2017年5月7日日曜日

子ども学と子育て Vol.18 動物園

初めて乗ったアストラムライン内にて
 結局体調不良で伏せがちだったGW。モノを飲み込むのがしんどいほど扁桃腺が腫れあがり、少々難儀したけど、ようやく昨日の夕方あたりによくなった。前半は福岡に帰っていた二人も広島に戻り、GW最終日は広島市内の阿佐動物園へ。

うちの近くからグリーンフェニックスに乗り、中筋でアストラムラインに乗り継ぎ、最後はバスで山を登る。大体1時間半ほど。貴一朗も飽きない程度、そんなに疲れない距離で、まあまあ悪くないロケーション。
キリンと貴一朗
入り口を入ると、猿山があり、フラミンゴの展示がある。貴一朗は割と興奮気味。でも、彼は何に興奮していたのだろう?普段、動物カードやら、絵本やらで見ている動物と目の前にいる動物が一致しているとは思えない。きっとすべて初めて見るモノ。サイズ感や、名前や、それぞれの動物の色、におい…貴一朗がどうやって動物をアイデンティファイしていくのか。 目を凝らしてみていこうと思う。

阿佐動物園、これくらいの子どもを連れていくにはなかなかのサイズ。山の中にあるので、たぶん夏の間も割と涼しいのでは(その分、冬はしんどそう…)。その分、解説が多少雑だったりしたのは少々残念なところ(僕が気づく間違いなので、アフリカ関連…)。

安佐動物園内にて
暑くもなく、寒くもなく。とても心地の良いGW最終日。何とか体調も回復して(でもなんか休んだ感覚がない…)、明日からの仕事は万全の体調で、まあ、悪くないか…(いっぱい終わってないことが…)。

2017年4月30日日曜日

子ども学と子育て Vol.17 貴一朗のカゼ

「保育園に行ったらカゼもらってくるよ~」

とか、

「保育園でもらってきたカゼで一家全滅」

という話は、お子さんをお持ちの知人からよく聞く話。ご他聞に漏れず、うちも今月はひどいことになった。4月、貴一朗が保育園に行き始めて数日後にもらってきたカゼが、最初に僕に移り、喉がイガイガ(何とか数日で終了)。かと思うと、連れ合いも喉をやられ、普通のご飯が食べられなくなり、お粥にして~。そして、一昨日あたりから、再び、僕の方に。寒気がして、やばいな…と思ったら、やはり夜中に喉が痛くて起き、昨日は数年ぶりに39度の熱。大したことはないだろう、と思い、買い物に行ったら、買い物先で動けなくなってしまい、タクシーで帰宅する、という始末…貴一朗は、と言えば、まだまだ夜中の咳と鼻水が少々。もう1ヵ月近くになる。

元気であれば、アホでOK。貴一朗が生まれた時からそう思ってきて、小さな体で夜中に咳こんで辛そうにしていると、なんだか切ない気分になる。

「代われるもんなら代わってやりたい」

意外に病弱だった幼少期に母親がよく言っていた、その言葉もよくわかる。本当にこの休み中によくなるとよいのだけど。

2017年4月29日土曜日

とはいえ…

おカネはないけど、なんかそこそこ幸せ、という虚像を作り上げようとしていること自体がどこか病的なのだけど、精神衛生上はそう思うようにしておいたほうが、間違いなく良いだろう。そうやって、病的な状態から、病の状態に移行することを防いでいるのだ。

なんて書いてみた後に、こんなことを言い始めても説得力がないけど、この1か月、貴一朗を保育園から連れて帰ってくるところから、寝かしつけまでやって、大体8時半から9時。フーッと一息ついて、10時。大体、もう使い物になるわけもなくて、少し高揚していた4月の前半は、ブログに手を出してみたりもしたけど、職場の仕事が忙しくなり、体力をある程度使い果たした状態で、この時間になると、もうパソコンなんて音楽を聴く箱にしかならない。少し慣れたからか、今日は久しぶりに手を動かしてみようと思えたので、連投してみたけど、さてさて。GW後がどうなっていることか。

やりたいこと、やらねばならないこと、ほんの少しずつちゃんとあるから、こんな気分になるのだろう。最初に戻る…なのだけど、めんどくさいので寝る。

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子ども学と子育て Vol.16 保育園その後

4月6日@広大

土曜日の午後に広大にて
保育園に行き始めてそろそろ1か月。貴一朗は少しずつ保育園にも慣れ、行きも帰りも以前のように号泣ということはほとんどなく、連絡ノートを見ても、楽しくやれるようになってきたようだ。ただ、保育園に行き始めてすぐにもらった風邪がまだ治りきっておらず、それだけが心配だ。

とりあえず僕が広島にいる限りは基本的に貴一朗の送り迎えは僕の仕事。10㎏になる貴一朗(それでも僕の10分の1程度/ということにしておく)を抱っこ紐に入れて毎朝夕20分かけて保育園に行く。これはなかなかの重労働で、最初の2週間は腰が張って、なかなかしんどかった。だけど、この往復40分は貴一朗が僕の一番そばにいる時間で、歩くのに慣れてくると、僕にとっては実に楽しいひと時。特に帰り道。保育園に迎えに行って、僕を見つけて嬉しそうにする貴一朗を抱きかかえて、途中でお気に入りの松の木のそばで少し松の葉に触らせて、鳥の声に耳をそばだててみたり、時に木陰に寄り道してみたりもする。

土曜日も午前中だけ貴一朗を預かってもらうことが多いのだけど、さすがに週6勤務はかわいそうなので、先週は迎えに行った帰りにキャンパス内の芝で少し放牧。桜の時期は終わっていたけど、青々とした芝の上をテクテク歩き、時々、落ちている小枝を拾って振り回す。狭い家の中と保育園の往復で、こんなことをいつもしてやれるわけでないので、少し罪滅ぼし。

少しずつ、貴一朗も僕ら夫婦も生活のリズムが出てきて、裁量労働制をギリギリまで謳歌していた僕の生活も、サラリーマン的なものになってきたけど、貴一朗まですでにそんな生活の型にはめ込まれようとしている。ハビトゥスというのはこうやって形成されていくのだな…とそれらしいことを考えてもみるのだけど、それにしても、1歳そこそこで保育園に預けてしまっていいのだろうか。もちろん、そういう型にはめ込まれている(かなりそこからは遠い人たちだったのだけど)夫婦ともに働こうと思うと、核家族の我われはこうせざるを得なくて、でも、まだまだ乳離れさせるのは早すぎる気がしてしまう。どこかの国の記事で、生まれてすぐに子どもを一人部屋で寝かせるらしいことを読んだけど、果たして、それで「独立心」みたいなものは早い時期に成熟するのだろか。また、成熟させる必要があるのだろうか?乳離れも、自然に、と思っていたけど、保育園に行きだしてから、そう考えていた僕まで「けじめを!」とか言い始めてしまったし…

親子ともに社会にかかわることは、つまりこういうことなので、今のところは従っておくしかないのだけど、なんかまっすぐに曳かれたレールの上に乗せてしまったな、というほんの少しの後悔を感じながら日常は流れていっている。

