2015年5月28日木曜日

藤原章生2005『絵葉書にされた少年』集英社



昨年の秋に行った座談会で紹介された本。何度か筆者の藤原さんという記者とは顔を合わせたことがあって、座談会のときのお一人は彼の元部下でした。

ともあれ、この本を新聞記者が書いた、ということがとても意義深い。新聞記事を読んでいると、記者の顔が見えてくることはなかなかないが、この本には、情報を伝える側の藤原さんの自分のレゾン・デートル(存在意義)への疑問や苦悩がひしひしと伝わってくる。それだけではなくて、おそらく、ふとした喜びも。

メモ程度にいくつか気になった箇所を抜き出してみた。まず、後半の「お前は自分のことしか考えていない」から。

「九〇年代の初め、アフリカの取材から戻った同僚の女性が、新聞に使う写真を選んでくれと私にたずねた。
 一枚は乳児を腰に抱え水瓶を頭にのせた女性がカメラの方をチラッと振り返っている全身写真で、女性の民族衣装のピンクとバックの薄ぼんやりとしたサバンナの緑、赤土がきれいだった。
 もう一枚は、丸顔の乳児が目に涙をため泣き叫んでいる写真で、少しピントがずれていた。その子は母親に抱かれているようだが、アップ写真なので背景はよくわからない。
 「こっちに決まってますよ」と迷わず前者を選んだが、結局、後者が選ばれた。そして新聞を見ると、「貧困、最大の犠牲者は子供たち」という確かそんな内容の記事のわきに、その赤ん坊の写真が使われていた。難民救済のためのチャリティ企画だったため、こうした記事が必要だったのだろう。しかし、添えられた絵はあくまでも普通の子供の写真である。むずかって鼻をたらして泣いている。日本のどこにでもいるような赤ん坊の写真をそこに貼り付けても何ら変わることはない。ただ、一点違うとすれば、その子の肌の色がかなり茶色いことだ。」(212-213)

この一節は、僕が人類学を始めるきっかけになった、とあるジャーナリストとのやり取りと通底する。具体的なエピソードは省くが、あるコンテクストに沿って左右される周辺の情報。ジャーナリズム、しいてはアカデミックな言説までこうした構造の中で創られる。別の個所でも、こんな風なことが述べられている。

「やっかいなのは、はっきりと言い切れないことに、意味づけを求める人が結構いることだ。自分で納得できないことは胸の奥につかえる。なら、いっそのこと「これはこういう意味だ」と勝手な解釈を加えて、つかえたものを流してしまう。」(107)

カタルシスはジャーナリズムの中でもいつも求められる。もしかすると、カタルシスがないとマスは理解できない/しようとしないのではないか。

そして、南アフリカに6年間の駐在を経験した藤原氏の文章の中には、自身が関わったアフリカの人々についてのエピソードも数多く収録されている。多くの話に僕も共感する。ザザッと紹介しよう。

ハイジャック(南アでは「カージャック」をこう呼ぶ)」に遭った筆者の妻は、最悪の事態(暴行や殺害)を免れる。クッツェーの作品(『恥辱』)では主人公の元大学教授の娘がレイプ被害にあうものの、娘は警察にも届けず、自分の中にその事件をしまいこもうとする。それを南アの歴史や社会の問題として、昇華させようとして苛立つ主人公…この辺りに拠りながら、次のように述べる。

個人は国家が犯した罪からどこまで自由になれるのか。クッツェー作品の底には、この問いが流れている。個人のミニたまたま怒ったことを、社会の問題にすりかえた瞬間、個人の自由やその可能性は薄まってしまう。同時に事件を一般化すれば、「南北の境界」に暮らす、あるいは南北を行き来する人々の多様な生のあり方を、無視することになる。
 現実に、この小説の娘のような南アフリカ人がどれほどいるだろうか。肌の色や国、民族という大枠でなく、何事もあくまでも個人の問題だと見ようとする人が…
 だだ、この娘の人格を押し出したことで、クッツェーは、南アフリカで起きている凶悪犯罪を「人種対立の後遺症」と言い切ることを拒んでいることは確かなようだ。それを拒むことで、この国の将来にある種の希望を託したのではないだろうか。」(84)

