2016年7月6日水曜日

地域研究というプラットフォーム

4月から6月の学会シーズンが終わり、とりあえず一段落。今年は所属が変更になったこともあり、発表と名刺配りでだいぶ頑張った。

今年度のシーズン最終戦は、比較教育学会。どの学会でも、若手は学会に閉塞感を感じ、新たな方法やブレークスルーを狙う。実に健全な動きで、こうでなくては、その学問は発展しない。比較教育学会で参加した「ラウンドテーブル」はまさにその動きの大本営みたいなところだった。

この「ラウンドテーブル」は「これからの比較教育学を考える(2)」というもの。僕は、昨年の(1)に参加していないのだけど、昨年は「地域研究」的手法を取り入れる、ということがキーワードだったよう。今年は、それに基づいた、方法論の新たな地平を拓こうとするもの。しかし、昨年来の経緯を聞いていて、気になったのは、「地域研究」ということが、僕ら「地域研究」研究者とどれくらい共有できているのか、ということだった。たとえば、人類学と混同されていないか、また、「地域研究」が、「地域」という、ある分節された空間の中を網羅的に学ぶことに一義性があると思われていないか、など、こういうことが心配だった。方法論の研究であるので、やはり実行性がなければ意味がない。そういうところにコントリビューションできないか、ということが今回の僕の仕事だと認識して臨んだ。

結局、どんな風に理解されているかは語られなかったけど、少し講義じみたやり方をしてみたら、参加者はずいぶん熱気をもって聞いてくれていた。そのあたりから見ると、今のところ、僕が想定していた認識レベルからはそれほど離れていないことが読み取れた。

6月初頭に開催されたアフリカ学会。まさに地域研究学会の再大手なわけだけど、ここには、教育系の研究者はほとんどいない。毎年、2,3の発表のみだ。比較教育学会を見ていると、やはりもう少し、この間をしっかりつないでいった方がよいだろうという思いに至った。地域研究は、そのものとして強力なディシプリンがあるわけではなく、様々なディシプリンを取捨選択しながら行う、学際的研究だ。1950年代に起こったこの学問は、当初は、京大の今西錦二、梅棹忠雄らが組織したような集団調査が方法論としてメジャーだったようだ。推測するに、人類学者の一人学際研究が勢力を伸ばすにつれ、次第に今のような方法に固まりつつある。しかし、僕らがカッセーナ研究で行ったような、今西・梅棹時代の研究手法は改めてやってみると実に実りは多い。いずれの場合でもよいのだけど、おそらくは、地域研究というプラットフォームに、いろんな専門性を持った研究者が少しずつエフォートを持ち寄る、というスタイルは一周回って有効なことを示している。

おそらく、教育学系以外にも、いくつもの分野にアフリカを研究対象地としている研究者が眠っているように思う。こうした眠った人材と、既存の人材が研究交流を通して、新たな課題を発見し、それを解決していく。きっと地域研究学会の真髄はそんなところにあるのだろう。

今年もいくつかの学会に参加し、こんなことを考えたのでした。その後、広大内で何人かのアフリカをフィールドにしている人たちを発見した。これから立ち上がる広島アフリカ研究会には、彼女たちもお誘いし、新たな活躍の場を作ることができればよいな、と思う。


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