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2017年4月12日水曜日

藏本龍介(編)2017年3月『南山大学人類学研究所公開シンポジウム 講演録 「宗教組織の経営」についての文化人類学的研究』

講演録表紙
昨年12月に南山大学で発表したシンポジウムの講演録ができました。

これは編者の藏本さんが主催する研究プロジェクトの中間報告的な位置づけの報告書です。このプロジェクト自体は2010年ころから小さく始めていて、もう足かけ7年に渡って続けています。一昨年、小さな研究費がとれたのを契機に、この講演録でご一緒している門田さん、岡部さん、そして、ここには出てきませんが、東賢太朗さん(名古屋大学)や中尾世治さん(地球研)と言った、元気のいい若手研究者が集い、切磋琢磨してきました。僕は毎度この研究会の濃密な議論についていくのが精いっぱいで、勉強させていただいているだけですが、手弁当で始めた研究会の成果が、現物として出てくると非常に感慨深いものがあります。

しかし、これはあくまで「中間」的なもの。今年はこれを元に学会発表があり、新たな研究プロジェクトへの昇華という作業があります。振り落とされないように、頑張ってついて行きたいと思っています。

恐らく近いうちにお配りできるものが出てくるはずですので、ご関心のあるかたは、以下のURLからお申し出ください。

http://shimizujbfa.wixsite.com/shimizupage/contact

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2017年4月11日火曜日

子ども研究と子育て Vol.15 保育園に行き始める

20170330
正月よりも「新年」を感じる4月。僕は今年度も広島に残ることになったけど、うちにも少し「新年」がやってきた。貴一朗を出産する1月前まで働いていた連れ合いが仕事をはじめ、それに伴って、貴一朗が保育園に行くことになった。

「保育園落ちた日本死ね」というのが流行語になり、我われも我がことのように戦々恐々とした。しかし、当時はまだ連れ合いの仕事が決まっておらず、面接のときには、かろうじて大学職員用の保育園に一時保育をお願いすることができたけど、仕事先の試験では子どもを連れてきてはいけない、と言われる。そもそも、企業なりのやり方がまったく子育てに優しくない、「日本死ね」の意味が身に染みてわかった。

ともあれ、本当に幸運にも、僕の職場の建物から徒歩圏内の認可保育園に決まり、貴一朗は今月から保育園に行くことになった。1歳1か月。連れ合いともども、実はとてもとても切なくて、もう少しそばで育てたいと切に思う。だけど、うちのこれからのことを考えると、どうしても連れ合いも働かねばならないし、本人のキャリア的にも働いたほうが良いのは間違いない。

他方で、アフリカの社会に思いを馳せると、実は、保育園など、アフリカの村では無縁で、これは間違いなくアフリカの大家族制があるからである。日本でも2世帯、3世帯で暮らしているところは、本当は保育園というのはいらないのではないか?日本の保育園というのはご存知の方も多いと思うが、「教育機関」ではない。「保育」するところなのだけど、昨今の保育園はずいぶんと「教育」をしようとするところが多くなっているようだ。「教育」は社会化を促す営みであるのは間違いなくて、それは家族内であっても、より他者性の強い保育園の場であっても、(母)親以外の人に接する場があればよいように思うのだけど、それゆえに、何か、家族の中で育ててあげたい気がする。

朝、貴一朗を保育園に送り届けると、彼は僕の足にすがって号泣する。そのうち慣れるよ、と思いつつ、「ごめんな…」とつぶやきながら研究室に向かう…毎日遅い昼飯を食べると、あとは、貴一朗を迎えに行く時間から逆算して怒られない程度の仕事をして、貴一朗を迎えに行く。保育士さんに涙目で抱っこされている貴一朗が僕の姿を認めると、ぴたりを泣き止んで、体を乗り出す。普段は暴れる抱っこ紐に入れられるときも、この時ばかりはおとなしい。10㎏になる体重をすべて預けて、帰り道をゆらゆらと歩いて、帰る。今までもあらん限りの時間を使って愛情を注いできたつもりだけど、保育園に切り取られた時間分の愛情を注がなければならないような強迫観念にも駆られてしまう。きっと家族に預けておけばそんな思いもしないのだろうな…と、保育園に行かせることが、何かを失っているような気までしてきてしまう。

過保護…ですかね…

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2017年4月4日火曜日

オマール・カナズエ その1 はじめに

http://www.africansuccess.org/docs/image/Kanazoe-Oumarou_3.jpgより
Oumarou Kanazué(ウマルゥ・カナズエ 1927~2014)。ブルキナファソに少しいたことのある人なら聞き覚えのある名前ではないでしょうか。ブルキナファソきっての富豪で、同国おそらく最大の建設会社を一代で築き、私財を投じて多くのインフラを整備した、ブルキナファソの英雄の一人です。

写真からもわかるとおり、カナズエ師は敬虔なムスリムで、彼の偉業のチャリティの部分は少なからずイスラームの教えに基づいたものだったと考えられます。残念ながら、3年ほど前に他界してしまいましたが、今でもブルキナファソの至る所に彼の名を冠した建設物があり、多くの人びとの記憶に残っている存在だと言えるでしょう。

突然、なぜ彼のことを書こうと思ったかというと、現在の研究テーマのいくつかを考えるとき、実は結構な頻度で出てくる名前だったため、少し新聞記事でも集めて読んでみようと思ったことがきっかけです。研究テーマというのは、ブルキナファソのイスラームや歴史のことなのですが、以前からいろんなところでカナズエ師のことがでてくるのです。もちろんずいぶん前から名前は知っていたし、なんとなくその功績も知っていたのですが、いずれも断片的なもので、少し詳しく調べてみようと思い、Webで集められるだけの新聞記事を切り抜いてみました。もちろんカナズエ師の伝記を書くわけではないので、かなり限定的になりますが、ブルキナファソを知るうえで非常に重要な人物の一人ですので、情報をシェアできれば、と思っています。

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子ども研究と子育て Vol14 食について

貴一朗が1歳と3か月目に入り、日々いろいろなことができるようになっていくのですが、中でも、食事の変化は本当に目まぐるしい。つい年明けくらいまでは、お粥を喜んで食べていたのに、最近では、大人と同じようなコメを食べられるようになったばかりか、食べたことがないもの、親が食べているものに、ずいぶん興味を示すようになりました。

三つ子の魂百まで…もしこれが本当なら、今の時期にいいものを食べておいてほしい、と思い、出汁だけは結構な値段のするものを使っているし、できるだけ自分たちで作るように(何を食べさせているかわかるように)しています。一時期は居酒屋をやることを本気で考えたのに、最近では、自分の料理のレパートリーの少なさを嘆くばかり…つまみならそこそこ作れるけど、ちゃんとした食事は意外に作れない。そして、刺激物を控えていると、全部あまっからい味付けになるという…いかに辛さで味をごまかしていたか…

そんなこんなで、昨日あたり、ちょっとネットで貴一朗と同じくらいの子が何を食べているのか、というのをネットで検索。カレーやらコショウやら、今まで控えていたものが意外に食べられるらしい…少しホッとしたけど、それでも、やはり辛い物はダメだし、ポーションが大きいとすぐに吐き出してしまうので、相変わらず貴一朗の食事は繊細であることは間違いない。

