2011年7月26日火曜日

やっと…

出張の書類とレポートが終わった…領収書の処理で手こずって、またいろいろと修正があると思うけど、とりあえずこれで一段落。

自分の研究もまだまだそうだけど、となりの国に行っただけで、何も知らないせいで、金縛りにあったようにほとんど動けなくなってしまう。知らないことで、質問が的外れになって、聞かなくてもいいことまで聞かなくてはダメになる。急に決まったので、仕方ないといえば仕方ないのだけど、となりのことくらい、少しは勉強しようと思った。ザルマのこと、まずは知ることから始めよう。

次回のニジェールは10月ころ。向こうの人によれば、「暑い」時期だとか。日本が涼しくなっているので、少し気分は萎えるが、次回は前回より楽しく過ごせますように。

2011年7月10日日曜日

Foula Foula

ニアメの街で時々みかける(デザインは微妙に違うのだが…)看板。さて、どういう意味でしょう?



ヒント:真ん中の絵。Foulaはフラニ、Amini Naはハウサで「安全第一」くらいの意味らしい。

泥沼…

あっと言う間にニジェール滞在も残り一日。結局休みらしい休みはこの1ヵ月で1日だけ。よく働いた割には書いたものが残っていない…帰国してからも結構忙しそう…








本日も、ニジェール西南部のファカラというところに出かけた。人類学者のやるような苦しい調査ではないので、車を毎回借りる(普通の調査の時はこんなことはないので…)。





今日は、朝からニアメでも大雨で、ここでも30mm強の雨が降ったという。途中、アスファルトの道路が切れるところで通行止めがあったりして、ファカラに着いたらカウンターパートのSoさんと早速半月耕法が行われた場所に出発。





しばらくすると、車が左側に傾き、とまる。雨期のアフリカではよくあること。同行のSさん、Soさんともに余裕だと。僕も別に初めてなわけではない。大丈夫…








しかし、ここはニジェール。現在仕事をしているこの地域は南西部の比較的雨の多い地域とは言え、正にサーヘル(サハラ砂漠南縁)。水を吸った砂に車の自重でどんどんと沈んでいく。





何とか引っ張り出すのに、通りかかった牛車の牛を借りたりしながら脱出を試みるが、ダメ。車の腹が完全に土にべったりつく。タイヤが浮いてしまう状態になる。





こうなったら、本格的な土木工事…ということで、車の周囲を掘り、タイヤをフリーにして、木の枝をかませての脱出を試みる。





Soさんの家族(というかお子さん)5名ほどを呼び出し、ディゲットを掘るための工具を総動員して、なんとか脱出。約4時間の攻防。みんな疲れ果て、予定は半分でも終わったのが不幸中の幸い。調査も泥沼化しそうなのだった…

2011年7月2日土曜日

忙しかったけど実り多き日々

ニジェールの記事を多く書こうと思っていたのに、ワガドゥグ2連発。

月曜日にワガドゥグに到着し、早4日。残すところあと1日になった。期間も短いし、最低限の人に挨拶をして、後はゆっくり本を読んだり、論文を書いたりしよう、と目論んでいたけど、結局動き回ることになった。もちろん、仕事の方もしっかり終わりそう(あとは荷造りがうまくいくかどうか…)で、思ったよりたくさんの人と会えたし、食べたいものも大概食べた。

昨日は、昔からの友人で、民芸品売りのアローナに会った。民芸品売りと言えば、SIAO(国際工芸品見本市)という、ワガドゥグ南部にルクセンブルグの援助でできたサロンがある。約40-50の店舗が連なり、ワガドゥグの観光名所のひとつとなっている。ここに出店する人々は国の補助を受けながら、それなりの品質の工芸品を売っているのだが、そもそも、ここに連続して出店できる期間が限られていたのに、11年も居座っている、とか。しかし、ここを出たからといって、商売をするところなど、今のワガドゥグにはない。痛し痒しである。その中で、SIAOの商人たちもなぜか(私が話を聞く限りで、その道理が理解できなかった…)蜂起する。あっという間に鎮圧されたので、これからどれだけ彼らの要求が通るのかは分からないが。

そして、本日、何の準備もしていなかったのに、大使に接見することに…本当に恐れ多いことだが、1時間半も話しこんでしまった…ただ、やはり、外交の中枢の方だけあり、裏事情を含め、今までのニュースにリアリティを吹き込んでいただいた感じがする。

今回の騒動、「騒いだもん勝ち」なのでは…と言った印象は持っていたが、最後に起こったボボディウラッソでの軍人の蜂起は、3日間にわたり、上のアローナによれば、初日は欧米系の金持ちの商店を、2日目は地元商店、3日目には、民家を襲ったという。大使によれば、業を煮やした政府は、武力をもって自国軍隊に制裁を加えた、とか。

やっぱり、どうしようもない騒ぎであったことには間違いなく、昨日書いたようなその裏っかわの問題はあるものの、なんか白けてしまった。

ただ、その中で、その日を生きている人たち、また、僕の友人たちはそこで生きていて、それが確認できたことが今回の滞在の一番の収穫だっただろうか。鬱屈とした数か月を過ごしていた友人たちが、闖入者の私のことを見て、一瞬でも笑顔になっただけでも良しとしよう。

日本の震災を心配してくれた何人かの友人と交した、「お互い大変だけど、再出発。がんばろうね。」。別にナショナルな意識はないけど、困難を共に乗り越えようとする共同体の一員として、交した言葉がなんとなくすがすがしかったりもする。

2011年7月1日金曜日

ブルキナ!

月曜日から約1週間、ブルキナに滞在中。

昨年からのプロジェクトの中断の説明の行脚のためだけど、おかげで友人たちにも生存確認ができた。新聞やらネットやらでブルキナの状況は把握しているつもりだったけど、いろいろな人に話を聞きながら、ブルキナの人が見る今回の蜂起の実情が見えてきている。

例の騒乱は終わったんだか終わってないんだか…だけど、ワガドゥグはいつも通りで、うっとおしいモノ売りや、街中が酒場と化すワガドゥグの夜を見るに、本当に、何十人もが亡くなった事件が数週間前まで繰り広げられていたことは簡単には信じがたい。戦争とか、内乱とか、もしかしたらこんなもんかも知れなくて、ある日突然訪れる争乱と「日常」の間はコインの表と裏ほどでしかないのかな、と思ってしまう。これは、「平和」な日本で生活をしている者として、なかなか理解するのが難しい。しかし、ブルキナベは、その一方で、それだけ追い詰められた「日常」を生きているとも捉えられて、たとえば、ガソリンが20円上がると仕事にも行けなくなってしまったりする。また、一番安い穀物を選んだり、いろんな意味で、選択の幅が極限まで狭められた結果なのかもしれない。

こんな闇の一面があって、でも、ワガドゥグの公共事業の進展は、もしかしたら、あの一件の前よりもずっと早く進んでいるのにも驚きを隠せない。いろんなことがありつつ、ここの国の一歩は固い、そんなことを感じさせる。ブルキナファソの国民総生産の0.5%がNGOによってもたらされており、各援助機関を含めると、何倍かになるはずで、さらにそこの外国人スタッフの個人消費を考えると、外国人がこの国にもたらす経済的影響は計り知れない。我々のプロジェクトを含め、早く共有できる「日常」がブルキナファソに戻ることを願ってやまない。

「平和がブルキナファソの最大の資源」。何人もからこの言葉を聞くが、正にその通り。次に来るのを楽しみに、見守っていようと思う。