投稿

ラベル(調査(アフリカ))が付いた投稿を表示しています

【フィールドワーク2025-2026】アソシアシオン(Association)かソシエテ(Société)か?

イメージ
サワドゴさんが購入した土地  28日、30日と10年間継続しているイマーム、サワドゴさんの事務所を訪問した。また恰幅がよくなった気がするが(人のことは言えない)、貫禄が増し、1年半という長い間訪問できなかったことを詫び、この後はもっと頻繁に来るように言われる(そうしたいのはやまやまだが)。宗教の調査なので、もちろんなのだが、毎回ここを伺うと、何度も何人もの人に祈ってもらえて、何だかご利益があるような感覚を持ってしまう。 2023年の1月に立ち上げたスンバラ・プロジェクトが軌道にのり、順調に製造、販売が行われている、という報告を受け、この先の展開として、いくつかのプロジェクトの立ち上げを進めていることの話が聞けた。すなわち、石鹸製造とコットンの布の製造販売、なのだが、サワドゴさんは、すでに着々と準備を始めている。このうち、石鹸の製造に関しては、当初より希望していたものだったが、コットンの方は何かピンときたのだろう、すごいスピードでビジネスを始めている。 石鹸ビジネスを始める予定 石鹸はこれから講習を受けて始めるとのことだが、すでに象りをする機械を制作し、アソシアシオンのロゴが入るようにしている。あとは講習を受けるのと、原材料の仕入れのための資金をためるという段階だ。 下の写真はサワドゴさんがスンバラなどを売っていたブティックをコットン販売のための店舗に改装。スンバラなどは事務所近くの広場に立てた小さな小屋に置いているそう。 3つの商材を柱として、製造から販売まで手掛ける予定だが、これらの製造は、しばらく前にサワドゴさんが購入した土地(トップの写真)に工場を作る予定。こちらも資金調達待ちとのことで、この後の展開が待たれるところだ。 繊維の販売も始めた こうして手広くビジネスを展開するサワドゴさん、2023年に話していたように、多くの雇用を生んでいるのは間違いない。とにかく安定した仕事の少ないこの地域にとっては、大変重要な人物であることは間違いない。 そして、サワドゴさんが紹介したい方がいる、とのことで、30日の午後に紹介を受けたのがイルブドゥさんという女性。お連れ合いに先立たれ、3人の子供を抱えながら、ごみ収集業を行っている。7人のスタッフと共に、「タクシーモト」と呼ばれる3輪車と2頭のロバに荷車を引かせ、忙しく収集をしている。 Ilboudouさん、サワドゴさ...

【フィールドワーク】セネガル人と日本語学習

イメージ
  ハサイドを朗誦する コロナ禍最中の2021年。海外調査が限定的となり、再開した「在日アフリカ人」の調査研究。日本に住むアフリカの人びとを対象とした研究は、私の指導教官でもある和崎春日先生によってはじめられました。私自身は、と言えば、2007年、2008年ころまではあるアフリカ系の方が起こした国賠訴訟に関わりながら調査を進めたものの、以来アフリカでの調査に専念していたため、10年ほど時間が空いてしまいました。 研究の本筋の話は、下にある「最近の研究」をご覧いただくとして、少しずつ関係性が強くなってきたセネガル人コミュニティとのメンバーと一緒に日本語教室を始めました。参与する中で日本に来たばかりの方が日本語で苦労されていること、また、男性についてきた女性や子供たちが日本語習得で困っていることなどの状況を知るに至り、私の方から申し出ることにしました。同じ時期、所属校で親しくさせてもらっている若手職員が 日本語教師の国家資格 (登録日本語教員)を取得したとのこと。セネガル人コミュニティの日本語習得状況を話しているうちに、日本語を教える練習がてら…ということで、講師役を引き受けていただけるとのことになった、という、幸運も重なったという背景もありました。 そんなわけで今年1月から少しずつ始めた日本語教室。幸運にも、学内の予算も取れ、若手職員の人脈でボランティアの方にも応募いただき、5月後半から毎週開催にこぎつけています。一応、調査の一環ではありますが、少しでもお役に立てればよいと思っていますし、なかなか交流を持てない人たち同士が交わり、お互いの理解が進むとよいと思っています。 在日セネガル人の研究、公刊の度にお知らせしていますが、改めてご紹介しておきたいと思います。 ■ 最近の研究 「 宗教的な結節点をつくる:在日セネガル人コミュニティの新たな展開 」(日本アフリカ学会第62回学術大会発表資料、2025) 「ムーリッドを中心とする在日セネガル人の 民族誌的研究序説」  (『インターセクション』Vol2、2024)