そんな中、土井善晴さんのインタビュー記事にこんなフレーズが載っていた。

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家庭の料理には教育機能が備わっています。たとえば、子どもがお母さんに料理を作ってもらうとき、一回の食事だけでも膨大な情報がやり取りされています。子どもは野菜を切ったり炒めたりする音を聞き、その匂いを嗅ぎ、食べて「おいしい」「今日のみそ汁はしょっぱい」と味の感想や違いを言ったりする。
意識していなくても子どもは食べる経験を通してたくさんのことを教わり、親からの愛情を受け取っている。その繰り返しが情緒を育みます。…
作る側と食べる側。料理にはこの両面があります。作り手が気を張って手間暇かけた料理を出すよりも、「今日はこれしかないからごめんね~」と笑って出してくれる料理のほうが家族はみんな幸せになれる。…
ご飯を炊いて、そのあいだにおかずを兼ねた具だくさんのみそ汁を作れば5分、10分で一汁一菜の食事が完成します。みそ汁の具は何を入れてもいい。これなら誰でも作れるし、毎日続けられます。男女の区別もありません。
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なんか癒される…と思っていたけど…

意識していなくても子どもは食べる経験を通してたくさんのことを教わり、親からの愛情を受け取っている。その繰り返しが情緒を育みます。…

作る側と食べる側。料理にはこの両面があります。作り手が気を張って手間暇かけた料理を出すよりも、「今日はこれしかないからごめんね~」と笑って出してくれる料理のほうが家族はみんな幸せになれる。…」

できれば、いいものを「経験してほしい」という親心があれば、どうしても、「今日はこれしかないからごめんね~」はできるだけ少なくしたい。「おふくろの味」というのは、みんなCookpadを使うし、これだけグローバリゼーションが進めば、だんだんなくなっていくのでしょう。でも、土井さんの言うように、間違いなく「一回の食事だけでも膨大な情報がやり取り」されるのは間違いないでしょう。たとえ、自然に触れた生活をしていなくても、その土地の環境や風土には間違いなく影響されます。たとえば、京都のスーパーで刺身で喰える鯛一本がいくらするか…そもそも、スーパーにそんなもんが置いてあるのか、という話なわけです。だから、「これしかない」のレベル、少しでも上げたいな、と思うわけです。

まあ、この記事は、バランスをとりなさいよ、という土井さんの「主婦」への優しいまなざしはヒシヒシと感じつつ、きっともっと楽しんで料理ができるようになれば、もう一方の子育てを励ます人たちがいうような、「親子で食事を楽しんで、お子さんに食事が楽しい時間なこと」を両立できることでしょう。そういう空間を目指さないといけないな、と思っています。

【参考資料】
「家庭料理はごちそうでなくていい。ご飯とみそ汁で十分。土井善晴さんが「一汁一菜」を勧める理由」(http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/23/yoshiharu-doi-ichijyu-issai-2_n_15561352.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000002)





2017年3月31日金曜日

田中樹(編)『フィールドで出会う風と土と人』が出ました


今年度のプロジェクトの成果物第3弾。最後なので結構出ますね。

先日、『ブルキナファソ バム県の生業・砂漠化対処・開発のモノグラフ』に続き、田中樹(編)『フィールドで出会う風と土と人』が出ました。「砂漠化をめぐる風と土と人」というプロジェクトの名前を冠したこの本は、これまでにPL(プロジェクトリーダー)、研究員がホームページや外部の雑誌などに書いてきたエッセイを集めたものです。プレフェイスを読むと、PLの研究への姿勢が明確なのですが、より多くのヒトとの間で僕らの研究をシェアできるように、こんな思いが込められて作られたものです。もちろん、学術的な成果は研究所として当然、研究員も自分のキャリアを考えれば、自動的に出すだろう、という前提のもと、こういう仕事は割と普段からいろいろと仕掛けてきました。

本当に「書き溜めた」というのが正しくて、不定期でしたが、プロジェクトのHP、他団体のニューズレターなどなど、いろいろなところに書いたものを加筆修正して掲載しました。僕は何を書いたか、と言えば、大方食べ物の話…ですね。こんな感じです。

担当箇所
✓「アフリカの知恵と私たちが今すべきこと」pp20-23
✓「西アフリカ外食紀行 その1-西アフリカの食のコスモポリタン」pp34-36
✓「西アフリカ外食紀行 その2-セネガルの食の不思議」pp37-40(手代木功基との共著)✓「「ト」の好み」pp41-47(宮嵜英寿との共著)

【20170502追記】
Webでも読めるようになりました。
http://archives-contents.chikyu.ac.jp/3702/kaze_hito_tsuchi_web.pdf

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2017年3月30日木曜日

地球研「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクト2017『フォトエッセイ フィールドで出会う暮らしの風景』

201703発行
表紙の写真の上が少し切れましたが、こんなのが出ました。地球研の砂漠化プロのメンバーが撮りためたフィールドの写真集です。

就職のことを考えたり、あと何年できるかわからない調査のことを考えると、「論文」とか「著書」という形をとったほうがいいのですが、本当はこういう仕事の方が楽しいです。でも、僕は写真家でも、旅行家でもなくて、こんな適当な仕事は研究者だから許されるのですが。

改めて見てみると、5年間、いろんなところに行かせてもらったな、と思います。感謝感謝です。

こちらの本は紙媒体では出ません。完全にWeb上で、無料です。以下のURLから落としてご覧ください。

PDF: http://archives-contents.chikyu.ac.jp/3701/photo_book_150dpi_PC.pdf

i Tune U: http://itun.es/i67G3PL

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足元をしっかり固める:石井洋二郎さんの送辞と英心高校の野球部

3月。別れの季節です。以前も立教中学と立教大学の卒業式の送辞を並べてみましたが、東日本大震災に言及したもので、実に味わい深くて、とてもよい贈る言葉、だと思い、こちらのブログでも紹介してみました。

日本の4月はじまりの年度である限り、こうしたサイクルは繰り返されるし、最近はネットのニュースもこれが恒例のネタになってきている気がするので、あんまり乗っかりたくはないのですが、それでも、校長先生や学長、総長がずいぶん練ってきた文章。とても染み入る文言がちりばめられていました。今年は東大の石井洋二郎教養学部長の送辞がたくさん上がっていました(ネットのニュースも、東大か…という意味ではがっかりですが)。

情報が氾濫し、その「正しさ」も明らかでないうちに、リツイート、シェアを繰り返すことで、情報が明らかに誤った方向に行ってしまうことを嘆き、そうした状況に抗する力になるのが「教養」というものではないか、ということ。以前、濱田元東大総長が話したとされる「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というフレーズがいかに誤解されたか、という事例を用います。こうした批判精神をもって、世の中を照らしてほしい、という石井先生の願いが籠った、カレジャブルな一節です。

「あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一時情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだ」

そして、石井先生はこのように続けます。

「それはドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉です。
きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!
皆さんも、自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。」
僕もそろそろ焼き尽くしてしまうと立ち上がれなくなりそうな気がしないでもないのですが、こういう気持ちは大切だな。守るものができたからと言って、それではいかんな、と自戒させられます。
(Huffingtonpost, 20170329, http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/08/tokyo-university-speech_n_7022498.htmlより)

