを目一杯踏み込んで生きていたら、どこかでパンクしてしまう。せいぜい12分と言う発表時間に、今ある自分の知識と分析を詰め込む作業。本当に小さな目標でしかないが、こういう作業がひとつ、またひとつと積み重なって、ほんの少し前に進める。

ここのところ、ずいぶん大きな口を叩くようになり、今の立場なりに自分にプレッシャーをかけて臨んだ発表。シャツに汗染みが浮かぶほど緊張してみた。声が震えるとか、頭が真っ白になるとかはなく、会場からの質問に答えられない、ということはなかったが、結構なガチガチ具合。以前からお世話になっている諸先生、先輩方から「メールでコメントする」という嬉しい申し出もあった。楽しみに待とうと思っている。

なんとか一仕事が終わる。

2009年5月21日木曜日

学会発表要旨「ストリートの少年たちとNGO」

5月23日、24日と東京農業大学でアフリカ学会が開催される。不肖、わたくしめも発表させていただくので、こちらの要旨を。

今まで封印していたNGOネタを出すことにした。どんな反応がくるのか楽しみ。

*********************************************************************
ストリートの少年たちとNGO:
ブルキナファソ・ワガドゥグにおける青少年の生活とKEOOGOの支援活動の事例
清水 貴夫
日本学術振興会 特別研究員、名古屋大学大学院文学研究科
Street Children/Youths and NGO: the case study on activities of “KEOOGO” and behaviors of the youths in Ouagadougou, Burkina Faso
SHIMIZU, Takao
JSPS Research Fellow/ Graduate School of Letters, University of Nagoya

本発表では、まず、ブルキナファソ・ワガドゥグのストリートチルドレン支援NGO、KEOOGO(ケオーゴ)の活動内容について概観する。次に、KEOOGOのサービスを利用しながらストリート空間を生き抜いているストリートチルドレンの事例を提示する。それにより,ストリートチルドレンとNGOの両義的な関係性とストリートチルドレンのNGOを利用した生活戦略について明らかにする。
アフリカ都市に増加するストリートチルドレンは「都市問題」を象徴し,国際的にも解決すべき問題として注目を集めている。国内外からの移民が多いブルキナファソの首都ワガドゥグでは、NGOやアソシアション(Assosiation)など約100団体が,ストリートチルドレン支援を行っている。KEOOGOをはじめとするNGOは、村落から都市に流入した青少年を村落に帰すことを基本方針として、家族との対話や、身請けのない青少年に宿泊施設,教育,食事の提供をするなどの支援を行っている。
しかし、自身もストリートチルドレンだったKEOOGOの啓発普及員のタセレ・ウェオドラゴ氏は,「アソシアションは増えたのにストリートチルドレンが増えたのはなぜだろう?」という疑問を,日常的に青少年と接する実感からいだいている。タセレ氏の問いは、NGOの支援活動が充実する反面、ストリートチルドレンの数は減少するどころか増加しているという,ワガドゥグの都市問題のシニカルな現状を示している。
タセレ氏の問いを受けて、ストリートチルドレンやNGOに,「青少年がストリートに出奔する/した原因」を聞き取り調査した結果は三点にまとめられる。1点目に、KEOOGOのメンバーによれば、青少年の出奔は多くの場合、コーラン学校に関わりがあるという。2点目に、家族内の不和があげられる。消極的な理由ばかりではなく3点目には,ストリートが青少年たちの「楽しみ」や「遊び」の場であるという積極的な理由も明らかになった。
青少年たちにとってのストリートは,決してつらいだけの場所ではなく,「楽しみ・遊び」の場であり,また,安全を確保できる場でもある。その安全を保証しているのはNGOの支援活動である。青少年たちはNGOの支援活動を前提として、ストリートを彼らの生活空間として捉えているのだ。すなわち、ストリートから青少年たちを引き離そうとするNGOの意図は一定の成果をあげている。しかしその反面、これらの活動は青少年たちがストリートで生きるための都市機能として利用されることで,ストリートチルドレンの数が逆に増加しているという,アンビバレントな現象を生んでいるのである。

2009年5月20日水曜日

Change!

ダッシュボードを変えてみた。「俺とアフリカとドラゴンズ」にふさわしいやつに。

Yes, we can!