TICAD・アフリカ学会:産官学とは言いますが…

イメージ
  5月17日、18日の両日に開催されたアフリカ学会が終了。先日ブログでも紹介したように、和崎先生らと共に フォーラム(分科会) を組織し、会期中はこのメンバーとひたすらにディスカッションをし、非常に濃厚な時間を過ごしました。 いろんなところで言っているので、このブログのどこかにも書いたのではないかと思いますが、TICADが行われる年の学会くらいは、TICAD、学会が連動してもいいのではないかと思います。結局行けなかったのですが、公開シンポが「社会実装」を謳っているのであれば、意図的にシカトか?!と思ってしまう…TICAD「東京国際アフリカ開発会議」の「開発」が経済のみならず、相互の文化・技術交流なども含みこむのであれば、アフリカ学会は非常に象徴的な学会のはずですし、学際研究としての地域研究は多様で複合的な視点からアフリカを分析していて、間違いなく重要な知見が数多くあるはず…TICADが始まって約30年間、両者は一度もオフィシャルに協働したことはなく(私も何度か「サイドイベント」を組織したことがあります)、これは政府・行政は学術に目を向けてこなかった、ということの証左ではないでしょうか。逆に、学問の独立性はともあれ、学会自体が「社会実装」(最近この言葉があまり聞かれなくなったような気がしますが…)を本気で考えているのか、という辺りも疑問。 国威発揚のために、積極的に働きかけるべきとは毛頭思いませんが、日本のアフリカ研究は、世界的に長い歴史と多くの業績を残している学会です。学会員も1000人ほどおり、地域研究学会としては、異例という話も聞いたことがあります。とある知人が「発表もせずに、知識の搾取ばかりですいません」などとおっしゃっていましたが、「知識の搾取」でもよいので、政府・行政の方は一度見に来るべきだと思いますし、それなりの専門知識をベースにして政策を積み上げるべきだと思います。そして、「産」も然り。きっと、ビジネスのタネや人材が多く眠っているはず。そして、長い目で見て、こういう学会に時間もお金も投資すべきではないかと思います。 そんなわけで、TICADの度に恒例となるつぶやきですが…

【日本のアフリカンレストラン】⑤コシャリ屋コーピー@錦糸町

イメージ
  コシャリ屋コーピーさんWebより コシャリ…音としては知っていたものの、食べるのは初めてでした。コシャリとは、以下のような料理です。 お米・ショートマカロニ・スパゲッティ・バーミセリ・レンズ豆・ひよこ豆をベースにスパイスを利かせたトマトソースを乗せ、好みで酸味ソースのダッアと辛味ソースのシャッタをかけながら混ぜて食べるエジプトの国民食です。 (コーピーさんウェブサイトより) ブルキナファソ大使の公邸料理人の佐藤さんにお連れいただきました。帰国直前にも関わらず、ありがとうございました。(そして、なんと、加藤前大使まで登場という…正月番組のような展開となりました) 手の込んだ調理、膨大なスパイスを使用するイメージのあった中東料理で、これくらいジャンクなものがあることに安心した(ちょっと変?)のですが、コーピーさんの豊富なトッピングの豊富さはなかなかに面白い。特に、エジプトっぽいのは、モロヘイヤでしょうか。 注文したのは、「クレオパトラ・コシャリ」。フレッシュトマト、モロヘイヤ、さらに、フライドオニオンがトッピングされている。それにトマトソースをかけ、さらにダッアを大量投入(エジプトでは酸味を思いきり効かせるらしい)。 お味はなかなか。あまりジャンクな感じがしない。よく考えたら、若干脂っこいものの、他のアフリカンに較べればカワイイもので、野菜もそこそこに摂れ、意外にヘルシーかも。その後、ラクダ肉とお茶をいただきコンプリート。 単品では、若干量がかわいかったが、1000円せずにそこそこ腹に貯まる。ジャンクフードとして正しいし、これ、本当にもっと広がってほしい。少量だと手間がかかるだけだが、原価はかなり安いはずで、大量に作って安く売れば学生街で人気になるのではないだろうか。 https://kushari-kohpea.com

【セネガルプログラム】サンルイ① Gette NdarとLangue de Barbari

イメージ
Langue de Barbari 今年度のプログラムは8月23日のマガル・トゥーバの影響をいかに回避するか、ということが最初のポイントとなった。マガルが落ち着く8月25日過ぎの移動と設定し、結局27日にサンルイに出発した。 Facebookにも書きましたが、一応「海外短期フィールドワーク」というタイトルをつけているので、初歩的な調査を企画しようということを考えており、サンルイをその舞台としました。       現在引率中のプログラムは「海外短期フィールドワーク」という講義名がついています。という     ことを改めて考え直してみて、ちゃんと調査っぽいのも経験してみよう、ということで聞き取り  のマネごとなど。(8月29日投稿) サンルイ は大西洋岸に面するセネガル最北部に位置し、AOF(仏領西アフリカ)の最初の首都がおかれた都市です。サンルイはセネガル川の河口部にありますが、AOFの首都となったのは、川の中州の部分です。大陸から中洲に渡り、さらに大西洋岸の細い砂洲に渡ると、もう一つ街があります。Gette Ndar(ゲットンダール、上の地図の赤く囲ったところ)と言います。「Ndar」がサンルイのウォロフ語名とのことです。 なぜゲットンダールなのか?コロニアルな建物とヨーロッパ風の店舗とアフリカが混ざるエキゾチックでシャレオツな中洲に比べ、とにかく人の密度が濃く、活気に溢れ、原色の模様を施した船、そして、魚の臭いなど、人間の生の香りがする。私がそういうところが好きだから、というのがその理由です。 2日間の予定で、ゲットンダールを回ることにし、まずは初日。まず雰囲気を見てもらおう、ということで、中州を全体的に…と思い車で南に下り、大西洋を見ましょう、ということで車から降りたところにキオスクが。カフェトゥーバでも…というつもりでいたら、キオスクの店主より、ピローグに乗らないか?というお誘い。 船着き場あたり 学生たちにも相談すると、二つ返事で乗船することにしました。かなり外洋に近いところからの乗船と思っていましたが、この地形がずっと南の方まで続くのですね。点線のように続く砂洲、砂洲の大陸側は穏やかな河口部が延々と続きます。 この季節は、セネガル川源流でたくさん雨が降るため、その際の土砂が溶け込んで下の写真のような色をしています。 対岸を望む そのまま3...