「「そうだ、ミスター・ニャウォは寝る前にこう言ってた。『自分の目標があるならそれを追えばいい』『ただ、いつでも他人を尊重しろ』。それと、あんた(藤原氏)のことについて、『あの男はお前のブラザー(兄弟)みたいなものだ。だから、どんなことがあっても面倒を見てやれ』といってた」
 私はその言葉をありがたく受け取った。だが、時間がたつにつれ、次第にそれを悪く解釈し始めた。それは、まだニャウォ老人の経歴もなにも知らないころのことだった。彼の暮らしぶりがあまりに貧しいので、何か援助を求めているのではないかと思ったのだ。
 しかし、最初に私がニャウォ氏に心引かれたときと同様、その後も彼の態度は何一つ変わらなかった。彼を前にすると、なぜだか、金銭だの、損得といったことがまったく頭の中から消えてしまう。なのに、私は、アフリカで感じた様々な被害者意識から、しばらくは悪いほうに誤解していた。
 二つ目はケレに対する誤解だった。あるときまで、ケレが私の仕事を手伝ってくれるのはビジネスと割り切ってのことではないかと、思っていた。しかし、後にわかったことだが、彼は私が紹介した日本人のが私の倍の日当を払っても、気が合わなければ、働こうとしなかった
 「お前に頼まれたから、他の日本人と働いているけど、もう勘弁してほしい」
 そんなことを何度か聞かされた。多くの貧しいアフリカ人がそうだった。彼らはパンのために働くような人間ではなったのだ。好きな相手以外の人間のために働くことは、どんなに金を積まれても耐えられない。そんな人間だったことに随分後になってから気づいた。」(174-175)

言葉を残すこと、記録することが歴史であるなら、あえて言葉を残さない歴史もあっていい。名もなく消えていく個人が何一つ言葉を発しなくても、残ったものの心に言葉以上のものを残すからだ。」(177)

「彼らに関わろうとした私の動機はなんだろう。まず最初に相手を知りたいという願望があった。これは職業的な理由もあるだろうが、そればかりではない。他人に関わりたい、自分の孤独を紛らわせたい、友人をつくりたい。そんな欲が隠れていた。そして、好きになった相手が幸福であってほしいと願う。その結果、相手を助けたいという思いが顔を出す」(222-223)

「アガサ・クリスティーの小説のフランス語訳を読んでいた黒縁メガネの元大学教授の言葉が耳に残った。
大虐殺の原因は他人に対する無知と偏見です。すべてはそこです
 私はこれほど冷静な言葉を、この豚小屋のような牢屋で聞くとは思いもしなかった。そして、そんな人が日々ゴミのように扱われ、世界の大半の人々がいまだにこの国で起きたことを「野蛮な国の出来事」とみなしている。そんな世界の現実を誰も改めることができない。それはなんという不幸だろう。ツチとフツとは、何も未開な人々が二手に分かれてやりを手に争っているのではない。知性や教養もある無数の人々が、それに加わり巻き込まれている。」(236)

前半の3つは、アフリカで出会った人たちへの藤原さんのイメージとの差が開示されている箇所、後半の2つの引用は、「助ける」(=開発援助)に関するものだ。もう10年も前の本だし、この以前、僕が大学生のころにも同じような問題意識を持っている人は数多くいた。このあたりを簡便で鋭い言葉で表した藤原さんには敬意を表したい。そして、こうした好著がもっとたくさん読まれますように。特に高校生や大学生には。

[目次]
第1部 奇妙な国へようこそ
1章 あるカメラマンの死
2章 どうして僕たち歩いてるの
3章 嘘と謝罪と、たったひとりの物語
4章 何かを所有するリスク
第2部 語られない言葉
1章 絵はがきにされた少年
2章 老鉱夫の勲章
3章 混血とダイヤモンド
4章 語らない人、語られない人
第3部 砂のように、風のように
1章 ゲバラが植えつけた種
2章 「お前は自分のことしか考えていない」
3章 ガブリエル老の孤独
もっとこの本の背景を理解するために

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『イタリアは呼んでいる』(マイケル・ウィンターボトム監督)


出張の間隙を縫って『イタリアは呼んでいる』を見てきました。「イタリアのグルメ取材に赴く中年男性2人組みのロードムービー」という触れ込みで、さぞかし旨そうな絵が見られるのだろう、と期待に胸を膨らませて、いざ映画館へ…

僕の教養不足か、ハイソサエティのイギリス人男性が繰り出す、バイロンやらは何が面白いのか全く分からず、料理は一瞬厨房が移って、遠目に料理が移るのみ。確かに景色はきれいなのだが、オッサン2人のわけの分からない冗談の方が前面に出てくるので、かなり退屈。移動で疲れていたこともあって、開始10分過ぎにはウトウト…

別にグルメ取材でなくてもいいのに。旅の途中のアバンチュールで妙にテンションの上がる片割れや、そこのことを女友達に話して同意を求めるあたり、何が言いたいのやら訳も分からず。見にクーパーでイタリアを走る、という素地のよさがあるだけに、もうちょっとシンプルなつくりでもよかったのではないか、と思った。

