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9月, 2024の投稿を表示しています

【セネガルプログラム】セネガルゴハン①:チェレ

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  チェレ@モルさん宅 20240830 ブルキナファソ滞在の後、ダカールで学生たちと合流。ブログのタイムラインがバラバラになりますが、セネガルのネタも一緒に紹介します。 今年で3回目となる「海外短期フィールドワーク/海外ショートプログラム」。だんだん引き出しも増えてきて、アフリカを初めて訪れる学生もスムーズに導入できるようになってきたのではないかと思います。 「セネガルはご飯がおいしい」。このプログラムの事前勉強会から実際の滞在まで含めたら100回くらい耳にするフレーズです。もちろんご飯がおいしいことはとてもすばらしいことで、学生たちも毎食舌鼓を打つわけですが、「おいしい」だけではダメなわけです。研修なので。一応、食文化研究が真ん中近くにある私がいる以上、食事はある程度のところからはその土地のことを知るきっかけにします。なので、セネガルで延々とコメばかり食べさせていてはダメで、やっぱりミレットやササゲを口にせねば。ただ、ササゲは街中でもなんとかなりますが、ミレットはなかなか見つけることが困難です。 今回は、サンルイのアテンドをお願いしたモルさんにお願いして、チエスのご自宅で提供していただきました。チェレはセネガルでは、金曜日(安息日)の夕方に食するのが一般的です。詳しくは以下の記事をご参考ください。 『セネガルを喰う』星野未来「セネガルのミレットの食べ方」 https://livingmontage.com/2023/01/01/series-senegal-5th/

【科研費関連調査】ブルキナファソ20240809-0820③:食文化の調査 Riz au Soumbara

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再会した「A店」のスンバラ飯 今回は必ず訪れる!調査の計画を立てているときから心に決めていました。 以前、よく行っていたスンバラ飯の店、拙著で「A店」としていた朝しか営業していないスンバラ飯屋が違う場所に移転したことは、アブドゥルから聞いて知っていました。しかし、朝早くに重たいスンバラ飯、というのはアブドゥルが微妙に嫌がるので、「仕事で行くのだ!」ということを伝え、当日を迎えます。 この日は日曜日、しかも到着2日目ということもあり、予定を立てるのが非常に難しく、きっと、この方はお休みだろう、と見越して公邸料理人の佐藤さんにお声がけ。なんと朝食からお付き合いいただけるようになったうえ、マーケット調査にもご同行いただけるとか。日曜日の予定をどうしようかと考えていただけに、とても充実した日曜日になりそう… そして当日。アブドゥルに大方の場所を特定してもらい、佐藤さんとも合流していざお店へ。以前はグンゲンという街の中心地区にありましたが、新たな店はピシという、グンゲンの外縁に位置する地域でした。 あの店、「クレア姉さんのところ」という名前だったんですね。A店改めです。 到着したのが8時半ころで、お客さんはすでにまばら。早速1000Fcfa(250円くらい)分をビビりながら注文。というのが、この店、以前は代金と量のつり合いが取れずに、大体盛り付けを見て気が遠くなるほど盛られるのです。3人でこんな感じ↓。相変わらずなかなかです。 久しぶり、ということもあり、妙に高揚していたため、こちらは3人でペロリ。佐藤さんにも絶賛いただき、この日の第一弾のイベント終了となりました。2年ほど前にもぬけの殻になった店を見て、店がなくなってしまったのではないかと心配していたのですが、生存確認ができてまずはよかったです。 まだまだ続く。  

【科研費関連調査】ブルキナファソ20240809-19②:「父と息子」

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レストランに貼られていたポスター 「父と息子 人民の偉大なる勝利」 多くの方が西側諸国から距離を取る現在のサヘル三国の行く末を案じているように思いますが、おそらくこの地域が進む方向性は大きく変化しつつあると思います。私はこれまで、様々な場面で、ブルキナファソやサヘル三国のフランス(西側)離れを評価してきました。 確かに、国際政治という大きな流れから見れば、これまでも、また、この先の一定期間は覇権を維持するであろう、西側から離れてしまうことは、この国の抱える貧困問題を考えると、どこか後退してしまう要因になるかもしれません。しかし、「政治」という上部構造の示す大きな力は、この地域の特に都市民の間では、思いのほか民意と強く連動する仕組みになっているように思います。これは、私が話をするようなその辺のおっさんの言うことが、実に的を得ていたり、その通りになったりする経験から私が感じていることです、そして、そうした、 市井の人びとの話を聞いていると、 このまま親仏的な政治を続けていくことで、政治が上滑りすることは、大きな間違いでないとも思っているので、余りに根深く強いフランスへの恨みを感じている私にとっては、やはり現在の軍事政権も、そうしたこの地域独特の「民主主義」の結果ではないかとも思っています。 以前、写真を出した交差点に掲げられるサヘル三国とロシアの旗、その横にある現大統領の写真は、トラオレという、クーデタで政権を奪取した30代の大統領の必死のプロパガンダに見えます。ニュースに出てこないことが多いですが、こちらの人びとの話を聞いていると、非常に強硬です。首尾一貫してテロリストに抗する姿、テロ、そしてこの地域の貧困の元凶であったフランスに明確にNOを突き付けた姿は、サンカラに模して受け入れられています。何人からか話が聞けたのは、トラオレ大統領就任後、 実効支配地域は 10%(60%→70%)上昇したことだったり、難民化した人びとが出身村に帰ることができるかもしれないという、肌感のあるテロからの解放の兆しでした。こうした、「強さ」や大統領の若さ、そして、フランスに対して真っ向から対抗していく姿は、当初から「サンカラ2世」の呼び声高く、圧倒的な支持を得る大きな要因の一つとなっていたことは間違いありません。今回は、明確なイメージ戦略(写真)も展開されていたのが印象的でした。 今回の