【科研費関連調査】ブルキナファソ20240809-19②:「父と息子」

イメージ
レストランに貼られていたポスター 「父と息子 人民の偉大なる勝利」 多くの方が西側諸国から距離を取る現在のサヘル三国の行く末を案じているように思いますが、おそらくこの地域が進む方向性は大きく変化しつつあると思います。私はこれまで、様々な場面で、ブルキナファソやサヘル三国のフランス(西側)離れを評価してきました。 確かに、国際政治という大きな流れから見れば、これまでも、また、この先の一定期間は覇権を維持するであろう、西側から離れてしまうことは、この国の抱える貧困問題を考えると、どこか後退してしまう要因になるかもしれません。しかし、「政治」という上部構造の示す大きな力は、この地域の特に都市民の間では、思いのほか民意と強く連動する仕組みになっているように思います。これは、私が話をするようなその辺のおっさんの言うことが、実に的を得ていたり、その通りになったりする経験から私が感じていることです、そして、そうした、 市井の人びとの話を聞いていると、 このまま親仏的な政治を続けていくことで、政治が上滑りすることは、大きな間違いでないとも思っているので、余りに根深く強いフランスへの恨みを感じている私にとっては、やはり現在の軍事政権も、そうしたこの地域独特の「民主主義」の結果ではないかとも思っています。 以前、写真を出した交差点に掲げられるサヘル三国とロシアの旗、その横にある現大統領の写真は、トラオレという、クーデタで政権を奪取した30代の大統領の必死のプロパガンダに見えます。ニュースに出てこないことが多いですが、こちらの人びとの話を聞いていると、非常に強硬です。首尾一貫してテロリストに抗する姿、テロ、そしてこの地域の貧困の元凶であったフランスに明確にNOを突き付けた姿は、サンカラに模して受け入れられています。何人からか話が聞けたのは、トラオレ大統領就任後、 実効支配地域は 10%(60%→70%)上昇したことだったり、難民化した人びとが出身村に帰ることができるかもしれないという、肌感のあるテロからの解放の兆しでした。こうした、「強さ」や大統領の若さ、そして、フランスに対して真っ向から対抗していく姿は、当初から「サンカラ2世」の呼び声高く、圧倒的な支持を得る大きな要因の一つとなっていたことは間違いありません。今回は、明確なイメージ戦略(写真)も展開されていたのが印象的でした。 今回の...

ブルキナファソのイスラーム過激派による不安定化-② カッザーフィー(カダフィ)と西アフリカ

イメージ
Wikipedia「ムアンマル・アル=カッザーフィー」より ずいぶん長い時間がかかってしまったが、現在の西アフリカの政治を理解する上で、どのあたりから考えればよいのか、ということを考えていました。もちろん、根源はイスラーム化や西アフリカの王権について踏まえておくことが重要なのですが、そこから書くことは私の能力を超えているので、歴史家の仕事に一任することとし、ここ20-30年の大きな出来事に思いをはせれば、おそらくマグレブの影響はとても大きかったにも関わらず、余り注目されてこなかったような気がしています。なので、ある一区切りの歴史を振り返る意味で、「アラブの春」と西アフリカについて、カッザーフィーを中心に見ていこうと思います。 2010年から2012年にかけ、「 アラブの春 」と呼ばれる、アラブ諸国の「民主化」の大きなうねりがマグレブ諸国を中心に起こる。発端は、2010年12月17日にチュニジア中部のシディ・ブジドで起こった露天商の青年の焼身自殺だった。モハメド・ブアジジというこの青年は、いつものように露店で果物や野菜の販売を始めたが、販売許可がないとして地元の役人が野菜と秤を没収したうえ、女性職員から暴行と侮辱を受ける。ブアジジは没収されたものの返還を求めて複数回役所を訪れるが、役人から賄賂を要求された。再三の申し出を断られたブアジジは、午前11時30分、県庁前で自分と商品を積んだ荷車にガソリンをかけて焼身自殺を図る。その様子を撮影したブアジジの従兄弟のアリ・ブアジジがFBに投稿すると、アルジャジーラがそれを取り上げ全国にこのことが知れ渡る。ブアジジと同じく就職できない若者を中心に、就業の権利、発言の自由化、政治行政の腐敗の改善を求め、ストライキやデモが起こるようになる(Wikipedia「ジャスミン革命」)。 こうした民主化運動にあったが、その流れは周辺国に及ぶ。この記事で述べるリビアにも「アラブの春」の波は押し寄せ、リビアの「独裁者」ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)もその動きの中で命を落とし、中東の現代史に大きな変化をもたらした。(APF) 「アフリカ屋」の私がなぜリビアなのかは、後々述べるとして、今少しカッザーフィーを中心としたリビア情勢を復習しておきたい。 1942年にリビアの砂漠地帯(スルト)に生を受けたカッザーフィー。中東、アフリカが次々と独...