特に食いしん坊さんにはストレスがたまって、ちゃんとイタリアンが食べたくなると思うので、あんまりお勧めしません。

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「旅」について‐①


僕のところには年間に何人かから「アフリカに行きたいのだけど」という相談が持ち込まれます。最近は「調査をしたいのだけど」というものが多いのですが、以前は、「NGOで…」とか、「旅行で…」というものの方が多かった気がします。また、大学の講義で調査のことで質問を受けたり、調査をテーマとした講義を依頼されたりすることもあって、次第に「アフリカに行くこと」について考える機会が増えてきたように思います。

どれくらい僕がアフリカに行ったかというと、先日講義のために、すべての渡航を数えてみたら、すでにブルキナファソだけで30回、期間にしたら5年位です。まあ、よく行ったモノだ、と我がことながら感心してしまうのですが、最初は、最近、絶滅寸前のバックパッカーというやつでした。もちろん、バイトをしてお金を貯めて、親からお金を借りて(返してないですが…)、いかにお金を使わずに、どれだけ遠くに行けるか、というところが何度かの旅の目的でした。でも、大きなきっかけになったのは、大学生時代、勉強していることがいまいち信用できず、それに対して恩師が話してくれた、「自分の目でみてきなさい」という勧めでした。今のように、税金を使わせていただいて「調査」という形でも、NGOなどのミッションでもない、本当に自分の知的(?)欲求を充たすためだけのものでした。

相談に来た何人かは、その後実際にいろいろなところにはばたいてい行っていますし、同じ分野に進んだ人もいます。ただ、自分で何とかお金を工面して旅に出た、という人はごく一握りだったように思います。別に、こういう旅行のきっかけが通過儀礼とは思わないですが、いきなり調査やらミッション、たぶん青年海外協力隊にしても、行ってすぐに何か「仕事」らしきものはできるのだろうか、と少し疑問を持ってしまいます。この感覚は、僕がバックパッカーをしていた時のことを踏まえて調査に入った時に、何度も、「旅行しておいてよかった」」と感じたからで、相談に来られる方には、(ある程度顔色を伺いますが)「あまり目的に縛られずに、思いのままに自分の足で旅をしてみるといい」というアドバイスをするようにしています。大体、それどころじゃなくて、気が急いている人が多いので、アドバイスを聞いていただいたことはほぼないのですが。

「旅」について、何度かに分けて書いてみたいと思います。まずはその1、ふと思って書き始めたエッセイのきっかけでした。

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2015年5月27日水曜日

西川芳昭・木全洋一郎・辰巳佳寿子(編)2012『国境をこえた地域づくり グローカルな絆が生まれた瞬間』新評論


連投です。こちらも西川先生よりご恵贈いただきました。

妄想ですが、少し国内の仕事のことをお話していたら、国際開発と日本の地域問題の関連性を書かれた本をお持ちとのことで、いただきました。地球研の若手企画にいい本なように思います。こちらも近々に勉強させていただきたいと思います。

この本の出版元の新評論の社長さんは龍谷大学ご出身とのことで、この本は社長さん自らが陣頭指揮をとられたとか。大変力の入った編集だったとのことで、編者が呼び出されて「読者のことを考えなさい」と叱られたという逸話を伺いました。出版社、編者の力作であることは、この逸話からも明らか。益々読ませていただくのが楽しみになるお話でした。



大林稔・西川潤・阪本公美子(編)2014『新生アフリカの内発的発展 住民自立と支援』昭和堂



アフリカ学会が終わり、東京で一泊を経て、今日はお昼から龍谷大学の西川芳昭先生のゼミでのゲストスピーカーをしてきました。小さな論文一本と前の岐阜の時の小冊子をお渡ししたら、「お返しに」ということでご著書をご恵贈いただきました。

西川潤先生、勝俣誠先生、大林稔先生、阪本公美子先生ら、そうそうたるメンバーの論集。そういえば、こうした開発の話題の本を久しく読んでいませんでした。今の仕事が割とこういう領域に近いのでトレンドをつかんでおかねばなりません。近々に勉強させていただきたいと思います。

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2015年5月19日火曜日

日髙敏隆2010『世界を、こんなふうに見てごらん』集英社


今回は故日髙先生の本。だいたい高校生くらいが対象ではないだろうか。日高先生は職場である地球研の初代所長で、僕がここにくる数年前に亡くなられている。そんなわけで直接は存じ上げないのに、こんなことを言うと手前味噌になってしまう感覚があるのだけど、この本、実にすばらしい本だと思いました。文体も優しい/易しいものだし、もってくる事例はご自身の経験や体験が主体で、まったく難しいものではないわけですが、「研究」という仕事に血道を上げている者にとっては、ハッとさせられる部分が実に多い。

