2013年7月14日日曜日

「シリアス(まじめ)」に国際協力をやるということについて

*一応実話ですが、少し問題のある部分も出てくるので、まったく本名に関係のないイニシャルにて。

昨日あったAさんという人。今やっている調査のキーマンになる人なのだけど、その人と今後の打ち合わせのために事務所を訪れた。少し急なアポのせいもあり、これから2003年以来携わっている学校があるから一緒に来ないか、車の中ででも話をしよう、ということで、ワガドゥグから20㎞ほど離れたB地に行った。

そこには、約2haはあろうかという土地に、いくつかの建物が立っている。中学校を作っているという。校舎と寄宿舎、教員の宿泊施設は整っていて、ほかのいくつかの施設はこれから順次整えていく。そして、こんなビジョンがあって…ととても楽しそうに語る。

彼のキャリアは華々しくて、いうなればNGOエリート。彼とそのあと食事に行くのだけど、こんな話があった。

「見てくれたか?あの学校には、10年かかったけど、今後を含めると、数千万円単位のお金がかかっている。最近のこの国の発展を見ていてわかる通り、ありあわせのものではもう人は動かないんだ。ボランタリズム(無償奉仕の精神という意味で使っている)なんて、もう期待してはいけないんだ。質の高いものをどれだけ提供できるか、これからのプロジェクトはこれを考えなきゃだめだ。シリアスに考えなきゃ…」

いろいろな意味でアフリカは変化している。僕がアフリカに来始めた15年前とは隔世の感を覚える。最近「スモール イズ ビューティフル」を読んだのだけど、確か、僕が大学生のころはこの本、みんな読んでいて、国際協力業界を目指す人のバイブルみたいだった。この中に「適正技術」とか「中間技術」というのが出てくるんだけど、つまり彼はこういう、「途上国」向けの劣化版技術への批判を述べていたのか、と推測した。

「24時間テレビ」が始まった80年代中盤。アフリカは未曽有の干ばつに見舞われていた。この番組では10億円くらいの寄付が集まったと記憶しているが、そのお金を持ってエチオピアを訪れたこの番組を放映した会社のお偉いさんは「これで大丈夫だろう」と言ったとか言わなかったとか。こんな話が20年以上経った今でもリアリティを持っているのはなぜなのだろうか?Aさんがいうように「シリアス」に考えていないわけではないはずなのに、こんなギャップが今でも厳然と語られてしまう。

「箱もの」援助が批判され、「社会開発」という、何とも妙な方策がもてはやされ、一周回って「箱もの」の大切さも再認識されてきているわけだけど、もう一つ先に行って今の時代や開発のスピードを考えると、どうも対応が遅いような気がしてならない。僕も地味なこと(アンドロポゴン)をやっているけど、そのプロジェクトをやろうとしたところは金掘削に沸いていて、年間に数百円という効果になど目もくれないだろう。それを僕は「カネ/金の亡者」などというのは、まあ、こんな話の部類で、まったくわかっていないということか。一層、ネオリベ的にどこかの国が言い出したように、「投資」先としてアフリカをとらえた方がただしいのかな…

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