あーベタだ…

発表ホリック

学会シーズン。

新型インフルエンザで開催が危ぶまれているが、屈強なアフリカニスト、人類学者の集まりにて、表向きのポーズだと信じている。

この時期、自分も含め、研究室中が発表の準備で沸騰する。非常に活気がある。新しく入ってきた人がここの雰囲気に慣れて始動するのも、研究費の申請もこの時期。いい感じの緊張感を持つ。

だいぶ前から構想を練って準備をした甲斐があり、自分の発表準備は2週間くらい前にすでに完成。今日明日くらいで簡単な手直しをしておしまい。そんなわけで、研究室のメンバーの発表案に対して好き勝手な文句を垂れ流す。一日3本か、それ以上の発表を聞いている。そんなわけで、この2週間くらいで延べ30本くらいの発表を聞いている。

そんなわけで、「ホリック」と言っても聞く方なのだが…しかし、学ぶところは大変多い。もしかしたら僕が一番勉強になってるかも…とか思っている。

2009年5月17日日曜日

中部人類学談話会

昨夜、毎年恒例の修論発表が中部人類学談話会であった。バタバタを書きあげた修士論文を発表する会である。

「花祭り」、「ラオスの布織り職人」、「ジンバブエの音楽」、「在日朝鮮人のエスニシティ」、「ドイツの高齢者受刑者」、「メキシコの『蝶』の図像学的な分析」…

それぞれの研究はそれぞれが思い入れを込めて準備し、考え、書いたもの。もちろん足りないな、と思った部分はあるし、面白い考え方だな、と感心した部分もある。さらにブラッシュアップしてまた刺激を与えてくれることを切に切に望んでいる。

ちなみに、修論発表の詳細プログラムはこちら→http://compar.exblog.jp/

2009年4月22日水曜日

ソウルフードと恩師

高校生のころはやんちゃでした。親にはもちろん、先生方をはじめとする多くの大人に迷惑をかけてきた、と今も時々思う。

「死ぬ前に何が喰いたいか?」

と聞かれたら、迷わず「メーヤウのチキンカレー」と答える。「安い奴だ」と言われようが、ここのカレーは何物にも代えがたい。たぶん、この店に一番長く通う客の一人だろうし、味の変化に一番敏感な客のつもりで、カレー自体に愛を持っている。大概の客と微妙に店の対応も違う。常連客の心もくすぐる店で、店にも愛着がある。そして、ここに来ると、母校の前を通ることになり、いつも高校生のころを思い出したり、迷惑をかけた恩師のことを思い出す。たくさん理由がある。

いつも調査に行く前には必ずここのカレーを喰う。大の飛行機嫌いとしては、飛行機が落ちた時に後悔しないように、とかいう言い訳だかなんだかわからない理由を自分に言い聞かせてここに向かう。昨日は、今回の調査前に行けなかったから、その埋め合わせなのである。別にそんな理由はいらないのだが。

相変わらず旨い。ここだけはダイエットを忘れ、存分に楽しむ。

そして帰り際。駅への道に懐かしい顔を発見。

M先生。冷静沈着で鉄面皮。優しいわけではないけど、たまに見せる顔に人柄がにじむ。さすがに60に近くなった先生は、少しお腹周りに肉がつき、なんか小さくなったような印象を受けた。

そしてなぜか、「勉強してます」のような言い訳をする。その態度にキョトンとしていた。親が一生親なように、先生も一生先生なのかもしれない。

2009年4月21日火曜日

光が丘公園の宴

友人Iさんの送別会。

フランス、トゥールーズで知り合ったIさん。なぜか他の日本人から嫌われていたわれわれ数名は、ちょいちょいと呑んだり、近くのガロンヌ川でピクニックに行ったり。当時からそう感じていたが、命の洗濯の日々。たぶんみんな5年後のことなんて想像もできなかったと思う。僕のことを言えば、会社を辞め、NGOで働いてみたものの、言語のレベルで躓いた。この時に、師匠W先生と知り合った。研究者としてやっていけるか…と言う不安と、ダメだったときのことをよく考えていた気がする。よく勉強もしたけど、ルームシェアをしていた台湾人とIさんたちとよく飲んでいた。

それから5年ほど。幸いにしてIさんは素晴らしい伴侶とゴールインして、(たぶん)夢だったフランスへの移住を果たす。僕はとりあえず院生生活を謳歌している。他の消息の分かる友人たちもそれなりにやっている。それだけで上出来。

送別会は練馬区の光が丘公園で行われた。フランス贔屓らしく、外で持ち寄りで。Iさんの旦那の友人とIさんの仕事仲間にフランス時代に知り合った友人たち。フランス人たちはそれぞれ上手な日本語を話し、日本人もほとんどがフランス語を操る。残念ながら今更アフリカ訛りを隠すことができるわけもなく、皆さんに一発でばれる。

Ou tu a appris?(どこで勉強した?)