こういう本が書ける人は本当にすばらしいと思う。しかし、いい学者は難しいことを易しく説明できるものだ(大学生時代によく聞いた)、というのは、確かにそうなのだけど、逆に易しい言葉を使わない人がすばらしくないかと言ったら、それは違う。歯ごたえのある文章が書けるのだって大事なのだ。大方こんなことを言う人は読む努力をしていないだけなことが多かった。ゼミあたりでちょっと学者の名前を出して話をした途端に、「難しいことを言うな」と怒られた記憶があるけど、素直に知らないこととして聞いてくれ、と思ったことがある。

話がずれてしまいました。ともあれ、この本に書かれていることは、研究の入り口をどうやって見つけたのか、どうやって研究をしたのか、また、「教育するのは好きではない」といいつつ、やっぱり人を育てるときのスタンスなどなど、もしかすると、研究者、教育者としての(もちろん古き良き時代のものだけど)、日髙先生が心がけていたことが書かれている。

「仮説を立てて、実際に調べてみる。
 具体的なことがわかってくると、だんだん一般にあてはまる理屈が見えてくる。
 行動から見ようと思ったのではなく、なんであそこを飛ぶんだろう、なんでこっちを飛ばないんだろう、という、きわめて具体的な疑問が始まりだった気がする。
 動機はそういうふうに具体的でないと、どうもあとがうまく続かないのではないか。具体的に見なければダメだと、ぼくは強く思っている。
 環境学もそうだと思う。
 ぼくが地球研(総合地球環境学研究所)の所長時代に、「イデオロギーや思想、システムといった大きいとこから話をしがちだが、ひとつひとつの具体例の積み重ねでしか環境問題は動かないものだ」とよく話した。
 具体例をいっしょうけんめい見ていくと、やがて一般解にいたる。
 一般解ができると、今度はそれにあてはまらない変なヤツが出てくるから、それをまた調べていくと、その答えがわかって、また話が広がっていく。」(17-18、強調は清水)

一応、「地球研」という枕がついているけど、基本的には「ひとつひとつの具体例」しかない。詳しく調べれば調べるほど、そこに通底する原理原則というのが怪しく思えるわけで、ほんのちょっとしたことに気が付くまでに時間がかかる。そして、これはとても地道な作業。でもそれでも続けるのは、

「ぼくも生物学者のひとりだが、生物学が好きなのではなくて、生物が好きなのだ」(96)

ということ。でも、人類学の場合は、「人類学」が好きな人が多いし、なんとなく自分でもそう思う。まだ愛おしいとは行かないけど、「人類」ではなくて、「人類学」を語ることにも少しずつ意味があるように思えてきているので。

ともあれ、ちょっと長いけど、さらに引用します。

「世界を構築し、その世界の中で生きていくということは、そのいきものの知覚的な枠のもとに構築される環世界の中で生き、その環世界を見、それに対応しながら動くということであって、それがすなわち生きているということだ。
 それぞれのいきものは、何万年、何十万年もそうやって生きてきた。人間はまた全然別の環世界をつくって、その中でずっと生きてきた。
 環境というものは、そのような非常にたくさんの世界が重なり合ったものだということになる。それぞれの動物的主体は、自分たちの世界を構築しないでは生きていけない。
 読んだ時から、その本に書いてあることは、その通りだ、当たり前だと思っていた。しかし当時の世の中はそうではないとされていて、ユクスキュルのいっていることを非常に否定的に引用する学者もいた。
 このことは、おおげさにいえば、戦後思想史とかかわりがあると思っている。戦後の進歩主義がいかに単純なものであったことか。
 ぼくも含めて時代は長くそれにのっていたわけだが、それでもユクスキュルの本のことはずっと忘れられずにいた。
 ぼくにしてみれば、それはずいぶん本質的な問題だった。
 人間は人間の環世界、すなわち、人間がつくり出した概念的世界に生きている。人間には、その概念的世界、つまりイリュージョンという色眼鏡を通してしか、ものが見えない。
 そう考えると、そのイリュージョンの世界を、人間自身がどう見ているかということを、我々人間はもっと真剣に考えなくてはいけないと思うようになった。」(110-112)

生物学者としての日髙先生らしいたとえだけど、異文化に暮らす人間がつくる環世界というあたりは、僕らも大いに共感を覚える。きっとこのあたりが、一般論になりうるのだろう。しかし、この世界が人によって見え方が違い、ゆえに理解も異なることを、さも一つの普遍的世界があるように論理をくっつけるのが僕ら研究者の仕事。そんなことをして何になるのだろう…と微かな疑問を喚起される。しかし、日髙先生の教育論、つまり、「教えない」ということ、きっと年齢や経験の多寡を外して、それぞれ個の成り立ちから生まれるモノゴトの捉え方に耳を傾ける、そんなところにもつながっているように思った。