こんな記事を読んでいたら、ちゃんと「灰」になった高校生の話が出てきました。三重県の英心高校という学校の野球部は、三重県の予選で強豪、宇治山田商業(なんと僕の亡父の出身校!)に0‐91という記録的な大敗を喫します。この高校は、もともと不登校の生徒を多く受け入れていた高校で、どうも部活どころの学校ではなかったよう。しかし、休み時間には、キャッチボールをする生徒もちらほらと。野球経験のある豊田先生は、野球を楽しめるように「部活」を作ったという。昨年7月の最初の試合では「バット1本、ボール10球、ヘルメットは相手から借りる」という状況の中、0‐26という大差で負けてしまう。そして、春の予選、0‐91という点差で負けてしまう。

僕もラグビーで100点ゲームを経験したことがありますが、もう相手に触ることすら怖くなってしまうんですね。野球の91点というのは、それ以上に心を折られる経験だったかもしれません。こういう試合をグランドで耐えた選手たちもそうですが、こんな風に言える豊田先生も立派です。

「今までは、ピッチャーがストライクに入らず四球が続く試合ばかりでした。すると、相手チームは20~30点も差がつくと、試合を終わらせようとバントして自らアウトになるんです。でも今回の宇治山田商は県屈指の強豪ですが、フルメンバーで最後の最後まで攻撃の手を緩めませんでした。うちのピッチャーもストライクを入れられるようになりました。これは『終わらせてもらっていた試合』と違い、勝負の中ではっきりとついた91点差だったと思っています。初めてチームとして認められたという感覚でした」

(J-castニュース, 20170328, https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170328-00000007-jct-soci&p=2)

部員の中に「不登校」の生徒が何人かでもいたなら、ちょっと怖い感じすら受けてしまいますが、監督さんを含めて10数名、本当に「灰」になり、もうすでに新たな息吹すら感じられます。こういう生き方を見せられると、少し勇気が出てきます。

東大と英心高校、いろんな意味で対照的な学校です。英心高校の生徒が体験したこの大敗は、きっと豊田監督が代弁しきれているとは到底思えない…のですが、きっと東大の石井先生が引いてきた『ツラトゥストゥラ』の一節は、きっとこんな体験のことを指しているのだろうと思います。素晴らしい話を聞き、また、素晴らしい経験をした若者たち(という言葉を使うようになってしまった…)が伸び伸びと羽ばたける世界が待っていますように。

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2017年3月27日月曜日

多謝:「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクト終了

Seniさんとの出会いも「砂漠化プロ」が与えてくれたもの。僕自身が土や農と多少なり向き合えたのは彼のおかげの部分が大きい(201310清水撮影)
2012年に始まった相互地球環境学研究所「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクト。あと数日で終了となります。僕自身は地球研では4年間、広大に移ってからも1年間、参加させていただきました。

研究者として駆け出しのころに、研究の幅を目いっぱい広げることができましたし、自分のプロパーの研究環境を整えることができたように思います。地球研としてもおそらく最後の恵まれた時期に籍をおけたこと、そして、何よりも、ご自身が「放牧主義」とおっしゃるように、プロジェクトリーダーの田中樹先生には、たっぷり研究上の自由を謳歌させていただけました。おそらくご覧になっていないとは思いますが、ありがとうございました。どれだけお礼を言っても足りないほどです。

このプロジェクトの期間にやらせていただいたことは山ほどあって、大した締め付けもないのに、ずいぶん忙しくしていたように思います。とにかく、プロジェクトの期間内に「やりたいこと」がたくさんあって、ひたすらそれを実現させていく、ということに時間を費やしていました。少し振り返ってみたいと思います。

2014年からは西アフリカの仕事がほとんど僕のところに回ってきたのですが、このお蔭で、以前から近しくしてた、溝口大助さん(学振ナイロビ)、伊東未来さん(民博)や中尾世治さん(南山大学)と10回の西アフリカのイスラーム研究をはじめとする仕事ができました。また、半乾燥地の住まいの研究を始めて、小林広英先生(京都大学)やサミュエル・バルトさん(フランスの建築士)とも仕事ができました。これらの研究は、国内外でずいぶん発表を重ね、多少なりペーパーも出て、プロジェクト終了後も強い結びつきを持って研究を継続できそうな雰囲気です。

そして、田中先生とは、10回前後フィールドを共にし、中学生時代から苦手だった「理科」のこと、たくさん教わりました。植生、気候、土、地形、そして、景観の見方…移動の車の中でボソボソとつぶやく田中先生の言葉を追い、そういう知識のシャワーを浴びることで、村に滞在するのがずいぶん楽しくなりました。先日出版したフィールドノートを書いていても、そういう知識が大きく活きていて、自分で書いてみることで、以前は決して書けなかったことが書けるようになったと思いますし、これはプロジェクトでたっぷり連れまわっていただいたおかげだなと思いました。

また、地球研に所属したもう一つの大きなメリットは、分野を横断した研究者との交流にあります。トランス・ディシプリナリティ(TD)という目標を掲げた全所的な方針は、同世代の研究者との交流も大変貴重な経験でした。同じモノ、景色、社会を見るのに、本当に多様な見方があり、つい、一人ですべてやらねばならぬ、と教えられてきた、人類学者の限界を強く感じたものです。当たり前の話ですが、人間一人の力など大したことはなくて、一緒に研究する、ということは、これからの研究の中でも大変重要な手法となっていくのではないでしょうか。

基本的に期限付きの研究員という職は、博論も出していない僕にとっては、本当に奇跡的にいただけたものなのです。確かに、昨今話題になっている、期限付きのポストで、そのあとは何も保障されないわけですが、研究環境としてはパラダイスだったように思います。地球研を離れて1年。もうあの空間も、あのプロジェクトもないと思うと、心にぽっかり穴が開いてしまったような感覚に襲われますが、パラダイスだったのは、5年という期間に設定されていたためでしょう。これからは地球研で、そして「砂漠化プロ」で得たものを糧に、違う形で貢献する番ということでしょう。

改めて、田中先生、プロジェクトのメンバーの皆さまにお礼申し上げたいと思います。また、折に触れ、いろいろと面白いことを企画して一緒に仕事ができますよう、楽しみにしています。

地球研時代の業績は以下の僕のホームページにまとめてある業績の、2012年~2016年までのものです。これからできる限りPDFバージョンをアップロードしていきます。

http://shimizujbfa.wixsite.com/shimizupage/gyoseki


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2017年3月24日金曜日

フィジー調査 その2

「バナキュラーVernacular建築(その土地の特徴に合わせた古来からの技術や素材を使った建築)」。ちょっと前まで、僕のブログでは「風土建築」という和辻哲郎の言い方を借りていたのですが、 こんな言葉の方が正しいらしいので、そのように直します。

Navala20170309_1
今回のフィジーは、以前から少しずつ紹介しているカッセーナのバナキュラー家屋研究の関連なのですが、双方に共通するのは、まだギリギリでこうした家屋が生活空間として機能しているものの、それらはほぼ消えかけている、ということです。文化人類学的な視角からとらえるとすれば、伝統のあり方の議論(「創られた」のか?)とか、文化財としての捉え方、また、文化財保護の在り方、そして、人間にとって「住まう」とはどういうことなのか、など、様々な点からアプローチできる興味深い研究課題です。そして、家屋を社会的な側面から考えた時、一つの家屋に住むのは、「家族」という社会の最小単位によって構成されていますから、当然「家族」の問題も大きな課題となります。