まま…数枚のシートの上にはすでにワインの空き瓶が数本、パテやらサラダやらが所せましと並ぶ。ぼくも持ってきたバゲットとチーズをそこら辺におき、歓談。

旦那氏の友人は某外国語学校で知り合った人たちが多い。いろいろ話を聞いていると、アルジェリア・オリジンの人、コートジボアール・オリジン、日経のフランス人など、なかなか多種多様。今のところ皆さんまっとうな会社で働いているようだけど、アグレッシブなアイディアもちらほらと。少し調査者の血が疼くが、旧友の送別会にて、しばし我慢する。

そうこうしているうちに、公園の閉まる時間になってしまう。楽しい時間はすさまじく早く過ぎる。久しぶりに感じた「しっかり遊んだ」感覚とみんな最後まで笑いながら(そして酔っ払って)見送ることができたのがすごく充実した感覚を残した。

パリに行く理由が一つ増えた。似合わんけど…

2009年4月18日土曜日

実家に帰る。

別に自暴自棄になっているわけではない。いろいろと用事があって帰ってきている。

久しぶりにバスに乗った。よほど時間に余裕があるときくらいしか乗らないのだが、新幹線よりも実は好き。6時間ほどかけて、本を読んだり、窓の外に目をやってボーっとしたり、そのうち居眠りしたり。特に昼間は空いているので、さらに自由度が高い。

できれば富士山が見たいと思って乗ったものの、すっかり寝てしまって、静岡の次の記憶が御殿場だった。今更恥ずかしくて言えないような人類学の古典は、睡眠導入剤としていかんなく威力を発揮し、書評を宿題にされている本は神経を逆なでして、覚せい効果がある。

なんとか、移動時間も有効に使え、実家に着いたのが8時ころ。間食断ちしているので、腹も減り切っている。確か電話でダイエットのことを伝えていたはずの我が母は、しっかり「海鮮丼」を用意して待っていてくれる。量もいつもと変わらず。3か月ぶりの実家、久しぶりの家族の顔といつもの量のコメ…まあ今日くらいはいいか、と言うことですっかり平らげる。

そして天の邪鬼な母の一言。「一度に痩せると抵抗力が落ちるよ。ちゃんと食べないとダメよ。」

偉大なり母の愛。

2009年4月17日金曜日

ダイエット2週間。

「コメの量を半分に」と言うアドバイスを受けて、人生で初めて本格的なダイエットをしている。

最初の数日間、空腹感で昼前と夕方はカリカリする(ご迷惑をおかけしました)。「こんなんで続くんだろうか…」などと思う。

それでも、「3日坊主でもやらんよりまし」と思い、1日1合(2食)にコメを炊く量を減らす。1日3合近く食べていたから、コメの量は3分の1。コメ中心の食生活から野菜中心に変える。

たとえば昨日の献立…

朝:ご飯(0.5合)+豆腐とねぎの味噌汁+3日前につくった鰯の生姜煮
昼(学食):蕎麦M+サラダ120g
夜:ご飯(0.5合)+朝の味噌汁の残り+鰤カマと大根の煮込み+サラダ(水菜と豆)

3週間くらい前まで大盛り飯に油大目のブルキナのソースをかけていたことが信じられないくらいで、これで結構おなかも満足できるようになってきている。

このおかげかどうかはわからないが、集中力がついたことと、煙草の本数が減ってきている。そして、あんまし金を使わんようになった。割といいことだらけのダイエット。

2009年4月13日月曜日

バレンタインさんの裁判①

約2年半ほど追い続けている裁判です。この顛末はまた後日。とりあえず傍聴の情報をアップします。

■第9回控訴審口頭弁論■
**日程**平成21年4月21日(火)午後1時30分 開廷
東京高等裁判所8階808号法廷控訴人の事件名「平成19年(ネ)第2429号 」
東京高等裁判所最寄り駅:・地下鉄東京メトロ丸の内線・日比谷線・千代田線「霞が関駅」A1出口 から徒歩1分,・地下鉄東京メトロ有楽町線「桜田門駅」5番出口から徒歩約3分。