2015年5月18日月曜日

調査予定(6月1日~6月28日)

今年は学会発表は軽めで、アフリカ教育研究フォーラムとアフリカ学会のみです。5月23日~24日のアフリカ学会が終わると、翌週末からは調査…というか、プロジェクトの用務のために出張です。

日程は、フランスに4日、セネガルに10日、ブルキナファソに12日、これくらいの日程だったと思います。

フランスでは、今年度内に予定しているセミナーの手配、セネガルもプロジェクトのロジで調査などせいぜい数日間。でも、セネガルでは数日間のフリーの時間は少しは調査を進めたいところ。まあ、こちらはちょっと難しいかもしれません。12日にブルキナに転戦するものの、今のところ、6月18日ころからラマダン(断食)が始まるので、それまでが今の調査の続きをしたいと思っていますが、ほとんどイスラーム関係の調査はできないのではないでしょうか。なので、後半はカセーナ(南部)やバム県(北部)の調査にしようかと思っています。

地図にしてみたけど、それにしてもすごい移動距離。パリ⇒ダカール(6時間)、ダカール⇒ワガドゥグ(2時間)、ワガドゥグ⇒パリ(6時間)、日本⇔パリ(往復23時間)、トータルで37時間?!毎回こんなに掛かっているのか…文字にしてみるとすごいな。

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2015年5月14日木曜日

続(小声で)ダイエット

のんびりダイエット、何とか続いてます。飲み会の時以外は基本的に夜の炭水化物抜き。

あんまりストイックにやるとしんどくなるので、体重は測らないことにしました。なんで、減ってんだかどうだかわからないけど、この時間になるとちゃんと空腹になる。朝はお腹が空いて起きるので、寝起きもチャチャッといろんなことが進んで、生活のメリハリが出来てきたように思います。もちろん、空腹感はしんどかったのですが、少しずつ慣れてくると、割と不快感はなくなってくる。

先日購入した愛車も、その後乗り回しているのですが、サドルをハンドルともに高くできないことがわかり、ちいと窮屈ですが、新しいというだけでテンションは上がってます。行き帰り、少し汗ばむくらいで、まあまあ楽しく通勤してます。これは2個目の変化です。

それで、しばらく忙しさに感けて、おカネだけを払っていたジムにも今日から復帰。もう3か月半ぶりくらいかな…もったいない…もっと動けないかな、と思ったけど、身体が少し軽い感じで、意外に泳げたし、お風呂はとても気持ちいいし。これが第3弾。まあ、食事の変化以外は元々やってたことを戻した感じ。どちらにせよ、時間もかかることだし、今までやってたことをもう一度戻して、それでもダメならまた考えましょう。

うちの研究所はとても広くて、自宅と職場の往復、喫煙所の往復で、7000歩くらいは歩ける。時々、行き帰り徒歩、ということで安心していました。でも、やっぱりここまで身体を軽く感じるのは、何年振りくらいだろう。少しは健康に近づけている気がするのだけど。数字は後からついてくると信じましょう。

でも、心配なのはアフリカ調査中の食事。朝≧昼>夜、で行きたいんだけど、夜に炭水化物以外って、サラダくらいしかないんだよな…ここは少し考えなければ。

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感想文:大山修一2015『西アフリカ・サヘルの砂漠化に挑む ごみ活用による緑化と飢餓克服、紛争予防』昭和堂



(本書でも紹介される半月耕法、Tigo Zeno, Niger) 


当初の予定では、GW中に読み終わる予定だった、大山修一『西アフリカ・サヘルの砂漠化に挑む ごみ活用による緑化と飢餓克服、紛争予防』、やっと読み終わりました。大山先生は僕の現在の所属先のメンバーでもあり、自分の仕事にも強く関わりのあるテーマなので、メモと感想を書き記しておこうと思います。

最初から雑駁ですが、常々思うのですが、(人文)地理という領域は恐ろしいです。データの緻密さや文理の手法や知識を縦横無尽に使いこなす図太さ。人類学はどのように差異化できるか?というのは、色気を出しすぎでしょうか。

ともあれ、サーヘルという土壌が貧弱になってしまった(砂漠化した)エリアにおいて、人びとは様々な形で収入を増やそうと努力する一方で、いかに収量を上げるかと言う点に血道をあげているか、ということが本書の一貫したテーマだと思います。

中でも本書で僕の目を惹いたのは、2点あります。大きく分けて、①「第7章、第8章のゴミを畑に撒くことについての観察と実験」、②「第9章、第10章の農耕民と牧畜民の紛争とその解決」の部分です。

