別れは突然に…

2005年の春、仕事を辞め、アフリカ⇒フランスに滞在して帰国した僕は、名古屋大学大学院に行くことになっていた。3月中旬に新居を定めて、3月末の春爛漫のなかを新天地名古屋に移り住んだ。

名古屋=ドラゴンズ、味噌煮込みくらいの乏しいイメージしかなかった僕にとっては、アフリカよりもよく知らない土地でもあった。まずはその辺を走り回ろうと、少し乗るのが楽しくなるような自転車を買った。確か5万程度の街乗りスポーツタイプ。

勤めていた時代の貯金を持ち、家財道具をボチボチとそろえる。たまに柔らかい春の日差しを浴びながら名古屋の街を疾走する。研究室に通い始め、いよいよ講義が始まり、新しい友達ができた。あんまり大きい声では言えないけど、夜中に電話で叩き起こされて眠い目をこすりながらこいつに跨って今池あたりまで行ったこともあった。そして、アフリカに行っている間は、雨ざらしで、必ず多少の整備が必要だった。ジーンズにペダルのボードが引っかかって、バリバリに割れ、スタンドが取れ、反射板もとれて、「愛車」は自然にデフォルメされる。もしくはメタモルフォーゼ、というべきか。余計なものが取れ、僕の腹とは裏腹に、どんどん研ぎ澄まされ、ストイックな車体になっていった。乗せてるモノが思いから、自分くらいは軽くなろうとしたのだろうか。

とにかく。約7年間にわたる名古屋での生活。市内ならどこに行くのもいつも一緒だった「愛車」だった。

数日前…

ブレーキの効きが悪く、人にぶつかりそうになったり、信号でとまれなさそうだったり…ブレーキパッドが完全にすり減っていた。

パッドを交換をせねば、僕だけでなく、通行人が危ない、と感じ、この自転車を購入した近所の自転車屋さんに行く。いつもの店主のオヤジさんにブレーキの交換をお願いする。

前輪のブレーキを直していた店主。「あれ、前輪のタイヤ、繊維が見えてますね」
私「交換ですか?」
店主「そうですね…。いつバーストするかわかりませんよ」
私「じゃあお願いします」

前輪が終わり、後ろのブレーキへ。
店主「あれ…スポークが折れてる…」
私「あぁ…それもお願いします。危ないですよね…」
店主「そうですね…」

スポークを直そうと、後輪を外す。
店主「あれ…、車軸が折れてますね…」
私「え、本当ですか?」
店主「ほら(グラグラする車軸)」
私「それも…ですよね?」
店主「そうですね…」

店主はそれに次いで、「ずいぶんかかっちゃいますよ」
私「いくらくらいになりますか?」
店主「う~ん…15,000円くらいかな」

店主はさらに…「もう何年乗りました?」
私「7年くらいですかね…」
店主「それだったら、そろそろ乗り換えてはどうですか?15,000円だったら、中古だけどいいMTBがありますよ。街乗りの自転車より少し重いけど、それほど問題ないと思います」

確か「愛車」には名前があったけど、すっかり忘れてしまった。たぶん、化粧もすっかり剥げて、いろんなところにおカネがかかるようになっていて、本当はもう辟易していたのかもしれない。店主のこの言葉を聞き、見せてもらったとき、「愛車」との別れは決定的なものになった。すごく愛していたのに…

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