新しい場所の感覚

セネガル到着から1週間。ボスと共に到着後翌日から村に入り、昨日からカオラックへ。

と言っても、昨日は、バンベイからトゥーバ、トゥーバから北に150㎞ほど行ったダーラ・ジョロフへ、さらにカオラックに入り、今日の午前中は車を駆って150㎞ほど東進。もちろん、車で通り過ぎただけだが、これで、西半分はほとんど動いたことになる。しばしばそれぞれの興味のあるところを見つけては降りて、少し話を聞いたり、観察したり。多くの場合はボスの現地講義を聞いているのだが、これがずいぶんと勉強になる。よく考えてみたら、ずいぶん樹種も見分けられるようになったし、水の有り無しや天気の見方、ボスとフィールドを回るのはこれで3度目だが、いろんなことを勉強させてもらっている。

旅行から初めて、都市空間を専門として、子どもや宗教といった、文化的な対象を見てきた自分の経歴からすると、実は、ここ何年かでいろんなポケットが広がっている。もっと文献を読んだりしなければならないのだけど、とにかく、このあたりのことは毎年自分のわかる範囲が広がってきていることを実感する。

だが、慣れ親しんだブルキナから2000㎞離れたセネガルは、となると、これはまた別。まだダカールのバスやらタクシーやらの値段の感覚はないし、食事をするにしても、まだ適正価格はよくわからない。一人なら、やはり街を歩き、NGOの人に話を聞き、という決まりきったスタイルでそこに入り込んでいくはずなのだけど、こうしてボスと一緒であったこともあって、自然環境を先行してここの場所を少しずつ把握してきている。

気が付けばもう6月。1週間メールもカレンダーもそれほど意識せずに過ごしてみると、ずいぶんいろんなことから取り残された気がしてしまうが、世の中はしっかり動いているし、自分の周りで動いている人もみんなちゃんと元気に生きている。普段とまったく違うところに身を置いた時の暗中模索の部分とゆったりとした大きな時間のうねりが絡まり合っている奇妙な気分で今日を生きている。

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