2014年12月18日木曜日

ブルキナ政変 現地報告③

現地報告第3弾です。実は、今日はうまくアポイントが取れず、早く終わってしまったので、ホテルでメールの処理を…と思っていたら、Yahoo!がなかなか開かず(他のはいろいろ開くのに)、それを待ちながらこんなことをやっているわけです。

さて、たぶん現地報告はこれで最後です。

今回のブレーズ・コンパオレ大統領降板劇は、いろいろな言い方がされます。まず、日本で一番よく言われている、「クーデタ」、これは間違いです。軍部は市民に押し出されるような形で表舞台に挙がりましたが、さほど力を持っていません。たとえば、前大統領降板後にトラオレという軍人が、暫定政権を宣言しましたが、市民の反対運動にあい、1日も持たずに引きずりおろされました。なので、軍事的な要素は実は非常に薄く、憲法37条(大統領の任期が2選までと定められた条項)の変更を阻止するための市民のうねり、おそらく、「政変」とか「動乱」という言い方があっているように思います。

しかし、憲法37条は非常に象徴的で、これまでに積もりに積もった不満を爆発させたトリガーの役割を果たしたように思います。ブルキナファソの人びとは、「2015年まで我慢すれば、コンパオレ大統領は交代するはずだ。それまでの辛抱」と思っていたように思います。つまり、市民感情として、コンパオレ大統領がさらに任期を延長することがもっとも許せないことだった、これが今回の政変の根幹にあったと考えるべきでしょう。そのほかの不満の代表的なものは、物価の高騰、縁故主義といったものだと思われます。

これまで2回の報告で、ひどい破壊行為が展開された様子を写真と共に書いてきました。しかし、これまで1週間の滞在で、まったく不便になったことはありませんでしたし、ワガドゥグの風景もいつものワガドゥグそのままでした。

今回は、なかでも最もひどく破壊活動が展開されたところを報告します。

それは、コンパオレ大統領の弟、フランソワ・コンパオレ氏の家宅です。下の写真がフランソワの家の門です。本来は頑丈な門が取り付けられていたはずですが、それはすっかりありません。そして、門の周りには、物売りが何人もいます。彼らが売るポスターの一つには、「Nouveau Musée à Ouaga(新ワガドゥグ博物館)」などと書かれ、多くの人びとが勝手に出はいりしています。私も便乗して中の様子を見学してきました。

中に入ると、権力に在りし日のフランソワの瀟洒な生活の様子が垣間見えます。部屋数など数えられませんでしたが、おそらくは10部屋以上の部屋があり、下はおそらく大理石。人びとはその様子をしっかり目に焼き付けているようでした。


全ての部屋は、前に紹介したJoly Hotel同様に、瓦礫が敷き詰められ、形あるモノはほぼ残されていません。

写真を載せるのは止めましたが、この家宅の地下室には、血塗られた部屋があります。フランソワは呪術師を雇っていることがささやかれていました。実際に、今回のフランソワ家宅襲撃で、多くの呪物が見つかり、最初にその一つを手にした青年が狂死したといわれます。また、その上の階の一部屋には、ガリブ(物乞いの少年)が持つトマト缶が山のように積まれていたとか、彼らの服が何十着も放置されていたとか…書くのもはばかられる惨状がこの家宅にあったといわれます。

フランソワにまつわる不正の噂は一つや二つではありません。たとえば、1998年に暗殺されたジャーナリスト、ノベル・ゾンゴの殺害者、ないし教唆したのがフランソワであること、多くの生活必需品からは自動的にフランソワの口座にコミッション(?)が落ちるようになっていたとか、不動産で多くの利益を上げていたり、さらに、兄のブレーズの陰で操っていたのはフランソワだったとか、枚挙にいとまがありません。そのため、もしかすると、コンパオレ大統領よりも、フランソワが標的だったのではないか、と思わせるほど、その破壊は苛烈でした。


そして、たくましく、すでにこの政変を商品化する若者たち、そして彼らの商魂には脱帽です。

今日、またいろいろとこの政変の話を聞いたところ、いわば襲撃リストのようなものを見せてもらいました。今回の破壊活動は非常に限定的で、なぜそこを襲うか、ということのコンセンサスがしっかりと取れていたように思われます。焼け焦げ、家財が略奪にあった、いくつかの施設や家宅。すべてにそこを襲った理由を符すことができます。ここかxxの持ち物、この施設はxxがオーナー…そうわかったところは容赦なく襲撃しています。しかし、権力側も表に名前がでないようにしていたところが何か所もあるはずですが、確信が持てないところは襲っていないといいます。

この動乱自体も、憲法37条を改定するための国民投票を行うことが閣議決定される、1時間とか2時間前から起こったことだと言います。決定され、それが発表される十分前に市民が国民議会に突入してそれを防いだとも伝えられます。

そして、動乱がコンパオレ大統領の退陣、国外逃亡という結果を迎えた翌日の11月1日。ワガドゥグの街には、多くの人が繰り出し、清掃活動を行いました。Mouvement Mana-Mana(清掃(ジュラ語)運動)と呼ばれ、シモン・コンパオレ元ワガドゥグ市長の提唱によるものだそうです。結果、ワガドゥグには、日常の中にひっそりと激しい略奪の跡が残ると言った、類まれなる状況が数日間のうちに創り出されました。

今日のニュースでは、コンパオレ前大統領の領袖を務めていたCDPが強制的に解党になったと言います。これは、コンパオレ前大統領がCDPの全国大会を目論んだため、という、あまりに信じがたい計画が明らかになったためです。謝罪も、償いも、さらに、天文学的な数字になるであろう搾取した財産の返却もなく、そんなことは認められない、小さなキオスクで語った小市民の友人たちの決意は固いようでした。

政治が雲の上にプカプカ浮いているような日本にあって、こうしたブルキナファソの政治の近さは、少々羨ましい気がします。選挙が名目で、最後は実力行使。日々コーヒー片手にラジオを聴きながら喧々諤々と政治議論を交わしている彼らには、何がよく、何がダメなのか、明確な価値観を共有している、ということがこうした状況をつくりだしているのではないでしょうか。これは、政治に対する姿勢だけでなく、生活の中での価値観すらそこで共有され、確認されているのではないか想像されます。なかなか日本では考え難い政治プロセスですが、しがないキオスクの友人たちが教えてくれるのは、話をすることの大切さで、価値観フリーな日本の環境の中に身を置く僕らは、もっとこんなことを学ばねばならないのではないか、と思いました。

最後、余計なことを書きましたが、とりあえず、今回の報告はこの辺で。一連の政変の様子は、とある学会誌に投稿する予定ですので、またできましたらこちらでもご報告いたします。

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2 件のコメント:

  1. 実に面白い報告でした。日本のアメリカ的消費者的なリベラル・デモクラシーなどと比べても、極めて示唆的でした。報告、感謝します。

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  2. katabira no tsujiさん、拙い報告ですがご参考になれば幸いです。昔、「アフリカ(的)社会主義」とか、「アフリカ(的)民主主義」という言葉を習いましたが、ここ数年のアフリカの民主主義を見ていると、どうもそうしたものとも別物の思想を感じます。すごくシンプルな気もするし、どこか資本主義、消費文化にスポイルされている気もします。そのうち、tsujiさんの分析もお聞かせください。

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