2015年4月20日月曜日

SNSで困ること 進歩派を自認されている方へ

Facebookについて。

時々、SNSの中のコミュニケーションに困ること、きっとユーザーであれば必ずあるのではないでしょうか。僕自身、FBも一つの大切なコミュニケーションツールになって数年経ちます。学会や研究会で会ったヒトと繋がっておくと、記憶が常に更新されるので、記憶に残りやすい、ということ、高校の同級生たちと旧交が復活したこと等々、まずまず有効に使えているような気がする。

ただ、やはりちょっとメンドクサイこともあるのも確か。以前から2,3度のトラブルには見舞われている。紹介したばかりのヒトにアクセスして、「誰だっけこのヒト?」という問い合わせがあったり、知人を装ってトモダチにさせられたり…

中で一番多いのが、今回のようなケース。

多分、最初に僕のトモダチの属性を書いておかねばならないでしょう。多いのは、研究者、NGO等援助関係者といった仕事で関わりのある方。後は高校や大学、大学院の関係者。後者が結構多様な考え方をもっていて、前者は全体的に進歩派を自認されている、と感じていて、割と発言はパターン化している。

僕自身、これまでのいろいろな経験から、僕は必ずしも進歩派に共感ばかりはできないことは、時々言っているし、進歩的であることがよく勉強していることと直接繋がらないし、それが正しいことは僕はむしろ少ないと思っています。なので、割と自称進歩派の方の書くこと、多くの場面で賛同できないわけです。そして、それに反論を書けば、約400名に対して公開でやりあうことになりますから、基本的には黙っているか、とても時間をかけてやわらかーいお返事を書くことになります。

最近の話題を例に挙げてみたい。実際にFBでも話題になったことです。

原発に関する記事をアップしたところ、「そうですよね!やめないといけないですよね!」というご意見をいただく。僕も、今の状態では原発に反対はそうなのだけど、もし原子力をある程度制御できるようになるのであれば、もう一度考え直してもいいかと思っています。なので、当座原発は止め、原子力の研究は益々続けるべきだと強く思っています。彼らのやり方で、これは実現できるのか、そう考えるとどうもそこまでは考えていなさそう。

もう一つ。先日の曾野綾子さんの産経新聞のコラム。曾野さんは、日本における移民の話を書いていたところ、その中の一部にアパルトヘイトを称揚していると解釈されかねない一説が。NGO、アフリカ学会などが抗議文、質問状を産経新聞社に送りつけるということがありました。コラムを読み直したところ、確かにそう読めなくもないのですが、その前に真意、というよりも曾野綾子さんの知識を問うべきだろうと思いました。どうも「保守誌」産経と「保守の重鎮の」曾野綾子というヒトをたたきたいだけのような発言も多かったですし、なぜあれで「謝罪」まで求められるのだろう、ということも疑問でした。立場上、こちらもFBで拡散したり、ということをやったのは確かですが、突然「そうですよね!」と言われるとたじろいでしまう。

それで今回。ジャマイカで大麻が合法化されたらしいのです。ニュースがピーター・トッシュのレコードのジャケット(Legalize it!(ガンジャを)合法化せよ!)というなかなかシャレたニュースだったので、これをシェアしました。ここで僕が言いたかったのは、抵抗文化としてのラスタファリアニズム。権力がラスタたちになびいたら、彼らは何に抵抗するのか、ということで、このニュースを紹介してくれたヒトのTLには、「ラスタファリアンを換骨奪胎するための権力側の陰謀」ということを「冗談」で書きました。その続きがこれです。



そうしたら、こんな書き込みが…



申し訳ないのですが、日本でも合法になればいいとは、まったく思わないのです。まず、大麻をやったら数時間まともな仕事はできなくなります。医学的にタバコよりも害がないということなど、確実に証明もされていないと思います(これだけいろんな説が流れるということはまだ固まっていないと思います)。法制化の問題にかんしても、緩和される傾向にあるヨーロッパ諸国に比べ、東南アジアやアラブ圏の一部では厳格化している、ということも見逃してはいけないと思います。で、中毒性はないかもしれませんが、常習性は確実にあります。規制するためにタバコくらいには投資は必要です。まだ、自分の意見としてはっきり話せないので、この辺は勉強していきたいですが、そういうレベルです。

公開したものに対して、別のところでこうしてウジウジと書くのはよくないことです。が、400人の前でケンカする内容でもないし、あったこともない方なので、ちょっと申し訳もないな、という事情もあり、またここで書いているのですが…でも、一つだけどこかではっきりさせておきたいと思うのは、反権力的であることの正しさ(「規制を解いていくこと」の正統性)は全く共感しないことで、権力のなす業に対してロジックな説明が合理性を持たなければ、反権力になびく人たちの営みは、幼稚園児の駄々っ子のそれと同じようなもので、生活をかけて世の中の仕掛けを作ってきた権力以下の価値しかないと思っています。



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