①ゴミを畑に撒くことについての観察と実験

堆肥や厩肥ではなく、「ゴミ」を畑に撒くというのはなかなか聞かないと思う。もちろん、こうした有機物を撒くのが原則なのだが、ハウサ社会では、1970年代くらいからこうした取り組みが行われているといいます。ここで着目されるのが、シロアリの働き。

「村びとが畑に投入する肥やしにはビニール製品や鉄製品など難分解性のごみが混入していた。このような廃品にひか見えない物品でも、人びとは「十分に肥やしになる」と説明する。これらの廃品は直接、シロアリの餌になるわけではなく、雨水や乾燥に弱く、鳥類やクロアリなどの捕食者の多いシロアリの住み処を提供していたのである。シロアリがごみに群がり、有機物を取り囲むシェルターと、そこに通じるトンネルをつくることによって、多くの孔隙が固結層につくりだされ、透水性が高まっていたのである(大山・近藤2005)」(169-170)

とこんな仕組みを大山先生は見出します。「そこにあるもので、なんとかする」という、アフリカの人たちらしい取り組み。僕も自分が調査していたニジェールの村でのことを思い出します。水食が起こった畑に生活ゴミで埋めていて、たしかにその部分は作物の生育が良かったようです。しかし、果たしてこれが一般化できるのか。大山先生は、そのことを実験することになります。村の中に柵を張り、プロットを分けて、撒くゴミの量を調節してその土壌水分や養分量を調べます。

「(第8章での圃場実験の結果)、都市ごみの無投入区であるプロット1と、都市ごみを投入した4つのプロット(プロット2~5)における深さ5cmの土壌水分を比較すると、10kg/㎡以上の都市ごみを投入した3つのプロット(プロット3~5)では、無投入区(プロット1)よりも土壌水分が高くなった(図8-7a)。
 しかし、5kg/㎡のごみを投入したプロット2では、逆に無投入区(プロット1)よりおも土壌水分は低かった。つまり、ごみを少量だけ投入したプロットでは、ごみの投入によって雨水の新党は促進されず、10kg/㎡以上のごみを投入した場合には、雨水が地中に浸透しやすくなり、土壌中の水分が増加していた。この傾向は、土壌深20cmの土壌水分量でも、同じであった(図8-7b)。」(200)

こんな結果を報告されます。つまり、ある程度ゴミを撒くとその畑は水分量が維持され、養分量も何年かの間は改善されるというものです。つまり、それなりの効果があることを示します。

②農耕民と牧畜民の紛争とその解決

一方で、家畜のエサと家畜糞を巡って農耕民と牧畜民の間にはしばしば紛争が起こります。これは西アフリカの乾燥地ではよく耳にします。エサを得る機会が最も減るのは、作物の収穫期。作物の収穫を前に、作物が家畜に食べられてしまうことを農耕民は当然気にします。よって、人口圧によって、休耕地を維持することができなくなったサヘルの農耕民は、家畜の畑への侵入を厳しく規制します。逆に牧畜民はエサを求めてより遠くに行きます。

ところが、収穫が終わると、畑はオープンスペースとなりますが、今度は特に豊かな農耕民は翌年以降の収量増加を狙い、牧畜民に家畜を自分の畑につないでもらう契約をします。こうした互恵関係があった…(きっとこれは理想形だった)。それを次のように述べます。

■農耕民(ハウサ)と牧畜民(フルベ)の協働
野営契約(農耕民の収穫後の畑に牧畜民がその家畜をつなぐ契約。家畜糞を畑に落とすことにより、農耕民が牧畜民に謝礼を払う)

「「乾季のあいだは友人(アボキ)どうしだが、雨季になると敵(マキイ)になる」(ハウサ)…
しかし、農村社会の内部に視点をうつせば、この野営契約という伝統的な慣行が世帯間の経済的な格差を拡大させている。つまり、富める者は多くのトウジンビエを収穫し、貧しいものは作物収量の低下に苦しむという、多くの村びとが飢餓に困窮する元凶をつくりつづけているのである(大山2012)。」(227)


■農耕民(ハウサ)と牧畜民(フルベ、トゥワレグ)の紛争
「ニジェール南部の人口稠密地域で、農耕民と牧畜民の衝突が増えていること、その原因が雨季における作物の食害にあることを第9章で述べた。この地域の安定のためには、農耕民と牧畜民の武力衝突を避ける必要があり、そのためには少数派の牧畜民の生業を安定化させる必要があると、ターナーは主張している(Turner et al. 2011)。」(237)

そして、第10章は大山先生ご自身が、フィールドのそばのドゴンドッチ市のごみを収集することをドゴンドッチ市と契約するという話。その目的は、「①ごみを収集し、ドゴンドッチ市の町なかを清掃すること、②そのごみをつかって荒廃地を緑化すること、そして、③その緑地をフルベやトゥアレグの牧夫に開放し、農耕民と牧畜民の衝突を回避する」(240)ことである。

