まるはち人類学第1回研究会

とある研究会のあとの飲み会で「院生の研究会をやらないか」という某先生の一言がきっかけで、中部地区の人類学専攻の院生と研究会が立ちあがった。めでたく第1回の研究会は恙無く開催にこぎつけた。

しかし、同時期にあまりにたくさんのことを抱えすぎたため、完全にキャパオーバー…レジュメができたのも前日だし、全く練りもなし。

そんなわけで、とても人にお聞かせできる発表になりようもなく、案の定炎上したし、あんまり「終わった」という安ど感もないまま、日曜日は真っ白になった。

自己満足のブログではあるが、一応研究室ブログにもリンクを張っているので、満足する発表ばかりを載せているばかりではアカウンタビリティに反するので、ここは恥を忍んで。そして、約40名もいらしていただいた方々に感謝の意を込めて。

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日時:2010年4月24日(土)14:00-17:30
場所:名古屋大学文学部130号室http://www.nagoya-u.ac.jp/global-info/access-map/higashiyama/14時 

趣旨説明
14:10-14:50 清水貴夫(名古屋大学大学院文学研究科博士課程後期)「イスラーム、タリベ、NGO~イスラームの「ストリート・チルドレン」がなぜ発生したのか」
15:00-15:50 神谷良法(名古屋大学大学院文学研究科博士研究員)「発展を妨げる妖術:妖術に対する国家の欲望」
16:00-16:15 コメント 浅野史代(名古屋大学大学院文学研究科博士研究員)
16:15-16:30 コメント 東賢太朗(名古屋大学大学院)
16:30-17:30 討議終了後
懇親会有り。

「開発と宗教現象」ある国をより良い状態にするため、「開発」をおこなう。これは啓蒙主義的観念を含んだ表現であるといえる。ここには、開発側と被開発側の非対称性に根源を持つ2つの問題点が存在することは指摘されてきた。何をもって良い状態ととらえるかは、開発側の価値観の影響を多大に受けがちである。また、開発に際しては、被開発側の人間が合理性、しばしば経済的合理性を追求するものであるということが暗黙裡に含意されていた。換言すれば、到達地点および到達法の両面について、一方的な視線のもとに開発がなされてきたといえよう。それゆえに、開発は「失敗」――到達地点に関しては開発側が満足のいく結果にたどり着かない、到達法に関しては被開発側が開発側の期待するような行動をとらない――することがままあったのである。開発関係者は、このような状況を乗り越えるために、調査法を洗練し、同時に開発法も住民参加型の開発を目指すようになってきた。しかし、その方法論の多くが人類学的な参与観察法を参考にしたものであるにもかかわらず、開発における人類学の位置づけは、実に表層的な部分に注目しているに過ぎない。開発の現場における人類学の貢献の可能性は、こうした調査法や人類学研究者の地理的、地誌的な知識のみではない。人類学は現地調査および隣接諸学問の成果を接合させて、その地の人々の思考の様式を明らかにしようと努めてきたが、これらの知識が開発の現場、さらに「開発学」という学問領域で十分に活用されているかは疑わしい。たとえば、サハラ以南アフリカ諸国を例に取るならば、「近代の造反者」(Comaroff & Comaroff)と称され、社会問題化しているとされる妖術現象は十分に検討されているといえるだろうか。政治学の分野で言及されてきたサハラ以南アフリカ諸国に蔓延する縁故主義(Bayart 1993)に蓋をしてはいないだろうか。これらの現象は開発の現場に関係していないようでありながら、開発の成否を決める要因となりうる可能性を持つ。このようなものに目を向けずに現場での試行錯誤を繰返しているのではないだろうか。開発と宗教現象(注1) と題した本企画が目指すところは、開発と宗教現象という分析レベルでは決して近くはないところにある両者に存在する相互関係を照射し、両者についておこなわれていた分析を接合させていくことにある。清水は都市におけるタリベ(注2) とNGOの関わりから、一方、神谷は、宗教現象、とりわけ妖術をふくむオカルト現象にまつわる問題から開発を照射することを目指す。注1:ここでいう宗教現象は不可視のものとの関わりあいとして広義に捉えておく。したがって、たとえば、占いや近年日本でもしばしば喧伝されるスピリチュアル・ムーヴメントのようなものも宗教現象の範疇ととらえる。注2:Taribéはアラビア語起源の言葉で、「学ぶ者」全体を指す。コーラン学校、マドラサの生徒を特定して指し示すこともある。参考文献Bayart, Jean-François 1993 The State in Africa: The Politics of the Belly, translated by Chris Harrison, Longman.Comaroff, Jean & John Comaroff (eds.) 1993 Modernity and Its Malcontents: Ritual and Power in Postcolonial Africa, University of Chicago Press.