クーデタ未遂@ブルキナファソ (注 2015年の記事です)

イメージ
ブログを整理していたら、この記事が中途半端に残っていた。ニュースソースが切れているのもあるのではないかと思うけど、できるだけ残しておく。2014年にブレーズ・コンパオレがブルキナを去り、その後の混乱の一端をメモしておこうとしたらしい。2015年に記事を書こうとしたいたらしいです。若干なり当時の様子が分かるのではないでしょうか。 20151003取得、http://m.voaafrique.com/a/gilbert-diendere-est-retranche-dans-une-ambassade-a-ouagadougou/2985802.html 9月16日午後、大統領特別警護隊(RSP、Regiment of Presidential Security)の一部が大統領府で行われていた閣議中に乱入、カファンド暫定大統領とジダ暫定首相他、ルネ・バゴロ住宅都市開発大臣とオギュスタン・ロアダ公務員大臣を拘束して立てこもる。 同日夜に事態に抗議する数百人の市民が大統領府に向けて行進を開始する。 翌17日朝、RSPにより、暫定大統領と首相の解任、暫定政府の解体が発表される。この時点で夜間外出禁止令、空港及び国境が閉鎖される。そして、ジルベール・ディエンデレGilbert Diendéré将軍が国家指導者に就任されることが発表される。(おそらく)スポークスマンのバンバ中佐が国営テレビ(RTV)を通じて「道を踏み外した体制に終止符を打つため」の方策であった旨を発表(時事ドットコム)。ディエンデレ将軍は、フランスのメディアに対して「選挙を控えた深刻な治安情勢」を受けての措置であると説明(同上)。 このバリケードはどのあたりだろう。今、この通りはほとんど人が見られない。当時は地図局などがあり、よくふらふらしていた。 20151003取得、http://icibrazza.com/2015/09/burkina-apres-avoir-reinstalle-kafando-dans-ses-fonctions-la-population-nettoie-ses-rues/ このニュースはリンクが切れてしまっていますが、写真が残っていてよかった。混乱がある度にブルキナべたちは外にでて道を清める。自分たちの進む道を切り開き、清めているよ...

【日本のアフリカン・レストラン】② Tribes(アフリカン・フレンチ)

イメージ
このレストランに初めて伺ったのはいつのことだろう?【日本のアフリカン・レストラン】シリーズ第一回目は Tribes さん。 おそらくは2002年とか2003年とかあたりではないかと思うのだけど、神楽坂を一本入った静かな街並みの中、「アフリカン・フレンチ」を標榜し、店主の石川さんはイケメン。正直なところ、最初はとてもハードルが高かった。 その後、四谷荒木町、そして荻窪と、お店のロケーションを変えて営業されてるのですが、どんどん庶民的な街に移っているような…なぜお店を移されているのかは聞いたことはほとんどないので、今度伺ってみようと思います。現在の荻窪のお店はラーメン好きならよくご存じの「春木屋」の2件隣り、という悩ましいロケーション。春木屋に行ってからTribesに行くわけにもいかず、帰りは基本的に閉まっており、いつもモヤモヤしているのがここだけの話。ともあれ、このレストランについては、石川さんが「石川コフィ」さんとして、先日『 筋肉坊主のアフリカ仏教化計画 』を上梓されましたが、石川さんの来歴はこちらにしっかり書かれていますので、こちらの本に譲りたいと思います。 店内はかなりムーディーなのですが、今回訪れた際は「青」。ご一緒した旧友たちも、入店するなり「青!」と叫んでいました。窓が青いだけなのですが、夜は外からは何も見えないのだとか。 店主の石川さん とにかくアフリカ好きの石川さん、この店に置いてあるものは、ほとんどは基本的にアフリカがらみ。ビール、ワイン、料理… さすがに「常連」と言っても怒られないと思うので、そういう立場だと説明しておきますが、ここ数年間、メニューを見てお願いしたことがなく、ここの料理を紹介することが叶いません(しかも、久しぶりに見せてもらったのに写真を撮り忘れるという…)。お伺いすることを伝えておくと何某か考えておいていただけるので、毎回それを美味しくいただく、というだけ。 チェブジェン・スンバラ仕立て 石川さんとは、ずいぶん前から、レストランと客、という関係以上のことをさせていただいています。最初は、勤めていたNGOとの「チャリティナイト」の企画だったり、イベントへの食販の出店だったりと一緒に厨房に立たせてもらったりもしました。石川さんご自身も大変なアイディアマンで、いろんなことをされています。それゆえの地力の強さのようなものもあり、お話も実...

オマール・カナズエ その2 ヤルセであること

イメージ
  Wikipedia "Oumarou Kanazoué Dam (https://en.wikipedia.org/wiki/Oumarou_Kanazo%C3%A9_Dam) 随分前になりますが、 オマール・カナズエのことを書きました 。こちらももう少しまとめて書いておこうと思います。 ヤルセについても、散発的に3つくらい書きました。一つは 2010年にサガボテンガSagbotengaのモスク について、二つ目は ワガドゥグの最古のモスク について(直接的にはヤルセには言及していない)、そして三つ目に サガボテンガの調査 に関して。謝らねばならないのは、ほぼほぼ中身に入れていないということです。 これまで、3回にわたり、Sagbotengaに入り、ヤルセがモシ社会と融和していった経緯を聞き取ってきました。特に、ヤルセのことを考えるうえで重要なのは、歴史的に王権に支えられた強力な軍事力を背景に、西アフリカのイスラーム帝国の向こうを張った非イスラームのモシ王国をイスラーム化させた存在であることだということです。しかし、イスラーム化の痕跡をワガドゥグを中心として見ると、どうしてもヤルセは見えにくく、より華やかな文化を持つハウサの存在ばかりが目に入ってきます(もちろん、私のワガドゥグへの関わり方にもその要因がありました)。たとえば、現存する上のワガドゥグのモスクは(土づくりのモスクでワガドゥグ駅構内に放置されているので、現存するかは不明です)、ハウサのムスリムによって建てられたものですし、旧ザングエテン地区にある大モスクもハウサによるものです。半面、ヤルセの人びとは「ヤルセ」として民族意識を前面に出すことは、少なくともワガドゥグではありませんでした。ヤルセの見えにくさは、このようにして、ランドマークがないことに加え、ヤルセが独自の言語を失い、モレ(モシ語)を生活言語としていることがあり、人口統計的にも「モシ」としてカウントされることが多いことがあります。おそらく2,3年ワガドゥグに住んでも、ほとんどの人が気が付いていないのではないでしょうか。 ヤルセの歴史については、まだちゃんとまとめていないのですが、小出しに少しづつ文字にしています。最近では、清水2023(35ページ)に概略を書きましたし、2021年に発表したものでは、もう少しまとまった形で口頭発表してい...