そして、大山先生はトラックを借り、ドゴンドッチから村にゴミを運び、柵を張った畑に散布します。すると、実験どおり、雨季の終わりには草や作物が茂り、雨季の終わりの家畜のエサを得にくい時期に牧畜民はそこで放牧し、その間は農耕民も家畜に作物が食べられてしまう脅威におびえる必要はないという循環が起きます。
………

特に、ゴミの話は、学会で初めてこの話を聞いたときは、耳を疑いましたが、いざ話を伺えば、その知恵や手法は実に興味深いモノでした。しかし、農学やエコロジーな観点からこれがベストな方法ではないのは明らか。無機物が分解されたときに、何か人体に影響を与えそうな気がするし、これはそれほど間違っていないでしょう。なのでおそらく農学者や環境学者、エコロジー思想を持った人は諸手を挙げて賛成される方は極々わずかでしょう。しかし、僕はこの着目点はもっと評価されるべきだと思っていて、それは、地道なフィールドワークで観察され、驚き、それを実証する、という、科学者としての当然の、かつ、とてもシンプルな営みが、価値観のバイアスを極力排除した中で行われている様がよく見えるからです。僕は、これを科学者の正しい目だと思います。

そして、この本を読んでいると、大山先生の調査の様子が手に取るように分かります。民族誌書きとしては、これも本当に勉強になるところです。調査、実験の意図、そのときの制限が本論の本質的議論にちゃんと埋め込まれている。地道に調査・実験を重ね、緻密に記述されているために可能だったことだと思います。

僕はニジェールでは、農村のクルアーン学校の調査や篤農家の調査をしてました。確か2012年は播種してすぐにバッタ害にあって、ずいぶん大変な年だったと記憶しています。あの年は収穫も少なくて、かなりの人が困っていましたが、この本を読んで思い出したのは、「今年は“いつもより早く”出稼ぎに行く」と言っていた人が多かったこと。少し読み込みすぎかもしれないけど、すでに出稼ぎは一年の生活パターンに染み付いていて、いつもより余計に稼ぎたい、自分の食事は家以外でとる(自分の口を減らす)という要素が行動決定要因になっているのではないか、ということ。本書では、食料をいかに増産するか、というところに着眼点があるので、批判とか注文というわけではないですが、こうした社会的な要素を加味しながら考えるとより面白く感じます。


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2015年5月12日火曜日

ブログのリニューアル



ブログ、リニューアルしました。ラベルを整理して、30まで減らして、はみ出ていたトップの写真を変えてトリミングしました。背景は空から田園風景に。この辺もちゃんとカスタマイズできるといいのですが、とりあえずこんな形にて。ちなみに写真は、ブルキナファソ中部に住む、レレという民族の家の中の家事道具です。配置や光の加減が素晴らしくて、最近のお気に入りの写真です。

フォントなんかもいじったのですが、なんかおかしなところがあったら教えてください。しばらくはこんな感じでいきます。

いろいろいじったら半日くらいかかってしまった…いやはや。

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ブログの掃除

いつも連れ合いには怒られますが、僕は生来の掃除嫌い。ゴミ屋敷を作るほどにはきらいではないですが、捨てられない、気を利かせていろんなものは用意するのだけど、使わなかったらそのまんま。まあ、わかっちゃあいるのです。

数ヶ月前から研究室の机周りはかなり断捨利しました。ファイリングをして、要らない箱やダブりの資料を捨て、たぶん近々には読まないだろう資料をPDF化して、本を項目別に並べ替えて…少し油断するとすぐにゴチャッとなりますが、とにかくワークスペースはかなり広くなって、仕事は格段にはかどるようになりました。

それで、ブログ。備忘録、少し考えたことをぶちまけたり、読んだ本のメモにも使っているので、いまや、これもなくてはならない媒体。しかし、ブログも今見返したら「ラベル」が50近くありました(左の写真)…全く整理できてないですね。見にくい、というか醜い。今、少し整理してようやく41ラベル。フィールドノートのメモを国別にしてしまって、ニュースのまとめもそちらにカテゴライズ、と考えています。

本当は、このラベルもサブ項目とかが作れるといいのだけど、そういう昨日はないみたいなので、その辺は仕方なし。でも、少しこちらもダイエットしないと。

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2015年5月11日月曜日

白浜旅行②

さんざん魚とお風呂を堪能して、翌朝は早く起きてお散歩。「白良浜(しららはま)」と書く。うちの近くにも、雲母坂(きららざか)という坂があるけど、音が似ているだけで、全く関係ない。おそらく人口の砂浜だけど、非常に白い。夏は若い人も多いそうだっし、きっとキラキラしているところなのだろう。そういうキラキラにも興味はあるけど、もう我われもいい年になって、こんなところに来ると、食い気と言い訳程度の観光地めぐりの方に興味が向く。


