50歳になりました

誕生日のカレー

目出度いのかどうかもはやよくわからなくなりましたが、数日前に無事に50歳になりました。

ブルキナファソのおんぼろホテルで、壊した腹を抱えながら迎えた、ハーフミレニアムの誕生日は、何とも自分らしい、と思っています。家族からの誕生日メッセージ、FBからのメッセージ、大変感謝。一重に関わっていただけたすべての方のお陰でここまでこられたし、自分の力など、微々たるものであることを改めて感じています。

昨日も体調がすぐれず、調査を途中で切り上げてしまった。今日は実質的な調査最終日、誕生日のことより、今日一日の調査を乗り越えられるかが頭の一番大きな部分を占めています。

ともあれ、30歳で大学院に入って研究をはじめ、何とか20年続きました。まだまだ若くて血気盛んな30代、何とか「研究者」になれた40代、この先はどんな研究者になるのか、もしくは、全く違う道があるのか…抱負というのは、だんだんなくなってきているのですが、何か、日本とアフリカをしっかりつなげていくことが自分の仕事なのかな、という気はしています。学生によく言っている「「To be(何かになる)」ではなく、「To do(何をするか)」を大切に」というのは、今日の自分にも問いかけなおしたいと思います。

僕は、おそらくちゃんとした「研究者/文化人類学者」ではありません。どちらかというと、「男の子」がそのまま大きくなっただけです。だから、集中力がなく、いろいろなところに関心が移ろうし、人が行ったことがないところに行きたがるし、やったことがないことに飛びつくわけです。そのようなわけで、私の研究成果など、大したことはありませんが、自分のこれだけは、ということはいくつかあります。中でも、ブルキナファソという国にフィールドを拓きなおしたことは、この先、長く影響を及ぼすのではないかと思っています。偉大なブルキナファソ研究の先人に川田順造先生がいますが、川田先生は孤高の研究者で、お弟子さんでブルキナファソ研究を継ぐ方が現れませんでした。研究を始めた当初、川田先生がブルキナファソ研究者であることにピンと来ていなかったということもありますが、NGOでの勤務経験や旅行の経験があったこともあり、無神経だったくらいに図々しくブルキナファソの社会の中に入っていったように思います。これは勝手に思っていることなのですが、このフィールドを切り拓いた、という思いはかなり強く持っています。このフィールド、私の力ではどうにもならないものではありますが、次の世代が入りやすいように、心がけて維持していきたいと思います。

もう一つ、自重の意味を込めて。「生老病死」、仏教で人間の苦難とされている事柄ですが、ここのところ、「老」と「病」の苦しみを少し感じるようになりました。まだ「壮年」で、「生」のほとばしりは失っていないつもりですが、こうやったらバテる、こうやったら体調を崩す、というパターンがようやくわかってきました。少しずつ弱っていくという事実を知り、少しでも長持ちするように心がけながら生活していきたいと思います。

半世紀生きた人間の思うところ、実に平凡ですが、仕事と自分の生活、そして、家族のことを書きませんでしたが、特にキイチロウがいっぱしの人になれるよう、努めていくばかり。





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