2015年5月14日木曜日

感想文:大山修一2015『西アフリカ・サヘルの砂漠化に挑む ごみ活用による緑化と飢餓克服、紛争予防』昭和堂



(本書でも紹介される半月耕法、Tigo Zeno, Niger) 


当初の予定では、GW中に読み終わる予定だった、大山修一『西アフリカ・サヘルの砂漠化に挑む ごみ活用による緑化と飢餓克服、紛争予防』、やっと読み終わりました。大山先生は僕の現在の所属先のメンバーでもあり、自分の仕事にも強く関わりのあるテーマなので、メモと感想を書き記しておこうと思います。

最初から雑駁ですが、常々思うのですが、(人文)地理という領域は恐ろしいです。データの緻密さや文理の手法や知識を縦横無尽に使いこなす図太さ。人類学はどのように差異化できるか?というのは、色気を出しすぎでしょうか。

ともあれ、サーヘルという土壌が貧弱になってしまった(砂漠化した)エリアにおいて、人びとは様々な形で収入を増やそうと努力する一方で、いかに収量を上げるかと言う点に血道をあげているか、ということが本書の一貫したテーマだと思います。

中でも本書で僕の目を惹いたのは、2点あります。大きく分けて、①「第7章、第8章のゴミを畑に撒くことについての観察と実験」、②「第9章、第10章の農耕民と牧畜民の紛争とその解決」の部分です。

①ゴミを畑に撒くことについての観察と実験

堆肥や厩肥ではなく、「ゴミ」を畑に撒くというのはなかなか聞かないと思う。もちろん、こうした有機物を撒くのが原則なのだが、ハウサ社会では、1970年代くらいからこうした取り組みが行われているといいます。ここで着目されるのが、シロアリの働き。

「村びとが畑に投入する肥やしにはビニール製品や鉄製品など難分解性のごみが混入していた。このような廃品にひか見えない物品でも、人びとは「十分に肥やしになる」と説明する。これらの廃品は直接、シロアリの餌になるわけではなく、雨水や乾燥に弱く、鳥類やクロアリなどの捕食者の多いシロアリの住み処を提供していたのである。シロアリがごみに群がり、有機物を取り囲むシェルターと、そこに通じるトンネルをつくることによって、多くの孔隙が固結層につくりだされ、透水性が高まっていたのである(大山・近藤2005)」(169-170)

とこんな仕組みを大山先生は見出します。「そこにあるもので、なんとかする」という、アフリカの人たちらしい取り組み。僕も自分が調査していたニジェールの村でのことを思い出します。水食が起こった畑に生活ゴミで埋めていて、たしかにその部分は作物の生育が良かったようです。しかし、果たしてこれが一般化できるのか。大山先生は、そのことを実験することになります。村の中に柵を張り、プロットを分けて、撒くゴミの量を調節してその土壌水分や養分量を調べます。

「(第8章での圃場実験の結果)、都市ごみの無投入区であるプロット1と、都市ごみを投入した4つのプロット(プロット2~5)における深さ5cmの土壌水分を比較すると、10kg/㎡以上の都市ごみを投入した3つのプロット(プロット3~5)では、無投入区(プロット1)よりも土壌水分が高くなった(図8-7a)。
 しかし、5kg/㎡のごみを投入したプロット2では、逆に無投入区(プロット1)よりおも土壌水分は低かった。つまり、ごみを少量だけ投入したプロットでは、ごみの投入によって雨水の新党は促進されず、10kg/㎡以上のごみを投入した場合には、雨水が地中に浸透しやすくなり、土壌中の水分が増加していた。この傾向は、土壌深20cmの土壌水分量でも、同じであった(図8-7b)。」(200)

こんな結果を報告されます。つまり、ある程度ゴミを撒くとその畑は水分量が維持され、養分量も何年かの間は改善されるというものです。つまり、それなりの効果があることを示します。

②農耕民と牧畜民の紛争とその解決

一方で、家畜のエサと家畜糞を巡って農耕民と牧畜民の間にはしばしば紛争が起こります。これは西アフリカの乾燥地ではよく耳にします。エサを得る機会が最も減るのは、作物の収穫期。作物の収穫を前に、作物が家畜に食べられてしまうことを農耕民は当然気にします。よって、人口圧によって、休耕地を維持することができなくなったサヘルの農耕民は、家畜の畑への侵入を厳しく規制します。逆に牧畜民はエサを求めてより遠くに行きます。