発表1:清水貴夫(名古屋大学大学院博士課程後期)「イスラーム、タリベ、NGO~イスラームの「ストリート・チルドレン」がなぜ発生したのか」ブルキナファソの首都、ワガドゥグは近年の顕著な都市化に伴い、「ストリート・チルドレン」が社会問題化した。「ストリート・チルドレン」が社会問題化したことが分かるのは、NGOや社会行動省がこの問題に対処し始めたころで、大方が90年代後半ころと言える。このころからの「ストリート・チルドレン」の統計資料から、1990年の80人から、2007年の2,500人へと大幅増を見ている。ワガドゥグの「ストリート・チルドレン」問題にかかわるNGOの草分け的な存在として、赤十字ブルキナベとケオーゴがある。両団体と深くかかわる、モーリス・ソメ氏らは、ケオーゴの活動評価書中に、「ストリート・チルドレン」を、路上で寝起きする少年たち(Enfant de la rue)、路上を生活の主たる場とする少年たち(Enfant dans la rue)、タリベ Taribéの3つの少年たちの状態を定義する(Somé2010)。都市化や近代化、根底に横たわる貧困よる、「ストリート・チルドレン」の現出は、これまでも多くの機会に論ぜられてきたことであるが、イスラーム子弟を指すタリベを「ストリート・チルドレン」とするのは、早くからイスラームが伝播し、急激な都市化が進む、西アフリカに独特な現象であると言えよう。イスラームは従来、旅人を歓迎する宗教性を持つ。よって、従来、家庭や村落社会から逸脱する少年たちも、「ストリート・チルドレン」とはならず、イスラーム社会に吸収されることが十分想定される。しかし、この現象がなぜイスラーム社会、ワガドゥグで起こるのか、今一度、イスラーム社会の変容とNGOを合わせて考えてみたい。

発表2:神谷良法(名古屋大学大学文学研究科院博士研究員)「発展を妨げる妖術:オカルト現象に対する国家の欲望」「あなた方はアルコール依存症と妖術と戦わねばならない」(1983年5月26日カメルーン共和国大統領ポール・ビヤ)[Fisiy 1990: 1]「政府がお前らのためにやっていることをお前らのくそったれな妖術で妨害するのはyめろ!」(カメルーン共和国一地域の行政官の発言)[Fisiy & Geschiere 2001: 229]かつて妖術をはじめとしたオカルト現象は近代化とともに消え去っていく「迷信」とされてきた。しかしながら、近代化したはずの現在のサハラ以南アフリカ諸国においても妖術や儀礼殺人はメディアの中で語られ、社会問題として取り上げられる。オカルト現象は近代化の光とともに消え去るどころか、近年になってもなお盛んであるということができよう。このような状況に対して、20世紀後半から「妖術のモダニティ論」と総称される一連の論考がなされてきた。これらの諸論考に共通するものは、オカルト現象をめぐる問題をグローバル化する世界、新自由主義経済での格差拡大に対する民衆の適応あるいは反応として捉えることにある。これらの諸論考は一面で正しい。しかしながら、民衆の適応や反応としてしまったときに、オカルト現象と民衆の間に介入してきた主体の動きは指の間からこぼれおちてしまうのではないだろうか。たとえば、カメルーン共和国では、妖術は刑法によって禁止されているばかりか、実際に司法の現場で運用され、「妖術師」は刑事罰を受けることがある。また、冒頭の引用にあるように大統領や行政官によって国家の営みを妨害するものとして非難されている。オカルト現象は国家の発展に対する内なる敵であり、国家はこれに対し介入を試みているといえよう。オカルト現象をグローバリゼーションや経済の問題に対する民衆の反応として捉えるのは以前に国家のオカルト現象に対する介入を視野にいれる必要があるのではないだろうか。そこで、本発表は、サハラ以南アフリカ諸国におけるオカルト現象と国家の間の関わりに着目する。この際、国家をオカルト現象と民衆との間に介入する主体として捉え、国家のオカルト現象に対するまなざしを明らかにし、そのまなざしの意図について考察をおこなう。

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