前日の円月島に続き、自然の景勝地を訪問。三段壁(さんだんべき)。


絶景です。絶景すぎて少し怖い感じすらします。



ここには、エレベーターがついていて、下に降りられます。36m下には、昔、熊野海軍の隠し舟屋があります。鉛鉱山としても使用されていたよう。この地域、雑賀衆の鉄砲が有名ですが、おそらく鉄砲の弾の原料にもなっていたことでしょう。そして、海面近くから見る洞窟の中というのもなかなかの見もの。 エレベーターに乗るだけで1300円も取られますが、まあ、仕方ないところでしょうか。




上に上がって今度は千畳敷へ。 地層の分かる人ならもっと楽しめるのでしょうが、まあ、絶壁が続きます。


それで、何箇所かこんな看板が立っています。それとか、遺書を掘り込んだ岩があったり。戦没者と自殺者が一緒に祭られている碑が立っていたり…引き寄せられてしまうのでしょうか。


そうこうしているうちにお昼も近くなり、宿に荷物をピックアップしに行って、再度「とれとれ市場」へ。前日にBBQができることを確認していたので、お土産を買いつつ、最後の魚を。エビ、鮎(なぜ?)、大アサリ、いいだこを焼き、お刺身を堪能。


1泊2日、もちろん時間はあまりなくて、帰る道々で2泊3日だとよかったね~などといいながら、後ろ髪を引かれましたが、凝縮して美味しいものを食べて、きれいな景色を見、いいお風呂に入って、すっかりリフレッシュ(だいぶ疲れもしましたが)。

こうして、日本の行ったことのないところを訪れると、ずいぶんいろんなことが分かります。もちろん、美味しいものがあり、いいお風呂があり、というところがいいのですが。フィールドワークではないので。でも、今回のように、南方熊楠の話など、ここに来なければ再会できなかったかもしれません。とてもいい休日でしたが、もっといろんなところを歩きたいな、とも思わされます。


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2015年5月10日日曜日

白浜旅行①

ゴールデンウィーク、唯一のお楽しみ。一泊二日で南紀白浜へいってきました。まだ行ったことがなかった和歌山に行くことと、なんと言っても海の幸を堪能しに行くこと。とにかく短い時間なので、初日のお昼には白浜に着いていたい。そうすると、その日は朝5時前起き…眠い目をこすりながら電車に乗り込み、11時前に白浜に到着。



車窓もすばらしい。緑が萌え、次第に海が見えるようになります。風力発電機が多いのが印象的です。



11時ちょっと前に白浜到着。観光案内所で地図をもらい、一日の予定を相談。駅からほど近くに「とれとれ市場」という施設がある。お昼をそこにすることに決めて、さっそくバスに乗り込む。10分ほどで到着。


中は魚屋さんやら珍味屋さんがたくさん。イケスがあったり、魚欲はますます高まります。ブラブラしながら…というよりも試食を回りながら、食欲をさらに高めて、外の出店でまずはアントレ。エビ+サザエ+カツオ。


そして、メインはお寿司。ちいとシャリがべたついていたのはご愛嬌ですが、ネタは大きく、タイはコリコリ、ハマチやらエビは甘い。とりあえず来た甲斐があった…


お昼過ぎに宿に移動。少し早かったので、20分ほど歩いて南方熊楠記念館へ。途中、このあたりの絶景ポイント、円月島を通過。少し浜辺に降りてみると、水は透きとおり、浜辺も美しい。引き潮で水の残った岩には岩のスキマに小さなウニがびっしり。「豊か」、そんな風な言葉がピッタリな海。



歩いて20分、半島の突端にある、南方熊楠記念館に到着。何度か伝記などで触れた程度で、南方についてはさほど知識があったわけではないので、いちいち感心することが多かった。南方の民俗学的な知識や生物学的な知識に基づいたエコロジーの精神。地球研のフィロゾフィーに強く通ずる予感のする人物。


記念館は半島の先端にあり、その道は緑豊かな庭園になっていた。





記念館の屋上からの景色。南国感がありますね。


ずいぶん歩いたので、記念館からはバスに乗り、民宿「しらら」に帰る。大きな湯船にドボン。少しゆっくりして晩御飯。今回は、とにかく料理!ということで、選んだだけに、こんな感じ。ひらめのお造りはプリップリ。


実はこの後、小料理屋をハシゴしましたが、写真はなし。だけど、そこで出してもらった「もちがつお」、「太刀魚」はとにかく旨かった~。

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