【業績】神代ちひろ(編著)大石高典、武内進一、小松謙一郎、椎野若菜(著)『学部生の安全なアフリカ留学に向けて』

イメージ
年度末にいくつか業績がでました。 一つ目です。神代ちひろ(編著)大石高典、武内進一、小松謙一郎、椎野若菜(著)『 学部生の安全なアフリカ留学に向けて 』 現職に就いてすぐに日本とアフリカの大学を結ぶネットワークの会議に参加させていただいています。京都精華大学はオブザーバー参加ではありますが、「大学の世界展開力強化事業(アフリカ)」の成果物として『学部生の安全なアフリカ留学に向けて』という冊子が公刊されました(無料です)。ハンドブック的なものですが、執筆陣の豊富な経験を踏まえた安全対策が記されています。私も上智大学の山﨑さんと編者の神代さんとの対談に参加していています。 アフリカと日本をつなぐ一つの懸け橋となりますように。

セネガル新大統領(2024年大統領選挙)と西アフリカ情勢

イメージ
  バシル・ジョマイ・フェイ新大統領(Mali jet 20260326 より) 2024年3月26日、セネガルに新大統領が誕生した。バシル・ジョマイ・フェイ氏だ。日本の報道各社も小さく、論調も似たようなものではあるが速報を流している。選挙が行われた当日は気が抜けるほどあっさりと勝利宣言が出たが、ここにいたるまで、かなりの混乱を経ていた。昨年学生がセネガルに滞在していた5月ー6月ころから、マッキ・サル大統領が憲法で禁じられている三選を目指す、という話が出始め、ダカール市内で市民蜂起があったりした。2月3日には、2月25日に予定されていた選挙を延期すると発表されると、市民はデモを組織し、治安部隊との小競り合いが各地で起こった(武内20240206)。こうした動きの背景には、マッキ・サル大統領による野党候補の(乱暴とも思える)抑え込みがあり、さらには、100歳になろうとしているアブドゥライ・ワッド元大統領、その息子のカリム・ワッドなどの動きが複雑に絡まりあっている。対立候補が絞り込まれていく過程で、最大の対立候補のウスマン・ソンコ氏はジョマイ氏の指示に回り、3月6日の憲法評議会で投獄されていたソンコ、今回当選したジョマイ氏ともに恩赦法により14日に釈放、24日に選挙実施案が承認された(武内20240316)。結果は報道されている通りである。 アフリカ・アジア現代文化研究センター主催の 緊急シンポジウム「西アフリカ諸国で何が起きているのか―セネガル、ギニア、マリ、ブルキナファソとニジェールの政治危機を考える」 (2024年2月21日)の開催趣旨で、次のように書いた。 「2024年2月3日、月末に予定されていたセネガルの大統領選挙が無期限に延期となったニュースは耳新しい。多くのアフリカの国々で大統領選挙が近づくと、任期延長や「三選問題」が浮上するが、セネガルでは現サル大統領の一期目の選挙以降、「民主的」な選挙が行われていたこともあり、このニュースは一抹の不安と驚きをもって受け入れられた。アフリカの多くの国々が大統領権力の長期化による腐敗を防ぐため、憲法で三選禁止規定が明記されているが、これまでも、ブルキナファソ(2014年)、南スーダン(2018年)、コートジボアール(2020年)、ソマリア(2021年)、ブルンジ(2023年)、中央アフリカ(2023年)など、三選...

