2016年5月7日土曜日

広島大学大学院総合科学研究科(編)2016『世界の高等教育の改革と教養教育-フンボルトの悪夢』丸善出版


執筆者の長坂格先生よりご恵投いただきました。

ここ数年間、西アフリカの「伝統的な」初等教育に当たるクルアーン学校を集中的に追ってきたものの、こうした研究活動を行ってきたのは、間違いなく高等教育機関である大学や、研究所だった。我われが置かれた場がどのようなところなのか。

年配の先生方の昔語りを聞いていると、非常におおらかで、たっぷり知識や人間を熟成させる時間があった時代があり、きっと僕はこうした先生方の語りをギリギリで経験できていいたのかもしれない。たとえば、加藤典洋という先生が母校にいたのだけど、この先生の部屋は確か鍵をかけていなかった。加藤先生の部屋には、壁にびっしりと文庫本があり、ソファにはゼミ生たちが座り込んで議論したり、本を読んだり。冷蔵庫にいつもビールがあって、僕が初めて加藤先生の研究室を訪れたときには、ゼミ生が場慣れした感じでビールを差し出されたのを覚えている。また、勝俣先生やらはよく居酒屋で会ったし、学生たちは金もないのに、よく飲んだ。少し基礎学力の弱い大学だったけど、ドゥルーズ+ガタリの分厚い単行本を「持っている」のがステイタス・シンボルだったり、この本で言われる「教養」に近いものの中にどっぷりとつかっていたような気がする。

しかし、きっと、この本で「教養」と呼ばれているものと、当時、僕がそう思っていた「教養」はかなり異なっているのだろう。フンボルトは「自由に研究を進めて批判的思考」する学生が育つことを夢見た。しかし、90年代に入り、バブルがはじけるころには、教養よりも、実学に重点が移っていく。ドゥルーズ+ガタリの本を持つことがステイタス・シンボルだった一方で、ハウトゥ(マニュアル)本に手を出す人も多かった気がする。

そして現在、非常勤講師などで見ていると、やはり本を読む機会が少なくなってきている気がする。もしかすると、電子書籍など、読み方が変わっただけかもしれないけど。また、本以上にコミュニケーション自体がずいぶん少なくなってきている気がする。こういう、教養を醸成する環境が次第に少なくなりつつある。

最後にメモ的に。ヨーロッパの大学の連携を推進する「ボローニャ宣言」および、そのプロセス。経済的な連合体であるEUにとって大きな舵なようだ。最近、ライシテの問題に関心があるのだけど、教育の地域連合的なビジョンは、ライシテの原則とどのように関連していくのか。また、西アフリカなど、旧植民地の教育政策にどのようにかかわるのか。非常に関心をそそられるのです(本書の第2部でも論じられている)。


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