Navala20170309_2
フィジーで伝統家屋とされるのは、ブレBureという草ぶきの家屋です。今回訪れた、Cautataには生活をしている家屋としては一軒も残っておらず、Navalaはほぼすべてがブレという状況です。Cautataは、そこはそこで、とてもカラフルな建物が並び、とても美しい村なのですが、Navalaは全くの別世界。

Navalaは空港のあるNadi(ナンディと読みます)から車で3時間ほどの山間に位置するのですが、途中いくつも山を越え、何本もの川を渡り、切り立った山の間の谷間を抜けたところにあります。山間の緩い斜面に整然と並ぶ草ぶきの屋根屋根は、まったく異質な光景を醸し出します。村に入ると、美しく借り揃えられた下草、ほとんどの家屋が垣根を持ち(しかもよく手入れされている)、そして何より、背の高い茅葺の家々は、もう映画のセットのようにしか見えません。しかし、張りぼてでもなんでもなく、人びとが実際にここで暮らしている。その意味でも実に興味深い村でした。

今回は、雨季の終盤ということもあり、Navalaにたどり着けたのは、3回目のアタックでのこと。そのため、実はこの村にいたのは実質的には4-5時間のみ。残念ながら、調査らしい調査はできませんでしたが、まずはこうした景色を目に焼き付けることができただけでも収穫。もう少し勉強して次回の調査に備えようと思います。


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2017年3月22日水曜日

フィジー調査 その1

そう言えば、フィジー調査のことを何も書いていませんでした。楽しかったけど、決して地上の楽園ではなかったし、その意味では調査をするにはなかなか悪くないところでした。

早速「食」の話をしようと思いますが、その前に、この国は、決して「途上国」などではなく、すでに僕らと同じくらいの生活水準があって、モノの値段もそれほど変わらないところだということは踏まえておきたいと思います。

さて、フィジーをはじめとする太平洋諸島では、ロボroboという料理が代表的。いくつかのサイトを見比べてみると、

・土を掘って作った穴に焼き石を入れて、そこにバナナの葉を曳き、タロやキャッサバ、肉や魚を入れて土をかけて蒸し焼きにした料理
・日常食ではなく、もてなしのための非日常食であること

という特徴がありそうで、滞在中にしょっちゅう食べられるものではなさそう…という程度の認識しかありませんでした。最終的に、ロボだったのが、3回。それぞれ、「ロボですよ」という紹介があったものです。

最初の機会は到着初日にいきなり訪れるのですが、大学の先生のお宅でお呼ばれして、そこでいただきました。もちろん、少なくとも中流の上の方で、都市、ということで、これが一番品数の多い、リッチなロボでした。魚(たぶんコブダイ)のココナツミルクソースがけ、豚肉の蒸し焼き、鶏肉のカレー炒め、チャパティ、サラダ、イモ(キャッサバ、サツマイモ、タロ、ヤム)、そして、その後何度か食べることになる海ブドウ…

それぞれココナツが効いていて、コク深い、思いのほか繊細な料理の数々。初日から大満足でした。
Joeli先生宅にて(20170303)
それから2日。ビティレブ島の東端のCautata(「ザウタタ」と読む)へ。ここは漁村でお世話になったお宅もやはり漁師さんの家。さすがに漁師さんのお宅で、イモ類、タロの葉(これの名前を忘れた…かなり気に入ったのに)以外はすべて魚、魚、魚。中でも、カサゴが最も旨い魚とされているとのこと。そして、面白いのが、ココナツミルクの魚出汁割。料理にかけても、そのまま飲んでもよいそうで、確かに、どの料理にもよく合う。個人的には、イモを手で少しマッシュしてそれをつけて食べるとうまさ倍増。焼き芋に牛乳の要領ですね。


Cautata村にて20170305
3回目のロボは、今回のメイン調査地のNavala(ナバラ)村にて。 この村は海から40㎞から50㎞ほど内陸に入ったところ。最近、電気が通ったようで、おそらくは冷蔵保存がまだあまり普及していない地域だからだろうか、魚は全くなし。その代り、卵や野菜が中心のロボ。コメがたんまり出たのが印象的でした。ここに向かう途中にほんの少し水田を見ましたが、おそらくはインド人のもの。しかし、水資源と気温は間違いなくコメ向きだから、どこかで作っているかもしれません。そして、傑作だったのは、ナスにインスタントラーメンを詰めたラザニアのような料理。最近のものなのでしょうが、これはメシが進む。「伝統的」な料理も食べたいけど、こういうブリコラージュな料理もなかなか面白い。

Navala村にて20170309
こんなわけで1週間で3回ロボにありつきました。想像していた、豚とイモの蒸し焼き、というのは一度もありませんでしたが、基本的に大皿のもてなし料理、というくくりで理解できそうです。ティピカルな豚とイモ、というのも一度食べてみたいですが、この3回、それぞれおいしくいただきました。


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2017年3月21日火曜日

子ども研究と子育て Vol.13 模倣

2月18日、僕は出張中でいなかったのだけど、無事に貴一朗が1歳を迎えた。それから2週間後、1か月と少しぶりに貴一朗と再会。先週は連れ合いの家族も広島にやってきて、賑やかな1週間だった。賑やかな数日間のあと、久しぶりに3人の静かな生活が始まった。

この間のいろいろな変化は逐次連れ合いから聞いていたけど、聞いていた以上に大きく変わっているような気がする。その大きな変化が、他人を真似したり、他人と同じようにふるまおうとする点に集約されるのではないかと思う。いくつかの場面でそうしたことを感じたので、メモしてみたい。

■食事中
出張前から、お箸であげるのを喜んだけど、匙であげても全然問題なくよく食べていたけど、子ども用のサジからはほとんど食べなくなった。まだ「離乳食」なはずだけど、おかゆ類もほとんど食べなくなってしまい、逆に、僕らと同じようなものを好んで食べる。そして、僕らが食べているもので、見たことがないものを食べていると、ジーッと見つめ、それを小さく切って口に入れると、一瞬怪訝そうな顔をすることもあるけど、何度も同じものを食べようとする(好奇心が強いのかもしれない)。そのため、毎回出てくる炭水化物を食べない、という事態に陥りがちなのだけど、僕らの茶碗からあげたものは、比較的よく食べる。
ちなみに、数日前に僕らが大根ときゅうりのサラダを食べていると、貴一朗はそれを凝視。試しに、キュウリと大根を小さく切って口に入れてやると、それ以来、なぜかキュウリが大好きに。少し便秘気味になることが多いので、まあ、多少なら良いか、ということで時々あげてみている。

■音
花粉症のヒトにとってはつらい季節。僕は全く花粉症ではないけど、たまにはクシャミをする。もちろん、花粉症の連れ合いは、なおのこと。貴一朗は、このクシャミの真似が大好き。「ハックション!」ではなくて、「はふー(ひらがなっぽいので)」なのだけど。

模倣の話ではないけど、「メッ!」という怒った言葉が理解できるようになって、僕は、今日初めてそれを言われて泣き出す貴一朗を目にした。
まったく別の話題ですが、「人の顔色をうかがう」という所作はどんなところから生まれてくるんでしょう?本を散らかす、台所の火の回りを歩き回る。昨夜などは寝かしつけようとするとまだ遊びたい貴一朗はこちらの顔を見ながら「ハフー」「ハフー」という…思わず笑ってしまうと、その日は完全に寝かしつけ失敗。こんな時は、上目遣いに人の顔を見上げながら、こちらが「コラー!」と言うと、どや顔。ダメ、と言われるとわかっていてこちらの反応を楽しんでいるように見える。