■詳しい裁判傍聴案内はこちらです。
http://www.courts.go.jp/kengaku/
※今回の傍聴も、裁判所からの抽選連絡はまだありません。(4月9日現在)。前回も、弁論直前に連絡がありましたので、今回もそうなる可能性があります。ただし、定員数40名に満たない場合は通常通りの傍聴になります。抽選になった場合は、追ってご連絡いたします。

支援会ホームページもあわせてご参照ください。http://sky.geocities.jp/team_vuc/

2009年4月11日土曜日

ルケン・クワリ・パシパミレ ジャパン ツアー


@Live & Lounge Vio

出演:ロワンビラ(左写真)、プチカン、パシパミレwithハヤシエリカ


毎日顔を合わせている同僚Mが出演するライブに行ってきた。何やら、ジンバブウェから「巨匠」がいらっしゃるということで、大仕掛けなツアーを組んでいる。半分以上は名古屋公演の手伝い(物販+料理)。


仕事をチョロチョロしながら、演奏を聴く。Mはロワンビラを率いるンビラニスト(ンビラ:http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=mb&dtype=0&stype=0&dname=0na&ref=1&index=08655907560970)。演奏の傍ら、か、研究の傍らか知らないが、いずれにしてもタフに演奏と研究をこなしている。以前、デモテープは聞いたことがあったが、正直、なんかさえないな…という印象を持っていた(ごめん…)。ところが…エンターテイナー性豊かな、なかなか楽しいステージを見せる。見なおしたよ。だいぶサボってしまったので、これから時々ライブにおじゃまさせていただこうかと思います。
一通りの演奏が終わったのち、喫煙所で出会ったお兄さん。ご自身R&Bのバンドでヴォーカルを担当している、と言う。「巨匠」パシパミレ氏を紹介したとき、その説明をしたパシパミレ氏の弟子、ハヤシエリカさんが「ンビラは神を降ろす楽器」という言葉を使う(ハヤシエリカさんは『神とつながる音』という絵本も出版している)。ヴォーカル氏は、この、「いかにして神を降ろすか」、ということを語ってくれた。彼が語るところ、「パシパミレ氏が『神を降ろす』わけでない」とし、「彼がライブ中に、「さぁ、みなさん踊ってください」と促したときに、聴衆が初めて踊りだした。そして、その後大きく盛り上がりだした。」と言う。つまり、「神が降りて」来るために、「聴衆」との合意が必要だ、と言うことらしい。
なかなか深いことを言うものだ、と感心しながら、夜は更けた。後片づけをして帰宅したのは午前3時すぎ。演奏、仕切りをしたMをはじめ、お手伝いの皆さんもお疲れ様でした。

2009年4月8日水曜日

親と健康は失ってありがたみがわかる

毎年この時期の嫌なこと。健康診断。

今年も多いに脅され、医者からは「来年進展がなければ、薬で数値をコントロールしてもらいます」という、最後通牒をいただく。失う寸前、ということか…

さすがに体重を見れば、あまりちゃんとした健康体でないことは分かるし、体脂肪率が首位打者を争えるくらいになった。つまり、1歩歩くにしても、機能するからだに数十キロの「錘」を持って歩いていることになる。健康云々の前に、「不合理だ…」という感想を持ち、一念発起(までいくかな…)で保健士さんに相談してみる。

医者は厳しく、保健士さんは優しい。見事なツンデレ。いいおっさんを幼児扱いしてくれる。「萌え」ろと言うのだろうか?

質問に答え、できることを探る。結局コメの喰いすぎ、という結論。その日から、炭水化物半減を開始。オカズなど、飯を食う種だと勘違いしていたことがよく分かる。モノカルチャーな食生活をしていたのを実感する。

親の有難みは重々分かっているつもりだが、日常的な空腹感が健康を失ったときの痛みを知らしめてくれる。

2009年4月7日火曜日

2009業績

論文 (●‐査読あり、○‐査読なし)
学位論文
○ 清水貴夫1999「アフリカ農村部における持続可能な保健衛生開発への一考察」明治学院大学国際学部国際学科1998年度卒業論文
○ 清水貴夫2007「アフリカ都市の若者文化の都市人類学的研究‐ワガドゥグのラスタの事例から」名古屋大学大学院文学研究科2006年度修士論文

