ブルキナファソの政変 現地報告編①

もう少しちゃんと経過を追ってから現地報告をすべきなのですが、フライングして少し写真を公開します。

12月9日の夜にワガドゥグに到着。今回、実はブルキナの調査の準備をほとんどしていなかったので、調査の焦点も定まらぬまま来てしまった。こんなことではいけないのだけど、ヤウンデでの発表の準備が思いのほか時間がかかってしまったので…言い訳はさておき、そんなわけで、到着までの飛行機の中と、初日の午前中になんとなく調査の枠組みを作って、とりあえず融通の利く村へ行って、よく考えてみて、やはり今回の調査、ある程度政変にまつわることもやっとくべきでしょう、ということで、1日、名所めぐりならぬ、政変の傷跡めぐりをした。

相変わらずネット環境がよくないので、写真はちょっとずつ出していきます。


今回、まず行ったのは、Ouaga2000(ワガ・ドゥ・ミル)という地域。ワガドゥグの山の手としては代表的な地域です。日本大使館があるのもこの地域で、他にも外交官の公館や高級ホテル、高級レストランが並ぶ新しい街区です。まだまだ建物も建設途中ですが、最近ようやく街らしくなってきました。

そんな中にあるのが、Joly Hotel。今回の動乱で激しく破壊された2つのホテルのうちの一つです。上の遠景からはわかりにくいですが、窓枠に何もはまっていないのがわかると思います。

あの動乱から1月。と言ってもまだ1月しか経っていないので、少々生々しかったのもあり、遠景だけで我慢しようと思っていたら、一緒にいたアブドゥルが、「入れるか聞いてみよう!」と提案してきたので、「大丈夫か?」と思いながら恐る恐るガードマンに聞いてみる。

あっさり入れてくれる。しかもガイド付き…この写真はエントランス付近。

構造物以外はすべて何らかの破壊行為が加わっている。たぶん、あれ以来まったく手つかずの状態なのでしょう。目の前に広がった光景に唖然…そのガードマンとアブドゥルとともに階上に。これとほぼ同じような状態で、すべての部屋のエアコン、備品、全て壊れて、コンクリートがむき出しに。エアコンの室外機もなく、シャワーホースや机、イス、ベッド、さらにほとんどの部屋で扉すら持ち去られていました。下に落ちているものは、ガラス片、紙屑、下着など。



再度下に降りて、キッチンを見ると、こちらも、まあ、本当にきれいにモノの形をアイデンティファイできるものがありません。以前、大使公邸にお勤めだった料理人の方に、このホテルの料理はギリギリ日本の2流、と聞いていました。在りし日は美味しいパンを焼き、いい匂いが漂っていたのだろうな、と思うと、これまたとても切ない風景でした。

とりあえず現地報告第1弾。最初に破壊的な写真ばかりで、誤解を招かないか不安なので、最初に言っておきますが、こういう光景はピンポイントにしかありません。普通に生活していたら、こんなことがあったなんてまったく忘れてしまいそうになるほど、何かに隔てられたかのような光景です。現地報告、こういう方向に向かってお話ししていきたいと思います。

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