2013年10月29日火曜日

アフリカの教育を巡る深いジレンマ

25日、26日と東京で開かれた「アフリカ教育研究フォーラム」に行ってきた。いつもながらにとても刺激的で、いい研究会だと再度実感して京都に戻ってきた。

しかし、今回は違うところで忸怩たる思いも抱えてきた。

頭の悪さをひけらかしてしまうようだけど、僕は政治のことやらはあまりよくわからない。アフリカを巡る事象にしても、MDGs(ミレニアム開発目標)とか、FFA(全人教育)とか、ESD(持続可能な教育)とか、つい最近まで何の訳だかすら知らなかった。ちなみに、MDGsにしても、ESDについては未だにイメージがわかない。つまり、「世の中」でどんな議論が交わされているのかということもわからない、ズブズブの素人ということになる。

今回のフォーラムでは、この辺のことを扱ったシンポジウムが開かれた。MDGsが評価年になる2015年以降、どんな世界を描くのか、ここまででどんなことをしてきたのか、そんなことを「検証」するプレゼン、と理解した。ただ、「アフリカ教育開発研究の展望」(強調は僕)という題目が気になる。

「教育」に関する学会で、参加する院生、教員ともに、「教育」は必要であることについては誰も疑わない。もしくは、一家言持っていても、おいそれと表には出てこないから、僕はどんな了解があるのかはよくわからない。しかし、少なくとも、発表を聞いている限り、そこを疑う人には全く出会わない。僕は人文学を学ぶ者として、「教育」は何たるか、その方法論とか、視点についてこの学会では探ってきたつもり。その底流にあるのは、文化相対主義的な思考で、進化論的な思考を可能な限り排していく発想だ。

「みんなの学校」プロジェクト、というのがニジェールで行われている。JICAのプロジェクトで、PTAのような、教師と親で組織される学校運営委員会が中心となって学校を運営していこう、というもの。実に結構なことなのだけど、残念ながら、僕の集めてきたデータはそうは言ってくれない。その結果、ドロップアウトした生徒はどうするのか、やっぱりノートやらが買えなくて学校に行けない子はどうするのか、と。そして、そこに根付いている「伝統」教育はどう扱うのか、と。

細心の注意を払って本質的伝統主義に陥らないように気をつけたいのだけど、今一度人の生活を見てみると、「伝統」と呼ばれる「近代化」の反対のベクトルを持つ現象(?)は間違いなく存在している。時に、文字通り近代化と反対方向に社会を引き寄せる力になるのだが、多くの場合、近代化の名の下に切り捨てられてしまう。

ここからが議論のしどころのはず。僕の説明が悪かったようにも思うし、何の疑いもなく「教育」を普及するスタンスをもつ人たち、かつこういう議論をうまくかわして来た人たちにはまったく通じなかった。ここにこそ実り豊かな議論と、これまでの「開発」に対する反省が汲み取れるのではないか、と思うのだけど。負けずにもっと声高にこの話はいろいろなところでさせてもらおうと思う。

2 件のコメント:

  1. 私は教育分野ではないんですが、おっしゃっていることよくわかります。教育者じゃないから同感できるのかもしれませんね。私のまわりに教員が少なからずいます。教育系の学会で発表する内容を事前にきいたときなどに思うのは、教育に関わる者だからこそ、それを教える/教えてきたことを一度疑ってみなきゃいけないんじゃないかって言いたくなること多いんです。んー、でもすぐアウェーな雰囲気になってしまうんですよねー。
    応援しています。Bon courage Grand frere!コロムソより。

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  2. Ouinonさん、
    コメントどうもありがとうございます。
    この学会、とてもよくしてもらっているのですが、ディシプリン上の「アウェー」な感じはいつまでも拭い去れないですね。調査の方法やデータの扱い方、分析の方法とすべてにおいて違いますから。建設的に批判しようと思うのですが、これがなかなか難しいですね。
    もう一つ。仮に私(たち)の批判が的を得ないとしても、自分の立ち位置から主張することが研究者の責任だったりもするのだろう、と思います。論文を書いて放っておくのではなく、こういうところにはどんどん出て行って意見を戦わせること(僕はとても下手くそなのですが)、それが無視されたとしても、そこでやっと責任は私(たち)の手を離れるのだと思います。
    お互いに頑張りましょう!

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