ワガドゥグのHausaコミュニティ

本当は2,3泊する予定だったのが、いろいろと予定が入り、結局1泊のみとなってしまったが、Aさんのところでホームステイしてきた。

Aさんは西アフリカの商業民族、ハウサの出身だ。Djiboというブルキナファソ北部の街を出たお祖父さん、お父さんの世代からワガドゥグに住み着き、彼は2.5代目といったところか。彼が育ったザングエテンという地域が今回のメインの調査地なのだが、実はザングエテンと呼ばれていた地域は今は荒野と化している。何度もこのブログでも取り上げたが、都市計画で2003年につぶされている。

タイトルには「コミュニティ」という言葉を使ったが、正確には地縁的なコミュニティはAさん宅のあたりにはない。ワガドゥグの西の果てにお父さんと兄弟姉妹数名が同じ敷地に住んでいる。Aさんにはすでに4回にわたってインタビューをしているので、そろそろ気心が知れてきている。ぼくが何をやりたいのか、とか、なぜここにいるのか、も大体わかってくれている。

Comment chez toi.(あなたの家のように【使ってください】)

と言って、彼の部屋に通された。イスラームらしい。額面通りに適度に図々しく、多少気を使いながらお世話になることにする。

とにもかくにも、しばらくは彼に張り付いていろいろなことを聞かなければならない。彼の金魚のフンになって、彼の仕事場にもお邪魔する。彼の仕事はネックレスづくり。またもや民芸品店に行く。しかし、僕の友人たちとは面識すらない様子。発見である。宗教、民族による住み分けがはっきりと見える。以前もその地域を訪れたが、かなりそっけなくて相手にされなかった。しかし、Aさんと一緒だと、なんと愛想のいいことか…このあたりのことを何気なく聞くと、その地域では、ハウサしか話さないとのこと。イスラームグループのことや、ラスタのこと、かなりはっきりと意識しているようだ。そのうえ、今回の調査である程度見えてきているザングエテンのこともかなり詳しく聞ける。 

たくさんの収穫を得て、Aさんの部屋に戻る。すると、午前中は出かけていたAさんのお父さんが帰宅している。彼の父は、丸いメガネをかけた、実にインテリジェンスな雰囲気を漂わせる「紳士」。こちらの趣旨を話すと、遠慮勝ちに、「私はザングエテンのことはあまりよくしらないんだ…」と。「歴史はあなたたちが作っているんです。もしご迷惑でなければ、あなたが見たこと、経験したことを話してはいただけないだろうか…」と説得を試みる。「では機会を改めてお話しましょう」と。大成功。

その夜、久しぶりのティーパーティ。蒸し暑かったこの夜は、家の外に蓆を引いて行った。ザングエテンの古き良き時代。汚い街だったけど、夕方になると、どこからともなくお茶を煮る匂いがしたもので、そんな話をしながら、実は初めてのマスターを引き受ける。時折停電になり、蚊に刺されながらも、気がつくと20人ほどの隣人たちが集まってきた。夜は更けて、我々が床に就いたのは0時を過ぎていた。

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