貴一朗近影を載せようと思ったけど、最近は写真どころではなく、写真をさぼってた…

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2017年3月16日木曜日

清水貴夫(編著)町慶彦(著)岡本敏樹(著)菅川卓也(著)Roch Nazaire Sawadogo(著)『ブルキナファソ バム県の生業・砂漠化対処・開発のモノグラフ』

ようやく仕上がりました。しかし、いきなり著者名に誤植が…
肩の荷が下りたのと同時に、自らの失礼さに穴があれば入りたい心境です。

ともあれ、2012年~2017年まで、4年間の専従の期間と1年間の外部から参加した総合地球環境学研究所「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクトの成果物の一つが出ました。

もともとは、町慶彦さんの修士論文を形にする、というミッションでしたが、それだけでは味気ない、ということで、自分の研究成果とバム県で活躍するNGOの方にご執筆の労をお願いして、できる限り厚みをもった地域の記述を目指しました。××論とか、××学という論文スタイルは取らず、とにかく地域の生業と砂漠化問題、それへの対処について記述する、というモノグラフ的なスタイルをトリました。これは、今あるデータや経験だけでは、「論」にしていくだけの自信がなかったことが大きいのですが、後に書くように、これは一つの節目で、ここからさらに発展させていこうという意思の表れです。

町さんには申し訳ないのですが、論旨はできる限り守ったつもりだったのですが、ずいぶん削ったところもありましたし、また、足した部分も相当多いのが事実。ただ、やはり町さんが体を壊しながら頑張った成果は、この本の下敷きにあり、本当は町さんがファーストオーサ―であるべきでした。

この作業、実は3年ほどかかったのですが(本当に仕事が遅いのです…)、「あれもやっておけばよかった…」の連続。とりあえずプロジェクトの終了という節目に色々と書いてみましたが、改めて読み直してみると、足りない部分は数多く、これは、プロジェクトの成果ではありますが、こういう問題点のあぶり出しの試験紙的な意味が強かったように思います。

幸いにして、プロジェクトは今年度で終わりますが、来年から再度ブルキナで展開されるプロジェクトの末席に加えていただき、あと4年か5年はブルキナファソとお付き合いさせていただけそうです。今回のプロジェクトよりももっと頻度は落ちると思いますが、細く長くお付き合いさせていただき、次の5年では、もう少ししっかりしたものを残せるようにしたいと思います。

ちなみに、手元に少しコピーがありますので、ご希望の方には、着払いでお願いしますが、お送りいたします。

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『湯を沸かすほどの熱い愛』(中野量太監督、2016年)

『湯を沸かすほどの熱い愛』予告編Youtube、https://www.youtube.com/watch?v=CQsS-ekufiMより
2017年2月17日に調査地からの復路にANA劇場で視聴しました。時々CMを見ていたし、キャストがここ最近の安定感のある役者さんなので、割と期待。離陸から食事にかけての落ち着かない時間を映画に充てました。

【あらすじ】
舞台は、双葉(宮沢りえ)と安澄(杉咲花)が暮らす休業中の銭湯。銭湯の主は双葉の夫(オダギリジョー)だが、1年前に失踪した。双葉はパン屋で働きながら安澄とつつましやかに暮らす。しかし、ある日双葉を病魔が襲う。末期がんだった。双葉は残り少ない命数を前に、絶望の淵に追い込まれるが、双葉は自らの命を最後まで全うすることを誓う。

そのころ、安澄は学校でいじめにあっていた。双葉は、安澄にいじめる級友に毅然と立ち向かうよう諭す。そして、一浩を探し出し、一浩が少女(鮎子)と二人で生活していることを知る。鮎子の母はかつて関係のあった一浩に鮎子を預けて、別の男性の元に行ってしまったという。鮎子を引き取ることとした双葉と一浩。ようやく銭湯を再開したが、双葉は安澄と鮎子の二人の「娘」を連れて旅に出ることにする。安澄の産みの母に安澄を会わせるためだった。旅の途中、旅の青年拓海(松坂桃李、おそらく双葉の異父兄弟)に人生を諭し、安澄の実母君江(篠原ゆき子)の元に安澄を届ける。この旅が済むと、安澄自身を捨てた実母を訪ねることにするが、双葉はそこで力尽きる。ホスピスに入った双葉は次第に意識を失っていくが、その最後まで一浩や安澄の愛情を受けて過ごす。最後の時を迎え、双葉の葬儀は一浩や安澄と過ごした銭湯で、そして亡骸は銭湯で荼毘に付されるのだった。

【感想】
非常に評判のよい映画なようです。このキャスティングから見ると、大外れはしないはず。末期がんの宮沢りえの迫真の演技はずいぶん準備もしたのだろうし、杉咲花は18歳の演技とは思えない真に迫ったもの、彼女たちの演技を見るだけでも、この映画を見る価値がある。
様々な背景を背負った母娘の物語が、母親に捨てられた経験で束ねられ、捨てられたことへの怨念と母への憧憬、そして、愛情がこの物語の軸で、親子の繋がりの深さや複雑さが実によく描かれていた。ただ、4人分重ねられると少々しつこい感じは否めないのだけど…
しかし、「だが」と言わねばならない。それは、この作品のエンディングのシーンで、葬儀の後の双葉が荼毘に付されるシーンは蛇足で、僕はここで一気に白けてしまった。「湯を沸かすほど…」と題したのが、「このシーン」で、まったく美しさを失ってしまっているように見えてしまった。もしくは、このタイトルに引っ張られて、調子に乗ってつけたしてしまったように見えた。ひょうひょうとしたキャラクターを演じたオダギリジョーが釜に火をくべるのだが、このシーンでもそれまでのまま、ひょうひょうとした表情で、妻の亡骸を焼く、というあたり、監督さんは何を投げかけたかったのだろうか…


2017年3月2日木曜日

『バースデーカード』(吉田康弘監督、2016年)


年末から年明けにかけて見た映画第3弾。

【あらすじ】
大学教員の宗一郎(ユースケ・サンタマリア)と芳恵(宮崎あおい)の間には、紀子(橋本愛)と正男(須賀健太)の二人の子どもがいる。時に静かな丘の上で家族でピクニックをしたり、誕生日を祝ったりと、とても穏やかな、幸せな家庭。芳恵と紀子はクイズ好きで、「アタックナンバーワン」がとても大好き。しかし、とても引っ込み思案な紀子は、クラスのリーダー格の女の子を出し抜いて、学校のクイズ大会の代表になることになる。紀子は彼女たちから、圧力をかけられてとうとう何も答えずに終わる。悩んだ紀子を芳恵が励ます。
そんなある日、芳恵がガンに倒れ、余命幾ばくと宣告を受ける。自らの限られた残りの時間、最後の力を振りしぼり、家族でいつもの丘で紀子の10歳の誕生日を祝う。そして、芳恵は紀子への20歳までのバースデーカードを準備する。
毎年、紀子の誕生日になると明けられるバースデーカード。カードは紀子を励まし、気遣い、時に恋愛の指南までする。そして、ラーメン屋で修行の身にあった中学生時代の同級生、純(立石蒼)と紀子が結婚することになる。大学入試を4浪した弟の正男は旅に出ていたが、芳恵との夢だった「アタックナンバーワン」に出演し、正男に呼びかけると、それを見ていた正男は急いで家に帰ってくる。正男は、芳恵から最後のカードを預かっていたのだった。そこには、紀子の幸せを願う、芳恵の気持があふれ出していたのだった。