【ブルキナファソ調査】国旗の意味するもの

イメージ
  【3月27日一部修正・追加】 2024年2月27日~3月4日までブルキナファソに滞在しました。前の投稿でビザのことを書きましたが、観光ビザの発給停止がどのようなことを意味しているのか、もしかすると、政治的な意味も含まれているのではないかと勘繰っています。 ワガドゥグの一部の店舗には国旗が据えられていることがあります。多くがブルキナファソの国旗なのですが、アメリカファッションの洋服屋には星条旗、フランスのトリコロールがかかっているところもしばしばみることがありました。 こうした国旗事情、2023年9月の前回滞在の時に大きな変化に気が付きました。星条旗やトリコロールが掲げられていた店の国旗の多くが、ロシア国旗に代わっていました。昨年時点では、「トリコロールを90度回転させたらロシア国旗になるだろ?」という冗談が通じたのですが、今回、一切のトリコロールが姿を消しました。NHKの報道でも、このことは言われています(関連記事にURLあります)。そして、ほとんどの交差点(ラウンドバウト)の中心には、マリ、ニジェール、ロシア、時に北朝鮮の国旗がはためいていました。 友人によれば、こうした交差点では、夕方になると若者たちがお茶を飲んでいるとか。確かに、炭の後やらお茶の箱やらがちらほらと見える。こんなところで何をしているのだろう…もしかしたら、新たな友好国の国旗に囲まれながら熱く政治を語っているのでしょうか。 街中からなくなったフランス、新たに増えるロシア、この流れは政治的なものだけでなく、私が調査をする人たちからもよく聞こえてきたものを象徴しているように思います。歴史的なフランスの所業、独立後も続いた支配への恨みや怒りは、普段穏やかな民衆の生活の中でもしばしば見え隠れするものでした。 現地滞在中に調査協力者はこんな話をしていました。昨年、クーデタ直後より、エールフランスの就航が取りやめとなりました。この解釈について、調査協力者は、事態が落ち着き、エールフランスから再開の「通達」があると、ブルキナファソ側からフランスの非礼を理由にそれを拒否(勝手に出ていって自分の都合で戻って来る。フランスのそういう態度が我われをいらだたせる、ということらしい)。よって現政権の方針を指示すると。 ただ、ここで注意しておかねばならないのが、交差点に掲げられている国旗に交じり、現トラオレ大統領...

【ブルキナファソ調査】ブルキナファソのビザ(失敗談)

私の申請が遅かった…間違いないのだけど、Expressで申請したのにビザが、手元に送られてきたのは、それから1週間後のことでした。 出発前日、祝日、週末が続いたこともあり、ビザ未取得のままの出発が決定しました。 長年お世話になっている道祖神さんの担当者にアドバイスを仰ぎ、On arrivalでの取得を目指すことになりました。関門は日本でチケットが出るか、ブルキナファソでビザ発給されるか、と思われました。 第一関門は、「お金払ってるし、今まででちゃんと取れてるから大丈夫」と言ってなんとかごまかして通過してトルコに到着。 トランジットを終え、出国カウンターを通過して搭乗口に到着し、次の関門でのシュミレーションをしていました。 ところが… 搭乗口の係員からビザの有無を問われ、持っていない、というと、係員が確認を始める。嫌な雰囲気が漂い始める。事前に教えていただいていた Timatic を確認し始めたので、日本でもそれを確認してもらって、申請は完了しているので、入国時に入手できると聞いている、とちょっとブラフを入れてみても、最終的に確認が取れないため、「搭乗不可」という結論になりました。 そこから、ブルキナファソにいる大使館勤めの知人を通して、事情を説明し、サポートをお願いする。というのは、元々、ブルキナファソのビザは、大使館の領事の業務でしたが、2023年2月から申請方法が変わりE-Visaのみとなったためで、つまり、本国の警察の管轄となったので、現地での調整が必要なわけです。ビザ情報を書いておきますが、前回渡航の際に大使館にも問い合わせたところ、書類に不備があると、申請料は返還されない…とか、2023年2月から 「観光ビザ」の発給 を停止しているとか、治安上の問題があるとは言え、旅行しにくくなりました。 閑話休題。その日はトルコ再入国も許されず、空港内のホテルに宿泊(×万円やられました…ものすごく高い)することにしました。ちょうど締め切りを過ぎた原稿があったので、そちらを仕上げる時間に充てることとし、ブルキナファソの友人づてで、大使館から警察に問い合わせてもらい(こうしたことは大変助かります)、朗報を待ちます。 翌日、チェックアウトの時間ギリギリまで空港ホテルで過ごし、死ぬほど飯を食べ、最後の最後までメールをチェックしても、結局E-Visaは届かず、鬱々としながらサポー...

科学研究費「西アフリカのライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究」(基盤B/21H00651)

イメージ
  (トゥーバのグランモスク) 2021年度より「 西アフリカのライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究 」というテーマで科研費の研究助成をいただけることになりました。 科研のウェブサイトにも出ていますが、この研究の概要を次に示しておきたいと思います。 19世紀にフランスで確認された政治における宗教の不介在(ライシテ)は、現代社会では当然のものと認識されるが、ライシテ発祥のフランスにおいてすら、この原則から逸脱する事例が数多くある。旧フランス植民地の現仏語圏アフリカでもライシテはそれぞれの憲法に謳われているものの、社会救済性を是とするイスラームは、本来行政が担うべき、教育や社会福祉などの領域を肩代わりしている。ムスリムたちの日常実践の束は、近代化した宗教学校や、信仰NGOなどと呼ばれるムスリムによる中間集団を形成している。本研究では、これらをアフリカ的なライシテ-宗教性の連続体として分析し、現代社会の個人と宗教の在り方を考察する。 先日アップした学会報告の指摘でもあったように、まだ語句の不安定さや、問題の焦点化が甘いですが、すでに3年目に差し掛かり、そろそろこの研究課題なりの「答え」を出すことを考え始めねばなりません。 コロナ禍により、最初の1年間は現地調査ができませんでしたが、昨年から少しずつメンバーの海外調査も進められるようになってきました。そろそろ調査結果を集積し、成果を考え始めねばならない時期になりました。 また少しずつこちらで研究進捗などを報告したいと思います。