論文
○ 清水貴夫2006「ラスタのフロンティア」『名古屋大学人文科学研究』第35号pp.57-70
● 清水貴夫2007a「ブルキナファソのラスタの演奏活動に見る『アフリカ』」『神話・象徴・文化』篠田知和基編pp.207-223 楽瑯書院
● 清水貴夫2008b「ワガドゥグのストリートの若者たちの生活とその背景」『名古屋大学比較人文学年報』Vol.5 pp.137-154名古屋大学大学院文学研究科比較人文学講座
● 清水貴夫2008 c「来住アフリカ人にとっての六本木‐「アフリカ人-アフリカ人」のインフォーマルな接合の調査報告‐」2006年度科学技術研究費報告書『来住アフリカ人の相互扶助と日本人との共生に関する都市人類学的研究』(基盤研究A 研究代表 和崎春日 研究番号:16202024)pp.135-144
● 清水貴夫2008d「セネガル文化としてのバイファル、ラスタを探る」2007年度科学研究費報告書(基盤研究A 研究代表 嶋田義仁 課題番号:18251006)pp.119-134

研究ノート
○ 清水貴夫2009a「ワガドゥグにおける染色綿布、ボゴランBogolanの制作過程」『名古屋大学人文科学研究』第38号pp. 133-144

雑誌・エッセイなど
○ 清水貴夫2005-2007「国際協力の今」(全10回)『HARMATTAN』(認定NPO法人)日本ブルキナファソ友好協会会報 19号~29号
○ 清水貴夫 2007b 「来住アフリカ人のコミュニティ形成と生活」『メタプティヒアカ(名古屋大学大学院文学研究科 教育研究推進室年報)』Vol.1 pp.128-129 名古屋大学大学院文学研究科 教育研究推進室
○ 清水貴夫 2008a「アフリカ都市の路上販売者と「観光」-ワガドゥグのストリートから-」『アフリカNow』79号(特活)アフリカ日本協議会会報誌pp.12-13
● 清水貴夫2008e「産業化する国際NGO-国際NGOで働く職員たち」『伝統知識と技術の再活性化によるアフリカの草の根開発(Grass Root Development)と環境保護』嶋田義仁編 平成19年度「国際協力イニシアティブ」 名古屋大学文学研究科pp.127‐128
○ 清水貴夫 2008f「『ポップ』が生み出される場所」(第1回11月)、2008h「ネットで取引される『伝統』」(第2回12月)、2009c「中国の介入を受ける手工芸品『porto』、(フリーペーパー)への連載

口頭発表
○ 清水貴夫 「ワガドゥグのラスタ」現代アフリカ都市文化研究会第27回例会 於名古屋大学 2005年7
● 清水貴夫 「ラスタの生業と思想-ワガドゥグのラスタを事例に」第43回日本アフリカ学会 研究大会 於大阪大学 2006年5月28
○ 清水貴夫 「ラスタの生業と思想‐ワガドゥグのラスタを事例に」アフリカセミナー 2006年7月1日
○ 清水貴夫 「「周辺」のラスタが捉える「伝統」と「アフリカ」-ブルキナファソ、ワガドゥグのラスタの事例から‐」現代アフリカ都市文化研究会第29回例会 於名古屋大学 2007年2月24日
● 清水貴夫 「アフリカ都市の若者文化の都市人類学的研究―ワガドゥグのラスタの事例から」中部人類学談話会 於椙山女子大学 2007年5月19日
● 清水貴夫「「周辺」のラスタが捉える「伝統」と「アフリカ」-ブルキナファソ、ワガドゥグのラスタの事例から-」第41回文化人類学会学術大会 於名古屋大学 2007年6月2日
○ 清水貴夫「西アフリカの都市の若者文化のフレームについての一考察-ブルキナファソ、セネガルの事例から-」アフリカ ポップカルチャー研究会(アフリカセミナー、アフリカ都市文化研究会と合同)於 名古屋大学 2008年3月27日
○ 清水貴夫「セネガル文化としてのバイファルとラスタ」科研費研究会(科学技術研究費 基盤研究A アフリカ・イスラーム圏における白色系民族と黒色系民族の紛争と共存の宗教人類学的研究 研究代表:嶋田義仁 研究番号:18251006)於 名古屋大学 2008年7月5日、6日
○ 清水貴夫「ワガドゥグのクールなラスタ」アフリカン・ポップカルチャー研究会『いまアフリカにのる?』 2008年11月15日、16日

所属先(名古屋大学大学院のURL)
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~human/

2009年4月6日月曜日

ブログ始める。

特に目的もなく、ブログを始めてみる。

やはり、フィールドノート代わりであり、世の中のことを無責任なことを言ってみたり。

まあ、とにかく初めてみる。

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