【感想】
「母が病気になって亡くなる」というストーリーのプロットがやたらと多い気がしてならないのだけど、中でもこの作品はとてもよかったと思う。芳恵が紀子ばかりに愛情を注いでいるように見えてしまうのが、少々座り心地が悪いのだけど、安定の宮崎あおいで、全編を通してとても穏やかな映像の印象を受ける。ユースケ・サンタマリアに橋本愛、というあたりも安心して観ていられる役者さんになった気がする。
あと、この映画は監督の吉田康弘さんが原作を書かれているのですね。話がとても雰囲気を持つのは、原作者=脚本=監督というように一人がストーリーを担っていたためかもしれません。

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2017年2月28日火曜日

新たな世界へ

フィジー地図
いくつか溜まっていた、3年越しの仕事。なぜかすべて3年越し。これくらい時間をかけてよいものもあったし、予定外に長引いてしまったものもある。10日ほど前に、その一つを出し、今朝、もう一つの最終稿を出した。今日はもう一つ、速攻な仕事を一つ出した。とりあえず、これで10日間ほどいなくても何とかなる、と確信できる状況になった。

そんなわけで、明日からまた出張です。今度の行先はフィジー。何度かブルキナファソで調査をご一緒した、小林先生の科研費のメンバーに入れていただき、今年度から研究開始となった。カッセーナでやっている風土建築がテーマで、伝統と変容というのが、キーワードになるのだろう。僕のパートはやはり人類学的な調査。まずは少し仲良くなって、いろいろ村のことを聞いて、家系図を書いて…という手順が3年のうちに展開される。はず。

ずいぶん慣れ親しんでしまった西アフリカ。20年前の会社員時代に生き倒した東南アジア。そして、初めて行く太平洋諸島へ。何が待っているのだろう。少しの不安と楽しみと。いろんなものがまじりあっている。

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2017年2月26日日曜日

子育てと子ども学 Vol.12 抱くこと (201702「ストリート・チルドレン」調査@ワガドゥグ メモ-②)

20170215夜 スイスの支援者たちによる食料配給
さて、前回の投稿でも書きましたが、今回は心強い援軍のお陰で、今まで見ることができなかったところを見ることができ、この意味では本当に充実した調査になりました。

子どもの研究を標榜して早6,7年となります。どんな風にフィールドワークをするのか、様々な方と調査をご一緒させていただいたりしながら、このことがいつも頭の中にありました。とある先生の調査の方法は、限りなく子どもの世界に接近していくのですが、もう一つ外側から見ていて、子どもたちはこの先生のことをどう見ているのだろう、自分にここまでできるだろうか、なかなか悩ましい問題です。文化人類学のフィールドワークの一般的な方法論から言えば、まさに全うなアプローチなのですが、やはり、ここまで僕には全くできていません。

今回、スイスから来ていた慈善団体の活動に付き合わせてもらいました。この活動は、ストリートで生活する子ども、女性にパンや洋服、チョコレートを配布するというもの。今回調査に付き合ってくれたルードヴィックさんが毎年コーディネイトしています。これは、夜、皆が寝静まるころに行われるのですが、中に初めて行くサイトがありました。

そこは、夜間、子連れの女性、寡婦、年老いた女性が寝ているところです。我われが到着すると、そぞろに蚊帳の中からゆっくりと出てきます。その前に訪れた、ワイルドにパンを奪い合う子どもたちのサイトとは全く雰囲気が違い、みんなスタッフたちと談笑しながら、支援物資を受けていました。
ここに集うのは、夫に先立たれ、夫のイエを追い出された女性、魔女に疑われて住むところを失った女性、このあたりで考えられる、ありとあらゆる背景を持った女性たち。中によちよち歩きの赤ちゃんの姿もちらほらと…いかんともし難い雰囲気です。

子どもに目を移すと、小さな子どもは僕を含む白人たちにお母さんの陰に隠れてしまう。そんなこともよくわからない赤ちゃんは不思議そうに僕らのことを見ています。その中の一人を抱きかかえると、いい笑顔を返してくれます。少しルードヴィックの話を聞くため、彼女を下におろして彼のところに向かうと、よちよちと追いかけてくるので、抱っこしながら話を聞くことにしました。そこにいたのは10分くらいでしょうか。彼女を抱っこしていたのも数分間。彼女はずっと僕を追いかけてきます。お母さんが抱きかかえるのですが…

話を元に戻すと、僕は完全に大人。子どもにはなれるわけがない。(こんな話もよく聞く話ですが。)僕は父親で、そこで抱きかかえた彼女の重みは、貴一朗と同じようなもので、しばらく離れた我が子を思わないわけもない。彼女を抱っこした瞬間、こういう関係性になるのだけど、どうもここがストイックな研究者と凡人の間の分水量だったようでした。「カワイイ」と言って、罪のない子どもと、生まれて間もなく、貧困という厳しい現実の中にいる子ども。前者は抱っこすることで人との間が縮まるが、後者の場合、僕の立ち位置は、支援者にぐっと寄ってしまう。

僕の感情や感覚の中だけの問題で、いささか自意識過剰な書き方でお恥ずかしい限りだけど、研究者としての立ち位置にどのように影響するのだろうか。客観的に記述することを意識できるのだろうか。こんなことを考えさせられた場面でした。

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『あん』(河瀨直美監督、2015年)


ちょっと前に見たので、記憶があやふやになりつつあるけど、結構ズシンと来た映画なので、メモします。

何度も書いていますが、基本的に飛行機に乗ると邦画を見ます。まあ、まさかハリウッドを外して海外の単館系の映画を飛行機でやると思えないので、大体ドンパチものが多くなる反面、特にANA(しか知らないですが)はかなり渋いセレクションをしてくれるので、毎回これも楽しみの一つ。これを見たのは、昨年末の帰りの便。

もはや、河瀨直美監督と言ったら、売れ筋なのかもしれないけど、初期のころの映画は、無声映画かと思うほど、静かな作品が多かった。僕のイメージでは、河瀨直美さんの作品は、夏の奈良の山奥、濃い緑、という印象がある。この作品はまったくそんなものではなくて、どちらかというと、上の宣材にもあるように、桜色がこの作品の色で、ああ、確かに、アンコがシンボルなのだから、赤めの色なのかな…と勝手に解釈してみたりもする。

ともあれ、簡単にあらすじ。

冴えないどら焼き屋「どら春」の雇われ店主、千太郎(長瀬正敏)の元に、ある日、1人の老女徳江(樹木希林)が訪れる。千太郎が出した求人広告に応募するためだった。70歳を超えた徳江に、「年齢不詳」としたものの千太郎はなんとか断ろうとするが、徳江の熱心な説得に、粒あんづくりを任せることにした。徳江の作る粒あんのおいしさは、千太郎も驚き、瞬く間に評判を呼ぶ。しかし、徳江はハンセン氏病棟の住人。この噂が広まり、次第にどら焼きは売れなくなってしまう。徳江はそれを察して店に来なくなってしまう。雇われ店長の千太郎は、それをいかんともできなかった。千太郎は、丁寧に、そして純粋にあんを愛し、また、社会とのかかわりを渇望した徳江をやめさせてしまったことに悩む。その後、千太郎と常連の中学生ワカナ(内田伽羅)は病棟の徳江の元を訪れることにする。そこで、徳江は、「こういうことをやってみたかった。雇ってくれてありがとう」と千太郎に深々と礼を述べる。そして間もなくして徳江は亡くなるが、千太郎たちのために、自分が使っていたあんづくりの道具を残していたのだった。