セネガル/ブルキナファソ渡航-①

イメージ
2022年2月26日。約2年ぶりにアフリカの土を踏みました。そろそろ暑くなる季節なのに、セネガルは肌寒く、上着が一枚必要なほどでした。 今回のミッションは2022年度に行われる学生の研修の下ごしらえ(セネガル)と科研費の調査です。年度末ということもあり、諸々のドタバタで準備もままならないままに出発前日を迎えました。今回は、ユースギョンさん(マンガ学部)と吉野さん(グローバル推進室)のアフリカ初体験のお二人と同行しました。パリで一泊し、セネガル入り、という段取りでした。 パリでは、私は授業収録があり、ほぼホテル缶詰めでしたが、お二人はパリを散策。その間にユーさんがATMでトラブルで10万円以上が戻らないことに…。旅の初めから不穏な空気が… この空気は、セネガル到着に引き継がれる。いやな感じの入国審査官に一通りいじめられ、何とか出国し、ドライバーと落ち合う。ホテルの場所を伝え、ホテルの街に向かう。途中、通行人にホテルの名前を聞くが、誰もしらない。Google mapで調べながらホテルに向かい、「ホテル」のあるはずの場所には、大きなお屋敷。看板もないが、鉄扉をたたいてみる。屋敷内には電気がついているが、誰も出てこない。30分ほど扉の前で中の人を呼ぼうとしたが結局ダメ。夜も更け、深夜に突入しそうだったので、他のホテルを探すことになった。しかし、コロナ禍にあって、他の2,3のホテルも満室。途方にくれたが、「彼が近くにいたはず!」(というか、翌朝の朝食を一緒に、と約束はしていた)。ということで、近くに住んでいる映画監督のThomas Grand氏に電話してみると… おそらく眠りについた頃、最初はだれだかよくわかっていないが、「俺だ!清水だ!」というと、「おぉぉぉぉ!どうした?」「予約していたホテルがなくて困ってるんだ。連れがいるから、今から行っていいか?」と聞くと、「もちろんだ!早くうちに来い!」ということでドライバーに道を伝え、一路Grand氏邸へ。  Grand氏邸に着くと、家族がすべて起きだして、我われを迎える準備をしてくれていた。深夜すぎというのに、1歳児までが我われを迎えてくれる。そして、ビールやら食事やら、シャワーやらを用意してくれて、2時過ぎに就寝。長い一日が終わった。翌朝、8時過ぎまで、3人とも爆睡。そして、約束の朝食。 ハプニング続きのセネガル渡航、こ...

カメルーン調査(2月8日~2月17日)②ヤウンデ調査

イメージ
前の投稿からずいぶん時間が経ってしまいました(完成していなかったので、ノートを基に完成させます。20220103)。 ヤウンデ到着翌日、シモン=ピエール氏がホテルにピックアップしにくる。2019年10月以来の再会。林さんとは20年の付き合いになるNGOの代表だ。彼のNGOは Association Tam-Tam Mobile (タムタム・モービル、以後TTM)といい、ヤウンデで衛生向上の活動に従事している。林さん自身、付き合いが長いものの彼が保健衛生の活動をしているのを知ったのは、サニテーションプロジェクトを始めてからだという。シモン=ピエール氏は、これまでに多くの日本人研究者のエイジェント的な仕事をしており、お二人は「兄弟」と呼び合うほど親しいが、その先に踏み込むことはなかった(もしくは、あったとしても、サニテーションというテーマに関心がなかった)ようだ。 ヤウンデ市内の谷間の集落 前回の調査では、カメルーンのサニテーションの全容を知るために市役所などを中心に訪問したが、今回はシモン=ピエール氏に彼が活動地とするヤウンデのサイトを訪問させてもらうことにしていた。 TTMが活動するのは、「ビドン・ビル/Bidon ville(一般名詞らしい)」と呼ばれる、起伏の激しいヤウンデの谷間に位置する街区である。僕は「スラム」という言葉を様々な理由で忌避するが、分かりやすくいってしまえば、そういう風に見える街区だ。「山の手」という言葉は、いわゆる富裕層が住む街区として、どこに行っても良い住宅地というのは、少し高いところにある。簡単に言えば、水がたまらないところ、暑い時期にはほんの少し涼しく、人間が生活する上で快適なのところのことである。だから、日本でも部落や不可触民と言われた人たちが住んでいたのは、川沿いだったりする。ビドン・ビルも漏れなくこうした意味で、まあまあ貧しいほうに近い人たちが住んでいるが、治水がぜい弱な都市の谷間。水だけでなく、生活排水やゴミ(特にペットボトル)がここに溜まってくることになる。 ヤウンデの谷間の集落周縁部 それほど気温が高くない日だったためか、臭いはそれほどひどくなかったが、衛生状態が悪いのは間違いない。この前の調査で訪れたヤウンデ市の衛生当局が「運河の整備」に最も力を入れていると発言していたことの理由が明確に理解で...

カメルーン調査(2月8日~2月17日)① 

イメージ
ドアラ上空 2度目のカメルーン調査は、ブルキナファソから帰国した3週間後に敢行された。この年度は研究費の都合で、年またぎのブルキナファソ渡航に始まり、3か月で3回渡航という、鬼のスケジュール。しかし、3週間あれば日本での生活も普通に戻り、余韻がなくなったころに再び出国というサイクルで過ごす。伊丹で同僚の林耕次さんと合流し、経由地のブリュッセルへ。ブリュッセルでホテルでPLの山内太郎先生と合流。翌日の便でヤウンデに向かった。 今回はとにかくやることが多い。コロナ以前の話なので、どこかリアリティのない話だし、もうずいぶん前のことのようにも思うが ①前回の調査で協議した2つのNGOとのMOUの締結 ②ヤウンデでの研究会 ③ヤウンデでの初期調査の実施 ④ベルトア周辺での調査の設定 これに加えて、持ち込み仕事としては、アフリカ学会賞の選考に『現代アフリカ文化の今』の原稿、そして、4月から始まる講義の準備もあった。 ノートの清書もままならない、超過密な調査週間が始まる。ともあれ、ヤウンデに到着した3人はいつものマネックで夕食。今回初めてのンドレ・ポワソン・フュメに舌鼓を打ち、一時のここから怒涛の1週間が始まる。 にほんブログ村 アフリカ(海外生活・情報)ランキング

