第12回アフリカ教育研究フォーラム・発表の要旨(10月24日-25日@早稲田大学)

明後日からの「アフリカ教育研究フォーラム」、こんな発表をしたいと思う。
いろいろと追いまくられて、準備がまだまだ不完全。今日明日(明後日)までこちらに集中して寄りよいものをお届けしたいと思う。

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西アフリカ内陸部の「伝統」教育としてのクルアーン学校[その2

ニジェール共和国ファカラ地方の事例より

 第11回アフリカ教育研究フォーラムにおいて、発表者は同名の研究発表を行った。前発表では、2012年度に行った広域調査のデータから西アフリカ内陸部に広く存在する「伝統」教育機関(クルアーン学校)のメカニズムを概観した上で、クルアーン学校と小学校との比較を試みた。同地域のクルアーン学校の学校数は公立小学校の約2倍存在し、生徒数はほぼ同数が存在し、公立学校が整備されてきた現在でも一定の存在感を示していることが明らかとなり、さらに、クルアーン学校が子どもたちのセーフティネットになっていること、労働力のストック機能をもっていることを指摘して、クルアーン学校の社会的機能について論じた。

 前回の発表を背景として、本発表ではクルアーン学校/西アフリカの「伝統」教育の側面を捉える試みの2回目として、クルアーン学校の「教師」に位置づけられるマラブーMarabous(仏)/Alfa(ザルマ)(以後、マラブーと記す)に焦点をあて、マラブーの出自と来歴から西アフリカのイスラーム社会における「教師像」を明らかにすることを目的とする。

まず確認しておかねばならないのは、この地域には初等教育にあたる過程を実施する「学校」に公立小学校とクルアーン学校の2つの種類の教育が併存していることであり、「教師」もそれぞれの「学校」において異なった位置づけをもっていることである。広辞苑では「教師」は第一義として「学校・教習所などで、学問・技芸を教える人…」、第二義に「宗教上の教えを広める人。宣教師」とされる。公立学校の「教師」は当然のことながら、最初の意味での職業的な教師である。一方で、クルアーン学校における「教師」にあたるマラブーはこの「教師」の定義にしたがえば、マラブーは職業的な公立学校の教師とは明らかに異なる存在であり、子どもに知識を与える存在であるのみならず、この地域の社会を宗教的、道徳的に導く存在である。子どもの教育以外にも宗教・社会的な役割を負っており、いわば、マラブーは村の賢人、「先生」(伊東2009)のような存在にあたる。

マラブーは、カトリック司祭のように宣教を目的として教会本部から派遣されるわけではなく、多くが自らの出身地に根を張り、各々の生業と両立させる形でイスラーム教育に従事する。マラブーは具体的にどのような人物なのか。具体的には、クルアーン学校の教師にはどのような人がなるのか、どのようにマラブーになるのか、また、どのような活動を行うのか。これらを明らかにすることにより、前発表と別角度から伝統教育における「教師論」から西アフリカのイスラーム社会におけるクルアーン学校の位置づけを示すことができるのではないだろうか。一例をあげれば、クルアーン学校を営むマラブーの多くは、最初のクルアーン習得認定(ズマンデZoumandé)を取得した後に数名のマラブーの元でさらにいくつかの認定を受ける。こうした遊学は移動しながら学ぶことを是とするイスラームの教えによるものであるが、遊学を通じて得る知識の蓄積とキャリアアップは、その後マラブーが学校運営を担う際に生徒を集めやすさ、地域のマラブー間の関係性に影響を及ぼすことになり、教育と域内政治が間接的に結び付く様相も指摘できる。

今回の発表においても、伝統教育の西アフリカ内陸部における位置づけを示していくが、特に地域の知識人(≒権力者)である教師に着目することで、教育という領域を超えたクルアーン学校とコミュニティとの関係が垣間見えるものと考えている。

[引用文献]
三省堂編集所「教師」、『広辞苑』1987 三省堂 
伊東未来 2009「イスラーム「聖者」概念再考への一考察-マリ共和国ジェンネのAlfaを事例に」大阪大学大学院人間科学研究科『年報人間科学』第30号 83100

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