2010年3月6日土曜日

ブルキナファソ最古のモスク~Sagbotenga~

今回の調査で最後の大物。今回の調査を始めた時からしばしば名前を耳にして、必ず行こう、と思っていたSagbotenga(Sagbo=tôブルキナファソの主食, tenga=village "トの街")。ワガドゥグから70kmほどの距離に位置している。

ドライバーは、前回の調査でたまたま乗ったタクシーで知り合ったキェーバ。グルマンシェで、Iまやさんの調査にもいろいろ協力してもらった楽しい35歳(同い年)。
実は、最後の最後、少々調査費も苦しくなってきて、燃料代やらドライバー代諸々を考えるととても厳しかったのだが、今回の調査、長老級に話を聞くことが多く(80歳を過ぎると次回お会いできない可能性もあるので…)、できるだけ今回できることはやってしまいたいと思い、少し無理をした(おかげでVISAカードが意外に使えることが判明。)


舗装道路を走ること約60km。こんな看板が見える。

そう。今回の目的は、ハウサ、ヤルセというブルキナファソにイスラームを持ちこんだとされる人々のルーツを探る旅。アミノゥ、タル、ザカリアさんに、イマームの息子、そして、ドライバーのキェーバの6人で訪れた。

El hadj Seafouという前ブルキナファソイスラーム協会の会長から、ブルキナファソで最も古いモスクがあると言われ、これを見てみたい、と思った。きっとモスクの形状からイスラームの伝わった経路がある程度はっきりするはずで、自分の将来の研究のことを考えても、重要な起点になることが予想される。

村は、上の看板から約12kmのところにある。ダートの道をメルセデスで疾走し、村に入る。イマームのところに通される。皺の深い、とても優しそうな老人だ。
この地域は中部モシ王国の中心からほど近い。現在、利用可能な井戸は4本しかないが、この時期に貯水池に水が枯れず、水場の回りに菜園が広がる。そして何より、この村に入って印象的だったのは、マンゴーの木の多さである。マンゴーの木は、葉が濃く、薄暗い日陰をもたらす。その木陰で女性が穀物を粉にしていたり、コットンの糸を縁っていたり。憩いの場なのがよくわかる。よく知らないが、あれだけみずみずしい果実をつける木だから、それなりに水があるところでないと密集させるは難しいのではないだろうか。
そして、いよいよ、長老たちに誘われてブルキナファソ最古のモスクへ。
約3,000人の村に16のモスクがあるというSagbotenga。みな敬虔なムスリムである。彼らが大切に守り抜いてきたモスクが上のモスク。こんな言い方をすると申し訳ないが、とても可愛らしい。とても小さい…
しかし、それにしても、このモスク、やっぱりマリの泥モスクの系統をひいているのがはっきりわかる。ジェンネの偉容漂う泥モスクとはいささか趣が違うが、屋根の形、泥作りのモスク…後に聞くと、このモスクを立てた現イマームの祖先はやはりジェンネでコーランを学んでいた。そして、イマームに誘われていざモスクの中へ。
小さなモスクだが、約20cmから30cmの厚みのある土壁の中は外気と比較にならないほど涼しい。一言目に「ここで昼寝をしたい」と言ったら、イマームが「ホッホッ」と笑い、「後で寝て行ったらいいよ」と…お恥ずかしい…というのはどうでもよいが、この小さなモスク、中はらせん状構造で、2層、屋上がある。私のようなデブは想定がいらしく、泥作りの階段、出入り口はほとんど這うような形で入らねばならない。まるで日本の茶室である。
しっかりモスクを堪能すると、モスクの影で質問を聞いてくれることに。
村の歴史を尋ねる。これまでの話通り、モシの王様との関係が深い。そして、植民地支配をしたフランス人との関係、イスラームを中心とした村の構造、この地域ではなかなか見られないような他民族構造…実に豊かな歴史を持った村であることが古老の口から語られた。約2時間に渡る説明でこちらがヘトヘトになっても、「この話はいいのか?」と言い、時間一杯まで話をしてくれた。
「ここで調査できたら…」などと、あらんことを思ってしまったが、それだけこの村がモシに与えた影響は強い感じを受けた。そして、たくさんのおかしなところも…
手前みそだが、インタビューの後に供されたト=Sagbo。バーベンダソースと共に滋味の強い、Djibo以来の美味しいトだった。いろんな意味でおなかいっぱいな一日だった。

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