2011年3月2日水曜日

『インパラの朝』



tsujiさんに触発されて読んでみた。『インパラの朝』。



約2年間にわたる旅行の記録をブログに落とした文章が元になっている。ブログもその後拝見したが、この本と同様、なかなかおもしろかった。



僕もバックパッカーからアフリカ通いを始め、そのきっかけとなった問題意識もとても似ている。「彼らは本当に貧しいのか」、という疑問。そして、そこで「私に何ができるのか」、「私は何をして/すればいいのか」という、私と貧困、もしくは他者との付き合い方(これは読みすぎかもしれないが)。


彼女の視野の広さは、ユーラシアからアフリカ大陸という「旅行」にもう一つの視座をおいているところから分かる。この本を読んで、筆者の関心のコアには、上の貧困への問いと、もうひとつ、人の声に耳を傾ける、という旅人として正しい営みが読み取れることである。この意味で、自慰的なスタンプラリー・バックパッカーとは違う。


筆者はとてもストイックだが、決して優等生的ではない。ズルもするし、女の部分も使う。書かれた正義は軒並み破たんする時代、どちらかというと、彼女のたくましさとクールさ/クレバーさはそれなりに称賛したい部分だ。


あんまり比較しても意味がないかもしれないが、沢木耕太郎氏の「深夜特急…」と、読後感の比較レベルで考えてみたい。この二つの旅行記の差は、旅行された時代の差だ。それは、旅を取り巻く環境だけでなく、著者自身が育った環境こそ、「旅」に異なった色を与える。沢木氏の著は1970年代から80年代、まだヒッピー文化の影響を色濃く残す。一方で、90年代の退廃的なバックパッカー(もしくは「自分探し型」)の時代を越えて、すでに、自分を浄化してくれる辺境も他者もないことを織り込み済みで行われた旅、これが中村安希さんに与えられた環境だったのだと思う。これは、たとえば、ボランティアであふれかえるマザー・テレサの施設やらに象徴的に表れる。きっと沢木氏の時代なら、相当にもてはやされた経験が30年を経て、すでに色あせてしまう。


中途半端だがこの辺で。文章も熱からず冷たからず、とても心地いいので、一気に読めてしまう。間違いなく、最近の正統派旅行記としてお勧めしたい。


最後に…一番気に入らなかったのは、5人の評者が書いた帯のキャッチで、誰のもよくわからん。

1 件のコメント:

  1. 私は、学校の図書館で借りたので帯びの書評を知りません(笑)しかも斜め読みでしたし…。『この本を読んで、筆者の関心のコアには、上の貧困への問いと、もうひとつ、人の声に耳を傾ける、という旅人として正しい営みが読み取れることである。この意味で、自慰的なスタンプラリー・バックパッカーとは違う。』『90年代の退廃的なバックパッカー(もしくは「自分探し型」)の時代を越えて、すでに、自分を浄化してくれる辺境も他者もないことを織り込み済みで行われた旅、これが中村安希さんに与えられた環境だったのだと思う。』なるほど…と思いました。私より貼るかに素晴らしい書評です。

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