とあるアフリカ人の話

ちょっとしたきっかけから2人のセネガル人と食事をした。特に調査…というつもりはなかったけど、最近は職業病か、こういうシチュエーションになるとなんとなくその人がどんな人なのか、気になってしまう。最近はずいぶんご無沙汰してしまっているけど、日本に暮らすアフリカの人たちは、院生時代に2番目の研究テーマとして考えていた人たちだ。

2人のうち、特にAさん(仮名)のことを、なるべく脚色を付けずに、メモ的に書こうと思う。

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Aさんは、30代後半。実は6年ほど前に現地で一度顔を合わせていた。それほどじっくり話したわけではないので、お互いにほとんど覚えていなかったのだけど、こういうことも縁、と思い、食事をしながら話を始めた。

しばらく用事について話したのち、僕らは家族のことを話し始めた。いつ日本に来たのか、結婚をしているのか、子どもはいるのか…Aさんに話が及んだとき、彼は口ごもった。だけど、話たくない風ではなくて、どう言っていいのかわからない、そんな感じだった。Aさんは「長い話だ」と断り、彼のことを語りだした。

Aさんは、セネガルで知り合ったBさんという女性と知り合う。なぜBさんがセネガルに渡航したのかはわからなかったが、とにかく、AさんとBさんは、セネガルで知り合うことになり、Bさんの何度目かのセネガル渡航のときに、Aさんとの間に子どもを授かった。父として、そして、夫として、AさんはBさんのそばにいるべく、日本に渡航する。2008年のことだ。Aさんは渡航するも、例によってまともな仕事にありつくことは至難の業。6ヶ月間、簡単なアルバイト以外には仕事が見つからず、Bさんはそんな稼ぎのないAさんに食事すら与えなかったという。そして、Aさんは何とか仕事を得(職種は伏せる)、二人の間に娘が誕生した。

しかし、それから1年ほどがしたある日、Aさんが仕事から帰ると、部屋にはAさんの洋服以外のものすべてがなくなっていたという。Aさんは5分ほど立ち尽くし、パニックに陥る。警察に行き、事情を説明し…しかし、「警察は日本人を守って」、Bさんを探すことすらしなかった。そして、その翌日、彼の元に、30万円の請求書が届く。AさんがBさんに渡していたお金から家賃を払っていたはずなのに、Bさんは払っていなかったのだ。大家さんの温情で、すぐに退去させられることはなかったが、Aさんは少しずつ、お金を返していく。

その後、Aさんは別の女性と再婚したが、Bさん、Bさんとの間の娘にはそれ以来一度駅で会ったのが最後。すでに娘は父の顔を忘れ、Aさんの顔を見て怖がったという。その娘も今年で5歳。Aさんは「きっともう何もおぼえていないだろう。そろそろ娘は自分の父はどこか、とBさんに聞くだろう。そして、彼女は、あなたの父は死んだ、というか、いなくなったと説明するだろう」という。そして、結婚するときに分かったことらしいが、Bさんは実年齢を10歳も若くAさんに知らせていたと言う。
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何度もうそをつかれ、娘とも引き離されたAさんに同情し、また、それでも「日本にもアフリカにもいい人もいれば悪い人もいる」と達観する彼の言、僕の目の前だからそう言ったとしても、彼の人間愛には感心するばかりであった。以前、バレンタインさんの話を少し書いたが、彼の場合は権力、Aさんの場合は、どうもある個人の人格的な問題(たぶん、お互いに分かり合えないままに結婚生活を始めたのではないか、と思うのだけど)、この国に暮らすアフリカ人には少々つらい現実が多い。僕は、だからイコール、「日本」とか「権力」にその責のすべてを負わせてしまうことはロジックではない、そんな風に思う。もちろん、このままではいけない、と思うのだけど、権力の源泉には個人があり(ちょいネオリベ的だけど)、その個人はある社会の中で培われた風潮や印象の中で生活しているのだし、僕らからは見えない人をそのまま非難するのは何の問題解決にもならないように思った。そんな意味でも、日本でのつらい現実を受け入れて、彼の肌感覚のある範囲の人のことを語る彼にはとても感心した、そんな夜であった。

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