宮本常一『生きていく民俗 生業の推移』河出書房新社(2012年)


「人類学」と「民俗学」どう違うか、と言われると、今や古臭い言い方になってきたけど「異文化(他者)を扱う人類学」と「自文化を扱う民俗学」と理解しておけばいいのではないだろうか。実際のこれらの領域の手法や考え方はずっと複雑になってきて、もしかすると、この考え方自体、すでに間違いの部類に入ってしまうかも知れないけど、そこまでのことを突き詰める場ではない、ということで、この場はご寛容いただきたい。

さて、僕はそのうち人類学を学んでいる者なのだけど、やはり民俗学はとても気になる存在だ。もちろん、その手法やテーマといったものは然りで、自分が生まれ育った世界の世界観や暮らし(その多くがまったく体験したことのないものだったりするのだけど)、こうしたことに触れるのはなかなか刺激的なことだ。

そして、宮本常一をはじめとする、民俗学の先達たちの書く文章は真に美文。モノの描写、時代の描写、学ぶところが多い。そして、この本は、宮本が歩いて集めた「生業」を通した資料を基に、商業や職業の起こり、都市と経済の関係など、数多くのテーマをつむぎだしている。人びとの生活とその周囲について、実に豊かな記述を織り成している。

さて。中にこんな記述がある。権力構造による職人層の形成の文脈である。

「◎一人前
 自給生活はいうことは、実は素人の"間に合わせ"で暮らしていくということであった。したがって、そこに見られる技術はいたって稚拙であった。
 しかし貴族に規制する工匠たちの間には、高い技術が見られた。そして民間との間には大きな断層が存在していた。
 ところが、律令政治が崩壊して、中央政府の力が衰微してしまうと、これらの工匠の子孫たちは、しだいに民間に入り込んでくる。そしてそれぞれの仲間で同業者集団としての座を形成してくるが、それは自分たちの権利を守るだけでなく、自分たちの技術を伝えていくための組織でもあった。」(202)

中央集権的な「国家」の成立が社会分業論的な過程を生み出し、その後の日本に見られるようになった職業意識や職人文化を生み出していく、という構造を説明した箇所である。その後、

「封建社会にあって、都会が農村に対して働きかける力はきわめて弱いものであった。したがって、職人たちの作り出す品物も一般大衆を相手にして、つくっておけば誰でも買ってくれるというようなものは少なく、たいていは注文に応じて作ったものである」(216)

として、技術の質的部分に言及していく。構造的な記述を施しながら、この15ページの間に、ヒエラルキー、空間的な配置、そして人の動態までが語られる。実に鮮やかな社会構造記述、こうした記述からはみ出た部分(何をやってもすべて書ききれるものではないが)には、赤松啓介あたりに柳田が書かなかったことが批判されるように、人間の見られたくない部分がある。僕はあまりよくしらないけど、いろんな批判はあるはずななか、やはりこういう記述の手法や機能主義と構造主義では割り切れない社会の描き方とかはとても勉強になる。

これからどれくらい読めるか分からないけど、もっとこういう本も読まねばな、と思う。



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