「なぜアフリカを学ぶか」考

アフリカを仕事場にする。僕は大学生の時にそう思った。その時何を考えてそう思ったのか定かではない。たぶんNGOとか国連機関とかで、貧しい人のために働く、ヒーローのようなものを想像していたように思う。

今でもそんなところはなくもないことが今回の滞在でわかったのだけど、それから15年くらいたって、なんか変わった気がする。それは、アフリカが「貧しい」という一言で片づけられないことが分かったからだろうし、貧しい中でも頑張って笑顔を絶やさない、美しい人々という幻想からようやく覚めたからなのかもしれない。実際、今回など、ムカつくことが多すぎてあんまり外に出たくなくなるほどだったのだから。

でもやっぱり初めて僕の仕事について聞く人や、きっとしばらく離れていた高校の友人などは、きっとまず「なぜアフリカ?」が最初の疑問になるはず。今回のTICADで初めてアフリカは新たな「投資」先として注目を集め始めたわけだし、個人的な感覚ながら、日本のビジネスパートナーとしてはまだまだ難しいと感じるはずだから、「仕事」としてかかわるにはなかなか理解するのが難しいと思う。

おおざっぱだけど、どんな人といると人は快適か、というと、そのかかわり方にもよるけど、親しくなりやすいのは、割と同質的な人なのではないか、と思う。もちろん、奇異なものに対する興味やお互いに歩み寄りのあった場合はまた別だけど、大体の場合、ある社会は多数の他者の集まりだから、多くの場合、異質なものは簡単には受け入れられない。また個人的な感覚だけど、アフリカの場合は、それでも懐が深いような気もするけど。いずれにしても、僕の場合、もうずいぶん長く付き合ったのに分かり合えないもどかしさ、この異質な人たちと分かち合えないしんどさが今回の「ムカついた」原因だったように思う。

確か、川田順造師も「くれくれ」を繰り返すテンコドゴ(ブルキナファソ中南部)の人たちにいら立ちを隠していなかったし、多かれ少なかれ、僕らの職業の人たち、つまり人を研究する人たちはたくさん「ムカついた」経験をしている。こういうことを少し客観的に見られるようになってやっと「なぜアフリカを学ぶか」ということを考えられるようになるんだろう、ということは本当につい最近になってわかった。これまでいい加減に「それでもアフリカっていいんですよ」とか説明してしまった人には申し訳なかったけど、やっと考えられ始めた、ということが言いたかったのでちょっと書いてみた次第。

また少しまとまったらこのネタ、もう少し書いてみたいところ。

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