ブルキナファソ調査【20191227-20200117】④「手榴弾」爆破事件

イメージ
Sidwaya Paalga誌(20200109より) 少し間が空いてしまいました。年始のブルキナファソ調査の最後です。 2020年1月8日。新年があけてもワガドゥグは大きな変化はなく、街はいつも通りだった。僕も朝から調査を手伝ってもらっているザカリアといつもの場所で待ち合せる。乗り合いタクシーに乗り込むときに電話をし、時間と場所を確認する。普段の調査と変わらない調査の朝を迎えていた。 9:00数分前に待ち合わせ場所に到着。いつも少し遅れてくるザカリアのことなので、到着を電話で知らせ、僕はキオスクでコーヒーを飲んでザカリアを待つが、彼が来る気配はない。30分ほどして、イマームを連れてキオスクに来るが、着くなり、小さな声で僕に語り掛ける。 「我々のエリアがおかしい。テロが起こったと言って街区全体が大混乱になっている」 イマームは、僕を安心させようと思ったのか、「まあ、すぐに終わる。問題ない。」を繰り返すが、僕はよくないことがあったことは間違いないと思い、ザカリアが勧めるようにすぐにホテルに引き返すことにした。しかし、都心に向かうタクシーは軒並み乗車拒否。どこか騒然とした雰囲気の中、結局ザカリアのバイクに乗せてもらってホテルまで戻ってきた。 ホテルに帰り、FB、Twitter、その他現地新聞社のWebサイトで情報収集をする。こうした突発的な事件の場合、速報性の高いのは、間違いなくSNS。すでにいくつかの現地通信社がニュースを上げているが、そこに踊るのは、「手榴弾」や「クルアーン学校」の文字。少し前まで目の当たりにしていた調査地の周囲の混乱ぶりと相まって、確実に何かがあったことはわかるが、一つ一つが結びついていかない。大使館にも電話をしてみて、状況を確認するが、その時にには僕が集めたニュース以上の情報は手に入らなかったが、そのあとのやり取りのかなり早い段階で「テロとは無関係」という情報だけは聞き、少し安心する。しかし、一応、僕も勤め人。情報確認後に職場に連絡すると、翌朝には「非常事態対策本部」が立ち上がるとのことで、職場の指示を待つことにする。 情報は錯そうし、今でも真相とされていることは、少し眉に唾をつけてみておかねばならないと思っている。顛末はこうだ。 1月8日の朝、市内北部の未認可のフランコ・アラブ校に通う生徒の一人が、登校途中...

ブルキナファソ・カメルーン調査①復習

イメージ
本年2度目の調査、3度目のブルキナファソ渡航(10月6日~9日)、ほぼ初めてのカメルーン渡航(10月9日~16日)です。 時々ブログやらFBやらに投稿していますが、ブルキナファソ、昨年あたりからジワジワと治安が悪化し、渡航自体が難しくなってきました。毎回所属先に大量の安全対策の書類を出す必要があり、これがなかなか大変です。確かにブルキナファソでも、外国人の姿を見ることはまれになったし、全体的な雰囲気として状況は芳しくないのが読み取れます。 リ・グラ しかし、どんなに危険であってもメシは喰わねばなりません。『ブルキナファソを喰う』を出して、5月の渡航の際はラマダンが絡んだこともあり消化不良。9月に極秘で渡航した際もお呼ばれ料理ばかりで、若干消化不良。今回は短い滞在ながら、たっぷり楽しんでやろうと意気込んでの渡航となりました。 到着したその日はいつものセネガレでチェブ・ジェン。 翌朝はアブドゥルに早く来てもらって「スンバラメシ」。「ちょっとマラリア」と言っていたアブドゥルに、「喰わんと治らん!」と言い張り、いやいや食べ始めたアブドゥルも止まらなくなっていた。やっぱり旨い。 スンバラメシ800Fcfa(160円)  気が付いたのが上の写真の手前にある茶色い粉。これはトウガラシなのだけど、これに魚粉が混ざっていた。スンバラメシに少し振りかけて食べると、魚の風味が広がる。こんなんだったっけ?つけ麺屋に行くと、魚粉が置いてあるところがあるけど、そんな感じ。さらに食欲が増す。 いやいや食卓につくアブドゥル  これをたらふく食べ、この日の用事を済ませる。 150円程度でなんか満足感の高い一日になった。 その翌々日、午前中の調査が済み、前々からアブドゥルと話していたプレクスクスへ。1年ぶりくらいではなかろうか。これも旨い。 プレクスクス  そして調子に乗り、プレクスクス屋の隣の店の牛タンのトマト煮。最近はよほどのことがなければ昼酒はしないので、これらをコーラで流し込む。これはこれでよいものだ。 牛タンのトマト煮込み 3日間と短い滞在だが、思いっきり詰め込んでやりました。ワガドゥグ旨いもんの復習編でした。 にほんブログ村 アフリカ(海外生活・情報)ランキング ...