このブログを書きながら知りましたが、原作はドリアン助川なのですね。僕らの学生時代のヒーローの一人です。「叫ぶ詩人の会」ですね。様々な差別問題があるなか、こうして時々それぞれの差別の構造を復習できるような作品が出てくるのはとても重要なこと。「らい病」とか「ハンセン氏病」が法的に隔離されていたのは割と最近までで、「らい予防法」が廃止されたのは、1997年。まだ20年前のこと。すでにほぼ完全に治療ができるようになり、日本では年間0人~1人の感染者しか出ない。しかし、現在でも、重度罹患者が残っており、この映画に出てくるように、差別もされている。この問題も現在進行形なのだ。こういうところを描こうとする作家と映画監督。本当に貴重な作品だと思います。

ネットで調べていたら、ドリアン助川氏へのインタビュー記事が出ていたので、引用します。

***以下引用です***
1990年代に「正義のラジオ ジャンベルジャン!」というラジオの深夜番組をやっていて、10代の中高生と生で話していました。よく俺が投げかけたのが、本当に青臭いんですけど「どう生きたら納得できるのか」ということ。たくさんの子が割と紋切り型に「社会の役に立ちたい」「人の役に立ちたい」「そうでないと生きている意味がない」と言うけど、俺は内心、何か隙がいっぱいある言葉のように思えたんですよね。
当時バンド(「叫ぶ詩人の会」)をやっていて、レコード会社の担当プロデューサーの子供が2歳で亡くなったんです。心臓に大きな病があって、病院から一歩も出られず、僕が誕生祝いに贈った小さな靴を1回も履くことなく、一緒に棺に入れられた。
その子の人生にどんな意味があるんだろうと思っていた頃、1996年に「らい予防法」が廃止されて、ハンセン病の患者たちの人生がメディアで浮き彫りになったんです。子供の時に発病して療養所から出られず、70歳、80歳になった人たちにも絶対、生まれてきた意味があるはずだし、「人の役に立たないと」という言葉の暴力性を感じたんですよね。ハンセン病の療養所を背景に、本当の命の意味を書こうと誓った。でも北条民雄さんなど、患者の手記を読むと、壮絶すぎて、心がやけどしたようになる。患者でもない人間が、無理かな、おこがましいかな、と、手が出ない状況が続いていました。
単行本が2013年2月に出版されてから、角田光代さんや中島京子さん、その他いろんな方が書評を書いてくださって、あれあれ、という間に広がった。すぐにNHKが西田敏行さんと竹下景子さんで、ラジオで連続ドラマを6回やってくださった。
映画化のオファーもあったんだけど、聞こえないものを聞こうとする、見えないものを見ようとする人の物語。そんなものを撮れる人は河瀬直美さんしかいないと思った。2011年に彼女の作品「朱花の月」に出演させてもらったんですが、彼女は自分が書いた物語以外は絶対に撮らないんです。無理だろうなと思いながら手紙を添えて本を送ったら、1カ月後ぐらいに「号泣しました。私でいいんですか」と返事が来た。
執筆していた3年間、上野さんを精神的モデルにしながら、ビジュアルのモデルを樹木希林さんに書いていた。希林さんの「ずれ方」がすごく愛らしくてファンなんです。希林さんにも手紙を書いて本を送りました。河瀬さんも口説きにいってくれて「やりましょ、やりましょ」って言ってくれた。河瀬監督は奄美和光園の療養所に行って、「初めてわかりました。病んでいるのは囲いの外です」というメールを送ってきた。希林さんは上野正子さんにも会いにいってくれたし、クランクインの1カ月前から手を縛って生活して、ものすごく役に入り込んでくれた。
──国際的な反響は大きかったですね。
2014年1月にスポンサーゼロでスタートした企画が、あれよあれよとスポンサーも決まって、2015年6月にカンヌのオープニングを迎えられた。生きている人間だけじゃなくて、いろんなものが後押ししてくれたような気がします。全員、壇上に上がってスピーチしましたし、すごい拍手が5分ぐらい鳴りやまなかった。希林さんが「拍手している人たち、手が痛いでしょ」と言って、舞台から下がっちゃったので終わりましたけど。カンヌから2週間で40カ国で上映が決まりました。
うれしかったのは、地中海にある小さな島、マルタの映画祭で作品賞と主演女優賞を取ったこと。まったく違う人種、文化で、審査員の満場一致。観客の熱気が後押ししてくれていた。たぶんマルタの人はどら焼きなんて見たことないだろうけど、人の命とは何かという普遍的なところで、河瀬さんの作品が伝わっている。徳江さんの気持ちが国境を越えたんだと思う。
時間の都合でカットされたシーンも多くありますが、幸せなことに、なぜ俺がこれを書いたのかを、監督と俳優陣が完全に理解してくれているので、シーンの数は減っても違和感はない。完全版は朗読劇でやっています。中井貴恵さん演じる徳江さんはまた違ったよさがあります。全国を回って公演するつもりです。
千太郎が働く「どら春」は、ハンセン病患者が働いていると噂が立ってお客さんが減っていきます。そんなことが、今の日本であるのかとも思いましたが。
それはね、多磨全生園のある東京都東村山市は今「あん」で町おこししようと動いてくれているんですが、あの場面が「それが東村山だってことになる」と反対の市民もいるんです。でも市長は「じゃあこの町に差別はないのか」と言ってくれた。
「らい予防法」が廃止されて十数年経つけど、入所者や納骨堂の骨はまだほとんど故郷に帰れていない。受け入れてもらえないんですよ。それが何よりも現状を語っています。本を読んだり、映画を見たりした方から「指が曲がった人がどら焼きを作ってたら、その店に私は行きません」というメールも来ます。日常的に接すれば、何ということはないんですけどね。誰だって鼻が取れた人を見ればショックを受けるけど、たくさんの経験や、学んだことで、屁とも思わなくなることも立派な教養だと思うんだよね。
──2015年にこの作品が広く受け入れられる意味って何でしょう。
NYでマンハッタンに住んでいて、2001年9月11日の同時多発テロを目の前で見たんですよ。アメリカがどう戦争に向かっていくか、つぶさに見た。アフガンやイラクに行く連中を、ブッシュ(大統領)は「選良」と呼んだ。良き市民が正義、自由のために勇敢に戦うと。日本でも「社会のために」がいつ「国家のために」「役に立つ、これが正義」となるかわからない。もう寸前まで来ていますよ。たかだか100年の人生で、誰のものでもない小さな島のために命を捨ててどうしますか。そんなところが伝わっているのかもしれませんね。
(Huffpost 20150714, 吉野太一郎氏のドリアン助川氏へのインタビュー、http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/13/an-sukegawa-interview_n_7790076.html、20170209閲覧)