ところが、収穫が終わると、畑はオープンスペースとなりますが、今度は特に豊かな農耕民は翌年以降の収量増加を狙い、牧畜民に家畜を自分の畑につないでもらう契約をします。こうした互恵関係があった…(きっとこれは理想形だった)。それを次のように述べます。

■農耕民(ハウサ)と牧畜民(フルベ)の協働
野営契約(農耕民の収穫後の畑に牧畜民がその家畜をつなぐ契約。家畜糞を畑に落とすことにより、農耕民が牧畜民に謝礼を払う)

「「乾季のあいだは友人(アボキ)どうしだが、雨季になると敵(マキイ)になる」(ハウサ)…
しかし、農村社会の内部に視点をうつせば、この野営契約という伝統的な慣行が世帯間の経済的な格差を拡大させている。つまり、富める者は多くのトウジンビエを収穫し、貧しいものは作物収量の低下に苦しむという、多くの村びとが飢餓に困窮する元凶をつくりつづけているのである(大山2012)。」(227)


■農耕民(ハウサ)と牧畜民(フルベ、トゥワレグ)の紛争
「ニジェール南部の人口稠密地域で、農耕民と牧畜民の衝突が増えていること、その原因が雨季における作物の食害にあることを第9章で述べた。この地域の安定のためには、農耕民と牧畜民の武力衝突を避ける必要があり、そのためには少数派の牧畜民の生業を安定化させる必要があると、ターナーは主張している(Turner et al. 2011)。」(237)

そして、第10章は大山先生ご自身が、フィールドのそばのドゴンドッチ市のごみを収集することをドゴンドッチ市と契約するという話。その目的は、「①ごみを収集し、ドゴンドッチ市の町なかを清掃すること、②そのごみをつかって荒廃地を緑化すること、そして、③その緑地をフルベやトゥアレグの牧夫に開放し、農耕民と牧畜民の衝突を回避する」(240)ことである。

そして、大山先生はトラックを借り、ドゴンドッチから村にゴミを運び、柵を張った畑に散布します。すると、実験どおり、雨季の終わりには草や作物が茂り、雨季の終わりの家畜のエサを得にくい時期に牧畜民はそこで放牧し、その間は農耕民も家畜に作物が食べられてしまう脅威におびえる必要はないという循環が起きます。
………

特に、ゴミの話は、学会で初めてこの話を聞いたときは、耳を疑いましたが、いざ話を伺えば、その知恵や手法は実に興味深いモノでした。しかし、農学やエコロジーな観点からこれがベストな方法ではないのは明らか。無機物が分解されたときに、何か人体に影響を与えそうな気がするし、これはそれほど間違っていないでしょう。なのでおそらく農学者や環境学者、エコロジー思想を持った人は諸手を挙げて賛成される方は極々わずかでしょう。しかし、僕はこの着目点はもっと評価されるべきだと思っていて、それは、地道なフィールドワークで観察され、驚き、それを実証する、という、科学者としての当然の、かつ、とてもシンプルな営みが、価値観のバイアスを極力排除した中で行われている様がよく見えるからです。僕は、これを科学者の正しい目だと思います。

そして、この本を読んでいると、大山先生の調査の様子が手に取るように分かります。民族誌書きとしては、これも本当に勉強になるところです。調査、実験の意図、そのときの制限が本論の本質的議論にちゃんと埋め込まれている。地道に調査・実験を重ね、緻密に記述されているために可能だったことだと思います。

僕はニジェールでは、農村のクルアーン学校の調査や篤農家の調査をしてました。確か2012年は播種してすぐにバッタ害にあって、ずいぶん大変な年だったと記憶しています。あの年は収穫も少なくて、かなりの人が困っていましたが、この本を読んで思い出したのは、「今年は“いつもより早く”出稼ぎに行く」と言っていた人が多かったこと。少し読み込みすぎかもしれないけど、すでに出稼ぎは一年の生活パターンに染み付いていて、いつもより余計に稼ぎたい、自分の食事は家以外でとる(自分の口を減らす)という要素が行動決定要因になっているのではないか、ということ。本書では、食料をいかに増産するか、というところに着眼点があるので、批判とか注文というわけではないですが、こうした社会的な要素を加味しながら考えるとより面白く感じます。


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